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説明員(高柳賢三君) 向うに参りましたのは、こちらでわからない
事項がちょうど四十九あった、向うで調べる
事項が。その中マッカーサーに聞かなければならないのが四項目、マッカーサーに会わなければ、ある問題はわからないのですけれ
ども、しかし、あちらにネゴシエィションに行った、交渉に行くというなら、会わなければ全部ゼロになってしまいますが、ネゴシエイションに行ったのでなくて、一定の事実の調査に行ったのですから、書面で回答をしてくれても口頭でやってもいい。口頭でやったなら、もっといろいろなことがわかるかというと必ずしもそれほど英語の力もなかなかないでしょうから、はっきりと書いてもらった方がいい。一番初めに言ったのは、誤解に基く——というのは二つの誤解です。
一つの誤解というのは、
憲法調査会というものが、これは改憲のための調査会である。国内には改憲
反対の気運もある。それで改憲のためである。それから、従ってこれらの調査団がアメリカに来たのは、改憲に都合のいいような、いろいろ占領施策の欠点とか、押しつけたとか、そういうようなことを材料を探しに来て、改憲に便利な調査でもやるのだというような、こういうような二つの誤解に基いていることは、ホイットニーの手紙からはっきりしている。それから私は、
憲法調査会の
運用の実際というものを、法的根拠と実際を詳細に書いてマッカーサーに手紙を送った。ホイットニーにも、あなたは少し誤解をしているようだから、マッカーサーに出した手紙を読んでくれというので手紙を出した。そうしたら雪解けがしてきて、そうしてマッカーサーみずから進んで、こっちがあなたに会ったらこういう四つの質問をするのだ、それにちゃんと答えてきてくれた。それでもってそれ以上マッカーサーに会ってどうしようという必要も大して感じなかった。そういう書面で答えてくれ、しかも幾らでも質問があるならばお答えする。こういうのですから、こちらも無理に面会を求めなかった。しかし、調査の
目的からいえば、会ったと同じ、あるいはそれ以上の効果はあった。それから同時にあちらに行って、将来の調査の場合に、いろいろな人にわからないことを問い合せることができるようになってきておる。そういうような点で、あちらで、マッカーサーに会わなかったということは、途中のちょっとしたつまずきであると、これはよく話せばわかる。よく手紙で
説明すれば誤解を解くと思って、手紙をやったら、果してすっかり態度を改めてきてこっちに答えると、向うとしては何も答えないことも自由なんですから、誤解が解けなければ答えない。答えたということは、こちらの言うことを信用して答えてくれたと思うのでありまして、これは少しも、それが
日本で騒がれたほど向うで重大問題とはわれわれ
考えておらなかった。とにかく四十九問の中の四問だけですから。
それからさらにちょっとつけ加えて一言しておきたいのは、先ほどからヨーロッパのは無意味である、こういう
お話しでありますが、
運用の実際ということは、もうすでに
憲法調査会でも問題となって、いろいろな点で問題があることがわかっておるので、それありまするから、たとえば
日本で問題になっておる点の
一つは、基本的人権と、公共の福祉の限界といくのはどこで引くのか、いつもその問題が起るというと、
法律を出す方は、これは公共の福祉に基くのだ、片方はこれは基本的人権に反する、これでもって水かけ論でおしまいになっちゃうことが多い。裁判所もなかなか判定をしてくれない。そういうようなので、限界の問題というのは、やっぱり
憲法において非常に重要な問題、で、
日本の
憲法と同じような性格を持つインドの
憲法、イタリアの
憲法、それから西ドイツの
憲法、それらにおいて実際上どういうふうに限界を引いているのかということを
研究することは、これは
日本の問題を
研究するときの参考資料になる。そういう意味で、実はインドに行きまして、インドの有名な
法律家、
憲法学者、ベイシューという人、それからイタリアではイタリアの学者、それから西ドイツでは元の
憲法裁判所の裁判官、それらの人に実際の
運用を検討していただく。こういうようなのは、
運用の実際に
関連する参考資料で、
日本人が
研究すれば、
日本の比較法学というものは、忌憚なく言えば、それほど
進歩しておらない。私も比較法学専攻ですけれ
ども、率直に言って、ぽっと
日本の学者に聞いても、本を開いて答えるほかない。実地調査も何もしないで、答えるよりほかない、それがどこの国へ行ってもそういうような状態でありますけれ
ども、まだ
日本の
学問というものは、それほど
進歩しておらないのです。であるからやはりある問題が非常に重要な場合においては、やはり向うの現地に行って、向うの学者と打ち合せたり、実情を視察したり、そうしてこれを
研究するということが必要なのでただ本に書いてあることを報告するような
研究であったら、ちょっと参考にならないというので、どうしても
運用の実情を比較
研究するに当っては、向うに行って、人を派して、特定の問題を
研究させるということが必要であろうと思う。現在すでに制定の経過は、総会では終りまして、
運用の実際、司法、それから国会、それから
行政面の
憲法問題ということの
研究に入っている。実際の
運用面に入っておるのであって、それが将来は言論の自由の
運用ですね、あるいは
学問の自由とか、あるいは宗教の自由、あるいは労働問題、
経済問題、非常に広範な基本的人権を
中心とする問題、
政府の行動とは別に検討しなければならないことがたくさんあると思う。それらの問題について十分なる比較
研究をするのには、やはり広く向うの学者と
連絡し、あるいはこちらから人を派して、こちらの要求するようなことを知るということが、必要だと思いまして、あの
予算では非常に少な過ぎるようにわれわれは
考えるわけであります。少くもあの程度の
予算、海外出張の
予算は必要だと
憲法調査
会長とし、そういうふうに
考えておることだけをちょっと申し上げておきます。