○石山權作君 私は、
日本社会党を代表いたしまして、ただいま上程になりました農地被
買収者問題調査会設置法案に対しまして反対の
討論をいたします。
この
法案は、農地改革によって生じた副次的結果ともいうべき被買収者に関する社会的な問題について、その実情を明らかにするとともに、これに対して何らかの措置を要するかいなかを十分慎重に検討しようとするもので、これが調査会は二カ年間、委員は二十人以内、さらに十人以内の専門調査員と十人以内の幹事を置くことができるという
趣旨のものです。これら、一見何ら特別の事柄も含まないような形で、いうところの低姿勢で打ち出されてきた
法案でありますが、この
法案の提案されるまでの経緯を
考えると、なかなか物騒千万な
内容を持つものがあるのです。
日本の保守党は、
日本農政に対する過去の事実が示すごとく、その農村対策は現代よりの著しい逆行性を示しています。これは何も農政のみに示される彼らの方向づけではないのですが、旧勢力の温存をはかり、旧勢力をまたまた支配勢力へと衣がえするための努力は、あらゆる機会と場所において行われています。
ここ数年間に本国会を通過した
法案のうちでも、教育に関する諸
法案は、いたく教育の発展と学問の自由を束縛しております。自治警察より国家警察へと、しかも、この権力者は果てしもなく権力を求めて、先ごろの警職法のごとく、国民をいたく圧迫感に陥れています。これとともに、自衛力は一段、二段、三段飛びで拡張され、憲
法制定当時は、外国との交戦力さえ、よう認定し得なかった平和憲法は、最近は、小型の核兵器をもっても戦い得るというのだから、やがては大陸間弾道弾をもって戦う軍隊をも用意することができると解釈することに努めそうであります。憲法調査会は、調査に名をかりて天皇制の利用を前面に押し出し、憲法
改正の必要性を列記することを役目とする危険性が多分にあるようです。過度の集中排除法や独占禁止法はゆがめられて、独占企業の横断的結合は、その価格維持が不景気の中にも大手をふるい、資本の上下の統括は、中小企業をして子飼いの下僕としてしまいました。
これらの
法案は、表面は何もどぎついものではなく、しごく当然の手直し程度であるがごとく提案されているのでありますが、
立法技術のからくりは、時の権力者に都合のよい拡大解釈のできるようになっているのです。法文と法文との間に弱き国民階層の頭をたたき、反対するものからは僅少の権利さえ剥奪し得るように努めることが最近の傾向であります。
政府批判の強い団体の分断政策として最近とられたのは、小中学校長の管理職手当でした。まことに人間性の弱点をついた巧妙なものです。また、各種団体に補助金を出してその団体の不満を押え、その持つ使命の高度化を抑える工夫も試みています。
法律の一部
改正によって農業団体に給付される補助金は、金のない農村にとっては良薬の役目をなすはずであるが、一部
法律の
改正という文章は、農業団体をして、農民の権利擁護の立場から、
政府政策の、突き詰めれば保守党の時代逆行の基本である農業政策の宣伝
機関の役目を勤めざるを得ない立場に追い込みつつあるというのも、農村に現われた一つの現象であります。
すなおに人の言うことを聞けと、そう言われると、国民大衆は、ほんとうに従順で、すなおなものですから、その通りにしていても、ちっともそれが約束通りでなかったり、あるいはとんでもない逆な
意味がその中にあるのがだんだん明瞭になるので、いつも驚くのですが、驚くときはすでに手おくれで、
法律は驚く人々を冷然と見おろしているのです。悪法も
法律である。法治国の国民として何ですかとしかられると、国民大衆はすなおなものですから、それに従うことを繰り返しているのですが、その反面に、だんだんに、
政府、自民党の諸君の言い分にはうそが多いから、からくりが多いから安心ができないと
考え始めているのです。
特に、過去の実績は、保守党のいう農村振興策なるものは、かなり場当り式であることと
同時に、ごまかしを多く含めたものであることを物語っているのであります。だから、去る三月十二日の本院において、自民党の綱島議員が、本
法案の
