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栗山良夫君 その日本の
自衛隊で日本を守れるか、守れないかという議論は、これはもうここで私はいたさぬことにいたしますが、私が了解しているのじゃなくて、僕はなまじっかのものがあれば、かえって私は日本を守る上において困るという社会党の本筋をやはり理解しております。それは話がそこまでいきましたから一口申し上げますが、大東亜戦争のときも、日本軍とアメリカ軍の交戦のために、第三者的な立場で被害を受けた諸国を見れば一目瞭然です。たとえばフィリピンをごらんなさい。フィリピンは日本軍の攻撃、そうして日本をフィリピンから追い出したアメリカ軍の攻撃と、これは往復攻撃を受けております。フィリピンになまじっか
米国の駐屯軍が最初いたから日本軍が攻撃した。また日本軍が占領していたから奪還のために攻撃したのです。ところがその他のビルマだとかインドネシアだとか仏領インドシナというものは、あんなひどい被害は全然受けておりません。それで戦争が終ればさっとそこを引き上げて平静に戻った。ですから戦禍を回避する、しないという問題になれば、これは議論が分れるのです。これは大東亜戦争でひどい目にあったのは、フィリピンが外国の軍隊をなまじっか駐屯させておったためにそういうことになった。ですからそういう議論は別としまして、私がなぜそういうことを
国民所得の立場から力説するかというと、今政治的にわれわれが非常に注意しなければならぬ問題は二つあります。その一つは日本の人口の老令化が非常に進んでいるということですね。たとえば
昭和三十年から今日くらいまでは老令化指数というものは、日本は一八くらいです。これはゼロ才から十九才までの未成年者の総人口で、六十以上の老人の人口を未成年者で割ったものなんですね。それが一八なんです。ところがヨーロッパの各国はそれは大体四〇から五〇、五三になっている所もある。日本はそれほど老人がいつふえるかといいますと、これは急角度にふえているのです。人口問題調査所の研究によると、今一八という指数が
昭和四十年には二八になる。
昭和五十年には四三という指数になって、ヨーロッパの老令化の割合小さい方の国に大体勢ぞろいすることになっている。数からいっても一千二百万になります、六十才以上の老人が
昭和五十年には。ですから、こういう人を社会保障でなんとか国が老後の生活の保障を見てやるということになれば、今から相当な国費を財政規模の中でこういうところへ分けていくことを考えなければならぬ。これがまあ非常に大きな一つの今の政治に直面している使命だと思います。近く
国民年金の法案が通るでしょうけれ
ども、あれなんかもう
国民年金のほんの入口の入口でして、ほんとうに老人の生活を保障するということになれば、こういうことを考えなければならぬ。
それからもう一つの問題は、日本の
国民一人当りの
国民所得というものが、欧米先進国に比較して非常に低い。アメリカの十分の一とかイギリスの五分の一とかドイツあたりの三分の一、こういうことになっているのですから、一人当りの
国民所得を引き上げてやることを考えなければならぬ。そうしなければ楽しみはないわけです。その前にはまず減税をやらなければなりませんが、戦争前には日本で勤労
所得税を納めておった人は、御
承知のように六十万か七十万です。それが今は九百万をこえているのです。こういうことだから大学を出て初任給をもらう場合に今は一万円くらいのものなんです。われわれの若い時代には大体七十円か八十円とすると、四百倍したところで三万円、あるいはそれ以上なんですね。それでしかも税金はかからなかった。今は一万円でも独身なら税金はかかる。そういう状態を早く脱却させていくためには、
国民所得がずっと伸びていますから、その伸びているやつはけっこうですからそのままにして、
国家財政の規模はなるべく圧縮して、しかも圧縮した
国家財政の規模の中で頭打ちできるのはどんどん頭打ちしていかなければ、そういうところへ余裕財源を回すことはできないわけです。だからそういう構想を持つためには、何としても、防衛費なりというものについては、それはその衝に当られておる
防衛庁の立場からいえば、多いにこしたことはないでしょうけれ
ども、そういう大きな
国民の福祉という立場からいえば、根本的に考えてもらわなければならぬ。こういうことを私はしょっちゅう考えているのです。他の
分科会でも私はこの問題を一
経済企画庁なり大蔵省とも、もう少し掘り下げて議論をしてみたいと思っておりますが、
幾らわれわれが議論をしても、肝心の
防衛庁の方でそういう理解が得られないとあれば何ともしょうがないわけです。そこで、先ほどからちょっと
予算とは関係がないような角度からお尋ねに入ったわけなんです。それで、まあ伺うところによると、第二次の目標というものを本年の七月ころにはまとめたいというお話がありましたから、これはもしそういう御所存であるとするならば、大至急一次案でけっこうですから、得られて、そうして
国民に発表せられて、今のような
国民の要望と正面衝突しない、あるいはまた総合調整がつくには、そういう批判ができるような機会をぜひ作ってもらわなければ困ると私は思います。この点はいかがでございましょうか。