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1959-02-24 第31回国会 参議院 外務委員会 第5号
公式Web版
会議録情報
0
昭和
三十四年二月二十四日(火曜日) 午後一時三十一分開会
—————————————
委員
の
異動
本日
委員野村吉三郎
君辞任につき、そ の
補欠
として
江藤智
君を
議長
において 指名した。
—————————————
出席者
は左の
通り
。
委員長
杉原
荒太
君 理事
鶴見
祐輔
君
苫米地英俊
君 森
元治郎
君
委員
江藤
智君 岡田
宗司
君 佐多
忠隆
君 曾祢 益君
羽生
三七君 石黒 忠篤君
政府委員
外務政務次官
竹内
俊吉
君
外務大臣官房長
内田
藤雄
君
外務省条約局長
高橋 通敏君
事務局側
常任委員会専門
員 渡辺 信雄君
説明員
郵政省郵務局次
長 曾山 克巳君
—————————————
本日の
会議
に付した
案件
○
在外公館
の
名称
及び
位置
を定める法
律等
の一部を改正する
法律案
(
内閣
送付
、
予備審査
) ○
日本国
と
アメリカ合衆国
との間の小
包郵便約定
の
締結
について
承認
を求 めるの件(
内閣送付
、
予備審査
)
—————————————
杉原荒太
1
○
委員長
(
杉原荒太
君) ただいまから
外務委員会
を開会いたします。 まず、
委員
の
異動
について報告いたします。本日
野村吉三郎
君が
委員
を辞任され、その
補欠
として
江藤智
君が選任されました。
—————————————
杉原荒太
2
○
委員長
(
杉原荒太
君)
在外公館
の
名称
及び
位置
を定める
法律等
の一部を改正する
法律案
(
予備審査
)
日本国
と
アメリカ合衆国
との間の
小包郵便約定
の
締結
について
承認
を求めるの件(
予備審査
) 以上、両
案件
を便宜一括して
議題
といたします。 両
案件
につきましては、先般
提案理由
の
説明
を聴取いたしておりますので、これより直ちに
質疑
に入ります。
質疑
のおありの方は順次御
発言
をお願いいたします。
鶴見祐輔
3
○
鶴見祐輔
君 ただいま
議題
になっております
在外公館
の
名称
及び
位置
を定める
法律等
の一部を改正する
法律案
、この中に、
アメリカ
の
ヒューストン
に
領事館
を置くということが出ております。このことについてちょっとお伺いをいたしておきたいのであります。
ヒューストン
は、もちろん
戦前
には
領事館
は一時あったようでございますが、戦後には
ニューオルリンズ
の
領事館
の
管轄
になっておったと思います。ところが
ヒューストン
は、申し上げるまでもございませんけれども、
ニューヨーク
に拮抗するような大きな経済的及び政治的の
勢力
を持っておる
テキサス
の一番重要な
港湾
であります。
テキサス
州からは一九五七年だけでも一億五百万ドル以上の品物を
日本
に
輸出
して積み出しております。その人口も二十年前に私が参りましたときの三十万に比べて、今その近郊を含めて百万をこえておるというぐらいに非常に
発展
の早い町であります。しかも、その周囲にはほとんど
世界
で屈指といわれるほど
天然資源
がたくさんございますから、この
ヒューストン
というのは、将来どれだけ経済的に
発展
するか、はかり知れないものがあると思われます。しかも、それは最近十数年間に急激に増加して参りましたために、今やその
現有財力
に至っては、ある
意味
においては
ニューヨーク
を凌駕する力を持っております。その
証拠
には、
ニューヨーク
の一流のホテルであるプラーザであるとか、あるいは
アメリカ
で一、二位を争う
ニューヨーク
、シカゴを運ねておる
ニューヨーク
・
セントラル鉄道
などを、ほとんど一日で多数株を買い取ってしまったというような事実を見れば明白であると思うのであります。ことに港といたしましては、昔はギャルヴェストンが港であったのが、あの当時堀割のような小さな流れであった川を深く掘り下げ、かつ川幅を広げて、ただいまでは一万トンの大きな船が入っております。今の
港湾計画
によりますと、三万トンの船が
ヒューストン
まで入るし、その両側は全部
工場地帯
