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1959-02-16 第31回国会 衆議院 予算委員会公聴会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十四年二月十六日(月曜日)     午前十時四十二分開議  出席委員    委員長 楢橋  渡君    理事 小川 半次君 理事 西村 直己君    理事 井手 以誠君 理事 田中織之進君       内田 常雄君    小澤佐重喜君       岡本  茂君    川崎 秀二君       上林山榮吉君    久野 忠治君       小坂善太郎君    周東 英雄君       田中伊三次君    床次 徳二君       中曽根康弘君    船田  中君       水田三喜男君    八木 一郎君       山口六郎次君    山崎  巖君       阿部 五郎君    淡谷 悠藏君       今澄  勇君    岡  良一君       加藤 勘十君    北山 愛郎君       黒田 寿男君    佐々木良作君       島上善五郎君    楯 兼次郎君  出席国務大臣         国 務 大 臣 世耕 弘一君  出席政府委員         大蔵政務次官  山中 貞則君         大蔵事務官         (主計局長)  石原 周夫君         厚生政務次官  池田 清志君  出席公述人         武蔵大学教授  芹沢 彪衛君         朝日新聞論説委         員       江幡  清君         毎日新聞論説委         員       山本 正雄君         信越化学工業株         式会社社長   小坂徳三郎君  委員外出席者         専  門  員 岡林 清英君     ————————————— 本日の公聴会意見を聞いた案件  昭和三十四年度一般会計予算  昭和三十四年度特別会計予算  昭和三十四年度政府関係機関予算      ————◇—————
  2. 西村直己

    西村(直)委員長代理 これより会議を開きます。  委員長所用のため出席がおくれますので、委員長の指定によりまして、委員長がお見えになりますまで私が委員長の職務を行います。  昭和三十四年度総予算につきまして公聴会に入ります。  開会に当りまして、御出席公述人各位にごあいさつ申し上げます。  本日は御多忙のところ貴重なるお時間をさいて御出席いただきまして、まことにありがとうございました。委員長といたしまして厚くお礼申し上げます。  申すまでもなく、本公聴会を開きますのは、目下本委員会において審査中の昭和三十四年度総予算につきまして、広く各界の学識経験者たる各位の御意見をお聞きいたしまして、本予算審査を一そう権威あらしめようとするのであります。各位の忌憚ない御意見を承わることができますれば、本委員会の今後の審査に多大の参考になるものと存ずる次第であります。  議事は、芹沢さん、江幡さんの順序で、御一名ずつ順次御意見開陳及びその質疑を済ませていくことといたしまして、公述人各位の御意見を述べられる時間は、議事の都合上約二十分程度にお願いいたしたいと存じます。  なお、念のため申し上げますが、衆議院規則の定めるところによりまして、発言の際は委員長の許可を得ることになっております。また、発言の内容は、意見を聞こうとする案件の範囲を越えてはならないことになっております。なお、委員公述人に質疑することができますが、公述人委員に対して質疑することができませんから、さよう御了承いただきたいと存じます。  それでは、まず、武蔵大学教授芹沢彪衛君より御意見開陳をお願いいたします。芹沢彪衛君。
  3. 芹沢彪衛

