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1959-02-17 第31回国会 参議院 逓信委員会 第6号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十四年二月十七日(火曜日)    午前十時三十九分開会   —————————————   委員の異動 二月十一日委員佐野廣辞任につき、 その補欠として前田佳都男君を議長に おいて指名した。 二月十二日委員前田佳都男君辞任につ き、その補欠として塩見俊二君を議長 において指名した。 二月十三日委員塩見俊二辞任につ き、その補欠として梶原茂嘉君を議長 において指名した。 本日委員梶原茂嘉辞任につき、その 補欠として前田佳都男君を議長におい て指名した。   —————————————  出席者は左の通り。    委員長     手島  栄君    理事            松平 勇雄君            森中 守義君    委員            石坂 豊一君            黒川 武雄君            新谷寅三郎君            前田佳都男君            三木與吉郎君            最上 英子君            鈴木  強君            三木 治朗君            光村 甚助君            山田 節男君   国務大臣    郵 政 大 臣 寺尾  豊君   政府委員    郵政政務次官  廣瀬 正雄君    郵政省電波監理    局長      濱田 成徳君   事務局側    常任委員会専門    員       勝矢 和三君   説明員    郵政省電波監理    局次長     荘   宏君   —————————————   本日の会議に付した案件 ○放送法の一部を改正する法律案(内  閣提出衆議院送付)   —————————————
  2. 手島栄

    委員長手島栄君) ただいまから開会いたします。  委員変更についてお知らせいたします。  二月十一日、佐野廣君が辞任せられまして、その補欠前田佳都男君が選任せられました。同日午後、前田佳都男君が辞任せられまして、その補欠塩見俊二君が選任せられました。  二月十三日、塩見俊二君が辞任せられまして、その補欠梶原茂嘉君が選任せられました。  二月十七日、梶原茂嘉君が辞任せられまして、その補欠前田佳都男君が選任せられました。   —————————————
  3. 手島栄

    委員長手島栄君) 放送法の一部を改正する法律案を議題といたします。  これより本法律案に対する質疑に入ります。御質疑のおありの方は、順次御発言を願います。
  4. 新谷寅三郎

    新谷寅三郎君 私は、放送法の一部を改正する法律案につきまして、まず放送法についての基本的な方針から順次所構大臣に御意見を伺いたいと思うのでございます。  郵政大臣御承知のように、この放送法が初めて国会に提案されましたのは昭和二十三年の第二国会でございました。その後、継続審議されたのでありますけれども、二十四年の十二月になりまして、第二回国会における審議内容等を参酌をして、総司令部も、それから逓信省も重大な内容変更を加えて二十四年の十二月に提案をして、第七国会において今日のような放送法ができたわけであります。自来数年たっておりまして、その間に画期的な民間放送発達等が見られまして、当時予想されておったような状況とは著しく現在の実情は変ってきておるのでありまして、そういう意味においては、私が蛇足を加えるようでありますけれども、この際に、放送というものに対する基本的な方針について大臣の御意見を伺い、また、国会においてそういう審議をするということは、これは国民の福利という点から見ますると、意味があると思いまするので、あえてそういった基本方針についてまずお尋ねをしたいと思うのでございます。  第一に向いたいと思いますことは、この放送法の一部改正立案せられるに当って、法律体系をどうするかという点について、おそらく政府部内でもいろいろ御論議があったことだと思います。しかし、結果的に現われましたところは、放送法の一部改正案という形で現われたのみでありまして、それ以外の法体系の問題については何ら今度は触れておられない。政府がそういうような態度をとられましたのは、いろいろ理由もあるでありましょうが、これは、そういう大きな改正というものは将来に残すという意味で留保せられておるのでありましょうか。あるいは今、電波法放送法——放送法の中にも一般放送事業法あるいは公共事業であるNHK放送協会法、そういった種類のものと分けるとか、いろいろ法体系について考えた方がいい問題が私はたくさんあると思うのでありますが、それは御審議の過程でどういうことであって、結論はどうなったのでありましょうか、まずその点、郵政大臣から伺いたい。
  5. 寺尾豊

    国務大臣寺尾豊君) お示しのように、現行法昭和二十五年に制定をされたものでありまして、その後の、特に民間放送、いわゆる商業放送の出現によりまして、全く放送界は画期的な異常な発展をなしてきたことは御指摘通りだと思います。加えて、テレビジョン放送というようなものにしましても非常な発展示してきた。しかも、こうした放送国民生活に、ほとんど生活のかてとも申し上げていいようなきわめて重大な影響を与え、かつ深刻なまでにこの影響が大きくなってきた、こういうことは御指摘通りであります。従いまして、この現行放送法改正するということにつきましては、もう数国会にわたり、もう数大臣にわたりましてこれが計画をされたということも御指摘通りだと思います。ただ、私は、きわめて法律にうとい、ずぶのしろうとでありますが、この立法技術と申しまするか、現行法律改正するに当っては、今のようないわゆる一本立でいくか、あるいは放送法の中にNHKあるいは民放、こういったようなものを別々に規制をして、いわゆる三本立にするかというようなことも相当検討したかに聞いております。しかし結局、今回提出をいたしておりますこの一本の形をとったわけでありますが、これにも一つの長所はあるのではないか。そのことは、この改正案によりまして、いずれも、民放NHK、あるいは放送法としての基本方針、基本的な規制、こういうものの関係が一目瞭然と申しまするか、関係がよくわかる、わかりやすい、こういうことの一つの特質は持っておるのではないか。しかしまた、三本立にすべしという意見から申しますならば、すっきりとした形で商業放送規制をせられて、あるいはNHKの姿もすっきりした形で行われる、規制できるというようなことからいえば、むしろこれを三本立にすべきだという論も私は傾聴すべき論ではないか、かように考えるわけであります。  ただ、御質問の中にもありましたように、今回のこの放送法改正案というものは、決してこれは抜本的と申しまするか、この改正案が完璧のものだということには言い得られぬではないか、といって、これで一、二年やってすぐこれを改正するということにはなりませんが、まあこの際、今回改正重点といたしましても、特に番組適正向上化でありますとか、あるいは番組審議機関の設定でありますとか、あるいは民間放送事業者に対するある程度の早急な規制をこの放送法でやる。こういうふうなさしあたって一応整備をしなければならぬというところに問題点を、重点を貫いたわけでありまして、まずNHKにおきまする聴取料問題等も、相当根本的に検討しなければならぬというような問題も、まだこの改正案では解決がしきれない。これらは将来の問題として、しかも、将来ではありますけれども、相当重要な将来の問題として抜本的に検討しなければならぬじゃないか、こういうような関係もありまして、今回の改正ということにつきましては、まずここで拙速という意味ではありません。最小やむを得ない限度において、まずここで改正をして、そうして抜本的な、大きな問題を残しておる民放の異常な発展といったようなこと、あるいはNHKの今申し上げた検討しなければならない問題点、まあこういうものは、あまり時間を置きませず、続いて検討を加えていく。そしてある時期には十分検討した結果において、より完璧な完全なものを一つ作り上げるべきだと、こういう考え方から、一応今回は必要最小限度の形というようなことでこの改正案提出をした、こういうわけでございます。
  6. 新谷寅三郎

    新谷寅三郎君 まあ郵政大臣の言われる趣旨は、大体わからないことはないのですが、また時間的にも制約があったでしょうから、その程度の改正しか今回はできなかったということにもなるのでありましょうが、そういうことでありますと、これは放送法電波法立案当時から問題になったことでありますが、電波法というのは、要するにあらゆる無線局といいますか、そういったものを対象にして、許認可の方法とか、あるいはそれによって生じる権利義務関係規定したものであって、放送法というのは、今度はその中で放送という事業をやるものについて、これは公共放送民間放送を含めまして、いわば放送事業というものを規律する法律だというふうになってくるわけだと思うのです。私は、まあ郵政大臣は、これでもどうにか動くのだというお話でありますが、実際はそうではないと思うのです。これはどういう解釈でどんな方針運用しておられるのかよくわかりませんが、例をあげますと、たとえば免許の問題ですね、これは電波法の方で第四条以下の「無線局免許」というところで、放送事業についての、つまり放送局のいわゆる放送認可免許ということも同じように扱っているのですね。たとえばアマチュアの無線局認可とか、あるいは船舶無線局免許とか、そういったものはすべて同じように扱っておられるわけです。その結果、非常に私は放送事業から見ますと、この免許の仕方が適当かどうか、非常にこれは適当でないというよりも、この法律が守られてないというような部分が、一番大事な免許のところに現われているのではないかと思うのです。郵政大臣はこういうことについてはどう考えますか。電波法に、たとえば十二条をごらん下さい。郵政大臣は第十条の規定による検査を行なった結果、その無線設備がこれこれ、これこれの工事設計に合致し、かつ、その従事者の資格や員数が法規に適合しておるものであれば、遅滞なく申請者に対して免許を与えなければならないと書いてあるでしょう。これは、だから放送局についてはどういうふうに考えますか。  それから、これに関連しまして、いろいろの免許の拒否でありますとか、あるいは免許の取り消しの規定電波法の七十五条以下に出ておるのです。こういったことが、放送事業をやっておる人たちに対して、その無線局について免許を与えたり免許を取り消したりする規定にそのまま適用して動くとお考えになっておりますかどうかですね。そういうことを御研究になっていないなら御研究になっていないということをおっしゃっていただいてもいいのですが、もし御研究になっているのでしたら、そういう条文といいますか、これは法律体系の問題だと思うのですよ。法体系が乱れているからそういうことになるのです。だから、私は、こういったものは、放送事業についてはほかの無線局と違うのだ、また違った発達をしておるし、実情もそうあるのだから、これは別の体系考えなければならぬという気持が私はしておるのですが、どうにか動かしておる、これで一応やっていけるということであれば、今申し上げたような規定運用をですね、どういう方針でどうおやりになっておるのか、それからどういう解釈をしておられるのか、そういう点も一つ郵政大臣から伺いたいと思うのです。
  7. 寺尾豊