で、十万トンの船が入るように掘ってあります。従って、
ヒューストン
が非常に大きな
経済力
を持っておることは疑うことはできませんのでございますが、ことに第二の
政治力
に至りましては、
ヒューストン
がおそらくはカルフォルニアをしのいで政治的に一番有力な州になっておるのではないかと思います。上院の多数党の首領であるジョンソン氏が
ヒューストン
の、
テキサス
州の
出身
であり、また
下院議長
のレーバーンがやはり
テキサス
州
出身
である。ところが
テキサス
は昔から
日本
に
綿花
を
輸出
しておる
関係
上、
日本
に対して一番
好意
を持っておる州の
一つ
であると私は思います。従って、
ヒューストン
といたしましては、今まで
領事館
がなかったということを非常に不便としておりまして、今度の
提案
によりまして
領事館
ができるということになりましたが、ここで私がお伺いしておきたいのは、たとえばカリフォルニア州にはロスアンゼルスとサンフランシスコに、二つの
領事館
があります。しかしながらこれよりも、
領事館
の
管轄
いたしております。六州全体の
輸出額
よりも、
テキサス
だけの方が多い。それから
ニューヨーク
には昔から非常に大きな
総領事館
がありますが、
ニューヨーク付近
にある七つの州の総
輸出額
を比べましても
テキサス
州には及ばない。いわんや
ニューオルリンズ付近
にある
四つ
の州による総
輸出額
は、とうてい
テキサス一州
の総
輸出額
のそばにも寄れないというような
状態
でございますから、こういう感情的に
日本
に割合に
好意
を持っておる州で、
東洋貿易
を中心として
ニューヨーク
を凌駕しようと
考え
ておる
ヒューストン
、また政治的に大きな
勢力
のある
ヒューストン
、将来
日本
と
アメリカ
との
関係
を調整するためには、この
ヒューストン
の
政治力
、
経済力
を利用することが、
日米外交
の上に非常に大事な点ではないかと思います。ところが、これで
領事館
ができるということになりましたが、これを将来どうしても
総領事館
に引き上げなければつり合いがとれないと、そういうふうに思うのであります。で、
ヨーロッパ
やその他の国において
大使
館があり
総領事館
が昔からあるのでございますけれども、この
世界情勢
の変化に従って、
テキサス
州のごときは
日本
にとっては非常に大切な所であると思いますが、
領事館
ができるのは非常にけっこうでありますが、私は、将来
外務省
においてなるべく早い
機会
において、これを
総領事館
にお引き上げになって、そうして南方だけでなく、
アメリカ
全体に対する非常に大切な
場所
である
ヒューストン
は、
日本
の方でも十分活用する、おそらくは将来
日本人
が
南米航路
、空路を開きます場合には、どうしても
ヒューストン
に寄らなければならないし、また船も
日本
の
海運会社
が
四つ
だけ入っております。おそらくは全部これから
ヒューストン
に入るようになると思います。ところでこの際、私は
外務省
に、これをなるべく早い
機会
に
総領事館
に引き上げるという御
計画
をお持ちになっておるか、ここで伺っておきたいと思うのであります。いかがでございましょうか。
竹内俊吉
4
○
政府委員
(
竹内俊吉
君) ただいま
鶴見
さんがお述べになったような趣旨に基いて、今回
ヒューストン
に
領事館
を新設したいということを
提案
申し上げたわけでありますが、今まで
ニューオルリンズ領事館
は、御
承知
のように、
南部
十一州の広い
地域
を
管轄
しておって、今お述べになったような
事情
で、とても
館務
として手が回らないという
実情
に即して、今度
ヒューストン
に
領事館
を設けたいということになったわけでございます。御
承知
の
通り戦前綿花
の重要な積み出しの基地として重要だということを感じておりまして、ここに、
ニューオルリンズ
に
領事館
の
分館
を持っておったのでありますが、戦後それもなくなっておりますので、まずここに
領事館
を設けて、
領事館
としてスタートしたい、今お述べになったような
事情
でございますから、そう遠くない
機会
に
総領事館
に
昇格
して、
館務
の充実を期さなければならないということを十分に
考え
て御
提案
