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参考人(
御手洗辰雄君) 私は言論界の全く自由な立場におる一人として、所感を二、三申し上げます。
この
放送法改正案を拝見いたしますと、現状を全面的に是認した上で、当面の必要な改正をお
考えになっておる、そういう感じがするのであります。その限りにおいてはおおむね妥当で賛成する点が多いのでありますが、この改正案の前に一つ
考えねばならぬことはないかということを
考えます。
それは
電波割当の根本の
考え方が私は少し違っておるのであります。現在の
電波放送の状況を見ますというと、先にできましたNHKというものをすべて既成事実として、これにまず必要な
電波を割当てていく、ラジオ、テレビともに割当てていく、そしてその余ったものを民間放送に分配しておる、そういう感じがいたすのであります。これはNHKがすでに三十年の歴史を持ち、今日までの業績から見まして、今のところいたし方ないかもしれませんけれども、民間放送がわずか十年の歴史を持ってこれまで発展して参りました状況を
考えれば、もはやこの辺で
考え直すべき時期ではないか。と申します意味は、NHKは公共放送でありますから、その立場として一つ
考えてもらう。一般の放送については民間放送を主体にすべきではないか。
電波の割当はその立場から一つ再検討をする時期にきておるように私どもには
考えられます。今日NHKのラジオにおきましては、第一放送、第二放送の
電波が割当てられておる。これが
全国幾十の
地方NHK放送局となり、テレビにおきましては普通のテレビ、それに今度は教育テレビの
電波が配付されておりますが、テレビの場合は別といたしまして、ラジオの場合にこれほど多くの
電波をNHKに編重する必要があるかどうか。これは今日の民間放送の発展から
考えますれば、もはや娯楽、報道あるいはその他の一般教養におきましても、民間放送に相当程度まかしていいのではないか。それが本筋のように言論、報道、表現の立場から
考えるのであります。
そこでこれは私見として申し上げますが、ではNHKはどういう方向にいくべきが至当であるかと
考えますというと、まず簡単に申しますれば、今日の第二放送を主とし、これに報道を加えていく、たの方向がNHKとしてとるべき方針ではないか。その他一般娯楽等においてはこれは民間にまかせるべきである。たとえば民間放送では実際にはスポンサーの
関係等でやることの困難な長い演劇――三時間、四時間というような長い芝居などを完全に放送する、あるいはまた一時間、二時間かかるような大きな音楽なども、これも民間放送で完全放送をやれといっても不可能でありますから、こういうようなものは当然NHKの領分ではないか。国民はそういうものを期待しておると思うのであります。あるいは講習会であるとか学術上の問題であるとかといったようなものは、これは当然NHKの放送が取り上げるべきでありますが、これらについて第二放送の現状を見ますというと、これまたすこぶる不完全である、こういうことを
考えますと、第一、第二と分けないで、NHKは今日の第二放送的性格のものをもっと掘り下げて完全なものにしていく。それによって余る
電波、浮く
電波はこれを民間に配付して、民間の放送が他の方面においてもっと発達する方向に持っていく、これがもう
考えられていい時期ではないか、これが私の第一に申し上げたい点であります。しかしこれは言うてもなかなか現状では行い得るものではありません。今日この
委員会で申し上げたところで直ちに行われるとは思いませんけれども、一つこの
委員会でお
考えになるように、将来のため記憶にとめていただきたいと思うのです。
第二には、現状是認、今の
電波の割当をこのままにして置いての改正案は、大体において私どもも賛成いたします。しかし二、三の点について希望を申し上げますというと、第一番に、NHK、民放を通じて、言論、表現の独立自由を守るために相当注意深い取扱いが行われている。これは非常にけっこうだと思います。たとえばNHKについて申しますと、その独立を尊重するために第二十七条で「会長は、経常
委員会が任命する。」こういうような規定もあるようであります。これらはNHKに対して
行政権が干渉することを防ぐ用意だと
考えられますが、ただここで一つ御注意を喚起いたしたいと思いますことは、NHKの予算、決算、収支の問題につきましては、これを
郵政大臣を経て
国会の承認を得なければならないという規定のようでありますが、
郵政大臣は
国会で
議員に対してNHKの予算決算について、これを
議員に対して説明をしなければならぬのでありますが、NHKの収支の問題につきましては何の監督権もない。報告を求めることはできるようでありますが、
内容について何ら監査することも、容喙することもできないわけであります。
行政権がNHKの番組編成、言論、表現の自由に干渉することは、これはもうきびしく慎しまねばなりませんけれども、それと収支の問題とを区別して
考えることはできないはずはないと思うのであります。この点につきまして、NHKにおいては経営
委員会が監督するという仕組みになっておりますが、経営
委員会の人々にしからばNHKの全収入の
責任をまかせていいのであるかということになりますと、ここにも問題がありはしないかと、そう
