○
参考人(
春野鶴子君) いろいろむずかしい専門的なことはわかりませんので、おっしゃいました
通り一
住民として、平生どんなふうなことを感じているかということを率直に述べさしていただきます。
昨年からことしにかけまして、大きく
減税ということを言われておりますけれ
ども、一方ではその
減税の
喜びを見ないうちに、いろいろの
物価の
値上げがどんどん
政府で許可されたり、
便乗値上げがされたりいたしまして、ことしは
値上げの年ではなかろうか、もうすでに計算いたしますと、
減税の
喜びよりも諸
物価の
値上りで、
家計に赤が出るということを私
ども計算いたしまして戦々きょうきょうといたしておりすます。しかしまあこちらで、とにかく七百億
減税のその
ワク内で具体的に
地方税の
減税がなされるということは、まあ何によらず大へんうれしいことでございます。いずれ個々の
家計の上ではこれだけ大きな
減税があったのか、そういう期待はできないと思いますが、
減税はありがたいことでございます。ところがその
埋め合わせの
一つで、
ガソリン税の増収を見込んでおられます。これは今
衆議院の御
意見を拝見しますと、四千円の
値上りを幾らか安く押えていただいたようでございますが、今日非常に
野菜、魚、
家具類、そういう
トラック輸送といいましょうか、そういうものが非常にふえておりまして、その運賃の
値上りから
野菜、魚、そういう
日常物資の
値上りに転嫁される、そういうおそれがございますので、いささかこの
埋め合わせとはいうものの、
ガソリン税の
引き上げということはあまりうれしくないことです。それから
入場税を安くするということで、
地方の方に入る
お金が減るという点がございますが、この点もすでに町の
映画館の
人たちは、これぐらいの値下げをされても
入場料を安くするわけにはいかぬというふうな、まことに何といいますか、なめた
意見を平気で言われております。そうすると、ちょっとややこしくはなりますが、せっかく
入場税が下る、
地方の方では収入が減ってお困りでしょうけれ
ども、
消費者の
立場からしますと、ちっとも
減税の
喜びというものが表面には現われない、こういうふうなちぐはぐがあります。
総括して、
減税が片方でなされて、そのかわり今も前の
参考人がお述べになりましたように、いろいろ一方ではたくさん
仕事をしなければいけない。ですから
あれこれ交付税の率をふやしたり、
地方債を大きくさせたり、
ガソリン税をそういうふうに
引き上げたりというふうなことで結局埋め合せをされて、結局
財政規模はどういうふうになるかというと、大きくいって一千億円ばかりふくらんでいきます。それではその一千億円ほどふくらんだ
お金でどんなお
仕事を各
地方ではやっていただくか。すでに示されておりますように、いろいろ大事な、なるほどと思われるようなことをなさるその
項目が並んでおります。それはもう
地方の
住民のための
福祉を増進するために大いに
仕事をしていただきたいのです。年々考えますと、三十二年、三十三年、三十四年という計算で、
地方団体全体の
支出、そういうものをしろうとですからすらっと拝見してみて、年々ふくらんで参っておりまして、国の予算が年々ふくらんでいきますごとくに
地方の
支出もふくらんでおります。この
財政がふくらんでいくということは、何だか私らには非常に
薄気味が悪いのであります。それだけ
自分たちの
税負担というものが、国の
税金に対しても
地方の
税金に対しても、うんうんうなりながら
税金をしょっていく、
税額の多さということに一種のおびえを感じます。しかし必要なことであり、経済の様子も
終戦直後と違いまして、次第々々によくなっておりますから、あれもしないでもいい、これもしないでもいいということは私
どもは申しません。いい
仕事をりっぱに、必要なものを大いにやっていただきたい。ですから、それに必要な
地方税、
国税の
負担は
税金滞納どころではなくて、
税金を納めるために前もって貯金をするくらいの意気込みで気ばっております。ところが最近示されておりますように、
地方の方の
税金は五千八百五十九円、国の方は一万三千七百二十二円、前年度は
国民一人当りが一万八千六百円というものが、三十四年度では一万九千六百八十一円というようなふうに、これも
減税心々と言われながら、やはり
国民の
負担はふえているわけであります。で、ふえるのはやむを得ません。それをしょって参りましょうけれ
ども、どうぞ
一つよい
仕事をむだなくまじめにやっていただきたい。これはもう国も
地方も同様だと思います。私
どもの目につきますことは、とかく、ほんとうにああいう