申し上げた次第でございます。
杉原荒太
5
○
委員長
(
杉原荒太
君)
委員長
から一言申します。 ただいまの
鶴見
君の問題にしておられる点は、非常に重要な点だと思います。
アメリカ
との
外交
の上からして、ワシントンが重要な
地位
にあることは申すまでもありませんが、特に
アメリカ
の場合は、各州の政治的の
地位
というものが非常に所によって
中央政界
に重要な
地位
を持っておるだけに、
日本
の
在外公館
の配置に特別の考慮を加える必要があると思うのであります。こういう問題が
議題
となっております際には、今後それぞれの
主管局長
もあらかじめ出席して、
委員
の御質問に対して関連のあることを十分に
説明
していただきたい。そのことを
委員長
から申しておきます。
竹内俊吉
6
○
政府委員
(
竹内俊吉
君) ただいま
委員長
より御
発言
のあった点はごもっともでありますから、今後そういうふうに措置いたしたいと思います。
森元治郎
7
○
森元治郎
君 その
ニューオルリンズ
の
分館
でも作る
考え
はないのですか。さしずめ
総領事館昇格
の前に。
竹内俊吉
8
○
政府委員
(
竹内俊吉
君)
外務省
といたしましては、今、
鶴見
さんからお述べになったような、つまり
アメリカ南部諸
州は、社会的にも歴史的、伝統的にも、一種独特な気風があるということと、また民主党の牙城と申しますか、
アメリカ政界
における
地域
のいろいろな
力関係等
も
考え
てみた場合に、わが国としては、
テキサス
州の
実情
の把握と、また
日本
のいろいろな啓発、宣伝をすることが、
日米両国外交
上にもきわめて重要な
土地
だという
認識
を持っておったのでありますが、今まで
ニューオルリンズ領事館
で、今申し述べましたように、
南部
十一州を
管轄
して、どうやらそういう任務をやってきたのであります。ところが今この
地域
は、今、
鶴見
さんがお述べになったように、
経済発展
の速度が非常に高いのでありまして、また従って
日本
の
輸出
の市場としても最近特に重要な
地点
になってきておりますので、
分館
ということじゃなくて、
領事館
ということでスタートして行きたい。そしてその間の模様を見て、今、
鶴見
さんから御要望があったように、あるいは
総領事館
に
昇格
の問題も
考え
なくちゃならぬ
可能性
のある
土地
だという
認識
に立って御
提案
申し上げたのでありますから、
分館
ということじゃなくて、
領事館
としてのスタートをしたい。こういう
考え方
であります。
森元治郎
9
○
森元治郎
君 ついでに、この辺の
日本人
の
分布状況
といいますか、それと
職業関係
の
状況
とを、あわせてどなたか
専門
的に知っておられれば御
説明
を伺いたい。簡単でよろしゅうございます。
竹内俊吉
10
○
政府委員
(
竹内俊吉
君) これはここで御即答申し
上ぐべきところでございますが
、
資料
がありますから、
あと
で
資料
として差し上げていかがですか。
森元治郎
11
○
森元治郎
君 けっこうです。
竹内俊吉
12
○
政府委員
(
竹内俊吉
君) そういうふうに御了承願います。
森元治郎
13
○
森元治郎
君 それでは
ハンガリー
の方の
公使館設置
に関連して、
ハンガリー
と、それからきのうの
新聞
かおとといの
新聞
に、同時に
ルーマニア
、
ブルガリア等
の国とも
国交回復
をしたいということが出ております。そして
ハンガリー
に
公使館
を置くのですが、
国交回復
前に置くのか、
国交回復
後に置くのか、その順序はどういうふうにしますか。
竹内俊吉
14
○
政府委員
(
竹内俊吉
君) ただいま
お尋ね
の件は、
昭和
三十一年の五月に在京の某
大使
を通じて
国交回復
を申してきて以来、
各国駐在
の
在外施設
を通して、数回にわたって同様の
申し入れ
があったのであります。そういうことから
国交回復
のことを
考え
てきたわけでありますが、申し上げるまでもなく、この
ハンガリー
は対
日感情
が伝統的によくて、しかも今次大戦においては、
日本
とは
同盟国
の
関係
でありますから、
法律
的にも
戦争状態
がないわけであります。まあ
戦争
後に
国交
が自然に中絶したという格好になっておるわけであります。 また現在、
