運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login

1959-02-24 第31回国会 参議院 外務委員会 第5号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十四年二月二十四日(火曜日)    午後一時三十一分開会   —————————————   委員異動 本日委員野村吉三郎君辞任につき、そ の補欠として江藤智君を議長において 指名した。   —————————————  出席者は左の通り。    委員長     杉原 荒太君    理事            鶴見 祐輔君            苫米地英俊君            森 元治郎君    委員            江藤  智君            岡田 宗司君            佐多 忠隆君            曾祢  益君            羽生 三七君            石黒 忠篤君   政府委員    外務政務次官  竹内 俊吉君    外務大臣官房長 内田 藤雄君    外務省条約局長 高橋 通敏君   事務局側    常任委員会専門    員       渡辺 信雄君   説明員    郵政省郵務局次    長       曾山 克巳君   —————————————   本日の会議に付した案件在外公館名称及び位置を定める法  律等の一部を改正する法律案内閣  送付予備審査) ○日本国アメリカ合衆国との間の小  包郵便約定締結について承認を求  めるの件(内閣送付予備審査)   —————————————
  2. 杉原荒太

    委員長杉原荒太君) ただいまから外務委員会を開会いたします。  まず、委員異動について報告いたします。本日野村吉三郎君が委員を辞任され、その補欠として江藤智君が選任されました。   —————————————
  3. 杉原荒太

    委員長杉原荒太君) 在外公館名称及び位置を定める法律等の一部を改正する法律案予備審査)  日本国アメリカ合衆国との間の小包郵便約定締結について承認を求めるの件(予備審査)  以上、両案件を便宜一括して議題といたします。  両案件につきましては、先般提案理由説明を聴取いたしておりますので、これより直ちに質疑に入ります。質疑のおありの方は順次御発言をお願いいたします。
  4. 鶴見祐輔

    鶴見祐輔君 ただいま議題になっております在外公館名称及び位置を定める法律等の一部を改正する法律案、この中に、アメリカヒューストン領事館を置くということが出ております。このことについてちょっとお伺いをいたしておきたいのであります。  ヒューストンは、もちろん戦前には領事館は一時あったようでございますが、戦後にはニューオルリンズ領事館管轄になっておったと思います。ところがヒューストンは、申し上げるまでもございませんけれども、ニューヨークに拮抗するような大きな経済的及び政治的の勢力を持っておるテキサスの一番重要な港湾であります。テキサス州からは一九五七年だけでも一億五百万ドル以上の品物を日本輸出して積み出しております。その人口も二十年前に私が参りましたときの三十万に比べて、今その近郊を含めて百万をこえておるというぐらいに非常に発展の早い町であります。しかも、その周囲にはほとんど世界で屈指といわれるほど天然資源がたくさんございますから、このヒューストンというのは、将来どれだけ経済的に発展するか、はかり知れないものがあると思われます。しかも、それは最近十数年間に急激に増加して参りましたために、今やその現有財力に至っては、ある意味においてはニューヨークを凌駕する力を持っております。その証拠には、ニューヨークの一流のホテルであるプラーザであるとか、あるいはアメリカで一、二位を争うニューヨーク、シカゴを運ねておるニューヨークセントラル鉄道などを、ほとんど一日で多数株を買い取ってしまったというような事実を見れば明白であると思うのであります。ことに港といたしましては、昔はギャルヴェストンが港であったのが、あの当時堀割のような小さな流れであった川を深く掘り下げ、かつ川幅を広げて、ただいまでは一万トンの大きな船が入っております。今の港湾計画によりますと、三万トンの船がヒューストンまで入るし、その両側は全部工場地帯で、十万トンの船が入るように掘ってあります。従って、ヒューストンが非常に大きな経済力を持っておることは疑うことはできませんのでございますが、ことに第二の政治力に至りましては、ヒューストンがおそらくはカルフォルニアをしのいで政治的に一番有力な州になっておるのではないかと思います。上院の多数党の首領であるジョンソン氏がヒューストンの、テキサス州の出身であり、また下院議長のレーバーンがやはりテキサス出身である。ところがテキサスは昔から日本綿花輸出しておる関係上、日本に対して一番好意を持っておる州の一つであると私は思います。従って、ヒューストンといたしましては、今まで領事館がなかったということを非常に不便としておりまして、今度の提案によりまして領事館ができるということになりましたが、ここで私がお伺いしておきたいのは、たとえばカリフォルニア州にはロスアンゼルスとサンフランシスコに、二つの領事館があります。しかしながらこれよりも、領事館管轄いたしております。六州全体の輸出額よりも、テキサスだけの方が多い。それからニューヨークには昔から非常に大きな総領事館がありますが、ニューヨーク付近にある七つの州の総輸出額を比べましてもテキサス州には及ばない。いわんやニューオルリンズ付近にある四つの州による総輸出額は、とうていテキサス一州の総輸出額のそばにも寄れないというような状態でございますから、こういう感情的に日本に割合に好意を持っておる州で、東洋貿易を中心としてニューヨークを凌駕しようと考えておるヒューストン、また政治的に大きな勢力のあるヒューストン、将来日本アメリカとの関係を調整するためには、このヒューストン政治力経済力を利用することが、日米外交の上に非常に大事な点ではないかと思います。ところが、これで領事館ができるということになりましたが、これを将来どうしても総領事館に引き上げなければつり合いがとれないと、そういうふうに思うのであります。で、ヨーロッパやその他の国において大使館があり総領事館が昔からあるのでございますけれども、この世界情勢の変化に従って、テキサス州のごときは日本にとっては非常に大切な所であると思いますが、領事館ができるのは非常にけっこうでありますが、私は、将来外務省においてなるべく早い機会において、これを総領事館にお引き上げになって、そうして南方だけでなく、アメリカ全体に対する非常に大切な場所であるヒューストンは、日本の方でも十分活用する、おそらくは将来日本人南米航路、空路を開きます場合には、どうしてもヒューストンに寄らなければならないし、また船も日本海運会社四つだけ入っております。おそらくは全部これからヒューストンに入るようになると思います。ところでこの際、私は外務省に、これをなるべく早い機会総領事館に引き上げるという御計画をお持ちになっておるか、ここで伺っておきたいと思うのであります。いかがでございましょうか。
  5. 竹内俊吉

