○平林剛君 私は、
日本社会党を代表いたしまして、ただいま
議題となりました
接収貴金属等の
処理に関する
法律案に対し、その性格と、
法律案提出の背景に幾多の疑念があることを指摘しながら、ここに断固として
反対する
理由を明らかにしようとするものであります。
この
法律案は、戦後、
連合国占領軍によって
接収された貴金属とダイヤモンドなど時価にして七百三十億円を、
接収された元の
所有者に公平適正に
返還するとの建前で
処理しようとしておるのでありますが、第一の問題は、この結果、少数の法人と個人が不当な恩恵を受けようとしている点でありまして、不公平にして不当なる
措置と言わなければなりません。今日までの審査の結果、
一般会計、
貴金属特別会計等の
接収貴金属は、一応国家に帰属することとなりますが、民間に
返還される四十六億円の貴金属、ダイヤモンドは、わずか百四十八の法人と個人百九十三のふところにころがり込むのであります。しかも、ある閉鎖機関たる法人は十二億四千五百万円、三億二千万円をこえる貴金属の
返還を受ける法人は三社、個人では、ある弁護士に一億六千万円を筆頭に、わずか十の法人と個人グループが三十億円以上、全体の七五%を占めておる驚くべき事実であります。しかるに、
戦時中、あの「ほしがりません勝つまでは」の半強制的なかけ声によりまして、「ぜいたく品の禁止」、「戦力補強の貴金属供出」に協力した多くの
国民が、涙とともにはずした金の指輪や、めがねのふち、国を愛する純真な情熱がこもる貴金属は、国家の所有となって手元に戻らないのであります。そうして、当時供出をサボッて隠匿した一部の会社や、当時非
国民と言われた一部の個人だけが、不当な恩恵を受けるのでありますから、まさに
当りまえの神経では断じて承認することのできない
法律なのであります。(
拍手)
昭和二十七年五月、この
接収貴金属の
処理をめぐって、大蔵省が発表した貴金属の品質、数量がきわめて不正確であり、第十三
国会に提出した
政府の資料と原簿との間に重大な記載漏れがあったりいたしまして、
衆議院行政監察特別委員会が
調査に乗り出した結果、幾多の疑惑と黒い影が明るみに出されましたことは、今なお多くの
国民が忘れ得ざる記憶となっておるのであります。この
法律の第二の問題は、その未解決の疑惑と悪徳に対し、終符符を打たんとする隠れたるねらいが含まれておるという点であります。
幾多の未解決の疑惑とは、すなわち、終戦の翌々日、軍需省は、三井信託の地下室において、十万六千五百カラット、時価四億八千万円のダイヤモンドを疎開するため、九つの魔法びんに詰めかえたところ、その詰めかえが間違いなくおさめられたか、後に
接収した占領軍は数量を確認しておらないという疑問であります。中央物資活用協会でも、終戦後、その保有する貴金属とダイヤモンドの没収を免れるため、埼玉県共和村の青木理事、今日では
岸内閣の国家公安
委員長、自治庁長官青木正氏の家に疎開することにいたしましたが、その事実を青木参考人みずから第十三
国会衆議院
大蔵委員会で証言をしたのに、数日後、記憶違いがあったと取り消したことにからまる疑惑であります。また、陸軍航空本部においては、終
戦時、三菱信託に保護預けしたダイヤモンドを、
昭和二十年十月引き取って、四カ月の後アメリカ軍に引き渡すまでに、現物が一部消えてしまったという事件。東京第一陸軍造兵廠では、三万カラット余のダイヤモンドを一時宮内庁に移し、後、アメリカ軍に引き渡したとき、数量は二万二千カラットに変ってしまった疑問。海軍技術研究所においては、終
戦時保管の約二万カラットのダイヤモンドを、指定商人加藤平吉の別宅、栃木県那須の鶏小屋の地下に埋めたところ、連合軍に掘り出されるまでに相当量が横流れしたということ。また
昭和十九年の秋、皇室から御下賜のダイヤモンドの中で五個の大粒ダイヤは、宮内省に
預託されておったのに、
昭和二十二年調べたときは、宮内省の金庫の中でいつのまにか消えてなくなった奇怪なる事実。権威ある行政監察特別
委員会報告書によるこれらの疑惑は、今日に至るまで、なぞに包まれておるのであります。しかるに、まことに不可解なことは、これらの事件と悪徳に対し、今日まで
政府は、責任者の死亡、混乱時における事故、過去の問題であるとして、徹底的な追及と審査を怠り、