    芹沢公述人 きょう私公述を依頼されましたが、いつも教壇に立っておりますから皆様方のように直接お詳しい方よりかえって何も知らない。ただ遠くの方からこういうものを見まして、国民の一人としていろいろ申し上げることも、何か皆様方予算を審議なさいますお役に立つのではないか、間違いでもございましたらむしろお教え願いたい。もうすでに新聞を拝見いたしますと、国会でも十分御論議なさいまして、実は私の申し上げることはあまりないような感じがいたします。しかし私は私なりに、政策を講義しておる学校の教員が勝手なことを申し上げたくらいにお聞き取り願いたいと思うのです。  予算を見ます場合でもいろいろ見方がございますが、大きい線からいって、国の政策を実行するために、経済的な裏づけのないあるいは物的な裏づけのない政策というのはございませんから、勢い予算にあらゆる政策目標が盛り込まれてまとめられておると思います。その場合、われわれ国民からして国のそういう政策目標をどう考えるかということでございますが、大体私は一つ国民生活の安定とか向上という面にしぼる行き方、これは戦後御承知のように、各党でも国民生活安定向上ということをおっしゃっております。最近は何か資本蓄積というものが非常にやかましく論ぜられております。でありますから、結局国民生活安定向上というのも一つの大きな政策目標でありますと同時に、もう一つ資本蓄積ということが、やはり少くとも資本主義国家でございますから、当然これが表に出てくるし、それに対して財政的な役割が問題になる。もう一つといっても一つじゃございませんけれども、歴史を見ておりますと、国の目的として非常に大きなもので絶えず論議されるのは軍備あるいは防衛でございます。大体常識的に分けまして三つあると思います。でありますから、そういうような目的がどういうふうに予算が現われておるか、あるいはまた結果がどうなるか、そういう点についていろいろ疑問と申しますか、そういう点を申し上げたいと思います。  従いまして、こういういずれの問題についても、特に国民生活の問題あるいは資本蓄積の問題になりますと、これはこのごろよくいわれる経済成長であるとかあるいは体質改善とか、今度の予算にもうたわれ、あるいは民間からお出しになった問題でございますが、そういう点が一つの問題、つまり国民経済の発展とか成長でございます。それがどうであるか。その中で予算がどういう位置にあるかということを見きわめるのが、これは何かお役に立つのではないかと思います。そういう点で、ちょうど政府から参考資料にいただきました国民経済計算といいますか、国民所得分析見通し数字をいろいろ計算してみたのですが、ちょっとおもしろい現象があります。それは昭和三十年を基準にしまして、三十四年度予算あるいは見通しとあわせてみますと、大体国民所得が三六・七%くらいふえております。国民総生産も同じように大体三六・六%、国民所得もほとんど同じとわれわれは考えればいいと思いますが、国民所得は三六・七%ふえております。これに対しまして、国民消費は三三・二、幾らかおくれております。ところがいわゆる間間資本形成つまり資本蓄積に該当するものでございますが、これが全体で五九・八、約六割くらい三十年から見ると、ふえるという見通しでございます。ただしこれは三十二年、例の神武景気のときには、全体として八割九分、これは三十年から三十二年の二年間の間に猛烈に蓄積がふえたということはよく議論されておりますが、そういうふうにふえて、幾らか落ちましたけれども国民所得国民支出から見てみるとぐっと上回っておる、その中で特にこれは常識的にもおわかりでしょうが、生産者耐久施設といわれます、つまり設備でございますね、これは一番ひどくて、三十年から三十二年にかけては二倍以上、つまり二三八%という指数を示しております。私が計算したのですから、あるいは多少違う。計算尺の程度です。これがことしの予算見通しでは落ちておりまして一八一、それでも国民所得が三六・七%に対して、生産者耐久施設は八一%もふえるという見通しであります。これがいいか悪いかの問題は別として、一応政府のお調べによるとそういう結論が出る。おかしいことには、在庫品増、ストックでございますが、これは景気論争としてよく論議されます。これは神武景気のときでも三〇%くらいしかふえていない。三十四年の見通しでは、三十年と同じ、正確に申しますと一〇六・二%という見通しになっております。これはひどいアンバランスでございまして、これは財政の問題とか景気の問題について一つ問題になると思いますが、これはあまり深入りはいたしません。  それに対して財政の動きでございますが、これと国民消費神武景気のときにはずっとおくれておって、あとからじわじわと追いついてきておりますが、大体国民消費支出と同じ、少し消費支出より上でございます。一三五%、つまり三五%三十年よりふえておる。この辺は割方落ちついておると思います。これでいえば予算について言うべきことはないと思いますが、こまかいことを幾らかしゃべらしてもらいます。  それから所得についてでございますが、これは勤労所得賃金俸給が四五・七%で非常にふえております。それに対して個人業主所得が一二・九しか三十年から三十四年までの見通し関係で伸びておりません。特に農林水産は一〇〇・二ですから、〇・二%しかふえていない。これは政府計算なさいます見通しでございますが、少し少な過ぎやしないかと私は思いますが、まあ一応政府のお調べを信用すれば、全然農林水産横ばいということになっております。ところが個人賃貸料は八四・三%、八割四分ふえておる。賃貸料つまり家主さんとか地主さんが八割四分、これは大体景気のズレがございます。安定してくるとだんだん主局くなるから所得がふえることは確かでございます。それから個人利子所得が七割七分五厘、七七・五%ふえておる。それから法人所得が六八%、つまり会社所得、いわゆる学者の学問の方で言うと利札切りといいますか、レントナー、地代、利子不労所得ですね。不労所得者所得が一番大きな伸びを示しておる。こういう事実が一応政府のお調べからも出てくるわけであります。  これに対して財政がどういう影響を受けたかということは、過去のことを考えなければなりませんが、ここでは大体短期間の問題だけを取り上げたいと思います。ただここに現われておるのは、やかましく申しますと、いわゆる階級分化といいますか、つまりこのごろ厚生省あるいは企画庁の国民生活白書あたりでも言われておりますように、所得格差が非常に大きくなってきておるという事実が統計的にも出ておる。こういう中で一体財政がどういうふうに影響力を持つか、どういうふうに動くかという点を論じさせていただきたいと思います。  さっきの国民生活向上資本蓄積、この二つに関する限りでは、いわば国民所得の再分配に財政がどう影響するか、つまり税金を吸い上げる、その他の流通と申しますか、これの吸い上げ方によって、いろいろ国民所得が再分配されるという政策、これは直接予算支出項目政策ではありませんけれども国民化活に非常に影響する。この点から言えば国の収入国民から申しますと自分のふところから持っていかれるものでございます。言うまでもなく、これが一番問題にされましたのは、減税の問題でございまして、初年度五百三十三億、これは地方税ともでございますが、平年度七百十七億というものを予算にお出しになっていらっしゃるようでございます。それで結局五百三十三億の減税ではあるが、自然増が千八十七億円あって、その他税制上の増収分を差引しまして、九百五十三億政府財政収入がふえるということに計算はお出しになっていらっしゃるようでございます。  この点については私しろうとでございますけれども、いろいろ専門家計算されて、一千億円だけ自然増収があるかどうか疑問だという御意見もあるようでございます。私はどうも中性的に考えて、あるいはこれくらいはあるかもしれない——景気というものはわかりませんので何とも言えませんが、一千億円の自然増があれば一応ことしのバランスはとれる。でありますから、結局全体としての問題は、疑問は持ちますけれどもそれほど大したことはないかもしれません。大体この予定通り行くかもしれません。  それと私疑問を持っておりますのは、今度の所得税減税つまり扶養家族扶養控除勤労所得その他一般個人所得が軽くなったということがうたわれておりますが、それにもかかわらずどうも私がわからないのは、二つ問題がございます。  その一つは、源泉所得申告を一緒にしまして、戦前つまり昭和九—十一年平均でございますが、たしか私の記憶では、所得税納税者は九十六万人くらいであります。それが三十年くらいには源泉所得納税者だけで九百七十四万人、約十倍になっております。それが減税されても、今度のことしの予算計算でいけば九百十一万、片一方所得がふえてくるから、所得単位が上ってくるから、結局減税してもそう納税人員は減らないということであろうと思いますが、現行税制でいけば、三十四年度九百七十四万人の納税者があって、これを改正すると九百十一万人になることになっておりますが、この点で平均一人当り現行ならば二万四百円の税負担が、一万八千五百円になるという計算のようでございます。幾らか軽くなったといわれますけれども、やはり引き続き一千万近くの勤労者源泉課税負担している。こういう事実がございます。これはどうも戦前に比べて少し重くはないかという一つ疑問がございます。  それからもう一つは、アンバランスの問題ですが、申告所得は御承知の通り、だんだん戦後減って参りまして、現在では三十二年度で申告所得納税者が二百十八万人、それの税額が五百七十八億、それから今度改正されますと三十四年度については二百一万人、十七、八万人減るわけで、幾らか減るわけです。それの納税額も三十二年には五百七十八億納めたのが、二百七十八億になっている。半分になっている。勤労所得がふえたというのはさっきの国民経済計算から申しましても、確かに比例していると思いますが、少し格差がひど過ぎはせぬかという疑問があります。これは特に農家の方——農家のことをどうこう申し上げるわけではございませんが、農家は三十二年では大体六十三万戸ぐらいが申告課税に入って、それで五十七億円ぐらい。勤労所得者は全体でその当時千九百、約二千億円ぐらい所得税を納めている。農家はその当時五十七億円。それが今度やはり控除になるものですから、現行改正になりますと、四十九万世帯、約五十万世帯弱ぐらいしか所得税を納めない。その税額が三十六億円ぐらいに減ってくる。非常に開きがある。これで一体負担が公平なりやいなや、私は疑問を持つわけであります。これは勤労所得者は一人々々納めますし、農家は一世帯でございますから、じかに比較したのではわかりませんが、私が推算した程度でございますが、五人世帯とすれば、九百万人とすれば約百八十万世帯になる。しかしそのうちには、農家の方でもやはり家族勤労所得を納めている。だから五十万世帯を引きましても百三十万世帯源泉所得税を納めております。農家の方では五十万世帯がそれに税金を納めている。このバランスがどうも秋気になりますが、これは大蔵省でもう少しよく調べていただいて、果して負担が均衡であるのかどうかということを特にお調べ願いたいと思っております。  これは減税が非常にいったようでございますけれども、全体的に外国と比べますと、まだまだ日本の税は非常に高いのでございまして、これは時間がございませんから、そこまで比較は申し上げられませんが、非常に負担日本はまだ高い。たしかイギリスあたりでも、五十万円前後が免税点になっております。しかし、これは免税点をもっと上げられるかどうかということになりますと、バランスの問題上むずかしいのでございます。とにかくそのことは別としましても、負担について私自身がちょっと目の子算でやったところ、疑問がある点だけを申し上げたいと思います。  それからもう一つの問題は、例の、いつも議論されます預貯金課税減免、これは今度バランスをとられまして、預貯金を少しふやす、負担をふやして、平均して一〇%これは有価証券、投資の配当でありますか、これはバランスをされることになっておりますが、これもちょっといたずら——ということもないのですが、計算をしてみたのですが、大体今度の租税に関する資料を拝見いたしますと、源泉課税のうちで、利子所得及び配当所得課税額が三百十億円くらいになっております。ところが、一方国民所得計算の方で、利子所得が全部で三千百三十億でありますから、これは一〇%かけるとちょうど三百十三億で、暗算でしてもほぼ三百億くらいの辺が税でマッチしているから、この辺がほんとうだろうと思います。ところがこれは本則として二〇%でありまして、半分の一〇%に負けてやっておりますから、結局利子とかそういうものを持っている方は、三百億円だけ一般よりか税金を軽くしてもらっているわけであります。これは、私ども所得階層別数字を最近ほとんどいただけないのですが、大蔵省さんでぜひわれわれの方にも階層別所得税負担とかの新しい数字を絶えずいただきたいのであります。われわれはつんぼさじきに置かれておりまして、最近は税制に関する参考資料なんかも大蔵省がお出しにならないで、われわれ学者手元に全然入りません。お役所だけで、しかも大蔵省の役人だけが手元にこっそりお持ちになって、私ども批評しようにも批評しようがないのでありますから、ここで三百億の負担がどの辺で軽減されているかという判断もつきませんけれども、おそらく預貯金利子で得をするには、相当高額所得者でなければ問題にならないと思います。ですから、片一方所得税低額所得者減税をすると言いながら、片方で預貯金の方が一〇%とられるから幾らかよくなったじゃないかという御説もあると思います。また蓄積中心にすればそういうことになりますが、これはあとで申し上げますけれども神武景気はあまり資本蓄積され過ぎてああいうことが起ったのですから、蓄積が足りないという論拠は僕は成り立ち得ないと思うのであります。なべ底景気あとこうなっておるときに、いまだに蓄積々々と騒がれることは、国の政策として少し片一方に片寄り過ぎていないか。しかも神武景気のときに、基礎産業の大部分に、あれまでに国家資金がつぎ込んであります。そのあげく工場ができ過ぎて、そうして不景気になった。それの責任一体民間だからとらなくていいとおっしゃればそうでありますけれども民間といっても、戦後、国民税金なり日銀の貸付金負担が全然なしに、独立でやられた産業というものは何もありません。中小企業以下だろうと思います。繊維なんか、私二、三年前調べ——これは大蔵省のお出しになった数字でございますけれども、たしか昭和二十八年ごろまで合計しますと、繊維関係に投下された資本の二割五分ぐらいは国家資金がつぎ込まれておる。いわんや製鉄であるとか電気だとかいうものは、ほとんど全部が国家資金でございますから、そういう結果が蓄積過剰となって、不景気が起ったりする場合に、国民に対してその後の責任が全然ないということは、私は言えぬじゃないかと思います。この点が、特にいまだに蓄積中心主義でやられることは、すでにちょっと時代おくれじゃないかという感じがいたします。  これはちょっと別のこまかい問題に入りますけれども目的税議論が、かなり揮発油税については問題になっておるようでございまして、これはその方からすでにいろいろ議論がなされましたけれども、私はもちろん国民負担の点から考えまして、案外こういう税金は気がつかないが、結局トラックタクシー——自家用車をお使いになる方はよろしゅうございますが、一般タクシーに乗り、トラックで物を運んだりすれば、結局国民負担がくる。これは現行でも、九千二百万人に割ってみますと、現行税制でいっても、三十年度は一人当り七百円の負担になるわけでございます。そうすると五人世帯ですと、平均しますと一年間三千五百円のガソリン税負担することになる。それが今度値上げになりますと、一人当り九百円になりますから、五人世帯ですと四千五百円を知らぬ間に負担することになります。案外知らぬ間に——これは間接税はすべてそうでありますが、ちびりちびりと取られるものですから、これは非常に不公平になる。  ついでのことに学者は怒られることを言いますが、これは私だけの意見ではないのですが、源泉課税申告課税について私疑問を出しましたのは、これは納税心理でございまして、月給袋をもらうとき天引されているとそう痛く感じない。ところが一ぺんふところに入ったものを取り上げられると、人間は惜しくてしょうがない。従いまして源泉課税に対しては納税者抵抗が弱い。申告課税においては納税者抵抗が強い。それが自然的に保険料にセルフ・セレクション、自家選択をいたします。納税に関しては抵抗がどのくらい強いか、これはプジャード党でなくても当然そうなりますが、そういうことが知らず知らずそういう租税負担の不公平を起すのでありまして、できるならば源泉課税戦前のようにみんな源泉にした方が公平になる。しかしこれは社会党さんでも政権をとられると税金を取らなければ困るから、源泉課税をやめると税収入がぐっと落ちるということは、これは税務署が一番御存じ、しかし国民負担からいうならば、これは公平にしなければならぬ。これはちょっと脱線いたしまして、どうせ実現できぬだろうとお怒りになりますが、学者はそんなことを申し上げるのでございます。減税問題については以上要約いたしますと、大体減税もここまできて、これ以上減税することはむずかしいことは事実であるが、負担の不公平はまだかなりあるのではないかという感じがいたします。  それからもう一つ間接税、直接税についてどうだろうかということは、われわれ非常に興味を持っておりますが、確かに所得税減免のおかげで、三十年度と三十四年度は、これは全部ではございませんが、所得税だけを租税収入予算から計算しますと、三十年度が三〇%、三十四年度が約二二%でございますから、かなり負担が軽くなる。それをどこで埋め合せられたかということが問題でございますが、これは大体間接税として、酒、砂糖揮発油専売益金、まあタバコがおもでございます。これを合計したパーセンテージをとりますと、三十年には三八・七%、それが三十一年に四〇%になりまして、そのまま横ばいつまり間接税負担もほぼぎりぎりまで来ているのではないか。これは政府もお考えでございましょうが、この中でふえているのはお酒でございます。お酒は生活が安定したせいか、よけい飲むようになったのではないかと私は思いますが、まあカストリしょうちゅうから現在は二級酒ないしはビールくらいまでいっておりますから、間接税でふえているのは酒だけでございます。砂糖の方は今度も非常なやりくり算段をしまして、関税をおふやしになったりして、実質上だんだんふやされる努力をおやりになりますし、揮発油税の方は税金を増税する。それだけやっても四〇%です。法人税が二〇%から二七%ふえたので、これはおそらく会社側から言わせると、法人税が重過ぎるとおっしゃるかもしれません。この辺は非常にプラス・マイナスでございまして、私どもに言わせれば、結局会社側が非常に安定いたして、不景気でもこれだけのもうけが出るからよくお納めになるという考え方も成り立つのでありまして、これは法人上の特別措置はだんだん減らせという世論も相当強いのでございます。そういうふうなバランスから言いまして、いいか悪いか、私は疑点として申し上げるだけでございます。  要するに全体といたしましては、そろそろ蓄積重点主義としての予算というものをお考え直しになったらどうか、これは歳出及び財政投融資にも触れてもう一度繰り返したいと思います。  歳出の方でございますが、これは各方面からこまかく微に入り細にわたり御議論もなさいます。議会でもこれを御議論なさいましたが、私の気づいた点で割方害われなかったのではないかという点だけを特に申し上げます。  その一つ社会保障で、今年は老齢年金で与党の方々も野党の方々も非常に奪い合いのような形になっております。これはけっこうなことでございますが、その前にどうも最近なべ底景気が続きまして、低額所得者つまりボーダー・ライン以下の人たちの生活が非常に苦しくなっている。これはつまり所得格差の結果として現われてくるのではないかと思います。政府側でも、二百四十六万世帯約一千万人以上がそのボーダー・ラインで見捨てられているといわれております。片一方社会保障の中にあるのは例の生活扶助、それから結核その他の医療保護、それから年金も入りますけれども、そういう保護、それから児童に関する保護、いろいろの問題が山積いたしておりまして、予算も確かに相当ふやしていただいたと思いますけれども、しかしとてもこれだけでは、ボーダー・ラインにおる人たちの生活は保障されていないのじゃないか。これが一番気になるわけであります。これは人口数からいえば一千万でございますが、社会的発言力というのは非常に弱い線でございます。結局そういう社会福祉事業に参加されておる方々、特に婦人の方々、保母とか託児所のそういう方々のごくわずかの人口の人たちが、この点非常に憂慮されておりまして、全体として確かに勤労所得もふえておりますので、その人たちは楽になったかもしれませんが、しかしそれだけ逆にぐっと空活が下っておる人たちが、なべ底景気の中に取り残されておるのじゃないか、この点が割方今度の予算でもあまり考えられていない。これは発言力が弱いからそれっきりだといわれれば、それまででございますけれども国民全体の生活バランスをとることが、少くとも国家一つの大きな目的であるならば、その点をお考え願いたい。これは根本の問題でございます。当然この中には老齢年金制度、国民皆保険もみな入るわけですが、問題はみなこういうのは拠出制度になります。あるいは保険になりましても、やはり患者負担がございますので、ボーダー・ラインの人たちは負担できないわけでございます。負担できないからそういう、つまり保険制度でやるような負担の中には、ボーダー・ライン以下は全部見捨てられる、あと生活扶助だけだ。生活扶助というのは、これはちょっとでも内職があると、これをすぐ取り上げてしまう。実に過酷きわまることなんで、働こうとすれば生活扶助はもらえない。むしろ働くよりはなまけることを奨励し、しかも飢え死にを奨励しておるような制度が残されておる。この点はあと社会保障のお話があると思いますから、これ以上深入りいたしませんが、この程度ちょっと申し上げておきます。  それから老齢年金の制度でございますが、これはけっこうなことでありますが、今のようなことを先に——順序があると思います。それから老齢年金自体につきましても、拠出制度をよくやっていただく。これは大内先生あたりでおやりになっているので、当然政府あるいは議会の方々もお考え願いたいと思いますが、今のようなバランスのもとにおいてやっていたたきたい、こういうことでございます。  それからもう一つ、ちょっとこまかい点でございますが、最近失対事業が、これはほんとうに不景気に対するこそく的な対策だと存じますけれども、東京あたりのニコヨンさんなんか見ておりますと、大体これらがきまった職業になって、なわ張りができてしまいまして、だんだんとお年寄りになっていく、老齢年金のようなものになっておりますが、これは確かに社会保障制度としていいことではありますが、失対は本来は生産的な要因が入らなければならぬので、この点も小さいことのようでありますが、やはりいろいろお考えいただきたい。  それからもう一つ、これは来年の予算でございませんが、長期にわたっていわゆる保障制度あるいは保険制度、このことについては私どもは保障制度がいいと思いますが、いずれにいたしましても、物価が安定しませんと、こういうものはかけ損になる。これは戦前生命保険をかけて、戦後もらう方々にみな行われたことで、二百六十倍も物価が上ると、三百六十分の一の積立金しかもらえないのでありますから、これはいわば収奪です。人の貯金を奪い取ることになるから、こういう制度が社会的にできる前提条件としては、必ずインフレがないという条件を作っていただく。これが一番大事なことだと思います。支出についてはいろいろございますが、おもだったことはそういう点です。  それからもう一つ、これは私よくわかりませんが、国債償還計画によりますと、来年は百七億、予算がぎりぎりでよく組み立てられたというのは、国債償還費が非常に少いということが、一つ予算が作りよかった原因だと思いますが、再来年はたしか償還計画は六百二十七億と五百三十億以上来年よりふえることになります。これは大蔵省方々に教えていただかなければわかりませんが、これは幾らかやりくり算段ができると思いますが、計画としては再来年はそうなる。来年の予算は組み立てよかったからといっても、再来年は組み立ていいとは言えないという心配があると思いますが、それはお教え願いたい点でございます。一般会計のことはいろいろございますが、時間も制限されておりますので、重点だけこのくらいにいたしておきます。  それから財政投融資でございますが、これもこまかいことを一々論ずる時間もございません。ただ原資の中に郵便貯金一千億増とありますが、これはきのうかおとといの新聞にも、八百億円くらいじゃないかというような、この原資が苦しいという問題が一つありはせぬか。それよりか、私がさっき申しましたように、過剰投資の結果、不景気になって、景気がどうにか立ち直ろうというときに、再び投資をされるのは、大企業の方に投資される。これもすぐ大企業と断言するのはいささか危ないのでございますが、開発銀行とか、電源とか、輸出入銀行とか石油投資、帝都高速度、これらを合計しますと、ことしふえる予算は約四百五十億円くらい。これに対して中小企業の方に回される金は、産業投融資の資金運用部を私ども問題にいたしますが——資金運用部というのは、零細な資金を集めた郵便貯金、保険がほとんど中心であります。これの大部分が、つまり中分以上が、大企業に投下される。中小企業は逆に五億減っております。それから農業の方は、これは百二十四億くらいふえておりますから、大体農業の方はかなり見ているが、大企業集中主義というのは、相変らずことしの産業投融資にもやはり現われてきているのではないか。従ってなべ底景気の中で一番ひどい目にあった中小企業勤労者の方は、いろいろやはり出しておられますが、住宅であるとか、そういう問題がございますけれども、いずれにしても大企業中心で、この不景気の結果整理された面に対する見方は、非常に不親切ではないだろうかという疑問があるわけでございます。この点は、正確な数字的な資料手元にございませんので、感じしか申し上げられませんが、理屈は幾らでも立ちますので、やはり輸出振興だから輸出入銀行には金を貸すんだ。これも何だか議会で、いろいろ輸出とからんで、あるいは賠償とからんで、輸出入銀行とか開発銀行とかの問題が出ておるようでございます。やはりこれはよほどお考え願いたい、こういうことなんです。  それからもう一つ、これは景気論争の中でよく出ることで、対民間収支の問題でありまして、政府の御計算では、去年の外国為替特別会計を別にいたしますと、一般会計、特別会計の払い超が、三十三年度が約九百億円、三十四年度は千四百三十九億円、それに貿易の方はこれはちょっとわかりませんで、推定でございますが、一千億円として、二千四百億円くらいの計算つまり払い超であります。そのほか、問題は、今までため込んだ金を、貯金した金を一度に出した場合にどうなるかという問題が、景気の問題として問題になりますが、そうなりますと、過去の蓄積資金がどれだけ放出されるか。これも政府の御計算でありますが、一般会計の方では前年度の剰余金、これは半年なり一年なりのずれを持って出てくる。それからたな上げ資金、これも一年なり半年のずれを持って出てくる。吹い上げる場合と吐き出す場合があります。これはよく私申し上げますが、現在財政の規模が非常に大きくなっておりますものですから、つまり小さい池の中に鯨を入れたようなもので、政府が金を吸い上げますと、池がたちまちからになって、政府が金を吐き出すと、たちまち池があふれて水がこぼれるという現象が起るわけであります。とにかく二、三千億円の金が払い超になったり揚げ超になったりする。ちょうど池の中で鯨が水を吸ったり吐いたりするような格好で、ことしは今まで吸い込んだ水を吐き出す分、三十三年度までに吸い上げた資金を吐き出す分が、二千七十六億くらいあるという政府計算であります。ただし外為を除きます。外為は一億六千万ドル黒字となっておりますが、外為の問題はこれは私ども考えますと、結局手持ちの品物を外国に売り込んだ金でありますから、単なる支出つまり財政上の支出と違うのじゃないかと思います。これを除きますと、千五百億くらいふえる。このことが、おそらく過熱であるとか横ばいであるとかいろいろ議論なさる原因は、そこにあると思いますが、いずれにしても、十分金融上は御注意願いたい。というのは、それ自体は景気の問題でありますが、さっき申しましたように、社会保障とかそういう制度を安定し、国民生活を安定するには、通貨価値を安定させなければならぬ。特に対外的に、ことしは国際的に為替の交換性が一般化しつつある。ヨーロッパにある日本の円を守らなければならぬ段階でございますから、こまかい御注意が必要じゃないだろうか。こういうことでございます。  全体としまして総括させていただきますが、これはさっき申し上げましたように、やはり資本蓄積に重点を置かれ過ぎてはいないか。国民生活の方もかなりお考えになっておりますけれども、やはりまだまだ現在のなべ底景気における低額所得者に特に御注意を願いたい。それから負担の公平がまだまだ完全に公平じゃないじゃないかという疑問があるという点でございます。  それから特に、今まで触れなかった問題といたしましては、どうも最近予算の編成に圧力団体と申しますか、一部の力が強く作用する。これは選挙を通じては当然作用するのがほんとうでございますが、あまり裏の方で作用することは、国民、われわれとしてははなはだ迷惑でございますから、これはずいぶん政治の方でお考えおきを願いたい。  それからもう一つは、ことしの支出は、こまかく分析するひまはございませんでしたが、公共事業費とか財政投融資なんかに新しい政策が盛り込まれておりますが、これはかつてシャウプ博士が来たときにも言っておったのですが、土木事業費などというものは、ざるで水を運ぶようなものであって、どれだけが経済効果を持つか信用できないといわれておる。それだけに、この点は支出をよほど注意してやっていただかないと、投融資でもそうでございますが、非常に危険がある。国民負担においてそういう金を乱費されるなら、われわれ国民としては、これはまことに遺憾きわまりない点でございますから、ぜひこれは政治を担当される方々にお考えおきを願いたいのであります。  それからだんだん終りに近づいて参りましたが、大体ことしの予算は、そういう事情であまり特徴がない。体質改善というのですが、あまり国民の体質は改善されそうもない。会社側の方は、財政投融資も一千億円以上お出しになりますので、よほど改善ができると思いますが、われわれ国民は、扶養家族が幾らか助かった程度で幾らか恩典にあずかったから、その点はお礼申し上げていいと思います。それより問題は、三十五年度以降の予算がどうなるかという点でございます。私これは目の子算をやってみたのですが、減税が、当然三十四年度が五百三十三億円でございますが、平年度七百十七億、この数字は私たち国代はわからぬから信用いたしますが、来年はさらに百八十四億、また税金が平年度減るわけでございます。支出の方は、年金でございますが、今年は百億円で四カ月だけ。今年の予算に組みにくいからお延ばしになったように承わっておりますが、来年は平年度でございますから、政府の予定通りにいっても、人員その他を見て四倍と見ますと四百億円、ですから今年より三百億円ふえるわけです。それから事務費その他もふえます。これが目の子で八十数億円ふえますから、年金制度が現行のものをふやすだけでも、三百八十億円ぐらい三十五年度はふえる計算になります。それから国民皆保険をおやりになる。これは非常にありがたいことでございますが、二割国庫補助される。さっき申しましたように、国民負担する、できない人は結局捨てられるということを言いましたけれども、全体的にはありがたいことでございますが、この負担が、三十四年度六百十万人予算、それから三十五年度厚生省あたりの御希望では二百三十万人入れたいということになりますから、四倍になります。そうしますと、これが事務費その他を合せますと五百三十一億円くらいふえます。この三つ。それにもし国債償還が予定辿り来年は、今年のように五百三十億ほどよけいにお返しになりますと、合計して一千六百二十五億円ほど今年より予算の幅がふえるわけでございます。これは当然増といいますか、今の年金その他も当然増でありますが、それ以外に、いわゆる予算が人件費その他で当然ふえるのがございますから、当然増を加えたら、おそらくは二千五百億から二千億円くらいの幅が広がるんじゃないか。そこで来年度の予算をどうお組みになるかということは、来年になってから騒がれたのでは、われわれ国民は迷惑するのでありまして、やはり今年の予算を審議される間に、大蔵省としては五カ年計画とか何カ年計画とかをおやりになっているならば、一番直接の予算についても長期の計画をお立てになって、今年はやり繰りしたが来年は知らぬぞというようなことではなくて、来年もちゃんとやられるという計算をわれわれ国民にも教えていただきたいのでございます。  御迷惑をかけますからもう一つだけで終りますが、これも現在は問題に、なりませんが、ちょうどことしなんかの予算が、あらゆる点で、減税の問題、社会事業の点、それから防衛関係は今のところ横ばいといいますが、これが一つの転機になっているのじゃないかと思います。この際一体日本が本気で防衛をおやりになるか、あるいは平和国家でおやりになるかという立場が決定されることによって、非常な運命の違いが出てくるのじゃないかと思いますが、現在本気の防衛をやるという覚悟をわれわれ国民がせなければならぬとすると、大へんなことになるのじゃないか。それがちょっと気になりますので、ちょっと御参考までに二、三数字を御報告申し上げますが、戦前軍縮会議——私は軍縮会議の年代はすっかり忘れましたが、軍縮会議のあとから第二次大戦に至るまでの間の軍事費の増大率を昭和三年から十一年にかけて、古い本をひっくり返してみましたら出ておりましたが、昭和三年から十一年、一九二八年から一九三六年でございますね、まだ問題が広がらぬ前ですが、それでもその間に軍事費はかなり大きくなっておる。たとえばフランスが五割六分ふえた。イギリスが三割九分、ソ連はその当時十六倍くらいになっておる。アメリカは三割八分、これはまだ余裕しゃくしゃくで、アメリカは戦争になると大急ぎで軍艦、大砲、飛行機を作っても間に合う国でありますから、アメリカは戦争になりますと、国民出産はわずか三年間で二倍になっております。そういう力を持っておりますから、平時における軍事費の増大は割合に少かった。日本はその間に二倍になり、昭和十二年の日本数字は三倍になっております。昭和三年から十二年の間約九年くらいの間に三倍、これは過去の事実でございます。現在日本は、今防衛費は御承知のように二割弱、一九・九%くらいでございますが、アメリカは現在でも一九五七——八年度予算が、日本でいえば三十三年度予算と申しますか、これが軍事費は六二・五%、これに対して社会保障関係の費用は四・五%でございます。ただし四・五%といいましても一大きさが違います。一人当りにちょっと計算してみますと、日本社会保障が、国民九千二百九十万人ということし政府がお出しになった数字で割ってみますと、日本社会保障費は一人当り千五百九十円になります。国防費は二割で一人当りが三千五十円になります。アメリカは社会保障費は予算のたった四・五%と申しましても、四・五%に三十三年度。三十四年度つまり一九五八—九年予算予算教書によりますと——これを日本の三十四年度と御比較願います。社会保障費五・二%、アメリカ国民一億五千七十万人という計算で一人当り社会保障が一万百円、日本は千五百九十円、国の予算から、少いといっても、国民の一人当りには一万円以上の社会保障費が支出されておる。ただし軍事費の方は驚くべきものです。全体で十六兆一千七百億円、一人当りで十万七千二百円の軍事費でございます。これがおそらく理想的な軍事の段階でございますから、日本で一人当り十万七千二百円、十六兆一千七百億円の軍事費を払ったら、また国民所得は八兆何千億としますと、われわれ国民がせっせと一年間働いた二倍分使わなければ気に入った国防はできない、こういう結論になります。非常に無理をしておられるイギリスさんでも、防衛費が陸海空、原子力入れまして——原子力といいましても平和じゃない方です。一兆四千億円であります。これは日本の三十四年度予算全体に当ります。この場合でも、防衛費の国民負担は一人当り二万七千九百円でございます。それで社会保障もイギリスは相当気ばっておりまして、一兆三百二十億円の負担、これは一番大きな国としてはイギリスで、ほかの国はちょっとよくわかりませんものですから出せなかったのですが、一兆三百二十億円が三十四年度予算でございますから、社会保障費は国民一人当りに対しては約二万六百円、これはアメリカの二倍です。アメリカは一人当り約一万円、イギリスは二万六百円、それだけの社会保障をやりながら、やはり軍事費も一兆四千億払っておる。これは大へんな負担だろうと思いますが、イギリスの経済力でぎりぎりだ。日本はそういうふうに経済力が非常に弱いところでございますから、再軍備をおやりになるかどうかという問題、その点を特にお考えおき願いたい。  これは私自身がよく考えたのですが、私はかって、戦争の均衡理論という思いつきの論文をあるところに書いたことがございます。軍事力、戦闘力というものは、国の経済力と無関係にバランスするようにせよ、これは当りまえなことです。わかりきったことを学者は変な理屈を言うわけでございます。たとえばイギリスと日本とアメリカが、たとえばアメリカは十倍の経済力を持っておる。だから軍縮会議の場合でもいつも問題になったのは、向うが日本経済力の十倍なら、軍艦も十倍持ってもいいじゃないか。日本はアメリカさんから言わせると、お前はアメリカの十分の一しか経済力がないから、軍艦も十分の一にしろ、戦争する場合は一対十の戦争はできないことはさまっておりますから、軍縮会議とすれば、必ず経済力の弱い国が、おれの方は十万トンしか軍艦はできぬから、お前の国も十万トンしか作っちゃならぬというのです。そうすると、大きな国はせせら笑いする。お前の国よりおれの国は十倍の経済力を持っているから、お前の貧乏国と同じなどと勝手なことを言うな。俺の方はできるだけ作ってみせるから……。戦争というものは、国が大きかろうと小さかろうと、戦争する場合には一対一でなければならぬ。精神力は十倍にならぬのです。日本の軍人さん方は精神力一辺倒で、竹やりで飛行機を落そうとしたことは御承知の通りでありますが、これは全くほうきで星を落すようなもので問題になりません。戦争の均衡理論から言えば、必ず均衡しなければならぬ。ですから本気で日本が国防をおやりになるということになれば、かつて朝日新聞が戦争中に書いたように、骸骨が鉄砲をかつがなければならぬ。骸骨がミサイルを飛ばし、ジェットに乗る。最近はミサイルになりましょうが、骸骨はミサイルは飛ばせない。この問題がありますので、ちょうどことしの予算あたりは転機になると思います。そうなりますと、こまかいことを、一兆何千億の予算について申しましても、こんなことは一時に吹っ飛んでしまうのじゃないか。  大へんよけいなことを申しまして、所定の時間を延ばしましたが、どうか何かの御参考になれば……。これで終らしていただきます。(拍手)
  4. 西村直己

