○
石田(宥)
委員 そこで、この
算定方式の中の中身の問題ですが、単
年度でなくて
複数年度を基準にし、その
平均生産費ということで、それを
調整係数で
修正するという。これを単
年度にしないで
複数年度にするということは、これはやはり、当時の
経済事情から、私はよろしいと思うのです。しかし、
先ほどもちょっと
指摘したように、
生産費の
平均値を
基礎にして、これを
修正するということは、どうしてもこれは
納得がいかない。これは、
大臣、初めて私は伺うわけでありますが、実は、
米価の
決定というものは、どうも
予算米価の拘束が大きいのではないか。従って、
食糧庁は、当初から
予算米価というものが常に頭にこびりついておって、その
一つのワクからどうしても飛び出せない。そこで、本来ならば、
先ほども
指摘いたしましたように、
昭和二十四年ごろから
生産費及び
所得補償方式について
論争が行われ、
昭和三十年のごときは、
米価審議会の中に特に
学識経験者を網羅したところの
専門委員会が持たれて、
専門委員会の中でもずいぶんこの問題が論議をされておるわけです。そうして、やはり
バルク・
ライン方式によるべきものというのが圧倒的に多数の
意見で、これは常識化しておるわけです。ところが、それに対して、
食糧庁は、本年の春以来、
バルク・
ライン方式をとるということになると、どうも
予算米価からはみ出すのではないかということをおそれて、これを否定するような
資料を収集されたようにわれわれはどうしても
考えざるを得ないのです。これは
食糧庁長官に対して私はしばしば進言をいたしておったのでありますが、
日本農業のような
地域性、
地帯性のはげしいところで、
販売農家三百十万戸の中でわずかに二千六百戸
程度の
経済調査をやって、そこから妥当な
一つの統計的な
資料を引き出すということは、そもそもこれは困難であるということは、
統計調査部長もはっきり言っておるのです。やや正確に
信憑性のあるものを把握するには少くとも五千戸以上の
農家を
調査しなければならぬということを言っておるのです。これは二千五百戸しか
調査しておらない。これは、聞くところによると
予算の
関係もあるということでありますが、さて、そういうふうに
資料そのものが貧弱なんですが、その
基礎の上に立って、そうしてさっき申し上げたような
地域性、
地帯性というものの非常に振幅の大きい問題を、全国の中で
一つの
バルク・
ラインで
一定の線を見出すということは、これは初めから困難にきまっているのです。しかし、それをやって、やったところが、
一定の
安定性がない、それから
法則性が見出しがたい、こういうことを言って、
バルク・
ライン方式はとりがたいというところの膨大な
資料になってここへ出ておるのですが、こういうふうな膨大な
資料を作っておるのです。そうして、その
バルク・
ライン方式を粉砕する
資料にしておるとしかわれわれには
考えられないのです。そういうところにわれわれは釈然たらざるものがあるのであって、私は、当初この
米価問題を取り上げた当時に、ことしこそは
算定方式だけはすっきりしたい、
理論米価にしたい、それが
ためにかりに
米価が多少下ることがあっても、あるいは
据え置きのような
状況になるにしても、従来のようなつかみ
勘定の
政治米価はもうごめんだ、毎年々々同じようなことを繰り返して、
農業団体や
農民団体が一カ月にもわたって
陳情合戦をする、すわり込みをやらなければならないというようなことはもうやめたい、それが
ためには、やはりすっきり理論的に割り切った
米価で、少くとも
基本米価だけは
算術計算で
結論が出るようにする、あるいは
奨励部分やその他の特別な政策的な面は別としましても、
基本米価だけは、やはり、今日の
麦価決定、これは
パリティ麦価でありますから、私は、
米価の場合この
パリティ米価をとることには賛成いたしませんけれ
ども、たとえばああいうふうに
基本米価だけは第
術計算で
結論が出る、その他の問題についてはこれは政策的に考慮もよろしいけれ
ども、そういうことにやりたいということを強く主張しておったにもかかわらず、ついにその
バルク・
