○岡良一君 私は、
日本社会党を代表いたしまして、ただいま
議題となりました
昭和三十三年度
一般会計予算補正(第2号)に
反対をし、その
理由を申し上げたいと存じます。(
拍手)
なるほど、この補正予算は、その規模において当初予算の一%程度のものであり、その内容も、支出においては、社会保障
関係なり、災害復旧あるいは義務教育費国庫
負担等、
法律によって規定された国家の義務支出であり、また、その財源としては、関税なり、砂糖消費税なり、また相続税、さらには専売納付金の増収確実なる部分を充てておりますので、一見きわめて事務的な補正予算でございます。そこで、先般の
委員会においても、
自民党の諸君は、
社会党がこれに
反対する
態度を目して
反対のための
反対であると申されますが、これはまことに認識不足と申さねばなりません。(
拍手)
諸君はお忘れではないでありましょうが、昨年の五月、総
選挙が済んでから、すでに二回も、われわれは、成規の手続を経て、特に、当面する
中小企業なり失業問題については大幅なる予算の補正を要求し、さらにはまた、
政策の一大転換を要求したことは、御記憶のことと存ずるのでございます。しかも、このような当時の
事情が、今日においても一向に改善されてはおりません。なるほど、なべ底景気も上向いた、この秋には増資ブームが来て、再び高原景気があるかもしれないなどという者もあるが、高原の下のすそ野では、依然として、気の毒な
中小企業は、苦しい金繰りなり、高金利なり、あるいは不渡り手形の不安におびえておる。あるいは、テレビが売れる、映画館がはやる、消費ブームだと申しております。しかし、たとえば、
日本の
労働者の賃金の
実態は、最近の統計を見ても、一万二千円以下の者が五〇%、八千円以下の者が三〇%という比率である、従いまして、当然、
政府は補正に組まなければ、――三十四年度の
一般会計予算にわれわれの意欲を満たすべきにもかかわらず、三回にもわたる補正においてこれを拒否し、三十四年度
予算案においては、さらにこの
国民の窮乏を強化しようとするような乱暴な
政策を見せておるのである。これが、われわれのこの補正
予算案に
反対をする根本の立場でございます。(
拍手)
そこで、たとえば、この
予算案そのものについて申し上げましても、なるほど、
生活保護法の医療扶助には十四億八千万円が計上されておる。これも、厚生省の当初の要求は三十億であった。これがわずかの半分にけ落されてしまっておるのであるから、これだけでも、義務的に支出すべき
生活保護法の費用について、
政府は義務を履行する誠意がないとも言える。しかも、このような大なたをふるっての予算額に締めつけられましては、地方における法の
運営において、あるいは適用の制限なり、あるいは診療の打ち切りが起らないという保証はないのである。しかも、このような
方針は、三十四年度の
生活保護法においても踏襲されておる。三・一%
生活扶助費はふやそうというが、これは
物価の値上りに相応しただけのものであって、
生活保護費は実質的に一文もふやされておらぬ。しかも、そのエンゲル係数は六四である。エンゲル係数が六四であるという
生計費はかよわい、気の毒な
生活困窮者を、最低の
文化生活どころか、犬小屋の
生活に縛りつけようという
政策にほかならない。しかも、
政府が発表しておる厚生白書によれば、
生活保護法の適用が受けたくても受けられない、いわゆるボーダー・ラインの極貧層が千二百万になんなんとしておるが、全く野放しで、何らの救済措置も講じようとしておらない。
あるいは、この補正予算には、失業保険に対する国庫
負担金が計上されておる。ところが、来年度になると、いよいよ保険財政が六百億も黒字になったからというので、国庫
負担は大幅に引き下げようともしておる。失業保険制度というものは、
わが国の労働
事情のもとにおいては、最も
中心となるべき雇用
政策の中核であるにもかかわらず、その意義をわきまえないどころか、一昨年は完全失
業者が三十五、六万、昨年は四十七、八万と飛躍的にふえておる。あるいは、昨年における就職率を見ても、五月の六・七が、十一月には四・八%と激減しておる。もし保険財政に余裕があったら、当然、適用の範囲を広めるなり、給付内容を改善して、期間の延長をはかることが、真に社会保障制度を愛する者の当然の措置である。(
拍手)もうけが出たから
政府の支出を切り下げようという、こういう、さもしい、社会保障を営利事業と取り違えたような
態度で、一体、何の福祉国家の
建設ができるか。(
拍手)
社会保障制度と、完全雇用
政策と、そうして合理的な最低賃金制度というものは、今さら申し上げるまでもなく、近代社会における
国民生活を守る二本の大きな柱である。ところが、歴代の
内閣は、みずからの資本主義