ハンガリー
は
共産系
はもちろんのこと、
アメリカ
、イギリス、フランス、
イタリア等
の
西欧諸国
との
外交
的、
経済的関係
を持っているのでありまして、またもう
一つ国際政治
の
一つ
の焦点になっているという見方も成り立つわけであります。一昨年の
ナジ
の処刑の問題があれだけ大きく
世界
に反響を呼んだということも
一つ
の
証拠
だと思う。そういう事柄を総合的に
考え
ている点と、もう
一つ
は、
貿易
上の問題でありますが、三十一年
ハンガリー動乱直前
の年間の
貿易
の量は、
日本
の
輸出
は一億八千九百万円、輸入が六百万円、それが同年十月に
ハンガリー動乱
が起きたために減少して今日に及んでおりますが、
外交関係
を回復すれば、少くとも
動乱
前の
通商貿易
の量が期待されるであろうということを総合して、昨年来この問題を検討しておったのでありますが、踏み切るべき時期という
考え方
で、このことをまず
予算面
では
公館
の
設置
及び
法案面
で
議題
になっている点を御
提案
申し上げた次第であります。 ただいま
お尋ね
のどういう
形式
をとるかということでありますが、これは
在外公館
で適当な
土地
を選んで、当方の
大使
、
向う
の
大使
の駐在している
土地
で交渉しまして、その
国交回復
の
形式
は、交渉の結果によってきめていきたいという
考え方
であります。
森元治郎
15
○
森元治郎
君
ハンガリー
との
国交回復
、そして
外交機関
の
設置
ということを、お隣りの
ユーゴスラビア
が、
日本
に
利益代表国
というような
立場
から
申し入れ
てきたのだと思うのですが、
ユーゴ
が頼んできたというのが
一つ
のおもしろいところで、現
政権
の傾向というものが、
ユーゴスラビア
の現在の
政権
と、理論的にもあるいは国の
国民感情
上からも、大
へん
親しい
関係
にあるように見えるのですが、現在の
ハンガリー政権
というものの
ソビエト
に対する態度、
関係
というものはどういうふうになっておりますか。
内田藤雄
16
○
政府委員
(
内田藤雄
君) 私の了解しております限りでは、
ユーゴ
が申し込んできたとは聞いておりません。
最初申し込み
の
場所
がレオグラードであったかと思いますが、それは必ずしも
ユーゴ
がかわって
申し入れ
をしたというのではなくて、やはり
ハンガリー
のあそこにおります
大使
から申し出があったものと了解しております。 また、ただいま
政務次官
が御
説明
申し上げましたように、ある
機会
あるいは何か
航空路
の新設に伴ってだったか何だったかだと思いますが、
ハンガリー
の
政務局長
か何かが
日本
に参ったことがございました。そのときにも東京でもそういう
申し入れ
がございました。再三
ハンガリー側
がぜひ
国交
を開きたいということを言って参りまして、その結果、ただいま
政務次官
の
お話
のように、まあ踏み切るべき時期であろうということで、
日本側
がそれに応ずることに決意したわけでございます。従いまして、ただいま
ベルグラード
ないしは
ユーゴ
が、特に関心を持っており、従って端的に申し上げますと、ただいまの
ハンガリー
の
政権
が、まあいわゆる
チトー化
と申しますか、そういう方向にあるという話は、私は寡聞にして聞いておりません。
森元治郎
17
○
森元治郎
君
場所
が
ベルグラード
で三十一年という
戦時下
の
お話
ですから、多分
広瀬公使
がおられたころのことかと想像するのです。それはそれとして、どうして三十一年
あたり
のが三十四年の今日まで延びてきたか。
予算
の
関係
その他いろんな
理由
があるでしょうが、どういうことかということが
一つ
と、
ハンガリー
では
ナジ
の
事件
や何かで、大
へん日本
の一部では
同情
を買ったことがある。
同情
を買うと同時に、一部のものはこの
ハンガリー
に対して、
共産圏情報収集
の大
へん
いい所じゃないかというような気持が動いたのではないかと
考え
らるる向きもあるので、
貿易
としてはそんなに、先ほど御
説明
の
通り大
へん
なことはないのですが、
日本
の
ハンガリー
に対する期待が、そんなところに特にあるのかどうか。
共産圏情報
