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野口忠夫君 私、ただいま提案されている
文部大臣灘尾弘吉君
不信任案について、
日本社会党を代表して
賛成の意見を述べるものであります。(
拍手)
不信任案に
賛成する第一の
理由は、幾ら何と言ってもわかろうとしない執拗ながんこさにあります。(
拍手)このことは、あえてここで私だけが申し上げるのではなく、朝日新聞で、
文部大臣の頭は石のようにかたい頭であると酷評しております。(
拍手)大体、このことは、一般大衆、
国民の
勤務評定をめぐって考えている世論ではないかと思います。(
拍手)何ゆえに、かくも執拗にがんこであるのか。私は、
大臣の、このがんこさは、決して石頭的、性格的なものとは思われません。
大臣の中に内在する意図的
態度であると断言いたすものであります。(
拍手)
元来、
文部大臣の立場は、
国民を憲法の理想の実現の方向に作り上げるところにあるのでありますから、内閣においても
文部大臣は平和論者の先頭にあり、たとい、所属する内閣が仮想敵国を作り、生活の苦しさを
政治に求める
国民の声も
信頼できず、
暴力とか革命とか、事をかまえ、大国の
軍備にすがり、
権力を乱用し、そのためには
憲法改悪も辞さないと考えるようなものであっても、
文部大臣の立場、変りない平和を守る立場であり、憲法の理想を守る番人でなければならないはずであります。(
拍手)しかるに、
大臣の、このがんこな
態度の中には、残念ながら、この
文部大臣として持つべき重要な資質が欠け、常に自己主張に終始し、平和的に物事を解決する努力の影は見当らないのであります。この意図的がんこさは、何か、あなたの所属する内閣の
政治的方針の先頭に
教育をかり立てねばやまぬような強固なるものがあるのではないかと思うのであります。(
拍手)このような
態度では、平和憲法の理想に反し、
教育の中立が侵され、民主的発展も全く影をひそめる素因となることは当然であります。
勤務評定をめぐる
混乱を未然に防止しようとする真摯な第三者の仲介の労にもこたえることなく、法の執行を建前に、一方的主張に終始されたことなど、全く
文教行政の立場にある
文部大臣の立場としては理解することができない
態度ではないかと思います。(
拍手)話し合いに応じ、話し合いの中から理解することなくしては、平和的解決の手段は失われてしまうのであります。このあとにくる力の解決のおそろしさを
行政の立場において未然に防止する
責任を回避した、全く許しがたい行為であると思うのであります。(
拍手)たとい絶対
反対の主張の前に向っても、あなたは、あなたの立場の主張を忍耐深く続け、理解させる中で解決の方向を見出すことを失ってはならなかったはずであります。なぜか、それがなし得なかったところに、あなたがすでに
文部大臣として公平な立場を失い、
教育を
政治の先頭にかり立てる
支配者であったことが明らかなのであります。そして、あなたの
態度は、全く自後に生じた
混乱の解決の方向に対する努力を放棄したというべきであります。本
会議においての答弁においても、
日教組の話し合いの申し入れについては、会いたいと思うとき会うが、会う必要のないときには会わないなどと言っておられましたが、
日教組は、
全国五十万
教師の現場
教師を
組合員とする唯一の
団体であります。あなたが、文部省の中で、
教育委員会と校長を相手にして、どんなよいことを考えても、あなたの
言葉に従うまじめな現場
教師の協力なくしては、
教育の効果は上らないのであります。(
拍手)この働く者の直接的実績を無視する
文部大臣の
態度は、全く
信頼できる何ものもありません。よし、それが連合体であろうとも、法に認められた公務員の
団体に対して、自分の都合だけで会えないなどと広言する
行政機関の
責任者など、全く近代的労使
関係を無視した欠格者と断ぜざるを得ないのであります。(
拍手)
不信任案に
賛成する第二の
理由は、最近とみにその傾向を強めている一連の反動
文教政策それ自体にあります。すなわち、
日本国憲法及び
教育基本法の
精神に反し、
権力支配による非民主的
行政強行の中で
教育の民主化を曲げ、再び
教育独占の野望を実現せんとする点であります。
申すまでもなく、
教育は憲法の理想の実現の力であります。平和と文化への
国民の期待に沿い、その希望の実現に全力を傾注せねばなりません。焼け野原と化した国土の上を、のら犬のごとくさまよった浮浪児の群、それはすなわち、戦前の
文部大臣が
全国の
教師に命じ、強制して描き出した姿であります。学校と
社会の
教育の全野を通じて作り上げた悲惨な姿であったのであります。