    国務大臣寺尾豊君) この無線局許可をするというような問題については、私は各条件が備わって、そしてそれが妥当なものであるというようなことにおいては、今ここに示されておるように、遅滞なく許可を与えるべきだ、こう考えます。しかし、この電波現状というものは、かなりこのいわゆる周波数と申しますか、チャンネルというものが相当数相当数というよりも、ほとんど大部分が使い尽されておるといってもいいくらい、まあ特に中波等についてはそういう現状じゃないかと思うのです。従いまして、そういったようなチャンネル・プランの扱い方というようなものが、非常に私が就任後というものは、かなりこれが窮屈になっておるということは、これは言えるのじゃないか。そういったようなことに関連をいたしまして、このいろいろの免許問題というようなものも相当左右されると思うのですが、しかし、まあこれを今御指摘のように、相当これが基準なり、あるいはその取扱いなりが乱れておるというような御指摘がありましたが、そういうことがあるいは言えるのじゃないか。こういうことを大きな線で、まあそういう非常にそのチャンネルが不足をしておる、そういうことによって、電波法改正にいたしましても、なかなか取扱いが困難であるということに逢着しておるのだということが、これはあるいは根本的な問題かもしれませんけれども、私の考え方としてはそういう問題があるのではないか。従って、今後の日本電波についての操作と申しまするか、こういったようなものは相当これは検討を要するし、なお、中波でこれが補いきれないといったようなものについてはまた一つの、FMといったようなものも考えざるを得ないじゃないか、また超短波というようなものも考えざるを得ないじゃないか、こういうことが今、省において相当研究をしておるところでありますが、こういったような点については実は私も十分こまかに研究をしておりません。  ただ、今申しあげたような点で、相当電波を出しきっておるといったような形にまでなっておるものを、何かこの整備をしなければならぬじゃないか、あるいはまた、より電波国際会議等によってその権益を獲得ができれば、そういうことによってこれを補うとか、あるいは高度の技術によってこれを補なっていくというようなことも検討する必要はないか、こう考えておりますが、こういう専門のことでありますから、局長からも一つ答えさせていただきたい。
  8. 濱田成徳

    政府委員濱田成徳君) 新谷委員の御指摘のように、放送局電波法によって免許が与えられることは間違いありません。が、この電波法によってだけ与えられるものではないと考えるのでありまして、それを、電波法免許に加えるに放送法という、無線局の中のこの特別なる無線局について作られました法律精神に基いて、いろいろなことを勘案し、これによって免許を下すことになるのだろうと思います。今、大臣が言われましたように、このチャンネルの数はだんだん減って参りますし、のみならず、たとえチャンネルが余っておりましても、電波法だけで免許を下せるものではないと私ども考えております。  この免許は、一方において技術的なもので、おもに技術的な条件がそろわなければなりませんし、これは電波法だけに十分に尽されておりませんので、これについて、もしこの放送法の中に法律としてうたわれるならばうたった方がいいかもしれません。これについては検討を要すると思うのであります。次に、技術的条件以外に行政的ないろいろな問題点があろうと思います。社会的な、経済的な、財政的な問題が含まれていると思うのであります。これらにつきまして、免許する場合にはあらゆる角度からこれを検討し、これが放送法第一条の精神、すなわち放送というものは三つの原則に基いて行われなければならぬというのが第一条の精神であります。たとえば、放送事業者が不偏不党の精神を実行し得るようないろいろな諸条件を備えているかどうか、あるいはその経営が民主義の健全な発達に資するように行われるかどうか、あるいは、NHKの場合に特にそうでありまするが、全国あまねく普及するような局の配置が考えられているかどうかという問題もありましょう。かようにいろいろな角度からこれを勘案して、しかる後に免許を与える。あるいはたくさんの申請者があった場合には優先順序をきめるというようなことが行われるべきであろうと思います。かような諸問題をすべてこの放送法の中に織り込ませるべきかどうかにつきましてはいろいろ問題があろうと思います。これにつきましては、私ども前から研究を続けておった次第であります。しかし、今回の放送法改正に当りましてはそれを入れません。この放送法の第一条の精神ないし第二条、第三条等の精神がここにはっきりと示されておりまするから、それによりまして処理すればいいので、その他の諸条件等は、この免許基準というものの中に含まれる、部分的には含まれております。今後必要があったならばさらにこれを付け加えて免許基準等の中に入れていくのがよかろう、かように考えて参った次第であります。
  9. 新谷寅三郎

    新谷寅三郎君 ちょうどこれから御質問を申し上げようと思っておったようなことを局長から敷衍して御答弁がありましたから、その点ちょっと触れてお尋ねをしたいのですが、濱田局長の言われるような方針を、免許方針をもって今、現在免許しておられるとすれば、それはどの条文に基いてやっておられるのですか。
  10. 濱田成徳

    政府委員濱田成徳君) 放送法第一条、第二条、第三条等の精神に基いて私ども、それから従来の免許に際して払われましたいろいろな考察資料等に基いて免許をいたしているということでございます。
  11. 新谷寅三郎

    新谷寅三郎君 それは、あなたのさっきの御説明でそうだというのでありますが、放送局免許というものは、現在は電波法によって免許を与える基準になる条文は十二条以外にないでしょう。十二条以外に放送局の、つまり無線局としての免許を与えるような権限政府に与えている条文というのはどこかにありますか。放送法にはないはずです。電波法十二条以外にありますか。その電波法十二条にも、放送関係するような無線局免許をする場合には、そういう精神をくんで免許をしなければならないという条文電波法にはどこにもない。それはあなたはそういう気持でやりたいとおっしゃっても、どの条文免許をおやりになるのですか、それを伺っているんです。
  12. 濱田成徳

    政府委員濱田成徳君) 確かに電波法第十二条以外にはありませんし、それから電波法第十二条には、この放送法によってやるがいいというようなことは書いてありませんけれども、しかし、先ほど新谷委員が申されたように、この放送法というものは、電波法によって無線局免許規定しておるけれども、その中の特別な無線局であるところの放送局については、その放送法というものを別に大きくここにうたっている、それによってやるべきであるということを明らかに示しておるのだろうとわれわれは考えますがゆえに、放送法全体の精神を満たすような諸条件が備えらるべきものだと、免許の際にはそのことを勘案して、その放送法精神を全面的に取り入れて、その電波法第十二条の精神にプラスして、そうして免許するのが当然であろうと考えております。
  13. 新谷寅三郎

    新谷寅三郎君 私は立法論としては異存はないのです。先ほど申し上げたように、立法論としては私はそう思いたいがために、先ほど申し上げたように法律体系が乱れているのじゃないか。放送法の中に、そういう放送法に書いてあるような特別の無線局については、そういう放送法精神をくんで免許しなければならないというような建て方にしないと、放送法精神は十分発揮できないだろう。単に電波法上の機械的なといいますか、平面的なそういう中だけではそういった政策が反映しないから、法体系についてお考えになったことがありますかということを初めに質問申し上げておるのです。従って、あなたのおっしゃるようなことは、私は立法論としては賛成です。私もそういうことを考えているわけです、個人としては。しかし現在の法律解釈論としては、あなたのようにそういうことをお考えになって郵政大臣、あるいはその下におられる補佐機関が、法律規定もないのに、放送法精神はこうだとか、解釈はこうだとかいうことで、そういうことをどんどん勝手に、法律を離れて勝手に免許基準にしたり、免許の際の考慮要素にされるところに非常に非民主的なものが現われたり——いいですか、非常に法律によらない非民主的なものが現われてきたり、あるいは官僚の独善といわれるような免許の仕方になって現われてくるわけです。そういったことをやるのなら、私は法律にお書きになるのが当然だと思うのですよ。だから、あなたが、ほんとうにそういうことを考えて、それを免許の際に十分考慮して免許しているのだ、そういう精神に合致しないのは免許しないのだということをもしおっしゃるとするならば、電波法の第何条によってそういう権限をお持ちになっているのか、それをお示しになったらいかがですか。それを聞いた上でないと、あなたがおっしゃるようなそういう御答弁を、現在の電波法上それが有権的な解釈だとは考えられないのです。私は電波法立案当時からこういう問題について参画をした一人としては、当時はそんなことは考えてなかったのです。あなたになってそういう解釈をとられるのは非常に困ると思う。もう一ぺん局長答弁を求めます。
  14. 濱田成徳

