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1959-06-24 第32回国会 衆議院 本会議 第2号
公式Web版
会議録情報
0
昭和
三十四年六月二十四日(水曜日)
—————————————
議事日程
第二号
昭和
三十四年六月二十四日 午後一時
開議
第一
予算委員長
の
選挙
—————————————
○本日の
会議
に付した
案件
野口忠夫
君の故
議員助川良正平
君に対する
追悼演説
片山哲
君の故
議員芦田均
君に対する
追悼演説
午後一時二十七分
開議
加藤鐐五郎
1
○
議長
(
加藤鐐五郎
君) これより
会議
を開きます。 ————◇—————
加藤鐐五郎
2
○
議長
(
加藤鐐五郎
君) 去る十五日逝去いたされました
議員助川良平
君に対し
野口忠夫
君から、去る二十日逝去いたされました
議員芦田均
君に対し
片山哲
君から、弔意を表するため、それぞれ発言を求められております。順次これを許します。
野口忠夫
君。 〔
野口忠夫
君
登壇
〕
野口忠夫
3
○
野口忠夫
君 私はここに、
諸君
の御
同意
を得て、
議員一同
を代表し、去る六月十五日逝去せられました故
衆議院議員
正五位勲三等
助川良平
君に対し、つつしんで
哀悼
の
言葉
を申し述べたいと存じます。(
拍手
) 私は、
助川
君とは
郷里
を同じくし、ことに
県立田村中学校
の同窓として
親交
を重ねて参ったものでありますが、君がかねて
病気
のため御
静養
中と承わり、御全快の一日も早からんことを心から祈っていたのであります。しかるに、思いがけない計報に接し、驚愕悲痛おくところを知らなかった次第であります。
助川
君は、
農政通
として
令名
の高かった
元本院議員助川啓四郎先生
の長男でありまして、大正十年
福島
県
田村
郡
船引
町に生まれ、長じて、
浦和高等学校
を経て
東京大学法学部
に学ばれました。
父君助川先生
は、去る
昭和
十八年、太平洋戦争がようやく重大な段階に入ったとき、
食糧問題解決
の
重要使命
を帯びて満州に渡る途中、不幸にも遭難、殉職せられたのでありますが、その二ヵ月後には、君も
学徒動員
によって軍務につき、はるばる南方に出征せられたのであります。
終戦
後、無事復員された君は、直ちに
郷里
に帰り、
平和日本
の基礎となるべき新
農村
を建設するため、若き
農村
の
指導者
として、みずから
農民
と
とも
に耕し、
とも
に語り、
農業
の多角的、
合理的経営
を奨励、指導されました。 しかして、
昭和
二十三年、
船引
町の
農業協同組合長
及び
農業共済組合長
に推されたのを初め、多数の
県下農業
諸
団体
の役職を兼ね、あらゆる
農業生産
の増強に、
農家経営
の安定に努力されたのでありまして、君の
献身的努力
と誠実無比な
人柄
とは、県民、ことに
青年層
の絶大なる
信望
を得るに至ったのであります。 かくて、君が、やがて
父君
の志を継いで、
わが国
の
農業政策
の
確立
を目ざして
政界
に入られたことは、むしろ当然でありました。
昭和
二十六年、君は、
衆望
をになって
福島県議会議員
に選ばれ、その卓越した
識見
をもって大いに県政に貢献するところがありましたが、二十八年の第二十六回
衆議院議員
総
選挙
には、
福島
県第二区より出馬し、三十二才の若さをもって、
みごと当選
せられ、
親子
二代にわたり本
院議員たる
の
栄誉
をになわれたのであります。(
拍手
)その後、総
選挙ごと
に当選すること三回、
在職
六年三カ月に及んでおられます。 本院においては、君は、
農村
問題の
権威者
として、主として
農林水産委員会
の
委員
または理事として
活躍
せられ、よく
委員長
を助けて、諸
案件
の審査、
調査
に、また
委員会
の円満な運営に終始努力してこられました。中でも、
農業災害補償法
の
抜本的改正
あるいは
農林漁業団体職員共済組合法
、
酪農振興基金法
の
制定
の際などに示された君の
活躍
は、特に目ざましいものがあったのであります。また、第三十回
国会
において、台風第二十二号による
伊豆地方等
の
災害
に対処するため
