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滝井委員 単なる避妊技術の普及ではなくして、うあはり国民生活のあり方を一体どういう工合に変革をしていくかという、私はこういう根本的な問題だと思うのです。もしわれわれの国民性の中に、そういう随胎的な習慣というものがだんだん固定化してくるというならば、現在の
日本の社会的な目まぐるしい情勢の中で、非常にたくさんの精神薄弱児が出ております。これは坂田さんは、文部行政に今まで
関係されておったから一番よくわかると思うのです。非常にたくさん出ております。しかも劣等児が多い。切った張ったの記事が新聞の社会面を毎日にぎわしておるというのは、やはり私は根本的にこういうところにも原因があると思う。こういうところに、やはり
日本の政治というものが、じみではあるけれどあたたかい行き届いた手が差し伸べられないところにも私は問題があろうかと思うのです。こういう点については、ぜひ内閣としても、もう少し真剣に
考えてもらう必要が私はあろうかと思う。
同時にそのことは、今度はその裏には雇用の問題というものが当然登場して参ります。現在生産年令人口が急激に増加することは、すでに
日本の
昭和利三十四
年度の
経済の
見通しの中においても、これははっきり述べられておるところでございます。生産年令人口が増加をするということは大きな生活の問題でございますが、究極は、これは雇用問題に集約ができます。同時に、一方老人人口が増加をして参ります。
昭和三十五年程々になると、七%か八%、全人口に対して老人人口が占める。しかも十五才未満の人口というものば急激に減少してくる。こういう形の中で、私たちはやはり雇用問題というものを
考えていかなければなりません。われわれが雇用問題を
考える場合に、
日本の低所得階層の問題でございます。一九五〇年、
昭和二十五年では、二十才から四十九才までの結婚あるいは育児期の女子人口は、当時の同じ年令の男子の人口に比して百五十万だけ多うございました。一九三五年、
昭和十年当時においては、逆に女子の人口の方が七十五万少かったんです。従って、
昭和二十五年には、差し引きしてみますと二百万だけ女子のいわゆる働き盛りの人がふえた、こういう形が出て参ります。このことは一体どういうことを
意味するかというと、結局女子人口が、結婚難ということによっていや応なく
日本の労働市場に殺到せざるを得ないという形が出て参る。同時に、あの戦争その他によって母子家庭をもたくさん作っております。そして同時に、就業する女子人口に加えて、新しい老人人口というものがたくさんふえてきておる。これがやはり就職戦線に加わってくることは、もう火を見るよりも明らかです。
日本の戦前戦後における男女の年令別の労働力化率の推移の状態を見てみましても、十四才から十九才までの勉強しなければならぬ青年期でも、男が
昭和三十年では四割四分九厘、女性が四割一分八厘仕事につかなければならぬという状態に追い込まれておる。六十才以上のものを見つると、六十才以上の男性は、実に六割六分二厘が職を求なければならぬという状態に追い込まれておるし、それから六十才以上の女性でさえも二割六分三厘の状態になっておる。これは大正のころから依然としてそういう状態が続いてきて、昨今は幾分それが少くなろうとする傾向が見えておるけれ
ども、
日本における老人人口の増加や、あるいは今の女子労働というものを
考えると、この傾向というものは、決して急激にヨーロッパ諸国のように減る情勢はない。いわゆる若い労働力、そして老齢の労働力というものが、急激に労働市場に現われてこざるを得ないという客観情勢でございます。そういう中で、現在
日本に二百四十六万世帯、千百十三万の低所得階層があることは、
日本の厚正白書がわれわれに示しておるところです。そこで、こういうたくさんな低所得階層というものを
日本に置いて、社会的な諸政策を行おうとされておるわけです。その場合に、私が特に
大蔵大臣に注意を喚起いたしたい点は、昨日と一昨日の
予算委員会の公聴会においても、それぞれの公述人がお述べになったんですが、この
日本の政策というものは、どれもみんなヘビのなま殺しのような不徹底な状態です。特に低所得階層というものは、何か
