○木下友敬君 私は
日本社会党を代表して、ただいま議題となりました
政府提案の
国民年金法案に対し、反対の
意見を表明するものであります。
御承知の通り、わが
日本社会党は、早くから
国民年金制度の必要を認め、
昭和三十一年には慰老年金法案並びに母子年金法案を国会に提出し、さらに総合的で高度な年金制度としての
国民年金法案を第二十八、二十九、三十国会に提出いたし、その後さらに検討を重ねました結果、あらためて本国会に、「
国民年金法案」及び「
国民年金法の施行及び
国民年金と他の年金等との調整に関する
法律案」を提出いたしたのでありますが、このわが党提出の法案は、多数を頼む自由民主党の諸君の無
理解によって、衆議院段階において否決されたのであります。
国民のためにまことに痛恨にたえません。自由民主党が
国民年金制度に関心を持ち始めましたのは最近のことです。すなわち、昨年の春の衆議院総選挙に当って、突如として、社会保障制度の一環として
国民年金制度を作りますと、新しい選挙用スローガンを掲げて、素朴な大衆の票をかき集めたのでありますが、はっきり申しますと、自民党内に
国民年金対策特別委員会のできたのは、総選挙も済んだあとの三十三年六月のことであり、さらに、曲りなりにも
国民年金制度要綱なるものが初めて顔を出しましたのは、実に、昨年の十二月でありました。それから、
政府がその要綱を基礎にして法案作成に取りかかり、いよいよ国会に提出されたのは二月の十三日です。かけ足もかけ足、一足飛び法案というべきであります。大内兵衛氏を会長とする社会保障制度審議会が第一回の勧告をした
昭和二十五年十月からは八年以上を経過し、第二回目の勧告がなされた二十八年十二月からでも実に五年以上を空費しているのであります。この点に関する
政府の責任はまことに重大といわねばなりません。
そこで私は、
政府案と
社会党案とを比較分析しながら、
政府案がいかにずさんなものであるかを証明いたしたいと存じます。
まず第一に、立法の精神において両案の間に根本的な相違のあることを知ることができます。今試みに拠出制老齢年金について見れば、
政府案では、貧富の区別なく、強制的に一律の掛金を取り立ててこれを積み立てておくのでありますから、純然たる強制貯蓄であり、もっと正確に言えば、
国民大衆からの仮借なき収奪とさえ言えるのであります。しかし、このように強制執行までして取り立てようとしても、納めることのできない貧しい人たちがたくさんおります。これらの人たちについては、
政府案といえどもある程度の減免制度を設けてはおりますものの、たとえば納入継続十年以下の者には掛金だけを払い戻し、三年以下の者には掛金さえも払い戻すことなく、全額没収するという、無慈悲きわまる仕組みであります。よく
考えてごらんなさい。百円、百五十円の掛金が滞りがちの人というのは、社会の谷間にあえいでいる貧困階層の人たちであり、こういう人々にこそ、こういう階層にこそ、年金の必要があり、また制度のありがたみもあるのです。しかるに年金を出すどころか、掛けた掛金さえも掛け捨てにさせ、それをかき集めて、何不自由ない富裕階級にそっくり進呈する法の立て方—これは全く商業的保険制度を一歩も出ない、持てる者への奉仕の制度であって、真の社会保障制度とはほど遠いものであります。
これに対し
社会党案では、賦課方式をとり入れた積立方式を採用しており、年金税の構成は均等割、所得割、資産割の三つからなっております。従って、税額は一応平均百六十円となっていますけれども、収入、資産の少い者では九十円そこそこになりますから、
政府案よりはるかに軽い負担で済むのであります。また、年金税減免
措置はきわめて寛大で、極端な場合には、一回も掛け得なかった人にでも同額の年金が給付されるという、貧しい者に対する愛情ある配慮がなされておるのであります。すなわち、立法の精神において、真に社会保障制度としての性格を備えているかどうかという点で、これだけの違いのあることを明らかにいたしておきます。
第二に、拠出制老齢年金における給付金額と給付開始年令について申し述べます。
政府案では、開始六十五才で月最高三千五百円であり、
社会党案では、開始六十才で七千円でありますから、ちょうど
政府案の倍額で、しかも五年早いのであります。私はこの機会に、
政府案にせよ
社会党案にせよ、老齢年金の支給開始が発足後四十五年先であることについて
考えてみたいと存じます。すなわち、今日から一生懸命掛け続けて、四十五年後月三千五百円をもらったとして、四十五年後の三千五百円が、この