    西村(直)委員長代理 ただいまの芹沢公述人の御発言に対しまして御質疑があれば、この際これを許します。
  5. 小川半次

    ○小川(半)委員 芹沢先生にお尋ねしたいのですが、非常におもしろい形容詞だったと思うのです。ことしの予算は池に水をあふらすような感じがする。確かに私はことしの予算は、大きな刺激にはならぬけれども国民経済にある程度の刺激を与える予算だと思う。そこで今先生が、予算というものにも、やはり何年間かの計画性をもって立てることがこれから非常に必要であるのじゃないかという御意見ですが、私は全く賛成でございます。それに私は思い当るわけですが、御承知のように、三十三年度の予算の中にたな上げ資金がございます。これは予算の本質からいきますれば、やや変則なものでございますが、たな上げ資金を設けるということは、日本のような経済の底の浅い国には、このようなたな上げ資金を持つということは非常に必要だと思うのです。たとえば個人の家庭にいたしましても、乏しい中でも預金を持っておるということは、精神的にゆとりと不安感を与えないということに、非常に役立つと思うのです。そういう見地から見て、変則であるけれども、たな上げ資金のようなああいう予算を持っておるということは、私は非常に大切ではなかろうかと思うのです。ところが、御承知のように、三十四年度はそれをも吐き出してしまうわけでございますが、すでに予算が編成されて審議中でございますが、私は将来やはりこのようなたな上げ資金制度というものを、国家予算の上に考えることが必要ではなかろうか、このように思うのですが、先生の御意見いかがでしょうか、この点拝聴したいのでございます。
  6. 芹沢彪衛

    芹沢公述人 ちょっと私の考えを申し上げます。これはいろいろ財政学者議論がございまして、ああいうたな上げ資金のようなものはインベントリーでございますが、これを一般会計予算に入れていいかどうか。古い考え方だと、予算というものは節約しなければならぬ、余ったものは国民に返したらいいのじゃないかという議論もございます。でございますけれども、これはそのとき、その時代が変りますれば、やはり財政に対する考え方も、学者ももう少し考え直さなければならぬ問題だと思います。ただこれは、やはり国民全体なり、政治に対する予算からする考え方の基本で、もう少し論議していただきたいと思います。事実といたしまして、こういうことは私考えるのです。いわゆる近代経済学の方でいわれるビルトイン・スタビライザー、すなわち景気を安定させるものとして、財政の役割を認めるという考え方から出ております。たしかイギリスの予算ではベローザ・ライン、欄外のところに大てい黒字を出しております。日本でいうと、剰余金がそれに当るわけでございまして、剰余金ならば、次年度にこれをどう処分するということでできるので、これを一般予算に組み込むことがいいかどうかについては、ちょっと予算景気に対する影響力予算に組み込む場合には、大ていズレが起るのじゃないかと思います。本年度予算編成につきまして、大体編成中に、八月、九月からことしの一月あたりに景気見通しは刻々に変りましたので、本年度予算がある程度性格がはっきりしないのも、これはあえて悪口ばかりじゃないが、やはり予算編成中に景気に対して予算を役立たせるというやり方をされますと、どうもそのときにはまた狂ってくるという問題がございますので、これをもしかおやりならば、やはり一般会計予算でなしに、何らか財政投融資資金その他で弾力性を持たせる線に入れられた方がいいじゃないかと私は考えております。  なお念のために、これは一般論でよく言うわれることでありますが、私の先輩で東大に行かれております鈴木竹雄先化が、これもつまり、いわゆる金融が財政の侍女になっちゃいかぬ、召使になっちゃいかぬ。これは金融学名、財政学者も言われることでございますが、たとえば予算が刺激的であるために、日銀の方が今度は吸い上げをやるという場合には、予算で起った景気的な変動の原因を、日本銀行がしりをぬぐわなければならぬということになるものですから、これでは銀行の金融の中立性がないじゃないかという議論がございます。でありますから、その両方を中和するには、やはり財政投融資に関する問題を、もう少しはっきりした計画をお立ていただきまして——これは弾力性はございます。一般会計予算が、アメリカのように、支出許可を取って、その実際の実質予算をまた立てるような制度になっておればいいのですが、日本はイギリス式というのですか、ドイツ式でございますから、きちんと予箕を議会でおきめ下さるものですから、これは変に最初から二百億も三百億も貯金するのもおかしいじゃないかと言われると、ちょっと問題なんです。やはりそういうふうに別の計画で会計をお立てになる方がいいじゃないかと思います。これは私の私見でございます。
  7. 田中織之進

    ○田中(織)委員 先ほど芹沢先生が、ことしの、三十四年度の予算から見て、来年度の予算編成に大きな困難が予想せられるではないかという点を、歳出の面から一つの疑問を投げかけられたわけであります。すなわち、公債償還が本年度よりも数倍に増加する。それから三十四年度に新たに着手する国民年金の関係の平年度化に伴う増加、その他国民皆保険の関係等だけでも、千六百億ばかりの増加が予想せられるのに対して、三十四年度であらゆる財源を使っておるという点から見て、明年度のそうしたものをも見通さなければいかぬのじゃないかという意味の御発言があったわけでありますが、それをもう少し歳入の面において、一つ御解明を願えないだろうか。と申しまするのは、本年度の予算においても、先般同僚の井手君から本委員会においても指摘したところでございまするけれども、やはり明年度はもちろん、本年度におきましても、歳入の根本的な基調というものは、経済成長率、国民所得の増加と現行税制との関係においてはじき出されてくるものだと思うのであります。その点においてわれわれ、政府の見積りが非常に甘いという見方をいたしておるのでありますが、先ほどちょっと歳入の点にも触れられたようでありますけれども、歳入の面の検討を通じて、明年度、三十五年度の予算が、果して当然予想せられる予算膨張にたえられるかどうかという点について、もう少し御解明を願えれば幸いだと思います。
  8. 芹沢彪衛

    芹沢公述人 これは私、高島嘉右衛門でございませんので、景気のことに学者が口を出すと大てい間違うものでございまして、予算歳出でございましたら、一応の政府見通しがございますからここで申し上げるのですが、歳入で特に税収入その他は、大体国民経済成長率で決定されます。ただ私はその点では、一般にこれは社会党さんのお考えは、金融関係の学者は悲観論が強うございまして、それはあるかもしれません。でございますが、それはそこで政策が非常にものを言うので、私はその点景気に対する政策は触れなかったのでございますが、私の根本的な考え方は、貿易、特に輸出重点主義は、どうも国の政策としては順序が間違っているのじゃないか。蓄積中心主義になるから、輸出中心主義になる。蓄積中心になれば、国内の市場をむしろ押えるわけであります。勤倹貯蓄でございますから、物を買わなくなる。物を買わなくなれば、市場が狭くなって、国内が不景気になるという筋になる。これは一つの筋がございます。大体今の蓄積中心主義がそうでございますが、それならば、外国市場が日本の商品を受け入れるか。いつでも大体出血輸出で片づけておりますが、これはある意味で間接に日本国民全体が税金を納めておるのと同じことになりますので、その点に対する政策が、つまりインフレも起さず、不景気も起さないということは、今の財政投融資その他——これもちょっと財政技術の問題で、私は別に専門でもないのですが、これは皆さん方が特に行政の方で考えていただきたいのですが、一年間の金を一般会計その他予算でおきめ下さいます。しかし一年間の金をおきめ下さることと、その金がいつ出るか、税金がいつ入るかということは別でございます。さればこのごろは、国庫収支というものは、かなり短期間にきざんで問題にする。さっき言ったように、鯨が池の中で水を吸ったり吐いたりする。一度にやられては困るから、吸い上げや放出もバランスをとるということは、今財政技術上非常にむずかしくなっておる。それをうまくやる。これは当然行政府の仕事でございますけれども、一度予算が通れば、これは国会において十分に監督をしていただく。そうすれば、国内景気バランスがとれて、そう悲観したものではないじゃないか。ただ一方には、資本主義というものは、避くべからざる景気循環があるから、これはちょっと出発点だけ申し上げましたが、現在昭和三十二年に猛烈な資本蓄積があって、三十年度より八倍、九倍近くも設備資金が投下された。それにもかかわらずある程度在庫投資がふえた。ふえたといましても、二割くらいしかふえていない。三十年と比べて、現在設備が非常な勢いで大きくなっている。生産設備は、おそらく産業部門では二倍になっている。それで在庫が三十年と同じというのはおかしいのです。おそらく今起る問題は、案外早く輸入がふえるのじゃないか。不景気が続けば輸入はふえませんが、景気が少しでも上ると、輸入がずっとふえなければ、在庫投資と設備投資のアンバランスが片づかないと思う。これは景気の問題でございます。そうしますと、またこれはホットになる危険性がある。ホットになって輸入がふえますと、いやおうなしに日銀が金をむしられるのです。一時は日銀が五千億からの民間銀行に金を貸しておったが、今は三千億を切り始めたと思いますが、二千億円ぐらい減りました。日銀としては、かつて昭和二十九年の春ころに四千億円くらいあった日銀貸し出しが、一年半くらいの間に、三十年四月にはたった二百八十億円に減った。この辺で初めてイギリスやアメリカ並みに日本の金融界もなった。つまり市中銀行が自分の預金で金を貸せないで、日本銀行からいわば不換銀行券を借りて金を貸す。これはインフレの原因でございます。これが今でも三千億円くらいある。そこにもってきて輸入がふえれば問題が起ります。ただ、おかしなことは、そういうことになれば、インフレ的景気が出まして、当然景気が出るとその次は賃上げ闘争が行われて、名目的所得がふえ、予算がふえます。しかし、これは考えるとおかしいので、そういうことが健全であるかどうか問題でございます。ただ、今のような見通しの問題では、そういうことがあると思う。そこで、それまで織り込んでかなり成長があるので、三十五年度の収入の面につきましては大体横ばい、あるいはそれより少し上向くと考えても、そう大して間違いじゃないのではないか。ただし、間違いましても私は責任をとるわけには参りませんが、私の感じではそうでございます。
  9. 西村直己

