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清澤俊英君
委員派遣報告をこれからいたしたいと思います。
一班の方は、青田
委員と私とで、静岡、山梨、長野の各県の順で視察して参りました。特に山梨では、安田議員、長野では棚橋議員が参加されたことを申し添えます。
今日の被害をもたらした台風七号は、最大連続降雨量六百二ミリメートル、最大瞬間風速四十数メートルという烈風と、まれに見る豪雨を伴い駿河湾に上陸、富士川を北上して甲府市西側を通過、長野県に入り、上田市を経て、日本海に抜けたものであり、きわめて多大な人的、物的被害をもたらしたのであります。二県における今回の被害の特徴といたしましては、去年の二十一号台風の傷跡のまだいえないところが呼び災害を受けた場所の多かったこと、大河川のはんらんは少く、概して中小河川、特に準用河川のはんらん及び上流渓谷の土砂崩壊による河川閉塞から生じた山津波的被害が特徴的であったことでありまする並びに果樹地帯の災害が多かったこと等であります。以下各県の被守
事情を日程に従って報告いたしますが、各地の、要望については後に一括して述べることにいたします。
九月十七日、静岡市に着き、県庁において災害の総括的
説明及び地元
関係者の
陳情を聞きました。御
承知のように、この県は去年の台風二十一号によって伊豆
地方に壊滅的な災害を受け、その復旧の途上再び災害をこうむったのであります。この県の被害は台風七号によるものと、その後に発生した八月二十六日の豪雨によるものとでありますが、台風七号については主として県東部一帯に被害をもたらし、死者行方不明者十四人、全半壊家屋二千百七十余戸を含む総被害額五十二億七千万円、そのうち農林水産
関係の被害は、水稲三億四千万円、果樹、蔬菜等の農作物四億八千万円、農業
施設四億円、家畜五百万円、林業
関係二億二千万円、水産
関係二億円となっており、八月二十六日豪雨被害の方は主として県の西部を襲い、死者行方不明者五人、家屋全半壊百余戸等、被害総額は十九億九千万円で、そのうち農作物被害は、一億九千九百万円、農業
施設二億二千万円、水産
関係三千万円、林業
関係一億七千万円という甚大な被害を受けております。県庁を辞して西部地区の藤枝、島田両市の被災
状況を見ながらいまだ豪雨被害のつめあとのなまなましい金谷町に参りました。金谷町は大代川という小河川の上流滝川河川部を中心として大被害をこうむったのでありまして総被害額約十四億円、水田、茶園等の農作物被害四千五百万円、農地流出埋没被害千五百万円等、家屋、橋梁、道路、耕地等が全町的に被害を受けております。現地ではまだ倒壊埋没家屋の掘り出しに努力が払われており、土砂流入によって河床は二メートルも高くなったとのことで、町民は再度の水害をおそれて安眠できぬ
状態であり、早期復旧
措置と根本的治山治水
事業に強い要望がありました。
次に、焼津市の防潮堤の被害
状況を視察いたしました。この市の海岸一帯は千三百メートルの防潮堤により年産四十億円に上る海産加工
業者を中心とする市街地がささえられておるのであります。この防潮堤は明治四十三年に築造されたものであり、当時の位置は前面に相当の砂浜を有しておったのでありますが、潮流の変化から砂浜地は漸次決壊して現在は全く護岸防波堤となっておるのであります。従って暴風等の強力な波浪の侵食を受け部分的決壊を見、そのつど補強工作を行なってきたのでありますが、台風七号によって堤防に亀裂を生じ、
調査の結果、中心部は土砂を詰めたるものの土砂は流れ去りて内部は空洞となり、現在波浪は築堤の根を洗い一日も放棄し得ざる非常に危険な
状態になっております。市民の不安は深刻でありまして、私
どもが視察に参ったことを知った住民数百名が集まってわれわれの一行を迎え
陳情嘆願し、中には手を合せておる者もあり、感慨胸に迫るものがありました、これが補強工事は急送に完遂すべきものと見て参りました。地元の要望として数億を要する本工事については
政府において急速なる施行を強く要望しておりました。
十八日、山梨県に入り、甲府着、直ちに県庁において七号台風被害の大略を聞きました。この台風は、明治以来五十九年ぶりの強風、豪雨だったとのことでありまして、死者行方不明者九十名、全半壊家屋五千余戸、総被害額は二百六十六億五千万円、そのうち農地農作物等被害、合計は六十七億六千万円であります。農作物被害で一番大きなものは、果樹でありまして、被害面積四千二百八十二ヘクタール、金額にして十四億五千万円、水陸稲等の主要食糧作物七億二千万円、耕地については、農地流失埋没千八百八十カ所、面積にして二千二百ヘクタール、金額は十四億三千万円、水路農道等の