    政府委員濱田成徳君) 私は法律専門でありませんので、学問的な解釈を下すことはできないことを残念に存じますが、無線局なるものは、私の今までの判断では、無線局なるものはすべて電波法によって免許が与えられるべきである。放送局無線局の一種でありますから、従ってこの電波法によって下されると考えておったわけでございます。しかし、先ほども申し上げましたように、放送局というものが、その電波法が作られますときにはすでにありました、前からありました。そうして電波法を作られた方々の頭の中にも、放送局の存在あるいはその放送局の重大な社会的意義、あるいは国民に与える影響等については十分なる御認識があったに違いないと考えておるのであります。かような方々電波法を作られ、そうしてまた電波法を作ることに関与された、あるいは関連を持たれた方々放送法をお作りになった。で、これを日本国の健全な民主的発達のために放送法を作って、これを実施するように持っていかれた、そういうわけであります。しかも放送法の中には、電波法をよくかみくだいて、そしてこの精神電波法と馳背しないように、あるいは両々相待って、そして健全にその放送局という無線局が、日本国民の福祉の向上のために使われるように作られているものである。また、さようにこれが使われてきたということを確信して、そういう意味において、例は悪いかもしれませんが、たとえば二つの道徳の方向があるといたしまして、たとえば愛国心を持つということと、親に孝行でなきゃいかぬということがかりにあるといたします。まあございますけれども、その愛国心を持つということは当然で、しかし親孝行をするということは、さらに愛国心を増すことになるというような  まあ例は悪いかもしれませんが、そういうわけで、その間の相関関係を、片方の条文に述べてないけれども、しかしながら、これは当然なことであるがゆえに述べてないのだという考えに基きまして、電波法には明瞭に、放送法によって放送局免許を行うべきであるということを書いてありませんが、また放送法には、電波法第十二条が充足せられて、同時に今度は新たに放送法精神全体を満たすようにしなければ免許はならぬというようなことは書いてありませんけれども、しかしそれは法の運用であって、正しい運用はそれで十分ではなかろうか。そういう考えにおきまして、今まで私ども放送局免許ということをやって参ったということでございます。
  15. 新谷寅三郎

    新谷寅三郎君 濱田局長の言われること、私はわからないですよ。で、あなたは、法律のことは余り知らぬとおっしゃるからもうけっこうですが、郵政大臣お尋ねしますが、今のような濱田局長の言われるような法律解釈でやっておられるとすれば、私は重大問題だと思うのですよ。さっき一番冒頭に私も質問し、あなたもお答えになりましたように、法体系は初めから、立案当時からきまっているわけです。電波法によってこういう免許事務をやるのだ。それに基いて権利義務関係は、一応一般的に無線局に対しては電波法上の問題として取り扱うし、放送事業については——事業それ自体ですね、この無線局免許でないのです。事業それ自体についていろいろ規律すべき問題があるので、それについては放送法に書いておくという法体系をとっているわけでしょう。それはあなたもさっきおっしゃった通りなんです、現在のところは。そうしますと、さっき申し上げたような、濱田君にお尋ねしたように、放送局という。放送法の上からいくとこれは放送局なんです。しかし電波法からいくと無線局なんです。許認可というのは無線局の問題として電波法上取り扱っているんで、放送法でそれを左右できないでしょう。左右できるというようなお答えがあったので、どこの条文によっておやりになっているのですかと、法律規定がなくて、そういう非民主的な官僚独善のそしりを受けるような行政措置をされているわけはないと、郵政省は。どこでそういうことをおやりになっているかとお聞きしたところが、今のように非常になんですか、道徳論なんか持ち出して御答弁になって、私にはわからない。もう単純に法律の問題として、法体系がこれでいいのかどうかと、私は欠けるところがあるように思うが、御検討になったのか、しかし御検討になって、まあどうにかやっていくとおっしゃるが、こういう点は非常に困る問題じゃありませんか。だからそれは至急に直すようにされないと、郵政省が現にやっておられる行政処分の仕方とも食い違ってくる。法律精神も十分に発揮できないじゃないかということをあなたに申し上げているわけなんですよ。局長の言われるような法律解釈郵政大臣もおとりになっているとすれば、ちょっと私はこのままでは、もう少し突っ込んで質問しなければならないと思うのですが、郵政大臣、どうですか。
  16. 寺尾豊

    国務大臣寺尾豊君) 私がずぶのしろうとだから、はなはだ適切ななにがいきませんが、どうも局長答弁も私にはわかりにくいところがあるわけです。これは私がしろうとだからでしょう。私の考え方としては、いわゆる放送局としての場合の基準と、無線局としての場合の許可基準というものはこれは違うのである。その取扱いについて、その一つのおのおのの基準に従って検討すべきじゃないか。それが無線局許可放送法の第一条がこうからまっているというようには、私はちょっと解釈がしにくいと考えているわけですが、なおこれは一つ勉強さしていただいて、この法の解釈が相当、また適用というようなことが非常に問題であろうと思いますから、そういうことを少し勉強さしていただいて、次回に少し的確なものをお答え申し上げたい、こういうように一つお願いしたいと思います。
  17. 新谷寅三郎

    新谷寅三郎君 今ので、大臣がもう少し研究した上で答えるということであれば、次回でけっこうでございます。ただ、大臣が言われたように、もしそういうお考えであるとすれば、放送法自体に、たとえば放送事業事業許可とか事業免許というようなものがありましてね、そうして無線局免許というものと並んで行われているのだとですね、これは関連はする。関連はするが、片っ方の方は、技術的な基準とかをきめているもので、事業そのものに対する規律はすべて放送法でやるのだというような法体系になっておりますと、問題は起らないと私は思うのです。しかし、放送法にそういう規定はないでしょう。ないからそこに問題が起ってくるのでありまして、今あなた方実際やっておられるのは、すべて電波法に基きまして、たとえば聴聞会をやってみたり、何か苦情があったら聞いてみたりなんかというものは、皆電波法の規律によって、放送免許というものを規律しておられるじゃないですか。そこに私は今実際の行政の運用とは違った法律体系ができておって、そういう古い型のといいますか、その当時考えたような法律条文しか残ってないものですからね、そうすると、その実際の主管局としましては、どうせ法律を守っていかないのだから——濱田君ちょっと口をすべらしたが、こんなことも一つ条件だとか、あるいはこういうことを守らせなければいけないとか言って、法律に基かないで、いろいろな条件をくっつけてみたり、注文したりするようなことを、これは役人だからやりがちなんですよ。そういうことが法律体系を乱し、法の精神を乱し、それからまた民主主義でない行政の運用の仕方になって現われてきていると、これを考えてもらわなければいかぬということが私の趣旨なんです。  それで、そういうことをもしお考えになるのでしたら、関連をしまして、現行電波法に基いて、第十二条等も問題でありますけれども、たとえばこの免許の更新の問題ですね、十三条にありますが、これなんかも一般の無線局は五年で更新するが、放送に関する無線局は三年です。三年ごとに更新するのだ、三年ごとに更新するのだと言っておられます、今は。形の上なんですよ、実際に三年で、それなら非常に何といいますか、成績が悪いとか、あるいは役所から注意したが、なかなか放送内容を改めないとか、いろいろ不都合な点がありまして、三年たって更新の際に切ろうかと言っても切れないじゃないですか。何億という投資をしておって、免許を与えないということはできないし、それよりもむしろ必要なのは、そういうものに対してはむしろ事業をしばらく停止させるというような行政処分のほうがはるかに実効があって、これはあなた方もやりたいところでしょう。それをおやりになることは、今はどの条文によってもできないのです。そんなままでほおっておいてよろしいかということです。これは更新の問題です。  それから七十五条以下にありますのは、これは免許の取り消しの問題です。免許の取り消しというのは、要するに電波法第五条によると、外国はそういう無線局を持てないということなんですね。そういうふうになったら免許を取り消すということは当りまえでしょう。そういうことしか電波法は書いてありません。放送局においてもそういうことしかあなた方やれないんですよ、法律上。そういうことをあわせてお考えになりまして、私は、解釈論と将来の立法論と両方あわせて郵政大臣から、もう少しはっきりとした、精神論とか何とかでなしに、これは法律論ですから、法律論として伺いたいと思いますから、その御答弁は次回にお願いいたします。  それから、その次の問題を申し上げますが、これはやはり放送の基本政策の一環としての問題でございますが、これは非常に日本民間放送がわずかの年月に発展をいたしまして、これはお互いに非常に喜ばしいことだと思います。大きな言葉でいえば日本の政治、経済、文化、いずれに対しても、あるいは技術方面に対しましても、非常に大きな貢献をしたということは、当局の指導のよろしきを得ておることもあって、われわれもほんとうにありがたいことと思っておる次第でありますが、今の放送事業の実態を見まして、その当時、公共放送と、いわゆる商業放送民間放送と二つ並べる二本立が、果していいかどうかということについてはずいぶん論議があったのですが、これは大体結果が現われたと言ってもいいのですけれども、二本立はいいとしても、両方の、公共放送というものと民間の商業放送というものとが、だんだん発達してくるに伴いまして、御承知のように放送内容というものはほとんど酷似してきました。相似たものになってきたわけです。あとで御質問しますが、教育放送といった特別の条件をつけられたものは別といたしまして、一般のNHKの今の総合的な放送というようなものと、民間の放送というようなものは非常に放送内容が酷似してきたのだろうと思います。一体、公共放送NHKがやるのだ。それに対してはこういう特別の組織で、こういう特別の権利義務関係において、むしろ今は国会がある程度の監督をして、そうしてやらせるのだというような仕組みにはなっておりますが、実際、民間放送放送内容があまり変っていないということになって参りますと、一体、これから主管大臣として、公共放送民間放送というものとの双方の特色といいますか、これから発展させようという方向をどこに置こうとされるか、どういう点を重点にして、どういう方向にそれぞれに発展させようとするかということが問題だと私は思うのですよ。ただ一方は聴取料でまかなっているのだ、これが公共放送の特色だなんといわれても、これは放送内容とか、放送事業としては特色と見るべきものじゃないのですね。放送の性質として一体どういう特色をそれぞれに持たせるか、それによって二木立が果してよかったかどうか、これからもいいかどうかという私はキイ・ポイントになると思うのです。だから公共放送はどういうふうにしてこれから持っていくか、民間放送というものはどういうふうな方向にいかせるかということの基本的な方針をお示しになっていただきたいと思うのであります。
  18. 寺尾豊

