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1959-04-01 第31回国会 衆議院 文教委員会 第19号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十四年四月一日(水曜日)     午前十時三十七分開議  出席委員    委員長 臼井 莊一君    理事 稻葉  修君 理事 加藤 精三君    理事 木村 武雄君 理事 鈴木 正吾君    理事 永山 忠則君 理事 小牧 次生君    理事 櫻井 奎夫君 理事 西村 力弥君       天野 光晴君    鴨田 宗一君       木倉和一郎君    清瀬 一郎君       久野 忠治君    高石幸三郎君       高橋 英吉君    竹下  登君       谷川 和穗君    渡海元三郎君       中村 寅太君    灘尾 弘吉君       長谷川 峻君    松永  東君       山本 勝市君    石村 英雄君       小松  幹君    野口 忠夫君       長谷川 保君    堀  昌雄君       三鍋 義三君    門司  亮君       山崎 始男君    山中 吾郎君  出席国務大臣         文 部 大 臣 橋本 龍伍君  出席政府委員         法制局参事官         (第一部長)  亀岡 康夫君         総理府事務官         (自治庁財政局         長)      奧野 誠亮君         文部政務次官  高見 三郎君         文部事務官         (大臣官房総務         参事官)    齋藤  正君         文部事務官         (初等中等教育         局長)     内藤譽三郎君         文部事務官         (社会教育局         長)      福田  繁君  委員外出席者         専  門  員 石井つとむ君     ————————————— 四月一日  委員原田憲君、木村守江君、高石幸三郎君、清  瀬一郎君及び小松幹辞任につき、その補欠と  して長谷川峻君、鴨田宗一君、木倉和一郎君、  久野忠治君及び石村英雄君が議長指名委員  に選任された。 同日  委員鴨田宗一君、木倉和一郎君、久野忠治君及  び門司亮辞任につき、その補欠として木村守  江君、高石幸二郎君、清瀬一郎君及び小松幹君  が議長指名委員に選任された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  社会教育法等の一部を改正する法律案内閣提  出第二八号)(参議院送付)      ————◇—————
  2. 臼井莊一

    臼井委員長 これより会議を開きます。  社会教育法等の一部を改正する法律案を議題とし審査を進めます。質疑を許します。永山忠則君。
  3. 永山忠則

    永山委員 社会教育主事を必置制にしてあるのでございますが、これに対する予算的措置は、すでに前の質問によって一応三億円ばかり地方交付税の対象にいたしておるというように承わっておるのでございます。これを全国の市町村設置するという目的のように伺っておるのでありますが、その計画につきまして、何年度どこにどういうように置いて、その予算的措置はどうやっていくかということの考え方をもう少し明瞭にお示しを願いますと同時に、それに対しては大蔵省並びに自治庁との間に十分な話し合いができておるかどうかという点をお示し願いたいと存じます。
  4. 橋本龍伍

    橋本国務大臣 市町村の大きさによりまして三段ほどに分けておるのでありますが、その詳細については政府委員から答弁いたします。
  5. 福田繁

    福田政府委員 この社会教育主事設置計画でありますが、法律案の附則でもって、市にありましては昭和三十七年三月三十一日までの間、町村にありましては政令で定めるところにより、政令で定める間というように一応猶予期間を置いておるのであります。従って私どもとしては、財政計画あるいは地方実情に合うように今後逐年にいたして参りたいと考えております。従って市にありまして昭和三十七年三月三十一日までの間というようになっておりますけれども、全体の計画といたしましては、できる限り私どもはすみやかな設置を希望いたしておるわけであります。従ってそれには財源措置が必要になって参りますが、一応今後市町村に一人ずつ新しく主事設置するといたしますれば、約三千七百五十七人くらいの主事が必要になって参ります。ところで現在設置されている市町村も若干ありますので、そういった現在設置されております数を一応約四百二人と計算いたしますと、差引三千三百五十五人くらいの新設の人員が必要になって参ります。従ってこれを年次別に一応考えますと、大体先ほど大臣が申し上げましたように、やはり人口段階別にこれを考えていく方が適当ではないか、こういうように考えますので、一応人口三万以上と、二万ないし一万五千くらいの段階のものと、それから一万五千以下の町村と分けまして、年次別にこれをやっていきたい、こういうように考えております。そうなりますると、さしあたり今年度、昭和三十四年度におきましては約五百八十八人の人員を計算いたしますと、これが三十四年度において交付税の中で二億八千万円の財源措置を必要といたします。これにつきましては自治庁了解をすでに遂げておりまして、この財源措置はいたすことになっております。従って今後三十五年度、三十六年度、こういう年度に応じまして、それぞれ必要な人員計画的に配置いたしますと、大体全体といたしましては十三億七千万円ぐらいの交付税上の財源措置をいたさなければなりません。従ってその十三億七千万円については、三十四年度分を除きまして三十五年度以降になるわけでありますが、これにつきましては、大体全体の計画財政当局ともあらかじめ打ち合せまして、今後年次別にこれを財源措置をしていくというふうに、大蔵省あるいは自治庁とも将来の数字について一応了解をいたしておるわけであります。従って、私どもは今後、三十四年度はすでに財源措置がきまっておりますけれども、三十五年度以降におきましては、大体そういうような財源措置を逐年やって参りまして、できるだけ早くその主事設置を完遂していきたい、こういうふうに考えております。
  6. 永山忠則

    永山委員 大体のベースはどういう構想でございますか。市町村で、大きい市並びに町村等関係のべースの差を認めておられるか、あるいは府県関係で、給与ース標準——一般の公務員の給与ベースとの関係がどういうふうになっておるのか。
  7. 福田繁

    福田政府委員 社会教育主事は、一応地方におきまする社会教育を担当いたします専門職員でございますので、できるだけ給与の点につきましても高い給与を私どもは希望いたしております。従って、三十四年度におきまして、交付税の中で財源措置をしてもらいましたのは、地方は甲・乙・丙という段階がございますが、甲・乙・丙の中の最高の甲吏員にいたしまして、四十四万四千七百四十一円というような高い給与ベースを一応考えております。ただ、将来小さな町村におきまして財源措置をする場合は、必ずしも甲吏員ばかりではなく、乙吏員級の者でもあるいはいいと思いますので、将来の問題としては甲・乙両方でいきたい、こう考えております。
  8. 永山忠則

    永山委員 ベースはなるべく低きに失しないように、十分に大蔵当局及び自治庁との折衝に全力をあげていただきたい。非常な指導的地位に立っておる権威ある指導者をわれわれは要望いたしておりまするので、この点も申し添えておきます。  それでは一応私はこの程度で……。
  9. 臼井莊一

    臼井委員長 それでは永山君の質疑を留保いたしまして……。  ちょっと速記をとめて。     〔速記中止
  10. 臼井莊一

    臼井委員長 速記を始めて。  それでは質疑を続行いたします。永山忠則君。     〔発言する者、離席する者あり〕
  11. 臼井莊一

    臼井委員長 御静粛に願います。どうぞ着席を願います。着席を願います。
  12. 永山忠則

    永山委員 申し上げたい要点は、社会教育方面に関して非常に予算が少な過ぎるという点に対して、われわれ党内においても遺憾の意を表しておりますし、国民も、高等学校並びに大学へ進み得ない大衆教育に対して、政府当局ことに文部省が積極的な指導に欠けておるのではないかということが、国民の間に割り切れなく感じられておるのでございます。今日教育機会均等というここについては、民主政治の最も重要なる基本でございますので、この点から見ましても、さらにさらに努力をお願いしなければならぬ問題なのでございますが、国立学校に行っております大学関係の一人当り国家が使っておるところのお金はどれだけか、さらに高等学校等へいけない恵まれざる大衆に対して、社会教育方面で使っておられるところの一人当り経費はどれだけになっておるか。さらに総予算から見まして、国立大学方面に使っている総額予算はどれだけになっておるか。なお、高等学校へもいけない大衆層の人数はどれだけおるか。そしてその一人当りと同時に社会教育方面総額の費用はどういうようになっておるかという点をまずお示し願いたいと思うのでございます。
  13. 福田繁

    福田政府委員 ただいま御質問の点でございますが、国立大学等の生徒一人当り経費は非常に大きなものでありまして、私の記憶いたしておりますところでは、一人当り十二万円、あるいは科によりましては二十万というような金になっておると思います。それに比べますと、社会教育関係は、むしろほとんど比ぶべくもないほど少額でございます。一例をとりますと、青年学級がございますが、青年学級に受講いたしております勤労青少年の数は大体百万といわれております。しかしながら、この青年学級に対する経費は、国の経費といたしましては約六千万円、三十四年度におきましては約八千万円に増額いたされましたけれども、それにいたしても非常に少うございます。さらに青年学級地方経費につきましては、地方交付税の方で約一億円余りを財源措置をいたしてもらいましたけれども、それにいたしましても数から申しますと非常に微々たるものでございます。さらに公民館等経費にいたしましても、人口一人当りに計算いたしますと非常に少いものでございまして、そういう点におきましては確かに社会教育費全体は一般学校教育経費に比べますと非常に少いということは申し上げて差しつかえないと思います。私も正確な経費総額資料を今持っておりませんので、後ほど調べましてすぐお答えをいたします。
  14. 臼井莊一