農林漁業災害対策
に関する小
委員会
が設けられた際には、君は、その小
委員長
に推され、
復興対策
を
樹立
、促進するために日夜あらゆる労苦を惜しまず、著しい
成果
をおさめられたのであります。かくして、精励もって
国政審議
に当り、よく
議員
の職責を果された君の
功績
は、まことに大なるものがあります。 君は、また、一昨年六月、招かれて中華人民共和国に渡り、
わが国
の
農業技術
を紹介すると
とも
に、つぶさにその
農政
を
調査
、視察されました。また、同年以来、
蚕糸業振興審議会委員
として
活躍
し、また、
自由民主党
にあっては、
青年部
副
部長
及び
政調会農林部長
、
農林金融小委員長
、
酪農対策
副
委員長等
を歴任し、
中堅幹部
として大いに将来を嘱目されておられたのであります。(
拍手
)
助川
君は、まことに穏やかな、まじめな
人柄
で、しかも円満な
人格者
であり、また、まれに見る
努力家
でありました。常に、
農林部門
のみならず、広く
国政全般
にわたって、たゆまぬ
研究
を続け、その
識見
を高め、その才幹を伸ばすと
とも
に、
大局的立場
に立って判断を下されたのであります。従って、君は、与野党を問わず、あまねく
同僚議員諸君
から多大の
信望
を寄せられ、また、生前君が限りない愛情を抱いていた
郷土福島
の人士から深い敬愛を受けておられたのであります。(
拍手
)
助川
君、また、平素きわめて健康で、
病気
にかかられたことがなく、本
年度予算
の編成に際しましても、年末年始にわたって文字通り不眠不体の
活躍
を続け、その調整に当られました。しかるに、この活動がはからずも災いを招いたのか、本年に入ってから健康を害し、
静養
に努められておられました。しかし、病は快方に向わず、去る十四日、
福島医大病院
に入院して手術を受けられたのであります。君の病あつしとの報に、
県下各地
から多数の
人々
が
病院
にはせつけ、進んで輸血を申し出たとのことでありまして、これは
郷里
における君の徳望がいかに高いかを雄弁に物語るものと存ずる次第であります。(
拍手
)しかるに、御家族の手厚い看護も、郷党の
人々
の心からの
祈り
もむなしく、ついに御本復を見るに至らなかったのであります。 私
ども
は、君が今後ますます
活躍
し、
政治家
として大成される日の近きことを信じていたのでありますが、三十八才の前途ある身をもって卒然としてゆかれましたことは、痛措きわまりない次第であります。 思うに、古来、農は国のもとと申します。
国土狭小
、人工過剰の
わが国
において、しかも、近来著しく高度化された
産業組織
の中にあって、
農業
の
生産機構
を改善し、
国民
の半ばを占める
農民
の
生活
の安定と
向上
とをはかることは、
現下
における最も重要なる
政治
問題の一つであるのは申すまでもありません。この課題を解決し、
国家
百年の大計を
確立
するには、
助川
君のごとき、
農村はえ抜き
の、しかも視野の広い
近代的感覚
の持ち主たる
政治家
の手腕に待つところがはなはだ多いのでありますが、今にわかに君を失い、この期待のむなしくなったことは、本院にとり、邦家にとり、まことに大きな損失であります。(
拍手
)君御自身におかれても、さだめし多大の抱負を持たれたことと存じますが、その達成半ばならずして長逝されましたことを思うとき、
哀惜
の情いよいよ切なるものを覚えるのであります。 ここに、
助川
君生前の事績を追懐し、その人となりをしのび、つつしんで君の御冥福をお
祈り
して、
哀悼
の
言葉
といたします。(
拍手
)
—————————————
加藤鐐五郎
4
○
議長
(
加藤鐐五郎
君)
片山哲
君。 〔
片山哲
君
登壇
〕
片山哲
5
○
片山哲
君 私は、
諸君
の御
同意
を得まして、
議員一同
を代表し、故
衆議院議員従二位勲一等芦田均
君に対し、つつしんで
哀悼
の辞を申し述べたいのであります。(
拍手
)
芦田
君は、去る六月二十日午後十時五十七分、病のために
芝白金
の自邸において逝去せられたのであります。 私は、
芦田
君とは
大学時代
の同級の友として、以後半世紀の長きにわたって
親交