一つの政策だけで自己の生活を全うすることができないという状態が、政策の中に端的に現われておるということです。
日本の人口問題という背景をよく頭に置いて、その上で
日本の低所得階層対策というものは立てられなければならぬと思うのです。
そこで、まず私は、ここに端的に一々
指摘をして、
大蔵大臣の真摯な御
答弁をお受けしたいのです。たとえば昨日も——一昨日でございましたか、ここでも折摘されましたが、結核の問題を見てみましても、一体結核は今どこに一番巣食っておるか、これは
日本の低所得階層の中の中年です。もはや
日本の青年には、ヨーロッパと同じように結核はなくなりつつあります。BCGやツベルクリンの普及によってなくなりつつあります。そうしてそれは低所得階層における中年令の階層に巣食いつつある。特にこれは公聴会でも、朝日新聞の江幡氏も
指摘をしておりましたが、
一般が千人に対して三・五人しか結核に罹患しておらぬのに、生活保護は五十九人、ボーダー・ライン層というものは四十五人もおる。十倍をこえておる。しかも結核対策というものは、それらのものに、わずかにことし七千件のうちの四千件についてのみ医療費というものを三分の二負担します。こういう形、しからば三分の一はどうするか。これは生活保護か何かにたよらなければ結核対策の推進ができない、こういう政策をとられておる。そういう手間のかかる、一方においては結核予防法でやり、残りの三割のものは生活保護でやるなんという、そういうめんどうな手間のかかることをやらずに、もしその人の結核をほんとうに救おうとするならば、思い切ってどこか一カ所でこれを救うことが当然だと思う。それをやっていない。ここに行政のむだがある。貧乏な
日本でこういうむだをなぜやらなければならぬかということです。
もう
一つ指摘します。たとえば、これは失業対策です。これは労働
大臣もお見えになりましたが、私も
指摘しようと思ったが、江幡さんもやはり同様に
指摘しておりました。たとえば失業対策
事業で働いておっても、その失業対策
事業で食えるだけの金をくれない。ニコヨンといって二百四十円くれておる。だんだん物価が上るとニコバチ、二百八十円になり、最近はサンマル、三百六円になった。ところが、三百六円では子供が二、三人おるともう食えない、こういう形。だから食えない分は生活保護で上げましょう、こうなっている。一方において、失業対策で日雇労務者として働かしておきながら、そこで食えるだけの金をやらぬので、今度は食えない分は生活保護で行わなければならぬ。こういうむだを一体なぜやらなければならぬかというのです。
もう
一つ、年金です。今回百十億の年金をお出しになりました。ところが、これは簡単に言えばボーダー・ライン、これしかやれないということです。老齢、身体障害、母子の援護年金というものはそういうものである。それならば何も年金の、
あとで触れますが、莫大な事務費を使ってなぜそういうことをしなければならぬかということです。それならば生活保護で思い切って十分にやったならばよいではないか。こういうような政策の小出し、ヘビのなま殺しのような政策というものはいかぬということです。
もう
一つ、生活保護自身についてもそうです。生活保護は、現在
一般の勤労者家庭の三割六分程度に生活が下ったならば、そのときは生活保護費を出そうということです。ところが、それだけでは食えないので、日雇にいくか別なことをやらなければならぬ。こういう生活保護自体にしてもそういうことです。三割六分で一体食えるか。
日本の勤労者の三割六分か四罰程度で一体食えるかということ、憲法二十五条の保障ができるかということです。国民健康保険もそうです。国民健康保険で、二割の国庫負担と五分の調整交付金を出しました。しかし、現在の農村であの半額の負担ができないからこそ中農以下というものはかかれぬではありませんか。これもなま殺しです。かかれるものは中農以上です。こういうように
政府が社会保障として出しておる、低額所得階層対策として出しておるどの
一つの政策を見ても、
一つだけで生きるだけの生活を保障する何ものもないということです。こういうむだをしてあちらでちょっぴりこちらでちょっぴり、そして、それにも莫大な事務費と莫大な人件費がかかるという状態を一体
大蔵大臣はどう
考えているのかということです。この点、
一つ大蔵大臣の明確な御
答弁を願いたい。