○
千田正君 長官の御苦労は察しますけれども、私はあなたとは
観点は非常に違うのであって、
方法としては、三十年、三十一年度に火薬を使って
イルカ漁業をして、それによってラッコ、オットセイを密猟した者に対してという
一つのラインを引かれたことは、
一つの整理の
方法としてはいいでありましょう。しかしながら、このラッコ、オットセイの密猟ということ、その密猟そのものがどうかという問題であって、もう
日本はかつては三国同盟から脱退しており、とることは自由であった。ところが、終戦直後において、マッカーサー司令部によってやむなくこれはしかれたところの国内法であって、これは密猟であるかどうかということは疑問なんですが、これは法的な理論になりますからここであえて申しませんが、やるとするならば、その当時、
日本の国内法としてラッコ、オットセイの捕獲の
禁止法案が出る、あるいは出た境のころ、すでにこれは危ないからやめようといって、むしろ政府の施策に対して協力した連中は今度の三十年、三十一年度の火薬云々には入っておらない、そういう欠点もあるわけであります。私はそういう点からいうというと、もう
一つ、これは国内におけるところの例の以西底びきを転換したとか、何を転換したというような国内的な処置にだけよるような簡単な問題でないということをはっきり認識していただきたい。一人でもこれはラッコをとったり、オットセイをとったりすることが国際的な監視のもとに発見されたならば、
日本の真意というものは疑われる、
水産庁の行政
措置の手腕というものは疑われる、そういう重大な問題をはらんでいるところの処置方針であるだけに、貧しくて食えなくてかつてはラッコ、オットセイを密猟した人間なんだ、こういう者がいることははっきりしておって、そういうものを救い得なかったならば、だれがやったという問題が起きたときに、だれが責任をとるのかということを私は言いたい。これは
日本政府は当然責任をとらなくっちゃならないと同時に、行政官庁の主管であるところのあなたがその責任をとらなくっちゃならない、こういう問題が起きてくるのでありますから、十分に意を尽して、あらゆる角度から研究して、一人といえども法を犯してとるような人間がないような施策をやらなかったならば、今後においてこれは非常な問題になってくる。第一の段階としては、三十年、三十一年度において火薬の使用の
許可をとったかどうかということで調べて、それに対しての方針をとられたならけっこうであります。第二段としては、なお、これによって網からのがれておる者、そしてどうしても食えないからやらなくっちやならないなどというような、そういう不逞な
考えを起しておる者に対しては、どういうふうにこういうものを
防止していくかという
考えを出さなければならない。そんなものは打ち捨ててもいいのだというようなことは、かつての国内
漁業における整理
方法であって、国際
漁業に
関係する重大な問題を
考えるところの処置の
方法としてあまいと私は思う。それに対しては何か
方法があるか。何もこの第一陣の三十年、三十一年度の火薬を使用してとったかとらないかということを調べる
方法にしろというのじゃありません。それから何段階か差し引いてもいいから、鉄砲を買い上げるとか……この連中は鉄砲を所持しているから、火薬なんというものは、あなた方から見れば……地方の官吏からのがれて買える連中はたくさんいる。ウサギを撃つといって買ってきてもそれは手に入れようによっては鉄砲を撃ってとれるのですから、そんなものは当てにならないのですよ、形式的な問題であって。そういう問題をいろいろ
考えるというと、今、百七十何隻のうち、救われるのは八十何隻で、あとの七十隻ほどは残っている。そのうちで実際鉄砲を使ってやったかどうかということを調べることは決して困難ではない。そういうものを尽していって初めてどうやらあなた方が
考えているように、国際信義を守って国内の処置ができたというところまでいけるのであって、今の段階では中途半端ですよ。私は、このやり方によってあなた方が完全にやったと思ったらとんでもない間違いだと思う。もし起きた場合に誰が責任を負うかという問題ですよ。岸総理大臣がもちろん負わなくちゃならない。
水産庁長官のあなたはもちろん負わなくちゃならない。農林大臣の三浦君が、なお、負わなくちゃならない。こういう重大な問題をそのままにして、単に火薬を使用したとか、使用しないとかいっただけの処置だけではとうてい私は守れぬのじゃないかと思う、国際信義は。私はどちらにどうというわけじゃありません。
日本の国威を守っていく
意味において完全な処置を講じたかというと、そうじゃないということを言っている。そうじゃないならば、どうしたら救われるかということを
一つ第二、第三の段階において
考えるべきである。その方針があるかないかということを私は伺いたい。