    国務大臣寺尾豊君) お示しのように商業放送というものが非常に高度化されていくということは、日に日に商業放送がその放送内容等が良化していっているということで言えると思います。従って、NHK公共放送としてのいわゆる重点をどういった方面に置くかということは、私は今後の問題といたしましても、現在の問題といたしましても、非常にむずかしいこれは問題だと思うのであります。ただ一つは、まあいわゆる企業でありますから、民間放送といたしましては、そのいわゆる企業に一つの制肘を受けて、この放送というものは、これがその関連をいたしまする放送技術をより検討する、あるいはその他あらゆる放送番組内容等についても一定の限度があるのではないか。従って、NHKといたしましては、いわゆるその目的というものは、公共の福祉のために、全国いずれの地においても、あまねく日本全国において聴取できるように放送を行うことを目的とする、この使命というものは、私は他の民間放送とは断然違った大きな使命と責任ではないか。これは非常な卑近な、変な責任に対する問題をまあ申し上げたのですが、会社経営ということによって経営が成り立たない場合においては、民間放送であればこれをやめるということも、これは道義的にはどうかと思うのですけれども、これは可能であるのであります。しかし今のNHKの使命というものは、公共の福祉に適合するように、あまねく日本全国において聴取できるように放送しなければならぬということと、なお中波、短波のそのいずれか、またテレビジョンというものについても、これをそういったような日本全国にあまねく放送しなければならぬ、こういう使命を持っておるわけであります。従いまして、こういったような高い使命である限りにおいては、たとえば、民間放送に比べて聴取料をとっておる、民間放送はスポンサーによってやっておるということになれば、民間放送というものはやはりスポンサーによって左右せられるということの面もやむを得ない面が出てくるのだが、NHKにおいては、よりよき番組向上、適正ということには、ほんとうにこれに対して十二分な力を、研究を加えていくということを常時やっていなければならぬ。同時に民間一般放送事業者に対しても技術的な面、あるいはその他技術者養成の点とか、あるいは放送に対する調査、研究等のことも行なって、こういったようなものをそれらの商業放送事業者に提供する、これを公開をする、こういうようなことも行なっていかなきゃいかぬ。  加えて、私は一つのまた大きな使命というものは、国際放送というようなものを今後のNHKとしては相当重点を置いて放送に力を入れていかなきゃならぬじゃないか。おそらくこの国際放送というものについては民間放送がこれを——それは問題は、やるという希望もありますし、民間放送がやっちゃならぬという別に規律もありませんから、こういうことでありますが、しかし、これからは決してこれは商業放送が国際放送をやって、直ちにこの経営の上に大きなプラスになるか、これが足しになるかということについては、相当これは私は問題でもあるし、これがその経営の上には、むしろ犠牲的なものこそあっても、これが商業放送に国際放送が大きくプラスする、経済的にプラスするというようなことは直接得られない。そうしてみれば、やはりNHKがこの国際放送というものには、現在も相当の規模ではやっておりますけれども、これをだんだん一つ政府もこれに十分な協力もしなきゃなりませんが、予算的な援助もしなきゃなりませんが、NHKとしてはこの国際放送というものを、ますますこれに重点を置いて、国際親善あるいは貿易の伸展その他に、大きく国の経済発展の面においてこの国際放送を生かしていくというようなことが、NHKの今後の大きな使命にならねばならぬのじゃないか、力を入れていかなきゃならぬのじゃないか、こういうようなことを考えるわけでありますが、まあ番組向上適正化というようなことについては、それは民間の放送事業者がだんだんこれはよくなって参りましょう。しかし、これには若干限度があるのじゃないか。そうするとNHKの使命というものは、より商い一つ放送番組向上をはかっていく。教育、教養というようなものに、よりNHKは力を入れるべきじゃないか。これは民間にも教育放送というものがございます。ございますが、やはりこれはスポンサーというものによって経営をしていくという形において、やはりこれにも限度がありますが、特にNHKにおいては教育放送、教養番組、教育番組というようなものを相当重点的にその方向に力を入れていくべきじゃないか。  それから一般聴取者も、私は、もうただ娯楽番組、しかもこれがもし低俗な娯楽番組が続けられていくということであれば、テレビ等に対し、あるいはラジオでもでありますが、むしろ飽きがくるのじゃないか。非常に食傷してしまうのじゃないか。そういう時期が来るのじゃないか。だんだん目が肥えて参りますると、やはり子女の教育、教養、こういうような面に対しての家庭は非常な関心を持つ。われわれ、まあ一九五一年に新谷先生、山田先生と御一緒にアメリカを視察いたしましたときも、もう家庭は、テレビはレスリングばかりやっているのじゃスイッチを切っちゃって、そうしてテレビに対してはシャット・アウトしているというような実情もお互い現実に見てきたわけでありますけれども、やはりNHKの使命といたしましては、私はそういうような意味において、少くも家庭の子女等に対してもやはりこれが非常にいい影響を与えるというようなものに、より高度なものに持っていかせる。しかも、それはなお、あまねく日本全国において聴取できるようにというようなことからいきますと、NHKの使命というものは非常に大きいし、また相当慎重にNHKの経営というものをやっていかせる必要があるのじゃないか。  以上、はなはだふぞろいでありますが、そういうふうに考えております。
  19. 新谷寅三郎

