○北畠
教真君 第一班の
調査報告をいたします。
第一班は、
相馬委員長、梶原
委員と私のまか、
調査室から吉田、菊池の両
調査員、それから法制局の安達参事と
文部省の松平事務官が参加いたしまして、去る九月二日から八日に至る七日間、宮城、岩手両県におきまする
教育財政、
教育行政の一般、僻地
教育、短期大学、
文化財の保存保護の現状等についての
調査をいたしました。
第一に、
教育財政、
教育行政について申し上げます。
まず、宮城県の公立
文教施設について申しますと、小学校は、戦後の校舎施設の荒廃と最近の児童数の激増により、暫定最低基準に照らして、なお全体の四六%に当る二百五十八校が校舎不足を告げ、不正常授業を余儀なくされている学級は五百十二教室、一万七千九百二十坪に達しております。また、小学校の屋内運動場の建設は、取り残された形でありまして、基準未満のものが八九%、四百九十九校、坪数にして三万九千百六十一坪にも及ぶ状態でありまして、寒冷地として、冬季の不便はきわめて大きいことが察せられます。中学校は、一般校舎で補助基準未満のものが一五彩、四千五百三十一坪、屋内運動場も基準未満のものが五五%、不足坪数一万一千坪をこえております。高等学校でも、一般校舎で基準に満たないものが半数以上を占め、その不足坪数は一万余坪に及び、生徒の収容に手一ぱいの現状であります。
このような現状に対処し、設置者側としては、昭和三十四年度以降三十八年度までの五カ年計画を立てておりますが、この計画の遂行のためには、国の財政的援助の裏づけがなされるようにとの強い要望がありました。また、屋内運動場につきましては、鉄筋建築及び建設に要する土地購入のための経費についても、国の援助を要望する旨の陳情があったのであります。
右のほか、市町村
教育委員会について、
教育長の給与費の増額と手不足がちな事務職員の増員のための経費についての国の補助を増強することによって、地教委の育成強化をはかってもらいたいとの要望もありました。
また、当県においては、宮城県産業
教育総合計画を樹立し、
教育内容の改善、
教育課程の変更新設、現職
教育、施設、設備の充実、研究校の指定等によって、産業
教育の恒久的計画を実施しておりますが、これに要する経費についても、国の十分な補助を期待したい旨の要望がありました。
次に、岩手県について申し上げます。
本県は御承知の
通り、四国に匹敵する面積を持っておりますところの本州随一の大県でございますが、鉄道の幹線が走っております北上川流域の平野を除いては、その大部分が山岳地帯でおおわれ、特に三陸方面は、峨々たる高山峻峰が連なっておりますために、県内の交通はきわめて不便でありますし、人口も希薄でありまして、県内全体が巨大な僻地の様相を呈していると申しましても過言ではございません。
従いまして、本県におきましては、小中学校の全体の三分の一以上に相当する約四百校が僻地に散在し、そのうち電灯設備のないものが六十校に上り、またこれらの僻地校の三分の二以上のものは、三学級以下の小規模学校であります
関係上、児童生徒の一人当りの
教育費ははなはだしく割高となり、父兄負担その他の寄付金も著しい高額を示す結果となりますため、本県における
教育行財政の主眼も、僻地
教育対策にしぼられておりますことも、またやむを得ない現状と申さねばなりますまい。
木県
教育委員会から述べられました要望事項を申し上げますと、概略次の諸点であります。
その第一は、現行
地方交付税法によれば、僻地手当の半額都道府県負担分については、わずかに特別交付税額の算定要素の一部に加味されている実情にあるので、多額の僻地手当を必要とする
地方公共団体に対する財源確保上十分とはいえないから、基準財政需要額の算定に当っては、従来措置されていた特別交付税から普通交付税にこれを切りかえ、単位費用に乗ずる測定単位について割増補正を行い、僻地を多く有する
地方公共団体の財政に安定性を与えるように措置してもらいたいということでありました。
第二は、小学校における
教職員定数の算定方式を改正して、小規模学校を多く有している本県のような不利な状況を緩和してほしいということでありましてたとえば、小学校の学級規模が五学級以下の場合において乗ずる数が、現行の「三分の二」となっているのを「一」に改めること、養護教員の算定要素として、児童生徒総数のほかに、学校総数を加えてほしいこと等でありました。