考えます。たとえて申しますれば、いよいよラジオの聴取料の十八円の引き上げが認められるようでありますが、この十八円の使途について私どもは相当な疑いを持つ者であります。どういう疑いかと申しますると、ラジオの発展充実のため、これが用いられるのであるか、あるいは新しく進歩しつつあるテレビのためにこれが用いられるのであるか、これは疑う余地があると思うのであります。もちろんNHKの予算等においては、これは全部ラジオに用いられるという説明をなさるに相違ありませんけれども、これらについて疑えば疑えないことはないのであります。もし私の疑いが少しでも事実といたしますならば、これは実にゆゆしいことであろうと思うのであります。申すまでもなく遠い将来はとにかく、現在及び近い将来においてテレビを設置し得る人は相当な高い収入を持っている者でなければ、これはできません。この高い収入の人々に対するサービスのために低い収入の人々、それらの方面からの聴取料を現在三カ月二百円から一カ月八十五円に上げる。十八円を増徴する。その十八円の一部でもテレビの方にもし使用されるとしますと、これはけしからぬ話です。これは私の猜疑かもしれません。そういう疑いを持つ者であります。これは一例であります。そういう点から
考えましても、こういうものは、衆参両院の逓信
委員会で詳細お調べになることと思いますが、その場合だれが
責任者になるのであるか、
郵政大臣はおそらくこの
委員会に出て参りまして、皆さんからいろいろ究明されることと思いますが、これに対してその
責任は負いながら、これに対して何ら監査の力を持たないという点は、私どもちょっと了解しにくい。これは言論、表現の自由とは別であろうと思います。こういう点についてどうもこの
放送法の改正の
内容について私ども多少の心配を持ちます。でき得れば、監事三人以内あるいは三人の監事の任命について経営
委員会が
郵政大臣の同意をもって任命するというような規定ができるといたしますならば、
郵政大臣としても相当なこれは安心がいくのではないか、両院における
委員会に出て参りましても、おのずから自信もできて参るのではないかとそう思います。この点においてこの
放送法第四十条における収支に関する
国会の承認の条項、これらに多少あいまいな点が残されておると思いまするので、私は言論報道の自由は尊重すべし、しかしながらNHKの財政についてはある程度の
規制が必要ではないかとこう
考えます。
次に、経営
委員の人選、第十六条の第二項にあるのでありますが、
全国から名地区を代表して八人の
委員を選ぶ、そのほかに四人の人をそれにかかわらず選ぶ、こういう改正は非常に妥当だと思います。その場合にもしでき得ますならばこの四人の人選について、この法律にこれを規定するがいいか悪いかは別でありまするが、これは
全国的な文化、教育あるいは労働、宗教あるいは科学といったような各方面の権威者を一つこの四人の人選の場合には考慮する、そういうようなことがこの十六条のどこかに入ることができまするならば、経営
委員の人選が非常に妥当になるであろう、こういうことを
考えます。もしでき得まするならば、そうせられてはどうかとこう
考えます。
その次に、番組審査の問題でありますが、この解約の作成及び
運営についてはずいぶん入念に自由を侵さないように、そうしてまた社会に害毒を流さないように用意されておることは非常に尊敬いたします。しかし番組審査
委員会というものの今日までの状況から
考えまして、これだけでそうりっぱな
成績をあげ得るかというと、これはちょっと私には疑問に思われるのであります。一つでき得まするならば、この番組審査
委員にもいわゆる識者といわれるような、この法律にあげられておるような人々のほかに、父母の代表といったようなものを一つ加えていただきたい。これはいかに今日のラジオ、テレビが効果があると同時に、その反面社会に害毒を流しておるかということはすでに知られたところであります。その見地から見まして、世の父母が特に最近急に発達しておりますテレビによる悪影響に困惑しておるかということを
考えますれば、各審査
委員会にはぜひそれぞれの地区における父母の代表を何らかの形で加えてもらいたい、これも一つの私の希望であります。
第二には、これにありませんけれども、審査
委員会のほかに各放送局には常時、まあ一年に一回でけっこうでありますから、世論
調査をやる、そしてその世論
調査の結果を尊重する義務を加えていただきたいのであります。審査
委員は特定の数人の人々で行われることであります。もちろん十分な検討をせられるでありましょうけれども、しかし人間でありますから偏せないとは限りません。そこで広い世論の反映を一つ求めて、その世論
調査を各放送局の
責任においてやるか、あるいは共同
調査でやるかは別といたしまして、そういうものを毎年少くとも一回以上はやる、その結果を尊重させるという義務を一つ課していただきたい。これは決して言論、報道の自由を束縛するものではなく、むしろ世論に従ってこれを