    新谷寅三郎君 郵政大臣のお話のように、概括論としてはそういう方向に行かせることには、おそらくだれも異存はないだろうと思うのですが、むしろ問題は、そういう、何と申しますか、一般論よりはもっと身近な、具体的なところに問題があるのじゃないかと思うのです。たとえばNHKについて申し上げましても、だんだん放送内容というものが一般の商業放送と類似してきている。だから番組審議会ができるようですが、NHKというような特殊機関については何も、とにかく番組の編成はもうこれはNHKの自由意思によってやらせるのだという大原則、それはそれにしても、これはしかし、法律に書けばできないことはないのですから、大体NHKというものはこういう方向に進むべきだというような、あまり民間放送と、どっちがNHKだかわからぬような格好の放送で、いつまでも聴取料をとってやるというような格好では困るのじゃないかという意見がぼつぼつ出かかっているわけでありますが、そういうふうな番組内容ということになると、非常に政府は神経質になっておられますけれども法律に書くのはかまわんわけですから、私はNHKの、今お話のようなことが、ほんとうにそれを国民も希望し、国会もそれが正しいということであれば、教養、教育番組が主だというような意味NHKを何らかの形でもって指導し、あるいは場合によっては規制していくということも考えられるのじゃないかと思う。そういったようなことがNHKについてはまず問題であると思うし、最近も番組についていろいろ問題が起っておりますが、どこでも日本NHKのように大きな全国的なネットワークを持ち、あれだけの大きな機構を持っているのは世界にもそう例がないと思います。  これは私は別な方面から見ましても、これは大臣、こういうことをお考えにならないでしょうか。まあ番組を盛んに不偏不党とかいうことはもちろんありますけれども、あなたが今おっしゃったように、積極的にいい番組を作らせるというような方向に持っていくことになりますと、課長や局長にまかせたのじゃだめで、やはり相当その責任者が、理事の人たちが中心になって、番組というものの推敲をし、検討してやらないと、ほんとうにいいものができないだろうと思うのですが、そういうことになってくると、今度のこの放送法案では、理事の数もふやすというような案も出ておりますが、私はどんなにりっぱな人を据えましても、あれだけの大きな組織になると、番組編成する担当者、まあ責任者という者になると、これは能力に限度があると思うのですよ。これは経験がある民間の会社についても同様だと思いますが、テレビジョンも教育テレビなんていうのが、種類の違ったものが出てくるでしょう。それから第一放送だ、第二放送だ、FM放送だというふうになってきて、しかも国際放送が入ってくる。それをほんとうに一人で毎日々々の番組をちゃんと見て、間違いのないように積極的にいい番組を組ませるということになってくると、これは私は実際上そんなに能力のある人はないと思うのですよ。従って、自然下の方にだんだんまかせていくことにしかならないので、一向あなたのおっしゃった進歩改善には縁の遠いものにだんだんなってくる。これはNHKの機構としてもお考えにならなければならぬと思うのです。  極端な例を申しますと、機械設備なんかどうあってもいいのですが、たとえばNHKのテレビの部門とラジオの部門と別のものにしたらどうかというようなことも考えるわけですね。こういったようなことは今言っている人はありません。ありませんが、これは今、私は一例として言っておるのですが、ほんとうに今大臣が言われたようなことを考えていくなら、そういうことも思い切って、これから考えていく、これはいかなければならぬとは言いませんが、一つの材料として提供しておきたいのですが、そういうところまで考えて、ほんとうに今大臣が言われたような方向に、公共放送というものをもっていこうとするなら、根本的に考える問題がまだたくさんあるのではないかと考えられますし、それから民間放送に関しましては、これも、いろいろあるのです。番組審議会等で、どこまで、一体働いてもらえるのかわかりませんが、これもやってみなければわからないと思います。  しかし、たとえば、ちょっと大臣もお触れになったけれども、一体ネットワークを、全国的なネットワークを作らせるのがいいのか悪いのか。それから、一時郵政省といいますか、電波監理委員会がとりましたように、一府県一社というような原則を立てて、初めは許可されたでしょう。その結果が、今日は私はあまりいい結果になっていないと思うのです。非常に乱立してしまったのです。さもなくても足りない電波を、むだに使っているのです。電波に国境はないのです、県境はないのですから、もう少し経済圏というものを見て、許可すべきだったのですが、これは過ぎたことで仕方ありません。今日でも全国的なネットワークでも作って、もう少し質的な向上をはかり、そうしてそのローカルのニュースとか、こんなものはどこにでも入るのですから、そういったものを捨てろとは言いませんけれども民間放送についても、全国的に、もっと全体の向上をはかって、そうしてむだな、何といいますか、経費のロスを避けていくというようなことを考える必要がないのかということを、これは民間放送については、まず言えるのだろうと思うのです。小さいものが、お互いにしのぎを削って競争する結果は、だんだんだんだん、放送番組内容も、あるいは教育という点からみますと、国民に対しては、悪い影響のあるものでも、何かその興味本位で、そういう番組を組まないとも限りません。一時は、そういう傾向が出ておったのですが、私は、もっとこれは考えていく必要があろうと思う。  その点について、全国的なネットワークですね、これも資本的に結びついて、ほかの放送は、一切受けないのだ、番組は一切受けない、ここのしか受けないというような、そういうふうな独占的な形でもって、ネットワークができるのは困るのです。これは、今度の放送法改正案にも書いてありますが、一部。それは困るにしても、いい放送ならば、ネットワークでいいものならば、全国に流すことができるような仕組みをむしろ、助長し、奨励した方がいいのではないかと思うのです。  そういう点について、これは、例に過ぎませんが、大臣は、何かお考えになっておられましたら伺いたいと思います。
  20. 寺尾豊

    国務大臣寺尾豊君) 私は、この商業放送というものに対しては、今一番大きな問題点は、御指摘のその問題だろうと思います。これはちょっと、お話の中にもありましたように、確かに電波に国境のない、こういうようなものを、行政区画を対象にして、電波を大量に与えたというようなことについては問題点があるかもしれません。  しかし御指摘のように、そのことはそのこととして、しからばこれから、これらのたくさんの民間放送業者、いわゆる放送会社をどういうふうに育て上げていくか、もしこのままに放置するならば、やはり落伍者といいましょうか、脱落者といいましょうか、そういうものも、あるいはそこまでいかないまでも、経営上非常に困難を来たすというようなことは当然でありましょうし、またせっかくりっぱな番組を作ろうとしても、業績がうまくいかないということによって、だんだんそれが逆戻りをして、低俗化するというようなことも、一つの心配ではないか、こう考えておるわけでありまして、いわゆる新谷委員が仰せのように、これが独占になったりしてはもちろんいけないけれども、何か合理的な、いい有力会社の番組というようなものであれば、それを地方の民間会社等が、これを受けて、いわゆるそこにネットワークというような形が自然にできていくというようなことは、私は好ましいことだし、またそういうふうにならざるを得ないのではないか。  しかし、これをただ、やがて自然になるからといって、放置しておいていいか悪いかという問題になると、かなりこれは重大な問題ではないか、そういうことにおきましては、いわゆるこれに対する協力もするとか、あるいはこれを助長するような、いわゆる指導ということは行き過ぎかもしれませんけれども、そういう方向に相談をして、その会社の運営はもちろん、よりいい番組を契約するというようなことはどうしても行なっていかなければ、現状の形においては、非常にこれはいたずらに経費のみよけいかかって、十分な成績が上らぬというようなことも生れてきはしないかというような点を考えてみますると、各社ともに、そういったような方向に進めていくという、いわゆるそういう空気もあるやに見受けられますが、政府といたしましても、そういったような方面に、りっぱな番組が、地方の局等にもネットワークされて、そうして各放送会社ともに、いわゆる共存共栄で、特質はそのローカルのものを出すというようなことにおいてもできるわけでありますから、そういったような方向に、ある意味において自然に取り上げ得られる形においてネットワークというようなことも、当然業者みずからが考えられ、またそういうことが、いろいろの弊害を除去する。  そういう方向に進められるならば、政府としても、そういったことを考えていきたい。かように考えております。
  21. 新谷寅三郎

    新谷寅三郎君 これには、実にいろいろの問題がありますので、また細目にわたってお尋ねをする機会に譲りますが、今の郵政大臣のお話だと、民放については、いろいろ法律上の問題は別として、実際免許に当っては、いろいろな行政指導をしておられるようですから、そういう際に、今言ったような方針で、なるべくそのローカルな放送会社同士のエリアが重なっていますから、それで自分の方のを聞かそうと思って、いろいろ工夫するわけですが、そういう競争よりも、むしろ番組全体を向上せしめるというような意味で、場合によっては、ネットワークのようなものを考えられるし、それから、たとえば民間放送の団体がありますね、民間放送連盟というような、ああいう機関を利用して、何かこれについての資本的に拘束されないで、しかも、そういういい国民の多数が、非常につまり聴取率の高いようなものについては、できるだけネットワーク式に流すことが、簡単に流せることができるような、これは著作権問題があったり、いろいろな問題があって、これも容易でないと思いますが、そういう行政指導をされるものと了解してよろしいかということが一つですね。それが質問一つ。  それからその次に、ついでに伺いますが、これは郵政大臣からは、おそらくお答えしにくいのだろうと思いますけれども、今は放送法の一部改正案で、これについて、放送については放送内容、つまり番組内容について、自主的ではあるけれども、いろいろの規制を加えようとか、国民の教育、あるいは教養に役立たせようとか、少くとも低俗な、国民に害を与えるような放送は避けさせようというような努力が法制上されておるわけでありますが、ところが同じような事柄が、やっぱり他のたとえば新聞とか雑誌とか映画とかについても、同様に言えるわけですが、こういったようなものについては、現在はほとんど放任されておると思うのです。  政府としては、この放送に対すると同じように、近い将来において、そういったものについても、法制をもってと私は言いませんが、自主的な措置だけでも、とにかく国民に、その報道の内容とか、映画の内容、そういったものについても、国民の教養を高めるような社会文化の向上をはかるとかいったような意味で、自主的な措置でも求めようとするような御意見が、あるいは閣議等においてお話し合いがございましたでしょうか。あるいはこんなことがどこかで考えられておるのでしょうか。私はこんなことが今考えられておるようには聞いていないのですが、これは放送内容を高めるだけでは、よくならないことで、このごろの——私は名前は申しませんが、われわれの目に入るいろいろな雑誌類なんかの内容、これなんか、実に子供の教育上困るというようなものが、たくさん出ておるわけです。  こういったものについては、やっぱり放任されるのでしょうか、どうでしょうか。
  22. 寺尾豊