    政府委員竹内俊吉君) ただいま鶴見さんがお述べになったような趣旨に基いて、今回ヒューストン領事館を新設したいということを提案申し上げたわけでありますが、今までニューオルリンズ領事館は、御承知のように、南部十一州の広い地域管轄しておって、今お述べになったような事情で、とても館務として手が回らないという実情に即して、今度ヒューストン領事館を設けたいということになったわけでございます。御承知通り戦前綿花の重要な積み出しの基地として重要だということを感じておりまして、ここに、ニューオルリンズ領事館分館を持っておったのでありますが、戦後それもなくなっておりますので、まずここに領事館を設けて、領事館としてスタートしたい、今お述べになったような事情でございますから、そう遠くない機会総領事館昇格して、館務の充実を期さなければならないということを十分に考えて御提案申し上げた次第でございます。
  6. 杉原荒太

    委員長杉原荒太君) 委員長から一言申します。  ただいまの鶴見君の問題にしておられる点は、非常に重要な点だと思います。アメリカとの外交の上からして、ワシントンが重要な地位にあることは申すまでもありませんが、特にアメリカの場合は、各州の政治的の地位というものが非常に所によって中央政界に重要な地位を持っておるだけに、日本在外公館の配置に特別の考慮を加える必要があると思うのであります。こういう問題が議題となっております際には、今後それぞれの主管局長もあらかじめ出席して、委員の御質問に対して関連のあることを十分に説明していただきたい。そのことを委員長から申しておきます。
  7. 竹内俊吉