    臼井委員長 社会党の諸君、どなたか——長谷川保君。
  15. 長谷川保

    長谷川(保)委員 まず最初お願いをしておきたいことは、本法案につきましては私ども違憲疑い多分にあると思う。昨日の星野参考人その他あるいは参議院におきまする意見等を見ましても、そういう疑い多分にありますし、日本憲法学の権威でありまする宮沢教授その他の意見を伺いましても、そういう違憲疑い多分にあると考えられるのであります。そこで、いろいろ御都合もありましょうし、最初お願いしておきたいことは、どうか本日岸総理の御出席、及び参議院文教委員長から共同修正をいたしました件についてその意図を十分に伺いたい、こういう疑いがあるものをどうして共同修正という形で通したか、その意図を後ほど十分承わりたいので、御出席お願いしたいと思いますから、これの御準備をなすっていただきたいと思うのであります。私は決してこの審議の引き延ばしをしようとするものではありません。もしそうであれば、そのときになって突然これを申しまして休憩をお願いするのであります。しかし、私はそういうことではなくて、誠心誠意議員の本務を尽したいと思います。それゆえにこのことをあらかじめお願いをしておきたいと思います。  さて、私の質疑に入りたいと思うのでありますが、今回この法案が出るにつきまして、昨日の参考人の御意見にもありましたように、これを出してこういうようにしてもらいたいという御意向国民の一部にございます。同時にまた、この法案が通過することによって非常に心配だ、どうかこれを通さないようにしてもらいたいという多くの団体もある、またいわゆる有識者といわれておる多くの人があることも御承知通りであります。私は、この反対をなさいます方々の御意向を伺いまして、ごもっともだとも思うのであります。と申しますことは、明治以来のこの国の社会教育歴史というものを顧みますならば、その疑いはもっともである。またただに今までの歴史のみならず、今日の日本実情というものを考えました場合、これまたもっともだと思うものであります。たとえば明治以来今日までの社会教育歴史を顧みてみますと、御承知のようにまず明治の初期の時代社会教育ということが、二十年代くらいからいろいろ問題になってきておりますが、常に自発的な社会教育活動というものは、国家監督を受けあるいはお手盛り的な方法をもって、組織され運営されて参りました。明治年間を顧みましても、たとえば明治三十七年から八年ごろ起って参りました、地方少年有益指導という名でなされましたところの社会教育大正時代に入りましても、大正十五年の青年訓練所による軍国主義的な青年指導、やがて第一次大戦の後になって参りますと、民主主義運動というものがだんだん盛んになって参りましたが、それに備えて、中央に社会教育課というものが作られ、府県にはまた社会教育主事というものが置かれるようになって、いわゆる国民思想善導組織ができて参りました。さらに昭和恐慌以後の日本のいわゆる侵略戦争というころからのあとを見て参りますと、社会教育のいわゆる強化、総動員の一環としての役割というものが非常に強く行われたのであります。かくて民間団体官制化あるいは非科学的な国民精神文化の推進、農村のいわゆる自力更生運動、こういうような形のものが次々と行われて参りました。かようにいたしまして、戦争への道を踏んでいったのであります。  私は社会教育というものは官制でなすべきではない、あくまで自発的に、下から盛り上るように奨励しなければならないと思います。これは民主社会においては、ことさらにかように考えるのであります。もし今われわれの国が、あくまで民主国家といたしまして成長して参ろうとするのでございますならば、それをわれわれの国の大きな目標として参りますならば、当然そういうような官制的な色彩というものはこれをあくまで押えて、あくまでも自発的な下からの盛り上りといたしましての、いわゆる社会教育のあり方として、法律できめられました国、公共団体が、その範囲内での奨励仕事に当る、こういうことでなければならないと思うのでありますが、文部大臣社会教育に対する構想はどういうものでございましょうか、伺いたいのであります。
  16. 橋本龍伍

    橋本国務大臣 長谷川委員の御意見拝聴いたしました。これは明治時代以来の社会教育の経緯というところから説き起してのお話でございますが、これは明治憲法下におきまする国の体制と、新憲法下におきまする今日の体制とは、全く異なっておるのでございます。御承知のように明治憲法下におきましては、教育はほとんど全部天皇大権事項でございまして、従いましてこれはほとんど文部省役人がやっておったという状態でございます。その間にはいろいろな片寄りもあったと思うのでございます。ところが今日におきましては、第一に憲法教育の問題も、全く国民主権のもとに両院議員が選ばれて、そこの法律を根拠にして、また内閣も常に国民監督を受けながらやっておるわけであります。今日におきまする社会教育は、文部大臣の所管いたしまする面におきましても、社会教育法の第一条には、「教育基本法精神に則り、」ということをはっきりうたってございますし、第十二条には、はっきり不当に統制的支配を及ぼしたり、不当に事業に干渉を加えちゃならぬという筋のことがうたってあるのであります。こうした厳たる憲法教育基本法社会教育法精神に従って社会教育は行われるのでありまして、こうした精神にのっとっての社会教育というものは、これは十分に一般団体の自主的な活動というものを助成して参らなければならぬと考えておる次第であります。もちろん盛り上る自発的な活動によって社会教育の行われるのは、きわめて望ましいことでございますが、活動資金の面におきましても、あるいはまたいろいろな運動仕方等につきましても、自主的活動だけではなかなか力が足りませんので、そこで社会教育主事の誘導でありますとか、あるいは資金援助というような問題が出て参るわけであります。こうした社会教育団体が自主的に活動する上において、いろいろな面での援助を求めておるという現実を放置いたしますならば、結局そこら寄付金を求めて回ったり、そこらでだれか助けてくれる人に頼んでみたりするということに相なりますと、そういう人々は、社会教育法教育基本法の制約も何ら受けないわけでありますから、むしろ放置することによって、色のついた、ゆがめられた援助なり指導というものが行われがちでありますので、今日の社会教育に関しまする一般の要望、また学校教育と並んでこれを助成する必要という点から考えまして、社会教育に関しまする組織、人また資金強化がぜひ必要であると考えてこれを提案をいたした次第でございます。  今日におきまする社会教育というのは、あくまでも明治憲法下に行われました文部省役人による大権事項としての社会教育というものと違いまして、国民主権下におきまして、教育基本法社会教育法憲法、こうしたものによりましてはっきりした指針があってやっておるものでありまして、組織も人も資金強化されるほどより中正な、また自主的な社会活動というものを盛んにすることができるものと信じておる次第でございます。
  17. 長谷川保

    長谷川(保)委員 ただいまの大臣の御答弁、私も今日の社会教育というものが必ずしも理想のようにはいっておらない、これには相当大きな力を今後入れなければならないということは全く同感であります。従ってそれについての財政的及び人的あるいはさまざまな施設等について力を注ぐということに対しましては、私も全く同感であります。そのため社会教育主事という有力なものを置くということもなされなければならぬことだと私も存じます。しかし問題は——今日なるほどいわゆる天皇制と言われておりましたところの天皇大権というものをバックにした勢力というものは、一応戦後のあの革命によってなくなりました。しかしそれにかわりましてまた新しい勢力が出てきておる。いわゆる支配勢力と言われておりますものが出てきておることは御承知通りでありまして、私はそういうものが、民主的な健全な社会成長して参りますためにじゃまになる。こういうことにつきましては、たといそれがいかなる名目のものでありましても排除しなければならないと思うのであります。今私どもが非常に心配いたしますのは、今回の法律改正によって補助金等名目で出されるようになるでありましょうところのものが、そういう民主主義の健全な成長、発達というものを阻害するようになるのではないかということであることは、すでに大臣も御推察のことと思います。ただいまの大臣お話からいたしますと、戦後各地に生まれて参りましたPTAとか婦人学級とかあるいは青年団青年学級とか、あるいは農村青年農事研究とか、労働青年社会科学研究とか、いろいろなサークルができておるが、こういうようなサークルというものはあくまで自主的な立場成長させる。しかしただほっておいたのでは十分な成長を期待することがむずかしいから、社会教育主事を置き、あるいはその他の財政的な援助をして、そしてこれを育てよう、こういうようにお考えのようにうかがえたのでありますが、これは全くさようにお考えでございましょうか。法案提出意図を私ども心配いたしますゆえにこの点をさらに伺いたいのであります。
  18. 橋本龍伍

    橋本国務大臣 全くそのつもりでございます。
  19. 長谷川保

    長谷川(保)委員 今日のわが国の教育は、御承知のように学校教育社会教育という二つの大きな柱の上に立てられるという建前になっておるわけであります。学校教育の方は申すまでもなく学校教育法によって規定されておりまする線に従っていろいろな施設が作られ、教える者と教えられる者、教師と子供たちというものがそこにあって教育が展開されてきておりますが、私は社会教育におきましては、教える者とか教えられる者とかいう固定的なものがあるのではなくて、むしろ相互教育が本来の姿であると思うのであります。こういうことにつきまして大臣はどうお考えでございましょうか。
  20. 橋本龍伍

    橋本国務大臣 社会教育は非常に広い面があるわけでございます。現に社会教育法の中でも第十一条に、文部大臣及び教育委員会は、社会教育関係団体の求めに応じて専門的技術的指導または助言を与えたり、社会教育に関する事業に必要な物資の確保について援助を与えたりすることがありますし、また公民館活動等の面につきましては、あるいはいろいろの問題について青年学級を実施するとか、定期講座を開設するとか、討論会講習会というようなことは地方一般社会教育水準というものを上げるために、社会のそういった面での穴を埋めて一般社会福祉の向上をはかっていくという面から、非常に干渉がましく押しつけがましい特殊の意図を押しつけるというのでなしに、一般国民福祉という点から積極的にある程度企画をしていかなければならない面があると考えておるわけでありまして、社会教育のいろいろな広い面に応じまして落ちのないように受けて指導助言をいたします面と、ある程度企画をして社会教育水準を高めていく面と、これはよほど教育委員会においても実施をするに当ってうまくいくようにやってもらいたいと考えております。
  21. 長谷川保