を重ねて参り、また、かつて相
とも
に
国政
を担当したのでありまして、今この友を失って、心から深い悲しみに打たれておるものであります。(
拍手
) 顧みれば、君、昨年九月、この壇上において、故松岡元
議長
の功をたたえ、徳を慕う
言葉
を述べられ、私
ども
は粛然としてえりを正し、傾聴いたしたのでありまするが、これが
芦田
君の
最後
の
演説
となったのでありまして、もはや君の
けいがい
に接することができなくなったことを思うとき、限りないさびしさに身を包まれるのを覚える次第であります。(
拍手
)
芦田
君は、
京都
府福知山市中六人部の旧家の出でありまして、
明治
二十年十一月、
元本院議員芦田鹿之助
氏の次男として生まれ、長じて第一高等学校を経て
東京大学法学部
に学ばれました。
親子
二代本院の
議員
として活動されたのであります。(
拍手
) 君は、
学生時代
から英才の誉れ高く、ことに、その弁論は、当時、学外にまで響いておったのでありまして、在学中、すでに
外交官
及び
領事官試験
に合格せられたのであります。
明治
四十五年、卒業と
とも
に、
露国在勤
の
外交官補
として赴任せられ、
外交官生活
の第一歩を踏み出されたのであります。(
拍手
)その後、
大使館
三等
書記官
、
外務書記官
兼
参事官
、
大使館一等書記官
として
欧州各国
に歴任せられたのでありますが、
在勤
中、多忙なる時間をさいて常に
国際法
、
外交史
について研さんを重ね、特に、
トルコ在勤
当時の
研究
の
成果
たる「君府
海峡通航制度史論
」によって、
昭和
四年、
東京大学
から
法学博士
の学位を授与せられたのであります。(
拍手
)
昭和
七年、
ベルギー在勤
の
大使館参事官
を
最後
として退官し、当時横暴をきわめておりましたる
軍部外交
と戦わんがために、直ちに
立憲政友会
に入党し、同年二月の第十八回
衆議院議員
総
選挙
に
京都
府第二区から立って、
みごと当選
の栄冠を得られたのであります。本院に議席を占められるや、君は
外交
問題に関する豊富なる知識と、みずからの
信念
に従って、当時ようやく
軍部
の圧力に屈しがちとなっておりました
政府
の
外交方針
に対し、ほとんど
毎会期質問演説
に立って舌端鋭く
政府
に迫り、党の
内外
から注目を集められたのであります。(
拍手
) 君は、つとに、
自由主義者
として、
民主主義者
として、
令名
をはせておられたのでありますが、ことに
言論
の自由の尊重と
議会政治
の
擁護
については終始変らざる情熱を持っておられ、
昭和
十一年に
美濃部達吉博士排斥事件
が起った際には、率先して
博士擁護
のために奔走せられたのであります。また、
昭和
十五年、
大政翼賛会運動
が起ったときには、
議会政治
を否定するものとして敢然としてこれに反対し、翌年九月の
翼賛議員同盟
の
結成
にもあえて参加せず、
言論
の府たる
議会
を守り抜かんとの決意を持って、
尾崎行雄
、
鳩山一郎
、
川崎克
氏らの諸先輩と
とも
に同交会を組織し、次いで、翌十七年の
翼賛選挙
には非推薦で出馬し、
幾多
の弾圧を排して当選せられたのであります。(
拍手
)
終戦
と
とも
に、君は、
国家
の
再建
にはまず
政策
を
中心
とする
本格的政党
の
結成
が急務であることを感ぜられ、新党の
樹立
に奔走せられ、故
鳩山一郎
君
ら同志
と
とも
に、
日本自由党
の
結成
に力を尽されたのであります。また、幣原
内閣
に
厚生大臣
として入閣し、多年懸案であった
労働組合法
の
制定
に力をいたし、
わが国労働運動史上
輝かしい一ページを加えられたのであります。(
拍手
) 次いで、第九十
回議会
に
憲法改正案
が提出せられた際には、君は、卓越した
識見
をもって、
衆望
を負うてその
特別委員長
となり、日夜
審議
に
献身努力
を重ね、よくその重責を果されたのでありますが、本
会議
における君の
声涙とも
に下る
委員長報告
は、
芦田
君の生涯における
名演説
として、われわれに多大の感銘を与えたものであります。(
拍手
)
昭和
二十二年、新
憲法下
第一回の総
選挙
には、君は、新たに
結成