第三は、高等学校についても、義務
教育諸学校と同様に、
教職員定数に関する標準法を制定して、定数の確保をはかられたいという要望でありました。
第四は、現在施行停止中の公立高等学校定時制課程、職員費国庫補助法を復活して、定制時
教育に従事する
教職員給与費の四割を国庫補助されたいということでありました。
第五は、小中学校の
教育課程の改訂並びにその移行措置に伴い、特に指導主事の増員による指導体制の強化が必要と考えられるが、教員をもって充てることのできるいわゆる充て指導主事について従来
関係省間の了解により教員千人についてほぼ一人の割合となっているにもかかわらず、実際には財政上の制約を受けて財政窮乏団体においては、充て指導主事による指導主事の増員は困難な状況にあるから、この際、その経費を国庫負担の対象とすることにより、充て指導主事の増員をはかり得るよう措置されたいという要望でありました。
第六は、昭和三十七年度から中学校の全学年に実施される技術・家庭科の
教育効果を高めるためには、従来の職業・家庭科及び図工科担当教員の新課程についての学力技術の不足を補う現職
教育、技術・家庭科教員の養成のための大学の施設、設備の充実、中学校自体における技術・家庭科
教育のための施設、設備の充実、貧困家庭の生徒に対する実験実習費の国庫補助等を必要とするから、産業
教育振興法とは別に技術
教育振興法のごときものを立法して万遺憾なきを期してほしいという、要望でありました。
第七は、公立
文教施設の整備についてでありまして北部ブロック地区における気候、交通事情に徴し、公立小中学校の冬季分校寄宿舎の建設、屋内運動場の整備について、国庫負担の道を講ぜられたいこと、僻地集会室の新増築に対する国庫負担予算の増額をはかるとともに、公立
文教施設の構造は、耐火構造建築を推進する立法措置を講じられたいということ等でありました。
以上で一般的問題を終り、次に僻地の実情視察に関する
報告をいたします。
私
どもは、盛岡市から宮古市に通ずる百キロに余る二級国道を山深く分け入り、北上山脈を越えて、この国道のほぼ中間部に位する下閉伊郡川井村の村役場におきましてジープに乗りかえ、さらに八キロ余り渓流に沿った狭く険しい坂路を突破して、箱石小学校の岩田分校に参りました。分校を取り巻く岩田部落は、八世帯三十七人にすぎず、ここに住む人々の大半は木材の伐採を業とし、かたわら狭隘な谷の斜面を切り開いたわずかばかりの田畑により、きわめて貧しい生活を営んでいました。もちろん電燈の設備はなく、倒れかかったトタン屋根のバラック校舎、教師一人に児童三名というこの分校をまのあたりにして、一行はただあぜんとしました。この校舎は木炭倉庫を払い下げて移築したもので、屋根のトタンには古いくぎ穴があいておりますため、雨漏りがひどく、雨天には教室でかさをさすという笑うにも笑えない話も聞かされました。床板は歩くたびに振動してはね上り、真昼間でも目を近づけなければ教科書の文字が読めないほどの薄暗さ、地球儀、教授用の大そろばん、色あせた黒板とベビーオルガンなどが教材のすべてでありました。もっとも図書は少年文庫式の全集物百数十冊がそろっていましたけれ
ども、悲しいかな、ここの児童にはこれを読みこなす力がないという先生の述懐でありました。
赴任後約一年になるという年のころ三十七、八のこの先生は、何となく生気のない面持であり、奥さんは寂蓼感から健康をそこない、目下静養のため東京の実家に帰っているということでありました。しかし、この校舎のすぐそばには、住宅付の新校舎がほぼ完成しかかっており、九月中にはこの新校舎で授業ができる運びであることを聞かされ、私
どももいささか明るい気持で辞去することができました。この岩田分校は三級地にランクされておりますが、さらになお相当数の四級地、五級地のあることを耳にいたしますとき、さきのへき地
教育振興法の画期的改正により、僻地
教育に携わる教師や
教育行政の任にある人々にとって、きわめて大きな精神的支柱を加えたとは申せ、日本
教育の水準の高揚と
教育の機会均等という観点からは、なお幾多の苦難と隘路に直面していることを痛切に感ぜざるを得ないのであります。岩手県のように山また山に囲まれた土地におきましては、その僻地性の緩和のためにまっ先に要請されますことは、一日も早く道路を整備して交通網を張りめぐらすことでありましょうが、これとても莫大な経費を伴う事業でありますから、言うべくして行いやすいことではありません。