政策の上に常に貧困と失業を生み出しながら、この失業と貧困のために弥縫的な対策を講じて参ったが、今申しました一事について見ても、
岸内閣は、このみずからが生み出したところの貧困と失業に対して面をそらし、背を向けようといたしておる。われわれは、
政府がいかに福祉国家を唱えられ、社会保障の充実を唱えられても、
岸内閣には、もはや社会保障、福祉国家
建設の限界がきておることを見抜いておる。と言わんよりは、むしろ、
岸内閣の政治的生命そのものが限界に到達したものといわなければならないのである。(
拍手)
あるいは、この
予算案において、災害復旧の名のもとに、農漁村なりその他の補助金が計上されておるが、これも、現地の要求額を、大きく、六四%も査定で押えてしまっておる。しかも、今日の農村においては、自然の力による風水害よりも、
政策の間違いから起ったところの人災の方が、ずっと大きく農村を荒しておる。自分たちの作る農産物は安い。しかも、
政府は、再生産を保障する、納得のいく
価格政策というものは何らとってくれない。一方では、動力なり、農機具なり、あるいは農薬なり、化学肥料というものの独占
価格は一向に下らないという、作ったものと買うものの、はさみ状
価格差は、
昭和二十九年を境として、年年急激に増大してきておる。そういうわけであるから、はさみ撃ちに耐えかねて、特に中小零細農は自分の耕地を捨てて転落しておる事実を、最近の農林白書がはっきりと示しておるのである。敗戦によって自分が手にしたところの耕地を――農民の唯一の生産手段であり、また、最大の生産手段である農地を手放さねばならないという、これは、単なる一個の、農村の窮乏の物語ではない。
日本の農村には、今や深刻なる恐慌が起ろうとさえしておることを、私は懸念するものである。
この規模の小さい補正予算に関連いたしましても、このように、
国民生活は貧富の格差というものがますます拡大しておる。農村は、これまた恐慌の一歩手前という、みじめな状態を示しておる。
労働者の賃金の
実態は、先ほども申し述べましたが、さらに、最も重大な、当面する大
経営と小
経営における賃金の格差、一昨年はすでに五〇%というような数字を示しておるが、これを、いわゆる
業者間協定、地域別
業者間協定というような、こういう乱暴な最低賃金法によって、人種的な差別にもひとしいような、中小
労働者の低賃金を
合理化しようとするがごときは、われわれは、
日本のあらゆる
労働者とともに、
政府と与党に向って断固戦いを宣したいと存ずるのである。
中小企業に見ても、その事例は一々枚挙にいとまがないのであるが、実に、
労働者といい、農民といい、そしてまた
中小企業家といい、今日、
日本には目に見えない貧困の波が大きく押し寄せておる。この
責任は何人にあるかといえば、言わずと知れた、
岸内閣がみずからの権力をもって
独占資本の
利益に奉仕しようとする、露骨なる収奪
政策の結果にほかならないのである。(
拍手)
今日、
日本の
経済を支配する、これらの大
経営と
政府が、いかなる形で結合しておるか。たとえば、その一例を見るならば、
昭和三十一年度に、
政府が
関係する金融機関において、資本金三億以上の大
経営、大事業に融資せるもの、
開発銀行において八九%、問題となった輸出入銀行において八八%、長期信用銀行において七〇%、興業銀行の六五%、このようにして、
国民の血税、零細な
労働者の保険の積立金、つつましい
国民の郵便貯金が、惜しげもなく大
企業、大
経営につぎ込まれておる。このようにして、
政府みずからが
独占資本の強化と
利益のために奔命をいたす、ここに必然的に疑獄と汚職の種がまかれてくるのである。政治は、そのために、いよいよ腐敗堕落する。従って、いかに岸総理とその御一党が釈明を繰り返されましても、この因果の鉄則は、諸君をますます
疑惑とそうして不信の座に据えつけるであろうことを、私は申し上げたい。
わが党は、国を守るよりも
国民の
生活を守れという立場において、防衛
関係費の大幅削減を主張してきた。しかしながら、今日、核兵器の巨大なる発達によって、全面戦争が起れば勝利者はいない。戦術兵器としても、すでに五十キロトンの核兵器がむぞうさに用いられる今日、われわれは、このような、あさはかな外国の中古兵器にたよった
日本の防衛力は、もはやナンセンスであるということを申し上げなければならぬ。国を守るためには、まず
国民の
生活を守る。われわれは、この立場に立って、あくまでも
国民の
利益と繁栄を擁護する決意である。世界の国んにおいて支配と従属の存在する限り、世界の平和はこない。国の中に搾取する
階級と搾取される
階級がある限りいつまでも繁栄と福祉はこないのである。われわれが、この原則に立って、やがて来たるべき将来においては
国民の圧倒的な支持をかちとるであろうことを申し上げて、
反対の討論を終えるものであります。(
拍手)