    政府委員竹内俊吉君) ただいま委員長より御発言のあった点はごもっともでありますから、今後そういうふうに措置いたしたいと思います。
  8. 森元治郎

    森元治郎君 そのニューオルリンズ分館でも作る考えはないのですか。さしずめ総領事館昇格の前に。
  9. 竹内俊吉

    政府委員竹内俊吉君) 外務省といたしましては、今、鶴見さんからお述べになったような、つまりアメリカ南部諸州は、社会的にも歴史的、伝統的にも、一種独特な気風があるということと、また民主党の牙城と申しますか、アメリカ政界における地域のいろいろな力関係等考えてみた場合に、わが国としては、テキサス州の実情の把握と、また日本のいろいろな啓発、宣伝をすることが、日米両国外交上にもきわめて重要な土地だという認識を持っておったのでありますが、今までニューオルリンズ領事館で、今申し述べましたように、南部十一州を管轄して、どうやらそういう任務をやってきたのであります。ところが今この地域は、今、鶴見さんがお述べになったように、経済発展の速度が非常に高いのでありまして、また従って日本輸出の市場としても最近特に重要な地点になってきておりますので、分館ということじゃなくて、領事館ということでスタートして行きたい。そしてその間の模様を見て、今、鶴見さんから御要望があったように、あるいは総領事館昇格の問題も考えなくちゃならぬ可能性のある土地だという認識に立って御提案申し上げたのでありますから、分館ということじゃなくて、領事館としてのスタートをしたい。こういう考え方であります。
  10. 森元治郎

    森元治郎君 ついでに、この辺の日本人分布状況といいますか、それと職業関係状況とを、あわせてどなたか専門的に知っておられれば御説明を伺いたい。簡単でよろしゅうございます。
  11. 竹内俊吉

    政府委員竹内俊吉君) これはここで御即答申し上ぐべきところでございますが資料がありますから、あと資料として差し上げていかがですか。
  12. 森元治郎

    森元治郎君 けっこうです。
  13. 竹内俊吉

    政府委員竹内俊吉君) そういうふうに御了承願います。
  14. 森元治郎

    森元治郎君 それではハンガリーの方の公使館設置に関連して、ハンガリーと、それからきのうの新聞かおとといの新聞に、同時にルーマニアブルガリア等の国とも国交回復をしたいということが出ております。そしてハンガリー公使館を置くのですが、国交回復前に置くのか、国交回復後に置くのか、その順序はどういうふうにしますか。
  15. 竹内俊吉

    政府委員竹内俊吉君) ただいまお尋ねの件は、昭和三十一年の五月に在京の某大使を通じて国交回復を申してきて以来、各国駐在在外施設を通して、数回にわたって同様の申し入れがあったのであります。そういうことから国交回復のことを考えてきたわけでありますが、申し上げるまでもなく、このハンガリーは対日感情が伝統的によくて、しかも今次大戦においては、日本とは同盟国関係でありますから、法律的にも戦争状態がないわけであります。まあ戦争後に国交が自然に中絶したという格好になっておるわけであります。  また現在、ハンガリー共産系はもちろんのこと、アメリカ、イギリス、フランス、イタリア等西欧諸国との外交的、経済的関係を持っているのでありまして、またもう一つ国際政治一つの焦点になっているという見方も成り立つわけであります。一昨年のナジの処刑の問題があれだけ大きく世界に反響を呼んだということも一つ証拠だと思う。そういう事柄を総合的に考えている点と、もう一つは、貿易上の問題でありますが、三十一年ハンガリー動乱直前の年間の貿易の量は、日本輸出は一億八千九百万円、輸入が六百万円、それが同年十月にハンガリー動乱が起きたために減少して今日に及んでおりますが、外交関係を回復すれば、少くとも動乱前の通商貿易の量が期待されるであろうということを総合して、昨年来この問題を検討しておったのでありますが、踏み切るべき時期という考え方で、このことをまず予算面では公館設置及び法案面議題になっている点を御提案申し上げた次第であります。  ただいまお尋ねのどういう形式をとるかということでありますが、これは在外公館で適当な土地を選んで、当方の大使向う大使の駐在している土地で交渉しまして、その国交回復形式は、交渉の結果によってきめていきたいという考え方であります。
  16. 森元治郎

    森元治郎君 ハンガリーとの国交回復、そして外交機関設置ということを、お隣りのユーゴスラビアが、日本利益代表国というような立場から申し入れてきたのだと思うのですが、ユーゴが頼んできたというのが一つのおもしろいところで、現政権の傾向というものが、ユーゴスラビアの現在の政権と、理論的にもあるいは国の国民感情上からも、大へん親しい関係にあるように見えるのですが、現在のハンガリー政権というもののソビエトに対する態度、関係というものはどういうふうになっておりますか。
  17. 内田藤雄

