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金丸(徳)
委員 大へん時間がおそくなりまして恐縮千万でございますが、罹災地に故郷を持つ者の一人といたしまして、ちょっとの間時間をちょうだいいたしたいと思います。
先ほど
大臣から、今度の
災害を契機として、
治山治水事業に対する
大臣の重大な決意の御表明がございましたが、私のお願いいたしたい、またお伺いをいたしたいところ、そうして
現地被災民に伝えて安堵し勇んでもらいたいと思っておりました点も、実はそこにあるわけでございます。私は先般の当
委員会の
現地視察におきまして、
木村理事に同行いたしまして
長野県の罹災地を見せてもらいました。郷土の荒れ果てた被災地は、涙をもってたびたび見ておるのでありますが、あれから二十日余りも過ぎました。当時あの決壊した川に向って、そこにあらゆるものをつぎ込んで決壊
個所の締め切りなどに一生懸命になっておりました人々が、ようやく落ちついて思うことはさて
考えてみると、この
状態で果して次に来たるべき
台風とは言わないまでも、小さな雨に対しても果して安心して暮していけるだろうか、そうして今後における生活、営農はどう一体希望を持っていけるだろうかということではなかったかと思います。そうしてそのような心配が、落ちつくに従って、被災地ばかりではございませんで、直接の
災害はこうむりはいたしませんけれども、やはりやがてまたその被災の
影響を受けるであろうと思われるような人々にもあるのであります。その一つの事例といたしまして、実はこれは昨日の
山梨日日新聞のトップに四段抜きで書かれた記事でありますが、天上川の恐怖高まるという見出しのもとに、決壊すれば全村水底、これは
大臣もお通りになったと思いますが、釜無川の左岸の一番下流に位いたしておる田富村、人口は一万あまりのところでありましたが、この人々があの
台風によって持ち込まれたところの
土砂、それによって上った河底の実情を見るにつけましても、とても安心して眠ることができないのだということであります。私も
現地において、泣きながら古老が訴えましたのがまだ耳に残っておるのであります。そういうところでありましたが、だんだん心配が高まりまして一昨日、この新聞の伝えるところによれば昨日八日の日に、各部落長
会議を開いて、今後雨が降ったならば、せんだっての雨の四分の一ぐらいの小さな雨であってもとても安心して寝ておるわけには参らないということからして、各部落ごとに避難場所をきめて、お前の部落はここへ、お前の部落はここ、わが部落はこの土手のこの方面へということを相談をしてきめたというようなことがこの新聞に伝えられておるのであります。全くさもありなんと思うような実情でございます。そうしてこのような実情は、決して最下流の田富村ばかりではございませんで、その上の
昭和村というのがございます。またその上には竜王町というのがありまするし、またすぐわきには玉穂村などという村がありまして、いずれも天上川の実情におびえておるのであります。この人々がおよそ五万人ばかりあると思うのでありますが、同じような心配をいたしておるのであります。そうしてけさ私は、国の新聞を汽車の中で見ながら上京して参ったのでありますが、けさの朝日新聞は、これは地方版でございますが、その地方版には増穂村の長沢新田、これは
大臣があの
台風のしょっぱなにいち早くお出をいただいて、乱流し決壊したところに立たれて、あまりの惨状に目をおおわれた、慨嘆これを久しゅうしたと書いて新聞が伝えておるその場所であります。あの釜無川の、これも右岸の下流地帯に属するところでありますが、この地帯は戸根川という川、それから秋山川という川の両方から攻め込まれまして、部落六十戸が全く水底に没した。ようやく掘り出して今その家に入りつつあるようでありますが、けさの朝日新聞の報ずるところによりますると、その六十戸ばかりのうちの二十四戸は、その大事な祖先伝来の土地を捨ててどこかへ集団移住しなければというようなことを相談したということが伝えられております。そうして青年諸君がまた別に協議をして、青年の立場からも何とかこのような
