○堤ツルヨ君 私は、
日本社会党を
代表いたしまして、ただいま議題となりました
政府提出の
国民年金法案に反対し、
日本社会党提案の
国民年金法案、並びに、
国民年金法の施行及び
国民年金と他の年金等との調整に関する
法律案に対し賛成の意を表したいと存じます。(
拍手)
顧みますれば、昨年五月、衆議院の選挙に際し、自由民主党が
国民年金を公約されましたことは、今なお記憶に新たなところでございます。
国民のすべてが待つこと久しかった医療保障と相並んでの社会保障の一つの柱である
国民年金が、とにかく、今
国会に日の目を見ることになりましたことは、御同慶のきわみといわなければなりません。(
拍手)戦後十四年、新しい世界の息吹きの中に民主主義への理解と平和な世界実現のために年々目ざめつつある
国民の前に、
政府与党が、公約である本制度の実現に手をつけざるを得なかったことは、近代
国家として理の当然とはいえ、あずかって大きな力があったものは、わが
日本社会党であったと言えましょう。(
拍手)
すなわち、わが党が、かたい信念のもとに、同志、先輩の志を継いで、結党以来、社会保障の理念を広く
国民に呼びかけるとともに、本制度の必要と完成を主張して参りました。
昭和二十五年、ようやく社会保障制度
審議会の勧告がなされたにもかかわらず、歴代の保守党
内閣は、見て見ぬふりの怠慢を続け、旧態依然たる資本主義の上にあぐらをかいて何らなすところなく、心ある
国民からは、しばしば、ひんしゅくを買って参りました。(
拍手)これに比べて、わが党は、
昭和三十一年、呼び水的なものではありましたが、慰老年金法案並びに母子年金法案を
提出、また一昨年、全
国民のための総合的な年金制度を研究して
国民年金法案とし、昨年の第二十八、二十九、三十
国会にこれを
提出して参りましたが、さらに幾分の検討、修正を加えて本
国民年金法案となりました。
本法案は、わが党の思想に立脚し、実行可能にして、手続上の具体的な
内容を盛った
関係四法案と相待って、年金をやってくれるのなら
社会党案のようにあってほしいと、公述人のほとんどが述べられたごとく、きめのこまかい愛情と、最善の
努力を払った、至れり尽せりのもので、わが
国民生活の実態をとらえた、完璧に近いものであります。(
拍手)これまでにこぎつけるためには、政党としてのたゆまざる
努力と、
国民の啓蒙に多年の日月と労苦を惜しまなかった、
日本社会党の組織をあげての力こそ、まことに偉大であったといわねばなりません。(
拍手)今日では、
国民のすべてが、社会保障制度を抜きにしては近代
国家の
政治はあり得ないとさえ思うようになり、この世論が、都市といわず、農山漁村といわず、
国民の常識となって、ついに、これをやろうとしない自由民主党への非難となり、これが批判の結果、選挙の投票にも響くとあって、選挙民のこわい保守党が、一票を持った
国民にピントを合わさざるを得なくなったというのが、最も適切だと思います。(
拍手)
それはなぜか。すなわち、出て参りました
政府の法案を見ますれば、一目瞭然、お粗末きわまるものであります。(
拍手)世間では、「どうせ、自民党のやることだから、それくらいのことだろう」、「まあ、ないよりはまし」といわれておりますが、あまりにも社会保障の理念からほど遠く、保障というよりも保険であり、防貧という考えよりも救貧であり、しかも、
所得保障だと言いながら、その実は涙金か小づかい銭であり、全
国民を対象にと口には言いながら、数多くの漏れる人々を捨て去りにし、真に必要度の多い人々に厚みをかけず、果してこれでも
国民年金と言えるのかと、その良心を疑わざるを得ないものであります。(
拍手)公約を監視する
国民の手前、とにかく、本年度百億のつかみ銭を計上してお茶を濁したと申しても、決して過言ではありません。
以下、
政府案の問題点を指摘しつつ、わが党案と比較検討して、その反対の根拠を明らかにし、本議場を通して
国民諸賢の御理解を仰ぐとともに、将来のわが国社会保障制度がいかなる姿において完成すべきか、その骨組みだけを、時間の許す限り述べてみたいと思います。(
拍手)
大別して、まず拠出制について申し上げます。
