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横山委員 ちょっと今の
質問に関連してお伺いをしたいのですが、先ほどの
お話を聞きますと、十一、十二月で七千件くらいだという
お話ですが、少し具体的に、今春日さんも言うように、皆さんの感覚と私
どもの感覚とだいぶ違うようでございますから、一例をあげて御
質問いたします。
私きのう、名古屋のまん中でございますが、南区の道徳学校というところに見舞に行きました。学校に約七百人くらい罹災者がおりました。そして学校の校庭はちょうど腰くらいまで水につかっている。もう水が腐ってしまいまして、もう悪臭ふんぷんとして鼻につきます。その学校へ行きますには、大体舟に乗って五町は行かなければなりません。学校の中へ行きましたら、うどん屋さんとビニール加工の人が、私に町内の
代表だと言って会いに来ました。うどん屋さんの場合は借家であります。うどんの材料は全部流されてしまって、うちはまだ腰まで水浸しになっている。ビニール加工屋さんはハーモニカ長屋のようなところでございますが、やはり借家で、材料も全部流されてしまいましたが、水が完全に引くにはまだ一週間かかります。これは
代表的な例でございますが、そこにいる人はみな小企業の人たちばかりでございます。そうして、こもごも言いますことは、これで一週間ぐらいたって水が引きますと、まず大家とかけ合いを始めにゃならぬ。そうしてかけ合いを始めて、うどんの茶わんから材料を集めて商売を始めにゃならぬ。大体どのくらい金がかかりますかと言いましたら、材料その他うどん屋開業だけでどうしても五十万はかかる、あなたの家は土地も家も借地借家ですね、そうです、こういうわけです。保証人はありますかと言いましたら、保証人は一人はあるけれ
ども、これからうどん屋を開業していくについて、保証人が二人というのは、とてもじゃないが無理だ。これは一例でありまして、
横山さんの話を聞いて、今晩
一つ私われわれらいのクラスの人全部に話をしたいと思います。こういうことであります。これはおそらくきのうの晩教室におるたくさんの小規模の人たちに話をしておると思うのでありますけれ
ども、全くもうどうしたらいいか、学校としても、水が引いたらば、できれば
一つ、県が緊急応急住宅を建てるそうでありますから、そちらへかわってもらえぬだろうかという遠慮しいしいの希望があるようです。なぜかといえば、子供の授業をするのに差しつかえるからです。けれ
ども、応急住宅へ行けばもううどん屋さんは廃業しなければなりません。ビニール加工もそこじゃできぬわけであります。ですから、新聞にはいろいろ手はあるように書いておるけれ
ども、現実にそのうどん屋さんの
立場に立つと、なかなか簡単にうどん屋の再開ということはできないわけであります。私は、とにかく
国民金融公庫の熱田の支所に行きなさい、担保が何もないというのですから、市の信用保証協会にも行って相談をしてみなさいと言って、いろいろこまかく話をしましたけれ
ども、さてそれじゃ自分がうどん屋さんの
立場に立ったとすると、まずそこへ行くとする。私はあの熱田支所はよく知っておりますが、あそこに
職員が何人いるかというと、罹災の一番中心地帯の熱田支所は開業したばかりでありますから、まだなかなか板についておりません。そこで、全部で十五人でありますから、まあ十五人ぐらいおいでになるでありましょうが、そこへ殺到していくわけであります。今
理事の
お話のように、いやそういうところにも行って
説明をいたしますよとおっしゃるが、あそこへ行くのは半日がかりである。朝舟に乗って行って、そこで
説明をする。
説明をしてさあいろいろ親切に話をしていたら、また半日はかかります。そういうことを毎日やるためには、まあ熱田支所の管内で行かなければならぬところは四十や五十はあるわけです。そういう
計算をしていきますと、じゃうどん屋さんの番が回ってきて、そこで申込書類を書いて、初めてだからわからぬからいろいろ聞いて、それから信用保証協会の保証をかりに取っていって出して、現実に金がもらえるのは平均二十五万だというんですが、そのうどん屋さんに例をとったら、おそらく平均まで貸してあげられないのじゃないかと私は思うのです。二十万ぐらいしか貸してあげられないのじゃないか。そうして、二十万が実際にうどん屋さんの手に入るのは年末だと私は思う。年末に二十万入ったところで、うどん屋さんはうどん屋を開業できません。せいぜい大家とかけ合って、大家は直してくれぬから、自分のところで何とかベニヤ板を張りめぐらして、そして茶わんを注文したところで年を迎えなければならぬのではないか、こう思うわけです。あなたの話はえらく