というようなこと、そういうことを心に持っておられるのかどうか、この二点を伺いたいと思います。
竹内俊吉
18
○
政府委員
(
竹内俊吉
君) 三十一年五月に在
ユーゴ大使
を通してそういう
お話
があったのに、今まで延び延びになっておるのはどういうわけかという
お尋ね
だと思うのでありますが、これはもちろん
国際情勢全般
から判断しなければならないことでありますし、また、その他の
共産圏諸国
との、まだ
国交
を回復してない国との
関係等
があって、ずっと検討して今日に及んだとお答えするよりほかないのでありますが、もう一点、
共産圏
の
情報収集
に便利だからそこに設けるのかという
お話
でありますが、そう割り切って
考え
ているわけではもちろんありませんが、
一つ
の
国際情勢
上における重要な
地点
だと、いろいろな
国際情勢調査
のためにも、ここに
公館
を設けることが
日本
の
外交
上きわめて有効だという
考え方
があるということは、はっきり申し上げた方がよろしいと思います。
森元治郎
19
○
森元治郎
君 これに関連して、
ブルガリア
、
ルーマニア
にも何か
国交回復
後やがて
外交機関
を
設置
するようなことが出ておりましたが、それは一体どういうことになるのか。 それからそういう場合に、
在外公館
は
ハンガリーあたり
の
公使
が他の二国の
兼摂
というふうに持っていくのでしょうか。これは将来のことでしょうが、予想はどういうふうになりましょうか。
竹内俊吉
20
○
政府委員
(
竹内俊吉
君) まだ確定いたしておるわけではございませんが、方針としては、今
お尋ね
になった
ブルガリア
、
ルーマニア等
とも
国交
を確立したいという
考え方
で進めているわけであります。
公館
の件は、もしそうなりますと、
ルーマニア
、
ブルガリア
は、今お述べになったように
兼摂
ということになろうかと
考え
ます。
森元治郎
21
○
森元治郎
君 この間、
竹内政務次官
が——この間というのは去年ですが、
東ヨーロッパ在外公館長会議
においでになったと思うのです。私入院していたもので、よく
事情
がわからないのですが、
あと
で
新聞
を読むと、
東ヨーロッパ諸国共産圏
の
情勢
について、
本省
が見たところの、分析した結果を持ち込んで、
関係
大
公使
を呼び集めて
意見
を聞いたところが、これが出先とも
意見
の一致を見たいというようなことが出ていたように記憶するのですが、従来はこっちから持って行かないで、
向う
で聞いたというのが、今度の場合は持って行って了解を得たというんですが、何かそのほかに特別な問題があって、
在外公館長会議
をやられたんですか。従来の、ときどき
地域
的にやる普通の
公館長会議
か、まずそれから。
竹内俊吉
22
○
政府委員
(
竹内俊吉
君) 昨年十一月にオーストリアのウイーンで開きました
東欧公館長会談
は、特別にある問題があって開いたというものではなくて、慣例と申しますか、ある時期に
公館長
の連絡及び
本省
の
考え方
を伝えて、それの討議をし、判断を求めるという
意味
の
会議
であります。
森元治郎
23
○
森元治郎
君
ハンガリー
の現在の政情それから
ハンガリー
と
ソビエト
との現在の
関係
がどうなっているか、簡単に伺いたいと思います。
内田藤雄
24
○
政府委員
(
内田藤雄
君) 私、
専門
でございませんので、あまり詳しいことは存じませんのですが、大体、一時あの
動乱
後、御
承知
のようにあれが落ちつくまでには、いろいろな曲折もあったようでございますが、現在のところ一応
カダル政権
というものに落ちつきを回復しているのではないかというふうに見ております。 またソ連との
関係
でございますが、まああれだけの
一つ
の
事件
がありましたという背景を
考え
ますと、やはり何か感情的には多少
国民
としては割り切れないものが残っておるということも想像できるのでございますが、一応、
政府
と
政府
との
関係
ということにおきましては、大体、ことさら特に悪いとか、また通常のそういうことをとやかく申すような
材料
はないのではないか、普通の他の
東欧
の
共産圏諸国
とまず同様のような
関係
にあるものであるというふうに了解いたしております。
森元治郎
25
○
森元治郎
君 この