    西村(直)委員長代理 井手以試君。
  10. 井手以誠

    ○井手委員 時間がありませんから簡単にお伺いしたいと思いますが、ただいま先生は、三十四年度予算は、資本蓄積政策が行き過ぎであるというお話がありました。私も全く同感であります。減税の面において、あるいは財政投融資の面で、資本蓄積が行き過ぎである。またお話のように、最近不労所得がうんとふえて、所得格差が増大した。こういうことをいろいろ考えて参りますと、戦後は終った、あるいはすでに神武景気を経過して、この三月決算には、相当減配がもとに復するとか、景気が上向いたというような情報がありますが、この、国の税金資本蓄積をしなくてはならぬ限度というものはどこにあるか、国民税金で、産業投資特別会計を通じ、財政投融資によって、相当の、何百億の金額が大企業に融資され、あるいは特別租税措置法によって八百億の減税が行われる、こういうことは私はもうやむべきだと考えておりますつが、学者の先生から見られて、どこまで国はそういう方面の資本蓄積に手をかすべきか、この限界を一つお教え願いたいと思います。
  11. 芹沢彪衛

    芹沢公述人 これは私の感じを申し上げさせていただきますが、戦後日本経済回復が資本主義的方法で回復する限りは、あるいは財政資金による蓄積はやむを得なかったと思います。それでなければ、社会体制が変れば別でございますが、一応迂回生産と申しますか、やはり国民の雇用をふやし、生活を安定させるという方式が資本主義の方人であります。この線をとれば、経済力が非常に弱っているときに財政資金で蓄積するのはこれは当然だと思いますが、現在それならどの程度どうかという問題であります。これにつきましては、私、公平と言ってはおかしいのですが、第区三者の考えとして申し上げたいと思いますが、問題は、やはり具体的に基礎産業に集中されているようであります。これは安定帯物資自体を通じまして、戦前の自由主義時代の物価体系と少し狂いが起っております。一つは、賃金水準が低いところに押えられている。もう一つは、料金水準が低いところに押えられております。これは、公平に考えても、どうもそうじゃないかと思います。問題は、賃金水準、料金水準、もう一つは米価でございますが、この三つのアンバランスを全部解き放して戦前のように置けるかどうかの問題が根本にあるわけでございます。これはあまり議論はお互いにしないのでありますが、私きょうは遠慮なく申し上げますが、実際はいかなる立場におっても、米の問題にしましても料金の問題にしましても、戦前のように自由に置けないのではないか。これは事実鉄道料金をちょっと上げても反対運動が起る、このごろは牛乳の問題でもすぐ苦情が起る、自由主義というものは否定されております。そういう段階になりますと、基礎産業及び交通関係、電力、こういうものの料金を押えれば、それは国が見なければならぬということになる。ですから、これは確かにその通りで、これから先は経済学の問題でございません。国民税金あるいは貯金を政府がそういう特別の企業に出すならば、出すことが国民経済上上どうしても認めざるを得ない条件ならば、その経営も当然これはやはり政府が行うか、あるいは厳重な監督をすべきじゃないかと私は考えております。その辺が厳重でないから、非常に問題が起る。どういうふうに厳重に監督すベきかということは、私は前から持論を持っておりますけれども一つそこまでは何ですが、ただ御質問についての私の見解はそういうことであります。
  12. 西村直己

    西村(直)委員長代理 他に御質問はございませんか。——ございませんければ、芹沢公述人に対する質疑は終了いたしました。  芹沢公述人には、御多用中のところ、長時間にわたり御出席をわずらわしまして、貴重なる御意見の御開陳をいただきまして、委員長より厚くお礼申し上げます。(拍手)  次に、朝日新聞論説委江幡清君に御意見開陳をお願いいたしたいと思います。
  13. 江幡清

    江幡公述人 社会保障関係の問題につきまして公述いたします。  時間が限られましたので簡単に申し上げますが、本年の社会保障費が、大蔵省資料によりますと千四百七十八億六千八百万円、昨年の千二百五十七億六千二百万円に比べまして二百二十一億円の増加になっております。これは総予算一兆四千億のうちの約一〇%をこえるかなりの数字でございまして、昨年より大きくなっておる。それからまた全体の増加率もかなり昨年よりもよろしい。その点では確かに社会保障に相当の努力が払われた、これは認めてよろしかろうと思います。また、この狭い意味の社会保障費のほかに、広義の社会保障費といいますか、軍人恩給あるいは遺家族援護費、そういうものを入れて参りますと、この方はさらに百二十二億円ふえております。従って、そういうものを入れますと、またさらに三百五十億円ふえます。そういう点で、これは去年よりはかなりふえております。ただ、二、三私ども感じていることを申し上げますならば、ここで狭い意味の社会保障費二百二十一億円ふえたうちで、一番大きなものが国民年金の百十億円であります。その次が社会保険費の六十七億八千七百万円、それから生活保護費の三十四億一千五百万円、これが大体おもなものであります。つまり、二百二十一億円のうちの半分が、国民年金という新しい制度ができたそのためによる増加であります。それから、社会保険の方の六十七億八千七百万円は、主として国民健康保険が来年度は三百万人ほど増加が予定される。それからまた昨年の臨時国会を通りました国庫補助の二割五分、それによりまして補助金がふえた、そういうことが原因になっております。それから生活保護費の方は、説明によりますと、保護基準が本年に比べまして二・六%上る、それによる増加がおもなものであります。  これを総括して考えますと、結局、社会保障費の増加の一番大きなものは国民年金である、つまり国民年金という新しい制度が作られたために全体として増加するということであります。これはまことにけっこうなことでありまして、国民年金ができるということは、近代国家としての一つの画期的な前進だろうと思います。ただ、そのために、それ以外のいろいろな健康保険あるいは生活保護、そういうものに対する政策というものが、新しいものといいまするか、前進といいまするか、そういうものがやはりおろそかにされた、これはいなめないだろうと思います。もちろん限りある予算のことであります。財源的にことしは非常に問題がありますし、そういう点で、国民年金を作りますために、ほかのものができなくなった、これはやむを得ない面があるかと思いますが、その点が一つの問題たろうと思います。  具体的に一つ一つ申し上げますると、たとえば、国民年金につきましては、これはことしから無拠出年金を実行することになっておりますが、この問題につきましては、たとえば、これは無拠出の方でありまするが、所得制限がきつ過ぎる、そういうふうな一つの批判がございます。事実、今度の政府案によりますと、大体住民税に均等割を納めぬ七十才以上の御老人に月千円の無拠出年金ということでありますが、そうなりますと、おもに対象は農村ということになります。そういう意味では非常によろしいのでありますが、ただ今の都市の老人世帯に対しましては、あまり大きく響いてこないかもしらない。あるいはまた、たとえば現在農村でありますと、二万円以下の老人世帯というのは普通でありますが、都市でありますと、やはり普通の老人世帯生活するには一万四、五千円要るでしょう。そうすると、そういう人たちはほとんど国民年金の恩恵にあずかれない。やはり国民年金と言いますからには、もちろんこれは国民税金の中から出しますのでありますから、そうむやみにだれもかれもというわけには参りませんが、できるだけ広い範囲の人に無拠出年金を出した方が、年金という建前から見ればよろしいのじゃなかろうか。もっともこの年金は援護年金という名前をつけまして、いわば生活保護あるいは公的扶助と、いわば程度の差といいますか、そういうふうな感じが初めからしておりますけれども、何かその辺の工夫がもう少しあってしかるべきだろう、そういうふうに考えるわけであります。  それから、その次に生活保護でありますが、生活保護はことしに比べまして二・六%の基準額の増加が認められております。率直に私ども感じを申し上げますと、生活保護基準はもう少し上げた方がよろしいのではなかろうかということであります。これはどういうことかと申しますと、なるほどこの二・六%あるいは住宅とか教育扶助を除きまして、三・一%という基準額の引き上げは、昨年以来の物価の値上りに対応するものでありましょう。しかし、それ以上のものではないわけであります。つまり単なる物価の値上りに対応する生活基準額の引き上げであって、それ以上に生活の水準を引き上げる、そういうふうな意味は持っていない。そこで問題はこういうことがあると思うのでありますが、この数年間一般国民生活水準が上って参りました。勤労者はもちろんでありますが、それ以外の自営業者におきましても、この数年間に四割ないし五割の向上をみておるわけであります。ところが、生活保護の基準につきましては、大体最低生存費といいまするか、しかもそれが物価の上昇に伴って何回かの改訂を見ただけでありまして、水準の向上という点では上ってないわけであります。でありますから、初め生活保護の場合の水準は、一般勤労者平均の約四割というのが大体生活保護世帯の保護基準でありますが、それが最近は三割台に下ってきている。つまり一般勤労者世帯生活水準世帯の較差というものが非常に大きくなってきているということであります。ということはどういうことかと申しますと、一般勤労者あるいはそれ以外の国民は、国民経済成長に伴いまして、生活が上へ上へと上っていく。そういうふうな可能性あるいは期待を持っておるでありましょうし、あるいは持つことができた。しかし、この一番下の方にある生活保護世帯につきましては、その可能性がないということ。やはりそういう点から申しますと、極貧層と申しますか、最下層の生活というものも、国民経済成長と安定に伴いまして、これも同じように上っていくのだ、単に物価が上ったから生活が上るのだ、それだけじゃなくて、それ以上に国民経済成長に伴ってよくなるのだ、そういうふうな一つの希望というものを持たせないと、どうも政治にならないような感じがいたします。私どもいわば中間層でありまして、中間層でありますから割合に生活は上ってきておりますが、そのためにときどき極貧層と申しますか、あるいは貧乏人と申しますか、そういう人たちの生活というものをあまり考えることがなくなるんでありますが、しかし、ときどきやはりいろいろな保護寮とかそういうところに行って参りますと、これは確かにわれわれの普通の常識以下の生活をしているわけであります。やはりそこを何とかしていくことが必要ではなかろうか。もちろんこれは非常にむずかしい問題であります。特に日本のような産業の自由構造を持っておる国におきましては、保護基準を上げるという問題は非常にむずかしい問題でありますけれども、何かその辺で工夫がなかろうか、そういうことであります。  それから社会保険であります。国民健康保険の問題でありますけれども、これが本年度から市町村に対しまして二割の補助とそれから五分の調整交付金を設けられた、そうして法律をもって一律に五割の給付を保証した、これも非常にけっこうであります。     〔西村(直)委員長代理退席、委員長着席〕 ただ、実際問題といたしまして、これはもちろん国会の方は御承知でありますが、今の国民健康保険は、最上層と中間層は利用いたしますけれども、やはり低所得層は利用できない、相当掛金が高いのであります。それから半額は自己負担た、そういう意味でやはり貧乏人には国民健康保険というものは、入りましてもこれは保険料のかけ捨てであって、実際の利用価値は少い、そういうことを、これは地方に参りますと各県の担当者が申しております。事実その通りであると思う。もちろんそのほかには、たとえば健康保険を作りましても、無医村だとか——診療施設を作ればいいのでありますけれども、診療施設を作れば非常に金がかかる、また作りましても、適当な医者がこない、そういうふうなために、実際国民健康保険を利用しようと思うと、どこか中都市に行って医者にかからなければならない、そういう点で金がかかる。そういうことがありまして、利用できない面がありましょう。しかし、掛金が高いということと、あるいはそれ以外に五割の自己負担があるということで、実際の利用価値が減っておる。そういう事実があるのであります。そこで、給付額を七割にしてくれという希望が非常に強い。そういうふうな問題をどういうふうに解決するか。  それからまた、結核対策もそうでありますが、私、二、三日前に時事通信から出ております厚生福祉版というものを読んで見ますと、あそこに各県の民生部長あるいは労働部長というような公衆衛生関係者のいろいろな希望が出ておるのでありますが、それによりますと、やはり今の結核対策は非常に不備だ、そういうふうな戸が出ております。これも結局予算が足りない、つまり公費負担の率が足りないから、結果として利用できなくなる、あるいは地方財政が非常に貧しいので、せっかく国が二分の一の負担出しても、地方が負担ができない。従って、実際は法律通りに行われていない、そういう面があるわけであります。その点は今度は三分の二いうことになっておりますけれども、そういう問題があります。しかも、この結核の問題を考えてみますと、最近のいろいろな厚生省の資料から判断いたしますと、どうも結核の階層がやはり低所得層あるいはそれ以下の極貧層、そういうところにだんだん集中して参るようであります。一般国民の結核の罹病率が、多分千人のうちの三・五人か六人であろうと思います。ところが、生活保護の階層になりますと、千人のうちの大体五十九人くらい、それからその上のいわゆるボーダー・ライン層になりますと、千人のうちの四十丘人くらい、そういうふうに中門層、それから上層都、ボーダー・ライン、あるいはそれ以下の層との間に、結核の罹病率が非常に違ってきておる。ということは、つまり中間層あるいは上層でありますと、結核もある程度容易に直すことができる。これは普通の健康保険にも入っておりますし、あるいは自費で余裕もありましょう。あるいは最近は化学療法も進んだ。罹病してすぐにやれば割合簡単に直る。そういうこともありまして、上層部の方は結核はだんだん減ってきております。しかし、ボーダー・ラインとそれ以下の層におきましては、結核の問題というものは非常に深刻になってきておる。ということは、つまり結核対策ということは、やはり一つのボーダー・ライン対策であるということだと思います。従ってそういう方面で、もう少し結核につきまして金を出すような、もっとうまい工夫があるかどうかという問題があるわけであります。  そこで来年度の予算を考えてみますと、国民年金の問題は別にいたしまして、そういう点で今の生活保護の問題にいたしましても、結核の問題にいたしましても、あるいは国民健康保険の問題にいたしましても、これは非常に足らないものがある。そういうことを考えざるを得ないわけであります。もちろん今の限りある予算であります。特に来年は国民年金が発足する際でありますから、生活保護とか、あるいは結核とか、それ以外の社会保障政策に対しましても、十分な金をさくということはむずかしいことはわかっておりますが、しかしこのままでは、とにかく今国民年金が百億円できたということに隠れて、それ以外の社会保障政策というものは、結局何ら新しいものはなかった、そう言わざるを得ない。つまり非常に総花的にちびりちびりとは上げておりますけれども、しかし、まっこうからボーダー・ライン対策にいどむような対策というものがどうも出てこない、そういう感じを持つわけであります。  結局、私ども感ずるのでありますが、どういうふうにしたらいいか、これは今後大いに検討しなければならないと思いますが、このボーダー・ライン対策というもつのにどこからいどんでいくか、結核からいどんでいくか、最低賃金からいどんでいくか、あるいは生活保護を上げていくか、とにかくどこか重点的な対策を考えまして、そこに何か向けていかなければならないだろう。早い話が、今の生活保護にいたしましても、たとえば日雇いの労働者の約半分が生活保護をもらっております。これは非常におかしな話でありまして、それ以外の中小企業の従業員でも生活保護をもらっておる人はありますが、一方で職業を持って働きながら、それで足りなくて生活保護の厄介になる、これはどちらかおかしいのです。やはり職業を持って生活をする限り、それで——非常に扶養家族が多ければ別でありますが、大体生活できるというのが、まず賃金の、あるいはわれわれの職業生活の原則でなければならない。ところが、それじゃ足りなくて、片方で働きながら片方で保護をもらう。そういうふうな矛盾というのは、これは非常におかしなことなんです。そういう点も、これは果して最低賃金ができるかどうか、これは問題です。対策は非常に総合的にならなければならないと思いますが、何かその辺で今後お考えになる必要があるのではなかろうか。  それから時間が参りましたので、簡単に申し上げますが、結局私どもこの予算を見ておりまして、今のボーダー・ライン対策もそうでありますけれども、何か国民生活というものを潤していくんだ、そういうふうな構想といいますかビジョンといいますか、そういうものが欠けているような感じがいたします。これは全体の予算が少くて、その中で窮屈にやりくりをしていく、従ってやむを得ないということになるのかもしれませんが、とにかく来年はこうなるのだ、再来年はこうなるの、だ、そういうふうな大きなビジョンというものが欠けておって、その場その場でどこからか金を千五億円なり六億円なりずつをひねり出してやっていく、そういうふうな感じを持つわけであります。こういうことをやって参りますと、あまり国民に希望を与えないばかりか、財政的にも非常に行き詰まってくる。つまり一つのビジョンなり構想なりというものがないのでありますから、そのときどきの財政事情によりまして減ったりふえたりしてくる。早い話が、先ほど芹沢さんが来年度の予算のことを申されましたが、来年度は国民年金の無拠出が多分三百五十億かになる、再来年は拠出の事務費を入れまして四百五十億ぐらいですか、その他の国庫負担政府案によってもする。そうすると、そういうふうな財源というものは一体どこから持ってくるか。場合によっては社会保障のほかの方が締められてしまうことになりかねない。ただ生活保護なら生活保護という予算をとってみましても、あれは割合に伸縮自在な予算であります。つまり予算が足りなければ末端の第一線の生活保護の担当は、仕方がないから乱給防止ということで非常に締めていく。そういうことでかなり伸縮の自在な予算である。これはほんとうかどうかわかりませんが、新聞の伝えるところによりますと、ある生活保護の人が非常に金が足りないので、野菜を買わずに野っ原で野菜をつんでそうして食べておった。そうすれば、これはもう野菜を買う必要がないだろうからというので、保護費の中の野菜を、一日四円でありますが、これを削ったという話がどこかの新聞に載っておりましたが、そういうことが実際にありかねない。でありますから、やはりそういう点で、この辺で一つの大きな社会会保障の体系といいまするか、構想といいまするか、そういうものを作り上げまして、どうせそう大きなものはできませんけれども、しかし、とにかくまあ来年はここまでいこう、再来年はここまでいこう、あるいは再来年度はここを重点にやっていこう、その次の年はここを重点にやろう。そういうふうな四、五カ年間の計画を作って実行していけば、一般国民に対しましては、非常に希望といいますか、期待を与えることになるのじゃなかろうか、そういう感じを持つわけであります。  時間が参りましたので、大体その辺にいたしまして私の公述を終りたいと思います。(拍手)
  14. 楢橋渡

