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政府委員(
賀屋正雄君) お答え申し上げます。接収の意図と返還して参りました
経緯についての御
質問でございますが、接収の意図は、日本側からはよくわからないのでございますが、諸般の事情から推測いたしますと、当時といたしましては、将来賠償というようなことも問題になろうかと思いまして、賠償に充当するという考えもあったのではないかと思うのでございまして、まず、
昭和二十年の十月九日の総司令部の渉外局の発表を見ますと、散逸しないように保管するとなっておりまして、これはもっぱら、
あとでどういうふうに使うかわからないが、その後の処分の実行を確保するために、ばらばらにならないように、
一定の場所にまとめて置く、そうして強制的に管理するという意図であったようでございまして、これだけではその意図はまだはっきりしないのでございますが、ただ、次に、同じく
昭和二十年の十二月七日にポーレー大使が公式声明を出しておりますが、その中にこのようなことを申しております。すなわち、これらの貴金属等は、その処分について
決定がなされるまでの間保管するために、合衆国造幣廠に輸送されなければならない。しこうして、これらの貴金属等を合衆国に輸送することは、後日それを占領費のために使用するか、輸入品のために使用するか、もしくは賠償のために使用するか、または返還するものを
決定することについて、何らの影響を及ぼすものではない、こういうことを言っております。従いまして、接収の意図といたしましては、ここに述べられております占領費をまかなうために、あるいは日本が必要とする物資を輸入しましてその決済に充てる、あるいは先ほど申しました賠償に充てるとか、こういったようないろいろなことが考えられておったのではないかと思われるのでございます。
それからもう
一つ、手がかりとなるものに、極東
委員会の
決定いたしました対日貿易十六原則というものがございまして、これは
昭和二十二年の七月二十四日でございますが、その中の十六のC項に、次のようなことが
規定されております。すなわち「金、銀その他の貴金属及び宝石のストックにして明らかに日本所有のものと立証されたものは、終局的には賠償物件として
処理すべきである。」。これを見ますと、はっきり賠償物件として
処理すべきであるというふうに断言いたしておりますが、これは極東
委員会の
決定でございます。しかしながら、占領についての最高責任を持っております連合国最高司令官はこれを採用いたさなかったわけでございまして、結局「平和条約の発効とともに、民間所有の財産であることが判明した個々の物件を返還する
計画を立てることが認められる」、こういう覚書を付して日本
政府に引き渡して参ったのでございまして、この最後に日本
政府に引き渡した覚書を見ますと、いろいろ考え方はあったにしろ、結局は日本の民間の所有の財産であることがはっきりしたものはその者に返す
計画を立ててよろしい、こういうことを覚書の中で明言いたしておるわけでございます。
以上が、われわれの側で推定いたしまして、どのようなことを考えておったかという点と、それから結局、現実問題といたしましては、最後にこのような覚書をつけて返してきた、こういういきさつを申し上げたわけでございます。