施設災害については、八千四百カ所、金額にして二十三億二千万円となっています。林業
関係については総額九十三億二千万円となっています。県庁を辞し、韮崎市の水田流失、埋没
状況を視察いたしました。韮崎市は今度の台風でほとんどの河川がはんらんし、人命家屋等に多大の損害を与え、農地流失は二百三十八ヘクタールという大きな被害を出しました。
われわれは特にそのうち、釜無川沿いの一の谷、祖母石を視察したのですが、被害直前まで品質で県随一の米を産していた美田も巨石のころがる河床同様の荒涼たる砂礫の原と化し、流失した民家の跡、土砂に埋った破れた家、わずかに流失を免れた建物もほとんど半壊同様であります。
次に、武川村を視察したが、この村の耕地は上流の堤防決壊による耕地の荒廃であって、二万貫くらいの巨石がごろごろとしておる一面の石川原化していた。その上至るところに山くずれあり、惨状目をおおうものあり、今さらながら台風の猛威を痛感いたしたのであります。そこから芦安村に向いました。途中御勅使用に流城の芦安林道を通ったのでありますが、今度の台風によって林道は完全に崩壊しており、至るところに山くずれがあり、少い耕地が石川原となり、復旧の道もなき個所が見受けられました。従って小河川の徹底的な治山治水について強い要望がありました。
次に、甲西町に向いました。この町は甲府盆地の南端に位し、西部山岳地帯及び中央平坦地より流出した大雨量を受けて滝沢川、坪川、支之瀬川、秋山川、塩野川等の天井川が決壊し、被害田畑中埋没四十ヘクタール、冠水三百九十八ヘクタール、浸水百二十八ヘクタールという大きな被害を受けております。冠水田のほとんどが収穫皆無であり、残余部分も病虫害の発生によって無収穫に近いものと見られた。
次に、増穂町に入りました。この町は戸川、利根川、坪川、畔沢川等の集まった天井川があり、この台風で各河川とも決壊し、田畑の流失埋没四十ヘクタール、冠水百三十八ヘクタール等家屋流失、道路、橋梁の流失等その被害額は二億五千万円にも上っています。応急工夢中でししが、天井川の
状態は上流地域における土砂崩壊により河床は上り非常に不安定であって、根本的な治水の必要を要望せられ、われわれも痛感いたしました。
翌十九日、甲府市を去る三里の石和町の被害
状況を視察し、地元の要望を聞きました。ここはブドウ、リンゴ等を栽培する果樹地帯でありまして、その歴史は比較的新しく、
地方吸血病の対策のため水田を畑に転換したのでありまして、
終戦当時果樹反別四十ヘクタールありましたが、現在は百四十ヘクタールの作付転換が行われておる。だから、果樹地帯としては日が浅く、まだ
経済的効果が十分でないところへ、このたびの台風で致命的な被害を受け、全くなすところを知らぬ悲嘆のどん底に陥ったのであります。特に収穫の直前だったので一銭の収入も見ず、被害を倍加している。果樹園の総被害額は一億一千八百万円に達し、方途に迷っておる
状態でありました。これが復興救済
措置として、農民は一反歩を三万円で自作地を国が買い上げて、十五年間に自動的に売渡価格によって買い戻しを受けられるような特別
措置の実現について強い要望がありました。
次に、甲府市に入り、甲運地区の被害
状況を視察しました。ここはブドウを主とした果樹地帯でありまして、被害総額二億七千万円以上と見込まれています。県の現在まで行なった対策としては、被害作物に対する応急技術対策の指導徹底をはかり、落果の処理については加工可能なものはできるだけ加工し、そのために他県の加工
業者の協力を要請、また倒伏したブドウだなについては、高等学校生徒並びに県職員等の共同奉仕
作業によって原形
通りにブドウ園を復旧したのであります。しかしながら、永年作物としてのブドウは災害の
影響を三、四年引き続いて受けることが見込まれ、その被害は数年続き、真の復興は数年後となり、水田等の復旧とはその趣きを異にしております。現在自動車や汽車の窓から見るブドウはよく色づけや成熟したもののごとく見えるが、手にして見ますれば、いずれも未成熟の果実が腐敗して色づいたものであった。
