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長谷川(保)
委員 これだけの大きな騒ぎを
日本の中で起すのに、外国の事情も調べずにこれをやるなんということがありますか。あなたはその
責任者です。これだけの、
日本じゅうを
混乱に陥れる仕事をやるのに、そんなばかなことがありますか。あなたは、
勤務評定をやる
やり方の一番基礎になっている、昨年も当
委員会で問題になりました人事院規則の一〇—二に書いてあることを御存じでしょう。
大臣、先ほど来、法律に書いてあるからやるのだというお話がありましたが、文部官僚にだまされてはいけませんよ。法律に書いてあるからやるのだと文部官僚は言いますけれども、だまされてはいけません。これは去年ここで非常な問題になった。
それで
勤務評定をやる一番基礎になる人事院規則の一〇—二ですが、ここにどういうようにやるのかということが書いてある。地方公務員の場合にも、私は当然これに従うべきだと思うのです。この一〇—二の二条の二に「
勤務評定は、あらかじめ試験的な実施その他の
調査を行って、
評定の結果に識別力、信頼性及び妥当性があり、且つ、容易に実施できるものであることを確かめたものでなければならない。」こうあるのです。こういうことを、今のお話ではやってないじゃないですか。
文部当局がやるべきことをやってないじゃないか。去年もこの問題が出たときに、どこそこで少しやったというような話がありました。なるほど二、三のところでちょっとこれをやったようなことがあったのです。これに似たことをやったことがあるのです。それを
文部省は言っておる。けれども、今全
世界の自由主義陣営の
教育者から、それはだめだ、
教育も進歩させないし、
教員に対してもよくない、こういういわば善意のある袋だたきにあっていながら、そういうものを強行して大
混乱を起しておる。しかも
勤務評定では一番長い歴史と経験を持っており、過去三十年やってみてだめだからというので、二十年前にみなやめてしまった、そういう大失敗をした
アメリカの実情をも調べない。そして独善的に、みずから
考えた
勤務評定の
やり方を、
アメリカでもやっているのだ、九〇何%もやっているのだ、いつの間にか
考え方が飛躍してしまっている。
自分の頭の中で空想したものを
アメリカでやっているものと一緒だと思っている。全然違う。そういうようなばかなことをしている。つまり法律
通りやっていない。一体何のために
勤務評定をやるのだ。これは、先ほど
内藤局長その他がお引きになった得意の地方公務員法を見たって、第一条には、地方公務員法の目的が書いてある。つまり、この
勤務評定を規定しておりまするこの地公法の目的、それには、地方
行政の民主的かつ能率的な運営を保障し、もって地方自治の本旨の実現に資することを目的とするということが書いてある。つまり、民主的かつ能率的な運営を保障するためにやるのだということが書いてある。ところが、今日、どうごまかそうと、強弁をしようと、現場の五十万の
先生を敵に回して、法律と全く逆のことをやっているじゃないですか。
先生たちは、激しい闘争を組んで、二時間、三時間の授業をやめても、
自分たちが
考える
日本の民主的
教育を守ろうとして、それほどの大きな犠牲を払って戦っておる。こういうようなあり方でどうして
教育の
効果が上り、
教育能率が上るか。およそ
教育くらい全部の関係者、親も子も
教師も
文部省も、一切のその地域社会の者が協力しなければ
効果の上らないものはないことはだれでもわかっている。それを、これだけ現場の
先生を相手にして戦って、能率が上るはずがないじゃありませんか。まさしくこの
勤務評定こそは地公法違反です。地方公務員法第一条目的の違反だ。それを今やっているのです。それをみずから法律を守るためと強弁しているから、実に変なものだ。しかも
大臣は、先ほど来法律を守るという
立場でやるというお話でありますけれども、この人事院規則の一〇—二の第三条には、除外例があって、著しく困難なものは除外をすると書いてあるのです。先ほど来お話しのように、これが容易にできるものであって、それが確かめてある、信頼性、また客観性がある、妥当性がある、こういうものであるならば、幾ら教組がさか立ちしたって
