○大貫
委員 私は、本
法案に対しまして、
附帯決議の
精神を織り込めて、
賛成の意を表すものであります。
ただ、討論に先立ちまして、先日も三田村
委員から、
裁判官よりの本
委員会に対する要請書提出に関しまして非常に非難的な
質問がありましたことに対しまして、私
どもの
見解をまず当初に明らかにいたしておくつもりであります。
このような
裁判官の要請ということは、私はむしろ正当かつ適法のものであると思うのでございます。何ら非難すべきものではない、こういうことであります。すなわち
裁判官としては、個人としてその
処遇に関して要望をなし得ることは、これは
憲法第二十五条なりあるいは第二十八条等によって、基本的人権として当然保障されておるところであります。この基本的人権は、
裁判官といえ
ども、
国民として何ら例外をなすものではありません。また
制度上から見ましても、
法案の提案権を持たない
裁判所が、その提案権を持つ法務省が
裁判所の要望
通りの提案がなされないという場合には、唯一の頼みとする国会に対して、特にその所管の
法務委員会に要望するということは、これは当然のことでなければならぬのであります。従って、これらの要望というものが何ら非難さるべきものではなく、
裁判官が個人としてまた公務員として当然な権利である、こう私は思うのであります。
そこで、本案に
賛成することは、私はこの
附帯決議によりまして、要するに三者
協定なるものが無効になった、こういう
趣旨において、つまり
裁判官に
特号を設けたということが、
裁判官の
憲法上の優位性を認めて、
検察官との格差を設けたものと認めた上において
賛成の意を表するものであります。本案が非常に問題を投げましたことは、
裁判所、法務省、大蔵省の三者
秘密協定なるものが暴露され、過去十年余にわたって確立されてきました新
憲法下における
司法権の完全独立と
裁判官の優位性をくつがえして、旧時代に逆行し、民主主義の基礎をゆるがすほどきわめて重大な
内容を持つからであります。
法務大臣の答弁によれば、あたかも
裁判官の優位性を認めるがような発言があったのであります。きょうもそういう発言がなされております。本案を提案する法務省の意思としては、最初は全くそのような
精神がなかったということは、すでに
秘密協定なるものが明らかになって明白であります。すなわち、
裁判官には
検察官にない
特号を設けたというのでありまするけれ
ども、
最高裁判所、法務省、大蔵省間に取りかわされた、本日明らかにされたいわゆる三者
協定によりますと、
裁判官の
特号は六十三才以上の者にのみ給するというのであります。ところが
検察官の定年は六十三才、
裁判官の定年は六十五才でありますから、
特号は六十三才以上というワクをはめられますれば、事実上
裁判官と
検察官には何らの格差もないことになることは明白であります。このような
法律の通過前に
法律を規制するが
ごとき
協定を結んだことは、私は問題であると思うのであります。大蔵省は別といたしまして、
裁判所、法務省とも、
法律の
運用については専門家であるはずであります。この専門家であるものが、事前に
立法府を拘束するが
ごときこのような
協定をなすということは、むしろ私は言語道断だと思う。
憲法第八十条の
趣旨からいいましても、このような
憲法上
報酬を定めるとなっているこの
裁判官の
報酬に対して、一片の
協定をもって
法律を制限するというが
ごときは、これは
憲法違反にもなると思うのであります。この
秘密協定の
ごときは、本
法案を何ら拘束するものでないという
解釈の上に、すなわち
附帯決議の中にありまする「
財政の許す
範囲に於て、これを規制することなく」というこの
意味は、このような
秘密協定というものが本
法案を何ら拘束するものでないということを明白にしておる、こういう理解の上において本
法案に
賛成をするものであります。
以下
裁判官の
憲法上の優位性をいささか明確にいたしてみたいと思うのであります。私は何も
検察官の俸給を低くせよなどと言っておるのではありません。むしろ
検察官の職務の重大性から見まして、
一般公務員と同等以上の
処遇をせよということには全然同感であります。しかし、
裁判官に関しては、特に
憲法上の
地位の優位性を認めるがゆえに、