仕事を急いでやらなければならぬことだったろうか。一方台所につながる切実な、ささやかなことですけれ
ども、この
仕事をと、こう要望いたしますと予算がございませんということで、中央でも
地方でも突っぱねられることが非常に多うございます。概してそのほか新聞なんかに盛んに報道されますように汚職、収賄、そういうふうなこともまことに年中行事のようにあるということは大へん残念に思っております。
で、だんだん
終戦直後のあの荒れはてたものから、今日あの時代を想像するにも想像できないというほど表
通りなりあるいはビル街なり、県庁の建物
一つ見ましても、どの
地方へ行きましても大へんな復興ぶりで、東京の町だか
地方の都市だかわからないというようなふうに一
通りの表玄関の家並みはそろっております。それで文化都市になった、あるいはきれいに復興したというふうに概して言われるのですけれ
ども、中身
一つあけて見ますと、これを支えている
国民の暮し向きの楽さかげんというものは、ちっともこれに並行していない。つまり中身は、
地方財政でもほんとうの力がないのに、それ以上の背
伸びをした
仕事の
計画で、しかもその
仕事の内容というものがしみじみと
住民の
福祉をじみなところでふやすという面にはあんまり考慮されないで、片方の区長さんが在任中に、そうまで急いでお建てにならなくてもいいんではなかろうかと思われるような公会堂をお建てになる。そうすると、隣の区でもあわてて議会で大騒ぎをして、杉並の方でもまた日比谷公会堂よりもりっぱだというふうな公会堂をお建てになる。まるっきり昨年、一昨年にかけては県庁もりっぱになったし、公会堂も図書館も体育館も、次から次に表向きはどうやら近代的なような建物をせっせとお作りになる。そういうことの作り競争みたいなふうに見えるのです。それはまあできますと利用もいたしますし、大へん文化、教養というふうなことに役立つことは当然でございますけれ
ども、分に応じて、そのときのその
市町村の力に応じて何から先に重点的にやっていくべきか。競争意識とか自分の名誉欲とか、功績をあせるというふうなことでお作りになった事柄が割と多いんじゃなかろうか。その結果、東京でも
地方でも、表面ははなやかな繁栄ぶりを見せているようですが、中身はさて赤字であり、
地方支出の約半分というものは、一にも二にも国からもらいたい、国の補助金、国が出してくれないからこうだ、三分の一出すそうだからといっては、無理しても隣の県に負けないようなこういうふうなことをやろうというふうなことが、割合行われているんじゃないかと、まあ邪推いたします。それで最近これはもう各地でよく聞くことでございますが、よく
地方の婦人
団体なんかに参りますと、非常にりっぱな学校ができていたり、図書館ができていたりいたします。そこでその
地方の婦人
団体の方々のお話を聞きますと、その建物の半分は私
どもが卵貯金や何かかんか零細な婦人会の寄付を集めて、この建物の半分は建てたんだというようなことを、あるときは誇らしげに、あるときはそれだけの強制的な寄付を割り当てられたということを大へん訴えられます。同様なことは至るところにございまして、足元の東京でもごく最近でございますが、世田谷の区の方で体育館をお建てになる。そうすると当然これは
地方の公費ですが、そういうことで予算をお立てになってなさるべきことなんでしょうけれ
ども、その土地の方々の、
税金を上中下納めになっているその納
税額の額割に比例して強制寄付の割当があった。これは今私
どもの仲間でも大へんけしからんというので、ぷんぷんに怒りまして、いろいろかけ合っているようでございます。自発的になされる寄付はけっこうでございましょうけれ
ども、とにかく六、七年間の間はもう仕方がないんだ、出すべきことになっている。割当がくると出さないと隣近所妙な工合だ。あるいは指導者の方、役員の方、そういう方々が御自分の面子で一千万円かかるなら四百万円はわれわれの方で担当しましょうというふうなことで、みずから担当なさって、しかもそれを皆さんの合議制でなくて、その会員の方々にそれぞれ強制的に割当をされて、そして調達される。それを何やら名前の入ったピアノやら書だな、あるいは建物の一部にそういうことがやられる。また理事者の方もそれを当て込んで、そして三分の一あるいは二分の一は当然
PTAあるいは婦人会あるいは町内会、そういったところが持ってくれるんだというような習慣が非常に根強くついて、そしてそれで表面の復興といいますか、そういうようなことが行われていっている。そういたしますと、
税外負担ということは、これは非常にどうかいたしますと、当然
負担すべき
税金の二倍にもなるようなこともあります。それほどでないこともありますけれ