    政府委員内田藤雄君) 私の了解しております限りでは、ユーゴが申し込んできたとは聞いておりません。最初申し込み場所がレオグラードであったかと思いますが、それは必ずしもユーゴがかわって申し入れをしたというのではなくて、やはりハンガリーのあそこにおります大使から申し出があったものと了解しております。  また、ただいま政務次官が御説明申し上げましたように、ある機会あるいは何か航空路の新設に伴ってだったか何だったかだと思いますが、ハンガリー政務局長か何かが日本に参ったことがございました。そのときにも東京でもそういう申し入れがございました。再三ハンガリー側がぜひ国交を開きたいということを言って参りまして、その結果、ただいま政務次官お話のように、まあ踏み切るべき時期であろうということで、日本側がそれに応ずることに決意したわけでございます。従いまして、ただいまベルグラードないしはユーゴが、特に関心を持っており、従って端的に申し上げますと、ただいまのハンガリー政権が、まあいわゆるチトー化と申しますか、そういう方向にあるという話は、私は寡聞にして聞いておりません。
  18. 森元治郎

    森元治郎君 場所ベルグラードで三十一年という戦時下お話ですから、多分広瀬公使がおられたころのことかと想像するのです。それはそれとして、どうして三十一年あたりのが三十四年の今日まで延びてきたか。予算関係その他いろんな理由があるでしょうが、どういうことかということが一つと、ハンガリーではナジ事件や何かで、大へん日本の一部では同情を買ったことがある。同情を買うと同時に、一部のものはこのハンガリーに対して、共産圏情報収集の大へんいい所じゃないかというような気持が動いたのではないかと考えらるる向きもあるので、貿易としてはそんなに、先ほど御説明通り大へんなことはないのですが、日本ハンガリーに対する期待が、そんなところに特にあるのかどうか。共産圏情報というようなこと、そういうことを心に持っておられるのかどうか、この二点を伺いたいと思います。
  19. 竹内俊吉

    政府委員竹内俊吉君) 三十一年五月に在ユーゴ大使を通してそういうお話があったのに、今まで延び延びになっておるのはどういうわけかというお尋ねだと思うのでありますが、これはもちろん国際情勢全般から判断しなければならないことでありますし、また、その他の共産圏諸国との、まだ国交を回復してない国との関係等があって、ずっと検討して今日に及んだとお答えするよりほかないのでありますが、もう一点、共産圏情報収集に便利だからそこに設けるのかというお話でありますが、そう割り切って考えているわけではもちろんありませんが、一つ国際情勢上における重要な地点だと、いろいろな国際情勢調査のためにも、ここに公館を設けることが日本外交上きわめて有効だという考え方があるということは、はっきり申し上げた方がよろしいと思います。
  20. 森元治郎

    森元治郎君 これに関連して、ブルガリアルーマニアにも何か国交回復後やがて外交機関設置するようなことが出ておりましたが、それは一体どういうことになるのか。  それからそういう場合に、在外公館ハンガリーあたり公使が他の二国の兼摂というふうに持っていくのでしょうか。これは将来のことでしょうが、予想はどういうふうになりましょうか。
  21. 竹内俊吉

    政府委員竹内俊吉君) まだ確定いたしておるわけではございませんが、方針としては、今お尋ねになったブルガリアルーマニア等とも国交を確立したいという考え方で進めているわけであります。公館の件は、もしそうなりますと、ルーマニアブルガリアは、今お述べになったように兼摂ということになろうかと考えます。
  22. 森元治郎

    森元治郎君 この間、竹内政務次官が——この間というのは去年ですが、東ヨーロッパ在外公館長会議においでになったと思うのです。私入院していたもので、よく事情がわからないのですが、あと新聞を読むと、東ヨーロッパ諸国共産圏情勢について、本省が見たところの、分析した結果を持ち込んで、関係公使を呼び集めて意見を聞いたところが、これが出先とも意見の一致を見たいというようなことが出ていたように記憶するのですが、従来はこっちから持って行かないで、向うで聞いたというのが、今度の場合は持って行って了解を得たというんですが、何かそのほかに特別な問題があって、在外公館長会議をやられたんですか。従来の、ときどき地域的にやる普通の公館長会議か、まずそれから。
  23. 竹内俊吉