    国務大臣寺尾豊君) 御指摘民間放送事業者等に対しては、民間放送連盟といったようなところと、何か話し合いをするとかいうようなことはどうだ、またこれを行政指導する考えがあるか、まあこういう御質問ですが、私は、やはりこの御指摘をいただいて、非常になるほどと感じたのは、民間放送業者には、いわゆる放送連盟というものがございまして、私のところへも代表者が、しばしばたずねて来て、主として先方の意見——要望でありますが、また私の意見も、その中では聞いたりいたしております。  従いまして、こういう代表の皆さんとは、しばしば会う機会を作りまして、そういうふうな皆さん方で、いわゆる放送事業者自体が、自主的に、しかも合理的な経営の方法、よりいい番組はネットワーク等でとるといったようなことについての、これは一つ行政指導というと少しなんでありますが、そういう方向に、一つ、いったらどうであろうかというような話し合いは、今後とも私はいたしていきたい。かように考えております。  それから放送法をどんなにりっぱにしていい番組放送しても、一般のいわゆる新聞、あるいは雑誌その他の中には、相当低劣なものも、あるいは偏向のものもあるのじゃないか、こういうことについては、閣議等では、それを憂える発言はあるのです。たまに、そういったようなことを憂える発言はありますが、それを規制しよう、こういうことについては、何らそういったようなことは今までやったこともございませんが、私どもの希望としては、やはり自主的にそれらの事業者が放送番組が、より向上され、そういったようなものを国民多数に放送するというようなことによって、だんだんこれが、それらの偏向者に対する善導することにもなるのじゃないか。  とにかく放送影響というものは非常に大きく、また深刻でもありますから、まずこれを、よりりっぱな放送をするということをいたしまして、それらの片寄った面については、そういったようなことについて自主的に、よりりっぱなものを放送するというようなことを希望いたしておる、かように考えております。
  23. 新谷寅三郎

    新谷寅三郎君 私は、今の郵政大臣の最後の御答弁につきましては、郵政大臣の御所管じゃありませんから、これ以上申し上げませんけれども、しかし私は、やはり政府としては、弱い者いじめになっちゃいかぬと思うのです。たまたま、これは免許事業であるから、免許のときに、こういう条件をつけてやれ、ほかの方は、どうもしょうがないからほうっておくというようなことでは、やはり社会は、よくならないと思うのです。何も法律をもって規制しなくても、私は規制する方法はあると思うのです。  現に新聞などで、大きな新聞が、私聞いていますが、新聞協会等を私もよく知っておりますが、中で自主的に相当、お互いに戒めて、こういうことをやろうというので、場合によっては制裁規定を発動したような例も、今までにあると思います。しかし政府は、それに対して何もいわないのだ、これは、あるがままにまかしておくのだ、ただ放送については免許事業だから、これはやってやるのだ、これをやらなければ免許を取り消すぞというようなことを、いたけだかにやっておって、こういう雑誌なんかについては、だんだんひどくなっていると思うのですが、私は、これは郵政大臣としては放送法を御担当になっておる主管大臣なんですから、やはり閣議等で問題にされて、あらゆる方面から社会をよくしていくという努力を、内閣としては、政府としては、おやりにならなければならない。これは放送だけでよくなるわけじゃないのですから、新聞、雑誌、映画等、すべてを通じまして、私は何らか関係者に自主的な措置を少くともとるように求められるのが、この際当然だと私は思うのですが、これは私の希望ですから、郵政大臣に対しても一言申し上げておく次第です。  それからその次に、一般的な問題としてお聞きしたいと思いますことは、これは多少法律問題になって、郵政大臣には恐縮なんですが、この放送局の設置について、これは資料をいただきたいといって要求をしたのですが、主管局からは、放送局開設状況一覧表というのが出されまして、さらに、これは、何らの郵政大臣からつけられた条件等が入っていないから、そういったものを、条件等を入れて出してほしいという資料要求をしたところが、今度はただ一例だということで、放送局及び放送に関する実験局等の予備免許の際に付した条件に関する資料というものを出されました。  これは、実験局等の予備免許の際に付した条件例というので、その中のあるものを拾ってお出し願ったのです。私はこれでは、一、二の例はわかるけれども、全般的にわからないので、ということは、私は個々の問題を取り上げているわけじゃないのです。一体どういう考え方で、どういう行政措置をされているかということを見たいために、これを要求したので、だから例じゃなくて、条件をつけられた局というのは、おそらく最近のテレビ局だろうと私は思うんですよ。一般の中波のラジオ局に対しては、そう大した条件はつけておられないと思いますが、そうすれば数は、そう大して多くないんですから、全体の条件示してもらいたいということを要求しているのですが、まだ出てきません。  まだ出てきませんから、多少、私の質問があとに残るかもしれませんが、今日申し上げたいと思いますことは、こういう放送局の設置について、さっき問題にしましたような電波法上の免許を与えられるに際しまして、郵政大臣からは、いろいろの条件をつけておられるわけです。これは私は、法律上のいい、悪いという問題は、一応さっきの御答弁もあったので、この条件法律上どんな効力をもっているんだというようなことは、次の機会にいたしますが、しかし教育放送なんかにつきまして、いわゆるあなた方の言われる教育放送、この条件例で見ましても、たとえば何%以上教育番組とか、あるいは教養番組が何%以上とか、そういうことを条件として免許を与えられているということなんですが、そういう場合に、一体その、まず第一に問題になりますことは、教育番組と、それから教養番組と、それから、まあもう少し広く言えば娯楽番組ですね、そういったものの基準を一体だれがきめるかということです。  この放送内容を、これは教育番組だとか、これは教養番組だとか、これは娯楽だとかということをおきめになるのは、だれでしょうかということです。今度の放送法改正案によりましても、抽象的な定義は出ております。しかしこれでは区別をする標準にはならないのです。それが、まあこれは条件ですから、守らせなければならぬでしょう。だからその基準をはっきりしておかないと、守る方でも守らせる方でも、これは一番もとになるわけですからね、そのままで放っておいたんじゃ、法律上は条件に合致するのかどうかということがわかんないわけです。  それから第二に、そういうふうな免許の仕方をされるについて、一体何%以上、私は教育放送やりましたとか、あるいは何%以上の教養番組を組みましたとかということを言いましても、これが適正であるかどうかということについては、何かこれをモニターする機関があるのかないのか、主管庁にですよ、郵政大臣がそういう条件をつけられたのですから、本来ならば郵政大臣は、果してその条件を満しているかどうかということを調べさせなければならぬと思うのです、どこかに……。言い放しじゃ困るだろうと思うのです。  だから、どこかで、これを調べるとすれば、私は、昔のような検閲制度はおやりにならぬと思いますがね、しかし検閲制度に似たものが出てくるわけですね、検閲制度に似たものが。そうして、これはなるほど申請にあったように、教育番組は五〇%組んでいるとか、教養番組は三〇%組んでいるとかいうことが、初めてわかるんでしょうね。だれも見なきゃ、組みましたというだけではわからぬでしょう。私はその運用——さっき申し上げた免許の際の条件というものが、法律上どういう効力を持っておるかという法律問題は次に回しましても、今度は運用上、一体大臣はどうされるのかということについてわからないんです。  その点について大臣がどういうふうにするんだという方針だけはやっぱり示していただかないと、この改正案のやり方が、われわれ見当がつかないということですから、その点御説明をいただきたい。
  24. 寺尾豊

    国務大臣寺尾豊君) 事実、目下のところ本省の方に、その基準——教育番組を五〇%にし、あるいは教養を三〇%にするんだとかいうような、はっきりした基準は作っておりません。  ただ、免許の際に、そういったようなことを約束いたしまして、そのいわゆる教育番組を五〇%、教養を三〇%ということで、いわゆる予備免許を与えて、そうしてその後開局をいたしました後においては、特にその開局当時というのは、なかなかそういったようなことが現実に履行ができていない状況であります。これはだんだん放送になれてくれば、そういったようなことをやるんだと、またそういうことに近づいていっていることも事実であります。ただ、その約束をいたしました放送会社が持っておりまする、いわゆる番組審議会、また番組基準、こういうようなものには、おそらくそういうものも示しておると思いますけれども、それを現在検閲するとか、どうとかいうようなことはやっておりませんが、まあ免許条件といたしまして、そうした教養のパーセンテージというものを示しまして、その方針のもとに開局をいたしておりますから、道義的に申しましても、そういう放送がなされているということは、私は当然だと考えておるわけでありますが、それは現在におきましては、特にこれをこちらが調べるとか、どうこうということではありませんが、そういう調査を積極的にはいたしておりませんが、しかしだれもが、見てもおることでもありますし、この約束が、一応守られていくべきだということについては、十分な関心を持っておるわけであります。  ただ、お示しのように基準を設けたり、あるいはこれに対するチェックをしてゆくということについては、的確なものを今やっていない、従ってこれらについても、十分今後の問題として検討をしていかなければならんじゃないか、かように考えております。
  25. 新谷寅三郎