次に、同地区の開拓地を視察しました。この地区の開拓者も主として果樹
経営を行なっていますが、まだ営農の
基礎固まらないところへ、今度の災害を受け、果樹園は荒廃し、その上に家屋はほとんど全半壊し、住む家なく、食らうに米なく、働くに所なき窮地に追い込まれてぼう然たるありさまであった。従って全壊家屋の全面的国庫補助、道路の国費支弁による復旧について強い要望がありました。
十九日、長野県に入りました。この県の被害総額は二百三億余円であり、そのうち農作物被害は六十一億七千万円であり、そのおもなものは水稲の被害の二十四億九千万円、リンゴ十三億九千万円であります。耕地
関係被害二十三億二千万円、林業
関係三十三億四千万円の被害を出しています。一方、この県には九月十一日午後六時から七時までの間、南佐久郡、北佐久郡及び小諸市
地方に猛烈な降ひょうと豪雨害があり、水稲等農産物に激甚な被害を与えたのであります。農作物の被害面積は四千九百三十ヘクタール、そのうち水陸稲二千三百ヘクタール、二億九千万円、果樹百十七ヘクタール、二千七百万円等四億余円の被害を出しております。われわれは、まず被害の大きかった松筑
地方、特に東筑摩郡の四賀村を視察しました。この
地方は山間部であって、準用河川と中小河川のはんらんと山くずれであって、人的災害を初め住宅、農耕地、林道等その被害額は三十七億七千万円に上っています。四賀村においては農作物被害は四千七百万円、家畜
関係二百万円、耕地
関係一億五千六百万円、林道
関係一億三千三百万円等であります。特に準用河川上流渓谷の砂防工事の必要性を痛感いたしました。
二月二十日、小県郡東部町に入りました。この町は全国唯一の西洋クルミの産地であって、五反以下の零細農家の最も重要な
生産物として農家
経営の主体的役割を果す収入源をなしておるのである。これが七号台風により一万六千本の原木のすべてが倒伏し、当時は再興の見込みも失われたのですが、倒伏した木から芽を吹き出し、これを起すことによって再興の近道であることを発見し、現在これが再植
作業を行いつつありますが、一体の再植には約二千円を要し、資金面に苦労しておりました。再植後五年から十年、どうしても十分な収穫は期しがたく、国の援助を強く要望していました。
次に、去年の台風二十一号と今回の台風によって完膚なきまでに被害を受けた長門町に行きました。被害総額は四億七千三百万円、そのうち耕地九千五百万円、林業
関係四千四百万円であります。ここの河川の荒れ方はすさまじく、水路は一変し、現在の流路は災害前の道路や家のあった所であります。復旧工事もすでに始まっておりますが、治山の必要について地元の強い要望がありました。
次に、北佐久郡に入り、望月町、浅科村、浅間町において降ひょうの被害
状況を視察いたしました。この
地方は昨年の二十一号台風、本年の七月豪雨、七号台風及びひょう害によって四度災害救助法の適用地域になったものであります。ひょう害による望月町の農産物被害は千六百万円、浅科村一億円、浅間町一億二千四百万円等とその被害額は多額に上っています。何しろ鶏卵大の降ひょうに、数度の災害に残された水稲、蔬菜、果樹、桑園等ほとんど全滅の
状態で、惨状月もあてられぬ
状態でありました。降ひょうが小地域の損害額過小のため天災法の適用地域外となっておるので、連続災害とみなし、天災法を適用するよう強く要望がありました。現地を視察し、年間数度連続災害地区に対ししゃくし定木的天災法適用除外は法の精神を誤まるものと思われるのであった。
以上をもって視察を終ったのですが、最後に各県の要望を一括して申し上げます。
一、災害農家の
経営資金の早期融資と利子の減免並びに既融資金の償還延期をはかられたい。
一、自作農
維持創設資金のワク拡大をはかられたい。
一、被災開拓農家住宅及び畜舎復旧の助成並びに特別融資の
措置を講ぜられたい。
一、被災農林水産共同
施設の復旧に対し、大幅な助成の
措置を講ぜられるとともに、補助率を引き上げられたい。
一、国庫補助が規定されていない小災害について特別の救済
措置を講ぜられたい。
一、農地、農業用
施設及び林業用
施設災害復旧等の国庫補助率を引き上げるとともに、国庫
負担率の範囲を拡大されたい。
一、
施設災害復旧の早期完成をはかり、根本的予防対策を実施されたい。
一、治山
事業については崩壊地復旧を公共
施設災害復旧に準じて行われたい。
一、果樹地帯については特別の救済助成