    政府委員竹内俊吉君) 昨年十一月にオーストリアのウイーンで開きました東欧公館長会談は、特別にある問題があって開いたというものではなくて、慣例と申しますか、ある時期に公館長の連絡及び本省考え方を伝えて、それの討議をし、判断を求めるという意味会議であります。
  24. 森元治郎

    森元治郎君  ハンガリーの現在の政情それからハンガリーソビエトとの現在の関係がどうなっているか、簡単に伺いたいと思います。
  25. 内田藤雄

    政府委員内田藤雄君) 私、専門でございませんので、あまり詳しいことは存じませんのですが、大体、一時あの動乱後、御承知のようにあれが落ちつくまでには、いろいろな曲折もあったようでございますが、現在のところ一応カダル政権というものに落ちつきを回復しているのではないかというふうに見ております。  またソ連との関係でございますが、まああれだけの一つ事件がありましたという背景を考えますと、やはり何か感情的には多少国民としては割り切れないものが残っておるということも想像できるのでございますが、一応、政府政府との関係ということにおきましては、大体、ことさら特に悪いとか、また通常のそういうことをとやかく申すような材料はないのではないか、普通の他の東欧共産圏諸国とまず同様のような関係にあるものであるというふうに了解いたしております。
  26. 森元治郎

    森元治郎君 この公使館設置するような場合には、あくまで日本ハンガリー関係を律していくというのが第一の主眼点であって、ここを基盤に謀略活動をするようなふうにとられるがごときことは、厳につつしまなければならぬと思うのですが、その点はどうなんですか。
  27. 内田藤雄

    政府委員内田藤雄君) われわれも全くその通り考えております。先ほど政務次官の御説明がございましたが、公館を置きます目的が、何か情報を取るためだというようなふうにとられておるとすれば、全くわれわれの考えと違うのでありまして、あくまでもその国と国交を立てるということを目的として開きたい。しかし、御承知のように公館によりましては、いろいろその地位によりまして、おのずから経済的な面が主になる場合もございましょうし、あるいはいわゆるオブザーべーション・ポストと申しますか、あるいはいろいろ——ながめていくことに重点が置かれるような、結果としてそういうことになる場合もあろうと思いますが、意図としてそこで情報活動を主にするとか、あるいは特に情報活動などをやろうというような、そういうような意図は全然持っておりません。
  28. 森元治郎

    森元治郎君 この国交回復形式は、議定件だとか新聞に出ておりますが、交換公文というのもあるし、どのような形になって、いつごろを目途としてやられるおつもりですか。
  29. 内田藤雄

    政府委員内田藤雄君) まずそれは、前段階においていろいろ調査いたしたいこともございます。たとえば早い話が、公館あるいは公邸等の建物などの入手あるいはその値段等の問題についても、十分明らかでございませんし、また館員の生活に関連した問題、物価の問題、そういったことの調査をまず第一次的に行わなければならぬと思っておりまして、目下のところ、その準備を進めております。それが終りましたあと、もちろん、先ほど政務次官お話もございましたように、どこかの適当な、両方の大使がおりますような土地におきまして、さらに具体的な折衝を進めまして、その結果に基きまして、さらにまあ設営の準備段階が、ある時期にあろうかと思います。その間に、ただいまお話のございましたような、話し合いの結果、議定書形式によりますか、交換公文等でやりますか、とにかくその話し合いの結果に基きまして、形式的あるいは法律的な面からくる措置を終りまして、大体予算は来年の一月からでございますので、一月には公館を開きたい、こういうふうに考えております。
  30. 羽生三七

    羽生三七君 ハンガリー側日本にいつ置くんですか。
  31. 内田藤雄

    政府委員内田藤雄君) 従来、ハンガリー側が再三にわたって、ぜひ公館を相互に設置いたしたいということを申し出ておりますので、話し合いがまとまりますれば、遠からざるうちに置くものであると想像いたしておりますが、まだ現在のところ、話をそこまで詰めておりませんですから、果していつハンガリー側公館を置くかということについて、的確にお答えいたすまだ材料を持っておりません。
  32. 羽生三七

