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大川光三君 それでは、私より、
派遣委員を代表して御報告を申し上げます。
昨年十二月二十三日から二十六日までの四日間、北村暢
委員及び私、
大川委員が
派遣委員と相なりまして、久保
調査主事を伴い、検察及び
裁判の
運営等に関する
調査の一環として、高知県高岡郡仁淀村森
地区における日教組小林
委員長等に対する集団暴行
事件について、
事件の概要、発生
原因、経緯、
状況、
事件発生前における森
地区の勤評闘争の
状況及び民心の動向、
事件発生前における現地の警察並びに検察庁の活動
状況等につき、主として人権擁護の立場から
調査して参りました。
まず、本
事件の
調査に当って、
実情を聴取した
関係者を申し上げますると、高知県知事、高知県警察本部長、佐川警察署長、高知県教育
委員会教育長高知地方検察庁次席
検事、高知地方法務
局長、高知県教
職員組合
委員長、仁淀村長、仁淀村教育
委員会教育長、仁淀村議会教育対策
委員会委員、現地駐在巡査、父母会代表、非盟休側父母代表、森小学校長及び同校教
職員等であります。
以下、
調査事項について順次御
説明申し上げますが、時間の
関係もございまするので、なるべく簡単に申し述べまして、具体的な事実
関係等に関する詳細は、必要に応じて御
説明申し上げることにいたします。
まず第一に、
事件の概要を
説明いたします。
昭和三十三年十二月十五日午後四時ごろ、小林日教組
委員長、東元県教組
委員長、和田情宣部長の一行は高知を出発し、午後七時ごろより仁淀高校階下柔道室に
おいて、吾川村、仁淀村両村の小中学校の教諭、父兄約四十数名を交えて、仁淀村森
地区における勤評闘争に関し、小林
委員長をかこむ懇談会を開きました。が、間もなく父母会会員が徐々に仁淀高校に押しかけ、険悪な空気が認められたので、右懇談会も午後七時三十分ごろ、会場を二階に移しました。午後八時十分ないし三十分ごろ、父母会会員数十名が会場前の廊下に集まりまして、中越会長を先頭に、五名が無断で懇談会場に侵入し、小林
委員長に対して懇談会の傍聴を要求いたしましたが、会合の性質上傍聴は許せないといってこれを断わったため、さらに中越会長は話し合いの場を持ちたいと申し込み、一方子供を守る会━━これは非盟休組の父兄会であります━━の五藤義高氏から、子供を守る会と父母会との代表者間で話し合いたいとの提案がなされましたが、これは不調に終り、これがため、父母会会員の興奮
状態はますます強くなり、そのうちに何者かが電灯のスイッチの点滅を始めるとともに、午後十時四十分ごろより袋入り石灰、椅子、火鉢、ミシン等を懇談会場へ投げ出したり、廊下に備付の消火器の消火液を浴びせたり、棒で殴打する等により、小林
委員長ほか約三十名に対し、暴行、あるいは傷害を加え、また窓ガラス、洋服だんす、火鉢などに損害を与える一方、矢野森小学校校長を別室に連れ出し、強制的に辞表を父母会会長あてに書かしめた後、午後十一時三十分ごろ引き上げていきました。一方、十二月十六日午前零時過ぎ、森小学校に押しかけた十数名の者が
職員室に侵入し、宿直勤務の同校中内教諭の腕をつかんで廊下に引き出し、廊下及び校庭に
おいて殴打し、もって全治二週間の傷害を与えたのであります。
以上が本
事件の概要であります。
次に、
事件発生
原因について申し上げます。元来
事件の因果
関係なるものは複雑かつ交錯的なものがありまして、何をもって決定的
事件発生
原因なりとなすべきかは容易に判定することができないと考えまするので、
調査の資料、
関係者の
意見等に基いて、発生
原因とおぼしきものを列挙して
委員各位の御参考に供したいと思います。
(一) 仁淀村は高知県下でもはなはだしい僻地にあり、村民は純朴である反面、旧弊なところがあり、時代の変転に対する適応性に乏しく、従って現代思潮の理解に欠けた点があること。
(二) 勤評問題の本質の理解の点に
おいて、
地元教員側、父兄側ともに
見解を異にしたため、お互いに感情闘争に走り、妥協の道が見出せなかったこと。
(三) 森
地区が(一)に
おいて述べましたように、封建的思想の強いところであるにもかかわらず、オルグ活動が行われたため、ことさらに
住民を刺激する結果となったこと。