質問に際して、「農村人口は全国の三九%を占めているにもかかわらず、その所得は一六%を下っているのであります。」と言わざるを得なくなっております。
終戦後、わが党の片山内閣が農地解放を行なって、十年余がすでに過ぎ去ったのであります。旧自作農創設特別措置法による農地解放は、偉大な農村の
近代化への第一歩でありましたが、これは、繁茂した旧時代の封建性の強い農村のジャングルを大きなブルドーザーで地ならしをして、明るい光とやわい風を近代的様式で大地にしみ込ませたのですが、それ以後、そこにまかれた種は、どうも育ちが悪いのです。灌漑する水が汚職に連なる腐れ水だから、根のよく発育しない毛根にとっては、
政府の施策は毒水に似ているのです。肥料は、外国にダンピングする赤字埋めのために高く買わされるのだから、化学肥料の目方に、そこらの石ころの目方を足したものを通り相場として買っているようなものです。貧しいものは、よく、もっと光をと、明るさを求めるのですが、光と微風の中に原子核の放射能が多いのでは、農作物も人も育たないし、健康の維持もできないのです。軍事費は年々増額される傾向であるが、農漁村への投資は年々減少していくのが統計の指向線です。
日本の農村は、やはり、不遇の地位から身をかわすことができないのでしょうか。
一昨年、農林省は、農林白書を出し、五つの赤信号を明らかにしました。その五つのうちに、特に注目すべきは、農民層の中に上層、下層の分離作用が行われていることです。この流れ始めました傾向は、もちろん放任することは許されないのですが、さればといって、
政府与党が毎度行なっている
選挙対策程度の補助金
制度や、十数年がかりの改良政策では、この傾向の流れはとどめ得ないでしょう。
政府与党の行う三割農政は、三割の農民の地位の安定は強化されるでしょうが、残りの七割の農民は、その貧乏のために、土地の転売となり、一時は農地の細分化が起るのですが、やがては、その細分化された土地は富農層に吸収される運命にあるのです。その運命というのは、
政府与党が農政の極秘と赤い判の押された本の中に書いてある筋書だから、当然といえば当然なわけです。
政府は、そこをねらって、この
法案を適当な時期なりと思って出されたのかもしれません。しかも、
政府は、農民の個々が孤立していることによって、その勢力の維持の保てることを、よく知っているのでしょう。だから、農業団体の強大になることと、農民
組合が方々でできることをおそれているのかもしれません。それよりも、農村指導においてのその土地の利用の共同化、その農具や機具などの共同管理、隣組やその部落の共同作業場の設置と共同作業、これなくして、近代産業の一工場の設立費が数億円を数えるのが通常であり、資本の投資と生産単位に懸隔のある今日、争ってみても、とても優位どころか、現状維持さえ困難なことは明らかであります。生産性向上云々と呼称しても、農民個々にとっては、まことに零細なる補助金、補償金などのごまかしでは農村は立ち行かぬ段階にきているのです。真に
日本農業の発展を
考えるものにとっては、かつての農政を、かなり高い姿勢で、かなりの規模において大変革を試みなければならないときにきたことを自覚しているはずです。これにこたえて、
政府は、それがために農林漁業基本問題調査会設置法を出したのだということでしょう。しかし、これは多分に海のものとも山のものともつかない、有名無実のものにする工夫がなされているということが予定のコースでしょう。何といっても、農村が近代的になるときは、
政府与党の諸君は、その立っている立場をわれわれに譲るときだからです。だから、それに対する押えをも含めまして本
法案を出したのでしょう。
旧地主の農地補償に関する
法案とか、あるいは旧地主救済に関しての一部国家負担について、附則農地転売過当利得課税法などのかわりに、農地被買収者問題調査会とは、なかなか知恵の悪ずれした表現でございます。人のいい農民やわれわれは、まあまああの当時は気の毒なような気もしたのだから、何かを調べるというくらいはいいではないか、調査費の一千万円は高いが、調べて何もできないと学者先生から言われれば、あの人たちもあきらめるのだろうから、それであとくされがなくなれば一千万円も高くないと