ども、とにかくそれが子供につながったり、毎日の暮しにつながったり、隣近所につながったりしておりますと、
税金ならば税務署に行ってよくお話すれば、近ごろ待ってもらったり延ばしてもらったりという話し合いもつくのですけれ
ども、どうもこういうふうな意味の
税外負担、寄付ということは、なかなかどうもややこしいのです。大へんいやらしいことなんです。これは
一つの例でございますが、目黒の区内の当然義務教育である中学校へ、私は一人の両親のない子供を預かっておりまして、せめて中学校を無事に出してあげたいということで行っております。ことし卒業いたしますが、その子の毎月納めるものを見てみますと、きちんと学校図書館の建設のためにというふうな費目で、二十円でしたか三十円でしたか、毎月割当がある。これは月謝と同様に子供のことですからきちんきちんと持っていく。これもそういう父兄に対す強制割当的で
税金以上の重みを持つ割当でございます。それから杉並のある未亡人家庭で、現在収入はございません。これは多少家があるわけですが、昭和三十二年四月から二十三年の二月、この間に
固定資産税一万三千百七十円、都市
計画税千八百八十円、総額一万五千五十円、次の年度に一万五千四百七十円、こういったふうな納め方をしております。このほかに町内会費四十円、それからお子さんを都立の区内の学校に通わしております。これの学校の建設資金にきちんと毎月百円割当があります。このほかに警察審議会という町内などにできました民間的審議会のようでございますが、これの会員、これは会員制になっております。そしてこれが年に百二十円、杉並区社会
福祉協議会という名目で年に二百円、町内の敬老会などというようなことで年に二百円、昨年は同じく区立の某中学校の十周年記念で図書館を建てましょうということに相なって寄付を求められた。これは相当大きい額を彼女は割り当てられたようですが、お話し合いの結果月賦で納めていきます、こういうふうなことです。そのほかに緑の羽根だの、白い羽根だの、赤い羽根だのというふうなことで、これもまた同様に割当で出すわけです。日赤の寄付も回って参ります。ああいうふうにつらい
終戦の状態を迎えたわけですから、何もかも
税金で、
地方あるいは中央の政治の力でやってほしいという甘いことは申しませんが、全国的に一兆円をこえる膨大な
地方の
支出、それだけのお
仕事をなされる、そのお
仕事の半分を国からの補助金、もう一にも二にも中央にかけつけて行って、そして割当をふやしてほしいというふうな何といいましょうか、これは私
どものひがみであってほしいと思うのですけれ
ども、
衆議院、参議院の先生方はどうかいたしますと、
地方の予算なり、交付金なり、補助金なり、そういうものを一生懸命
地方のためにぶんどっていただく、
地方の方々もそれを非常に期待なさる、期待されれば一そう何とかしてわが県にはこれはおみやげに持っていきたい、こんなふうなやりとりがいつしか中央の政治的勢力といいましょうか、そういうふうなことが
地方の人をやたらにぺこぺこさせ、自主性がいつの間にかなくなっていく。私の友人の一人で、
北海道のはずれで村長さんをやっておる人がおりますけれ
ども、半分以上は東京に出てきて陳情申し上げないと事が進まない、金がもらえないということを非常に嘆いておりました。あるいは
地方の議員さん
たちも、もっぱら中央に陳情するのだという、いわゆる中央依存度というものがますます激しくなっているんじゃないか。そして獲得された基礎づけられた
お金で、ほんとうに身にしみるような、細々としたことでけっこうでございますから、手元足元の
道路のこと、あるいはどぶのこと、あるいは暗い道に明るい電灯がついた、そしていたずらする少年やら変な犯罪も次第になくなったという逆コースがまだまだ
地方にあるわけです。ちっぽけなことですけれ
ども、私
どももよく町内の付近でどぶ掃除をいたします。蚊やハエの清掃運動もあってどぶ掃除をいたします。そうしますと、ほんとうはまあ区がやってくれる
仕事なんでしょうけれ
ども、自発的にやるのです。どぶから
引き上げましたどぶのかすを道ばたに当然置きます。それは都の
仕事だそうでして、取りにこないのです。一週間ぐらいむんむんと蚊やハエがたまって、それを区役所に掛け合いますと、それは都の方だ、どぶをやる方は区であって、せっかく
引き上げたどぶかすは都の方だから都が動き出すまで土手をなしている。そういうようなことがよくあったものです。
それからまた東京都なんかでは、いよいよオリンピックだ、いや皇太子の御成婚だということで、あわてて