    新谷寅三郎君 郵政大臣が、そういう答弁をされると困るんですがね、まあこの条件が、法律上どういうふうな効力があるかという問題は、先ほど申し上げたように、一応別にして考えておるんですが、これは私は、また別の機会、この次の機会にでも御意見を拝聴したいと思いますが、しかし少くとも、こういう条件をおつけになり、しかも法律には、そういう番組の相互間には、それぞれ調和をさせなければならぬという規定があるわけでしょう、この規定が守られなくてもいいんでしょうか、守らなければならないんでしょう。守らせる以上は、一体、教育番組というものは、こういうもので、教養番組というものは、こういうもので、娯楽番組は、こういうんだと、その間に調和がとれるように、それぞれ番組の編成上配慮をしなければならぬというのが法律上の要求でしょう、そうでしょう。  その内容について、一向どれが教育番組だとか、どれが教養番組だとかいう、まだはっきりしたけじめがない、あるいはもう事業者の方でやるがままに、まかしておくので、それは、何かあとででも、あるいはその当時でも、あるいは事前にでも、それをほんとうに条件に合うようにしているかどうかということを見る機関が、何もない、ほうってあるんだと、これは、まあ道徳的には守らなければならぬだろうというようなことだと、なぜこういう規定を置かれたのですか——置かれる必要ない。つまり、こういう調和を得なければならぬとか何とかいう規定を置いても置かなくても、そういったことは、これはもう道徳的なものなんだということであれば、法律的には、何も意味がないということですね。
  26. 寺尾豊

    国務大臣寺尾豊君) 全然無関心ということはないのであります。これは私が一放送会社を呼びまして、それを注意したこともございます。  ただ、それが基準を設けて、そして刻々成績を見ておるというほど、今これに力を入れてない。一応そういったようなことは、免許のいわゆる条件にもなっており、当然守っていくべきものだ、もしもこれを守らぬというようなことであれば、先ほど申し上げたように免許更新のようなときに、これは、もうそれに対する、こちらの守られなかったというようなことに対しての考慮を払わざるを得ないのだという、また一応の方針というものは持っておりますけれども、ただ、今基準とか、それを、いついつかの何が、こうだという、それをチェックすると申しますか、そういう特別の機関というものを持ってない。いわば、悪くいえば、はなはだそういうことに対して、まかしつぱなしだということを御指摘いただけば、そういうようなまあきらいもこれはございます。  しかし、免許条件として約束をしたことについては、当然守るべきだという考えです。それはもう自主的に、そういったような放送をする——開局当時においては、なかなかそういうようなことにもいくまいけれども、しかしなれてくれば、当然それは守られるべきだということは、それらの責任ある放送会社には、そういうことを私も指摘をしたこともございますし、注意をしたことも、まああるわけであります。まあ、なるべく自主的にやってもらいたいというようなことをいたしておるのですから、それに対する特別の調査の機関を設けて云々というようなほど、強くはやってない。  こういう現状でありますが、この点は、これに相当、省といたしまして、たとえそれが予備免許を与えるまでの条件であったにしても、いわゆる許可条件になっている限りにおいては、これは実施すべきだ、それを履行すべきだという考え方は、持っておるわけでありますが、その監督とか、あるいはそれをチェックするとかいうことに、やや力が——ややじゃない、まあ力をそれほど入れてない、こういう実情であります。
  27. 山田節男

    ○山田節男君 関連して、ちょっと今の問題……。  今の新谷君の質問に対する、まあ大臣の御答弁ですが、一体今、吉田内閣から岸内閣になって、教育放送商業放送にも許す。これはたしか、前大臣の田中角榮君のときだったと思いますが、教育放送の一体、定義はどうするのだ、ことに商業放送に教育放送を許す、それには、教育番組が何%、教養方面的なものが何%、こういうような比率を具体的に数字で現わしているのですね。  これは、もう申すまでもなく、アメリカの局においても、非常に商業放送発達したところでも、教育放送は、もう非商業的なんだ云々、という建前で、商業放送ではない。であるがゆえに、ある特殊のものは、まあいわゆる非常に発達しておるけれども、非商業的ないわゆる金もうけ主義のスポンサーのつかない教育放送であるから、ああいったように非常にテレビの普及しているところでも、教育放送がなかなか伸びない。それに対する割当のチャンネルは、ちゃんとあるけれども、それをすら全部消化しきれない、こういう状況なんです。  一体この日本で、教育放送商業放送でやらすかどうかについては、これは私は、その非なるゆえんをずいぶん大臣に申し上げた。ところがそういった、前に言ったように、田中郵政大臣は、一つのパーセンテージをつけて教育放送でやる、こういう弁明があった。ところが教育放送を、実際商業、民間放送にお許しになる。たとえば大阪の某テレビジョン放送会社のごときは、免許を受けて、そうして実際、今度放送番組を見ると、とても教育的、教養的なものばかりをやったら、その比重を守ってやったら商売にならないというので、私らの聞くところによれば、もう一般の商業放送と同じような娯楽放送も、どんどん入れてくる。これが実態なんです。ですから、大体この商業放送に、教育放送をやらせるということ自体が、非常に私は、何といいますか、放送行政、テレビの放送行政上——ラジオにおいても、そうですけれども、大いに私は、政府がこの点について楽観的だったというか、非常に私は、この点において先をよく見通せられなかったという恨みがあると思う。  そこで、それじゃその大臣がおっしゃったように、ただ業者の自主的な道義心に訴えていけばいいじゃないか、あるいは免許の更新の場合に、免許を取消せばいいのじゃないか、こういうことをおっしゃいますが、それは——もとよりこれは自主的に、道義的にやれれば、これは、一番いいわけだ。ところが商業放送は、これは商売ですから、損をしちやいかんという、そういう絶対的な要件があります。こういうことに、常に彼らは経営者として束縛されるのでありますから、ですから、やはり今新谷君の言われるように、この最ももうからん教育放送を引き受けてやるからには、やはりこのパーセンテージというものを、法律なり、あるいは施行規則で、やはりこれはちゃんと明示することが必要だ。  それは、道義的と申しますけれども、これは日本みたいに、まだ業者の道義心が非常に薄いところでは、アメリカ、イギリスみたように自律的に規律を持ってやるということは、これは実際悲しいけれども、不可能な問題である。ですから、一つ基準といいますか、パーセンテージ、教育放送とは、何%と何%を入れなくちゃいかん——もとよりこれは教育か、教養か、娯楽かという限界は、非常にむずかしいのです。むずかしいが、そこは、いわゆる常識的な判断で、たとえば娯楽のものでも、やはり勧善懲悪的なものは、これは、必ずしも娯楽ばかりとも言えない。そこらあたりは、これは実際問題の解釈としては、これはやはり常識的に解釈すべきものだ。  今、大阪の一放送局が、実際、教育放送をやってみて、これじゃ商売にならん。それから東京にも、すでに民間が教育放送を始めておりますけれども、私は、NHKのテレビの教育放送と、それから民間の教育放送とを詳細に比較はしておりませんけれども、私、たまたま二、三の例を見ましても、NHKの方では、非常に一つの企画を持ち、金も使っている。しかし一方におきましてのプログラムというのは、これはひがみかもしらんけれども、非常に安っぽい。しかも次第に、そのプログラムというのは質が悪くなりつつあるということを非常に憂えてきている一人でありますが、これは業者から見れば、商業主義という絶対面があるものですから、そういうものに教育放送を許す、またそういうものが、教育放送をやらしてくれと言うことが、私はこの放送事業に対する経営者の、非常に金もうけ主義にこっちゃって、先を見ない、放送卒業の本質を見ないということ、これは、私は批判に当ると思うのです。  ですから、一つのこの教育放送の線をはずせないような——これは、何も官僚主義じゃないのですから、公共放送——公共のために、教育放送をますます生かすためには、それに対する一つの規律と言いますか、レギュレイションを設けるということは当然なことです。これは官僚主義じゃないのです。ですから、今の、自主的にまかしておく方がいいのだ、それよりほかないのだとおっしやいますけれども、実際問題として、やはり行政上漠然と新谷君が言われたように、非常に漠然と——してきている。  それから免許を更新する場合に、それを考え免許を取り消せばいいじゃないかと言われますが、しかし業者が、あれほどの金を投資して、しかもそれが国会等におきまして働きかけるということになりますと、大臣が幾ら決心されても、これは免許の取り消しということは、これは日本においては、特にむずかしいのじゃないか。ですから私は、むしろこの一つの、いい意味放送基準法律において明示して、それに従わん者は、大臣の行政措置ができるものである、そういう根拠がないと、今の新谷君が言われたような、もうきわめてあいまいなことになってきて、われわれの予期したような悪弊を流していくということになるのではないか。  そういう点、どうでしょう、官僚主義とか、政府の干渉ということでなくて、教育放送というばく然たるものには、やはり基準をあげて法律に明示する、もしできることならば、施行規則でも、あるいは政令でも、一つ基準を設けておかなければ、非常な私は、後顧の憂いを残すことになると思う。そういう点については、どうですか、まあ大臣の、踏み切れるとか踏み切れぬとか、そういう決意をお聞きしたいのじゃないが、今大臣のおっしゃったようなことにおいては、教育放送商業放送というものが満足に成長することは絶対に不可能であると私は思うのですが、そういうことについての大臣の御意見を率直にお伺いしたいと思います。
  28. 寺尾豊

