○岩間正男君 なぜ私はこの点を特にくどく申し上げているかというと、総裁は、都合のいいときには
国鉄の家族主義ということを言っておられるのですね。そうして今度のやり方を見ていますというと、やはり
ほんとうに家族主義という、そういうところに立っているのかどうか、総裁のいつもの主張と今度と違うのじゃないか。この背景には大きな企業合理化の方針があるわけです。そういう方針でもってあなたはそれをどうしても先行していく、そういうことのために、やはりそこで働いている三千の労働者に対して大きな不安を与え、しわが寄ってきているのじゃないか、こういう点を私は
考えざるを得ない。そのやり方を見ても、
ほんとうに家族主義を貫いているというふうに
考えられない。いろいろそういう問題について、また詳細申し上げることはできないと思うのですが、この点やはり今大きな
一つの
国鉄の方針だ、五カ年
計画を推進していくのだ。その態勢の中で
国鉄というものはどうも時代おくれになりかかっている。航空機はこれはもう非常に、道路も非常に発達して、そうして、そういうほかの輸送の面と比べて立ちおくれになってきている。従って企業を合理化しなければならぬ、
資金の面においてもいろいろそういう合理化をやらなければならない。こういうような
一つのしわが志免炭鉱にはっきりきているのじゃないか、こういうふうにわれわれは
考える。従って、この問題は、単に志免の
一つの問題というよりも、むしろ、
国鉄の今後の基本的な運営の方針の中においての問題、そうしてその現われとしてのこの志免炭鉱の問題を私は明確にするという立場に立たなければならぬのじゃないか。基本的な
運輸行政、しかもその根幹をなすところの
国鉄の
運輸行政というものを、一体どういうふうにするのか。これは五カ年
計画、さらにこれと関連した
運賃値上げの関連におきまして、こういうような点において、私はもっともっとこれは明確にしなければならない問題だと思うのです。そういう点でただいままで志免炭鉱は非常な役割を果してきた。少くともこれは
国鉄の使う石炭の一割というものはここで大体まかなっていたんじゃないか。それは同時に
国鉄の炭価を決定する場合に非常に大きな役割を果している。すなわち、
自分で経営しているので、その経営内容というものはよく
自分でつかんでいる。そのことが同時にその十倍に余るところの
国鉄の膨大な、
日本の全出炭量の約一〇%に当るところの
国鉄の炭価を決定するという上においても、私は大きな意義を持ってきたのじゃないか。それをやすやすと、とにかく
一つの合理化の面で、そこだけに
一つのしわを寄せてきても、問題を解決するという形にはいかないのじゃないか。
国鉄労働者諸君の要求も、これはそこにあるのじゃないか。
一体、企業合理化といっているけれ
ども、果して膨大な
国鉄の二、三千億に余るところの年間のこの予算の中で、一体、志免炭鉱のそこだけにしわを寄せることが問題を解決することになるか、そのほかの経営の中でどういうことが行われているか、そういう問題についてびしびしとむちが一体当っているのかどうか。たとえば、これは大資本家との
関係もあります。資材を一体どういうふうに購入しているかという問題、炭価の問題もあります。それからいろいろな
国鉄内部における経営の非常な不十分さ、こういうものがあるのじゃないか。そういう問題等にはっきりした方針というものを与えないでおいて、志免だけに一体しわを寄せてこういう形で、労働者は、少くとも
国鉄の全体的な運営についてはっきり今
考えておる。
日本の
運輸行政というものを背負って立つと
考えておる。この
国鉄の労働者の立場からすれば、これは私は納得できない。ですから、単に三千人のこれは志免炭鉱の労働者の問題じゃなくて、実は三十六万人の
国鉄労働者全体のこれは問題として、今この問題が焦点として浮び上ってきておる。ここに、現在の
国鉄の運営、その背景にある
自民党の運輸
政策との関連においてここに
一つの問題があるわけです。そういう問題をとらえないでおいて、そうして今言ったように、総裁は私の、
一つの家族主義みたいな愛情でもって、そうしてあなたの信念でもって、——その信念はけっこうでありますけれ
ども、この信念でもって何とか説得できるのだというふうにだけお
考えになって、これは一体解決すると思いますか。これは、こういうところにしばしばぶつかってきた、この三年間の
運賃値上げの論議の中で、いつでもあなたのは信念なんですね。しかし、これは大東亜時代の信念に通ずるくさみがある。危ないのじゃないか、こういうことで一体現実の問題を処理することは私はできないのじゃないか。どうですか、その点についてもう少し現実をやはり直視して、総裁自身がそういう問題についてやはり全般的な関連で、この志免の問題を解決する心がまえというものが必要だ。この問題について、必要だったらまた次回に詳細に、この次の機会にこの問題について論議しようじゃないですか、いかがですか。