○吉江勝保君 だいぶ長いこと社会党の諸兄の御所論を聞いておりまして、ようやく順番が回って参りましたので、関連をいたしまして少しく質問をいたしたいと思います。
私も
坂本議員の御発言にありましたように、いかなる
理由があろうとも、暴力行為に及びまするようなことは絶対これは避けなければいけない、こういう
立場に立っておりまするので、高知県におきまする、
小林委員長が
被害を受けられたということに対しましては、深甚な、何と申しますか、遺憾の意を表し、また御同情申し上げるのでありますが、しかし、そのことに関しまして、先ほど、その原因がどこにあったか、父母の会というものがあたかも暴力団であるかのごとくに御発言がありましたので、少しく私の見ておりまするこの高知県の実情というものにつきまして、意見を申し上げまして、文部当局の御答弁をわずらわしたいと存じます。
この自由文教人連盟、あるいは父母の会というものが、森地区の学校の問題に関しまして、こういう事件を引き起しているのでありますが、事件を引き起しました者もやはり限度がありまして、暴力行為に及びますることは、私は絶対に反対でございます。しかし、その暴力行為に、どうして、純真なこういう高知県の、ことに山村とか、純真な地帯における校下の人たちが、こういう挙に出たかということについて、そういう面の
説明が少しく足りないのではないか。あたかも、やりました者が、全くこれは悪いのでありまするが、突然に暴力行為をやったような、天下に誤解を生みますと、やはり真相というものを誤まりますので、その点につきまして私の承知しておりますることを少しく申し上げまして、文部当局の御所見をお伺いいたしたいと思います。
先ほどちょっと話がありましたが、高知県におきましては、ことしの六月の二十六日に高知県教組の指令によりまして、県下の小
中学校の
教員が終日の教壇放棄をやったのであります。これは高知県の
教育界にとりまして初めてのことで、全県民が、全村民が、町民が、驚愕、混乱のどん底に陥ったのであります。この驚愕の結果が、いろいろなところに波紋を巻き起しておるのでありまして、これは
坂本議員も
調査に行かれましたが、檮原村西ノ川
小学校におきましても、あの愛媛県境における博原村の学校が、僻村でありまするが、先生方を神様のように尊敬をいたしておったのであります。ところが、この先生方が六月二十六日の一斉教壇放棄ということを行おうといたしますときに、この村民が泣いてすがって、この先生方に、授業放棄だけはやらないでくれということを頼んだのでございます。ところが、当日、六月二十六日が参りますというと、先生方は、高知県から回されました、教組の本部から回されましたパスに乗りまして、村人たちがすがりまするその手を振り切って、
教員がバスに乗って、一斉に教壇放棄をやったのであります。
そこで村の人たちは、今まで信頼をしておっただけに、先生方に対する、今度はふんまんが爆発をしてきたのであります。これは、先ほども
文部大臣が信頼の問題を御発言になっておりましたが、今まで絶対信頼をしておりました先生に対しまして、村の人たちが信頼を失うどころか、逆にふんまんの念に燃えてしまう。ついにこの前の臨時国会におきまして、
坂本議員が、
教員住宅のくぎづけ事件というようなものを取り上げられましたが、ああいうふうに村民がついにかかって
教員の住宅をくぎづけにしてしまった。
教員にもう住宅を使ってくれるなというような挙にさえ出たのであります。しかもそれは決して、他の
団体でありまするとか、他の
指導者がこれを扇動したのでもなければ、全く純真な村民が裏切られた、しかも、そういう先生は、
自分の村にもう帰ってもらわなくてもいいというような気持から、ああいう挙に出たのでありまして、これは
坂本議員も御
調査になりましたが、私参りまして
調査をしましたときには、学校の十二名の先生方にも全部会いましたし、あるいは地教委の人たち、
関係の人たちにも会いましたが、特に村の百数十名の人全員に会いまして、その気持を聞いたのであります。その人たちの気持というものは、全く先生方の信頼を裏切ったことに対する不満というものが強いのであります。それの解決までは、
自分らの子供を学校に上げることは拒否するということを申したのでありますが、私はいかなることがありましても、同盟休校というような挙に出ることは避けるべきだと言ってなだめたのでありまするが、なかなか聞かずに、ついに半月ほどの同盟休校になったのでありまするが、そういうような事態が高知県におきまして起って参りまして、それがまず六月の二十六日の事件でありまするが、この森地区におきましても、同じことが六月の二十六日に起りましたので、そこで村の人たちが、西ノ川の問題を申しましたが、これも同じように村民が大会を開きまして、
教員に対しまして、以後教壇放棄をしないでくれ、こういう強い要望書を出しましたのです。これに対しまして、森地区の学校の先生方が、再びこういうような行動をとらないということを確約をいたしておるのであります。父母の会もこれで納得を得まして、問題がおさまっておるのであります。ところが、その後七月の十八日、九月の十五日、あるいは十月の十四日、こういう際には半日以下の休暇闘争をやっております。しかし、この休暇闘争におきましては、実際上
教育にあまり支障がなかったものとして黙過しておったのでありまするが、しかし、校下の人たち、父兄の人たちは、非常に不満の感情を持っておったのであります。ところが、いよいよ今度は十月の二十八日になりまして、また前述の休暇を
実施する、教壇放棄をやるというような情勢が迫って来ましたので、そこで二十七日に再び六月の二十六日の
あとにおきましてかわしましたこの誓約の確認を求めまして、授業放棄をしないようにしてくれ、こういうことを全住民と申しますか、今おっしゃっておりまする父母の会というものによって要望をしたのであります。ところが、先ほども言いましたように、ようやく校下民の納得を得ましたこの確約に対しまして、今後は
教員がこの懇請を退けたのであります。(「質問々々」と呼ぶ者あり)事実を述べてから質問をします。そこで二十八日に今度は校長、教頭を除きまして十名の
教員が高知市におけるこのストに参加をしてしまった。こういうことをやりましたのが、その父母の会と申しまするか、全住民、全父兄の人たちの怒りがそこに現われておるのであります。そういうことの認識を持たずに、この父母の会を暴力団であるがごとくにおっしゃることに対しまして、私は所見を申しまして、
文部省がこれに対してどういう見解をおとりになっておるかということをまず最初にお伺いいたします。