○柴谷要君 私は
日本社会党を代表して、
総理の施政
演説に関し、労働問題を主として、ほか二、三の問題につき、
総理及び
関係大臣に
質問をいたすものであります。
今日、
国民の間には深刻な将来への不安がみなぎっております。その原因は、第一に、低賃金で高い利潤の蓄積を行なってきた
日本の
経済が、昨年以来の
不況で行き詰まりを示したことにあるのであります。第二に、
国民の不満を押えつけるため、民主
政治を弊履のごとく捨て、反動
政治を進めていることにあります。その象徴は、
警職法であり、また、勤務評定に見られるごとく、権力による教育への不当な干渉であります。第三には、
政府の労働組合弾圧対策であります。その現われは、ILO条約を依然として批准しない態度に明確に現われているのであります。第四に、
私鉄運賃値上げに見られるごとく、
消費物価値上げによる
国民生活の不安であります。第五に、膨大な低額
所得者、
生活困窮者に対する、
政府の依然たる
無為無策であります。すなわち、戦後における医療と公衆衛生の進歩が、死亡率の激減と平均寿命の伸長をもたらし、他面において
生産年令人口の急増と老齢人口の漸増を招来しておるのであります。低
所得層の増大と雇用の依然たる
停滞と相待って、まさに民族の危機が迫っていると申しても決して過言ではないのであります。しかも、この傾向がとりわけ若い世代に著しくおおいかぶさっているところに、問題の深刻さがはっきりと浮び上っていると思うのであります。青少年の自殺率が世界第一位を占めている事実を顧みますときに、
日本のあすの姿の困難をしみじみと予感させるものがあります。もし、
政府が無為にしてこのまま過ごすならば、われわれ民族の将来はまことに暗たんたるものがあるのであります。
わが国土には、わが民族の長い世代をかけた生命の流れが脈々と続いております。われわれは、その民族の理性と英知を結集し、この困難を打開しなければならないと思うのであります。今日の
不況下における、
日本の、暗い、じめじめした進路を
転換する必要に迫られているのであります。
岸総理は、果して、かかる問題の
根本的解決への意欲があるのかどうか、
国民の不安を解消する政見があるのか、お伺いをいたしたいのであります。
独占
資本と
保守党政府は、今日まで
資本の蓄積と合理化を進め、
経済を
成長させることによって、そのうちに雇用がふえ、
国民生活が向上すると約束したのであります。しかしながら、
保守党政府の約束は一片のほごとして葬り去られ、実現したことがないのであります。先日、
労働者と対立的立場にある日経連から発表された、
わが国労働
経済の、現況の賃金問題の中でさえも、このことをはっきりと示しておるのであります。すなわち、三十二年五月の
金融引き締めを転機に、賃金の
上昇かげんは三%と弱り、特に定期給与は七月をピークとして横ばいとなっているのであります。さらに、実質賃金指数で見ますならば、三十三年一月より八月までの平均は、三十一
年度平均あるいは三十二
年度平均よりも下っているということを明らかにいたしておるのであります。他方では
生産性は七割
上昇したということであります。また、
投資過剰のため、
日本経済は三割の操短を実施している現状であります。このことは、
労働者の搾取が進み、利潤の蓄積が
労働者の犠牲においてなされていることは明らかであります。(
拍手)
大
資本は、
不況下においてさえも三千億の利潤をあげたといわれておるのであります。これに対し、鐘紡や日東紡は、賃下げや定期昇給のストップがなされ、
日本水素で賃下げが行われ、石原産業で下請
労働者の賃下げが行われ、日産化学では福利厚生
関係費の引き下げなど、たくさんの賃金低下が起っているのであります。
不況のしわ寄せは、特に弱い層にひどく現われているのでありまして、三十三
年度の
経済白書ですら、名目賃金が
上昇しなかった
労働者も多数あったことと推定しているのであります。そのうち、低賃金層においては、食糧、光熱費等の
生活必需品の価格が一そう大きく騰貴したことにより、実質賃金も低下したと述べざるを得なかったのであります。このように、
不況のしわ寄せを
労働者に押しつける一方、
資本家は、賃上げの定期昇給へのすりかえ、職務給の導入などによって、賃金闘争を排除し、賃金決定の一切の権利を
資本の手中におさめ、
資本経営権を固め、職制による
労働者支配を一そう強めようとしているのであります。かかる
日本経済の現状と
労働者の低賃金という
状態の中で、日経連は、
輸出第一主義をその
基本方針として発表したのであります。この道は、か
つて日本の
資本主義がいつか来た道ではなかったでありましょうか。
日本においては、
国民生活の安定と向上は、憲法に規定された、健康で明るい文化
生活を作り上げることこそ第一のものであり、今日直ちに取りかからなければならぬ仕事であります。(「そうだ」と呼ぶ者あり、