道路を修理されたり、あるいは外人もたくさん見える、観光客のためにもこうもしたい、ああもしたいということをいろいろおっしゃっておる。ところが先ほ
どもお話が出たように、糞尿の
処理の問題とか、それから日にち毎日台所から吐き出されます山のようなごみがございます。これらをちょうど今ごろの時刻でございます。もう午前中の一番空気のいい、太陽がさんさんと降り注ぐ都大路のまん中に、隅々から集めましたものが山のように積みまして、一度
道路に置いて、そしてそこにまた大きい車なりトラックがやってきてその積みかえをやる。この四、五十分あるいは一時間にわたる前後のきたなさかげんというものは、至るところに毎日展開されている。これを中共の例でもございませんが、ああいう不潔だった中国さんすら
解決しつついるわけです。これは夜の間に午後八時ごろすっかり事が終ります。そういうことでも
一つ身を入れて、こういうことを是が非でもやりたいというふうに真剣にお考え下さらぬかということを数年前から頼んでおりますけれ
ども、予算がございません、それをやったら二倍の人夫賃を出さなければいけない、あるいは労働組合がやかましいというふうなことで軽く一蹴されてしもう。だんだん東京も観光都市というふうに盛んに外人を呼びたいといいながら、そうして銀座
通りにはビルもたくさん建ちながら、一方裏
通りへ行きますと、そういうおそるべき不潔なことが大東京の名において継続されているというふうなことは大へん残念でございます。
財政のふくらみも
税負担も、それはときにより経済力の発展に従って、だれもこれをいやがるものではないと思いますが、何とぞ
一つ国と
地方との
お金のやりとり、それらの複雑さ、あるいはそれにからまる政治的な何やらあやしげな勢力分布、そんなこと、それからいたずらに
地方の人が中央に行って、陳情々々で頭を下げればいい、下げてももらって来さえすればいい、そんなつまらぬことはやめていただきたいと思います。
地方議員の議員の数だとか、あるいは昨今も盛んに問題になっておりますように、同じ
お金をお使い下さるのに、議長さんの交際費が何に使われたかわからない、あるいはお手盛り歳費で盛んに
住民から騒がれる、あるいはある学校の建設がきまって、そうしてその敷地を区なり
地方が買おうとされる前に、それを知っている議員さん
たちが坪一千円くらいで農地をお買いになって、そうして今度はあらためて区の学校の敷地として売り込まれるときには、一万円とか一万五千円のお値段にはね上る、そういうつまらぬ——つまらぬというか、実に腹が立つような正しくない使い方、ふまじめな使い方、そういうことが目につくのでございまして、願わくは
住民として、善んで
負担——ということはいえませんでしょうが、
税金が安く、よい
仕事がなされて、国も繁栄していくということにこしたことはございませんが、何はともあれ、
税金を
負担して参ります。同時に筋の通った同じ予算でもまじめな、また背
伸びをしない着実な
仕事の進め方で、苦しいときは一緒に
住民も苦しみましょうし、ようやく幾らかの余裕が出てきたら、次第に
福祉方面のお
仕事を着実に伸ばしていく、そういうふうなことをよくわからせて下されば、また
地方のお
仕事というものは市長さんのみ、あるいは議員さんのみのプランでさっとなさればいいというものではなくて、
住民がほんとうに必要としておるもの、願うものをやっていただきたいのであります。こういう
方面を一そう中央、
地方ともに
住民にわからせることに、あるいはまた
住民と一緒に考えて下さることに御努力願いたいと思います。
毎年のことですけれ
ども、毎年会計検査院などから指摘される事柄に、実に乱費の
項目で食糧費あるいは旅費、そういうようなことで議員さん一人でお菓子を五十分も食べるような食糧費が計上されたり、職員数をふくらませるだけふくらませて、今度
整理するときに全く手がつけられない、あるいは民主的はけっこうですけれ
ども、やたらに機構ばかり、あるいは出先機関がふえたり、またぞろポストをふやさなければいけないということになったり、それから区長さんや知事さん
たちが、その区の貧しさにふさわしくないほどりっぱな外国製の自動車を乗り回されたり、これはだいぶ最近少くなりましたけれ
ども、そんなふうなさか立ちがどうぞ
一つ次第に消されていきますように、これは、この
税法の
改正のこちらの場で訴えることでもなし、場違いであったかもしれませんけれ
ども、願っておりますことは、
減税は歓迎をいたしますが、なお、それでもなおふくらんでいく
地方財政の
規模のふくらみに、やたらなむだなふくらみがありませんように、まじめなよい
仕事が
住民たちを喜ばして下さいますようにということを
お願いするわけでございます。