    長谷川(保)委員 学校教育におきますと同様に社会教育におきましても、私は教育基本法の第十条「教育行政は、この自覚のもとに、教育目的を遂行するに必要な諸条件整備確立目標として行われなければならない。」という規定が十分に行われなければならないというように思うのであります。従いまして学校教育におきましても文部省あるいは教育委員会バックにあります地方公共団体教育行政任務というものは、この教育の諸条件整備確立ということがなさるべきものでなければならない、こういうように考えるのであります。これは社会教育法の第三条におきまして、御承知のように、「社会教育奨励に必要な施設設置及び運営、集会の開催、資料の作製、頒布その他の方法により、すべての国民があらゆる機会、あらゆる場所を利用して、自ら実際生活に即する文化的教養を高め得るような環境を醸成するように」「国及び地方公共団体は」「努めなければならない」というように明確になっております。それだから地方の住民がみずから実際生活に即する文化的教養を高め得るような環境を醸成するように努めることが国及び地方公共団体仕事、こういうようになっておるわけであります。従って私は、あくまでも社会教育法というものはそういう立場で貫かれ、またそういう立場でこの行政は行わなければならぬ、こう思うのであります。これが学校教育におきましても、どうも最近の文部省傾向はその範囲を逸脱いたしまして、自主的な地方公共団体、その下にある教育委員会等々が教育を推進していくという立場の中に文部省が入り込んでいる。文部省のなすべき範囲を越えて入り込んでいっているという傾向が非常に強いと私は見ておる。そこに一つの心配があり、同様にこの社会教育におきましても、今回の法案改正によりまして社会教育団体に対しましてどうもそういうことになってくるのではないかと心配しております。今の社会教育法の第三条によりますれば、あくまで外的な条件、「文化的教養を高め得るような環境を醸成する」、そういうことに重点を置くべきだ、そういうところに文部省やその他の任務はあるのだ、こういうように思うのでありますけれども、この点は間違いございませんか。
  22. 橋本龍伍

    橋本国務大臣 社会教育法第三条の規定にもございますように「自ら実際生活に即する文化的教養を高め得るような環境を醸成するように努めなければならない」わけでありまして、国も地方公共団体もせいぜいそういう方面で骨を折って参らなければならぬと思っております。ただしこの言葉の意味は、全部受けて、要求のあったことだけやるという趣旨ではございません。むしろこういうふうな「自ら文化的教養を高め得るような環境」というのは、要望に応じて指導助言を与えますることと、ある程度はやはりこの公民館活動等に出ておりますように、積極的な、何といいますか環境醸成が必要でございます。われわれが青年団体、婦人団体等に接触いたしまする場合においても、皆さん方もよくお感じだろうと思いますが、何も話をしないで質問だけ受けるというときに、非常にりっぱな相互に文化的教養を高め得るような質問をどんどんしてくれるのはやはりある程度、何といいますか、勉強したり、ものを考えたり、あるいは考えたりするくせのあるグループということになるのであります。やはり今日社会教育ということを考えまする場合には、先ほどお話のございましたように、受けて世話をする面と、ある程度積極的に活動をしていく面と両方なければならないと思うのでありまして、両々相待ってこの「自ら文化的教養を高め得るような環境を醸成する」ことに相なると考えておりますので、こうした環境醸成ということ、むしろ物的施設だけして、何も動かないということであってはならぬと考えておる次第であります。
  23. 長谷川保

    長谷川(保)委員 先ほど読みました社会教育法の第二条に書いてある通りにおやりになれば、私はそれでいいと思います。ところがどうもそうでない。それ以上に、むしろ十二条に禁じてありますような傾向があらゆる面で行われておる。そこに心配があるわけであります。今文部大臣のおっしゃったように、この三条の通りやってくれれば文句ありません。ところが大臣は、参議院の三月三日の文教委員会の公聴会において、ある青年団の代表が二月四日の日青協の理事会で起りましたところの、理事会に傍聴に来ておりました文部省役人がこの理事会から追い出されたという事件について証言をいたしておりますが、このことは御承知でございますか。
  24. 橋本龍伍

    橋本国務大臣 よく存じておりまん。ただ私自身も前に日本青年会の評議員をやったりなんかしておりました関係から、ときどき呼ばれて行ったり呼ばれなかったりしたのでございますが、ひまがございましたら呼ばれる限り、傍聴禁止でもない限りは接触をした方がいいと私も考えております。文部省役人等も、日青協の会合等がありましたならば、これは努めて聞きに行ったり話をしに行ったりということは私はけっこうだと思っておるのであります。何かその間に探りに行ったとか、だから出てくれとか、何か角立った関係の起らぬように、これは相互にせいぜい接触をいたして参りたいと私自身も思っておりますけれども、その日の状況については私どういう事情かよく存じません。
  25. 長谷川保

    長谷川(保)委員 この間その青年が証言をしたところによりますと、どうしてそういう事件が起ったかという理由でありますが、これは昨年の秋、全国社会教育課会議が持たれた。そのときに文部省役人が、京都の方の社会教育活動に対して、君の方の青年団は勤評に反対をしたり、社会教育法の一部改正案に反対したりして、傾向がよくないから注意しなさいと小言を言ってしかった。ところがそのことがこの理事会で問題にされますと、京都以外のその他の府県等からも、いやうちの方でもやられたんだ、うちの方でもそういうことをやられたという発言が次次に出てきたのであります。そこで会議は非常に緊張して、文部省は自主的な青年団活動を伸ばす役割りをしなければならないのに、自主的な青年団活動や行動に対して圧迫を加えるのは何事だということになって、そこに出てきておりました文部省役人の傍聴を許すことはできない、こういうことを言い出したというのであります。これが参議院におきます公述人の証言でありますが、文部省役人がもしそういうようなことまでするということであれば、私は問題だと思います。非常に重大だと思います。今の大臣のおっしゃったこととは逆のことが文部省自体において行われているということになりますれば、これは実に重大であって、私どもがこの法案について心配をし、また多くの団体や、いわゆる有識者の方々が心配するのは当然だと思います。この事件は一体どういう事件であったのか詳細承わりたいのであります。
  26. 福田繁

    福田政府委員 ただいまお述べになりました事柄は、参議院の公聴会でございましたか、千葉県の連合青年団のたしか団長だと思いますが、その方が、証言ではございませんが、そういう発言をされたことを私は聞いております。ところがその発言の内容でございますが、これはいろいろ粉飾されておりまして、私もその事実を一部知っておりますけれども、事実に相違する点がたくさんございます、ということを申し上げておきたいのですが、昨年の全国の主管課長会議の際でございましたが、これは主管課長会議でございますので、私が主宰いたしまして、私も出席いたしておりますが、今おっしゃいましたような、京都の社会教育課長に対して、文部省の係官が勤評に反対するのでけしからぬというようなことを言ったというような事実はございません。従って、そういう発言がありました後に、私の方の係官も京都の主管課長に対しましてその点を確かめておりますが、そういう事実はなかったと申しております。従って、今の主管課長会議の際のお話は、これは何かの誤聞であろうと私は考えておりますが、これは事実に相違いたしております。  それから日本青年団協議会の理事会の際でございますが、これは従来から公開の会議でありますので、私どもの係官も公開の会議にはできるだけ傍聴さしてもらいたいということを従来から申しております。当日も青年団の幹部の方に聞きました。公開の会議でありますので、これは差しつかえないというようなことで傍聴をさしてもらっておったのでありますが、その会議の途中からそんな話がいろいろ出まして、とにかく今後はこの会は秘密会にしようということになりましたので、係官は帰った。これは最初から公開の会議でありますから行ったわけでありますが、今おっしゃったような、千葉県の青年団長が言ったような事実とはかなり違っているものだと私は考えております。その点は誤解のないように申し上げておきます。
  27. 長谷川保