    ○楢橋委員長 ただいまの江幡公述人の御発言に対しまして、御質問があれば、この際これを許します。上林山君。
  15. 上林山榮吉

    ○上林山委員 江幡公述人に一言お尋ねしておきたいのでございますが、今度の予算の中に相当公約を織り込んでおるのですが、その一つとして、国民年金制度を確立したことは御承知の通りであります。ただいまの御意見を伺っておりますと、無拠出制度の年金制度という点から主として援護年金の性格である、こういう御議論でありますが、その限りにおいてはそういうふうに考えなければならないかもわかりませんが、そこでお伺いいたしたいことは、国民年金の本質といいましょうか、また別の意味で広い意味の社会保障、こういうような意味でもけっこうでございますが、その本質が救貧を本質として対策を立てるべきか、それとも防貧を主として立てていくことが近代国家の年金制度ないしは社会保障、こういうことになるのではないか、もしそういうことになれば、もちろんレベルをある程度総体的に引き上げるということは、これは私も賛成でありますが、特にボーダー・ラインの対策、どちらかといえば救貧対策といいましょうか、そういう方向に重点を置くことが社会保障の本質であり、ないしは年金制度の本質であるかのごとく、聞く人によっては錯覚を持つ。こういうふうに考えますので、いわゆる国民年金ないしは社会会保障全体の今後の積極的な対策は、どこに重点を置けばいいか、その辺の本質的な面からお伺いいたしておきたいと思います。
  16. 江幡清

    江幡公述人 社会保障が救貧か防貧かということは非常にむずかしい問題であると思いますが、どちらかといいますと、救貧から防貧へというのが各国の社会保障の方向であろうと思います。そこでその防貧ということになりますると、日本の場合に、ただいまボーダー・ラインの対策が救貧というお話があったのでありますが、ボーダー・ライン対策にいたしましても、これを防貧という観点から見る見解もあります。そこで問題はこの国民年金でありますが、国民年金といいますからにはやはり防貧ということが本質であろうと思います。国民がふだんから保険料を拠出して将来のために備えるなり、あるいは国が保障するなり、そういう意味での防貧ということが、国民年金なり今後の社会保障制度の本質でありましょう。ただ、今の日本の現状におきましては、その防貧までいかない、救貧を要する階層が非常に多いわけです。おそらく国民の一割くらいはあるでしょう。その場合に、これを社会保障と言うか、あるいは社会福祉と言うか、むしろ社会福祉と言うべきであり、あるいは公的扶助という言葉を使うべきかもしれませんが、その救貧という面を無視することはできない、かように考えております。  そこでお尋ねの国民年金でありますが、やはり私は、援護年金という考え方は、どうも公的扶助との区別がつきにくくなるのじゃなかろうか。公的扶助という場合を考えてみますると、一般国民平均水準というものを考えまして、そしてここで四割、五割——アメリカでありますと一般国民平均生活水準の約七割を公的扶助の水準にしております。日本では、先ほど申し上げましたように四割であったものが三割台に下った。そういうものが公的扶助の水準になっております。しかし、それじゃ一体今の国民年金の援護というための千円というものは、一体どれだけの防貧的な役割を果すか、しかもあそこであれだけの消費制限をして参ります。そうすると、公的扶助との差というものは、いわば程度の差、そういうふうなことになってきはしないだろうか、これは私の独断かもしれませんが、そういうふうな感じを持つわけです。もしそういうことならば、あの無拠出年金につきましては、今の社会保障制度審議会がやりましたように、無拠出年金と拠出年金を構造的に組み合せて、無拠出年金が拠出年金の下に位する、あるいは無拠出と拠出が一体になって国民年金を構造的に形づくるのだ、そういうふうな考え方の方が社会保障制度の防貧という点からは、かえってよろしいのじゃなかろうかというふうに思っております。
  17. 楢橋渡

    ○楢橋委員長 井手委員
  18. 井手以誠

    ○井手委員 江幡公述人に一言お伺いしたいと思いますが、ただいま生活保護を受けておる家庭の水準が一般勤労者の三分の一だということを御指摘になったのです。最近問題になっておりますいわゆる低所得者層とは何か、この問題。先日厚生大臣も、アメリカではその基準が国民所得一人当りの六割、日本では二割強だ——二割強になりますと、ことしの国民所得の一人当りは月八千円、その二割は千六百円、大体全国平均で、失対事業にいたしましても生活保護にいたしましても、七、八千というところに救貧の対象を置かれておるようであります。私は、ここが問題だと思う。ところが、国民年金においても、この生活保護を受けている家庭にはやらない。その上の一万三千円までの狭い第二段目だけやろうというやり方ですが、この国民所得の二割とか六割とかいう問題、私はこの二割というものをもっと引き上ぐべきだ、公述人もそういう点をおっしゃったようですが、私は、アメリカほどはいかなくとも、国民所得一人当りの四割近くぐらいまではやはり対策の対象に置くべきではないか。もちろん失対事業あるいは生活保護において四割となりますれば、一世帯一万四、五千円になりましょう。それまで全部国が金を支給するというものでありませんけれども生活保護の三分の二近くを占めておる医療保護、その中にはいわゆる結核問題もありますが、国民所得の四割近くまでは、医療保護を中心とする社会会保障の対象に置くべきであるか。今は二割のものをもっと引き上げる、金は直接くれなくとも無料で医療にかかれる、そういった政策をとるべきではないかというふうに私は感じておりますが、今の日本生活水準からどの程度まで引き上ぐべきであるか、この点をお伺いしたい。
  19. 江幡清

    江幡公述人 その点は計算が非常にむずかしいかと思います。と申しますのは、二つの考え方があると思うのです。一つ財政上の問題、それからいま一つの方の、いわば最低生活の保障といいますか、これは簡単に出て参りますけれども財政上の問題がどうしてもからみますので、なかなかむずかしい。と申しますのは、つまり、これがたとえばイギリスとかアメリカのような、産業的にも構造的にも非常に簡単な国ならば何でもないのでありますけれども日本のように大企業から、中小企業から、農民から、非常に二重構造なり三重構造、そういうことになっておるところでは、ちょっと生活保護の基準を上げて参りますと、すぐ財政的に膨張してくる。膨張するいうのは、結局、ほかの最低賃金なり、あるいは完全雇用政策なり、そういうふうなものがとられてないから、つまり二重構造というものはおっぽり出される。おっぽり出しておいて上の方と下の方との格差が開くままにまかせておる。そうして潜在失業的な形態もどんどんそこでふえてくる。そういうふうになっておるものですから、生活保護の基準を少し上げると、すぐ財政が膨張する。それではとてもやっていけない。そういうことがいつでも理由になるわけです。従って、保護基準をどこまで上げたらいいかという問題は、財政的に見ますると、かなり慎重に考えてやらなければならぬでございましょう。ただ実際にどの辺が生活できる数字か、これはいろいろな統計によって出ておるわけでありまするから、それに向って漸進的にもやるほか仕方がないだろう。これはお答えにならないかもしれませんけれども、そういう感じを持っております。
  20. 井手以誠

    ○井手委員 もちろん財政の問題は重要だと思いますけれども、これは政策の違いとか考えようで、一兆四千億円の予算では、そこに何百億円かそういう面にふやすということは、私は不可能ではないと思うのです。また極貧層の所得をふやしていく。今の生活保護の基準では、下ズボン一着しか買えないという統計が出ておりますが、生活の最低の必需品を買う購買力がふえるということが、国内の需要をふやすという意味で私はかなり好影響をもたらすものだと思うわけです。そういう意味では、私は財政支出もそう遠慮すべきものではないと思う。今の七、八千円平均のものを少くとも——財政は別にいたしましょう、幾らか考えなければなりませんけれども……。それはやはり一万何千円台、二、三千円くらいまでの線には引き上げた政策をやるべきだ。公述人としては、はっきり一万何千円とはおっしゃりにくいでしょうけれども国民所得の場合から、やはり標準としてはどの辺まで引き上げるべきか、その辺はあなたにも大体見当がつくのじゃないかと思うのですが、もう一言その点をお伺いしたいと思います。
  21. 江幡清

    江幡公述人 結局問題は、生活保護基準を引き上げるだけでは、財政負担といいますか、いろいろな問題がある。そのほかに最低賃金とかあるいは雇用政策とか、それから失対事業の賃金もそうであると思いますが、そういうものを引き上げるなり作るなりしていきながら、生活保護の基準というものを上げていかなければいけないだろうということです。生活保護の基準だけ上げて、そうしてほかの賃金は四千円でも五千円でもいい、それから失対事業は二百四十円でいい、そういうことでやって参りますと、生活保護費がべらぼうにかかるだけであって、政策的な効果が上るかというとそうは上らないと思います。ですから最低賃金とかそれ以外の賃金とかいうものと関連して上げていかなければならぬと思います。じゃその場合に一体どこまで上げたらいいか、そういう場合よく一般勤労者所得の四割ということかいわれておりますけれどもつまりこういうことがあるんです。日本人は決してそう富裕じゃない、金持じゃないんです。かりに一般の勤労世帯生活水準が一万八千円と出ておるといたしましても、じゃ一万八千円という五人世帯生活水準が、非常に楽な生活かというと決してそうじゃない。それじゃその四割のかりに九千円、八千円という生活が、今のアメリカの、日本の十倍の生活水準、その六割の最低生活水準というものと比べて同じようなものかと申しますと、これは非常に貧乏感が強いわけです。向うは一般国民生活の六割であってもあるいは三割であっても、そう大したことはないかもしれない。けれども日本はやはり平均生活水準が低いものですから、三割とか四割とかいうと低いわけです。そうするともし日本生活の最低限を上上げるという点からいきますならば、これはかなり思い切って上げていかなければならないでしょうが、これはいろいろな経済上上の影響あるいは財政的な影響がある。そうすると結局どこかということになりますが、やはり現在三〇%に相なっておる。そうするとやはり四割はどうしても必要だと思うが、できれば五割くらいまで持っていければこれはいいでありましょうが、持っていけるかどうか、これは大いにいろいろ各方面から検討してやらねばなりませんが、四割はこえねばならぬだろう、そういう工合に考えております。
  22. 井手以誠

    ○井手委員 もう一点だけ……。政府は低所得者のために減税をするということを言われておりますが、減税社会保障——もちろん私どもも先刻芹沢先生からお話があったように、減税の必要も認めておりますけれども、もうここまで減税が行われますならば、減税も必要だけれども、何百億円減税するよりもその分を社会保障の方に回して、そうして低所得者対策に振り向けるということが、私は必要ではないかと考えておりますが、あなたは減税社会保障かという場合にどちらをおとりになりますか、どちらを必要にお考えになっておりますか。その点だけお聞かせを願いたいと思います。
  23. 江幡清

    江幡公述人 おそらく経済政策的に見ますと、減税社会保障も大して違いはないと思いますけれども、やはり私の感じといたしましては社会保障に回すべきだという考えであります。これは私ども非常に少数の意見でありまして、減税論者が多いのでありますけれども、もし減税に回すべき金があれば社会保障に回して、もっと下の方に回した方がよかったのじゃないか。もちろん今後は減税の財源がないと思いまするからあまり問題になりませんが、やはり減税社会保障かと言われますと、あるいは社会保障に本年の減税分を回すべきじゃなかったか、そういう感じを持っております。  それからいま一点、先ほどのボーダー・ライン対策につきまして補足的に説明いたしますが、低所得者対策の重点は、もちろん生活保護基準を上げるということもありまするけれども、根本はやはり先ほどおっしゃられましたように医療の問題であろうと思います。結局ボーダー・ライン層が転落して生活保護法にいく。これは大体病気が原因であります。しかも所得が少いほど病気が多い、それで直りにくい。そして最後は生活保護にいく。むしろこの辺の医療給付は——今は医療費貸付制度というものがありますが、ああいうものか、さらにあれを一歩進めましてもう少し、医療保障というものを完全にやっていく。国民健康保険にいたしましてもあるいはその他も、もう少し進めまして国が全部医療費を見ていく、そういうふうな段階にまでできればそれはだいぶ違って参る、そういうふうに考えております。
  24. 楢橋渡