    羽生三七君 ただいま案件になっているこの法案が、協定なんかに先行するのは、予算上の関係だけのあれですか。
  33. 内田藤雄

    政府委員内田藤雄君) 予算の面からもでございますが、この在外公館設置そのものが、法律によらなければできないようになっておりますから、どうしても法律の改正は必要であるというふうに考えております。
  34. 森元治郎

    森元治郎君 このイラクとレバノンの通商再開に伴うのはけっこうですが、隣りのイスラエルはどういうことになるのですか。これはアレキサンドリアのエジプトの管轄でやっていくつもりですか。対立的立場にあるわけですけれども、イスラエルなど、どういうふうに処置するおつもりですか。
  35. 竹内俊吉

    政府委員竹内俊吉君) イスラエルは現在公使館設置になっておりまして、公使が駐在いたしております。
  36. 森元治郎

    森元治郎君 外務省には終戦後、他行の人が通産省、大蔵省の役人で、書記官とか参事官、公使クラスぐらいまでも大体おられますが、外務省の人の方の者をもう少し優遇して上げていくようにした方がいいのであって、また、よそから来た人は外務省の仕事をほんとうにするつもりではなくて、今後の省内における自分の、何というのですか地位を上げるためには、一度そういうところに出てまた戻ってくるというふうに利用している傾きもあるようなんです。そこで、そういうよそから来ている者は、一体何人くらいいるのか。それからいわゆる昔あった外交官試験を通らない留学生とか、書記生試験を通ってきた連中で、相当練達な人がいると思うのですが、そういう者を重視して引っぱりあげていく考えはないかどうか、その点はどうか。
  37. 内田藤雄

    政府委員内田藤雄君) ただいま外務省在外公館に、他省から参っております人の数は、大体約百名ございます。御指摘のように、この人々の問題につきましては、われわれも在外公館によりましては、いろいろ問題があるということを承知しておりますし、語学関係などから、これは一がいに申せませんのですが、必ずしもそうその公館にとってプラスになっておらない、場合によってはいろいろその地位が高くて、しかも語学の力がないために、外務省の下の者がいろいろお世話をしなければならぬというような関係で、少し極端な言い方をしますと、逆に重荷になっているという例もないではないようでございます。そういった点から見ますと、今まで毎年相当な数でこれがふえて参っておりますが、やはりあるところで限界と申しますか、そういうふうに考えませんと、外務省プロパーの人間との均衡の問題において、必ずしもおもしろくない結果を招来するのではないかというようなことも憂慮されるわけでございます。しかし他面、外交のいろいろの分野が広がりまして、おのおの専門的な知識を持っている人がいることが非常に望ましいという面もございますし、また、実際上の必要から申しますと、やはり各省の人に来てもらった方がいい面も多々ございますので、そうした両面を勘案しながら今後やって参らなければならぬと思っております。  それからただいまの、書記生などの優秀な者を登用しろというお話でございますが、これは現在やっておりますことで十分であるかどうかは存じませんが、戦前に比べますと、この点は非常に改善されているわけでございまして、戦前、いわゆる高等官と判任官と申しますか、ああいう者との区別が非常に厳重で、なかなか判任官の者が高等官になれない、あるいはなれてもその限界が非常に低かったのに比べますと、今日では相当上の地位までいけるような制度にもなっておりますし、また、実際上もかなりそういう人が出て参っております。まあいい人があればやはり登用して参るというのは当然のこととして、われわれも考えて参りたいと思っております。
  38. 森元治郎

    森元治郎君 そのあとの方の、だいぶ昔と違って——私は昔のことしかよく知らないのですが、それならば、終戦後、戦前の判任官出身で相当の年輩になり、当然課長になってよさそうなものですが、外交官試験によらずして課長になった人は、現在一人もおらないと思うのですが、どうでしょう。
  39. 内田藤雄

