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政府委員(山下武利君) 駆潜艇「きじ」の問題についてのお尋ねでありますが、この事故の
概要について御
説明を申し
上げます。
この事故は、
昭和三十二年の十二月十八日に、駆潜艇「きじ」を下関基地隊の吉見港に係留いたしておりました間に、強風のために係留のブイが主鎖から離脱いたしましたために、駆潜艇が漂流をいたしまして、風によって陸岸に押し流されまして、防波堤の外側に押し
上げられたためのものでございます。従って、この事故の直接の原因は、
昭和三十一年の六月に施工いたしました係留のブイの主鎖とブイの鉄架とを接続いたしておりますところのピンが、当日の強風及び激浪に抗し切れずに、ピンが頭部から抜けまして主鎖がブイから離脱したことによるのであります。当時駆潜隊の司令及び艇長は、一応、寒冷前線が接近することに対しまして、万一の事態に備えて警戒をいたしておったのでありますが、このブイの
使用実績等からも、主鎖がブイから離れるというようなことは全く予期いたしておらなかったところでございました。しかるに、当夜の寒冷前線の通過によるところの風速の急速な増大といったような、非常に異常な気象現象のために、ブイの離脱といったような不測の事態が
発生し、しかもブイの離脱いたしましたときには、驟雨を伴うところの暗夜となりまして、加うるに、強風等のために、駆潜艇の動揺がきわめて激しく、そのために漂流を認めることがきわめて困難な状況でありまして、漂流を発見したときには時すでにおそく、艇を安全に守ろうとする
乗組員の懸命な努力にもかかわらず、ついに今回の事故となったものと認められております。
で、事故の原因の検討につきましては、三十二年の十二月二十七日、海上幕僚監部に、海上幕僚副長を長といたします事故
調査委員会を設けまして、三十三年一月から三月にかけまして四回
委員会を開催し、十分にその究明をいたしました。
で、事故の原因は、上に述べました通り、ほとんど大半が不可抗力と認められるのでありますが、なお、結果から見まするというと、
関係者の完璧の措置に欠ける点があったと認められる点もありますので、この点につきましては、国損額の多大である等の事情も考慮いたし、また将来の事故
発生を戒めるために、下関基地隊及び駆潜隊、駆潜艇の各
関係者について、懲戒処分をいたした次第でございます。
復旧工事の状況につきましては、この
調書にございますように、三十三年の三月七日に、一億五千万円を国庫債務負担行為額として閣議の
決定をいただきました。翌日、三月八日に一億四千七百五十万円で契約の締結をいたしました。越えて三十三年四月一日には、これは三十三年度の歳出
予算で措置いたしたのでありますが、さらに二千九百五十万円の追加契約を締結いたしました。それから四月十七日には、これは三十二年度の
予算で一部前払いをいたしておりますが、八百七十三万八千円の第一次
支出をいたしました。さらに七月二十日に、これはわずかでございますが、十一万九千円ばかりを契約更改によって契約額を増加いたしました。これによりまして、契約の
総額は一億七千七百十一万九千円と相なっております。三十三年の八月二十九日には、第二次の出来高払いとして、八千二百九十二万円を支払いました。現在支払いの残額は、八千五百四十六万一千円でございます。一億七千七百万余りに上ります契約額の内訳といたしましては、船体、機関分が一億三千五百九十七万円、武器の部分が二千三百五十二万円、通信の部分が一千七百六十二万九千円でございます。
で、この
工事の進捗状況でございますが、当初の契約上の完成期日は、三十三年の十二月七日でございましたが、
工事の中途におきまして、主機械の一部に手直しの必要が生じたために、若干
工事がずれることに相なっております。現在の見込みでは、あと二、三ヵ月を要するものと考えられておりますので、目下大蔵省に対しまして、事故繰り越しの手続をとっておるところでございます。