公使館
を
設置
するような場合には、あくまで
日本
と
ハンガリー関係
を律していくというのが第一の
主眼点
であって、ここを基盤に
謀略活動
をするようなふうにとられるがごときことは、厳につつしまなければならぬと思うのですが、その点はどうなんですか。
内田藤雄
26
○
政府委員
(
内田藤雄
君) われわれも全くその
通り
に
考え
ております。先ほど
政務次官
の御
説明
がございましたが、
公館
を置きます
目的
が、何か
情報
を取るためだというようなふうにとられておるとすれば、全くわれわれの
考え
と違うのでありまして、あくまでもその国と
国交
を立てるということを
目的
として開きたい。しかし、御
承知
のように
公館
によりましては、いろいろその
地位
によりまして、おのずから経済的な面が主になる場合もございましょうし、あるいはいわゆるオブザーべーション・ポストと申しますか、あるいはいろいろ——ながめていくことに重点が置かれるような、結果としてそういうことになる場合もあろうと思いますが、
意図
としてそこで
情報活動
を主にするとか、あるいは特に
情報活動
などをやろうというような、そういうような
意図
は全然持っておりません。
森元治郎
27
○
森元治郎
君 この
国交回復
の
形式
は、
議定件
だとか
新聞
に出ておりますが、
交換公文
というのもあるし、どのような形になって、いつごろを目途としてやられる
おつもり
ですか。
内田藤雄
28
○
政府委員
(
内田藤雄
君) まずそれは、前
段階
においていろいろ
調査
いたしたいこともございます。たとえば早い話が、
公館
あるいは
公邸等
の建物などの入手あるいはその
値段等
の問題についても、十分明らかでございませんし、また館員の生活に関連した問題、物価の問題、そういったことの
調査
をまず第一次的に行わなければならぬと思っておりまして、目下のところ、その
準備
を進めております。それが終りました
あと
、もちろん、先ほど
政務次官
の
お話
もございましたように、どこかの適当な、両方の
大使
がおりますような
土地
におきまして、さらに具体的な折衝を進めまして、その結果に基きまして、さらにまあ設営の
準備
の
段階
が、ある時期にあろうかと思います。その間に、ただいま
お話
のございましたような、
話し合い
の結果、
議定書
の
形式
によりますか、
交換公文等
でやりますか、とにかくその
話し合い
の結果に基きまして、
形式
的あるいは
法律
的な面からくる措置を終りまして、大体
予算
は来年の一月からでございますので、一月には
公館
を開きたい、こういうふうに
考え
ております。
羽生三七
29
○
羽生
三七君
ハンガリー側
は
日本
にいつ置くんですか。
内田藤雄
30
○
政府委員
(
内田藤雄
君) 従来、
ハンガリー側
が再三にわたって、ぜひ
公館
を相互に
設置
いたしたいということを申し出ておりますので、
話し合い
がまとまりますれば、遠からざるうちに置くものであると想像いたしておりますが、まだ現在のところ、話をそこまで詰めておりませんですから、果していつ
ハンガリー側
が
公館
を置くかということについて、的確にお答えいたすまだ
材料
を持っておりません。
羽生三七
31
○
羽生
三七君 ただいま
案件
になっているこの
法案
が、協定なんかに先行するのは、
予算
上の
関係
だけのあれですか。
内田藤雄
32
○
政府委員
(
内田藤雄
君)
予算
の面からもでございますが、この
在外公館
の
設置そのもの
が、
法律
によらなければできないようになっておりますから、どうしても
法律
の改正は必要であるというふうに
考え
ております。
森元治郎
33
○
森元治郎
君 このイラクとレバノンの
通商再開
に伴うのはけっこうですが、隣りの
イスラエル
はどういうことになるのですか。これはアレキサンドリアのエジプトの
管轄
でやっていくつもりですか。
対立的立場
にあるわけですけれども、
イスラエル
など、どういうふうに処置する
おつもり
ですか。
竹内俊吉
34
○
政府委員
(
竹内俊吉
君)
イスラエル
は現在
公使館設置
になっておりまして、
公使
が駐在いたしております。
森元治郎
35
○
森元治郎
君
外務省