運営するという方向にいくので、言論機関としては望ましいことと思うのでお願いしたいと思うのであります。近ごろのこの状態を見ておりますと、NHKにおいてすらも相当ひどいものがあるようであります。先ほど高田さんからもお話がありましたように、殺人とか、いろいろ好ましくない放送、特にテレビの場合にはこれがひどいのであります。先般も「週刊朝日」の記者が土曜日、日曜日の二日間、テレビ三社の放送をずっと調べて見ますというと、二日間に七十二の殺人がテレビの映像に出てきた。私ども折々夜の番組を見ておりますけれども、一時間見ておりますと、二件、三件の殺人が必ず出て参ります。それも実にひどい、陰惨なのが出て参ります。こういうことは、映画の害毒は映画館に行かなければないが、家庭においてはスイッチを入れればすぐ出てくる。いかにこれが社会に害毒を流しているか。大へん悪いことばかり言うようでありますけれども、これらを
考えますというと、父母の代表、世論
調査による義務といったようなことがこの際権力によらざる義務的な、また自立的な方法としては適当であろうと
考えるのであります。
それからNHKの研究機関、あるいは要員の養成というようなことが、この中に規定され、それが民間にも利用させるというようなことがありますが、さらに一歩を進めて、このNHKの諸機関――研究機関というようなものは、養成機関というようなものは、
全国民の聴取料によってこれは成り立っておるものでありますから、その
考えから見まして、第九条に、これらの研究や養成に民間の放送局も共同使用をする、あるいはまたその研究に民間機関から
参加するというような道を開くことを一つできればここにお願いいたしたい。そのために必要であればNHKと民放各社との連合の常設
委員会でも作るぐらいのことが一つこの際御考慮願えないか、そういうことになりますというと、民間の放送もずっと改善進歩するであろうとこう
考えます。
最後に、一つぜひお願いいたしたいことは、これは局間放送における資本の構成と役員の構成であります。どういうことかと申しますると、近ごろのテレビの発達によりまして、民間放送の資本が非常に急速に増大しております。これに伴って、免れない現象かもしれませんけれども、新聞の資本が放送局に非常に巨大な率を占め始めております。と同時に、その放送局の人的構成、特に支配的人事において新聞社の支配力が非常な勢いでこれは増大しつつあります。これは非常に危険なことであろうと思うのであります。何が危険であるかといえば、いわゆる言論の独占化であります。これは中央の大新聞がごらんのごとく近来
地方においおい進出いたしまして、単に販売網の拡張のみならず、
地方において印刷を初め、大資本が
地方の文化を侵すと言っては語弊がありますけれども、進出して、
地方における言論の支配力というものはだんだん中央の大資本に屈しつつあります。一面において
地方における新聞資本がラジオ、テレビの資本構成の中に大きな比率を占め、また、人事においても新聞社と兼職をやる、そのために
地方における言論報道が一部の資本家あるいは悪く言えばボスの手に帰する傾向が著しいのであります。これは現実の事態であります。このことは三十一年だったと思いますが、だれの
大臣の時代でありますか、村上
郵政大臣の時代だったと思いますけれども、テレビの免許に当って、これについて通牒が出ていることを記憶しております。新聞社の資本は放送局の資本の十分の一をこえてはいけない、あるいは実際の
責任者、支配者として新聞社と放送局とを兼務してはならない、こういうことが免許条項のたしか条件であったように記憶いたしますが、そのとき大部分の放送局はその通達に従って、新聞社の資本もそれほど大きくなく、また役職員につきましても遠慮して、当時新聞社の社長と放送会社の社長とを兼務しておったようなところは、大部分辞退して、それぞれ単独の経営者になっております。ところが、それをしなかった放送局もあるのであります。のみならず、最近の傾向では双方をかねるという傾向がまた著しくなりつつあります。この状態を放任しておきますと、中央
地方を通じて申せば、中央新聞大資本の
全国的な言論の一元的
統制、権力によらざる金力による言論の
統制、また
地方的に申しますれば、それぞれの
地方における少数の人々の金力による言論の独占化、一元化という傾向が今尻に現われつつあります。これは非常におそるべきことでありまして、権力による言論報道の
統制、干渉ということがいけないと同様に、あるいはそれ以上かもしれない、個人による言論の一元化、
統制、そういう傾向が今みえるのであります。これは今日において一つ厳重に戒めないと、十年も経てばこれは手がつけられなくなるのじゃないか、さように思います。ということは、中央における新聞大資本の
地方進出の勢いが今非常に急である。これは言論の自由ため、また国民の自由を守るためにぜひともお
考えおきを願いたいと思う。このことを、この法律の中でもし
規制することが困難であるといたしまするならば、一つ本
委員会において付帯決議でもしていただきたい、私の記憶では、これはたしか昭和三十一年のテレビの
全国的認可のときの付帯条件であったように記憶いたします。違っているかもしれませんが……。そういうことがあったが、それが行われない。近来それが全然無視されつつある。この状態を私は言論人としておそるべぎ将来を予想いたしますから、ぜひ一つこの
委員会においてこの法律にさようなことが加筆できるならば加筆していただきたいし、できないならば、せめて付帯決議として
郵政大臣の認可の場合、あるいは免許の更新の場合に、そういうようなことを、言論の
統制、独占化の起らないように一つ厳重な条件をつける、こういうことが望ましいのでありますが、この
放送法改正の機会にこのことが行われないということは私は残念だと思います。
以上、私の所見を申し述べました。