    長谷川(保)委員 これはいやしくも国会におきます宣誓をしての公述であります。でありますから、これは単なる出まかせの話ではないはずである。もしこれが事実と違いますならば、この青年団長は罰せらるべきである。でありますから、今のような日青協の理事会が公開であるということは私は賛成です。あらゆるものができるだけ公開なさるべきである。ことにこういう大衆団体というものは公開なさるべきでありまして、公開なされることは賛成でありますが、当然公開なされるべきもので文部省役人が傍聴から締め出されておる、秘密会という形にして締め出されておる。しかもその内容というのはこういう事実であった。先ほど読みましたところの、これは参議院におきまする議事録でありますが、その議事録の文章は私はおそらく間違いないと思う。間違ったことを、うそを言っておったのであれば、この公述人は処罰される。衆議院よりも参議院の方は非常に厳格なことは御承知通り、非常に厳格に宣誓をした後にこれをやっています。でありますから、こういうような秘密会にして、文部省の来ている役人をそれで出すという事件があったということ、しかもそれは京都ばかりでなく、次々にそういう発言があったということがここに公述せられておるのでありますから、いろいろこの公述書を読んで参りますと、私はこの公述人の言うことの方が正しいのではないかというように思うのであります。文部省の今のお話でありますと、社会教育課長ですか、京都の社会教育課長に対して問い合せたところが、そういうことはないということでございますが、おそらくここで書いてある事情をずっと読んで参りますと、私はこの方が正しいと思う。これで出ました文部省役人の名前を私は聞くまいと思いました。もし問題が起ってはいけないので聞くまいと思いましたが、あなたは責任を持ってこのことは事実と違うと言えますか。そうなれば、いずれかが問題になる。公述人が虚偽の公述をしたか、それともそうでないか。けれども、私は最近におきます文部省の勤評に対する態度というようなものを考え、あるいはまた全国に行われております各府県社会教育課長の婦人会その他に対する態度というものを見ておりますと、こういうことはいかにもあり得ると考えられるのであります。この点は全然なかったのでありますか。本人を呼んでもいいと思いますけれども、もしその人に傷ついてはいけないから呼びたくありません。だから名前も聞きたくありませんが、どうでありますか。こういう事実はなかったのでありますか。もしあったとしたら、あなたの方ですでに注意を与えて、こういうことをされることのないようにしてあるのかどうか。その本人に傷つけたくありませんが、そういう点について、いかにもありそうな事件であると思うのでありますけれども、あなたの方ではどういうような態度をしておられるかどうか。これは決して単に責任を追及するということではなしに、そういうことがないようにしなければならぬという考え方から私は言っているのでありまして、この点はどういうようにあなたはこの係官に処置をされたのでありますか、そのことを承わりたい。
  28. 福田繁

    福田政府委員 私どもは、そういった団体のいろいろな会合等に出ます際には、公明正大に行き過ぎのないようにやれということをかねがね申しておりますので、その係官が参りましたときにも、その具体的な事柄について私は詳細に報告を受けておりますが、今おっしゃったような、そういうような意味のことはなかったようであります。従って、私は後に青年団の幹部にもそのことを尋ねたのであります。幹部の方もどうもいろいろ会議の際で御迷惑をかけて済まなかったということを言っております。従って、私は今後こういう誤解の起るようなことのないことを希望いたしますので、その係官には行き過ぎのないように、今後も十分注意はいたしましたけれども、しかしながら当日のそのこと自体は、私は何らやましいところはない、こういうように考えております。
  29. 長谷川保

    長谷川(保)委員 文部省は、それでは今後こういうことは絶対しない。これはただに社会教育法の十二条の違反であるのみならず、文部省設置法の第五条の二項に対する違反でもある、こう思うのであります。およそ文部省設置法の第五条第二項には「文部省は、その権限の行使に当って、法律に別段の定がある場合を除いては、行政上及び運営上の監督を行わないものとする。」こういうことが書かれているのです。だからこういう点は、今後文部省としては——こういうような公述人がいたしましたこの公述を、私はうそとは思いません。こういうことが再び起らないように、文部省役人に対し、また地方社会教育課に対しまして、これを明確に注意をする決意があるかどうか。私はこれはうそとは思えない。これ以上突っ込むことはやめますけれども、こういうことを再びなさらぬ、してはならないということを文部省のあなたの管轄であるところの地方社会教育課長に対しまして、こういうことを厳重に注意をいたされる御意思があるかどうか。これがなければ、これは重大な問題でありますから、日本社会教育が民主化するかどうかという重大なキー・ポイントでありますから、あなたがそういうことを十分になさらないということであれば、この際さらにこれを追及しなければならぬと思うのでありますが、今同僚委員から御希望のあるように責任者を呼んで、十分これをただすということもしなければならぬと思うのですが、今後こういうことを絶対してはならぬという特別な注意をあなたがなさるということならば、私はこの程度でやめておきたいと思いますが、いかがでありますか。
  30. 福田繁

    福田政府委員 私ども団体等から求めがあれば、これが助言に出たりそういったいろいろな話し合いをやることになるわけでありますが、これは教育委員会においても同様だと思います。従って私から特別な注意をいたさなくても、地方の主管課長ではそういった点については十分戒慎いたしていることだと思います。また私どもの各種の会合におきましても、従来青年団あるいは婦人団等の関係指導の場合にいろいろそういった十分な注意をしてやるようにということは、ふだんから申しておることでありまして、格別なことを申さなくてもいいと思いますけれども、しかしながら、今具体的な主管課長会議の席上でのお話のように承わりましたので、その点につきましては、適当な機会におきまして会議が開かれましたら、こういう事実があったということはこれは十分注意をいたしたいと思います。
  31. 長谷川保

    長谷川(保)委員 一応あなたを信頼いたしまして、そういうことで私も了承いたします。どうかその点につきましては、これは社会教育というものが民主化するかどうかという非常に大きなキー・ポイントでありますから、ぜひとも十分な戒慎をしていただきたいと思うのであります。ただに文部省役人にそういうような疑いがあることがなされておるのみならず、これは地方教育委員会におきましても県教委あるいは地教委といわれておりまするものにおきましても、そういうような傾向が多々あるのであります。これは私自身もいろいろな例をもっておりますけれども、あまり時間は長く取りたくありませんので、これまた公聴会の責任のある公述を土台といたしまして、さらに質問をしておきたいのであります。  御承知のように同じ公聴会でまたこういうことが言われております。「私の町で最近起りました事例を一つお話しします。これは青年団関係の社教委員が、町長選挙の際に、現町長に協力しなかったというかどで、そろいもそろって三人首切られたという事実であります。」、こういうことが行われているのであります。これはもちろん社教の委員でありますから、教育委員会が首を切ったということでありましょう。それからこれも今申しましたのと同じ参考人の発言であります。さらにまた八日市場市に起った事件、「青年団から三名社会教育委員を推薦しなさいという公文書が教育委員会からきた。青年団からいろいろ話し合って二人名前を出した。ところが、三人ともけられた。それで、今度は数を一人にして、しかも青年団から推薦した以外の社会教育委員を決定して、一方的に押しつけてきたという事件がある」、「これは理由をいろいろ具体的に調べてみましたところが、その前八日市場の市長選挙の際に、保守派に青年団青年団のOBが協力しなかったというかどで、それからもう一つは人物があまり好ましくないという理由で断わられたらしいのであります。」というように公述をされておるのであります。一体、青年団に対しまして社会教育委員を推薦しなさいという公文書を出しておいて、青年団から三名出した、ところがそれを全部けったというようなことは、もし青年団の自主性というものを尊重するならば、教育委員会はこういうことはあるべきじゃないと思うのであります。こういうような事件がすでに公述されておるのでありますから、文部省としてもお調べになっていると思う。もしこういうことがあるとすれば、今度は、教育委員会それ自体あるいは教育長それ自体のあり方について、私どもが従来持っておりますような心配をやはり持つ。ことに、社会教育団体に対する圧力ということになりますと、先ほど来大臣がお答えになっております社会教育考え方を根本から破壊するものである、大臣の御意向とは別のことがここで行われている。こう考えなければならないのである。この点につきましてはどういうようにお考えでありましょうか、伺いたいのであります。
  32. 福田繁

    福田政府委員 ただいまお読みになりましたような事柄を私も参議院の公聴会で聞いたのでありますが、具体的によく調べてみませんと、そういった事実があるかどうかはっきりいたしませんけれども、私は、まだそのお述べになりました事柄について詳細承知いたしておりません。従って、これは今後必要があればもっとよく調査してみたいと考えております。
  33. 長谷川保

    長谷川(保)委員 すでに、三月三日参議院でこれだけのことが言われておって、先ほども申したように社会教育法精神と違ったものが行われておる。教育委員会の本来のあり方、社会教育に対する本来のあり方と違ったものが行われておる。これを公述なされたのに、今日まで調査しなかったというのは、どういうわけで調査しなかったのですか。参議院で調査を求められておるということではないですか。
  34. 福田繁

    福田政府委員 参議院では、その点につきましては調査を求められておりませんが、私ども、それはできるだけ早い機会に調査してみたいと考えております。
  35. 長谷川保