(四) 六月二十八日、校長と父兄側との間に「今後闘争のため児童を犠牲にしない」との協定が結ばれたにもかかわらず、昨年十月二十八日の闘争によって教員側が一方的にこれを破棄したことが父兄側の憤激を買い、父母会結成の因をなしたこと。
(五)
事件当日の小林
委員長来村を総評の勤評対策本部設置の下準備と憶測したり、あとからオルグ団がトラックでたくさん来るとの流言飛語が行われたこと。
(六) 当日は隣部落の神祭で飲酒した者が多かったこと、等であります。
次に、
事件発生前における森
地区の勤評闘争の
状況について申し上げます。
高知県教組は、勤評反対の目的を達するため、現在までに十次にわたる休暇闘争を行なってきておりますが、森小学校に
おいても、六月二十六日以後十月二十八日までの間に五回にわたり一斉休暇を行なっております。これに対して、同小学校の校下民は、そのつど学校
当局に対し、一斉休暇を思いとどまるよう懇願してきましたが、聞き入れられなかったので、父兄側に
おいては、勤評反対のため団体行動をとっている教員たちから児童が教育を受けることを拒否するために、十月二十九日児童の盟休を実施し、次いで同月三十一日校下民約七百名をもって父母会を結成し、別途に授業の方法を講ずることとし、同日村教委に校舎の借り入れを申し入れましたが、村教委は、学校校舎の管理権は校長にある旨を回答したので、父母会側は十一月五日校長に対し校舎借り入れの申し入れをしたが、拒絶されたため、再び村教委に申し込んだ結果、村教委に
おいては、一時の手段として、校舎の一部に父母会側の子弟を収容するようにとの通達を出しました。翌六日、七日登校を阻止された同校教員は、七日夜高知市へおもむき、高知県教育
委員会あっせんの
もとに、村教育
委員会と話し合いをいたしました結果、(一)同盟休校の長期化は違法である。(二)正常登校の児童を阻止することは不法である。(三)教師の登校を阻止することは不法である。(四)学校を占拠することは不法である。(五)学校の管理権は校長にある。(六)臨時の者を雇い入れて自習の管理をすることは法的に見て不法であり、何らの効力を持たない。という六項目を双方が承認いたしました。次いで、同月十一日、学校側と村教育
委員会との間で話し合いがなされましたが、
結論を得るに至らずして散会し、翌十二日、村教育
委員会は独自の考えで、学校管理権は村教育
委員会にあることを決議し、西校舎の管理権を校長に委任することにしたので、
一つの学校に
おいて、非盟休児童は西校舎、盟休児童は東校舎と二組に分れ、変則的
状態のまま
事件当日を迎えたのであります。
次に、
事件発生前後における警察の活動
状況について申し上げます。なお、以下警察の活動
状況についての報告は、高知県警察本部の報告を基礎にいたしております。
昨年十月二十八日の休暇闘争及び同月二十九日の盟休突入以来両者の対立は激化し、十一月五日から十一月二十三日までの間に八回にわたって警察官を現地に出動させ、闘争による混乱の予防鎮圧に努めましたが、その警察官の延べ数は四百六十四名に及んでおり、父母会側に
おいて暴行傷害の被疑者として書類送庁された件数は十三件に上っております。しかし、十一月二十四日以後、オルグ団の派遣中止以降は特別の事案もなく、変則的
状態ではあるが、一応村内は平静であり、警備上憂慮すべき事態の発生は見られなかった模様であります。
かくて、十二月十五日
事件当日午後二時四十分ごろ、小林日教組
委員長、東元県教組
委員長が県警察本部を訪れ、教組の県教委に対するカン詰
事件についての教組幹部の逮捕について、釈放方を要求いたしました。その際、「今明日中に森
地区へ行くかもしれない」との発言があったが、別に警備は求めていなかった旨、土居秘書室長が了承しております。県警本部としては、小林
委員長等一行が十二月十五日午後四時ごろ高知を出発して森
地区に向つたとの情報を得たので、直ちに所轄警察署を通じて、現地駐在巡査、すなわち名野川は山中巡査、別府は飯尾巡査に対し、その旨を通知しました。
以下、
事件発生前後における警察側の具体的行動について、その概略を申し上げますると、別府駐在所の飯尾巡査は、同日午後六時二十分ごろ、仁淀高校正門前で乗用車から三名の者が下車し、教員宿舎に入るのを見届けた後、午後七後ごろ別府駐在所へ帰り、午後九時三十分ごろ山中、飯尾両巡査は仁淀高校に警らに出向き、二階教室で会合が行われているのを認めた後、両者は別れて警戒に当りました。間もなく飯尾巡査は、
