○猪俣
委員 実は私きょうはこの
質問をする準備なしに来ました。ちょうどあきができましたために
質問するのでありますが、今のあなたの
答弁に対して、結果として非常に不満であります。
第一点といたしましては、今日数カ月を要しておりまして、当
国会で私だけが二回も
質問をしておる。その間には
刑事局長は変っているのです。それまでの長い間、まだ調査中であるとか、現地ではもうちょっと待ってくれと言っておる。また私が
質問を忘れてしまうとそのままほおかぶりをする。こういうことは私はけしからぬと思うのですよ。そこで私は、先ほど申しましたように、きょうは
質問の材料なしで出てきました。そこでこれは検事の調べた中に、私の記憶に誤まりなかりせば、押収七号として脅迫文を検事が被告に
示して、聞き取り書きをとっておるはずであります。押第何号を示すといって、被告の
答弁を調書に書いてある。私はその調書を見た記憶があるが、今日持ってこなかった。しかるにかかわらず警察に返したという。警察庁長官と当法務
委員会におきまして、あなたであるか前の井本
刑事局長であるか忘れましたが、ここで向い合って、確かに警察庁に渡しました、こういうことを法務
委員会ではっきり
説明をしておるのです。そうして領収書までとって、しかも検事調書にはその押収番号まで
示して陳述を得ておる。聞き取り書きもできておる。私はきょうこの検事調書を持ってくればよかったのですが、用意がなかったので持って参りませんでした。警察へまた返したなどということは、あなた方がお調べになればわかるはずだと思う。交番爆破の犯人が何人であるかという
事件に、その前に脅迫した脅迫又を、検事がそれを見て不要だと思って返したというようなことが
一体あり得ますか。あまりに人をばかにした態度じゃないですか。逆の立場だったらどうですか。脅迫文は何人が書いたかということは、唯一絶対の物的証拠ではないですか。それを警察へ返してしまったとか、どこかへやってしまったとか
答弁しているのは、無
責任もはなはだしいと思う。そういうことは
国民に対して申しわけが立たぬと思うのですよ。それを今日まで
諸君の方では明らかにしない。そういうことでは綱紀の粛正もできませんし、検察権の公正な運用もできない。検察権全体が
国民の疑惑の的になります。そこへ持ってきて今度の諏訪メモなんという
事件が起った。その理由はまだ私
どもよくわかりませんが、被棄され、差し戻すというようなことは
検察当局の大きな黒星じゃありませんか。大体士気が頽廃しておる。それは
法務大臣なり
刑事局長なり、また監督官庁が今日まで厳重なる監督をしないからだ。そんな無
責任な
答弁はないと思う。調書を
一つ調べて下さい。検事調書に出ているはずだ。私まで番号を覚えている。押収第七号である。そういう重要なる唯一絶対とも言うべき物的証拠を、検事が警察から受け取っておるものを、
自分からそれを領置せずして警察へ返すなんていうことがありますか。そんなたわけた
答弁をしていることは、不都合千万だと思う。
第二点といたしましては、今あなたのおっしゃった当事者主義というものに対しても、いろいろ異論がある。あなたは断定はなさっておらぬけれ
ども、当事者主義ということをもって、何か検事と弁護人が対等の立場——対等の立場ということは、真実発見のためにそういう弾劾制度、当事者訴訟主義をとっておる。いずれも真実発見のためであります。しかし、先ほど申しましたように、それを曲解いたしまして、近ごろの検事は
自分たちの公益の立場ということを忘れて、ただ
自分の
起訴を維持すればいいというような、熱心のあまりに被告に有利な証拠までも出し渋るということが非常にある。この
刑事訴訟法は占領中にできた。そのときの
起訴状一本主義に対しまして、私
どもは司令部へ行きまして、日本の弁護士事務所はアメリカのように完備しておらぬから、
起訴状一本主義ということは非常に危険である。検事は
捜査権を持っているが、弁護士にはないのだから、ということで了解を求めに行ったところが、当時の司令部では、検事の
手元にあるものはことごとく弁護人が見れるようになればいいじゃないか、そうするのが今度の
刑事訴訟法の建前ではないか、だから
起訴状一本主義だって決して都合が悪いことではないということで、われわれはそういう精神で
刑事訴訟法を審議したのだ。しかし、その後に至りまして、聞き取り書きなどを弁護人に見せないということがだんだん起ってきた。
刑事訴訟法ができた当時は、トラブルはあまりなかった。ところが、近ごろ至るところの
刑事裁判において検事側と弁護士側との間にその調書を見せろ、見せないということで摩擦が起っている。国家機関である検事が、国家の立場として、公務員として取り調べたものを、被告の弁護人にことごとく見せるということがなぜ悪いのか。今度の
刑事訴訟法はそういう精神でできたのだとわれわれは了解しているにかかわらず、だんだん検察ファッショが起きてくる情勢に乗じまして、検事は
自分の取り調べたものを出し渋る傾向がある。私は
刑事訴訟法を改正しなければいかぬと思う。これが毎年の日本弁護士会の悩みの種である。そこへ持ってきて、今度は見せないだけじゃなしに、紛失したと称して提出をこばむ。何でも調べたものを見せるということになっておれば、こういう問題は起らなかったはずである。諏訪メモもそうです。調べたものをことごとく見せるということになっておれば、こういう問題は起らない。前の
刑事訴訟法はそうなっておった。すべて公判記録に全部の警察及び検察の取り調べがくっついておった。それを見てわれわれは弁護の方針が立てられた。
起訴状一本主義になって、調書はありますが、そういう意味において非常に都合の悪いことが起ってきた。そして今回のようなことができた。検事の立場というものは、当事者主義というものを曲解いたしまして、ただ弁護人と対等の立場で訴訟のかけ引きをするのだと考えたら、とんでもない間違いである。そういう
考え方が多少とも
法務当局にあるといたしますならば、大へんな間違いである。そういう御指導をなさっておるとしたら、大へんな間違いである。なるべくならば、すべて検事の調べたものは弁護人にこれを見せる、そうしてほんとうに当事者の立場に立って、ほんとうの対等の立場になって裁判をやって、真実を発見するということでなければならぬ。
そこで、これは
法務大臣にお聞きしますが、かような
責任の衝にある検事が最も重大なる証拠物件を紛失したと称するということに対して、
一体どういう
責任追及をなさるのか。それから検事の取り調べたものを、とにかく弁護人に対して手のうちを全部見せて、お互いに公判に臨むという態度をとるべきものじゃないだろうか。そうしないと真実の発見ができません。これについて
大臣並びに
局長の御
答弁をお願いしたいと思います。