    ○楢橋委員長 他に御質疑がなければ、江幡公述人に対する質疑はこれで終了いたしました。  委員長より御挨拶申し上げます。江幡公述人には御多用中のところ長時間にわたり御出席をわずらわしまして、貴重なる御意見の御開陳をいただきましたことは、まことに感謝にたえず、委員長より厚く御礼を申し上げます。(拍手)  午後一時三十分より再開することといたし、暫時休憩いたします。     午後零時三十一分休憩      ————◇—————     午後一時五十一分開議
  25. 楢橋渡

    ○楢橋委員長 休憩前に引き続き、会議を開きます。  公聴会を続行いたします。  この際、御出席公述人各位にごあいさつを申し上げます。本日は、御多忙のところ貴重なるお時間をさいて御出席下さいまして、まことにありがとうございました。委員長といたしまして、厚く御礼を申し上げます。申すまでもなく、本公聴会を開きますのは、白下本委員会において審査中の昭和三十四年度総予算につきまして、広く各界の学識経験者たる各位の御意見をお聞きいたしまして、本予算審査を一そう権威あらしめるようにするためであります。各位の忌憚のない御意見を承わることができますれば、本委員会の今後の審査の上に多大の参考になると存ずる次第であります。  議事は、山本さん、小坂さんの順序で、御一名ずつ順次御意見開陳及びその質疑を済ませていくことにいたしまして、公述人各位の御意見を述べられる時間は、議事の都合上約二十分程度にお願いをいたしたいと存じます。  なお、念のために申し上げておきますと、衆議院規則の定めるところによりまして、発言の際は、委員長の許可を得ることになっております。また、発言の内容は、意見を聞こうとする案件の範囲を越えてはならないことになっております。  なお、委員公述人に質疑することができますが、公述人委員に対して質疑することができませんから、さよう御了承をいただきたいと存じます。  それでは、まず毎日新聞論説委員山本正雄君より御意見開陳をお願いいたします。
  26. 山本正雄

    ○山本公述人 それでは、これから三十四年度予算案につきまして、私の個人としての意見を申し述べたいと思います。  第一点は、一般に言われておりますこの予算案の積極性と景気の関係いかんという問題であります。そして、一部のこれは景気を刺激し過ぎるのではないか、あるいは景気を過熱させる心配があるではないか、こういう意見に対する私の考え方であります。一般会計、財政投融資それぞれ規模において約一千億ふくらんでおる。内容におきましても、大蔵省の推算によると、この予算が進めば、二千四百億くらいの民間に対する散布超過になるであろう、こういうことがいわれておる。事実、財政投融資におきましても、産投にある蓄積、あるいはたな上げ資金のっ取りくずしというような蓄積の吐き出しが行われておりますし、また資金運用部の会計などにおきまする今までのためてあったものを吐き出しておる。そういう意味で明らかにこれは予算として積極性のあるものだ、こういうことは間違いないと思います。この点につきましては、予算が非常に膨張しておる、公共事業費がふくれ過ぎていないか、こういう点で選挙目当ての予算ということも言えましょうが、私は少くとも景気との関係という意味におきましては、この程度の積極性というものがあってしかるべきではないか、こういうふうに考えるものであります。結局、景気の現段階といいますか、現状に対する見通しの問題ということにかかってくると思います。確かに景気の指数を見ましても、昨年の七、八月ごろから、鉱工業の生産あるいは物価、こういうものを見ましても、上昇してきております。少くとも底入れをした感じというものはあるわけであります。しかし、それにはり政府支出を繰り上げてやったとか、豊作による政府の散布資金が多かったとか、あるいは滞貨融資が行われたとか、いろいろ人為的、季節的なものが非常に多くて、ほんとうに経済の自律作用によって需給のバランスが均衡を得て、それから上向いたという、こういう点は私は多少問題があるのではないかと思います。その一番いい例が、在庫指数なんかを見ましても、一番低かったころに比べて、一番高かった昨年の三月ごろには、大体三割くらい在庫がふえておる。それが今のところせいぜい六、七%くらい修正されたというか、下ってきた程度で、まだ本格的な在庫の調整ということは見られない。そういう意味におきましても、まだまだ景気上昇の要因というものは本格的なものではなくて、相当人為的、季節的なものがあって、非常に上昇の力というものはまだ弱いということを私は考えておるわけであります。事実、ことしになりまして、非常に一時上っておりました金属、鉄鋼、特に鉄鋼なんかの相場も落ちつき、あるいは反落しておりますし、十二月の異常な輸入信用状の設定の増加というものも頭打ちをしてきて、一月には大体平常に戻り、また一月におきまする銀行の貸し出しを見ましても、興銀とか長銀、こういうもの以外の銀行におきましては、まずまず落ちついておって、むしろ減ってきておる。こういうような状態でありまして、いわゆる上昇期の中だるみのような状態を呈しておることは御承知の通りであります。こういうようなことから見ましても、まだまだ景気の上昇力というものは本格的なものではない。いわんや過熱説などというものは、遠い先のことならいざ知らず、当面問題にまだならない。結局、まだまだいわゆる神武景気のころに比べて、もう三割も四割もふえておる生産力の増大といいますか、過剰設備の圧力というものが、依然として大きな背景にある。こういう状態におきましては、ある程度予算が積極的であるということが必要ではないか。こういう意味におきまして、この予算程度の積極性というものはあってしかるべきではないか、こういうふうに私は考えておるわけであります。  ただ、しかし、それは問題があるのは、政府は今まで、不況対策の必要はない、景気は明るい見通しがどんどん出ておるのだということを言い続けておった。その言い続けておるとき、しかもある程度明るさということが盛んに言いふらされておるときに、こういう積極予算を組んだということについては、ちょっと矛盾しておるのではないか、どちらがほんとうなのか、今まで景気対策の必要はないといっておったのが、急に景気刺激、景気支持的な予算が組まれたということは、どうも論理が一貫しない。結果的に、あるいは予算日当てでこういう予算が組まれたのかもしれませんが、そうして、結果的に景気を支持する必要がある段階にそれが出てきたという偶然の一致かもしれませんが、しかし、その点にどうも政府が今まで不況対策の必要がないといっておいて、しかも明るさがある程度出てきたこのときに、積極的な予算が組まれるということは、論理としては、どうも一貫しないと思うのであります。しかし、結果そのものから見ますれば、私が今言いましたような景気の上昇力というものはまだ弱いので、この程度の積極性というものが予算にあってまあまあ、やっと上昇していくのではないか、上昇を下からささえる予算だ、この意味においては、景気に対する予算の態度というものからいえば、まずまずということがいえるわけであります。ただ、政府の今まで言ってきた点から考えれば、論理が一貫しないうらみが多分にあるように私は感じるわけであります。  また一部に、いや、ことしはいろいろなポケットにため込んだお金を出してしまう、そうして、しかも来年度、三十五年度になると、もう新しい政策をやらなくても一千億ぐらい支出がふえる、あるいは減税の規模はふえて、収入の減る面がある、こういう点から非常に窮屈になるということを心配されておる。この心配に対しても、私はもし政府がいわれるごとく、ことしの下半期から来年にかけて景気が回復するのなら、税の自然増収というものは相当あると思う。一千億以上の自然増収がある。しかももし必要とならば、まだ政府が手をつけてない、資金運用部にあります金融債とか国債というようなものもある。外為会計や貴金属特別会計におけるインベントリーの資金というものも考えられないことはない。そういうことを考えれば、私はそれほどそのことのゆえをもって非常に窮屈な予算であるということはいえないと思う。結局予算というものは予算がすべて大事なのではなくて、経済の方が大事だ。国全体の経済をよくするために予算をいろいろの形に作りかえてしかるべきである。何も予算そのものを幾らりっぱなものにしたって、国の経済がよくならなければ音意味はなさない。そこには、予算というものは景気に応じ経済の状態に応じて変化してしかるべきだ、こういうふうに考えます。  ただ、それではこの予算がすべてけっこうな予算かと申しますと、私はその中身についてはいろいろ問題があると思う。政府のいうところによれば、これで公約を十分実現した、一方、安定成長体質改善をねらっておるということがいわれておりますが、公約という点では、いろいろな点でまずまず一応は織り込まれておるが、その織り込み方については非常な魔術といいますか、極端な言い方をすればごまかし的なものが相当ある。減税の公約にしましてもだんだん減ってしまっておるし、一般にいわれておりますように、揮発油税の増徴とかいろいろな増加分を入れますれば、純粋の減税というものは非常に少くなってきておる。また国民年金などの問題にしましても、最初は一般に、少くとも三百億くらい計上されるのではないかと見られておったのが、最後には百億にとどまる、こういうふうに減税国民年金もだんだんと中身は小さくなって、まあ格好をつけたという程度のものになっておる。  この予算で大きく打ち出された経済体質改善という問題についてちょっと触れてみたいと思います。この体質改善という言葉は、いろいろそれぞれの立場によって違った意味に解釈されておる。一つは、資本蓄積は不足なんだがら資本蓄積をしなければならぬ。他人資本が非常に多くて自己資本が少いのだ、もっと日本資本蓄積をしなければいかぬというような言い方。第二は、産業の隘路、道路とか港湾とか用地、用水、こういう産業上の発展の隘路を改善するのだということも言われる。あるいは第三には、設備その他の近代化、合理化を進める、あるいは弱い面を整理する、アク抜きして弱いところをとっていくのだ、こういう言い方もある。また第四には、日本のガンになっておる経済の二重構造というものを直していかなければならないのだという立場、あるいはもっと均衡のとれた経済の循環、需要と供給、あるいは生産と消費バランスのとれた経済を作るということ、これがほんとうの体質改善であるという見方、それぞれその人の立場々々によって体質改善という言葉の内容は非常に違っておると思う。ところがこの予算では、今申し述べました一とか二、三、この資本蓄積とかあるいは公共事業費による道路、港湾の拡充、あるいは設備の近代化、こういう点の体質改善については、財政投融資の面でも税制の面でも相当力が入っておる。しかし二重構造の是正とかほんとうの均衡のとれた経済の発展、こういう点では案外ほんとうに力が入っていないのではないかということを私は考えるわけであります。もちろん日本資本の不足ということは、一番重要なことであります。そして資本蓄積も必要でありますが、やはりほんとうの体質改善ということは、物が作られる、それが国内あるいは輸出市場に適当に売られていく、そして適当に経済が循環する、そのためにまた中小企業なり農村の近代化というものを進めて、大企業における近代化とバランスのとれたびっこでない発展ということを期待することが、ほんとうの体質改善であって、それをしなければ、一方一部の大企業だけが突っ走ってみたって、これはいわゆる過剰生産のもとを作るか、あるいは恐慌の原因をますます深からしめる、こういうことだと思う。そういう点に、一例を中小企業の対策ということだけに限ってみましても、どうもまだこの予算は十分ではない、こういうふうに考えるわけであります。  次は税制の問題でありますが、今回の改正におきましては、国税におきましては扶養控除を中心にして減税が行われたわけであります。日本税制が、現在非常に継ぎはぎだらけのものになっておるということは、皆さん御承知だと思います。そして今度の改正もそれを根本的に立て直すというのではなしに、その継ぎはぎだらけのほころびを多少補ったという程度のもので、非常に中途半端だと思う。本格的な税制の改正をやるために大蔵大臣は新しい調査会を作られるということでありますが、ぜひそれはやってもらいたい。と同時に、その調査会というものは、最初からワクをはめないで、いろいろな立場にある人を十分に網羅して、十分に意を尽してもらいたいと思う。そうでないと、この調査会が一つの大きなテーマとされております企業保税の問題にしましても、単にもっと資本蓄積を早めるための企業課税という立場からこれが論議されたならば、またそういう人選によって調査会が構成されたならば、これはほんとうの体質改善というものに結びついた企業課税の問題の解決にはならないと私は思う。そういう意味でもこの調査会の構成その他に十分留意されんことを希望したいと思います。  それから次は、今度の税制委員懇談会でも参考意見として述べられておりました勤労所得控除の引き上げであります。これはいろいろなバランスの問題とか、あるいはこれをいじると非常に税収が減るというような点もあったのでしょうが、結局これは触れられないで、そのままになったわけでありますが、これはもう実際の税の把握がどうなっておるかということ一つを考えてみればはっきりする。そこに非常に事業の所得とのアン・バランスがある。あるいは同じ所得で資産の所得——配当とか利子所得、それから勤労所得というものについてのいろいろな不均衡というものは、十分にみんな問題になっておる。その意味で勤労控除の拡大ということをどうして今度の税制改正で取り上げられなかったか、非常に残念だと思います。  次は間接税の問題でありまして、これは一時大蔵省にも売上税という話があったかに聞いておりますが、やはり日本のような所得水準の低いところということを考えれば、アメリカ式の直接税中心というものが果して適当であるかどうかということは、非常に問題だと思います。やはり同じ税を取られても感じの問題というものが非常に大きいのじゃないか。従って原則論的に間接税は悪であるというようなことでなしに、もう少し日本所得構成なり所得水準というものを考えて、どうしたら所定の税収というものができるだけ痛切な痛さを感じさせないで取れるかというような心理的な面も考えて一つやってもらいたい、こういうふうに考えるわけであります。  最後に、問題になりました中央と地方の税制の調整の問題であります。これにはお互いに言い分は中央にもあるし地方にもあると思う。しかし私たちが地方を回った感じでは、ほんとうに末端の橋とか学校とか、そういうものの施設が現在まだ非常に不十分であるということは、だれも認めなければならないと思う。それともう一つは、今のようなやり方ではもう地方自治などというものは空文でありまして、いわゆる税制の面からほとんど中央の意のままに動く以外にない。地方自治というものはほんとうに名のみに終るであろう、このことだけは確かだと思う。そういう意味でこの問題は次の税制調査会でも大いに取り上げられると思うのでありますが、やはりこの問題も非常に抽象的というか、あれになりますが、今の日本の政治なり経済、あるいは文化、あらゆるものが都市中心あるいは東京中心です。人口にしろ、富にしろ、所得にしろ、あらゆる政策が大都市中心というふうに行われている。これをもう少し政策全体として地方に分散する、従ってそれによって産業を分散する、政治の分散、文化の分散、こういう形によって所得が平準化されなければ、この問題は根本的にはやはり解決されないで、相変らず中央で取り上げてそれを地方に持っていく、あるいは富裕県のものを取り上げて貧乏県に持っていく、こういう形になる以外にないのであります。このいろいろな面での政策における中央集権的なものを、この際最も政治の中心にあられる皆さんが、なるべく地方分権的なものに変えられるということをぜひ私はお願いしたい、こういうふうに思うのであります。  これで結論を申し上げますれば、この予算景気を支持するような役割をある程度果すであろう。しかし経済体質改善ということになりますれば、ほんとうの意味の体質の根本的改善という方向からは、少しそれておるのではないか。また公約織り込みという点では、一応の格好がつけられておりますが、何か国民に対するほんとうの思いやり、たとえば育英資金の増加とか、そういう点はありますけれども、全体を通じての私の感じでありますが、国民に対する思いやりというか、愛情というものに欠けておるのではないか、私はこういう気がしてならないのであります。  これで私の公述を終ります。(拍手)
  27. 楢橋渡

    ○楢橋委員長 ただいまの山本公述人の御発言に対して、御質疑があればこの際これを許します。
  28. 小川半次

    ○小川(半)委員 山本さんに一点だけお伺いしたいのでありますが、三十四年度の予算は、大体一般経済学者、あるいはいわば町のくろうと筋と申しますか、そういう人たちの間にいわれておることは、かなり刺激が強い積極予算であるということがいわれておるわけでございます。しかし山本さんの御意見では、これはさほど刺激的とはいわれない、現在の景気の状態から見て、これは当然の予算であるというお説のようであったわけでございますが、御承知のように日本景気の状態は、昨年の下半期ごろから上昇をたどりつつあります。さらにアメリカの経済事情も非常に好転いたしまして、この三十四年度は、内からくるもの外からくるものあわせまして、日本経済事情は非常に好転してくるということは、これはだれが見ても一応納得できるところであろうと思います。このようにいたしまして、いわば国が積極予算を組まなくとも、三十四年度は自然的に日本の国内に景気がわく状態になっているわけでございます。このようにいたしまして非常に条件のそろっているときに、さらに人為的に無理な刺激を与える必要もないのではないかというような一般論がございますから、もちろん私はあなたの御意見に賛成でございますが、世間にこのような意見もかなり強く出ておりますので、この点についていま一度御意見を承わりたいのです。  もう一つは、山本さんはもちろん三十四年度の予算のみを中心に申されたのでございまして、これに関連して三十五年度に果して日本財政状態はどうなるか、このことにお触れでなかったのでございますが、私は三十四年度の予算があまりにも積極過ぎまして、ために三十五年度にはかなりむずかしい状態が来るのではないか、こういうことも予想されるのでございますが、これらの点につきましてお考えがございましたなれば承わりたいと思います。
  29. 山本正雄

