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小林説明員 最近
名古屋にありまする名城
大学に紛争が起りまして、現在
大学における
教育が円滑に行われておりませんので、私
どももその点を心配いたしておるわけでございますが、その紛争の現在までの概要につきまして、私
どもの把握いたしました範囲内で簡単に申し上げたいと思います。
御
承知かと思いますが、名城
大学は法商学部のほかに理工学部、薬学部、農学部といったような理科系の学部を持っております
大学でございまして、その点では中部
地方においては、理科系の学部を有する唯一の
私立の
大学でございます。大体学生の数は約六千人といわれております。また
教職員の数は約三百人といわれておる
学校でございます。この
大学につきましては、実は昭和二十九年から紛争がございまして、当時
理事長兼学長でありました田中寿一氏が、東京に法学部を設置しようといたしまして、教授会の議を経ないで建物を購入し、また
文部省にその設置の認可を申請したわけでございます。こうした田中氏の独断的な
学校の運営につきまして、それ以前から不満を持っておりましたところの
教職員が、この独断的な行動を機会といたしまして、田中氏の排斥運動を起しました。
理事長兼学長の職務をめぐりまして、
地方裁判所に訴訟として争われたのでございます。昭和三十年の十月に至りまして、
名古屋の
地方裁判所では訴訟を進行させるために、
理事長の職務代行者を指命いたしました。前の東北
大学の名誉教授でありました広浜嘉雄氏をその代行者に
指名いたしました。なお裁判所はこの紛争の早期の解決をはかるために、三十二年の五月に調停
委員会を組織いたしまして、
地方裁判所の裁判官である白木裁判官と、日本医科
大学の
理事長である
河野勝斎氏、明治
大学の学長である松岡熊
三郎氏の三人を調停
委員に任命いたしました。前後数回にわたりましていろいろと双方の意見を聞き、調停を行なったのでありますが、ついに調停が不成立に終っております。なおこの調停の期間中に、三十二年の十月に、当時の大出学長、これは田中
理事長兼学長にかわって学長になられた方でございますが、大串学長その他十四人の方から田中寿一氏を刑法上の税法違反、あるいは業務上横領、詐欺というようなことで
地方検察庁に告発をいたしております。前申しました
理事長職務代行者の広浜さんにかわりまして三十三年のたしか五、六月ころでありましたか、福井重氏が
理事長職務代行者に、やはり、裁判所から
指名されております。その後しばらく双方とも訴訟上の争いを繰り返しておりましたが、先ほど申しました
河野勝斎氏らの非常に献身的な努力によりまして、これは法律上の調停ではございませんでしたけれ
ども、事実上の和解を成立させたのでございまして、まずその評議員を確認いたしまして、この確認された評議員から基本
理事を選び、そうして
理事会を構成するということに成功をいたしまして、昨年の八月に事実上の和解ができたわけでございます。その当時声明書を発表いたしまして、今後できるだけ学内の組織的な運営化ということに努力する、従ってそのためには人事規程、文書規程、経理規程というような諸規程を整備していくということと、なおそれまでの紛争上いろいろと問題があったわけでありますけれ
ども、この際は処分者を出さない、いずれも愛校の精神に出でた者については処分をしないということを声明いたしたわけでございます。
昨年の八月に一応、過去数年間にわたる紛争が手を打たれたわけでございますが、しかしその後なお紛争期間中のいろいろな事務の跡始末という問題が残りました。たとえば金銭出納の
関係の点、それからその当時中には必ずしも愛校の精神に出たとばかり言い切れない者の罷免の点というような、紛争期間中の事務の跡始末の方法につきまして、また先ほど申しました紛争中の学長であった大串氏の処遇の問題につきまして、また学内の運営を組織化する具体的の組織化の方法等につきまして、
理事者間に意見が分れまして、積極的に急速にこれを実施しようとする田中寿一氏、それから大橋光雄氏といった積極派の
方々と、これを時間をかけてゆっくりなしくずしにやっていこうという、いわば消極的な、穏健派の田中卓郎——この田中卓郎と申しますのは、田中寿一氏の実子でございますが、この田中卓郎、小島末吉というような
理事の二派に意見が分れまして、学内の事務処理上対立しておったわけでございます。こうした対立によりまして学内の情勢がすでに円滑に行われておらなかったのでありますが、
理事長の田中寿一氏は、学内の運営がうまくいかないのは学長で
理事であるところの日比野氏が、要するに自分と反対派の方と手を組んでおるのだということから、今年の七月の七日に日比野学長を
理事会の議を経ないで罷免たわけでございます。これで事が再び燃え上りまして、さらに七月の二十六日には田中卓郎、小島末吉の両
理事を解任する、それから七月二十九日には四つの学部の各学部長、それから事務
局長事務取扱、庶務課長、学部の事双長といった
方々の解雇を行なっております。なお八月の十五日にも短大の学生部長その他を解雇しておるわけでございます。この問いろいろ感情上の問題もあったと思われますが、学長室を事実上実力をもって閉鎖する、それから学長室の調度品の持ち出しというようなことも行われておりますし、また
大学本部の電話の売却というようなことも行われたようでございます。なお九月の十七日には、原因不明でございますが、この
学校から出火をいたしまして、講堂など約六百坪というかなりの坪数を焼失いたしております。
大学の先生方はできるだけ学生に対する
授業を継続しようということでいろいろと努力をされておるようでありますが、八月以降の給与の支給もない、非常に困難しておる
状況でありますし、またいろいろ実験、実習上必要なガス、水道、電気もとまるというような
状況にあるというようなことでありまして、学生も安心して
授業に専念できない
状況ではないかと思われます。学生も、これは一部か全部かわかりませんけれ
ども、
理事長退任要求の学生大会というようなものも行なっておるようでございます。
なお
大学と密接な
関係にありますところの銀行その他世間の信用も以上のような経過のためにだんだん落ちてきておるというようなことがいわれております。
なお
理事長は最近十月の三日及び十一日には一部の、特に責任者と目される五人、すなわち田中卓郎それから日比野学長、小島末吉、渡辺教授、大串教授らを除きまして、全部の解雇を取り消したということがいわれております。
文部省といたしましては、八月の中旬にこの紛争が再び始まったということを聞きまして、それ以来数回にわたりまして双方の方を呼びましていろいろと
事情を聴取いたしました。
文部省は法的にこの解決を命令する権限はございませんけれ
ども、やはり
学校教育が正常な形で行われないということは非常に困った問題でございますので、何とか
学校教育の正常化ということを
考えまして、いかなる
事態がきても
学校教育だけは継続して、学生に迷惑がかかることのないようにしてもらいたいということを申しました。また先ほど来申しておりますように、田中寿一氏と卓郎氏は実際の親子
関係でございますので、こうした
関係にある者が相争う、父が子供を罷免するというようなことは世間の常識からもはずれていると思われますので、何とかぜひ両方で努力して和解するようにしてもらいたいというふうに勧告をいたして参りましたが、現在までのところそれがまだできておらないことは非常に残念に思っておる次第でございます。
現在までの概要の経過を申し上げた次第でございます。