拍手)今日、
資本主義は、全体的に技術革新の時代に入っております。これは、過剰
投資と過剰
生産から抜け出す道は、雇用の増大と
購買力の増強によるほかはないと思うのであります。従いまして、
政府は、
日本経済を
発展させる見地からも、また、
労働者に健康で明るい
生活を享受させる見地からも、今春一斉に行われる
労働者の賃上げ要求を認め、それを援助し、
国民生活に対する不安を除き、明るい希望を持たせるお考えをお持ちになっておられるか、
総理にお伺いをいたしたいのであります。
第二に、
政府の反動的な
政治に反省を求めたいのであります。地方教育委員会が公選制から任命制へと移り、文部大臣の承認を得た教育長が置かれ、教育に対する
政府統制の一里塚が築かれて以来、教育における逆コースは、あらしのように
日本全土をおおっております。さらに
政府は、教員に対し勤務評定を実施することによって、教育の中央集権化をはかり、戦前、
日本が苦杯をなめた、国家権力による、国家目的としての教育支配をたくらんだのであります。われわれは、このような勤務評定を実施することは、教師の自発的創造的な教育の熱意を冷却せしめ、はたまた、反動教育を助長し、戦後
日本に育った民主教育を根底から破壊するという見地に立って、勤務評定に反対をし、その撤廃を
政府に要求してきたのであります。頑迷な
政府は、われらの言に耳を傾けず、全国各地において警官隊を動員し、その強行をはかったのであります。警官に囲まれ、権力に包囲された中において実施された勤務評定が、果して民主的教育の根幹でありましょうか。権力に裏打ちされた今日の
岸内閣の教育行政は、まさに大東亜共栄圏、すなわち戦前の教育行政の姿であります。このときに
当り、神奈川県教育委員会と教員組合が自主的に勤務評定について話し合い、一つの
結論を出したことは、高く評価されなければならないと思うのであります。にもかかわらず、文部省が神奈川県にみられる勤評の方式を認めず、あくまで勤務評定を中央集権の道具にすべく圧力を加えていることは、教育に対する
政治干渉であり、直ちに手を引いて、教育に従事する神奈川住民の自主的決定にまかすべきであると考えるが、これに対する
見解を伺いたいのであります。
さらに、今回の文教
予算をとってみれば、日教組弾圧対策のための
予算だけは思い切り増額されていることが特徴的であります。すなわち、日教組と第一線で折衝する地方教育委員会の教育長の待遇を改善するための給与費補助金が今年より新たに計上され、教育長を完全に
政府の手に握ろうとしていることは、見のがすことのできない事実であります。また、教職員の勤務評定の強行に伴い、論功行賞として校長に対する管理職手当の増額を行なったり、さらに、小中学校長を海外旅行させるための補助金制度などを新設していることも、
政府の狡猾な日教組弾圧対策であります。加えて、戦前の視学を拡充し、あるいは修身科復活を意味する道徳教育の実施などのために、三十三
年度の
予算の数倍の費用を考えていることは、
政府の反動的な意図を明らかに物語っているものであります。民主的な教育が行われているといわれるイギリスでは、教育は、本来、民間の、あるいは自発的な仕事であると考え、そのため長い間、国家は教育には一ペニーの金も出さず、一方何らの干渉も加えないで来ておるのでありまして、一九四四年の教育法によって初めて文部大臣ができ、確かに中央集権の色彩を強めたけれども、中央集権の意味と度合いは、とうてい
わが国と同日に論ずべきものではないのであります。集権は主として教育財政とか教育施設とかに行われ、教育
内容とか方法とかには全くの無干渉なのであります。この際、
政府の猛省を促したいと思うのであります。
第三に、
政府の労働組合運動に対する認識の程度を問題にしたいのであります。労働組合の
諸君が
政府機関に対する陳情請願に参りますと、必らずといってよいほど警察官の動員があるのであります。労働組合と
経営者との正当な争議にさえも警察官がかけつける。組合運動のあるところ警察官ありというのが、
日本の労働組合運動の常識となっているのであります。これこそ、
政府の労働運動に対する認識の程度を示すものでありまして、労働組合運動に対する弾圧
政策の赤裸々な表現であります。(
拍手)このような
政府の態度がいかに国際的な不信を買っているか、深く反省する必要があるのであります。
世界に醜態をさらけ出したのはILO条約批准に対する
政府の
方針であります。ジュネーブにおいて開かれたILO条約理事会並びに結社の自由委員会は、
日本に関する件を審議し、全逓、国鉄等の団体交渉再開等をめぐる係争中の公共
企業体及び国営
企業における労働組合役員の解雇問題について、「解雇された役員を再選した労働組合は違法であるとする
日本政府の態度は、結社の自由の、最も必要な、本質的な権利そのものに介入するものである」と勧告したのであります。このことは、労働