    長谷川(保)委員 私は、文部省もお忙しいでありましょうけれども、そういうような怠慢であってはいけないと思います。こういうような、およそ国会という権威ある場所で公述せられたものが、社会教育社会教育団体の自主性というものを根本から破壊するようなことが行われていることを指摘した。こういうような重大な発言をされておるのに、それが調査されておらないということではならないと私は思います。これはすみやかに調査をなさるべきであります。こういうような傾向が起ってくるとすれば、今回の社会教育法改正について、われわれは考えなければならぬというように考えているわけです。ただに教育委員会だけではありません、あるいは教育長だけではありません。さらに多くの公述人によって言われております事柄の中には、今度は町長、村長というような地方公共団体の長が、やはり青年団、連合婦人会等に対します自主性を損するようないろいろな圧力をかけている事件があるのであります。これは何人かの証言がございますけれども、ただいま申しました青年団長の証言の中にも、青年問題研究集会に共催をするように町に申し出たけれども、町の方では、県の青年団の幹部、それから郡の青年団の幹部が講師や助言者として来るから共催はできないといって、共催の金を負担することを拒んだというような事件があり、青年団の方としては、郡の役員だから、郡の役員にしてもわれわれの青年団自体が合理的な民主的な方法で選び出した役員だ、その役員をけしからぬというようなことであれば、それはとりもなおさず青年団をけしからぬということにしておるのと同じことである、こういうことは絶対に許せないといって、大もめにもめたという事件が公述されておる。あるいはまたさらに青年団及び婦人会の主催の講演会に東大の大田助教授をお呼びになって、そして講演会をすることになった。そこで、それを一緒に有線放送で町中の人が聞けるようにしようとした。ところがこれについては、有線放送を利用することを拒否をしたというような事件、あるいはまた田中寿美子公述人が言うておりまする幾つかの事件、たとえばこの社会教育法にたくさんの婦人団体の代表者が、反対の意見を持っているのだけれども、これを自分の名前を出して言えばあといろいろいじめられるということで、自分の名前を出すことができない。あるいはさらに、ある婦人会におきましては、もし講師の選択において教育長でありますかの言うことを聞かなければ、教育長の言う通りしなければ、もう今後社会教育法ができて補助金をやるときに、補助金をやりませんよというようにしておどかしておるというような事件、これは田中さんが証言をしておる事件、あるいは坂西志保さんの言うたといわれておりまする事柄、これは田中さんが代弁をしておるのでありますけれども、婦人会に対しまして、岡山のある町の町長が、十三の部落を次々に訪問して金一封を出しておる、それを選挙態勢の中に組織していった、こういうようなことがいろいろ行われておると言われておる。こういうような事件というものがたくさんあげられておりまするし、われわれの町でもこういうような事件がございます。こういうようなことは、私はやはり今回の改正法案をほんとうに慎重に、昨日の参考人が言われましたように、慎重に審議をしてもらいたい。補助金を出すということについてはことに慎重にやってもらいたいという御意見参考人によって言われましたが、もっともしごくだと思います。こういうような事柄が教育委員会あるいは教育長、あるいは町村長等において行われておるということになりますと、今申しました昨日の参考人の御意見というものはほんとうに尊重する必要がある。この法案については簡単に応ずるわけには参らぬ。なかなか十分な審議を必要とするというように私は考えるのであります。こういうような事件が幾つか報道されておりますが、これらに対して文部省は、それらの県の社会教育課長に対して特別な注意をする必要がある。この点につきましては局長はどういうふうにお考えになっておりますか、あるいは大臣はどういうようにお考えになっておりますか。
  36. 福田繁

    福田政府委員 いろいろおあげになりましたが、これらのことにつきましては私ども十分具体的な事実を承知いたしておりません。手がかりのあるものについては、今後また調査する方法もあろうかと思います。しかしながら一般的に申しまして、そういった事柄が地方においていろいろあるとすれば、これは私どもとしては、こういう法案とは別個の問題としても、いろいろ社会教育の進め方についてやはり研究すべき問題があるかと思いますので、そういう点については今後私ども地方の係官と十分相談をしながら、また会議が開催されますような場合におきましては慎重にやるというような建前から、十分一つ協議をしていきたいと考えております。できるだけそういった地方でのトラブルというようなものがあれば、そういうものは社会教育の場でなくしていきたいというのが私どもの念願でございます。
  37. 臼井莊一

    臼井委員長 この際長谷川委員に申し上げますが、社会党より修正案が提出されておりますので、審議の都合上その説明を聴取した上で、原案及び修正案をあわせて御質疑を願いたいと存じます。西村委員がお見えになっておりますので、すでに修正案も出ておりますので、修正案の趣旨を御説明願いたいと思います。     〔発言する者多し〕
  38. 長谷川保

    長谷川(保)委員 私の質疑はまだ続くわけです。今まだ入ったばかりです。
  39. 臼井莊一

    臼井委員長 ですから、ちょっと長谷川委員に申し上げますが、その質疑を留保願って、社会党の修正案とあわせて御質問を願いたい。
  40. 長谷川保

    長谷川(保)委員 当然修正案を提案されるといたしますれば、提案理由の説明がなければならぬと思います。
  41. 臼井莊一

    臼井委員長 ですから、これから……。
  42. 長谷川保

    長谷川(保)委員 それを私が提案理由の説明のない前にこれを一緒に質問することはできません。われわれは社会党の議員といたしまして、もちろん修正案の提出方につきましては昨日いろいろ討議にあずかりました。討議にあずかりましたが、しかし提案理由の説明のない前に私が質問するわけにはいきませんから、私の質問もそういつまでも続くわけではありませんから、だから私の質問があるところで切りになりますところまで参りました後に提案理由の説明を伺いまして、それから後にまたそのことについては質疑をする。一応原案について、参議院回付の修正案について私の質問を続けさしていただきまして、それでしかる後に修正案の問題をしていただきまして……。
  43. 臼井莊一

    臼井委員長 長谷川委員に申し上げますが、審議の都合上修正案もすでに出ておることでございますから、それの趣旨の説明を先に願って、それとあわせて御質疑を願いたいと思います。
  44. 長谷川保

    長谷川(保)委員 だから私は無理を言っておるのじゃありません。ある切りが来るまで待ってもらいたいと言っているのです。ですから、一応私の切りが来るまで待ってもらいたい。今国会におきましては御承知のように私が大臣に対する基本政策の質問、新しい大臣になりましたから基本政策に対する質、問をいたしましたが、次々に切られまして二十分、三十分、まるで犬のうんこのように次々にぽっきり切られまして、まことに質問ができなかった。しかも今日に至っては私の基本政策に対する質問は、五月二日までありまするのに、委員長におかれてはもう時間がないからその方はやめてくれということであります。私もそれについては一応五月二日まであるのにそれは不服でありますけれども委員長を尊重して私は譲って、基本政策に対する質問はしないわけであります。
  45. 臼井莊一

    臼井委員長 長谷川委員に申し上げますが……。     〔発言する者多し〕
  46. 長谷川保

    長谷川(保)委員 それでありますから……。
  47. 臼井莊一

    臼井委員長 長谷川委員の御質問をさせないというのではございませんで……。
  48. 長谷川保

    長谷川(保)委員 でありますから……。
  49. 臼井莊一

    臼井委員長 修正案の提案理由の御説明を願ってから御質問を願いたいと思います。
  50. 長谷川保

    長谷川(保)委員 私は質問を論理的に展開しているわけであります。従いまして私の質問のある切りが来るまで待ってもらいたい。質問を全部やるというのじゃない。論理的に展開しておりますから、それが途中で切られますと非常に因ります。どうか私が適当な切りをつけるまで待ってもらいたい。
  51. 臼井莊一

    臼井委員長 無制限には許せませんが、あと何分くらいですか。
  52. 長谷川保

    長谷川(保)委員 適当な切りが参れば申し上げます。その点は今までも私は委員長を尊重し、良識を持ってやっております。質問の応答の関係で、何分でできるか、それは申し上げられませんけれども、私はそう長くならないうちに切りをつけます。今まで私は無理を申して変に引きずったとか、長くしたとかいうことはありません。またむだなことを聞いて引きずったことがないことは委員長も御存じの通り。私は良識を持ってやっております。論理的に展開しておりまして、今第一段ですから……。
  53. 臼井莊一

    臼井委員長 それでは長谷川委員に申し上げますが、いま少しくというような漫然たることでなく、大体何分ぐらいでお済みでございますか。
  54. 長谷川保

    長谷川(保)委員 答弁のいかんによって違ってくるから簡単には言えません。
  55. 臼井莊一

    臼井委員長 委員長といたしましては議事の整理上無制限に質問を許すわけにいきませんから、あと大体何分くらいで済むか、一つそれをお答え願いたいと思います。     〔発言する者多し〕
  56. 長谷川保

    長谷川(保)委員 答弁のいかんによって違いますから、そう何分ということは言えません。しかも、今までの質問をお聞きになっても、私がむだなことを言っていないことは同僚諸君よくおわかりでしょう。私はまじめにやっている。むだなことを……     〔「答弁は別にしてどのくらいある」と呼ぶ者あり〕 答弁を別にして約一時間ばかりかかるかと思います。
  57. 臼井莊一

    臼井委員長 長谷川委員に申し上げますが、一時間かかるのであれば、その前に、西村委員もお見えになっておりますから、修正案の提案理由の説明を求めます。     〔「賛成」「論理的に聞いているのだから途中で切っちゃだめだ」と呼び、その他発言する者あり〕
  58. 長谷川保

    長谷川(保)委員 委員長のお申し出に対して私は不服であります。
  59. 臼井莊一

    臼井委員長 長谷川委員にはそれまでお待ち願います。
  60. 長谷川保

    長谷川(保)委員 委員長に申し上げますが、率直に申しまして私は何も…     〔「委員長は宣言したじゃないか上「委員長みずから審議妨害だ」と呼び、その他発言する者多く、離席する者あり〕
  61. 臼井莊一

    臼井委員長 それでは長谷川委員が御質問を御熱望でありますので、いましばらく長谷川委員質問を許しますが、ただいまの委員長の発言を尊重なすって、十分か十五分くらいで終えていただきたいと思います。
  62. 長谷川保