その第一点は、年金財政についてであります。
政府は、完全積立方式一本としての建前をとり、財政収支にこだわっておりますがゆえに、
国家の行う保障制度でありながら、むしろ任意保険に近い考え方が随所に見られるとともに、社会保障の
精神をはるか逸脱いたしております。従って、救貧的な色彩が濃厚に現われておりますことは、根本的な致命傷だといわねばなりますまい。無拠出制年金を過渡的、補完的制度にとどめたり、援護年金という名をつけて、年金の受給資格にきわめて過酷な
所得条件を付したまま、何らの策も講じておらなかったりすることは、許しがたいといわなければなりません。すなわち、本制度の必要度が最も多いボーダー・ライン層をこの制度から締め出して、保険料を納め得る者だけの任意保険的な制度となってしまっております。この点、わが党案は、年金税による積立方式に加うるに賦課方式を取り入れることに踏み切っております。
審議の途上における公聴会では、しばしば、多くの人々が、賦課方式による大幅な国庫負担の繰り入れで、万人にひとしく生活保障をするというのでなければ、
国民年金という名に値しない、ということを言っております。窓口の事務機関を例のごとく叱咤激励して、苦しい人々から保険料をかき集めることによって、国庫負担をできるだけ避けていこうという、さもしい心根であればこそ、ないよりはましなものとなってしまいました。
第二点は、保険料と年金との問題であります。
政府が言うところの二千五十万人の本法の対象者は、いわゆる中小零細企業の自営者、五人未満の職場の労働者や商工
業者、医師、弁護士、農漁民、日雇い労働者等、十数種にわたる現行公的年金制度の適用を受けておらない人々であります。この人たちから、二十才以上三十四才まで百円、三十五才から五十九才まで百五十円を、四十年間の長きにわたって強制的に徴収するのでありますが、住友のだんな様もニコヨン層も均一に、有
業者も無
業者も同額を徴収するというのは、いかがなものでありましょう。この点、
社会党案は、均等割五、収入割三、資産割二の比率で、力のある人ほど多く出してもらい、
所得能力の少い層ほど少額で済むという配慮をいたしております。(
拍手)また、
政府案が掛金期間四十年、据え置き五年というのに対し、わが党は三十五年だけかけるという、
国民にとって有利な開きがあります。しかも、六十才から受給資格を与えて、本制度完成の暁には月七千円以上を生涯支給しようというわが党案に比べて、
政府案は六十五才にならぬと支給されず、その支給額は最高月三千五百円という始末で、その上、十年以上保険料を納付した者でなければ減額年金が支給されません。低
所得者の多い実態にかんがみ、せめて五年以上納付した者に支給するよう改めよとの声が多かったのでありますが、これさえも
政府はのんでおりません。全く保険主義である証拠であります。できるだけ保険料をとって、なるべく年金を支給したくないという
方針は、市井の
民間保険会社の経営
精神と似ております。社会保障は営利
事業でないということを銘記してもらわなければなりません。(
拍手)
第三に触れておかなければならないのは、開始年令であります。狭い四つの島に九千万の人々が激しい生存競争をしております
日本人の苦しい実態は世界でもまれであり、なまのからだにむち打って、働けるだけ働くという悪条件のもとでは、早く老衰することは免れません。幸いなるかな、平均寿命は戦前に比べて延び、男子七十四才、女子七十七才に達し、総人口に対する老人比率も年々増加して、やがて一〇%の日も近からんとしております。オートメーション化による労働人口の過剰と生産年令人口の減少等によって、六十才にもなれば
所得がないという老人が激増いたします。一生を働き抜いた親への孝行は、常識として六十才くらいとしたいもので、わが党が開始年令を六十才にしたのも、また当然であります。支給開始六十五才という
政府案を見たとき、持てる者も持たざる者も一律に百円、百五十円の保険料を強制され、六十五才になって生きているやら死んでいるやらわからぬのにと考え出したら、果して
国民が保険料をまじめに納めて協力をしようという気持が起るでしょうか。(
