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山本(勝)
分科員 関連して。今日は幸いに
大臣がお見えになっておりますので、
大臣にだけ
住宅問題の基本的な問題と申しますか、ごく大まかなことですけれども、お伺いをいたしたいと存じます。
大臣が
住宅問題で非常に深刻に
考えておられ、また今日までの行き方はいいとしても、ここで根本的に
方向といいますか、
重点を変えなければならぬと
考えておられることは、先ほど来の御答弁でよく了承いたしましたが、私はその
考えられるときに、こういうことを一、二考慮の中に入れていただいていいのではないかと思う。それは、
住宅問題といえば主として都市の
住宅問題であります。ところが代表的なものとして
東京の
住宅問題、それから交通の混乱その他の問題で、
東京に金をつぎ込めばつぎ込むほど人口が
東京に集中してくる。ですから、
東京に国費をつぎ込んで、種々なる
東京における問題を解決しようとして努力することが、これがそれぞれの問題をますます複雑にしていくことではないかというのが一点であります。交通の問題にいたしましても、
東京駅前にガレージを作ってみたり、
地下ガレージを作ってみたり、あるいは
地下鉄を作ってみたり、あるいは最近では、きのうの
予算委員会の第一
分科会でもお話がありましたが、電車の路面をはずそうというようなことも
考えておるということでありますが、そういうことをしてみましても、二、三年か、あるいは四、五年ないし十年くらいは、多少その緩和をすることができるだろうと思います。これは
住宅問題にも当てはまるのです。しかしここ十年、二十年、三十年、五十年先を
考えますと、結局
東京に金をつぎ込めばつぎ込むほど人口が集中してきてどうにもならぬということがあるから、
一つそこの因果
関係、つまり問題を作り出していくようなことのないようなことを
一つ考えていただきたい。
それで今までの傾向を見ますと、ますます大都市化して参りまして、それで首都
建設法などというものまで作りましていろいろ
計画を立てておりますけれども、簡単に申しますと、これはほんの気休めであります。そうしてそこへ集まってくる者は、みな家、屋敷のない者だ。家、屋敷のない全国からたくさん集まってきた者に対して、小さな家を与えたり、アパートを与えたりしておりますが、都市で
住宅あるいはいろいろなものを与えますと、一体そとの中で育った子供たちが、行く行く日本の人間としても国民としても、健全円満な人間として成長する見込みがあるかどうかということです。ことに私は、最近あの高層アパートというもの、これは田村さんの
考えと言葉だけ見ますと多少違うかもしれませんが、あの高層アパートの五階とか六階で生まれて、そしてあそこで育っていた人間というものは、将来私は
ほんとうに健全な思想と行動をこれらに期待することができるかどうか、おそらくこれは社会党のあるいは共産党の地盤を作っていっておるのではないか、これでは最近の
東京はだんだんそういうふうになって参りますのみならず、それらの家、屋敷のないような人は、孟子が言っておりますように、恒産なくんば恒心なしという、右の手を上げれば右の手にわっと寄っていく、左の手を上げれば左の手に寄っていく。簡単に言いますと、自己自身を確立したような人間というものは、やはり小さくても自分の家、屋敷を持って、そして庭で泥んこになって犬と遊んだり鶏と遊んだり、そうしてそこにはコスモスの二、三本でも咲いておるとか、あるいはハゲイトウでもあるというようなとこで育っていかないと、人間としては健全なものにならぬのじゃないかというのが私の心配なんです。ますます群集化していく、
一つの群集になってしまう。それは結局社会革命、つまり都市をして社会革命の中心地を形成しておる。これは社会党
内閣のもとにそういうことをやるのならば、これは筋が通っておりますけれども、われわれ自民党が国民の絶大な支持を得て政権を担当しておるが、しかしその政治のもとでますます都市が一種の集団化してしまって、そうして人間が画一化してしまって、——そうして自主性を失って、ただ集団行動していなければ気が安まらぬ、何か旗でも持ってあっちこっち動いておれば初めて何だか落ちつくというか、気が済むといったような人間を形成していく、これは私は重大なる問題であると思う。そこで根本解決は、都市を小さく分割するという政策を私は
考えるべきじゃないかと思う。これは郊外に