検察官やその他一般職に比べて一段とその
報酬の点においても高くしなければならぬというのであります。この
裁判官の
憲法上の
地位の優位性については、いろいろ反対説もあるようであります。しかし、新
憲法下における司法
制度は、
裁判官の優位性まで認むるのでなければ、とうていこの
憲法の
精神を理解することはできないのであります。新
憲法においては、
司法権が非常に強化され、民主主義下における三権分立の基礎を明確にしております。すなわち、旧
憲法下においては、三権分立を建前としながらも、なお
司法権は行政権に制約されるものが多かったのであります。ところが、新
憲法では、
司法権の独立を柱として、その権限が拡大され、みじんも行政権による規制を受くることなく、
裁判制度を確立することによって民主主義の基盤を固めたのであります。第一に、違法な行政作用に対しても、司法的救済が与えられることになったのであります。旧
憲法下においては、違法な行政作用に対しては、行政
裁判所に出訴しなければならなかったのであります。従って、このような
制度のもとにおいては、
行政官庁みずからの行為をみずから
裁判するのでありますから、
行政官庁の自制と反省の作用をなすだけのことであって、その
裁判の結果というのは、多くは人民の請求相立たずという結論が出ておったのが当時の実情でありました。新
憲法では、行政
裁判所を廃止し、違法な行政処分によって権利の侵害を受けた者もひとしく司法
裁判所に出訴し、その違法処分の取消しを求むることができるようになったのであります。このことは、公務員の不法行為によって損害を受けた者が、国または公共団体に対し損害賠償の請求をなし得ることに相なったことと相待って、違法なる行政作用に対してすべて
司法権による救済ができるようになったのであります。しかも
憲法第七十六条第二項では、行政機関は終審として
裁判を行うことができない旨を定めて、いかなる行政作用といえ
ども、
司法権の監視から免るることができなことを明確にしておるのであります。
第二に、
最高裁判所に違
憲法令の審査権を与えたことであります。
憲法第八十一条には「
最高裁判所は、一切の
法律、命令、規則又は処分が
憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審
裁判所である。」こう定めております。この条項の
解釈についてはいろいろな問題を残しておりまするけれ
ども、とにかく
憲法第九十八条によって、
憲法に違反する法令が無効であるということを現実に終局的に
解釈決定する権限は、他の国家機関には全くないのであります。
最高裁判所のみに与えられた権限であることが明白であります。
第三に、
憲法第七十七条は、
最高裁判所に規則制定権を認めたことであります。旧
憲法当時におきましては、司法行政事務は、行政
長官である司法大臣の管掌するところでありましたけれ
ども、右
憲法第七十七条において、
最高裁判所は訴証に関する手続はもちろん、
弁護士、
裁判所の内部規律及び司法事務処理に関して規則を定むる権限を付与されたのであります。つまり
司法権の
運用に関しては、内部の行政事務に至るまで一切行政権の介入を受くることなく、
最高裁判所が自律的に定むることができるようになったのであります。
以上のような
憲法上の諸条項というのは、
司法権の完全なる独立を明確にしておるのでありますが、この
憲法の
精神というのは、当然に
司法権を
運用する
裁判官の
地位の保障と優位性を認めたものと
解釈されるのが当然であります。従来、
裁判官は、
検察官とともに、司法官と呼ばれてきたのであります。しかし、
検察官は、
検事総長以下一体として
法務大臣の指揮監督を受け、
政府を代表して犯罪に対して訴追を行う国家機関であって、一般職と異なる特殊な職務は持っておりまするが、本質的には
行政官であることに一点の疑いもありません。これに引きかえ、
裁判官は、
憲法第七十六条に明確にされておるように、その職務を行うについては、
憲法及び
法律に拘束さるるほかは何人の指揮監督も受くることなく、完全な独立を保障されておるのであります。すなわち、
裁判官のみが
司法権を行う司法官なのであります。この不覊独立の職務を行う
