○
政府委員(
山下武利君)
前回御
説明いたしましたところと若干重複いたすかもしれませんが、重ねてやや詳細に御
説明を申し上げたいと存じます。
「
きじ」の事故の起りましたのは、
昭和三十二年の十二月十八日でありまして、場所は
下関基地隊の
吉見港でございます。
吉見港にこの「
きじ」という船が、
同型艦の「たか」という——これは両方とも
駆潜艇でございますが、係留いたしておりましたときに、あらしのために係留のブイがそれをつないでおりますところの主鎖から離脱いたしましたために、船が漂流をいたしまして、そうして風によって
陸岸の方に押し流されまして、防波堤の外側に押し上げられたものでございます。で、この事故の直接の原因になりましたのは、その前年であります
昭和三十一年の六月に施工しておりましたところの係留ブイの主鎖とそのブイの鉄架とをつないでおりますところのピンが、その当日の強風と激浪のために、このピンが頭部側から抜けまして、主鎖がブイから離脱した、こういうような状況でございます。で、当時その
駆潜艇の司令と艇長は、一応寒冷前線が近づくということに対していろいろな情報を得ておったようであります。万一の事態に備えて
相当の警戒をいたしておったのでございます。警戒の状況をごくかいつまんで申し上げますと、あとの調査によりまして、実はブイが漂流を始めた時刻は、
前回もちょっと申し上げましたが、午前零時四十五分前後ではなかろうかというふうに推察をされております。これは当時、その
吉見港のポンドの中に同じ自衛隊の「よしきり」という、これは掃海艇でありますが、これが横づけになっておりまして、その艇長がたまたまどうも「
きじ」が漂流しておるらしいということを認めたという記録があるのでありますが、それがどうも零時四十五分ごろであったようだということがあとの調査でわかっておりますので、それから推察をいたしまして、大体そのころあたりだったろうと思われます。そこで、その事故は、要するに防波堤に乗り上げたことによって起ったのでございますが、その乗り上げた時刻は一時ごろでありますので、その間が大体十五分前後であろうかと思われます。で、その十五分間の事態でありますが、当時寒冷前線の接近ということが予想されましたので、船の方では
相当の準備をいたしておりました。たとえば二十二時五十分には総員が起床いたして、艦内の警戒閉鎖等に当っております。同時に荒天部署につけとの下令をいたしております。三時二十二分ころには総員が集合いたしまして、注意事項等を当直士官から達示いたしております。当時この直接警戒に任じておったのは当直士官と、その下におりますところの当直海曹及び当番の二十と、この三名でありました。当直の海曹と当番とは一時間交代を命令されておりました。また
機関部の方におきましては、
機関員は三名が当直をいたしておりました。これは三交代の発令になっておりまして、十二ノット十五分単位、つまり十五分のうちに十二ノットのスピードが出せるような準備を常に
機関部としてとっておくということでありますが、そういうような指令を受けておったような状況でありました。ところが当日は非常に風が激しくて、雨が降っておったために目標を認めることが非常に困難な状況にありました。たまたまブイが流れるといったようなことは、当時予想しがたかったような
事情がありましたために、船が
陸岸に押し流されているということが、当直の者にも不幸にして気づき得なかっような状態にあったと思われます。たまたま
機関長が手洗に行って、ついでに艦橋の方に上って参りました。これが零時五十五分ごろと後の調査で認められております。そこでしばらく
陸岸の様子を見ていましたところが、どうも非常に陸に近寄っているらしいということで驚きまして、すぐに当番の者に艇長に知らせるようにということを命令いたしますと同時に、
機関部の方に対して機械の発動を命令をいたしました。ほとんどそれと同時くらい、ちょうど一時くらいであったと思われますが、艇長が自室でもって待機しておったのでありますが、異様なショックを感じました。そのときはすでに
陸岸のそばにありますところの防波堤の捨て石がありますが、それに船が一部接触をしたと思われるのでございますが、ショックに艇長は驚きまして、すぐに艦橋の方に上って参りました。そしてプロペラを回せということを指令いたしたのでありますが、そのときはすでにプロペラは海底につかえて回らなかったという
実情にありまして、そのまま船は風に押されまして、防波堤の横に押し流された、こういったような
実情でありました。
で、本件はこの前にも申し上げましたように、いろいろその後に調査をいたしましたのでありますが、いろいろな
実情からみて、ほとんど大半不可抗力と認められるものもあるのでございますが、なお、まだ
関係者の完璧な
措置があったならば、あるいはこういうふうな大事に至らなかったのではないかと思われる節もあるのでございまして、その点についてきわめて
防衛庁としては遺憾に存じておるような次第でございます。