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山本(勝)分科員
日本は中小企業が多いものですから、従って中小企
業者の需要が多いわけです。その結果において中小企業向けのいろいろな発明が多かったということは、それはそうだろうと思いますが、特に産業構成、
日本経済全体の体質改善という点から
考えて、中小企
業者というものを育成していく上において、その生産性を高めにやならぬ、こういう必要がある。そうして大規模なものがたくさんできて、そこにプロレタリアが集まってきて、ジクザク行進ばかりさせるということは、あまり好ましくないという見地、大きな見地から申しましても、中小企業政策というものが非常に重要です。それで法律でとめられているというお話がありましたけれ
ども、私は重要な
国策として
考えた場合には、特に中小企業を目標とした発明、その生産性を向上させる発明を振興さしていく刺激、つまりくどいようですが、戦争のときには、軍が重点にしてやるからあれだけ兵器技術が発達する、そういう考慮を加えて、法律がもしじゃまになるなら、改正を加えてでもそういう
意味のこともやる。何と言いましても、技術を盛んにすることが生産性を高めるゆえんでありますから……。農業、それから中小経営、これが大経営に対立した
日本のいわゆる中堅層でありますが、そこをつちかっていくという
意味において、生産性を高める。生産性が高まるには、積極的、意識的にそういう政策をとっていくべきであると思うので、ただ結果においてそれが多かったということでなく、お願いいたしたい。これは大臣の方でその
方針をきめていただけば、その実現は不可能ではないと思うのであります。
それから第三点に、総合的立地
条件を
考えていかにゃならぬ、これもごもっともだと思います。今日のように大都市集中で、きのうでありましたか、おとといでありましたか、私は実は建設委員会で建設大臣にも申し上げたのでありますけれ
ども、都市の住宅問題を一生懸命にやっておられますが、交通、住宅その他で都市に金をつぎ込めばつぎ込むほど、ますます全国から家屋敷のない人間が集まってくる。ですから当面のものを処理することも必要ですが、当面の政策が、かえって長い目で見れば都市集中を促して、
自分で問題を作り出しておるということを反省してもらいたい。ですから、そのことを実は建設大臣にも申し上げたのであります。あんなマッチ箱を積み立てたような高層アパートなんかを作って、親はいなかで育っておるからいいですけれ
ども、あの中で生れて育った子供というものが、果して将来健全な、円満な思想を持って行動をする人間として期待できるかどうか。おそらく神経質な、ジクザク行進をやらなければ何かさびしいような人間ができ上るのではないかということを、実は痛切に申し上げた次第であります。そういう
意味から言いまして、私は大臣が言われた工場立地というものを
考えて下さるということ——私はむしろ都市の郊外に住宅を作るなんというこそくなことでなしに、この都市をもっと健全な形が保てるだけのものに減らしていくという国土計画が必要であると思う。その
意味では、ただ交通難
緩和などというような小さい見地ではなしに、もっと広い見地から、個性のない、ジグザク行進をしなければさびしいといったようなことで集団化してしまって、革命の根拠地になるような都市を作り上げていくのじゃなくて、そういう
意味から言うと、建設大臣に申し上げたのは、宮城の移転問題な
ども、交通の問題からは反対だけれ
ども、そういう大きな見地からいけば、むしろ奈良とか京都とかにお移り願って、そういったことで自然に東京にあまり魅力がないように——大都市に魅力があるから、どんどん集ってくる。国費を注入すればするほど集まってくる。そうして問題を
自分で作り出していく。それを今大臣が言われた通り、地方へそういう国費を注入していくということになれば、またそこにそれぞれの文化が栄えて、健全な都市が栄えてくる。ですからやはり都市の健全な姿というものは、おもなる顔役連中はどこで会ってもや
あと声がかけられる
程度の顔見知りという