住宅を求めると申しましても、郊外ではやはり結局交通が、郊外に寝るところだけ作ってそこで
仕事場を都市に求めるというのでは、朝晩の交通はやはり雑踏するばかりであります。そういうふうなただ寝るところだけを郊外に作るということも、これは作らないよりは、都市の中で育ったよりも人間は健全に育つと思いますけれども、しかしそれよりも根本的に、
東京あるいは大阪というふうなただいま申しました憂うべき傾向を持っておるところはもう半分くらい、あるいは一番健全なのは私は十万くらいの都市だと思うのです。大都市はやはり悪の巣になり、そこにおる人間というものは、まじめな人もおりますけれども、神経がいら立ってくるのが普通だと思うのです。ですから健全な者は——おもなる人はどなたも道で出会えば顔を知っておるというくらいの都市というと、私はやはり十万くらいというのが一番理想じゃないか。それは
東京を一気に十万にはできません。できませんけれども、少くともこれ以上まず
東京を大きくしないのにはいかにすべきか、それでだんだんこれは小さくしていく、そういう意味から私は宮城の問題は、これは交通緩和という、そういう片々たる問題で宮城の移転問題を
考えるべきではないと思います。しかも大都市が集団化して、そうして個性のない、民主主義からいうと、集団の一粒のような人間を形成していくという心配から申しますと、私は宮城をそういう大きな意味において奈良とかあるいは京都とかに移っていただいて、これは今日の憲法下におきましては、陛下は民族の象徴でありますから、やはり千年の都であった京都とかあるいはその前の奈良の都とか、そういう日本の発祥の地に静かな皇居をいただくというようなことも決して私は無理じゃないと思う。それは明治以後に初めてできた宮城にいつまでもおるということは、今日われわれは
東京に住んでおりますから、
東京がさびしくなるということは
東京人はおもしろくないでありましょう。しかし
東京をさびしくするという言葉は悪いのですが、もっと静かな町にし、魅力のない町にすることが
東京の人口をふやさないで、そうして
東京からむしろ人間がだんだんと自然に出ていく、こういうことの大きな
一つの源泉ではないか。だから宮城の問題もいろいろにぎわっておりますが、そういう意味において、もし
大臣が
東京の
住宅問題あるいは交通問題、それからそういう将来の社会的な影響というようなものでいい解決方法がない場合は、やはりそういう大きな見地から
考える価値があるのではないか、こういうことが
一つ。
これはもう時間も十二時過ぎてしまいましたから、くどくどとは申しませんが、
東京——大都市を分割する、そして健全なる都市というものはどれくらいの大きさかという目標をきめて、そしてそういうところへ少くとも持っていく。宮城だけ移ったということで、私は
東京がそれほど小さくなるとは思いませんけれども、少くともその傾向としては宮城が移る、宮内庁が移る、私は外務省や文部省が今日のこの通信交通の発達した時代においては、
東京に全部必ずしもいなくちゃならぬというふうにはむしろ
考えないのです。そういう点を大きく
考えてもらいたい。ことに私は、少しこまかくなりますが高層
住宅、あすこに育った子供が将来どうなるかということを
考えて、日本の中堅層として成長する見込みがあるかないかというと、私の答えはノーなんです。それでなお最近いろいろ聞きますと、
政府からいろいろ援助を受けて、
住宅政策に協力するという意味でああいう高層
住宅を作りますと、
政府の援助やらあるいは中へ入る者の権利金やらいろいろ入れますとまるまるもうかる、ただででき上るという非難が起っております。これは具体的にどこの
住宅とは申しませんけれども、私は具体的にこれこれのところにできた、これこれの高層
住宅はまるまるただでできた、まるもうけだったといううわさすら聞いておるのです。ですからこういう建築にからんでもそういうことがありますし、もっと大きなことは、今申しましたようなああいうところで生まれて大きくなる子供がどうなるか、親は岩手県とか島根県とかいう泥んこの中で大きくなってきておりますから、これは大して心配ないのですけれども、その子供のことですよ、こういう点を大きく
考えてもらいたい。あなたは
建設大臣ではありますけれども、
建設大臣以上のもっと日本全体の国土
計画といいますか、そういう点から
考えていただくことができればありがたいと思う。いろいろ
質問したいこともたくさんありますけれども、今日は時間もございませんのでこの点だけ申し上げて
大臣の御所見を伺っておきたいと思います。