拍手)しかも、対象者の三分の一が保険料を納めることができない人だと
政府は見ておりますが、保険主義の
政府案が、生活保障のあたたかい手をこの人たちに果して差の伸べることができるかどうか。この点、わが党案は、収入の少い人には
政府案の百円よりもずいぶんと安くなる
見込みで、百六十六円平均の年金税を積み立てにとりますが、さらに、納入困難あるいは不能の人については減額または減免をすることとし、しかも、何回減免を受けた人でも、年金を支給されるべきときには、無条件で、他の人と同じ年金を支給するという、社会保障に徹した考え方に立っていることを、重ねてつけ加えておかねばなりません。(
拍手)
政府案が、保険料納付を怠った者には援護年金をも支給しないことにしているのは、見のがしがたい点だと、
審議会も強く批判いたしております。納めたくても納められないという、やむにやまれぬ人々を、
一体どうしようというのか。
第四点は、年金額についてであります。老齢年金を見ますと、わが党案では、四十年先の完成時には年八万四千円、
政府案は四万二千円で、わが党の半額でございます。明治以後のわが国
経済成長率平均四%と同率をもって今後の
日本経済が拡大するという見方は、世耕企画庁長官も本議場でこれを認めており、ごく控え目なものでありますが、これによっても、三十五年後には四倍となります。すなわち、五兆六千億と見て、実際には四割ぐらいが減税に回ったといたしましても、なお三兆三千億以上の財政規模になるわけで、そのうち、わが党の四十年先四千二百億円程度という年金への国庫支出は、全
国民を対象としたものである以上、さして驚くことはなく、
国民は双手をあげてこれに協力することを、かたく信じて疑いません。(
拍手)月七千円という年金額も、わが党案は、これに見合って算出した妥当なもので、
政府案の月三千五百円は、なるべく出したくないという
精神から生まれた、怪しげなものでございます。しかも、長期
経済計画の一環として社会保障費を組み入れて計算しておらないと
政府自身が答弁しておるごとく、
国民皆保険への道と相待って、心細い限りでございます。保険料四十年納入者三千五百円、二十五年納入者二千円、十年以上千円、十年未満は年金なし、三年未満はかけ捨てとなる
政府案の詳細を検討いたしますとき、月々の保険料に困らぬ裕福な層が年金を完全にもらい、反面、保険料さえも払えぬ人々が、諸制限のために、かけ捨てや年金をもらえぬ立場に立たされて、貧困層が高いところに土持ちをするという結果になりますが、社会保障の理念に照らし合せて、これはどうなるのでしょうか。矛盾もはなはだしいといわなければなりません。(
拍手)
第五の欠点は、物価変動によるスライドの問題であります。生計費または生活水準の変動等に応じて年金額を改訂し、インフレ等にも善処して実質価値を維持する保険は、ILOの社会保障の最低基準にも規定しているのでありまして、当然なされなければならぬにもかかわらず、これに対する明確な規定がございません。この保障のないものでは、制度への
信頼を深めて、
国民が協力するという魅力がないのでございます。わが党案は、その時の
経済情勢につれて年金の実質価値を明確に保障しておりまして、公述人も、この点を高く評価いたしました。大蔵大臣は、国がこれに対処する考えだとは答えましたが、ばく然とした、体裁のよい答えをしたにとどまるという心配もございます。
次に、大きな第六の問題点は、現行公的年金制度の対象者である労働者並びにその家族を無視したことであります。二十才以上の全
国民を対象にすると大きく言いながら、労働者の年金は全く考えられておりません。現行公的年金制度の適用者及び受給者は本法の適用除外とし、また、その配偶者及び学生につきましては任意加入という方法をとって、しかも、将来これをどうするかという案は持たないまま、とにかく、これを出しておるのでございます。保険料徴収を始める
昭和三十六年四月一日までには何とかすると言っておりまするけれ
ども、それは口先だけで、実際にはやれないのだという懸念と危惧を持たざるを得ません。現行公的年金制度の厚生年金法、船員保険法、恩給法等々、十数種にわたるものを個々に検討してみますと、その適用者並びに家族をも含めて、その数は優に二千二百万人をこえましょう。これらは、おのおの成立当時の歴史的