国内で
処分を受けた者はだれもいない、世にも不思議な結末となっておるのであります。
岸内閣の経済企画庁長官世耕弘一議員の
調査要求で発足した行政監察特別
委員会も、
接収貴金属の
処理に関する要綱を決定したまま自然解消となっておる現在、今この
法律案の成立をながめて、ひそかに祝杯をあげる黒い影は一体だれとだれでありましょう。私は、かかる不明朗な
法律案は、社会正義の上からも断じて許すことはできないと思うのであります。(
拍手)
政府提案による
法律案が
接収貴金属の
処理に関する
国会の意思に違反しておることも、重大なる
反対理由の一つであります。
接収貴金属の
処理に関する
法律案が初めて議会に提出されましたのは、
昭和二十八年十二月、第十九
国会のことでありますが、
衆議院行政監察特別委員会では、
接収貴金属等の審査を行なった最終結論として五つの要綱を決定し、特別
委員長報告は本
会議において満場一致承認されたのであります。すなわち、
接収貴金属等の
処理に関する
国会の意思は、一、
接収解除ダイヤモンドの所有権は国家に帰属せしめること。一、国家の所有に帰したこれら物件は、適宜
換価処分すること。一、
換価処分による
収入金をもって特別会計を設け、その資金を
戦争犠牲者等のため支出すること。一、これが資金の支出については、
国会議員、学識経験をもって構成する
委員会を設置し、これが
審議を経て
政府機関をして執行せしめること。などでありまして、このための
法律措置を講じ、かつ、
法律によって所有権を国家に帰属させても違憲の問題は起らないと認定しておるのであります。しかるに、
政府提案の
法律案が、
接収は没収ではない、個人の所有権は尊重されると、いつのまにか
国会の意思をあざやかにすりかえたのでありまして、まことに重大なる背信行為といわなければなりません。
接収されたダイヤモンドの所有権を国家に帰属せしめることの決定を承認した第十六
国会は、その理論的
根拠を次のごとく明らかにいたしました。占領軍による
接収ダイヤ等の管理の
実情を見ると、約三十一億六千四百万円の貴金属を略奪品として認定し、一方的にイギリス、オランダ、中華民国等に
返還したことや、一部を民間に払い下げたりした行為は、占領軍が管理権以上の権利を持っていたと解さなければ
説明ができないではないか。すなわち、
接収とは、ダイヤ等の所有権を剥奪し得る
状況において物件を管理したと解すべきである。特に、混合により、だれの所有権かわからないものは、結果として連合国の所有に帰属し、
接収解除によって日本の
国庫に
返還したと見ることができる、との解釈に立っておるのであります。
接収は没収ではないとの
政府理論は、単に
国会の意思に反するばかりか、一部グループの利権を擁護する幻惑的魔術であると思うのであります。
政府の見解が何らかの
理由によってゆがめられておることは、占領軍が
貴金属等を
接収した経緯によっても明らかでありまして、当時の事情を調べますと、
連合国占領軍は、
接収貴金属を賠償に充てるため、これを没収したと解せられるのであります。すなわち、一九四七年七月、対日貿易十六原則に関する極東
委員会の決定は、「金、銀その他の貴金属及び貴石、宝石のストックで、明らかに日本の所有と立証されるものは、終局的には賠償物件として
処理すべきものである」と、賠償に充当する意思を表明しているのでありまして、もし、かりに、
昭和二十七年四月、
接収が解除されるまでに、占領軍が賠償引当貴金属として
処理しておったならば、今日の
法律はあり得なかった道理になるではありませんか。
たとえ、
法律による私有権を尊重せよと、その補償と
返還を迫るものがありましても、敗戦の結果、多くの
日本国民が失ったものは、ただ金、銀、ダイヤモンドだけではないのであります。貴金属などは持ったことがなく、ダイヤ等に縁のない
国民大衆は、赤紙一枚で戦場にかり出され、家の柱とも、金とも、ダイヤとも、かけがえのない父や夫を、中国大陸に、南太平洋に失っているのであります。戦後十四年、頼みの肉親を失って、
生活の苦悩にあえぎ、今なお、涙もかわかぬ遺家族は、この
法律に何を思うでありましょうか。持てる階層たる一部の会社や個人に対し
接収貴金属を返す