程度の都市が一番健全なのではないか。それでしかも生産性を上げるような方式を
考えていくべきだということも申し上げたのです。
非常にけっこうだと思いますが、もう
一つ、私が申し上げたい重点があるのです。それは、体質改善という場合に、ちょうど医者が人間の病気になっておるからだを健全にするというのが、体質改善という本来の
意味だと思います。
日本経済の体質改善を一人の人間にたとえた場合、どうも今の
日本経済という人間のからだは、いろいろ故障を起しておる。その故障を直して健全な人間にしようという名医のつもりになって診断をしていただけば、体質改善策が出てくるのではないか。そこで一番大事なことは、通じをよくするということであります。名医に限っていろいろな病人にぶつかったときに、まず通じはいいかということを聞く。通じが悪くて、あっちこっちにかたまりができたり、障害ができて血液の循環がよくない、従って通じも悪い、これが
日本経済の今陥っておることではないかと思う。この間、実は企画庁におられた後藤君でありましたか、今アメリカに行っておられるようでありますけれ
ども、ある会社で、私がそのことについて話したら、後藤君も全く同感で、
日本経済の非常に困っておることは、硬直化してきておることだ、ですからなべ底ならなべ底に下っておりまして、そうして
世界的景気が上ってくる場合でも、まるで病人のようにぼうっと熱が出たり下ったりしますけれ
ども、体質が硬直化しておるために、ほんとうに自然に上る時期に上ったりしないというのです。たとえていうと、中気という病気がありますが、動脈硬化をして内出血を起しておるのではないか。これを血液の循環をよくして、通じをよくするという見地から
考えていってもらいたいと思うのです。動脈硬化症を起しておるということは、あらゆる面であります。農業の面におきましても、最近わが党において特別委員会まで作って農業基本法を作ろうというのは、言葉はきれいですけれ
ども、結局これまでの政策が完全に行き詰まったということです。価格支持制度というものを作っている。そうして増産政策をやってきた。牛を飼わしたところが、牛乳が下ってきた。その他ジャガイモ、澱粉の問題にいたしましても、繭の問題にいたしても、あるいは硫安の問題にいたしましても、もう壁にぶつかってしまっている。このままではどうにもならぬというところから根本的に
考えてみようというのが、あの農業基本法に関する委員会を設けている理由であります。今までの
市場経済というものは、機能障害を起してきておる。それから
通産政策についても、これは私の
意見として聞いておいていただけばいいですが、私は中小企業団体法というものができるときにも、強く反対しました。私はなぜそれに反対したかというと、ああいうふうに絶えず組織化して、その中に押し込んでしまう、これは必要があって自然に生まれてくる組織、自然にくずれてくる組織なら別ですが、強制的に、画一的に組織を作っていくということが、物の動きをスムーズに動かぬようにしてしまう。つまり変化に適応することが困難になる。そして動脈硬化に陥ってしまう。ですから何か問題が起ると、すぐ着眼点として、
競争が激しいことの
責任だということで、これを組織と統制の強化によって安定させていこうというふうな
考え方をどうもしてきておるように思うのですが、この組織と統制の強化によって、逆にいうと、
競争を押える形で、当面の安定を
考えていこうという政策、ことに悪いことは、価格の安定ということをねらい過ぎると思うのです。これは大臣は専門家だから、もう申し上げるまでもありませんけれ
ども、生産と消費と価格という三つのものは、相関
関係で定まっているのであって、消費の方は押えるわけにいきません。人間が何を買うかということは、消費者がきめることであります。それから生産の面でも、技術の変化その他の変化は押えるわけにいきません。そうすると価格が動くのは当りまえです。生産と消費と価格の相関
関係において、生産の面に変動があり、需要の面に変動があれば、価格は変動する。品物が足らないときは上る。そうして余ったときには下る。この足らねば上るし、余れば下るという価格の変動、これがバロメーターとなって、生産と消費とのバランスがとれていっておるのが、御