法律の第一条にうたってある「
日本国憲法第二十五条第二項に規定する理念に基き、老齢、廃疾又は死亡によって
国民生活の安定がそこなわれることを
国民の共同連帯によって防止し、もって健全な
国民生活の維持及び向上に寄与することを目的とする。」という大
方針にふさわしい金額であるかどうか。まことに過去二十年、三十年、四十年にわたる
経済変動を振り返ってみれば、あまりにも明瞭にこの間の消息を察知することができましょう。
社会党は、倍額の月額七千円でありますが、これとても決して十分であるとば言えませんが、
社会党が念願する
世界平和が達成され、予期の
経済安定が実現したとすれば、一応妥当な金額であります。
第三点でありますが、完全積み立て方式をとりました場合、早晩運営に行き詰まりをきたすであろうことは、先進諸国の例で明らかであります。従って、
政府がしいて積み立て方式をとるならば、インフレ等に対してどのようにして切り抜けていくかという点について、明確なる
措置を講じておかなければならないはずであります。
社会党案ではこの点は、はっきりいたしております。
政府案におきましても、その四条において、「著しい変動が生じた場合には、調整が加えられるべきものとする。」とあり、また第二項には、「五年ごとに、所要の調整が加えられるべきものとする。」とあり、すなわち、一項においても二項においても、「調整が加えられるべきものとする。」という、きわめて微温的な表現がとられております。なぜ
経済変動に対応してスライドするとか調整するというような、はっきりした表現を故意に避けているのか。私どもは、戦前、
政府が鳴りもの入りで宣伝した郵便年金が、
経済変動によってひとたまりもなく破滅し、
国民に莫大な損害を与えた歴然たる事実を経験してきておりますゆえに、特にこの点を重視し、委員会においても
政府の再考と善処を促したのであります。
国民の中には、本年末から給付される予定の無拠出の援護年金のことばかりを
考え、ぜひこの法案の早期成立を望むとの声のあることは事実でありますが、それは、ただでもらえるのであるから、たとえ五百円であろうと千円であろうと、とにかく早くもらいたいという、貧しさのゆえのきわめて素朴な願望であります。もし
国民大衆が、拠出年金について、私が今述べましたような、四十五年後の
経済状況、その間における貨幣価値の変化等に対処する
政府の責任ある
方策が、法文上に明記されていないことを知って参りますならば、百人が百人、もうまっぴらだと、口をそろえて反対の意思を表明するでありましょう。
さらに老齢年金で大きな欠点の一つは、労働者の配偶者を除外し、任意加入としたことであり、果してその意図が那辺にあるかを知るよしがございません。いまだ民主化の徹底していない
わが国の一般家庭では、妻の地位はきわめて低く、貧しい家計の中から妻が進んで年金に加入するところまでは行っていないのであります。しかし、これに加入していないと、万一の場合の障害年金、母子年金あるいは寡婦年金等を受けることができないことを
考えますと、労働者の配偶者をこそ強制的に包含しておかねばならないと
考えるのでありますが、本法案において故意に労働者の配偶者を除外している点、まさに精神分裂的立法といわねばなりません。
次に、障害並びに遺族年金についてみますれば、
社会党案では、いついかなる人に障害、死亡等不測の事故が起っても、直ちに年金の給付が開始されるのに反し、本案におきましては、それぞれ一定期間保険金を掛けた者でなければ給付の対象とならないのであります。障害とか死亡のごときは、多くの場合突如として起ることが多く、しかも一たん発生すれば、以後の生活には根本的に重大な変化をきたすものであり、それゆえにこそ年金制度制定の要があり、意義があるのでありますのに、この点に関し
政府がきわめて冷酷な商業的
態度で臨んでいるのはまことに遺憾であります。さらに、障害年金において私どもの最も
理解に苦しむところは、給付の
範囲を外部疾患に限定して、内部疾患あるいは精神障害を全部除外している点であります。内部疾患や精神障害のゆえに一家の生活に大きな支障をきたしている事実と、外部疾患の場合との間には、その度合いにおいて何ら選ぶところはございません。しかるに、いかなる根拠によって内部疾患、精神障害を除外したか、全くでたらめな御都合主義といわなければなりません。
第四番目に、
国民年金法制定に際し最も重要な点は、現存する公的年金と