支配された
教育のもたらした罪悪の深さを忘れてはならないはずであります。(
拍手)
教育基本法第十条に示す、不当な
教育の
支配の排除と、その自覚の上に立つ
教育行政官の任務の規定とは、全く
教育のこのあやまちを再び犯すまいとする
国民総意の表現であるのであります。しかるに、近ごろの
文教政策の一連の流れは、全くこの
精神を没却し、世論の不安をかもし出しているのであります。すなわち、
文教行政の底に一貫して流れております
中央集権化の政策であります。
大臣は、口を開けば憲法尊重、平和愛好と答弁はしておりまするが、
大臣の命ぜられ、実施されている政策は、この
言葉に全く相反し、まさに
言葉の民主的装いにすぎないのであります。(
拍手)
あなたは、
教育内容に対する重要な点で、
国家的、画一的
指導と統制を加えようとして、一番上に文部省、県教委、地教委、校長、
教職員のピラミッド型
支配の骨組みを作ることに、やっきとなっていたではありませんか。
地方教育委員会の自主性尊重などと口には言っても、文部省の越権的行為の逃げ口上にすぎず、実は、全く文部省の権限干渉の中での
地方教育委員会は日陰者にすぎないのであります。今次、
勤務評定の
地方における話し合いの中でも、時期を延ばしてくれとの要求にさえも応ずるゆとりもないほど、
地方教育委員会の自主的裁量の余地は認められておらない現状であり、文部省の権限は、任命制の中で完全に地教委を掌握し、その権限の中で法を犯しているのであります。さらに、
行政機関の権限を越え、
教育活動の実践の中に
支配の手を伸ばし、その中心となる学校長の権限を管理職ときめつけ、手当を与えることによって権限を強化しようとしているのであります。十五年の民主的努力の中で、ようやく現場に生まれてきた学校職場の民主的愛情と
信頼の明るい
人間関係は、再び冷たい
権力従属
関係に置きかえられようとしているのであります。(
拍手)
文部省の意図する方向は、
教師の
人間関係を明るい協力の方向に導いて
民主教育を発展させる方向ではなく、学校長と
教師の間に大きな深い
権力の冷たいみぞを掘る分裂の方向にあるのであります。
権力支配の野望のためとあれば、
教育の効果も犠牲にして顧みず、乏しい予算の中で、少しでも条件整備に必要な
国民の税金もどんどん使ってはばからず、文部省の
態度は、全くその権限強化のために一切を犠牲にしているといっても過言ではないのであります。
教師を分裂させ、思うがままの
教育を強行しようとする違憲、違法の
行政機関の権限干渉をあえて行う
文部大臣の
教育に対する
態度は、全く
国民の
信頼できないものであります。
このような
権力支配の制度の確立の上に、
教育内容の画一
指導と統制は、十五年の
民主教育確立のために苦労をしてきた現場
教師の努力をよそに、あらしと吹きまくっているのであります。
人間形成の真剣な営みを、学校の全生活の中で子供自身に見つけ出させ、再びくずれることのない
教育の完成に十五年の努力を続けてきた
教師のこの努力もむなしく、上から押しつけてくる
修身科的
道徳科の時間設定の強行の中で、全く文字
通りの
混乱をもたらしているのであります。この
混乱は、
道徳教育を中心に、
民主教育の基本的考え方を根底からゆり動かすものであり、まことに遺憾にたえない文部省の一方的、越権的行為と断ぜざるを得ないのであります。(
拍手)
従属
精神の強調を事とする
修身科教授を土台に、自主的創造の芽はつまれ、
国家的
精神の中に追い込まれていく子供たち、
教育内容に対する
国家権力の
支配的傾向は全く言語道断、これを許容する何らの弁解の余地もないと思うのであります。(
拍手)全く現行憲法の逸脱であり、不当な
教育支配を画する、おそるべき
文教政策として、その執行の
責任者である
文部大臣の
責任を問わねばならないのであります。(
拍手)
勤務評定をめぐり、全
教師とともに子供のことを真に考える
文部大臣を願いながら、この戦いを続けてきた
全国五十万の
教師が、
日教組の
幹部の指令一つによって動くほど、
教師はばかではないと思う次第であります。何が
教師をこうさせたかは、
文部大臣が長い間の交渉を打ち切ってしまって、みずからの交渉を続けることのできなかった
文部大臣の不自由な姿の中に、私は、
勤務評定の
混乱の最大の
原因があろうと思うのであります。(
拍手)
文部大臣が自由に
日本の
教育を考えるとき
勤務評定の問題は起らず、
日本の
教育はさらにさらに前進したであろうことを思うときに、この不自由な
文部大臣に対して
国民の名において
退陣を要求するこの
不信任案に対し、
賛成の演説とするわけであります。(
拍手)