には終戦後、他行の人が通産省、大蔵省の役人で、書記官とか参事官、
公使クラス
ぐらいまでも大体おられますが、
外務省
の人の方の者をもう少し優遇して上げていくようにした方がいいのであって、また、よそから来た人は
外務省
の仕事をほんとうにするつもりではなくて、今後の省内における自分の、何というのですか
地位
を上げるためには、一度そういうところに出てまた戻ってくるというふうに利用している傾きもあるようなんです。そこで、そういうよそから来ている者は、一体何人くらいいるのか。それからいわゆる昔あった
外交官試験
を通らない留学生とか、
書記生試験
を通ってきた連中で、相当練達な人がいると思うのですが、そういう者を重視して引っぱりあげていく
考え
はないかどうか、その点はどうか。
内田藤雄
36
○
政府委員
(
内田藤雄
君) ただいま
外務省
の
在外公館
に、
他省
から参っております人の数は、大体約百名ございます。御指摘のように、この人々の問題につきましては、われわれも
在外公館
によりましては、いろいろ問題があるということを
承知
しておりますし、語学
関係
などから、これは一がいに申せませんのですが、必ずしもそうその
公館
にとってプラスになっておらない、場合によってはいろいろその
地位
が高くて、しかも語学の力がないために、
外務省
の下の者がいろいろお世話をしなければならぬというような
関係
で、少し極端な言い方をしますと、逆に重荷になっているという例もないではないようでございます。そういった点から見ますと、今まで毎年相当な数でこれがふえて参っておりますが、やはりあるところで限界と申しますか、そういうふうに
考え
ませんと、
外務省
プロパーの人間との均衡の問題において、必ずしもおもしろくない結果を招来するのではないかというようなことも憂慮されるわけでございます。しかし他面、
外交
のいろいろの分野が広がりまして、おのおの
専門
的な知識を持っている人がいることが非常に望ましいという面もございますし、また、実際上の必要から申しますと、やはり各省の人に来てもらった方がいい面も多々ございますので、そうした両面を勘案しながら今後やって参らなければならぬと思っております。 それからただいまの、書記生などの優秀な者を登用しろという
お話
でございますが、これは現在やっておりますことで十分であるかどうかは存じませんが、
戦前
に比べますと、この点は非常に改善されているわけでございまして、
戦前
、いわゆる高等官と判任官と申しますか、ああいう者との区別が非常に厳重で、なかなか判任官の者が高等官になれない、あるいはなれてもその限界が非常に低かったのに比べますと、今日では相当上の
地位
までいけるような制度にもなっておりますし、また、実際上もかなりそういう人が出て参っております。まあいい人があればやはり登用して参るというのは当然のこととして、われわれも
考え
て参りたいと思っております。
森元治郎
37
○
森元治郎
君 その
あと
の方の、だいぶ昔と違って——私は昔のことしかよく知らないのですが、それならば、終戦後、
戦前
の判任官
出身
で相当の年輩になり、当然課長になってよさそうなものですが、
外交官試験
によらずして課長になった人は、現在一人もおらないと思うのですが、どうでしょう。
内田藤雄
38
○
政府委員
(
内田藤雄
君)
本省
の課長の問題になりますと、それは課長にしてはならないということは決してございませんし、現に、かつて情文局で
外交官試験
出でない人が課長になった例もございますし、現在経済局の一課長は、たしか
外交官試験
の出でない人であります。われわれ決して
外交官試験
出でなければ課長にしないとか、なれないのだというふうには
考え
ておりません。ただ、何と申しますか、課長の性格というと正しい表現でないかもしませんが、局長を補佐し、片方において課員を把握して使って参るというふうに、なかなかまあ事務的に見ますと、非常に枢要の
地位
にあるわけでございますが、そういう点から見まして、われわれは決して排他的と申しますか、そういう
意味
じゃございませんが、ただ、ある能力があるというだけで、必ずしも課長として適当ということも言えない場合が多いのでございまして、やはり部下の信頼を得、またそのポストにもよりますが、渉外などでいろいろ渡り合うというようなことを