    国務大臣寺尾豊君) ごもっともな御質疑であり、御意見であると思います。私ども、率直に申し上げて、この点につきましては、いわゆるきわめて行政指導が不十分であるということはおっしゃる通りだと思います。その点は、私、お説のように、これが統制であるとか、あるいは政府事業者に対する抑圧であるとかとは考えておりませんので、少くも教育放送、あるいは教養番組、教育番組等につきましては、一応の、しかも五〇%とかあるいは三〇%とかということが免許条件にもなっておりますから、これらにつきましては、一つ早急に、十分検討いたしまして、適切な方法を見出したいと、かように考えております。
  29. 荘宏

    説明員(荘宏君) ただいまの教育番組、教養番組、娯楽番組の分け方につきまして、事務的に考えておりますことを補足的に申し上げさしていただきます。  確かに、この三つの番組の振り分けをつけるということはむずかしいことでございます。どういうふうに一つ番組を分類して、どのカテゴリーに持っていくかということは、最終的には、放送事業者の判断によらざるを得ないと存じますが、しかし、今回放送法改正案考えました際には、その業者の判断が、勝手にはできないというようにしたいと考えたわけでございます。  それで、考えました方法といたしましては、番組基準というものと、それから番組審議機関という二つのことを考えたわけでございます。番組基準というものは、これは業者が必ず作らなければならないということを法案の上で規定をいたそうと、かように考えておるわけでありまして、そしてその番組基準というのは、番組の種別及び対象に応じて作らなければならないということにいたしまして、従いまして、教育番組というのは、こうこう、こういうふうにあるべきものである、教養番組はかくかく、娯楽番組はかくあるべきものであるというように、この番組基準の中に書き上げられて参ることを考えておるわけでございます。そうしてこの番組基準は、業者が手前勝手なことを作れないように、番組審議機関というものを必ず設けていただくということにいたしまして、その審議機関にかけて、良識ある方々審議を経て、初めてきまる、このように実は、番組基準の方は考えておるわけでございます。  それから番組基準ができ上りました後に、その基準に従って、果して番組ができているかどうかということを、この審議機関が、また批判機関として働きまして、あとまで見届けていく。こういうようにして、番組の調和なり分類の適正なりというものがはかられるようにと、まあかように事務的には、組み立てを考えたわけでございまして、最終的には、業者の判断ということになろうかと存じますが、恣意的には、勝手なことはできないというように一応考えてみたつもりでございます。  放送番組につきましては、努めて放送事業者の自主性を尊重するという建前から考えました場合に、この程度のことが現在最も適当なのではなかろうかと、かように考えた次第でございます。
  30. 新谷寅三郎

    新谷寅三郎君 今荘君の御説明になったようなことは、改正案に入っているので、この趣旨がいいとか悪いとか言っているのじゃないのです。そういう配慮をしているということは知っているのです。私は、その前の問題を言っているので、つまりあなたが、一番初めに言われたが、そういう教育番組とか教養番組、あるいは報道番組、娯楽番組というものの分け方というのは、結局は、それを放送する放送事業者が最終的にきめる以外にはないのだ、こういうことをおっしゃるから、そこで私は、郵政大臣お尋ねしているのです。  いやしくも法律に書いて、こうこうなければならないと、たとえ道義的にしろ、法律上の責任を負わせながら、それはやる方に任せているので、政府も知ったことじゃない、法律も、それは知らないというような法律はあり得ないと思う、そういう法律というのは……。これは、法律がそういうことを道義的にしろ要求している以上は、やはりそこに客観的な基準がなければならない、それでなければ、どうして法律などというものをきめることができるか、ある一つ番組をAの業者は、これは教育番組だと言い、Bの業者は、教養番組だと言い、Cの業者は、娯楽番組だと言っている、それは、それでいいとしてあなた方黙っておりますか。そういうことでは、法律に書く値打ちがない、法律的な効果は何もないのじゃないか。  それをさっきちょっと御説明したけれども、いろいろ政府の機関でモニターをしてやっているとか、やっていないとか、あるいは事前に検閲しよう、そういうことまでやらなくても、自主的にしろこれはやる余地は幾らでもあると私は思います。しかも客観的な方針に従ってやらせるということだけは、はっきりさせないと、なぜこういうことを法律に書いたかということになる、これは、あなたの説明の前のことを言っているわけで、郵政大臣に、その点で、これは今すぐと言っても、時間がないから後の機会でもけっこうですが、こういう基準を、私は、これは必ずしもそうしなさい、それがいいとは申しませんが、たとえばこの法律には書いてありませんが、先ほど申し上げたような放送については、民間放送連盟というのがあるでしょう、これは今は、全業者が入っているでしょう、これは、そういうふうな機関が、かりにある程度権威のある機関だというふうにお認めになるならば、基本的な抽象的な方針というものは、あなた方が、電波監理審議会なら電波監理審議会という権威のある公明な機関に諮問されて、そうして、こうあつてほしいというものを出されて、そうしてこれを移して、民間放送連盟なら民間放送連盟という権威のある団体が、自主的にそれを具体的にきめて、そうして、そういう基準の上に立って、自分のところに所属している業者の番組が、果して法律及び主管庁の要望するような適正なものになっているかどうかということを自主的に見ていくということも考えられないことはないでしよう、それぞれの業者が、それぞれ自分の勝手な立場できめるのだということになると、法律上、なぜそういうふうにしたのか、それならそれは、業者に任せるのだと、初めから書いた方がいいということになってくるので、私がこういうことを申しあげる趣旨は、やはり相当、客観的なものをきめておかないと、これは業者に対して、お前のところは教育放送として教育に特に重点をおいたから免許許可を与えると言っておきながら、実は、だんだん一般の商業放送、一般の普通の民放と同じような内容になってしまって、それでも役所は、もうしょうがないというので、手をこまねいておるのでは、あなた方が、社会に対してお約束になった趣旨とは違ってくる、そういうことがあっちゃならないじゃないか、それを防止するのには、どうしたらいいかということをお考えになっていただきたいという趣旨なんであります。  現にそういう傾向が現われておると思うのです。このごろの放送をごらんになったらわかります、相当に、そういうふうな傾向が現われてきておる。  それから、こっけいなのは、もう時間がありまんから詳しく言いませんが、私の聞いたところによると、たとえば同じスポーツ放送でも、プロレスリングは、これは娯楽だと、学生のやるレスリングの試合の方の放送は、これは教養番組だと、こう言うでしよう。そうすると、その教育番組の中に、学校の教育課程云々ということを書いてあります。しかし体育のことも、教育課程に書いてあるでしょう、スポーツの中にも、一体教育に入れるのか、教養に入れるのか、娯楽に入れるのかというふうな三段階出てくるわけです。私は、そういうこっけいな分け方をあなた方がされるとは思わないです。思わないですが、しかし、そういうことも、世間でいわれているのだから、同じ野球でも、学生野球は、これは教養番組だ、プロ野球は、これは娯楽番組だと、こういうふうなことになって、それが通説になってもよろしいのかということなのですよ。困るだろうと私は思うのですよ。もう少し別な見地から、教育番組、教養番組、娯楽番組というものの区別はおつけになっていないと、これ案件とか何とかいわれても、すぐ現実にはめちゃめちゃになってしまいます。  そういう意味で、私は何らか、これをスタートのときからよくしておかないと、スタートのときからつまずいてしまうと、あなた方の趣旨が達成できないのだから、ですから、その点はもっと慎重に、真剣にお考えになる必要があると思うから申し上げておるわけです。午後でもけっこうですから、一つ考えの上、御答弁願いたいと思います。
  31. 手島栄

    委員長手島栄君) 本日は午前中で…。  それでは、本日は、この程度にとどめたいと思います。  これにて散会いたします。    午後零時三十三分散会