計算じみて、十五人がやってきて年内七千件とおっしゃるけれ
ども、それじゃ、七千人目の人は、これから十二月の年を越して、それまで一体どうしたらいいのでありましょうか。具体的に春日さんのおっしゃるように順番にそろばんではじいてはだめなんです。できれば七千人なり一万人の人に全部今の申込書が渡って、あしたにでも一万人の話を聞いてあげるために、全国の支所から人を配置して、百人ぐらいが一せいかかっていかなければ、これはだめなんです。それをやって全国の人が困るか。十五日、一カ月罹災者のために貸してやってほしい、待ってやってほしいと言って、全国の人たちがそれはいかぬといってがんばるでありましょうか。私は、どうも、その辺について、やはりさっきからあなたと私たちとの間に感覚が違うような気がする。
石野さんは、金は使いなさい、いいですよ、
あとはめんどうは見ます、こうおっしゃる。これは、この間岸さんや大野さんがやってきて、金は
幾らでも出す、金のことは心配するなと言いました。あれは非常に大きな
影響を与えました。いい感じを与えた。けれ
ども、これは政治の最高の
責任者ですよ。
石野さんは、お気の毒ですけれ
ども、そういう
立場の人ではないわけだ。あなたは、銭勘定して、きちんとこっちのものをあっちにする
立場の人で、政治家ではありません。そのあなたのなすべき最初の役割は、よし、それじゃ石渡さん三十万は渡しますということを言わなければならぬ段階じゃありませんか。あなたも、岸さんと同じように、金はどんどん使え、
幾らでも出すというふうにほんとうに言えたら、私はあなたの言うことを信用しますけれ
ども、そうじゃないのです。ですから肝心かなめのあなたがそういう
立場にちっともおらないで、まあまあ銭のことは
あとで何とかなるでしょうからでは、先頭に立つ石渡さんや、一番前線に立つ
職員の
諸君は、
幾らくるかわかりませんから、二十五万平均ということでは
あとの人が困るかもしらぬから、二十万貸すところは十五万に落ちつける気持になるという心理があなたにはわからぬのですか。二十五万平均だけれ
ども、気の毒だから三十万貸してもいい、
あとは何とかなるから、三十万でいこうという腹はきまらぬじゃないですか。あるいは、今の質屋さんにしても米屋さんにしても、ここが解釈の相違で、ちょっと範囲を広げれば貸せるというふうな判断がつくときでも、金がないかもしらぬから、ここはまあ貸さずにおこうという気持が前線部隊に起るということをあなたは考えませんか。十五日も二十日もたった今日、あなたたちが
幾ら出せるか判断がつかぬということでは困ると思う。私は、この間も何度もあなたにお電話をして、きょう十三日の大蔵
委員会では
政府のワクをはっきりしておいて下さいよとあれほど言っておいたのに、今もって同じ答弁というのでは、どういうつもりで仕事をなさっておるのか私にはわかりません。ほんとうにビニール加工やうどん屋さんの
立場にすれば、それでは一刻も早く、二十万でも三十万でもという気持にはなりますけれ
ども、「一刻も早く」も、今の御
説明では年を越すかもしれぬというのが現実の問題ではありませんか。だからあなた方は現地の感覚と違うのです。私
どもであってすら、あの罹災の直後に現地を回って、やあ大へんでございますね、と言って行こうものなら、ずらずら来ずに金を持って来い、そういう雰囲気ですよ。そういう雰囲気の中で、私たちも、泥まみれになって、名古屋から電話をかけたり、東京へちょっと来て、
一つ金を頼みますと言ってすぐ名古屋に帰ったり、そういう雰囲気の中でやってきているのです。にもかかわらず、先ほどからの答弁は、ほんとうに私は勘定的と言わざるを得ない。なぜ今もってワクがきまらないか。あなたはさっきから
説得力のある話をちっともしておりません。マイクを通じてうどん屋さんやビニール屋さんに語るような気持で、
一つ銭はこういうふうになるのだからという話の仕方をなさったらどうですか。この辺の気持がちっともあなた方には出ていないような気がいたします。抽象的ではありますけれ
ども、もう一度先ほどからの話の続きをお聞きしたい。