裁判官に対して、その
地位の保障と他の
行政官に対する優位性を認むるものでなければ、
憲法の認むる
司法権の独立も画龍点睛を欠くことになるのであります。すなわち、
裁判官が安んじてその職に奉じ、何者の圧迫にも抗して、自己の信念と良心に従ってのみ
裁判をなし得る態勢が確立されなければならないのであって、それが新
憲法を貫く
裁判官の優位性の
原則であると信ずるのであります。このことは、具体的には、
憲法第七十六条第三項の職務を行うに当っての独立の保障であり、第七十八条の身分保障の問題であり、これと表裏の
関係をなす第七十九条第六項及び第八十条第二項の
報酬の問題であると思うのであります。多数の学説は、
憲法第七十九条、第八十条の
規定は、
裁判官に対するその
地位に
相当する生活をなし得る
報酬を保障するとの
規定であって、特に他の
一般公務員より多く支給せよとの
趣旨ではないと解しておるようでありますが、私はこのような
解釈は皮相の
解釈であると思うのであります。すなわち、この条項だけを抜き出して
解釈いたしますれば、一応通説のような
解釈も出るのでありますけれ
ども、前述のように民主主義下における
司法権の完全独立と
裁判官の
地位保障などの
憲法の底を流るる
精神を総合して、各法条との関連において
解釈すれば、
一般公務員との格差を設けるべきであると解するのが至当であると思うのであります。
第一に、職務の
内容からしても、
裁判官と
検察官とはその重要度において格段の差があるのであります。たとえば、最近おびただしく誤
判事件が伝えられております。かりにここに殺人の容疑者があって、
検察官はこれを殺人罪として訴追し、
裁判官はこれを有罪として認定し判決したとして、これがもし後日無実であったことが判明した場合を
考えてみれば、
裁判官、
検察官の職務の重要度が、おのずから明白になるのであります。すなわち、
検察官がかりに誤まって訴追しましても、
裁判官の
良識があれば、その誤まりを正すことができるのであります。しかし、一たび
裁判官が誤まって判断をした場合、その
裁判が確定すれば、その被告人に及ぼす被害は、
検察官の誤まりなどとは比較にならぬほど重大であります。そのような場合、もちろん再審の道もありましょう。しかし、それによってこうむるその人の損害は、想像に絶するものがあります。たとえば、栃木県の美田村というところで四十五年間もひたむきに無実を叫び続ける吉田石松という老人がありますが、もしこの老人の叫ぶ
通りに、ほんとうに無実であったとすれば、国はいかなる方法をもってしても、もはやこの老人に対して償う道が全然ないのであります。か
つて静岡県二俣町において強盗殺人の容疑を受けて八年間も投獄されておった須藤満雄という青年は、ようやく無実の罪であることが判明して無罪が確定しました。最近では、同じく静岡県のいわゆる幸浦事件においても、十年ぶりでようやく無実の罪が晴れ、十年の牢獄より釈放された三人の人があります。これらの人々が無実の罪で八年なり十年なり獄につながれた苦痛に対しては、刑事補償法は一日わずか二百円ないし三百円の
範囲内における金額の補償金を交付するにしかすぎないのであります。これらの不幸な人々の獄中において失われた青春は、再び帰ってくるものではないのであります。わずかばかりの金銭をもって補償できるものではありません。いわんや死刑の判決を受け執行されてしまったとするならば、全く回復することができないのでありまして、想像しても戦慄を感ずるものがあります。従って、
裁判官の職務の重大性は、
検察官と比較にならぬものがあります。もちろん、
検察官といえ
ども、職務上誤まってはならぬのであります。しかし、かりに誤まっても、救済ができるのであります。しかし、
裁判官の犯したあやまちは、救済不能なほど深刻であります。私は、職務の性質上、
検察官はむしろ
年令的に若くともよいと思うのであります。むしろ若い方が犯罪の捜査や検挙などに十分な能率を上げることができると思います。多少の行き過ぎがあっても、
裁判によって是正されるのであります。しかし、
裁判官は、みじんの行き過ぎもあやまちも許さるべきではありません。従って、
裁判官には
相当の
年令と豊富な学識経験と高潔な人格など、人間としての最高度に修練された人物を要求されるのであります。このような職務の