承知の自由
経済、
市場経済の体制であります。それをこのバロメーターというか、価格の上り下りが全体の
経済の
調整をとっていく中核であるのに、品物が余っても下らぬようにする、足らぬでも上らぬようにして、安定させていくということになると、ちょうどたとえていうと、寒くても下らぬ、暑くても上らぬ寒暖計と同じようになってしまう。そしてそういう寒暖計をバロメーターにしている全体の
市場経済機構というものは、もう作用が麻痺してくるのは当然であります。ですから価格をなるべく安定したいということは、これはもうだれしも自然の要求でありますけれ
ども、しかしそういう価格を安定さすということをもしねらっていきますと、その次には今度は必ず生産を計画的に命令して、守らなければ罰していくという計画を押しつけていく以外に
方法がないようになります。そしてそれでもいかぬようになって、今度は消費を規制していくということも必要になってくる。現に牛乳の問題で、小学校の子供に無理に牛乳を飲ましてみたり、そういうことまで
考えてくるようになるということは、一に価格の安定ということばかりに気をとられておる。その価格を安定させるためには、相関
関係のエレメントである生産をまず制限する、今度は消費の方を
考えていく、現に今までの農業政策のあり方は全部それできておる。桑を引け、それが今度はそれでいかぬから、何か絹の商品がないかしらということで、消費の方をいじくってくる。ですからわれわれは、自由
経済といいますか、
市場経済を守るというために、党を作っておるのであります。そこで自由主義国と
協力して命がけの
努力をしておるという理由は、この自由の
経済、ことに自由な
市場経済——
経済だけは命令
経済にしておいて、
政治や文化の面では自由なものを作り上げるというのは、笑うべき
一つの迷妄であって、
経済生活においてもし自由の原理が失われてきたら、
政治の面でも、文化の面でも、自由は失われてくることは当然であります。ですからわれわれが自由の
世界を作るために制度を作っておりながら、その政権のもとにある今日、
現実の
政治はますます自由の態勢をくずす
方向へ進んでいっておる。その一番の原因は、自由の態勢の一番肝心かなめの自由価格の形成が、需要供給の
関係で微妙に動いていく、ちょっとでも余れば下る、ちょっとでも足らねば上るという、この機構を政策的にとめていこうとしておることが、いやおうなしに生産の方面で自由を奪い、消費の面で自由を奪う線にだんだんと進んでいっておる。ですから通じをよくするというか、変化に対して適応し得るような
状況というものは、できるだけ企
業者及び消費者に残していくという
考え方からやっていくことが、
日本の
経済の今日の体質改善、つまり通じをよくし、血液の循環をよくする大切な点じゃないかと思うのです。
私は、最近、
日本経済の体質改善の処方箋というものを
自分で書いてみたのです。そう
考えた場合に、先ほど来おっしゃったことは一々大切な点ですけれ
ども、もっと根元的には通じをよくする、血液の循環をよくする。それをじゃまをしておるのは何かというと、今言う自由の組織の動いていく
条件を
考えないからです。もちろん自由に放任せよと私は申しておるのではありません。これは誤解のないようにお願いしたいのであります。世の中に変化が起りましたときに、その変化に対して弱い人々がこれに耐えられない。その摩擦を少くするためにも、その変化に伴って起る動揺があまり激しくならぬように、
市場に対して
国家が干渉していくということは、私は必要な場合は十分認めるのです。時には外国からの刺激に対して関税でやっていくことも必要かと思いますが、
市場に対して
国家が干渉する前に、絶対に守らなければならぬ二つの
原則がある。この
条件を忘れて、やたらに目先の事件にとらわれて対策をとっていくものですから、対策がまたその対策の必要を生んでくる。それから次に
自分自身で問題を作り上げていって、最後は一挙に共産主義になってしまうか、あるいは行き詰まってしまうことになる。これは歴史的にいいましても、また理屈で