地元民から仁淀高校前に置いてある乗用車のタイヤの空気が抜かれている旨の届出を受けたので、これが
調査に当りました。その後飯尾巡査は、仁淀高校の会合に出席していた婦人六名を森
地区まで送るため一緒に仁淀高校を出発し、午後十時四十分ごろ駐在所に帰所したが、飯尾巡査は、妻から、仁淀中学の中平教諭から
状況報告があったことを聞き、直ちに本署、佐川署に
状況を報告した後、仁淀高校に向け出発したのでありますが、途中妻からの連絡で、森小学校の中内教諭から身の危険を感ずるからすぐ来てくれとの電話連絡があった旨を聞き、行く先を
変更して森小学校に向ったのであります。一方山中巡査は、午後十時ごろ腹痛のため名野川駐在所へ帰所につきました。午後十時十分ごろ、名野川駐在所へ
地元民から、仁淀高校への救援依頼があったので、山中巡査はこの旨を午後十時三十五分ごろ本署へ報告するとともに、午後十時四十分ごろ名野川駐在所を出発、森
地区へ向いました。そして午後十一時ごろ山中巡査は森小学校を警戒中の飯尾巡査と合流し警戒に当り、午後十一時四十分ごろ両巡査は森小学校の警戒をとき、別府駐在所へ引き揚げたのであります。
一方、午後十時三十五分ごろ佐川署では、仁淀中学の中平教諭から救援依頼を受理し、直ちにその準備をして、午後十一時ごろ岡林警部補以下六名を佐川署から出発させるとともに、県警本部へ報告をなし、午後十一時五十分ごろ本署、佐川署から両巡査に対し行動を共にするよう電話連絡をなしました。十六日午前零時三十分ごろ岡林警部補等一行は両巡査を共にジープに同乗させて仁淀高校に到着し、
事件の処理に着手しました。午前零時五十分ごろ
事件の発生と被害
状況を本署、佐川署へ報告し、本署では
事件の概要を県警本部へ報告するとともに、午前一時ごろ西山次長以下十一名が出発し、午前二時三十分ごろ現地に到着いたしました。県警本部では直ちに刑事部長、警備課長等を現地に派遣し、午前三時ごろ現場に到着、特別捜査本部を
開設いたしました。なお、本
事件については暴行
事件容疑者として十二月二十四日現在六名を検挙しております。
以上警察の行動を総合的に検討いたしてみまするのに、現地の山中、飯尾両巡査の行動には時間的に見て多少の疑問がありますが、佐川署と仁淀高校との距離は、自動車で一時間二十分の行程であり、佐川署に
おいて救援依頼を受けてから現場到着までの所要時間等については大むね妥当であると思われ、この間ことさらに遅滞ありとすることはできないと考えます。また従来日教組は、高知県教委カン詰
事件についても警察の出動を常に非難し、現場の警戒に当った警察官はしばしば組合員によって不当干渉なりとしてつるし上げにあった事実もあり、県教委側等の警備要請には常に消極的になりながら、日教組側の警備については、要請をまたずしてあらかじめ警備をつけるというわけにはいかないと、県警本部は
説明いたしておりました。また
事件当時小林
委員長に同行した東元県教組
委員長は、
地元の情勢については十分理解いたしているはずであり、従いまして
事件の発生は、被害者側に
おいては全く予見し得なかったところであります。
次に、検察庁
関係について申し上げます。高知地方検察庁十二月二十四日現在の報告によりますと、十二月十六日午前二時半ごろ、当庁次席
検事に対し警察より
事件発生の報告があり、さらに午前五時半頃概要報告があったので、ただちに次席
検事を現場に派遣するとともに、当庁須崎支部
検察官を現場におもむかしめ、翌十七日には
検事正を、十八、二十一の両日には次席
検事を現場に派遣する等、また二十二日には
検事正みずから現地に出張して直接捜査の指揮に当りました。なお二十三日勾留状の発せられた被疑者六名については、現在取調べ中であります。
次に、高知地方法務局の人権思想のPRについて申し上げます。高知地方法務局に
おいては、仁淀村における勤評闘争の激化に伴い、十二月四、五の両日には今井人権擁護課長を現地に派遣して
実情を
調査するとともに、マイクを通じて数回にわたり、十二月十日が人権デーでもあり、お互いに暴力行為による不祥事を起さないよう努力するよう呼びかける一方、村長、助役に対しても口頭をもって不祥事の起らぬよう万全の
措置をとるよう強く
要望しております。なお十二月十五日の
事件については直ちに
調査に当っていますが、いまだ
結論を出すには至っていないとのことであります。
以上で私の報告を終ります。