関係に幾多の不評と糾弾を受けてきた
日本政府が、今日再び国際社会で重大な警告を与えられたことを意味するものであります。
〔副
議長退席、
議長着席〕
このような世界注視の中で、
政府与党の一部には、現在の
方針を変える必要はないと言明してみたり、あるいはまた、全逓労働組合の解雇三役を代えない限り、ILO第八十七号条約は批准できないという態度を堅持していることは、世界の侮べつの的になることは明らかでありましょう。
政府は、労働問題懇談会の
結論を尊重し、それを待って、ということを、再三にわたり披瀝してきたのでありまするが、去る一月十九日提案された石井照久委員の草案によれば、形式的にILO条約条文に違反する公労法四条三項を削除することを草案に盛ったのみで、
内容的には四条三項の
内容も保持し、刑罰規定、
関係法親の強化を行わせるような提案を行っているのであります。批准後も実質的に批准前と同様な
状態に置くという毒素が含まれているのであります。このようなごまかしの態度は、すなわち、条約批准を国際的な不評判の中で行わざるを得なくなり、そして実質上は批准前の
状態と何ら変りのない
状態に置こうとするものであり。条約批准に対する冒涜ではないでありましょうか。この態度は、同じくILOの強制労働禁止の条約が提示されました際に、
日本政府が、「非合法の争議行為に従事した者に刑事罰を加えてよい」という、強制労働禁止の除外例の修正案を提案して、国際的な不興を買い、全員の反対にあって否決されるという醜態を思い出させるのであります。
わが国の国際信用を高める上にも、ぜひとも必要な批准の手続を
政府は直ちにとり、その精神に沿った
国内法規の改正を正しく行うべきであると思うが、労働大臣の御所見を伺いたいのであります。
第四に、われわれの
生活と密接な
関係にある
私鉄運賃値上げについてお伺いをいたしたいのであります。各社の営業報告書を調べますと、いずれも総収入は毎年五%—一〇%程度
増加していることが明らかであります。この間、卸売物価はおおむね横ばいの
状態を示しているのでありまして、各社の利益は逐年
増加しているところであります。こうした利益は、減価償却費、退職給与引当金、価格変動準備金、修繕費などの中に操作をされ、社内蓄積となっているのであります。また、
経済活動の必然的な運命である独占への強化と、利潤をより一そう求める
資本活動の要求によって、百貨店その他の傍系
投資は年々
拡大し、ほぼ
資本金と同額程度にまで
発展しているのであります。こう見て参りますと、
設備投資拡張改善のための設備資金は、現に毎期、社内から大幅に発生をしているのであります。また、融資信用力も大きいと考えられますので、運賃
値上げを行わなくとも、このように、資金調達は十分なはずでありまして、私鉄大手各社とも、高い収入と社内蓄積の手前、運賃
値上げの理由に赤字といういわゆる殺し文句を使用することができなかったのは、その
値上げ申請のための理由書にも明らかなところであります。それを、あえて
私鉄運賃値上げに踏み切った
政府の
見解を明らかにしていただきたいのであります。また、輸送力増強という設備改善理由を、
値上げの理由にいたしておりまするが、設備費を一般利用者に負担させることは、きわめて不当なことといわなければなりません。運賃のみならず、電気料金、ガス料金等は、
国民大衆の
生活に直接重大な影響を与えるものであります。そもそも今日の
経済政策こそ低物価
政策が緊要と思考いたしますのに、その基幹ともいうべき
私鉄運賃の
値上げは、われわれの絶対に承認しがたいところであります。今後、運賃を初め独占的公共事業における料金の最終的決定こそ、
国民の代表
機関である
国会の議決を要するよう、制度的改正の措置をとるよう要求するとともに、
政府の
見解を伺いたいのであります。
最後に、
生活の日蔭に埋もれた人々への
政府の救済対策を要求するものであります。昨年二月、
総理府が行なった
国民生活に関する世論
調査によれば、自分の
生活の現状について大体満足しているという者は、全体のわずか一六%で、満足といえない者は八二%を占めているのであります。この八二%は、全部
経済的貧困によると言っては言い過ぎであろうが、少くともその相当部分は該当するはずであります。厚生白書によれば、低い消費階層世帯は二百四十万世帯、そのうち被
保護人員は百六十五万人と述べられているのであります。これらの
生活困窮者に対して、
政府はいかなる救済措置をとっているのか。
生活保護制度は、これらの人々に対し、最低限度の
生活を保障するものであるが、その
保護基準は、実に情ないスズメの涙ほどの援助額であります。
保護基準について、
生活保護法第三条には、「健康で文化的な
生活水準を維持することができる」
保護額と規定されているのであります。