状況から救い出されなければならないが、果して国はどうであろうか、県はどうであろうかと嘆きつつ、昨日はそんな相談をしたということがけさの朝日新聞にも伝えられておるのでございます。そしてその長沢新田のような部落の人々の気持というものは、増穂村ばかりではございませんで、それに続く鰍沢町においてもそうでございます。またその上の甲西町は、
大臣がお立ちになられたところでありますが、その全町民もしかり、その上に位するところの若草村、またその上にあるところの白根町、あの惨害のあった韮崎市のすぐ下流のところ、いずれもそのような天上川におびえ、日夜眠れない生活をしているようなところでございます。この前の
台風があまりにもひどい
土砂を持ち出した結果の下流民の心配の原因でございますが、このようなことは、しかし天上川に苦しむところばかりではございませんで、一番
上流のこの
土砂を持ち出したところの
白州町、それから
武川村、韮崎市の一部、そういう山地に住む人々は、山地に住むがゆえに、目の前にぶら下っておるところの、今にもころげ落ちんとする岩にもひとしい大きな石、またぶら下ってかかっているところの大きな木の根、そういうものを見てさえ、雨が降ったり風が吹いたらこの流れた
堤防はどうなるであろうか。掘り出されたうちはどうなるであろうかど心配しているようなことであるのでございます。このようなこと、日を経るに従って私は増してくると思う。人心の不安といいますれば、これ以上のものはないように思うのでございますが、これにつきまして、
大臣は
現地においていち早く治水五カ年
計画を御発表になって、それだけでも
現地罹災民にとっては大きな力になりました。そこで今待避訓練をしなければならぬ、待避場所を予定しておかなければならない、あるいは集団移住をしなければならないというような悲壮な気持に陥っておるところの
現地民の気持をおくみ取り下さって、私は実はこれはもうおくみ取り下さっているのはよくわかるのでありますが、ただ
大臣があしたの大事な懇談会に臨まれることを伺いましたものですから、
現地民の声をもう一度
大臣の耳にとめて、勇躍といってははなはだ言葉がおかしいかもしれませんが、重大な決意を持って臨んでいただきたいというお願いの意味において今の実情を申し上げたのであります。
そこで、一つあの五年
計画を御発表になったときでさえも非常な安心感といいますか、明るさを持ちました。今度具体的に何かの政策、具体的な
方法でもお示しいただければ、この動揺した人心もやや落ちつくのではないか、こんなに思うものでございます。そしてその一つの道といたしまして、上の方には今いつ荒れるかもわからないような谷川に対して、根本的にいいますれば、多目的ダムとでも言いますか、護岸工事といいますか、あるいは
山腹防護のための諸工事を大きくやっていただければよろしいのでありますが、それもなかなか今の段階においては容易でないと思います。そこで、せめてもこの段階において、山を一つ
建設省の立場からごらんいただくわけには参らないでしょうか。先ほどもどなたかの御質問の中に、川をパトロールしてくれぬかというようなお話がございました。私もほんとうにそれをお願いをいたしたいのであります。それと同時に、一つ山をこの際最精密にパトロールしていただいて、この山は危ない、この谷は大丈夫だというような御診察でもして、
現地民にある意味におきましては警告し、ある意味におきましては激励し、安堵させるという道はとれないものでございましょうかどうか。実は
現地では、林野庁が林野庁の立場から山の診察をされる
計画があるやに承わりました。私は林野庁の立場からなさることも一つの道だと思いますが、しかし何と申しましても、
国土防護の責任は建設
大臣がおとりになるのです。そう建設
大臣に頼んでおるわけでありまするので、
建設省の立場から、山の上だからといって御遠慮なさらぬで、一つ山の実情を精密に御診察いただくわけには参らないだろうか、そうすることによって、私は目の前にぶら下った危険な
状態に対する安心感も出て参りまして、民心の安定にも大きく資するであろうと思うのです。
それから下流の方につきましては、今たまった
土砂の
排除について何らか早急に手を打っていただけないものかどうか、具体的に御方針なり御方策がありますればここでお示しをいただいて、このように動揺しておる
現地罹災民に対して、幾らかでも安心感と希望を持ってもらいたいと思うのでございます。建設
大臣の御所信を承わりたいと思います。