    ○山本公述人 大体お尋ねの点については触れたと思うのでありますが、第一点につきましては、先ほども言いましたような景気の現状なり見通しに対する認識の相違でありまして、まだ本格的に経済そのものが自分の内部の力によって需給のバランスを回復して、需要がどんどんふえるというようなところまでの強い上昇力がないと私は思う。それが十分に在庫の状態などに現われている。在庫がちょっと減れば生産をふやそうとする、生産がちょっとふえれば在庫がふえる。あるいは鉄鋼なんかのように、操短をちょっと緩和するのだということだけで値段がすぐ下る。それを一つ見ても実際にまだ買い気というもの、末端の実需というものは十分ついてきていない。思惑的な人気が相当動いて、そこにそういう鉄鋼価格の強調というようなものが多分にある。海外の輸出の問題にしましても、ある程度強いといところはやはり相当な出血の輸出で非常に値段を安くしているという点と、向うが今まで日本のものはもっと安くなるのではないかというので相当買い控えていたところへ、少し今までの買い控えの補充買いということでついてきているのではないかというふうに解釈しておりますから、経済それ自体としてほうっておいたのでは、まだ上昇力が弱いのだから、そこに多少わきから支援力、支持力を与えてやる必要があるという意味で、この程度の散布超過の予算で金融も緩和する、こういう形で持っていって、決してそれで過熱するようなことはないし、またかりに年末は別として、来年になって過熱するような状態が出てくるとすれば、またそのときかじをとるのだと私は考えている。日本経済の歩く道というものは、底にはデフレの危険があり、上にはインフレの危険があって、非常に狭いところを綱渡りしなければならない。安全な航路というものはあり得ない。だから非常に狭いところをうまくかじをとるという意味で、今はこういう状態で、先になってからそれをまたチェックするというような形でいかなければ、安全な航路というものは私はないのではないか、こういうふうに考える。  第二点におきましては、先ほども言いましたが、ほんとうに景気がよくなれば、自然増収というものは私は一千億以上になると思う。景気が悪ければ別だ。またそうでなくとも、私は運用部資金であるとか、金融債とか国債というものを民間に売るとか、いろいろな形でやれると思う。また全然借金をしない健全財政一本やりということも、私は必ずしもそれほどの余裕のある日本経済ではないと思う。非常にやりにくいことになれば、私はある意味では制限された意味で公債を発行してもいいと思う。ただそれに対して一般にそれが野放図になるということがいわれておりますが、その点は私はまた経済体質改善と同時に政治の体質改善を大いにやっていただいて、公債を発行したって何ら国民に不信感を与えないという——道路だって何だって二十年も三十年も使えるものを今の金で全部やってしまう。会社だって社債なり何なりを出して、それを数年間で償還するということで設備をしている。政治に信用があれば私はそれぐらいのことはしていいと思う。
  30. 北山愛郎

    ○北山委員 簡単に一、二点お伺いします。山本さんのお話は大体私どもとしても同感の点が非常に多いのです。特に体質改善という問題についての考え方について、大蔵大臣の財政演説にしても、体質改善というものを非常に狭い意味にとって、企業の内部の資本構成をよくするとか、自己資本をふやすとか、あるいはまた重化学工業、基幹産業等の生産基盤というもののために道路やあるいは港湾をよくするとか、そういうところに体質改善という意味を考えているように見えるのです。先生のように経済全体の体質改善ということにこれを考える方が正しい。従って中小企業や零細農あるいは林業、漁業の問題、こういう問題を改善するということが、ほんとうの意味の体質改善だというようなお話、これはもうほんとうに同感なんです。そこで今度の予算の中で、中小企業の点についてもあるいは農業の点についても、非常に少いのじゃないかというようなお話のようでありますが、これをどういうふうにしたらいいか。中小企業予算では、たしか近代化の予算というのはたった十億くらいしかないのですが、対策としてはなかなかむずかしいと思います。思いますが、もし先生にこんなことをやったらいいのじゃないかというようなお考えがあれば、お聞きしたい。  それから農業についても、実は農政の行き詰まりというわけで非常な転換を求めておる。そういう際に、ことしの予算は五十億ばかりふえましたけれども、しかし本質的にはそういう農政転換の要請にこたえるような質的なものを持っておらないという点は、私ども非常に遺憾なんです。そこで今度農林漁業基本問題調査会というものを設置するということになりましたが、むしろ問題を先にずらしたような格好になりまして、できるならばことしの予算あたりに、もう少し農業の体質改善といいますか、全体の経済体質改善のための農政転換の方向というものがほしかったわけでありますが、この点についても一つ先生のお考えがあればお聞かせを願いたいと思います。  それから私どもとしては最近の重大な問題は、雇用の問題だと思うのです。今の経済構造の問題にしても、結局は雇用という大きな矛盾がどんどん拡大をしておる、こういうことですが、ことしの予算のような、どちらかといえば生産財の需要をふやすという格好、そういうような予算の性格から見て、雇用の拡大という意味においては、単に公共事業、しかも重要な港湾であるとかあるいは主要な道路であるとか、そういうようなものに偏したような予算の組み方というものは、果して雇用の拡大にどれほど役に立つかという点で、若干疑問を持っているのですが、その雇用の吸収というか、拡大をするという意味における三十四年度予算の性質、こういうものを一つお教えを願いたい。  大体以上のようなものでありますが、さらに地方財政の点についてはほんとうにいいことをおっしゃっていただいたのですが、ことしの地方財政見通しといいますか、私どもはどうも三十一年、二年、三年くらいまでは、地方財政も若干経済影響を受けて、ちょっと息をついたというような格好だと思うのですが、おそらく三十四年は相当苦しいのじゃないか、こういうふうに考えているわけです。従ってことしの予算の、あるいは地方財政計画の組み方の上においては、地方財政についてそういう点についての考慮が払わるべきであったと思うのでありますけれども、どうもそれが足りない。地方財政についてはそういうふうに私どもは見ておりますが、三十四年、これから先の地方財政がどういう点で苦しくなるか、先生のそういう見通しをお聞かせ願いたい。以上の点についてお願いいたしたいと思います。
  31. 山本正雄

    ○山本公述人 第一点の中小企業の振興という問題、これは言うまでもなく、今度の予算でも非常に少つい、これは毎年のことだ、これはどうしたらいいかということはなかなか問題でありまして、やはり自然にほうっておけばこれは経済の原則として大企業がだんだん大きくなり、中小企業というものはそのしわ寄せを食うというのは、これはまあ資本主義経済の自然の勢いだ。ただそれをどうチェックするかということになれば、これは日本だけでなしに、アメリカのような国だって非常に問題になっておる。やはり自然にほうっておけば、どうしてもそこへしわが寄る。しかも、中小企業の生産性というものはますます低くなっていく。だからこの点について、私は単に中小企業の組織化、資金あるいは設備の貸与とか、そういうことだけでなしに、やはりその点も国会におられる皆さんが、自然にほうっておいたらどうしても大企業が大きくなり、そのしわを受けるのだという考えで、予算の面でも、法案の面でも、そういう傾向を少しでもチェックしていくということを常に心がけられなければ、私はどうにもならないと思う。そういうような広い音意味のいろいろなもの——この一本で中小企業の振興ができるというようなきめ手は私は一つもないと思う。やはり政策全体というものを、常にそういう点に頭を置いてやられるということ以外に私はないのじゃないかと思っております。  農民の関係は、私勉強不十分といいますか、あまり私の専門になっておりませんので、ちょっとお答えできません。  雇用の拡大という点では、確かにおっしゃる通りでありまして、言うまでもなく巨大な最近の近代設備というものは、非常に少い雇用しか吸収しない。むしろ減少をする。従ってその傾向が第三次産業、サービスとか、いろいろなそこらの飲み魔なんかの人口の増大というようなことにしわが寄っておるのだ。そういう点ではやはり大企業に重点的に使われるならば、どうしてもそういう雇用の面ではますますむずかしい問題が出ることは明らかであります。だからやはり財政投融資その他の使い方というものをもう少し考えていただかなければならない。もう少しそういう画でも中小企業なり、そういうところに財政投融資その他を流していくということを考えていく必要があるのではないか、こういうふうに考えております。
  32. 楢橋渡

    ○楢橋委員長 他に御質疑がなければ、山本公述人に対する質疑は終了いたしました。  山本公述人には、御多用中のところ、長時間にわたり御出席をわずらわし、貴重なる御意見の御開陳をいただきまして、委員長より厚く御礼出し上げる次第であります。ありがとうございました。(拍手)  次に信越化学工業株式会社社長小坂徳三郎君に御意見開陳をお願いいたします。
  33. 小坂徳三郎