内容による重大性にかんがみて、
裁判官の任用資格について、すでに
検察官と異なる差等を設けたのであります。すなわち、同じく司法修習を終えても、
検事にはすぐ任官できるが、
判事には十年の
判事補なり、
検事なり
弁護士なりの職務を行なったものでなければ、任用されないのであります。この方式にも、私自身、
法律制度論としては若干の異見があるのであります。むしろ
裁判官は
弁護士または
検事を一定の期間在職した優秀な者より任用することにして、およそ
法曹界に身を奉ずる者の最終の理想は、
裁判官になるというくらいの優遇の道を講ずべきであると思うのであります。いずれにせよ、
裁判官の任務の
重要性から、任用資格を厳格にしておるのであります。
第二に、かように
裁判官の職務の
重要性の認識の上に立って、
憲法第七十六条の職務に対する独立の保障と、第七十八条の身分保障が定められたのであります。まず
裁判官の職務に対する独立を保障する直接の
規定の
ごときは、旧
憲法にはなかったのであります。ただ旧
憲法五十七条に「
司法権ハ天皇ノ名ニ於テ
法律ニ依リ
裁判所之ヲ行フ」とあり、この条項をもって
裁判官の職務の独立を定むるものと解したのであります。しかし、身分上の監督は司法大臣より受け、
制度上から行政権が優位になった当時においては、往々にして
裁判官の職務が行政権よりの圧迫を受けたことがあったのであります。民主主義政治のもとにおいては、このようなことがあってはならぬのであって、新
憲法は特に「すべて
裁判官は、その良心に従い独立してその職権を行い、この
憲法及び
法律にのみ拘束される。」と、
裁判官の職務の独立を明確にしております。
次に、身分保障に関するこの条項は、旧
憲法時代の身分保障とは、
内容的にも異なっているのであります。すなわち、旧
憲法第五十八条第(2)項には、「
裁判官ハ刑法ノ宣告又ハ懲戒ノ処分ニ由ルノ外其ノ職ヲ免セラルルコトナシ」と定め、第(3)項は、「懲戒ノ条規ハ
法律ヲ以テ之ヲ定ム」と
規定しているのであります。しかし、懲戒の
規定を
立法事項としただけであって、当時
裁判官は、
検事と同様、行政
長官である司法大臣より身分上の指揮監督を受けておったのであり、懲戒も、結局は司法大臣の管理下にあったのであります。
司法権の完全独立を建前とする新
憲法では、この不合理が是正されて、第七十八条において、「
裁判官の懲戒処分は、行政機関がこれを行うことはできない。」との
原則を樹立したのであります。そればかりでなく、任用に関しても、第八十条において、「
最高裁判所の指名した者の名簿によって、内閣でこれを任命する」こととして、
政府は
最高裁判所の指名に対し拒否することはできても、天下り人事はできないことを定めたのであります。
第三に、
裁判官には、
最高裁判所判事には
国民審査、
下級裁判所判事には十年の任期制を定めたのであります。これもまた、
裁判官の職務が重要なるがゆえに、他の一般職にその例を見ない
制度を設けたのであります。すなわち、これによって
裁判官は
国民の信任の基礎の上に、または十年間の任期間安んじてその職務を行い得る保障がなされたのであります。
以上の
ごとく、
裁判官の職務は重大なるがゆえに、身分上、職務上の保障が確保されているのであって、他の一般職に見られない
憲法上の優位性が見られるのであります。この
憲法上の優位性は、当然
報酬にも適用されねばならぬのであります。かくの
ごとき
憲法の
精神の把握と
解釈の上に、第二回国会以来、
裁判官と
検察官との
報酬の格差が設けられたものと見るべきであります。もちろん、沿革的には、当時
最高裁判所長官の要請と、マッカーサー司令官の書簡等が直接の動機になったのは事実でありましょう。しかし、民主主義下、新
憲法の司法
制度として、
司法権の独立と
裁判官の優位性という
根本的理念を承認することによって、
裁判官と
検察官との
報酬の格差を設けることが正当化されたものと信じます。従って、私は、
裁判官と
検察官との
報酬の格差を設けることがあくまで
憲法の正当なる
解釈と信じ、本
法案は、不十分ながら、この
精神に基いて、
裁判官に
特号という格差を設けたものとの観点に立って、賛意を表する次第であります。(拍手)