考えても、そうなると思うのです。必ず守らなければならぬ二つの
条件の第一は、変化が起ったときに、変化にスムーズに適応させるために干渉するのはよろしい。技術の変化でも、あるいは戦争とか、いろいろな海外からの影響にいたしましても、天変地異にいたしましても、とにかく変化があります。その変化にスムーズに適応させるために干渉するのはよろしいが、現状維持を目的とした干渉は絶対いけない。世の中は変化常ないのが実態であって、これは昔から諸行無常といわれておるくらいで、いかなる
政治力をもってしても、世の中を一定させておくことはできない。変化はやむを得ない。ただ変化からくる結果を、なるべくその変化にスムーズに適応させるために、国も力を尽すということが必要なのであって、もし現状維持させようというための干渉をいたしましたら、わかりよい例を言いますと、既存
業者が得をするだけであって、独占を形成するだけであって、次から次に子供が大きくなっていくのに、その子供は行き先がなくなってしまう。目先の、現におる人の今の安定ということばかりねらうから、そこで現状維持的な安定策というものが、長い目で見た大きな不安定の要素を必らずはらんでくるのです。そして今度は大きな激動を避けられないことになってくる。ですから水が川を流れておる場合に、どこかに材木がひっかかっておる、そのひっかかっておるのを、ちょっと手を貸してスムーズに流れさせるという
意味の干渉なら、よろしいけれ
ども、そうではない、水そのものが
国家の力で流れぬように、現状で安定さそうというようなことをやったら、これは一時の安定が大きな不安定の要素になりますから、これはいけない。変化に適応するための干渉でなければならぬ、現状維持のための干渉はいけないということが、
一つです。
もう
一つは、同じ干渉をする場合に、
市場の法則に適応した干渉の仕方でないといけない。
市場経済の法則というものにそむいて、その法則自身作用しないような形の干渉、そういう干渉は避けにゃならぬということであります。その
市場の法則に従って干渉するということは、
市場の法則にさえ適応すれば干渉は幾らやってもいいという
意味ではもちろんありません。しかしたとえば、外国からの品物が入ってくる、それも急激に入ってきて国内の産業が大混乱を起すという場合に、関税をかけるということは、これは私は
市場の法則にぴたっと合った、
市場の機能というものにちっとも障害を起さない
一つの方式だと思います。しかし為替管理をするとか
外貨の割当をするというようなことは、
市場の機能そのものに干渉するのであって、これは関税による方策とは質が違う。ですから同じ効果を持つ場合には、私は関税を高めるという方式でやるべきであって、
外貨の割当とか為替管理とかいうふうなことは避けにゃならぬ。しかし外国——今
日本の役
人たちはすぐ、外国でやってる、外国でやってると言いますが、外国自身も誤まりを犯している。
世界全体の
経済の改善という
考え方をする場合には、国際
会議なんかに出た場合には、同じ干渉をどこの国も必要とすれば、むしろ為替管理や
外貨の割当という制度の方をやったら、国際条約で処罰をする、関税の方はむしろ必要の場合は認めるという
方向へ持っていくように、
世界を指導せねばならぬと私は思う。それを、関税の方へ手をつけるとすぐガットにひっかかるとかいうことで、
外貨割当や為替管理という方はむしろあまりやかましく言わぬからということで、やっておるのが現状のようですが、これは大間違いであって、
市場の法則に従った自由
経済を守ろうとしておる国々の集まりの
会議で、今そういうことをやっているのは、
世界の連中が少し間違っているのだから、それを実は改めていく必要がある。一番悪いのは、価格の形成に直接
国家が干渉するということが一番いけない。一番肝心かなめのバロメーターのところに手をつけるのですからいかぬ。ですから干渉する場合には、なるべく価格の形成の前で干渉するか、価格形成過程の