ライン方式はとりがたいという
資料に基いてこれを拒否し、そうして、ついに
平均生産費、そういうものを
中心として、これを
調整係数で
修正をして、当初は昨年と一銭一厘違わないところの九千七百円という裸三等の
基本米価が算出された。私はこれは必ずしも偶然の一致とは
考えられないのです。これは、
一定の
答えを出しておいて、その
答えに合うようにいろいろ試算をやって、そうしてその
調整係数なるものを見出して、その
調整係数を使うことによって、前三カ年の
平均生産費を
基礎にして
修正することによって、前
年度同額になるということを
一つの
目的意識のもとに
作業を進めて、それをやったとしか
考えられない。これはおそらく
国民全体がそういうふうに
考えるでしょう。こういうことをやるからことしのような混乱が起っておる。おそらく、絶対多数をもって
任ずる自由民主党としても、私は醜態の限りだと思うのです。少くとも筋の通った
農林省原案というものが出たならば、やはりそれに基いてもっと筋の通った
修正ならわかる。理論的にちゃんと筋の通った
米価を出すというならわかるけれ
ども、ますます晦冥ならしめるような
修正を加えるということは、これはもう再びその道を歩いてはならないことであると
考えるのであります。従って、少くとも
米価算定というものについては、これはなかなかむずかしい問題でありますから、私は、
基本米価だけにいたしても、簡単に割り切れるとは
考えられません。
バルク・
ラインの
とり方などについては、これは学者の中にもいろいろ
意見があります。また私も実は
長官に対してはその
意見を述べておるのであります。ということは、さっき申し上げたような
日本農業の実態でありますから、これを
地域別、
地帯別、
階層別に
一つの
バルク・
ラインというものを出せば、これはすっきりした
安定性も出てくるし、
法則性も出てくるのです。だから、全国的にそれを積み重ねて、そこで
平均値を出すというような手段をなぜとらないか。ところが、全然それを顧みずして、試算すらもしておらない。それをやれば、ここではっきりしたものが出ますよ。しかし、それにはやはりいろいろの
一定の約束ごとがありますから、それはそれでやらなければならないし、あるいは、
論争の種になっておりますところの
自家労賃のきめ方などは、これもいろいろ
議論をすればあります。しかし、そういうものは労働省の
一つの月報なり何なりで
資料があるのだからして、それをそのまま用いるのに、全規模でとるかあるいは五名以上でとるかというようなことは、これは政策的にきまる問題。また、資本構成とその利子率というような問題については、これはなかなかむずかしいでしょうむずかしいでしょうけれ
ども、
一定の
一つのワクをきめて政策的にきめればいいんです。また、この地代
論争というものもやかましい問題でありまして、これは昔から世界的な
議論のあるところでありますが、これについても、今日便宜上、
農業団体も
政府も、
統制小作料をとるか、あるいは実納小作料をとるというようなところでやっておりますけれ
ども、実はやはりこれはりっぱな
一つの地代
論争というものがあるんだから、その地代
論争に基いて
一定の
結論を出して、その
結論に基いて、こういうものは
一つ政策的に
一定の範疇をきめていく。そうすれば、今私が申し上げたような
基本米価の
算術計算というものは必ずしも不可能ではない、こう私は
考える。おそらく、
大臣も、新任早々
米価問題にぶつかられて、ずいぶん、
米価というもののむずかしさというか、これを経験されたことであろうと思うのでありますが、少くとも、私は、今日この
段階において今それを根本的にやり直せとは申しません。しかしながら、やはり、少しでも
理論米価に近づくように努力はしなければいけないと思う。ただ、問題は、明
年度以降における
米価の
算定については、私
どもが長い間主張をして参りましたそうした理論的に割り切ることのできる
基本米価、
算術計算でできるところの
米価、これをやはり
大臣は相当な決意を持ってそれに対処し、その準備に取りかかるべきであると
考えるのでありますが、
大臣の所見を伺いたい。