私
どもは宮古市におきまして、市長及び
教育委員長から、次のような陳情を受けました。その
一つは、宮古市には既設校舎のうち
経過年数四十年に近いもの三十八校、四十年以上七十年までのものは九校で、木造老朽校舎が多く、応急修理も思うにまかせず、改築を迫られているが、財政負担の重圧にあえぐ僻地市町村においてはいかんともなし得ない現状であるから、かねて全国都市
教育長協議会からも強力に要望されたように、僻地の特殊性に対する理解の上に立っての、国の特別な高率助成の措置により、
教育の機会均等をはかってほしいとの趣旨でありました。その二は、小中学校通学バスの運行に対する国庫助成の道を講じてほしいという趣旨であります。宮古市の重茂地区におきましては、小中学校の児童生徒の通学の便をはかるため、バス会社と特約を結び、通常のバス運行路線以外の地域に朝夕通学バスの運行を実施しておりますが、毎年度このバス運行費の捻出に相当な困難を伴い、一部の特殊な財団法人からの補てんを仰ぐことによって、辛うじて持続している現状でありますが、このような特約による通学バスの運行は珍らしい試みであると思いました。
次に、短期大学及び国立大学について申し上げます。宮城県には県立一、私立六、計七校の短期大学があり、私立のうち四校が女子
教育を専門とするものであります。県立の農業短期大学は、旧宮城県立農業高等学校の専攻科を昇格させたものでありまして、昭和二十七年の設置にかかり、上級の農業指導者の養成
機関としてきわめて重要な役割を持っておりますにもかかわらず、学生一人当りの経費がかさみ、再建団体である宮城県としても十分なる予算措置がなされず、一時は廃校の声さえもあったということでありまして、公立短大に対する国庫補助についての強い要望がありました。一方、短大の制度の問題として、最初一カ年が教養学科に時間をさくため、あとの一カ年で技術を修得させることは至難であり、結局は中途半端な
教育に終るうらみがある。従って就職も芳ばしくなく、ほとんどが自営もしくは農業協同組合のようなところへ落ちつく状態であるから、このことが予算獲得の面にも
影響して悪循環を招いているということでありました。このような状態の改善策として、将来高等学校と短期大学とを合せて修業年限を五年とする制度により一貫
教育が行われるような改正措置が望ましいという
発言もありました。また県
知事からは、宮城県としては、将来女子
教育を主眼とする県立の高等
教育機関を設け、女子の高校卒業者を吸収する必要があるとの
意見が述べられました。
私
どもは三島学園におきまして、私立短六六校、すなわち三島学園短期大学、尚綱女学院短期大学、昭和学園短期大学、東北福祉短期大学、宮城学院女子短期大学及び昭和三十五年度から四年制大学に昇格を予定されている東北学院短期大学の代表の方々と懇談の機会を持ちました。この懇談には特に東北薬科大学の代表も
出席され、私学の
立場からそれぞれ
意見が述べられました。それらの
意見を要約いたしますと、短期大学が女子
教育の面において果してきた役割はきわめて大きいものがある。もし戦後、短期大学の制度が認められていなかったならば、おそらく大部分の女子は高等
教育を受ける機会に恵まれなかったであろう。その理由は、
一つには結婚年齢との
関係であり、いま
一つは父母負担の
関係である。短期大学こそ女子
教育を救ったものであり、男女の
教育差を縮める役割を果したのである。現在においても女子の高等
教育の場として短大制度はますますその必要性が強調されているし、いわゆる専科大学校案に対しては、その法案が成立の暁においては、漸次短期大学を壊滅に導く性質のものである。かりに五年制の技術専門学校が設置されるとしても、短期大学の制度を法文上積極的に恒久的大学として明確に規定する措置が先行すべきであることなどでありました。
なお、男子の短期大学に関しましては、ここでも学力の不足が述べられ、就職の困難性についても語られました。また、東北学院においては近く短大を夜間の四年制大学に切りかえていくということでありました。
岩手県におきましては、県立盛岡短大と一関市の私立修紅短大を視察いたしました。
