○曾祢益君 私もちょっとその
ヴァンデンバーグ決議の問題に関連して御質問したいのですが、ただいまの
質疑応答を拝聴しておった感じから、どうも
ヴァンデンバーグ決議の精神は、これは
字句でどう表現されるか、新
条約ではわからないけれども、いわばそれは当りまえじゃないかというように
外務大臣お
考えのようですが、私は、その
ヴァンデンバーグ決議を受けたりあるいはそういう
決議の趣旨が
条約に出てこなくても、
日本と
アメリカとの
防衛協力ということは、確かに同僚議員からの質問があったように、いわゆる自主性が現実にはないと思うのですが、その面と、私はもう
一つ重大だと思うのは、やはりこの
条約の中に
ヴァンデンバーグ決議の趣旨がはっきり入るのか入らないのか、これはもとよりまだ形ができていないものだから、その議論は先走っているやにとられるかもしれない。これは安保
改定という問題の私は一等大きなポイントの
一つじゃないか。私白井のことを申し上げて恐縮ですが、前
国会の際に、これは
総理大臣に対する私の質問のときに、
憲法の制約はあるけれども、しかし総理の安保
改定の構想の基本は、やはり
相互防衛条約というようなことを
考えておられるのではないか。それに対するお答えは、大体肯定的であったわけです。私がなぜその点を非常に問題にしたかというと、
相互防衛条約方式をとるならば、これは基本精神としての
ヴァンデンバーグ決議というものが必ず
条約の条項に出てくる。それは
日本に対する干渉であるとか、軍事的支配であるという議論は別として、その政治面は別として、私は法律的にもあるいは
日本の国防という観点からいっても、非常に大きな問題がそこに伏在しているということを指摘したい。つまり
ヴァンデンバーグ決議の精神は、締約国がその
防衛力を維持し発展させる目的が、単にその国の自己の
防衛にのみやるのではない。それは当然に自助並びに
相互援助、つまり締約国それ自身の
防衛のみならず、各自の、相手方との
共同防衛という観念から
防衛力を維持し、発展させるということが明瞭に書いてある。これを基本精神として、従って、
条約区域においては
——その
条約区域をどこにとるかはこれは別ですよ、かりに
外務大臣が
考えておられるように、
日本国の
範囲内に限っても
——これは当然にその
建前からいけば、
日本軍を維持し、発展させることが
共同防衛なんです。従って、
日本国における動作は常に
共同防衛です。従来の
日本の
政府が言っていたような、自衛のために軍隊を持つのだ、これが何が悪いのだ、
憲法にもそういう抜け道があるのだ、そういう議論からいっても、そこに一大飛躍といいますか、逸脱といいますか、自国の
防衛のためのみでない。一体
軍備が、
日本の現行
憲法なりでも、今までの少くとも保守党の
解釈からでも、できるのかできないのかという
一つの難点がそこにある。私はそう思う。まじめに
考えたら、だれもその点について、はっきり割り切れずに、ふらふらと、ただ漫然と
ヴァンデンバーグ決議けっこうだということになったら、えらいことになりはせぬか。こういう
意味で私は御質問申し上げたわけです。大へん前置きが長くなって恐縮ですが……。ところが、そのときは総理は、その点に対する、
憲法論に対する返事はあいまいであったけれども、結果的には、海外派兵はしないけれども、
条約区域においては
共同防衛は当りまえだ。
ヴァンデンバーグ決議そのものに対する返事はなかったけれども、当然に
相互防衛条約方式というものを肯定したような返事だった。ところが、その後
日本の世論の圧迫のためだと私は思う、あるいは
日本の世論の良識の結果だと言ってもいいと思うのですが、
アメリカに
防衛上助けてもらいたいという
立場の国民も、そこまで運託生でいくのか、それはちょっと問題じゃないかと。ことに
アメリカ軍の海外出動との関連ももちろんありますので、そこで、そういったような
相互防衛方式というものを
岸内閣自身が断念した。そこでその後、いわゆる
藤山構想というものが伝えられたときに、これは
藤山外相みずからのお言葉じゃありませんが、
相互防衛方式でなくて、むしろ基地貸与
協定的なものになるのだと。そこで、今日までむしろそっちの形できていたと思う。ただ、よく