    長谷川(保)委員 それでは私は不満でありますが、社会党の理事からの御発言もありますので、ただいまの委員長の御意向は尊重いたしまして、一応ある程度の切りまで行きたいと思います。  そこで今のお話を伺い、また私の申しましたことを総合いたしまして、今日の教育委員会の制度について、また教育基本法について、やはり十分に考えるべきときがきておると思うのであります。先ほど来お話のような教育委員会あるいは教育長が何ゆえにそのような無謀なことをするようになったか、これは学校教育法におきましても非常な問題があると私は思うのです。あるいは先般の勤評の問題でも、教育委員会のあり方に非常な問題があると思うのであります。この教育基本法及び教育委員会のあり方について、社会教育法の十分な目的ができ、あるいはまた教育基本法目的ができ、貫かれて、社会教育が民主的に行われるという保障ができなければ、この問題はなかなか困難な問題でありまして、簡単にこの審議を打ち切るというようなことはあるべきでないと思うのであります。教育基本法が制定された当時の事情を調べてみますと、昭和二十二年、最初教育基本法が制定されたときに非常に興味の深いものがあるのであります。当時文部省の調査局の中にありました教育法令研究会の発行した教育基本法の解説百三十一ページを見ますと、教育基本法第十条の直接に責任を負うということについての解説がいろいろ書いてございますが、この教育国民に対して直接に責任を負うというのは、国民の意思と教育が直結をすることである、そのためには現実的な一般政治上の意思とは別に、国民教育に対する意思が表明せられ、それが教育の上に反映するような組織が立てられる必要がある、こういうように書いております。さらにまた、そこでその必要のためにはアメリカで行われている教育委員会制度を採用する価値があると思われると書いてあります。そういうところから公選制の教育委員会法が実施されたのであります。これからすると今日の任命制の教育制度は——教育基本法の第十条の教育国民に対して直接に責任を負って行われる、それにはただいま申しましたような国民の意思と教育が直結する、そのためには現実的な一般政治上の意思とは別に国民教育に対する意思が表明されなければならない、こういう立場を当時教育基本法を作った文部省役人諸君が一緒になって作りました教育法令研究会で発行したものに書いてある。これを読むと、この教育委員会の任命制は教育基本法を作った精神と違ったものである。先ほど申しておるような教育委員会が直接に国民に責任を負ってやるというこの教育基本法できめられました社会教育を含めての教育が、任命制にしたことによってこの教育基本法精神と別のものになってしまったということが、この当時の文部省の調査局の中にある機関で出したものから見て明らかになったのであります。この点はどうお考えでありますか。任命制の教育委員会というものは文部省で出しましたこの制定当時の本を見ると、違ったものになっている。従って教育基本法に違反をしたことになる、こう思うのでありますが、文部大臣はどうお考えになりますか。
  63. 橋本龍伍

    橋本国務大臣 教育委員会の制度のことにつきまして、長谷川委員から非常に詳しくお尋ねがございまして、すでに御答弁を申し上げましたところですから繰り返して申し上げませんが、その際にお話を申し上げました通り教育基本法精神というのは今日も厳として生きております。この教育委員の任命の仕方につきましては、アメリカにおいても公選制をとっているところは非常に少くなっておるようでございますし、今日国民の意思というものをどうやったら一番よく公正に反映ができるかということを考えまして、教育委員会法が改正されて今日の制度になったわけでありまして、私は今日の制度の方が国民の意思をよりよく反映することができると考えております。
  64. 長谷川保

    長谷川(保)委員 私は文部大臣の言うことは責任を持たなければならないと思う。アメリカで教育委員の公選制が減ったというのはどこにありますか。私はアメリカに行って直接調べてきた。文部大臣は責任を持った言をして下さい。そんな無責任なことはありません。そんなアメリカで教育委員が任命制になったところはどことどこにありますか。そんなことはありません、これはきわめてわずかですよ。ほとんど全部が公選制です。私は直接調べてきた。大臣はそんな無責任なことを言ってはだめですよ。どこで調べてきましたか、その証拠を出してもらいたい。
  65. 橋本龍伍

    橋本国務大臣 私もこまかいことは存じませんけれども教育委員の制度につきまして、文部省の中でアメリカの制度というのはどうなっておるのかということを聞きましたところが、アメリカにおいても公選制は減ってきつつある、こういう話を私聞いておるのであります。
  66. 長谷川保

    長谷川(保)委員 それは間違いでありますから、どういう資料のもとにそれが言われたのであるか、後に文部省の方から資料を出してもらいたい。そういうようなことはありません。教育委員の直接選挙、公選制がアメリカ全体としましては行われているのであります。ほんの一部のところだけにそれがあるのでありまして、ことにワシントンといったところに、あれは特別のところでありまして、ありますけれども、ほかにはほとんどないといっていいくらいわずかしかないのであります。そういうことは間違いであります。確実に私は昨年調べてきたのでありますから、そういうことはありません。私は教育基本法の解説をお書きになりました教育基本法制定の当時の担当事務官の安達健二氏、この人のものを読んでみましたけれども、この人こそ教育基本法の制定の精神を最もよく理解した人だと思うのでありますが、この人の考え方を申しましても、今の任命制は私は間違いだ、こう思うのであります。任命制をもう一度公選制に変える意思はないか、公選制に変えれば私は今日のこの弊害というものは非常に減ってくると思うのであります。そうすれば社会教育法というものの改正案につきましてもよほど心配が少くなってくると思うのであります。もう一度これを公選制に変える意思はないか、この点を大臣の御意思を伺いたい。
  67. 橋本龍伍

    橋本国務大臣 現行制度をとりました際に、国会においても十分に御審議を願ったのであります。やはり今日においても現行制度の方がよろしいと考えております。
  68. 内藤譽三郎

    ○内藤政府委員 ただいま長谷川委員からアメリカにおける教育委員の制度についてのお話がございまして、大臣からお答えがございましたが、ちょっと補足さしていただきたいと思います。私も実はアメリカへ参りまして教育委員会の制度について研究して参ったのでございますが、アメリカの四十八州のうちほとんどの州は任命制でございます。それからニューヨーク、シカゴ、ロスアンゼルス、サンフランシスコ等大都市において公選制を実施しておる都市はございません。シカゴに参りまして、どういうわけで公選制をとらないかということを聞きましたときに、こういう大都市においては民意が反映できない、公選制の方がかえって民意を阻害するということでとらないということを言明しておったのでございます。
  69. 長谷川保

    長谷川(保)委員 私がカリフォルニア州の教育局及びサンフランシスコ市の教育局、カリフォルニア州の教員組合あるいはカリフォルニア大学、シカゴ大学教育行政専門の教授に会って調べたところ、あなたの意見とは違う、あなたの意見とは全く違う、これはどうか政府の資料を出していただきたい、重要な問題であります。  それではさらに質問を続けますが、先ほど申し上げました文部省の調査局の中に作られておりました教育法令研究会編の教育委員会という本、理論と運営という本の二十三ページを見ますと、「教育が中央集権的行政制度とこれをささえる官僚機構の中に営まれていたところのわが国過去の憲法を見るとき、教育行政が本来自由なるべき教育そのものにまで支配を及ぼし、人間性の開発、人格の完成という教育本来の使命達成をゆがめやがては支配権力の恣意的支配同様の筋道となっていた」と書いてありますけれども、まさにこの文部省調査局にありました教育法令研究会の書いております教育委員会のあり方についての、どうして公選制の教育委員会ができてきたかという由来、これは私は正しい判断であると思います。この正しい判断のもとに公選制の教育委員ができていた、ところがこれが任命制の教育委員改正せられた、その後の日本教育のあり方、あの任命制教育委員になりました以後の日本教育界の混乱という問題、この社会教育のみならず学校教育の問題におきましても、災いは私はやはりここにあると思う。今日先ほども参議院の公述をもって申し上げましたが、そのようにすでに社会教育法の十二条があるにかかわらず、こういう間違いが至るところに起っておる。どうしても私は今日任命制の教育委員というものをやめて、やはり公選制にしなければならない、この点につきましては先ほども申しましたように、私は前の機会にも申し上げましたように、今日の都道府県教育委員というものが国民の多数でありますところの農民、労働者等から選任されておらない。国民の四一%を占めまする農林水産業者からはわずか八%しか出ていない、労働者階級からは全然出ておらぬ、こういういわゆるおだんな衆だけによって都道府県教育委員が占められているというところに大きな問題がある。一般の政治意思とは別個に行くべきなのに、むしろ一般的な政治の意思が教育を侵しているという事件が起ってきている。先ほど来申し上げておりますようなさまざまな実例というものが起ってきている。どうしてもここでこの問題を検討しなければだめだ。そうしなければこの社会教育法改正をすべきでないと思うのでありますが、その点についてさらに大臣の御研究と、また本心を承わりたい。明らかにこういう間違った事実が起ってきている。今日の勤評によるところの全国のいろいろな問題、ことに、さきの機会に申し上げましたような、広島県におきます、すでにもう何十年も校長をやっている優秀な校長が、一回も直接に調査されることなしに、また校長の弁明を聞く機会も与えられることなくて、いきなり勤評に対する考え方が今日の文部省の方針と違うというようなところから降任をされるという、実にむごいことが行われておる。これに対しては、県の教育委員会に参りましても、あるいは教育事務所に参りましても、直接調べておらぬ。しかも、これを喚問して一回の弁明の機会を与えるということすらしておらぬ。いきなり降任というようなことをしておる。私は、今日の県の教育委員会あるいは教育長のあり方というものが、今申しましたような、きわめてわずかな一部のものの意思を代表する、あるいは一般の政治意思を貫いていくというところからそういう間違いが起ってきていると思う。だから、今日の社会教育法改正の私の心配を解消するための根本のものは、教育委員を公選制にする、そうするならば労働者の代表もたくさん入ってくる、農林水産業者、働くものの代表も入ってくる、もちろん会社重役の代表も入ってきて少しも差しつかえない、そういうようにして、教育委員会が、一般の政治的な意思とは別に、純粋に教育を直接国民の意思に従って行うという行き方が出てこなければ、先ほど来申しましたような実例にあります問題は解決しない。それを解決することなしにこの社会教育法というものを改正していけば、そこにさらに大きな間違いができてくる、こういうように私は思う。この点について、さらに重ねて大臣の御意見を承わりたいのであります。
  70. 橋本龍伍