措置を講ぜられたい。
一、農薬、肥料、種苗並びに倒伏果樹や工芸作物
施設の復旧に対して助成の
措置を講ぜられたい。
一、予約売渡米の減額補正、前渡金の返納猶予及び利子の免除等の
措置を講ぜられたい。
大体以上のごとき要望がありましたが、特別の要望を二、三申し上げて報告を終りたいと思います。一、近来の水災害は堤防等の完備した大河川に少く、準河川以上の渓谷や中小河川による被害が目立って多い点であります。これは山間渓谷や小河川の砂防
施設の不十分のため年々土砂の崩壊、流出により河床が上り、災害を大ならしめているので、奥地の治水策、特に土砂崩壊防止
施設と砂防
施設の国家
負担による完備の急務なる点が要望されていました。
二が国庫補助が適用されない小災害について。このたびの災害は報告の
通り山間僻地が異常な災害をこうむったので、すべてが小災害となり適用除外せらるることは、
経営耕地の少きこの地区としては
経済力も弱小にして復旧にも困難している
状態であるから、特別の
措置を要望せられておりました。ことに山梨県においては、岸総理大臣が現地視察の際、多くの被災民を前にして前例もあることだから特別
措置を講じてやるとの口約もあることだから、ぜひ要望の実現するよう努力するようにとの強力な要請がありました。
三、果樹地帯の復興についてであります。前に報告の
通り、果樹地帯には共済
制度もなき特別農家
経営地帯であります。果樹地帯が受けたこのたびの被害は、台風による果樹の折損倒伏であって、通例災害とみなされる果実の不作災害でないところに特別な意義が
存在するのであります。すなわち、多雨、風害、病虫害による果実の不作の場合は、翌年度において回復の道があるのであるが、この年度の災害のごとく果樹自体が折損倒伏した果樹園自体の災害は、本年一年度の被災にとどまらず、樹勢回復に数年を要し、従って、収入が元
通りになるには数年を要するのであって、向後数年間の連続災害とみなすことが至当であって、この数年間農業
経営上容易ならざるものがあるのであります。しかも、耕地の復旧には補助金等の
措置があるが、果樹園の復旧にはかかる何らの
措置が見当らぬのであります。しかるに、大蔵省
関係においては復旧の
陳情に対し、果樹はもうかって金があるからと冷遇せられている由で、
関係者は憤慨するとともに、異常な苦慮を払っておりました。ことに甲府市外石和町のごときは作付転換の借金のある上に
基礎固まらず、毎年肥料、農薬、果樹園補強資材、飯米等はすべて仕越借り入れにて
経営している
状態のところに、収穫寸前の被災は一銭の収入も見ず、明日の生活にも事を欠く
状態なる上に、果樹の手当と果樹園整備に追わるる農民は水田耕作者のごとく耕地復旧工事に従事することもできず、このままの
状態にては自滅のほかないのであります。農業の
経済的
経営を指導する
政府は、果樹農家に対し深甚なる考慮を払い、十分なる復興策を講ずべきであるとの要望もあり、われわれも現地を見て同様に感じたのであります。
四、このたびの災害中心地が山間地区であり、従って、耕地が川沿いに
存在しているのであって、しかもこの場所を除いて他に水田を持たぬ地区の災害である。はなはだしき一例は、全部落七反の耕地に対し、五反を流失荒廃せしめているのである。明年度作付までには泣いても笑っても復旧が必要なことは瞭然たる事実である。しかるに災害復旧は年次割三、五、二となっているため復旧がおくれ、翌年度またまた災害をこうむる
状態となるから、復旧年次を耕地
関係においては五、三、二と改め、急速なる復旧が要望せられ、なお河川の改修が伴わぬ耕地復旧が再災害をこうむっている
現実にかんがみ、特に河川の復旧の急速な
措置を要望せられておりました。
第五、土砂崩壊復旧について。山くずれの復旧が年度内の場合は、災害復旧として補助金等の
関係もあって比較的復旧も楽であるが、翌年度に回ると
一般山くずれとして復旧がおくれ、再災害の主因となる点にかんがみ、大部分を災害復旧として年度内施行をやってもらいたい、との要望がありました。
以上をもって第一班の報告を終りますが、最後に焼津防潮堤は一日も放棄できない重大
段階に来ているものと存じますので、特別
措置を講ぜられることが至当と認めるのであります。
ただ申し上げておきたいのは、第五番目はこういう要望がありましたが、これは間違っておるらしいので、それだけ訂正しておきます。