事情もあって、技術的、事務的には
国民年金との通算がむずかしいと同時に、まちまちで、このまま整理、通算、統合に持ってくることは、幾多の不公平や取り残される人々を生む結果となり、うっかり手が出せぬとあきらめたものでしょうが、
国民皆年金を目ざして、忠実な通算調整をまっ先にやらなければならないのが、
政府与党の任務ではないでしょうか。全部の現行公的年金制度を相互間に調整し、
国民年金とのかね合いの上に立って、引き上ぐべきは上げ、漏れたるは拾い、不備なものは完全に調整して、ひとしからざるを憂うる
国民がないというところに持っていくのが、社会保障制度であります。労働者の配偶者及び学生についての任意加入は、女性の立場から申せば男女同権の憲法の
精神に反する扱いで、家が苦しいからやめておけと主人に命令された妻は、この制度の恩恵に浴せません。つまり、かなり余裕のある労働者の妻だけに限られます。また、ここで両親を失った孤児の問題にも触れておかなければならないと思います。準母子世帯といわれる、祖父母や兄、姉が生活の柱となって孤児を連れておる場合は、母子世帯よりもなお不幸といわなければなりませんが、本法は、その孤児たちを置き去りにしております。極力この点を
政府に修正するよう反省を求めましたが、お説ごもっともながらとばかりで、法文の修正に応じません。
かくのごとく、労働者や弱い人々を無視した
政府案に比べ、わが党案は、一般
国民年金と労働者年金の二つに分け、おのおの養老、障害、遺族の給付をいたしております。すなわち、一般
国民年金では、農漁民、商工
業者、医師、弁護士等、すべての自営
業者と、労働者の家庭も含めた全家庭の主婦等、すべての無職者に適用されるものであり、言いかえれば、労働者本人以外の全
国民をこの中に入れております。一方、労働者年金については、あらゆる職種の労働者本人に適用されるもので、五人未満の
事業所の労働者、日雇い、山林労働者にも適用されます。老齢年金は六十才から支給されるのが原則でありますが、炭鉱労働者、機関車労働者、船員などは五十五才といたしておりまして、現行厚生年金に準じております。しかも、老齢年金額は一般
国民年金と同様とした上に、標準報酬額に比例した金額が付加されます。その金額は、賃金水準で平均六万三千円くらいになる計算で、合計平均十四万七千円になります。
さらに、この労働者年金の特徴は、異なる
事業所間はもちろんのこと、農村、漁業、商工業、家庭等、一般
国民との間にも完全通算をすることでありまして、基本給の八万四千円は、何回職業がかわっても完全に確保され、平均六万三千円の標準報酬比例部分は労働者であった期間だけ、たとい一年でも加算されます。しかも、国庫の負担率は、四十年後の完成時には五割見当となり、一般
国民年金と実質上同程度のものとなるよう、
国民皆年金の本旨に沿って、心あたたまる制度といたしております。
実施に当っての既存年金との
関係は、
国民年金法の施行及び
国民年金と他の年金等との調整に関する
法律案に規定しておりますが、既得権、期待権の尊重に十二分の考慮を払うとともに、完全な持ち分移管方式を採用して、途中で制度が変る人や、または転退職をする人々の
利益を完全に保護いたしております。制度の上では、厚生年金保険外数種は直ちに労働者年金へ統合、恩給法等数種は新規採用者より労働者年金を適用することになります。こうした具体策を持たないままで、二年の間に何とかするというだけでは、
国民が納得しますまい。次に、第七点として、母子年金に触れておかねばなりません。夫が死亡前に所定の保険料を納付している場合には年金を支給するのでなければなりませんのに、妻が保険料を五年以上納付していることを支給要件としているのは、何といっても、うなずけません。また、障害年金の支給要件については、きびしい
所得制限をつけた上に、第一級のみを対象とし、二級以下を捨てておりますが、わが党案は、内部疾患をも含めて三級まで取り上げ、障害の程度に応じて支給額に差をつけております。
所得能力のない人に生活保障をするというのなら、これでなければなりません。