考え
ますと、やはり一般的に申しますと、試験出で、それに即応した過去に経験を持っておるものの方が適当のように思います。しかし、繰り返し申し上げますように、それがゆえにそういう人を絶対にしないとか、なれないとか、そういうようにはわれわれとしては
考え
ておりません。
森元治郎
39
○
森元治郎
君 まあこれは希望だけれども、人はやはりチャンスを与えれば、私みたいなチンピラでも国
会議
員をちゃんとやれるのですからね。役人だからちゃんときまったエスカレーターに乗った仕事にだけ……。それは十分チャンスを与えて、渉外事項でも何でも当らしていけば、拾いものはたくさんあると思うのであります。だから、ほかの省の、言葉もできないでうろうろしているのを、ただ
外交
官とか参事官とか一等書記官というようなものを百人も引っぱり込むならば、苦労している連中にチャンスを与えて教育し、優遇していくならば、
本省
の中枢部でも十分やっていける、同じ人間なんですから。社会党になったらわれわれそういうことに重点を置いてやっていこうと思いますが、そういうことでなくても、それくらいのことはちゃんと積極的にやって、明朗な人事をやってもらいたいという希望をいたします。希望してもどうせやりっこないけれども、特に強く要望をしておきます。
内田藤雄
40
○
政府委員
(
内田藤雄
君) 十分承わっておきます。
杉原荒太
41
○
委員長
(
杉原荒太
君) 郵政省の方からも
説明員
が出席しておりますが、小包約定について御質問ございませんか——。
政府
側に
委員長
から申しますが、
アメリカ
との小包約定の
提案理由
の
説明
の中に「現状に適するよう改訂の必要がありましたので」とあります。このことを具体的に例示して明らかにしていただきたいと思います。
曾山克巳
42
○
説明員
(曾山克巳君) ただいまの御
質疑
につきましてお答え申し上げます。 現在の日米の小包約定は、
昭和
十三年にできたものでございまして、その間すでに二十数年たちまして、私どもにとりまして、仕事の遂行上不十分と思われます点が出て参ったのであります。 その主要な点をあげろという
お話
でございますが、まず第一に、
昭和
十三年当時に比べまして、運送機関が非常に発達して参りますと、飛行機の利用というものが非常に重要になって参りました。ところが当時の約定には、航空小包に関しまする規定がなかったのでございます。そこで、実際上規定なしに、便利でございますからやっておったのでございますが、これを新たに規定を作りまして、今度の約定に挿入いたしたのでございます。それが第一点でございます。 それから第二点につきましては、保険扱いの小包、厳密に申しますと、価格表記小包と申しておりますが、これの表記金額が、従来五百フランという金額でございまして、実際の公衆からの要望に即応するに不十分でございましたので、これを倍にいたしまして千フランというものにいたしました。 第三の主要な改正点としましては、これも公衆の便宜をはかったわけでございますが、従来誤まって引き受けられました小包、たとえば十キロの小包が制限の内容でございますが、それが十一キロの小包が受けられた場合に、返しておったのでございます。しかし、私どもわずか五百グラムや、あるいは一キロぐらいの制限超過でございましたならば、何も返さなくてもいいではないかという
考え
もございまして、これを返さないという規定を、つまり公衆の便宜をはかりまして、配達するという規定を挿入したのでございます。 それから第四の規定としましては、改正点としましては、いろいろな料金の規定がございます、その料金の規定を、基準を新しく作りまして、明確にしたという点でございまして、これは戦後の財政法、あるいは新しい郵便法等の要請によって行なったものでございます。つまり、こまかく申し上げますと、
日本
と
アメリカ
との小包の利用の
立場
に立たれたところの公衆の方の便宜をはかって改正いたしたいというのが、今度の改正の趣旨でございます。
杉原荒太
43
○
委員長
(
杉原荒太
君) 他に御
質疑
はございませんか。——それでは、両
案件
に対する
質疑
は、本日のところはこの程度にとどめ、残余の
質疑
は後日に譲ることといたします。 本日は、これにて散会いたします。 午後七時十七分散会