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山口シヅエ君 ただいま
提案されました、
比国ルバング島の
元日水兵の
生還を期する
決議案に対し、
日本社会党を代表いたしまして賛成の
意見を表明いたします。(
拍手)
現在、
東南アジア諸国に二千余名の未
帰還者があるといわれておりますが、このたびの、
フィリピン、
ルバング島において
住民のきこりを負傷させ、一
労働者を
射殺したのが元
日本兵であるという
報道には、驚きと同時に、やはり生存していたのだという喜びを感じたのは、その
肉親ばかりではないでありましょう。
フィリピン警察当局では、「生死にかかわらずつかまえる」と発表いたしました。これは
射殺してもよいということであります。このことは、
肉親はもとより、
国民全体に非常なショックを与えました。
住民に
危害が加えられるということで、この
措置に及ぶことは当然のことかもしれませんが、
家族たちにとっては、いても立ってもいられぬ
思いであったでしょう。老いた
母親たちを先頭に、「むすこを殺さないで下さい」、「
射殺だけは許して下さい」と、街頭に立って大衆に呼びかけ、嘆願したのであります。これによって起った、「
生還させよ」という
国民の
世論は、
マニラ駐在日本大使館を通じ、また、
クワドラ牧師の携えた
嘆願書によって、
ガルシア大統領に伝達されました。平和的に投降させる
措置を講ずるとの方針に、私
たちはほっと胸をなでおろす
思いであります。
私事に及んで、まことに恐縮でございますが、私も、ただ一人の弟を
フィリピンの小さな島で餓死させております。昨年
フィリピンをたずねました際に、弟の霊に引かれて、小さなその島、ネグロス島に渡りました。
米軍が
日本軍を追うために切り開いたといわれる、道とは名ばかりの山道を、ジープに乗せられ、
警察軍の
兵隊さんの
案内で、何回か谷間に落ちるかと思われるような危険を押して進みましたが、
ジャングルを間近かにして道がなくなり、引き返さざるを得なくなりました。ここは、全島に配置されていた
日本兵が、
最後に、全員、道のない山はだをトカゲのようにはってこもったという
ジャングルであります。その
日本兵の数は九千余名といわれ、食を断たれ、水を断たれて全員餓死し、その後、
人間は一歩もこの
ジャングルの中に足を踏み入れていないということであります。「ここからは道がない。引き返してくれ」という言葉に、山をはっても弟の霊の眠る
ジャングルまで行きたいと願う
思いで、その場にくぎづけのようになった私に、
案内の
兵隊は、足もとを流れる
灰褐色のよどんだ川を指さして、「この川の水は
ジャングルの中まで続いています。あなたの
思いをつづって、この川のほとりに埋めましょう。あなたの
思いは、川の流れにさからっても、弟さん初め九千余名の戦友に届くことでしょう。私
たちは
兵隊ですが、
戦争は二度と再びしてはいけないと強く考えております」と静かに申しました。餓死したと聞かされて十三年、もうすでに土と化しているであろう
肉身をたずねて島へ渡った私は、九千余名の遺族の
思いを込めて泣きました。
ましてや、
ジャングルの中で、
無難辛苦、生き続けている
わが子が、犬ころのように撃ち殺されるかもしれないという、この切迫した
思いは、
肉身にとっては断腸の
思いでありましょう。(
拍手)しかし、このときの
フィリピン国の
兵隊たちの気持を身をもって体験した私は、反
目的感情や、元
日本兵に対する憎しみから
射殺しろというのではないということが、ようくわかります。自国の民衆の生命を守るためにこの
措置に出ることは当然であるとは申しながら、何度か飛行機の上からビラや食糧や新聞がまかれ、また、五年前、兄弟までも
現地へ出かけて呼びかけているにもかかわらず、依然として二人が出てこないということは、決して
敗戦を信じないわけではなく、また、
戦争が継続されているとも思ってはいないでありましょう。
重要なことの
一つは、彼らは、かつての
日本軍隊によって
徹底した
軍人精神をたたき込まれた
人間であるということであります。とらえられることは死にまさる恥辱であると考えているかもしれません。特に、一人は、
ゲリラ隊の隊長として、特殊な教育を
徹底的に受けた
青年だったといわれております。
社会から隔絶されて、
密林生活十四年、その心理は、平和に復した
日本に
生活している私
たちにはとうてい判断できないでありましょう。 八年前、二人と別れて投降してきた、元
一等兵の赤津氏の
参考意見によると、野生の果実を食べ、馬や牛を命をかけて殺し、その肉をくん製にして塩分を補い、生きてきたという、
想像もつかぬ話でありました。十四年の
動物的生活は、彼らを肉体的に順応させ、その
精神状態も、
想像も及ばぬ変則的なものでありましょう。
現在三十七才と三十八才というからには、当時はまだ二十三才と四才でありました。人生の貴重な
青年時代を、
祖国にも帰れず、
社会からも孤立して、たたき込まれた当時の
精神を、ただかたくなに信じ、出てくれば重い罪を科せられるであろうと、シカのように追われて生きる二人の兵士に対する
責任は、果してどこにあるのでしょうか。(
拍手)みんな
日本の国の
責任であります。従って、二人の救い出しは
国家が保障すべきであるということは、言うまでもありません。
しかし、その救い出しは容易ならぬ困難が伴うものと
想像されます。私
たちに判断できないその
精神状態は、彼らには救いの女神も凶悪な悪魔とも見えるでありましょう。このような
わが子を愛の一念で救い出そうと、年老いた
母親たち二人が近く
現地に向われるということであります。
国家はこれに全幅の
協力を注ぎ、投降した際には、
政府は、国の
責任であることを
フィリピン側に理解させ、身柄を拘束されることのないように積極的に話し合うと同時に、
責任をもって
母親のふところに返すべきであると考えます。(
拍手)なお、現
住民に
危害を加えるかもしれない元
日本兵をこれ以上野放しの
状態にしておくことは、
日比親善のためにも早急に解決すべき問題であると考えます。
最後に、忘れてならないことは、
東南アジア諸
地域には、いまだ二千余名の未
帰還者があり、しかも、大部分が生死不明の
状態であります。これら
関係留守家族の御心情を思えば、たまたま、今回の
ルバング島については、生存しておると思われるために二名の
方々を救えという
国民の
世論が起ったのでありますが、これと同じような
状態で、
消息がわからないままに、あるいは
ジャングルの中に、あるいは絶海の孤島に生き残っている元
日本兵が決して絶無とは、だれも言い切れないということであります。従って、
政府も
国民もこの点に心をいたし、
人道上放置できないこの問題と、真剣に取り組んでいただきたいことを強く要望いたします。
また、
最後に、
フィリピン側の御好意に対し厚くお礼と感謝の意を表して、
日本社会党を代表して本
決議案に賛成いたす次第であります。(
拍手)