盛岡短大は二年制の家政科と一年制の家政別科からなっておりまして、食糧加工貯蔵実習室などの設備も完備し、応募者も定員の三倍をこえるというりっぱな学校であります。最近厚生省が栄養士の資格として三カ年の
教育を必要とする規定を設けようとする傾向にあるが、短大修業年限と
一致しないために短大経営者当局に不安をもたらしていることが仙台においての懇談の際にも話題となったのでありますが、当盛岡短大の学長からは、
文部省の指定する学科と同一
内容を持つ学科でありながら、厚生省では別の呼び名をつけておる学科が相当数あり、これらを重複学習することは何の
意味もない結果となるから、願わくば両省の共同省令の形ででもこのような不便を解消してほしいとの
意見が述べられたのであります。
修紅短大では、学長及び教授並びに一関市
教育関係者をまじえた懇談の機会を持ちました。短期大学における二カ年という期間は、女子
教育には最も適当な修業年限であって、短期大学はひとり技術的な
教育ばかりでなく、特に女子
教育においては将来主婦としてまた母としての教養の基礎を修得させるための高等
教育機関としての大きな意義を持っておるから、大学のワクの中に残しておくべきものであるという
意味の
意見が学長から述べられました。この短大は創立日なお浅いにもかかわらず校舎その他の施設、設備も相当に充実しつつあり、将来この地域の女子高等
教育にもたらす効果は少からぬものがあろうと期待されました。
以上が短期大学についての
報告でありますが、仙台市におきましては、昨年一月に施行されました仙台都市計画下水道受益者負担に関する省令に基く条例により、学校法人、宗教法人も坪当り九百八十円の割合をもって下水道建設費用の負担金を徴収されることとなり、この計算によれば、たとえば東北学院においては総額百万円以上を支払うこととなるので、私学経営者は一大恐慌を来たし、昨年来、全国私学連合会を通じて陳情しているとのことでありまして、この問題は、公益法人である私学や寺院にとってはゆゆしい問題であると思われますので、特に取り上げて
報告申し上げる次第であります。
次に、岩手大学について申し上げます。この大学は盛岡農専、同工専、岩手師範などを統合して、昭和二十四年に農、工、学芸の三学部からなる新制大学として発足したものであります。
ここでは、学長から旧制大学と新制大学の差別取扱いについて、研究費、大学院設置、研究所設置等の問題があげられました。すなわち研究費については、旧制大学の三分の一にとどまっているが、これは各国立大学へ平等に割り当てた上、大学院を持つ大学に対してはさらにアルファを増加することが公平であろう。大学院の設置については、学部の大学院を設けるばかりでなく、学科の大学院を設けるように措置し、そうすることによって
地方大学の特色を生かしてほしい。岩手大学の場合ならば農学部の獣医学科に大学院を置いてほしい。研究所にしても、新制大学には置かないというような差別を撤廃してほしい。また、東北及び東京の有志によって昭和二十六年一月に創立された東北開発研究会は、国土総合開発の趣旨をもって不断の研究を続け、
機関誌東北研究は毎回二千部の発行部数を持ち、すでに九巻五十号十万部に達し、貴重な科学研究成果を発表するとともに、東北ブロックの
地方行政に寄与しており、現に会長は東北大学学長、副会長は岩手大学学長が推され、東北各県の大学教授を網羅しているのであるが、これに対する国の補助は毎年の申請にもかかわらず、いまだ実現の運びに至らないのはまことに残念である。研究所とまでは困難であるとしても、せめて研究施設なりとも持てる程度にしてほしいものであるという強い要望がありました。なお、仙台市におきましては、国立大学教官待遇改善連合懇談会の当番校たる東北大学から、この会の事務局長中林教授ほか数名の教官が私
どもの宿舎を訪問されて、国立大学教官の待遇改善について熱心な陳情がありました。その趣旨は、学術の基礎研究並びに科学技術の専門
教育の振興に専念し得るよう、また新進気鋭の優秀な研究者を大学に確保し得るよう、大学教官全般の俸給を司法官と同等以上に引き上げるとともに、大学院担当教授にはその職務
内容に応ずる特別の措置をなし得るよう配慮してほしいという