    ○小坂公述人 本日公述人といたしまして発言できることを光栄に思っております。本題は労働と雇用ということできわめて広範な問題でありますが、その前に、私なりの日本経済の、あるいは現在の予算案に対する私見を申し述べさせていただきたいと思います。  本年度の予算はすでに多くの方々が言う通り、一年余りの不況のあとに再び上昇と成長を取り戻そう、そういうような配慮が基調になっておるのでありまして、われわれはその基調には満足しておるものであります。しかし、この予算案とその後の政府の施策というものの関連におきまして、先般のいわゆる一昨年の五月に行われました激しい金融引き締めということは、あの当時の予算委員会におきましてもあるいは予算案につきまして、あるいはその前後の大臣の談話等から見ましても、何ら予測されない事態であったわけであります。突如として非常な金融引き締めが日銀を通じて行われた。こういうことはわれわれ企業をやる者にとりまして、何ら予測なしに平手打ちを食わせるようなやり方については、非常に迷惑を感じておるのが実情であります。言うなれば政府政策は、往々にして野球でいう隠しだまのようなことをやって、それがストライクならよろしいのですが、いきなりデッドボールのようなたまを投げるようなことは、われわれ企業をやる者にとって非常に迷惑しごくであるばかりでなく、こういったことは一つやめていただきたいと思うわけであります。従いまして今度の予算も、われわれから見ますと非常に成長予算である。五・五%の成長を見込んでおるということで大いに意を強うするわけであります。ところが本年に入りましてから、欧州における通貨の自由化の問題が具体化されております。こういったような世界的規模において行われる大きな欧州の経済変革ということ、このことに対して、この予算を組まれるときに果してどの程度十分にこれをこなし、また、その対策というものが含まれつつこの予算が組まれたかということをわれわれは一番心配しておるのであります。と申しますのは、欧州の自由化の進展に伴いまして、当然われわれの輸出産業というものは大きな影響を受けることは明らかであります。のみならず、そのような影響に追い回されまして、むしろわれわれの方の、わが国の政策そのものがそれに追従いたしまして進んでいく。そうなりますると、情勢の急展開に追従して、そのまにまにまた大きな政策大蔵省なり日銀なり、あるいはその他のところから打ち出されてくるのではないか、われわれも過去のひどい金融引き締めにこりごりしておりますので、また今度の予算案につきましても、そういったことがもしあったら大へんだというふうに心配しておるわけであります。これは私の個人的な意見であります。  第二は、今度の予算案におきまして、財政投融資が前年度より非常に大幅に拡大されておりますが、これは大いにけっこうなことだと思います。しかし、われわれの現在問題にしておることは、日本において金が足りないということの量の問題と同時に、金の質の問題、つまり量の拡大とともに質の長期化ということが、現在実際仕事をしている者にとっては大きな問題になっておるわけであります。日本経済の、と申しましても、大げさでありますが、われわれの一企業を例にとりましても、現在の建設資金、設備資金というものは、特に造船とか、電力とか、そういった政府の特別の措置のあるものを除きましては、多くの産業はほとんど長くて五年、短かくて三年の資金を借りているわけであります。  つまり、非常に短期な資金で建設がまかなわれておるという事実が、今日一方では日銀に対する市中金融機関のオーバー・ボローイングの問題となり、あるいはわれわれの産業界が銀行に対して頭の上らぬような膨大な借金となって現われておるのは、要すれば、非常に短期の資金をもって建設資金がまかなわれておることに由来するのではないか。また、われわれ実際に仕事をしておる者にとりまして、建設をしまして、一年据え置きで、三年目にはこれを全部返してしまうというようなことを考えますると、なかなかおちおち落ちついて仕事はできないのであります。しかも最近のように非常に生産技術が向上いたしまして、あるいは研究の向上によりまして、設備に要する資金がきわめて多額でありまして、全般といたしまして一件当りの建設費というものが、過去に比べまするとはるかに大きくなっております。一つの企業を例にとりましても、一つのまとまった設備をいたしますと、最低億の単位で数えます。大きいものは十億、二十億というものが投資として必要なんであります。こうした巨額な金を三年あるいは五年の期限で借りて参る。もしも景気がその期間に下降するようなことがあれば、あるいはその作っている商品が予定したときよりもはるかに下ってしまう。たとえば今回のアリ地獄不況というような深刻な事態に立ち至りますれば、この借金計画は、借りた方も貸した方も全く計画が狂ってしまう。そこに経営者としての非常なあせりが出るわけであります。また、そこにあせるがゆえに無用な競争心、かつまた不必要な増産をして自分の水みちをあけていく、そういうことに狂奔せざるを得ないのであります。逆に言うならば、こうした短期資金を設備資金に投入するという結果が、さらに他の建設を誘発いたしまして、あるいは産業規模を不当に拡大していくというようなことになるのであって、過去一年間、識者から大いにしかられました産業界の自転車操業と申しますか、無理やりな生産拡充、こういうことについては、またそういうことをしなければ、食いつなぎができないという事情にも追い込まれておったわけであります。しかし考えますると、企業はますます今後の輸出増強に備え、ある一定の規模以上の企業におきましては、今後ますます設備を増大して生産性を向上して、国際市場における競争力を持たなければならないわけでありまするが、このような資金が今までのような、ただ短期的な三年とか五年という資金だけでしかまかなわれないといたしますると、日本経済の混乱は果てしなく続くのではないかということを憂うるものであります。むしろ、こうした設備資金というような、建設資金というものについては、もっと長期の金を出すということに問題の焦点をしぼって施策をお考え願いたい、これがわれわれの一番の希望であります。少し比喩を用いますれば、糸というものは、引っぱるときだけきくのであって、ゆるめるときにはきかないのだということをいうわけでありますが、日本財政経済政策つまり現在財政経済政策と申すものが、日本産業政策となり、すべての政策の基と本になっているのが実情でありまするので申し上げるわけでありまするが、こうした産業経済政策というものが、金利の上げ下げによって操作されておる。この事態は非常に私はまずいことであると思う。むしろ金利はあとについてくるべきものであって、資金はできるだけ長期のものにしていくということに政策の重心を置いていただきたいと思うのであります。特に現在、われわれ産業界、経済界におきまして、自主調整をやって、なるべくいろいろの方に迷惑をかけぬ、また産業界自体として日本経済の発展に寄与して参りたい。こういう希望から自主調整をやろうとしておりますけれども、実際の困難は、こうした短期資金を借りて運転しておる企業がほとんど過半数でありまして、その過半数の経営者の心理が落ちつかない。そこに問題の複雑さが生じてきて、なかなか言うような自主調整の本格段階まで入れないのが実情でございます。  それからやや本論に入りまするが、本年度以降約十年間にわたりまして、就業すべき労働人口は毎年実質的に百万人ぐらいずつふえていくのではないかということがいわれております。また半面、潜在失業者というものをどう計算するかは別といたしましても、生活保護法の適用を受けておる人々まで入れますると、非常に膨大な数になるわけであります。今度の予算案におきまして、前年度より公共事業費等が相当大幅に増額されているのはけっこうでありますが、私は、少し差し出がましいようなことでありますけれども一つ皆様方にぜひお考え願いたいということを申し上げたいと思います。と申しますことは、われわれもちろん産業人といたしまして、より多くの人々に職を与え、より多くの人々に人間らしい生活をしてもらいたいということは、われわれの偽わらざる心でありますけれども、しかし、この膨大な人口をかかえまして、一企業あるいは一経済界がこういったことを考えましても、よくなし得ない点であります。しかも、さらにこれをぶっつぶそうというようないろいろなこともありまして、なかなか問題は複雑であります。しかし、私の申し上げたいのは、要するに、われわれは過剰人口という一つの言葉におそれをなしてはいかぬ。この過剰人口という言葉だけで、要するに過剰なのだというような考え方でものを考えないで、むしろ積極的にこれらの人々に就職の機会を与えたり、あるいは年金制度を含むところの全般的な社会保障制度を拡充して、つまりもっと購買力のある経済人口に組織して、これを国民経済に投入していくということを方策として取り上げていっていただきたいということをお願いするわけであります。すでに最低賃金法とか、あるいは国民年金法が国会において論議されるような段階になっているのは、私らとしましては非常にけっこうだと思いまするが、この審議は、当然国会とされては、施策を、恩恵的なものとか、あるいは同情的なものとして考えておられるのではなしに、むしろこれを大きな経済人口として再び生かしていこう、こういうようなお考えで、言うならば購買者として国内市場に再登場させるのた、こういうようなお考えで御審議になっておられるのだと思いますが、ぜひこういうような考えをさらに一歩お進め願って、むしろ国会を中心とされまして、長期の国家百年の計として、こういった過剰人口、過剰労働力と称するものを、いかにして購買力がある経済人口に切りかえていくかということについての何か根本策をお考え願えないものか。われわれは片々たる最低賃金法とか、あるいはその他の法律だけによっては、この問題は解決し得ないと考えます。また、むしろ立場々々によりまして非常にこの問題をあくどくも利用できる性質のものでありますので、要は、結局国会というわれわれの最高の機関である場において、国家百年の大計として一つお取り上げ願えれば、われわれとしては、それに協力をすることはもちろん、またその論議のプロセスを通じて行われたいろいろな問題を、われわれはわれわれなりに消化して、これを自分の仕事に生かし、あるいは経済界に持ち帰ってこれを生かしていくというようなやり方で進めていかなければならぬ問題だと思うのであります。労働力の過剰ということは、単に経済問題でなしに、むしろこれを文化的にも、社会的にも、政治的にも、非常に重要な問題だと思っておるために、そういうことがあり得るかどうか存じませんが、国会において、何とぞ議員の方々において、これを御審議願えれば非常にありがたいことだと考えるのであります。  以上、三点について申し上げましたが、そのほかに労働と企業という問題につきまして多少私見を申し述べさせていただきたいと存じます。  経営者といたしましては、今日の労働問題、労使問題というものは、企業におきまして、生産をしたり、購買をしたり、販売をしたりするのと、その重要性を同一に考えております。それ以上に、われわれといたしましては、経営におきまして、この労働者への配分の問題、あるいはそれから考えられる資本蓄積とか、あるいは再投資というような、利潤の相互への分配の問題として労使関係というものを非常に重視しておるわけであります。個別企業といいますか、一企業の立場から申し上げれば、不断に改善され、かつ拡大されまする生産設備とか、あるいは競争によりまする品質の改善あるいは価格の引き下げということは、個別企業にとりましては現在絶対的なものとなって解決を迫られているわけでありますが、その反面に非常に高度に組織され、かつまた労働三法によって手厚く保護をされておりまする現在の労働組合方面からの要求というものもなかなか強いのであります。言うなれば資本主義的な生産体制において、われわれは一方において企業努力、他方において分配、二つの問題にはさみ撃ちになって苦しんでおるのが実情であります。  われわれはこうした二つの圧力のいずれにウエートを置くかということになりまするが、その場合このウエートは現在の日本の状態あるいは体質改善等から考えますれば、輸出力を増大していって、そうして国を富ましていくということをどうしても第一前提にとらなければならぬ。そうしてその生産性向上がただ労働者を搾取するとか、あるいはごまかすんだというようなことでなしに、ちゃんと日本国民経済の富となって返ってくるような組織、そしてまたそういう努力をすることが、日本経済の自主性と独立性を維持していく上に必要であるということ、さらにむしろ出た利潤というものを、できるだけ多くを現在の段階におきましては設備移入とか再投資に向ける、このことによってさらに労働の収容力を企業として持って、あるいは国民経済として労働の吸収力を増大していく、こういった糸口であるからというふうに考えるわけであります。  世間では過去においてわれわれのなした投資が非常に無謀である、神武景気によったばかなやり方であるとか、非常に非難はありますけれども、ともかくも今日まで相当高い水準の経済成長率を維持して参りました。また就業人口も不足ではあっても相当に増大し得た。これはすべて私らに言わせますれば、新投資のおかげであるのではないか。国民経済資本の貢献度というものは、こういう場合を見ますと、けだし労働の貢献度とは比較にならぬほどの圧倒的なものがあるのは一般の通説ではないかと考えます。しかしこうした貢献度に対する評価をわれわれ自身でどうやったかということを反省してみますと、何と資本に対して一、労働に対して三というような配分をやっておる。これは最近五カ年間の各企業の実態調査の結果、生産性向上によりまして出た収益は、ほとんどがこれを労賃の上昇によって吸収され尽しておるということも、われわれの調査ではっきりしておるわけであります。保守政党からは経営者はだらしがないと言われますし、また労働組合の方からはまだ隠し金があるだろう、こういう工合につつき回されておりますけれども、過去のわれわれの賃金水準というもののきまったきまり方を、多少いろいろな形におきまして分析をした結果は、やはり何といっても企業の収益性との関係が非常に深いということがはっきりてしおるわけであります。  問題はこの企業のワク内においていずれかを重視していくということの問題でありますが、われわれといたしましては、できるだけ早い機会にこうした賃金と再投資との関係を数式化しまして、これをもって賃金論を公表して参るべきだという考えを持っておりますが、問題はこれまた少し筋が違うかもしれませんが、より高い立場から日本の現在の情勢をさらに改善するために、あるいは国民経済全般の立場から見て、何かこうした再投資と賃金の配分の問題についての大きな会議が持てないか。毎年繰り返される春闘というような、独断的であると思うし、また政治的な年中行事は、もう少し建設的な反省をしていただかなければならないと思うのでありまするが、何かもう少し配分と再投資という問題についての大きな広い立場の話し合いというものを、やはり国会におきましてどこかの委員会で取り上げていただきたい、私はこれを強くお願いしたいと思います。  これは少し話が違いますが、米国のハーバード大学のある教授が言っておりましたが、米国の国会はなかなか税金面について味のあることをやる、つまりいろいろ税金面に穴を作っておく、だれかがそこでいいヒットを飛ばせるようなものを作るのだということを言っておりました。われわれとしましては、体質改善とかあるいは再投資という問題に当面いたしますと、やはりここに今の税制の問題が思い浮ぶわけであります。われわれがこの税金を何とか負けてくれと言うと、お前たち、ぼろもうけするんじゃないかと言われますけれども、しかしそういうような問題のとらえ方でなしに、むしろより広い国民経済の再生産の拡大という形において、この税金面をいろいろ御考慮願えればけっこうじゃないか。  一つ米国におきましての例を引かせていただきまするが、各企業でやっております退職金とか、あるいは年金制度の基金の積み立てには米国では税金がかからぬわけであります。無税であります。だから米国の各企業では非常に積極的に年金制度を本格的なものに育てております。しかもこれが政府のやります社会保障と完全一体となってみごとな成果を上げているようにわれわれは見て参ったのでありますが、今日、こうした個別企業としてはさらにこうした制度を拡充して参りたい意欲はありますけれども、実際にもうその負担にたえられないのが実情なんであります。しかしいずれは政府におきまして、あるいは各政党においても、社会保障制度の一段と上昇、完備する方向にお進みになるのではないか、それまでのつなぎという音意味で、われわれとしましては、この際苦しくても何らかの措置をとってこの制度を推進して参りたいと考えておるわけであります。もちろんこうした年金制を実施することによりまして、従業員はみんな安心いたします。従って企業内部も平和に推移できるのではないかというようなことでありまするが、問題は、ここにお願いしたいことは、こういった金に対してすべて税金がとられる。つまり利益処分的な色彩でなければ支出ができない、こういうことであるので、制度としてりっぱだし、われわれ経営者としても推進して参りたいと思いつつ、なかなかそれが前進いたしません。めんどうなことのみが多いわけであります。税金がなければ、景気のよいときに思い切って保障制度に対して金が出せる。米国でありますれば、こういった金を全部また保険会社の手に集めて、長期資金として、逆に企業の設備として環流していける。あるいは今度のような不況のときには、退職者の収入としまして自動的に、あるいは年金利用者の購買力として自動的にマーケットにまた出てくるというような仕組みになっておるわけであります。この効果というものは、私も聞いてきただけでありますが、今度の米国の景気後退のときに、国民総生産は最高時に比べて二百億ドル下った。しかしその期間の国民消費支出は四十億ドル下ったにすぎない。つまりその差額百六十億ドルというものは、こうした政府のやっておりまする社会保障並びに各企業が率先やっておりまする年金制度というようなものによりまして、購買力となってそれが環流いたしまして、消費の激減を防いだ、こういうことで、先方は、今度の景気回復のてこになったので、あるいは持ちこたえた一つの大きな手であったということを説明しておったわけであります。私は、ただ税金が高いから法人税を負けてくれ、そういうような言い方を申しておるのではないのでありまして、こうした社会保障制度に対する金を上手に使っていい仕組みを考えてさえいただくならば、米国のそのような効果があったということを申し上げて、ぜひこういうようなうまい使い方をさせる、しかもそれが社会保障としての大きな意味を持つというところに御着眼願って、何か推進をしていただきたいというふうに思うわけであります。  また、逆に言いますれば、こういった社会保障制度と企業の年金制という社会保障的な措置が完備しておりますので、労働組合は安心して長期帰休といいますか、仕事がなくなったときには黙ってやめていくということを経営者にまかしておるわけであります。日本の今の状態はなかなかそうではないので、仕事があってもなくても一定の人間を必ずその職場に維持しておく、それが全組織をあげてわれわれに要請されておることである。そのこと自体と経営との間に起す非常なむずかしい摩擦というものは、これは実際やってみないとわからないほどつらい点であります。しかしそのことはさておきまして、そのようなバック・グラウンドがあって、そこにまたアメリカの一つのいい労使慣行も生まれているのじゃないか、私はこの点アメリカの制度だからという意味ではなしに、われわれ自身もこういう社会保障制度を拡充することによりまして、やはりわれわれの経済運行が円滑に進むということを経営者として心から願っておる立場から申しましても、ぜひこうしたことのできるような措置を今後大きく取り上げていただきたいと考えるわけであります。  非常に時間が超過いたしましたが、大体以上で終らしていただきたいと思います。(拍手)
  34. 楢橋渡

    ○楢橋委員長 ただいまの小坂公述人の御発言に対しまして御質疑があれば、この際、これを許します。淡谷悠藏君。
  35. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 簡単に二、三点御質問したいと思いますが、ただいまのお話では設備が近代化し合理化すると、労働者の就労人口がふえるように伺いましたが、むしろ最近の傾向ではオートメーション化したりあるいは合理化したりしますと、失業者がふえてくるような傾向にございますが、この点は一体どうなるでございましょうか。これが一点。  同時に生産性が向上し、能率化しますと、当然これは労働時間の面で短縮されて、その労働時間の短縮によって雇用人口が減るということが考えられますが、あなたのおっしゃるのは、やはりこの合理化とともに労働時間の短縮という点も考えられておりますかどうか、その点をお聞かせ願いたいと思います。
  36. 小坂徳三郎

    ○小坂公述人 ただいまの近代化、合理化によって失業者が増加するということのお話でありますが、私はこれは一つの個別企業を例にとりますれば、明らかにそういうことはあると思います。しかしこの近代化あるいは合理化によりまして、付加価値の生産性が増加するとか、あるいはそういった面における経済全般の運行が活発化していく、そのことによりましていわゆる第三次産業あるいは第一次産業にもはね返りが来て、それがおのずからまた労働人口の吸収に役立っていくのじゃないか。私が先ほどから申し上げておる通り、過剰人口というものをあまり機械的に考えないで、むしろそれをどうやったら吸収できるかということを国をあげて一つ考えていくというときには、やはり、今申し上げたような近代化、合理化が失業者を生むのだという命題をもう少しうしろに下げていただいて、いろいろ議論しなければいけないのじゃないか。それでないとわれわれ自身も非常なジレンマに陥るわけでありますが、そういう点もあるのじゃないかと思います。お答えにならぬかもしれませんが、大体そういうことであります。  第二点は、生産性の向上、労働能率の向上に伴って労働時間の短縮があり得るかどうか、これは当然あってしかるべきたと思います。事実、今までは休日制はほとんどなかったのでありますが、だんだん休日がふえております。年に十二日とかあるいは二週間とかいうものが、いわゆる組織労働者のところにおきましては常識になってきております。これがだんだんふえてもいいのじゃないか。が、しかし私が申し上げたいことは、あまりに今の労働組合全体が封鎖性を持ち過ぎている、つまり自分のところには入れない、出さない、そういうことではあまりにごり押ししているのでは、かえって逆に日雇い労務者とか臨時工というものをわれわれが使わざるを得なくなる。そのことは全般として私はやはり労働行政上まずいのじゃないかと思います。大いに休暇をとっていただいて、しかもなおかつ仕事のないときは、社会保障あるいは年金制等によりましてともかく一応休む。また景気のいいときはみんな臨時とか日雇いという形でなしに、企業に正式に採用していく。もしそういうことができるようになりますれば、私は日本の労働人口というものは将来はそんなに悲観しなくて、ぎくしゃくしながらも前進するのじゃないか、そんな考えであります。
  37. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 もう一点お伺いしたいと思いますが、あなたのお話にもかかわらず、現実の日本の労働界では合理化による失業者がふえていることは事実なのです。一体これの原因はどこにあるのかということが一つ。  もう一つは不況時代あるいは失業者が出るような状況になった場合に、そのはね返りを国の方で負わなければならぬという形のようにお話でございましたが、これはやはり企業家の側で、ふだんからそういうふうな一つの含みがある施策をとられるのが、実情としては正しいのじゃないかと思いますが、その点はどうでしょう。何か国の方へ失業のおありを持ってくるように思われますが、それはどうでしょう。
  38. 小坂徳三郎

    ○小坂公述人 最初の合理化と失業者が出るというお話、私もこれはちょっとお答えしにくい問題で、ごかんべん願います。ただ失業問題について、国だけに経営者は依存しているじゃないか、こうおっしゃることは、これはごもっともであります。われわれとしましては先ほどるる申し上げた通り、やはり年金制等をもっと積極的にやりたい、やるために私はその点を免税にしてほしいということを申し上げておるわけであります。それさえできればわれわれといたしましては景気のいいときに設備に投入すると同じようなつもりで、人間に対する投資をしていく。それがまたいろいろな形で回り回って自分の設備になって返ってくるということになれば、損はないどころじゃなしに、それによって非常ないい慣行ができるのじゃないか。ぜひ一つ免税の点を委員会として御推進願いたいと思います。
  39. 楢橋渡

    ○楢橋委員長 他に御質疑がなければ小坂公述人に対する質疑は終了いたしました。  小坂公述人には御多用中のところ長時間にわたり御出席をわずらわし、貴重なる御意見の御開陳をいただきまして、委員長より厚く御礼を申し上げます。(拍手)  明日は午前十時より開会し、公聴会を続行することにいたします。  本日はこれにて散会いたします。     午後三時八分散会