    政府委員内田藤雄君) 本省の課長の問題になりますと、それは課長にしてはならないということは決してございませんし、現に、かつて情文局で外交官試験出でない人が課長になった例もございますし、現在経済局の一課長は、たしか外交官試験の出でない人であります。われわれ決して外交官試験出でなければ課長にしないとか、なれないのだというふうには考えておりません。ただ、何と申しますか、課長の性格というと正しい表現でないかもしませんが、局長を補佐し、片方において課員を把握して使って参るというふうに、なかなかまあ事務的に見ますと、非常に枢要の地位にあるわけでございますが、そういう点から見まして、われわれは決して排他的と申しますか、そういう意味じゃございませんが、ただ、ある能力があるというだけで、必ずしも課長として適当ということも言えない場合が多いのでございまして、やはり部下の信頼を得、またそのポストにもよりますが、渉外などでいろいろ渡り合うというようなことを考えますと、やはり一般的に申しますと、試験出で、それに即応した過去に経験を持っておるものの方が適当のように思います。しかし、繰り返し申し上げますように、それがゆえにそういう人を絶対にしないとか、なれないとか、そういうようにはわれわれとしては考えておりません。
  40. 森元治郎

    森元治郎君 まあこれは希望だけれども、人はやはりチャンスを与えれば、私みたいなチンピラでも国会議員をちゃんとやれるのですからね。役人だからちゃんときまったエスカレーターに乗った仕事にだけ……。それは十分チャンスを与えて、渉外事項でも何でも当らしていけば、拾いものはたくさんあると思うのであります。だから、ほかの省の、言葉もできないでうろうろしているのを、ただ外交官とか参事官とか一等書記官というようなものを百人も引っぱり込むならば、苦労している連中にチャンスを与えて教育し、優遇していくならば、本省の中枢部でも十分やっていける、同じ人間なんですから。社会党になったらわれわれそういうことに重点を置いてやっていこうと思いますが、そういうことでなくても、それくらいのことはちゃんと積極的にやって、明朗な人事をやってもらいたいという希望をいたします。希望してもどうせやりっこないけれども、特に強く要望をしておきます。
  41. 内田藤雄

    政府委員内田藤雄君) 十分承わっておきます。
  42. 杉原荒太

    委員長杉原荒太君) 郵政省の方からも説明員が出席しておりますが、小包約定について御質問ございませんか——。政府側に委員長から申しますが、アメリカとの小包約定の提案理由説明の中に「現状に適するよう改訂の必要がありましたので」とあります。このことを具体的に例示して明らかにしていただきたいと思います。
  43. 曾山克巳

    説明員(曾山克巳君) ただいまの御質疑につきましてお答え申し上げます。  現在の日米の小包約定は、昭和十三年にできたものでございまして、その間すでに二十数年たちまして、私どもにとりまして、仕事の遂行上不十分と思われます点が出て参ったのであります。  その主要な点をあげろというお話でございますが、まず第一に、昭和十三年当時に比べまして、運送機関が非常に発達して参りますと、飛行機の利用というものが非常に重要になって参りました。ところが当時の約定には、航空小包に関しまする規定がなかったのでございます。そこで、実際上規定なしに、便利でございますからやっておったのでございますが、これを新たに規定を作りまして、今度の約定に挿入いたしたのでございます。それが第一点でございます。  それから第二点につきましては、保険扱いの小包、厳密に申しますと、価格表記小包と申しておりますが、これの表記金額が、従来五百フランという金額でございまして、実際の公衆からの要望に即応するに不十分でございましたので、これを倍にいたしまして千フランというものにいたしました。  第三の主要な改正点としましては、これも公衆の便宜をはかったわけでございますが、従来誤まって引き受けられました小包、たとえば十キロの小包が制限の内容でございますが、それが十一キロの小包が受けられた場合に、返しておったのでございます。しかし、私どもわずか五百グラムや、あるいは一キロぐらいの制限超過でございましたならば、何も返さなくてもいいではないかという考えもございまして、これを返さないという規定を、つまり公衆の便宜をはかりまして、配達するという規定を挿入したのでございます。  それから第四の規定としましては、改正点としましては、いろいろな料金の規定がございます、その料金の規定を、基準を新しく作りまして、明確にしたという点でございまして、これは戦後の財政法、あるいは新しい郵便法等の要請によって行なったものでございます。つまり、こまかく申し上げますと、日本アメリカとの小包の利用の立場に立たれたところの公衆の方の便宜をはかって改正いたしたいというのが、今度の改正の趣旨でございます。
  44. 杉原荒太

    委員長杉原荒太君) 他に御質疑はございませんか。——それでは、両案件に対する質疑は、本日のところはこの程度にとどめ、残余の質疑は後日に譲ることといたします。 本日は、これにて散会いたします。    午後七時十七分散会