考えてみると、
アメリカと外国の作っているこういう安全保障に関する
条約には、両方、つまり
相互防衛方式プラス基地貸与方式の場合もある。言うまでもなくこれはフィリピンの場合なんかそうです。その典型的なものです。そこで、私の心配していたのは、基地貸与
協定方式の方が、少くとも国民の保守的な人たちでも、そっちの方がまあ安全じゃなかろうかという
気持でだと私は判断しているのです。その方向でいくのかと思っていると、どうもまた最後の場面で、森君も指摘したように、
アメリカの
国会等との関連からいっても、果して
相互防衛とか
共同防衛とかいうことが全然出てこなくても、一体
藤山構想が成り立つのかということが当然出てくる。しかも、もう
一つ私が心配していたのは、
日本国における
アメリカ軍が、
日本を
防衛する義務を今度はっきり書こうというのが、これが
政府の売りものである。いわゆる自主性、
相互性の
一つのポイントになっているわけです。そうすると、
日本に
駐留を認める
アメリカ軍には、
日本防衛の義務を
条約上明記させる。そうしておいて、今度は
日本軍の方には
共同防衛の義務を番かないといったら、これは何といっても
アメリカの力でそれこそ不平等だといって文句を言うのじゃないか。
そこで私たちは、外務省の研究された案というものを、いまだかつて構想としても示されていないから、これは批判できないが、新聞で伝えられるようなことがもし正しいとすれば、まさに
日本における
アメリカ軍の
日本防衛の義務と対応して、
日本における
アメリカの基地に対する攻撃に対しては、
日本軍は当然に
アメリカ軍と
共同防衛するということをここに書いてしまう、そういうことを
考えておられるらしい。そうなってくると、そのことについても、私は政治的にそこまでいくのは非常に問題だと思いますが、これはまあ議論の分れるところだからいたしません。しかし、そこまで
考えるということになれば、それは前文で出てくるか
条約の一条項として出てくるか、当然に継続的かつ効果的な自助並びに
相互援助のために両締約国は
防衛力を維持し、発展させるというようなきまり文句を、どうしても挿入せざるを得ないところにいくのではないか。そっちの方はいやだ、そして
アメリカ軍の
日本に対する
防衛の義務だけ書こうということは、私は、これは幾ら何でもちょっと国務省やペンタゴンなりあるいは議会の方を納得させることができない。そうなってくると、せっかく
相互防衛方式でない方向で、基地貸与方式でやるはずであったけれども、結局ずるずるべったりに
相互防衛条約の内容を盛ってしまう。あわせて前文なりどこかの条項で
ヴァンデンバーグ決議の今申しあげた
防衛力の持ち方の基本についても、今までの保守党の
考えでなく、今までの保守党の
解釈による
憲法を逸脱して、
日本の
防衛力は
日本の自衛のためのみならず、
アメリカとの
共同防衛のための軍隊である、これを維持し、発展させるのだということを、
条約上きめることになるのではないか。そうなったならば、これは非常に政治的な結果についても問題であるのみならず、まず、
憲法条文そのものからいって、これは非常に大きな疑問があって、
政府の方では
憲法の
範囲内でやりますと、これは海外に
日本の軍隊が出動しないということのみ議論しているが、存外その前の
日本の
防衛力を何のために持つのかということで、幾ら
考えても、自衛のためが、今度は
相互防衛も、国連憲章によれば集団的自衛権もあるわけだからというようなことで、また、
日本の現在の
防衛力の
意味というものが、ここに大きく転換するきっかけを作るということになったら、これは大へんなことになる、こう僕は思うのです。
大へん長いこと申し上げて恐縮ですが、そういうわけで、
ヴァンデンバーグ決議等については、これは非常に明確な基本的
態度でなければならないのであって、条文上どう扱うということよりも、当然に
ヴァンデンバーグ決議は当りまえなんだという観念で
交渉されるならば、今の構想はどうであるか知らないけれども、これはとんでもないことになると思うのです。その点をはっきりと
一つ御方針をお聞きいたしたい。