反対できるものではありませんよ。つまり、信頼性、妥当性がないというところにこういう問題が起ってきているのです。でありますから、まさしく人事院規則違反であり、地方公務員法違反である。ことに直接担当します各
府県の人事
委員会では、すでに、私の住みます静岡県を初めとして、
教員は、まさしくこの人事院規則の一〇—二の三条の二、著しく
評定の困難なものに該当するといってこれを除外してあったのです。そういう県が
日本中に幾つもあったのです。そういうものを無視してやる、まさに法律違反をしているのです。法律を守るのでなくて、法律違反をしているのです。これは、調べてみましたところでは、もう
世界的にそうです。だから、法律を守ってやるんだという今までの
文部省、政府の言い方というのは違っている。法律を守っているのではない。法律を逆にしている、法律に違反している、そう
考えられる。昨年その点をここで非常に議論をしたが、私どもは全然
文部当局の言うことに納得しておらない。
教育行政の組織及び運営に関する法律の中に
教員はしかじかときめてある、こうおっしゃるが、その法律こそは、それゆえにこそ参議院であの大乱闘騒ぎを起してまでも無理やり通した法律なんだ。そういう
教育に関する法律を力で通すということ自体がすでに根本的に間違っている。こういうものこそ、
教育に関する法律であればこそ、なおさら慎重にすべての者が納得して通すというものでなければならぬのに、それを無理やり力で通したというところに、ああいうような法律ができた。われわれはあのような法律は不当なものとして
承知をしておらぬ。今日も了承しない。そういうような力でもって押していくという最も非
教育的な
やり方で
教育的な法律を作るというところに大きな間違いがある。すでに根本的な間違いをしているわけです。でありますから、法律によってやるのだという論拠は今日の
勤務評定にはありません。その点をお
考えになっていただきたい。
大臣は文部官僚にだまされてはいけません。やはりあなたが最初におっしゃったように、また私がこの前の
委員会で申しましたように、官僚諸君でなければできないことはたくさんあります。その点については、私は
日本の官僚諸君を高く
評価します。しかし、官僚諸君ではできないことがあります。つまり木を見て森を見ない、山を見ないという点が官僚諸君にある。特に
日本の官僚諸君の非常な弱点は、何でも
権力支配しようとする、中央集権で
権力支配しようとする、そういう傾向がある。それは
民主主義の
考え方と違う。そういうような欠陥を補うために、われわれは
政治家としてしっかりと大所高所から見て、そしてほんとうに
日本の
教育を大事にするという道を踏まなければならぬと思う。そういう点で私は
大臣に期待を持っておった。けれども、最近どうも官僚諸君にだまされるという傾向が出てきているのは非常に残念だと思う。そうでなくて、お互いに力を合せて
日本の
教育を守ろうじゃないか、官僚諸君はわれわれの決定したことを忠実にやってくれればいい、そういうようにしなければならぬと思う。その点で、私はこの際
大臣が奮起せられんことを望みます。
話がだいぶ長くなって恐縮でありますけれども、
内藤局長に先ほどお伺いいたしましたこの手紙、あなたは全文新聞を読んでいらっしゃらないということでありますが、これは読売新聞のことでありますから、おそらく間違いではないと思います。この回答書簡の中に
日本の今の
勤務評定を行おうとする
文部省当局の
考え方が集約されて出ていると思いますので、この点について私は少し
質問をし、議論をいたしたいと思います。このあなたの名前で出されました回答書簡を見ますと「
教職員の賢明な選抜と指導は、
教職員の能力と勤務実績との正しい
評価にもとずいて行なわれなければならない。」ということが書いてある。「だから
勤評を適正に行なうことは
教育の進歩となり決して有害なものではない」こういう
言葉がある。すでにこの
言葉の中に根本的な間違いがある。
教職員の
勤評が適正に行えるという前提に立っている。正しい
評価が行えるという前提に立っている。これができないというのが
世界の
教育学者の
意見なんだ。それが適正に行えない。少くとも私が
アメリカで会った全部の
教育学者の
意見だ。一人残らず適正に行えないと言う。あなたは適正に行えるという前提に立っておる。これが非常な間違いだと思いますが、これをあなたはあくまで適正に行えると言い切れますか。