内容でありまして、昭和三十四年度では大学院担当教授の手当七%が認められたが、当面の問題として、これが増額と、助教授、講師への手当の拡大をも考慮ありたいということでありました。ちなみに、この会の構成は北大、東北大、東大、一橋大、東京工大、東京
教育大、名大、京大、阪大、神戸大、広島大、九大の十二国立大学からなっております。
次に、
文化財について申し上げます。宮城県におきましては特別名勝指定を受けておりまする松島と、最近工業設備と港湾整備によって本県産業のため重要視されるに至った塩釜港との
関係が大きな問題として取り上げられております。すなわち、この塩釜港は松島全体としての名勝指定の中に包含されており、たとえば、すでに建設されている発電所の煙突など著しく美観をそこなうものとして
文化財保護の
立場から
教育委員会としては現状変更に
反対の
立場をとっておりますけれ
ども、県下の産業開発の、面からは最小限の現状変更もまたやむなしとする
意見も強く、すでにそのつどの申請によってある程度の変更が実施されております。これら両者の相いれない矛盾をいかにして調整していくかということは、今後に残された問題であります。このほか本県では瑞巌寺を視察し、目下計画中の防災施設について詳細な
説明を聞きました。
岩手県におきましては、中尊寺金色堂の防災施設について、その実演を見学いたしました。お堂の右側と背面に噴水式水幕が張られ、左前方からの放水と相待って瞬時にして堂全体を包むこの装置によって、外部からの火災は完全に遮断し防御することができるそうでありますから、内部からの火災でない限り安全でありましょう。中尊寺に残る国宝重美の類は去る二十九年に完成した収蔵庫、讃衡館におさめられてありまして、この建物は鉄筋コンクリートの堅牢なものでありますから完全に保存されていると思われます。しかしながら、建立以来すでに八百五十年を
経過した金色堂自体は、乾燥のために脱落したウルシの部分から侵入する虫によって蚕食され、きわめて危険な状態に陥っているそうでありまして、早急に修復の要に迫られているのでありますが、これを解体することはかえって崩壊の危険もありますため、薬品による燻蒸等の措置によって、まず蚕食を食いとめ、しかる後に根本的修理を施すべきであり、この件について国の援助を強く要望する旨の陳情がありました。
次に、特別名勝「毛越寺庭園」及び特別史跡「毛越寺跡」の保存施設工事について申し上げます。
この庭園と史跡とは、平泉町が毎年若干の予算を計上してその維持保存に努力してはおりますものの、その荒廃の程度が著しいために、庭園だけにつきましても、これを往時の姿に近づけるように修復することは容易でないばかりでなく、再建団体である町の財政をもってしてはとうてい及びがたいことであり、毛越寺にもその資力が乏しいため、年々荒廃の度を深めていく状態であります。
文化財保護委員会からは、これが保存工事施行の第一年度分として、本年度の国庫補助三十万円の内示があり、同額の地元負担と合せて六十万円となるのであるが、広大な地域に及ぶ史跡名勝の維持、保存、修理、復旧の万全を期するにはあまりにも少額に過ぎるから、本年度の国庫補助をせめて五十万円に増額し、明年度以降も継続して国庫補助をお願いしたい。さすれば、これに見合うところの地元負担については、苦しいながら何とか捻出する用意がある旨の熱心な陳情が平泉町当局からなされました。
以上をもって
文化財関係を終り、最後に岩手県水沢市にありますところの
文部省直轄の緯度観測所について
報告いたします。
この観測所は、緯度の観測に基いて北極の移動を推定したり、国境の変化の状態をも研究するなど、きわめて地味な分野の仕事を担当しているのでありますが、世界的に有名な観測所であります。その勤務は昼夜を分たぬ天体観測という緻密な連続的作業でありまして、しかも相当に高い能力を必要とするとのことでありました。昭和三十四年度の予算総額は二千六百万円でありまして、運営面におきましては、格別の支障はないが、ただ人員については、目下の定員は非常勤労務者を加えて四十三名でありまして、これではどうしても手不足であり、理想的には六十名を必要とする。さしあたり高等学校卒業の技術者二名の増員について数年来申請を繰り返してきているが、いまだ実現に至らず、飛躍的に増大しつつある作業量に対して、このような人員をもってしては相当苦痛を感じているという、所長の述懐でありました。
これをもって今回の
調査の
報告を終ります。