    橋本国務大臣 教育委員の任命につきましては、従来も十分注意をいたしておりますが、この上とも注意をいたしまして、真に教育委員にふさわしい人を選ばなければならぬと考えております。  ただ、ただいま長谷川委員は代表というお言葉をお使いでございましたが、教育委員には、やはり組合代表とか、団体代表とかいうことでは困るのでありまして、いかなる職業をしておられる方でありましょうとも、やはりそういうところから離れて、真に教育委員として教育のことを考えていただく方を選ぶというのが趣旨でございます。私は、推薦をいたします知事、市町村長、及びこれを受けて審議をいたします都道府県会議員、市町村会議員の人々が、住民の監視の上に教育委員を選ぶということについて、総体の問題といたしましてはその良識を信頼をいたしておる次第でございます。
  71. 臼井莊一

    臼井委員長 長谷川委員に申し上げます。理事会の申し合せの時間が過ぎておりますので、それでは簡単にあと一問で、一つどうぞ。
  72. 長谷川保

    長谷川(保)委員 私は、教育委員を選びますのに必ずしも何々代表を選べと言っているのではありません。けれども、少しとも国民の三分の一以上を占めます労働者、四分の一を占めます農林水産業者、こういうものから国民にほぼ比例するだけの教育委員が出てくるようなふうに、ことに教育長の任命につきましては、文部省が発言権を持っているのでありますから、文部大臣がこれを承認せねばならぬのでありますから、そういうことについて——今日の非常にゆがんだ教育委員会というものを、ある意味では相当反動的な——中には神奈川の教育長のように非常に民主的なりっぱな人もありますが、今ゆがんできてしまっておる。こういうような教育長の選任について文部大臣は特別なお考えをする必要がある、そういうふうなことを注意する必要があると思うのであります。この点についてやっていただきたいと思うのであります。  いま一つ、前に関連しますからここで伺って一応切りにして、あとはまた次の機会に時間を与えられんことを望みますけれども、御承知のように、大学の先生とか教育長とかいうものには身分保障の法律の条項がございます。たとえば教育公務員特例法の第五条、第六条、第九条に、大学教授の転任、降任、免職、懲戒の場合の身分保障というものがございます。教育長についても御承知のようにございます。しかし、先ほどもありましたように、今度は社会教育委員というものが非常に重要な役目を持ち、社会教育主事というようなものが非常に重要な役割を務めますけれども、これに対して国が給料を出していくわけでありますが、先ほどもありましたように、社会教育委員が選挙に協力しないかどで三人とも首にされてしまったというような事件が起ってきているのであります。その際、社会教育委員、あるいは学校の教師にしても同様でありますが、小学校、中学校、高等学校の教師にしても同様でありますが、これは当然身分が保障される道が立てられねばならぬと思うのであります。たとえば米国におきましては学校教育に従います教師の例でありますが、プローべーション、試用期間を過ぎまして単位をとりました教師はその教師の了承なしにその学校から他の学校へ勤務がえさせることができないというように教員の身分が保障されている。日本でもやはりそれだけの保障をして教員の身分が尊重されなければならぬという教育基本法規定ができてこなければならぬ。同様に、社会教育委員につきましても、先ほど実例をあげましたような、三人とも首にされてしまうというようなことがあってはならぬ。社会教育委員につきましても、あるいは社会教育主事につきましても、身分の保障をする必要がある。そうしなければ、ただいま私の心配していることが解消できないと思うのであります。その点につきまして大臣はどうお考えになりますか、伺います。
  73. 橋本龍伍

    橋本国務大臣 社会教育委員の人事につきましては、これは公正に行われますように十分考えて参らなければならないと思いますが、ただこの教育の運営に当りましては、教育委員会が実施に当るということでありまして、私は、やはり、教育委員会の運営ということにつきましては、基本的な問題については法に準拠して公正に行われるようにということを申しますけれども、あまりこれに立ち入って文部省から干渉することはいかがかと考えております。  社会教育委員の身分の保障ということにつきましては、まだ今日考えておりません。
  74. 長谷川保

    長谷川(保)委員 委員長から先ほどお話がありましたから、私は一応ここで切りにしておきます。しかし、もし修正案の趣旨説明が行われた後に、なおこの委員会が続くのでございましたら、今日私の残りの第二段の質問につきましては、同様重要な質問でございますから、許されんことをお願いします。
  75. 臼井莊一

    臼井委員長 それでは、西村力弥君ほか三名より修正案が提出されておりますので、提出者より趣旨説明を求めます。西村力弥君。     〔発言する者、離席する者あり〕
  76. 臼井莊一

    臼井委員長 西村君の趣旨説明を求めます。     〔発言する者、離席する者あり〕
  77. 臼井莊一

    臼井委員長 それでは、西村力弥君に申し上げますが、趣旨説明を求めます。     〔発言する者、離席する者多し〕
  78. 臼井莊一

    臼井委員長 西村力弥君。
  79. 西村力弥

    ○西村(力)委員 それでは、私たちが先ほど提出いたしました社会教育法等の一部を改正する法律案に対する修正案の趣旨説明を行いたいと思います。さて、この趣旨説明、十分に想を練り、稿をまとめようといたしておりましたところが、委員長の方から急速に提案理由の説明を行うようとの督促がありましたので、そのことが思うように参りません。最も貴重なる時間でありまするから、簡潔にこれをまとめて行いたいと思っておったのでありまするが、その思いにまかせず、やむを得ずある程度の時間がかかるであろう、この点は前もって御了承をお願い申し上げたいと思います。なお、私も生きておるからだでございまするので、適当な時間になればやはり食事もとらなければならない。こういう場合においては、お互い大事なからだでありまするし、健康にさわってもいけませんので、その際においては委員長においてぜひ食事の時間をお許し願いたい。その点をお願いしておかなければならないと思うのであります。  さて、社会教育は、その根ざすところがまことに深く、また、その範囲も非常に広い。しかも、学校教育社会教育と三つ並べてみました場合において、そのいずれが大事であるかというようなことは、だれもが断定はできない重要性を持っておるものだろうと思うのであります。この重要なる社会教育法を審議するに当りましては、私たちはまず社会教育の根本的な問題からこれを検討し、そこに思いをいたしてやらなければ、社会教育を振興しようとして、むしろ角をためて牛を殺すという結果を見る、私たちはその点を非常に憂えておるものであります。  私たちは、忘れもしないこの間の大戦で苦汁をなめておるのでありまするが、民族がああいう不幸な悲惨な状態に入るその過程において、社会教育がいかなる形をもっていかなる役割を果したか、こういう点を私たちは絶対に忘れずに、思い起してこの審議に入らなければならないと思うのであります。現在政府提案の、あるいは参議院修正の今回の改正案を見ますると、私は、ヒトラー・ユーゲントではないけれども、岸さんのトラ、キシトラ・ユーゲント、これは言葉は悪いのでございまするが、そういうようなものが発生するという危惧を持ちます。また愛国婦人会というようなものが発生する、そういうこともあながち私だけの恐怖ではないだろう、こう思うのです。そういう点から、私たちはどうしてもやはり社会教育そのものの本質にわれわれの思いをはせなければならぬと思うわけであります。  そのために、いろいろ各方面の文献もあさってみましたが、その一例としまして、私の非常に感銘を受けたものは、東大教授の宮原誠一氏——社会教育学界のオーソリティである宮原誠一氏の所見であります。これを私は非常に感銘を受けて読んだのでありまするが、このことを例として申し上げますならば、まず、「社会教育という言葉がいっぱんに用いられるようになったのは、いつごろからであろうか。それは第一次世界大戦後、大正の中ごろ以降のことである。それ以前には学校教育以外の、一般民衆を対象とする教育のことをよぶのに、通俗教育という用語が用いられていた。明治四十四年に文部省の通俗教育委員会設置された。この通俗教育委員会仕事は、「国民道徳ヲ涵養シ、健全ナ思想、常識ヲ養成スル」ため講演、資料、読物、幻燈画、活動写真のフィルムなどを選定、編集、あるいは作製し、図書館、巡回文庫、展覧事業、講演会などに資することで、要するにこんにちの社会教育のことである。大正八年に文部省普通学務局に第四課がもうけられて、はじめて社会教育のことをあつかう課が特立されたが、このときもまだ分掌規程には「通俗教育二関スルコト」となっている。この新設第四課が正式に社会教育課と改称されたのは大正十三年で、社会教育課社会教育局に発展したのは昭和四年である。」、こういう点は一々申し上げてもあまり参考にはならないと思うのでありまするが、しかし、そういう歴史的な過程をたどって、だんだんと社会教育のあるべき姿というものを浮き彫りにしておる。こういう点から、私は、その点についてもやはり一応申し上げておかなければならない、こう思っておる次第でございます。  ところで、こういう経過をたどったのが、「こんにちでは社会教育という言葉は、かなり耳なれてきたが、しかし考えてみると、ずいぶんあいまいに用いられている。あいまいに用いられている点で、それは文化という言葉に似ている。文化、文化的、文化国家などというと、ふつう、それだけでけっこうはなしは通じるが、さてあらためて文化とは何ぞやと考えてみると、よくわからない。そして文化という言葉にめいめいが、じつにさまざまな意味をもたせていることに気がつく。文化という言葉を口にするとき、ある人はだいたい芸術とか文学とかといったことを考えている。ある人はさしずめ道徳とか宗教とかいったことを考えている。また、ある人は生活の科学化とか美化とかといったことを考えている。さらにまた、ある人は発電所や近代的大工場や高速度交通機関のこと、つまり技術とか物質、文明とかいったことを考えている。社会教育という言葉も、これとおなじで、ある人は社会教育といえば何をおいても、まず青少年の不良化防止のことを思いうかべる。ある人はさしあたって、図書館や読書指導のことを考えている。ある人は公民館のことで胸がいっぱいになる。また、ある人は、いちずにPTAのことを思いつめている。府県教育委員会社会教育事業計画をみると、乳幼児の保育のことからはじまって、子供の生活指導あり、少年団あり、青年団体あり、婦人団体あり、図書館運動あり、公民館運動あり、視覚教育あり、放送教育あり、純潔教育あり、体育、レクリエーションあり、まず要するに結構なものはなんでもございといった厖大な事業要目がならべたてられている場合がしばしばある。こういうことは、わが国だけのことかと思うと、そうでもないらしい。一九四四年に出たアメリカの新しい教育辞典の「成人教育」という項目をひらいてみると、冒頭一番、「成人教育という用語は、各人にとって各様のことを意味する」と書いてある。そして、ちょうど、いま、われわれがみたような各人各様の社会教育観念とおなじような調子の例がこれにつづいている。また、アメリカの有名な歴史家J・T・アダムスが一九四四年に書いた成人教育論のなかで、成人教育とは「ごちゃまぜ」であり、「ごった煮料理」であるといい、成人教育の領域に分けいると、あまりの錯雑さに生きた心地もなく、アフリカのジャングルのまんなかにただひとり。パラシュートで降下してしまった飛行士の気持もかくやと思われると書いて」おります。  社会教育という社会通念があいまいであることは以上のようでありますが、しかし、いずれにしましても、「社会教育という言葉が、学校教育という言葉に相対して用いられていることは、事実である。教育法令のうえでも、われわれは教育基本法を具体化したものとして、学校教育法社会教育法の二つをもっている。社会教育とは、とにもかくにも学校教育にたいするものなのであろう。そこで、つぎにわが国における法令上の概念として、社会教育がどのように規定されているかを見てみよう。」と書いてあります。  これを見ますと、やはり、社会教育というものはさまざまな様相を呈しておる、そうしてそれぞれ技術的な立場においてこの運営をやり発展をやっておる、こういうところをまず私たちはしっかりと考えていかなければならないと思うのでございます。これはさまざまな形があってよろしいはずなのでありまして、そういうさまざまな形があることは結局どこから来るかというと、一つのものからのコントロールといのは絶対にこれには及んでいない、及ぼしてはならない、こういう立場からこのように参っているのだ、こう私は申さざるを得ないと思うのであります。
  80. 臼井莊一