次に、無拠出年金について触れてみましょう。
政府は、これを援護年金と呼び、わが党はこれを特別
国民年金といたしました。本制度発足に当って、すでに拠出期間と能力のない老齢母子、身体障害者のいずれかである人々は、今日まで
政治が貧困であるがゆえに捨てられてきたわけで、日の当らぬ谷間に、
国民年金
実施の一日も早からんことをこいねがってきた、最も必要度の高い層であります。よしや拠出能力はなくとも、本制度の対象者として、いの一番にその恩典に浴すべき日をこの方々が迎えられましたことは、まことに喜ばしき限りであります。本制度が待ちきれなくて死んでいった老人や、生活苦のため一家心中を余儀なくされた母子世帯の犠牲者、さては、身体の障害を克服しつつ、
政治への恨みを持ちながら、自活の道以外になかった身体障害者のお気の毒な姿を思いますとき、まことに感無量のものがあり、働き抜いた老人が、楢山節考たらずとも、きびしい世相の片すみに、あきらめに似た生活を送り、また、自分一人なら何とかできるだろうにという母が、子あるがゆえに働くことも死ぬことさえもできなかった敗戦後の未亡人世帯のみじめな社会悲劇を、後の世の人たちにまた繰り返してもらいたくないとこいねがうのは、私だけでありましょうか。その意味で、さしずめ、老人、母子、障害の三者が同時に無拠出によって生活の保障を受けられるということは、まことに仕合せなことであります。
しかし、
政府案を見てみますと、老齢年金において七十才以上と限り、月一千円の涙金でございます。長生きをして息さえしていればよいというのではありませんから、
所得保障の役を果すものでなければなりません。援護年金という、いかがわしい言葉が出てくるのも、寺参り銭か、または、孫にあめ玉程度のものをやっておけばよいという
精神から生まれます。農山漁村の奥深く、重労働の生涯を送らざるを得ない人々は、とても七十才まで生きることは困難で、むしろ裕福な層が生き残ります。ほんとうに老後をねぎらってあげたい苦労をした年寄りは死んでしまって、この世におらないということになって、当を得ません。(
拍手)わが党の六十才支給開始、六十五才からは倍額という案はここから出たもので、
所得制限を加えたとはいえ、適当な案といわなければなりません。母子、身体障害者世帯に、今日、支給を必要とする人々の数と度合いが非常に多いのを重視して、財政上とのかね合いもあり、老人の分に残念ながら
所得制限をつけることによって、育ち盛りの子供を連れた母子世帯や身体障害者の世帯にお年寄りの分を回したという形になっておりますが、
国民は、おそらく、これを了としましょう。次に、母子年金に至っては、言語道断といわねばなりません。十三万円以下の
所得制限と、十六才未満の子を持つ母親に老齢者並みの月千円の生活保障としたのは、どうしてもうなずけません。わが党案の、
所得制限十八万円に、子女の年令を二十才、支給額は月三千円程度のものである上に、遺児加算が六百円であることを見まするときに、
政府案の遺児加算二百円とはひど過ぎます。せめて二千円でもいただけたらという、遠慮がちな全国未亡人世帯の声さえも、
政府の耳には通じません。金の要ることなら、びた一文でも法文の修正には応じられぬといったところが、
政府与党の偽わらざるところだと拝見いたしました。十六才で中学を出た子供が、
一体、幾らかせげるというのか。子供を二十五才にしたら、未亡人は生活に困らぬというのでしょうか。家族制度から個人主義への現状に照らし、二十五才ともなれば、むしろ母一人残されるという今日の
実情では、疲れ切った母子世帯の未亡人の生活をこそ保障する必要がありましょう。(
拍手)この点も、
政府案は強く反省を要するところでございます。
さらに、障害者年金は、拠出制と同じく、二級、三級を置き去りにしたままであります。月千五百円の少額であって、わが党案の一級四千円、二級三千円、三級二千円とは格段の差があり、これを見ただけでも、この人たちに対する考え方の根本的な違いがわかります。(「時間だ」と呼び、その他発言する者あり)どうぞ、大事な法案でありますから、もうしばらくかんにんして下さい。(笑声)拠出も無拠出も……。