あとの方で干渉する。形成過程そのものでは干渉しないということが、私は大切だ、こういうふうに思っておるのです。時間がごまいませんから、くどくどしいことは略してそれくらいにいたしますが、現にこの前できました団体組織法な
ども、私は埼玉県の行田が私の選挙区でありますが、これは
中小企業庁長官にも非常に無理を言って苦労してもらっておるのですけれ
ども、行田のたびの連中は、当時あの団体法ができるときには私が反対なために、私を支持しておるたび
業者が、非常に苦労しました。もう
先生、これは反対せぬようにしてくれと言っておったのですが、最近になって初めて行田のたび
業者は、やはり
先生が反対したのがほんとうだったというので、深く私に対してまた傾倒してきておるというのは、たびというものは、だんだんとだめになってきておる。それは主としてナイロンの靴下の、たびの
格好をした、げたでもはけるようになった靴下、これはたび靴下と称するのですが、ナイロンで作ったたび靴下に食われるのです。そこで行田自身でたびをはかないで、たび靴下をはくようになってきたから、たびはどんどんとだめになってしまった。これは絶対だめという見通しがついて、そしてようやく、たび靴下に食われるのだから、たび靴下に変ろうということに決心をいたしましたときに、待ったが入った。どこから入ってきたかといいますと、全国の靴下業界が、あの団体組織法に基いて
設備制限をする、靴下業界はすでに生産過剰だ、こういう理由であります。ところがその行田の連中の中でも、一部はすでにたび靴下に変っておるのがあるのですが、昨年の暮から春にかけて、たび靴下は夜も夜業をやって、日曜も休みなしにやっている。東京などでもそうなんです。それほど盛んであって、一軒としてつぶれた店はない。ないけれ
ども、業界に聞くと、もう靴下業界は過剰生産である、
機械は半分たな上げしているのだという。聞くところによると、昨年の暮れに、審議会においていよいよ
設備制限の決定をしたということです。それを待ってくれという陳情が盛んに私のところに来て、私からも訴えたのですが、そのとき連中の話を聞くと、倉へほおり込んでたな上げしているのは、それはたび靴下の
機械ではないのだ。たび靴下という、行田のたび
業者が今転換したい、
自分たちが犠牲を払っておるそのものではないのだ。それはどこにも一軒もつぶれた店はない。非常な勢いで夜業もやり、日曜も休みなしにやっておる
実情ではないか。ことに一般の靴下などというものは、生産技術が日進月歩であるから、技術的には使えても、
経済的には古い
機械はもうだめになるから、それをあげておるのだ。一軒も靴下業でつぶれたのはないほど盛んなのだけれ
ども、古い
機械では間に合わないから、あげておる。これほ
どもう倉にたな上げしておる、そういうことを
業者は言うのですけれ
ども、靴下
業者としての説明に対して、審議会では、私の知った範囲でも
あとで聞きますと、その
実情を知らない
人たちが、知らぬから賛成した。それで今から転換するということになったときに、もう生きる道がない。そこで中小企業庁の方でも、行田だけは何とか特別に気の毒だからというので、一定のワクをやろうということで、そこにある
程度の方策は講じてもらっておるのですが、しかし、それはそれより仕方ないということになっておるが、もとをただせば、要するに動脈硬化といいますか、変化に適応するということのできないような組織にだんだんなってきておる。ほかにもたくさん私はあると思う。新しく出てきた人間の道をふさぐということもあろうし、あるいはこれまでの
事業を転換したい、転換すれば必ず立っていけるのに、もうそこに壁ができておって転換できない。ですから画一的組織化をもって目先の安定をはかっていこうということが、だんだん
日本の
経済を動脈硬化と申しますか、麻痺と申しますか、
市場機構を麻痺しておるのであるから、この点は反省をしていただかないと、その他の点だけでは、ほんとうの
意味での健全な体質にはならない、こういうように思っておるのです。お忙しいようですから、今日はこれだけにいたします。大臣にはどうもありがとうございました。所感がありましたら、ちょっと一言承わりたいと思います。