法律が正当であれば、失われた家族を返す
法律を
提案せよと
政府に迫らざるを得ないのであります。確かにその後、
接収解除がありまして、日本
政府に対する貴金属移管の覚書が
通告されたことは事実でありましょう。しかし、何ゆえ占領軍は、初め賠償に充てるとの対日
政策を変更したのでありましょうか。この点を冷静に判断いたしますと、おのずからその帰結は明らかになると思うのであります。
政府は、占領軍が、「敵
国内といえども私有財産は没収し得ない」とのへーグ陸戦規則に従って
接収解除があったと、独断的な解釈をいたしているのでありますが、当時、占領軍は、わが国が無条件降伏というポツダム宣言を採用できる立場にあったことを忘れているのではありますまいか。
接収貴金属の
返還措置は、その後における日本の賠償の進展、占領費の支払い、その他全般の対日
関係を考慮して行われたもので、言わば、
日本国民が今日までに履行した三千五百億円以上の賠償と、五千億円をこえる占領費負担の代償と解することが正当であると思うのであります。すべての
接収貴金属の
返還はこの犠牲の結果でありますから、これを国家に帰属せしめて、
戦争犠牲者や社会保障に使うべきであるとの見解は、
日本社会党の一貫した主張であり、
国民大衆の当然の権利と理論であります。
私どもは、今日まで
大蔵委員会の
審議を通じて、
法律案の性格とその背景を追究し、
法律案の矛盾を指摘して参りました。すなわち、交易営団、物資活用協会など、民間団体所有の
接収貴金属は、これを国家の所有としながら、なぜ同じ民間法人と個人グループだけの所有権を認めようとするのか。特に、わずか一千万円の資本金である閉鎖機関たる法人会社が十二億四千五百万円の貴金属の
返還を受ける背景には、何か隠れたる工作があるのではないか。日銀倉庫の奥深く、混合溶解して、だれの所有かわからない不特定物を、どうしてだれのものと区分できるのか。
政府は、
法律によって適宜按分して
処理するとしておりますが、これは、
法律を作れば太陽も西から上らせることができると同じ思想と、多数横暴の政治ではないか。
政府与党は、最後の瞬間におきまして、
法律の一部を
修正して、
納付金一割を二割にすること、附帯決議をもって、その一部を
戦争犠牲者等のため支出することに応じて参りました。
法律案が第十六
国会の意思に違反しておること、その背景に幾多の疑惑があったことに対し、また、
国民感情をやわらげるため、せめてもの罪滅ぼしと感じたのでありましょう。その反省に対し、私個人敬意を表するといたしましても、本質的誤
まりは何ら是正されない、言いわけのような
修正と附帯決議にすぎないのであります。
政府与党は、
委員会審議において、しばしば、この
法律案は全く運の悪い
法律案だと漏らしたこともありました。確かに第十九
国会以来五年間、すでに四回にわたって
審議未了、廃案となりまして、議会を通過することに難渋したのでありますが、この最大の
理由は、
法律案と汚職の疑いがあったからであります。今日、幾多の疑問を残したまま多数決で成立いたしましても、これを多くの
国民が知るに至りまして、おそらく、一部の
修正や附帯決議で、
法律案に対する鋭い批判と憤激を押えることはできないと思うのであります。
岸内閣は、今、賠償汚職の疑いや、グラマン問題をめぐる疑惑、その他金権政治の批判を浴びて、
国民の信頼を失いつつあることは、御
承知の通りであります。そこに、
接収貴金属の
処理をめぐって、その立場は違っても、因縁の浅からぬ世耕企画庁長官、
青木自治庁長官を閣僚に加えた舞台装置もよろしく、私に言わせると、悪運の強い
法律案がまかり通るのは、現在、地方選挙や参議院選挙を目前に控えておるだけに、
国民もまた異常なる関心を寄せるでありましょう。
政府が、いかに
政府所有の貴金属を日銀倉庫深く死蔵するのは経済的損失だと宣伝いたしましても、民間に
返還する四十六億円と抱き合せで議会通過を策した執拗な
態度は、何としても理解しがたいのであります。「自粛すべし、
岸内閣、おそるべし、
国民の素朴なる声」であります。
私は、
政府与党の心ある議員の政治的良心に訴えまして、
政府原案の
法律案を深く再検討して善処せられんことを最後に強調し、
反対討論を終るものであります。(
拍手)