した民主党を率いてこれに臨まれたのでありますが、
選挙
後、第一党たる
社会党
を
中心
に
内閣
を組織すべきであるとして、われわれに協力せられ、
社会党内閣
に副総理兼
外務大臣
として入閣し、
幾多
の困難を克服して、
警察法
、民法及び刑法の
改正
その他
わが国民主化
のための諸法律の
制定
に力をいたされたのであります。(
拍手
)これは、ひとえに君の進歩的な
民主主義政治家
の
信念
に基くものでありまして、私の
敬服
の
至り
にたえないところであります。
社会党内閣
総辞職後には、君は、
内閣
の首班として、みずから
国政
を担当し、
日本民主化
のための諸
政策
の推進にさらに努力されたのでありました。 かくして、戦後
わが国
の
再建
と
民主化
のために尽された君の
功績
はまことに偉大であり、永久に伝うべきものであると信ずるのであります。(
拍手
) 君は、本
院議員
に当選すること連続十一回、
在職
二十七年二カ月に及び、一昨年五月には永年
在職議員
として院議をもって表彰の
栄誉
を受けられましたことは、
諸君
のよく御承知の通りであります。その後は、
政界
の
長老
として、
自由民主党顧問
の地位にあり、また、その
外交調査会
の会長として、
党内外
から多大の
信望
を一身に集められておったのであります。 しこうして、君は、
政界
に身を処するに当って、常に鋭い
洞察力
によってよく将来を見きわめ、終始、
国家国民
の利益を念頭に置いて行動せられたことは、
敬服
の
至り
であります。多年激しき風雪と
幾多
の試練に耐え、常に自己の
信念
を貫き通された君の孤高の姿は、忘れられざる君のよき印象であります。(
拍手
) 君は、また文章に長じ、かつてジャパン・
タイムス社長
として健筆をふるい、また、多忙なる
政治生活
の中にあって、
外交関係
の多数の著書を出版せられておるのであります。最近は第二次
世界大戦外交史
の著述に専念しておられ、今春以来、不幸にも病床につかれたのにもかかわらず、文字通り骨身を削る
苦心努力
の末、その原稿を完成せられたのであります。しかるに、病状はようやくあつく、私
ども
君を知る者の切なる
祈り
もむなしく、ついに永眠せられたことは、まことに痛惜の
至り
にたえない次第であります。(
拍手
)病の床にありましても、なおその筆を休めることなく、ついに畢生の大著を脱稿せられたその
不撓不屈
の
精神力
は、
信念
の人、
芦田均
君の真骨頂を発揮されたものと思うのであります。(
拍手
) 近来、私
ども
と
政治
上の意見が必ずしも一致しなかったこ
とも
ありまするけれ
ども
、これはお互いに
政治家
としてやむを得ないことと存ずるのであります。しかしながら、君の
民主政治
の
確立
についての
信念
と、さらには国権の
最高機関
である
国会擁護
の熱意とは、過般の
国会
の
審議
が停頓いたした際に、いち早くその
収拾策
について憂いを同じ
ゅうする者
に呼びかけられたことに徴しても明らかであって、私
ども
の深く尊敬してやまざるゆえんであります。
現下
、
複雑多岐
なる
国際情勢
の間に処して、
わが国
の
外交
の進路を誤まらず、国運の進展をはかり、
国民生活
の安定と
向上
を期することは、まことに容易ならざるものがあります。このときに当り、
外交界
の
長老
であり、
民主主義
に徹した
政治指導者
である
芦田均
君を本院から失いましたことは、
国家
にとってこの上ない不幸でありまして、
哀惜
の情ひとしお切なるものを覚える次第であります。(
拍手
) ここに、
芦田
君の長逝に対し、その功をたたえ、その風格をしのび、つつしんで私の
追悼
の
言葉
といたしたいのであります。(
拍手
) ————◇—————
松澤雄藏
6
○
松澤
雄藏君
議事日程
を延期し、本日はこれにて散会せられんことを望みます。
加藤鐐五郎
7
○
議長
(
加藤鐐五郎
君)
松澤
君の
動議
に御
異議
ありませんか。 〔「
異議
なし」と呼ぶ者あり〕
加藤鐐五郎
8
○
議長
(
加藤鐐五郎
君) 御
異議
なしと認めます。よって、
動議
のごとく決しました。 本日は、これにて散会いたします。 午後一時五十分散会