国民年金との調整の問題であります。すなわち、公的年金はそのままに継続し、これと並行して
国民年金を置くか、あるいは、既存のものはこの際できるだけ整理統合するか、さらに、その場合、各年金との調整をどのようにするかは、きわめて重要な問題であり、社会保障制度審議会においても最も慎重に論ぜられたところであります。私どもの案では、既得権、期待権の尊重に十分の配慮を払うとともに、完全なる持ち分移管方式を採用して、中途で制度が変る場合や、中途で職を変える人たちの利益を完全に保護する
措置を講じております。しかるに
政府が、各年金制度間の調整の困難性の前にぼう然自失し、手をこまねいて何らなすところを知らず、いたずらに問題の解決を回避している
態度は、単に無能であるばかりでなく、無責任のそしりをもあわせて受けなければならないと言わなければなりません。
第五に、無拠出年金について述べます。今日すでにある年令に達しておるために拠出年金の適用を受けられない年令層の人や、現在すでに身体に障害のある人あるいは現在すでに母子家庭に該当しているもの、これらの人たちに対する特別の
措置として設けられたのが
政府のいわゆる援護年金であります。この援護という言葉の中には、確かに恩恵的、慈善事業的ニュアンスがあふれております。われわれのところに届くたくさんの嘆願書にも、また、各地における公聴会での公述人の声にも、援護という言葉や不具廃疾というような言葉は、ぜひ訂正してもらいたい。日夜悩んでいる心の傷口に触れないでくれという切々たる願いは、強く私どもの心を打ちました。目を見ればその人の性格が読みとれると申しますが、この名称を見ただけで、
政府与党の救貧恩恵の思想がはっきりと浮きぼりにされておりまして、いわゆる所得保障や防貧
政策を織り込んだ社会保障の性格は、露ほどもうかがわれないのでありますが、
政府与党においても、この
世論の前には抵抗できず、援護を福祉と修正することに決意され、委員会において可決されたのであります。この穴だらけの法案で、与党が修正を申し出たのは、ただこの一点だけであることも、その不誠意を物語って余りあると言わなければなりません。
さらに、福祉年金における給付内容に至っては、全く申しわけ的にすぎません。老齢福祉年金は、月千円、七十才開始、
社会党案では、月千円で六十才開始、さらに、六十五才からは倍額の二千円であります。また、母子福祉年金においては、
政府案では月千円、
社会党案では三千円、第二子からは、
政府案では加算月額二百円、
社会党案では六百円となっております。また、
社会党案では、おばあさんが孫を育てる場合、お姉さんが妹を育てる場合等にも適用できるようになっておりますが、
政府案では、このような点が全く無視されております。
政府案の福祉年金を通じて最も大きな欠陥は、給付条件として、きびしい所得制限を設けていることであります。
社会党案にも、もちろん所得制限はあるにはありますが、その線の引きどころが、低所得者に対する所得保障という
立場に立っております。このきびしい所得制限にかてて加えて、母子福祉年金の場合は、子供は十六才以下であることとか、二十五才以上の子供がいてはいけない、こういう二重三重の制限があります。これらの点をつぶさに調べて参りますと、一体この法案は、老人や母子家庭を助けるために作られたものではなくて、いかにして老人や母子家庭を年金の対象からはずすかという点に最大の努力が払われているという矛盾が、法案そのもりの中に含まれていることを知るのであります。しかし、
政府案が最もその冷酷性を露呈しているのは、その身体障害者福祉年金において、給付の対象が一級障害だけに限定されている点であります。諸君はすでに、二級、三級の障害がどれくらい気の毒なものであるか、よく御承知と思いますが、今、試みに、二級の障害で、誰にもわかりやすい、一、二級の例を申し上げますと、平衡機能に著しい障害があって、ふらふらして立ってはおられない、あるいはまっすぐに歩くことのできないというような者、両手の指が全部ない者、両足の指が全部ない者、一方の足を足関節の上で切断している者等でございます。このようなひどい障害者は、労働力を持たないどころか、日常生活にさえ極度の不自由を余儀なくされている、ほんとうに気の毒な人たちです。この人たちを年金の対象から除外するのであれば、一体、年金の意義がどこにあるのかと詰問したくなるのです。
社会党案では、一級から三級までを年金給付の対象とし、それぞれ月額四千円、三千円、二千円としておりますが、