考えているのですが、しかし、問題は、いつもそういう工合には発展しないのです。
憲法調査会は、憲法を
改正するしないの調査よりも、
改正するのだという前提で、米国より押しつけられの憲法だからということで、
改正の
理由の一つに数えたいのでしょう。わざわざその証拠探しにアメリカへ出かけていくという工合です。そうかと思うと、国民年金や社会保障の
審議会の
答申には、
政府はあ
まりいい顔をしません。税制などもその例に漏れません。
政府は、調査会、
審議会によってその欺瞞性を隠そうとするが、反面に、これらを通じて、さまざまな事例をでっち上げて、自己の所信ともくろみを、調査会や
審議会の第三者の発意の形で、国民に巧妙に発表するのです。
先ごろの、本
法案の
審議に当って、松野総務長官は、わが党の高田議員の
質問に、「私に対する御
質問は、税金を取るか取らぬかという話でございますが、この
法案は、税法でもございませんし、税金のことは一条も書いてございません」と、変にからんだ理屈の
答弁をしたのですが、おかしなことです。この
法案を出すのは、何も実情の調査というよりも、補償の名目でいけなければ、社会的な変革に伴い経済的な損失、安定を欠くような事態に対して何らかの処置、救済をするという岸総理の
答弁を見ても、動かすべくもないのです。だから、そのときの救済費用の多寡によっては、国家の通常財源でまかなえるかどうかも問題になるでしょう。
一ころの地主団体は、一反当り補償費十万円、そのための運動費として一反当り三百円の資金を出したこと等を思えば、これはかなりの額になることも想定されます。当然に、いやいやに売った田畑の一定以上の金額に対しては、地主補償の一部資金として課税対象にすると言い始めるでしょう。彼ら地主や
政府の一部には、一種の正義感のごとくに、旧小作人の得た土地の売買の高値には悪罵に近い放言をしている事実を、われわれは知っているのですから、松野総務長官の
答弁は、弁解の役には立ちません。
また、
政府は、この
法案はどこまでも農地解放によって起きた地主の社会的、経済的実情の調査にあるというが、これは、農林省が
昭和三十年に行なった臨時農業基本調査において、すでにその結果は明らかにされているのであります。旧地主層は、一般農民に比べ、はるかにその生活水準は高く、その経営
内容も良好であることは、われら同僚議員より引例も指摘もされているので、再度ここでは述べることを避けますが、
昭和三十年以後、農業界において大変革でもあるというならいざ知らず、
政府与党は、自画自讃、経済は伸展し、その安定度は増し、国民生活は向上したと常々言っているが、それはうそなのでしょうか。農林省の統計調査部は、でたらめな仕事をやっているということでしょうか。
今国会の内閣
委員会で審査をしました各省の設置法十八、
審議会、調査会等は十六ですが、この
法案ほど、
内容が膨大な補償金額を含み、しかも、現代を否定しがちな旧支配者を呼び戻すような邪悪に満ちた
法案はないのであります。そして、今また与党の諸君から持ち出されているのが国民の祝祭日に関する
審議会です。これは、祝祭日の検討に名をかりた、紀元節の復活のための
審議会のようです。その次が栄典法ですが、これは国家に功労のあった者に勲章をというが、どうも、これも、名誉の金鶏勲章がないと、自衛隊は
日本海のかなたへ進軍しないだろう、という思惑から持ち出されているようであります。
これら前後を見回し、この
法案の意図することの範囲を
考えると、時代逆行もはなはだしいと思わざるを得ないのであります。常々、農村改革と農民生活の向上こそ
日本経済の上昇と安定の一支柱だなどと、口を開けば言っていられる与党の農政通の方々も数多く見るのでありますが、風光明るく、新風の吹くべき農村に過去の幽霊を闊歩さすようなこの
法案は当然に否決さるべしと信じて、私は反対
討論をいたす次第でございます。(
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