政府案では、わずかに一級者が千五百円だけで、二級以下は全然相手にされておりません。まことに冷酷非道です。このような岸
政府のものの
考え方は、人道上からいっても断じて許すべきではないと思うのであります。(
拍手)
第六に、年金と生活保護との
関係について述べます。生活保護法
自体に矛盾があり、その生活費算定の基準が無法に低く、お金持階級の飼い犬の費用にも及ばぬものであることは、しばしば指摘されたところであります。
政府案を表から見ますると、確かに被保護者にも年金が給付されることになっておりますが、裏の方からのぞきますと、その年金が収入として認定されますから、
政府は最も生活力の乏しい被保護者をば年金制度から除外したことになるのでありまして、このようにして、一とたび被保護者となったが最後、一生涯この階層から足が洗えないことになってしまうのであります。ちょうど、一たび泥沼に入ったら絶対に浮かび上ることのできなかった売春婦に似通った姿を、岸
政府は貧困階層にもしいておるのであります。
政治の、貧困でなく、
政治の悪と言わなければなりません。一委員会での追及に対し、
総理並びに厚生大臣は、老齢加算等の方法で援護年金に見合う
措置をとる旨の答弁をされたのでありますが、岸首相にしばしばだまされた経験を持つわれわれは、これをすなおに信用することはなかなかできないのであります。
最後に、私は年金運営上最も重要な点について言及いたします。いよいよ拠出制年金が発足いたしますと、
国民大衆から莫大な金が城府の手元に集まって参ります。推計によりますと、その積立金の額は、
昭和四十年には二千三百三十一億、
昭和五十五年には実に一兆三千五百七十億余に上るのであります。従来この種の金は資金運用部よって運用されてきておりますし、この年金の場合も、積立金の相当部分が資金運用部にまかされることになると思われますが、私は従来の資金運用部の投融資の
やり方に大きな不満を持つものであります。資金運用部資金が郵便貯金、簡易保険、郵便年金、厚生年金等であって、そのほとんど全部が大衆の零細なふところから出たものでありますのにかかわらず、投融資の状況を見ますと、その大きな部分が独占資本家や大企業に融資され、いまだかつて
国民大衆の福利増進のために使われたことを聞きません。さらに、私の最も奇怪千万に存じますのは、委員会での質問に対する
政府の答弁中、積立金の一部を
経済変動に対し抵抗力の強い株式購入に充てるつもりであるとの
発言があったことであります。これはまことに容易ならぬ妄想であります。もし、このような莫大な資金をもって、しかも、かかる公けの金をもって株式に手を染めるようなことがかりにあったとしたら、その証券界に、あるいは財界に、さらに一般大衆投資家に及ぼす影響は、はかり知るべからざるものがあります。まことに狂気のさたと言うべきであります。このような
政府にこのような莫大な資金をまかせたら、一体何をやり出すかわかったものではないという、大きな不安と
不信とを抱かざるを得ません。言うまでもなく、大衆のふところから出された金は、大衆の幸福のために使われなくてはなりません、一部富裕階級の利益のために融資されるごときは、本末転倒もはなはだしく、断じて許すべきではないのであります。以上、私は衆議院において否決されたわが党案と比較しながら、
政府案のいかにずさんであり、いかに無責任であり、いかに非良心的であるかを指摘いたしたのであります。正しいもの、すぐれたものが認められずして、誤まれるもの、怪しげなものがはびこるこどは、
国民大衆のためにまことに嘆かわしい次第であります。(
拍手)もちろん本案といえども、かつて自民党が強行した教育二法案、あるいはスト規制法、さらに数日前、理不尽にも
中間報告をもって押し切った最低賃金法のごとき天下の悪法に比べれば、多少でも社会保障の一大支柱である
国民年金に一歩を染めた点で、恕すべき点なきにしもあらずと思いますが、たとえ衆議院において否決されたとはいえ、わが党の
国民年金法案は厳として
国民大衆のために余光を放っております。どうか良識ある
参議院の同僚諸君が、党派を越えて、真に
国民の負託にこたえる意味において、わが
社会党案に他日を期し、満場一致、
政府提案の
国民年金法案を否決されんことを切望して、反対の討論を終ります。(
拍手)
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