    臼井委員長 西村君にちょっと申し上げますが、お出しになった修正案に直接関係のある点に限定して趣旨の説明をお願い申し上げます。     〔「みんな聞いたらわかるんだ、直接関係があることが」「明快にやるんだ」と呼び、その他発言する者あり〕
  81. 西村力弥

    ○西村(力)委員 そういう意味から、私たちは、この社会教育法を取扱う場合においては、絶対にコントロールというような、そういうことを及ぼさないということを前提としていかなければならない、こう私たちは考えるわけなのでございます。  この社会教育基本的な性格につきまして、今申したような立場から歴史的な範疇の問題として検討してみますときに、私もこれに対する意見は持っておるのでありますが、整理をする時間的余裕がありませんことは先ほど申し上げた通りなのでございまして、まことに遺憾ではございますが、この宮原氏の記述されているこのところを例として皆さん方に提供する、このことをお許しが願いたいと思うわけなのでございます。私たちは、「社会教育がいかなるものとしてわれわれの周囲にあらわれているか、社会教育がいかなるものとして法的に規定されているかをみた。しかし、社会教育という事象の本質を理解するためには、われわれはこのいわゆる社会教育なるものが、ある時代のある社会において一定の事情のもとに発生し、発達したものであること、いいかえれば歴史的なものであることを知らなければならない。つまり、社会教育歴史的範疇としてとらえなければならない。社会教育を論じる人びとが好んで説くように、また近ごろは生活教育ということを論じる人びとが好んで説くように、学校という特別の教育機関が発達したのは人類の歴史上、そんなに古いことではない。しかも学校教育をうけたという経験を一般民衆の身のうえのこととしてみるならば、それは、じつに近ごろのことであるにすぎない。こんにち、われわれのおたがいは義務教育の普及によって、とにかく学校教育の経験をもっている。学校という何かの観念を、だれもが身についたものとしてもっている。しかし社会の成員の大多数をしめる一般民衆が、学校教育の経験をもつようになったのは、欧米の先進国の場合でも、たかだか百年このかたにすぎない。たんに法令として紙の上できめられているだけなら、フリートリッヒ・ウィルヘルム一世は一七一七年にプロイセン全土の児童の就学義務を定めた法令を出している。また新大陸においては、すでに早く一六四二年、清教徒神政下のマサチューセッツが児童の一般就学義務を規定した法令を出している。」……     〔「その読み方じゃ丙だぞ」と呼び、その他発言する者多し〕
  82. 臼井莊一

    臼井委員長 速記がとれませんので、御静粛に願います。
  83. 西村力弥

    ○西村(力)委員 「しかしこれらの要求は、あらかた紙の上にとどまった。一般民衆のために、俗語による読み書き算を教える簡単な学校は、中世ヨーロッパの諸都市に、十三世紀のはじめごろからあらわれ、わが国の江戸中期の都市およびその周辺には、それとおなじ性質の庶民の学校、すなわち寺子屋があらわれている。しかし、こうした庶民学校の手のおよんだ範囲は、これらのものの最盛期においてさえもきわめてかぎられたものであり、それぞれの社会の大多数の民衆の身のうえにはかかわりをもたぬものであった。人類は、長く学校というような特別な教育機関をもつことなしに生活してきたし、またそういう特別の教育機関が発生してからも、大多数の民衆は、これになんの関係をももたなかった。しかし、人間の社会生活がいとなまれるところには、かならず教育活動が行われている。人間は社会生活そのものを通じて、よかれあしかれ、おのずからにして一定の態度や教養を習得する。このようなおのずからなる人間の形成を多かれ少かれ目的意識的に統御しようとするいとなみが人間の社会生活には行われてきた。この人間形成のための目的意識的な活動こそが、教育と名づけられるべきものである。狩猟経済の段階にある未開人のあいだにおいてさえ、子供たちはただに狩猟や漁撈への直接の参加を通じて大人たちから仕込まれるばかりではなく、けものや魚のとり方について特別の練習を課せられていた。人間の形成を目的意識的に統御しようとする活動、すなわち本来の意味における教育活動は、あらゆる歴史時代のあらゆる社会集団の内部で行われてきた。それは未開社会の血縁集団の内部で、父家長制の家族及びその近隣で、中世の都市の手工業者の仕事場で、勃興しつつある商人の店舗の中で、僧院で、宮廷で、あらゆる時代のあらゆる社会生活の局面で、教育活動は行われてきた。それは、社会生活の存立のためにも、個人の生存のためにも、どうしても行われなければならないしつけや仕込みとして行われてきた。もし社会教育という言葉を、ただたんに学校という特別な教育機関によらない教育活動という意味に用いるならば、教育の原形態は社会教育であるということができる。この意味においては、人類の教育は本来社会教育として人類の歴史とともにはじまったものであって、その社会教育がしだいに組織的な方法で行われるようになり、やがて、いっそう組織化された方法として、学校教育がこの社会教育の内部から産み出され、分化したのである。それであるからこの意味においては、社会教育こそ教育の本源である。学校教育は、本来社会教育組織的、制度的に編成されたものである。しかしながら、以上のような教育原形態としての社会教育と、こんにちわれわれの周囲にみられる、いわゆる社会教育とは異る概念として区別されなければならない。後者は近代的学校制度の成立の後において、この学校制度にたいするものとして発生し、発達したものであるという点で、前者とはその本質を異にするものである。こんにちわれわれが周囲にみるところのいわゆる社会教育、義務教育制度が確立され、学校教育の経験が一般化した後においてあらわれた。それは学校教育との関連において、特別の目的をもった運動として、あらわれてきたものであって、人間の社会生活のなかでおのずからなる根本的機能としていとなまれてきた、かの社会教育とは異る意味をもつもので」あります。  「われわれは古代社会や中世社会において、宗教家や政治家や学者が行った民衆教育と、今日のいわゆる社会教育とを単なる連続的な発達線上においてはならない。両者はまったくその歴史的内容を、社会的意味を、一言でいえばその本質を異にするものである。古代における社会教育、中世における社会教育、近世における社会教育というように、社会教育という概念を歴史をとびこえた非歴史的概念としてあつかったのでは、こんにちわれわれの周囲にみられるいわゆる社会教育なるものの本質を理解することはできない」のであります。  そういうことでありますので、私も、この根本的な概念として、ずっとこれを検討しなければ、ほんとうの理解はできないと思って、煩を顧みず今例示しておるわけなのでございます。  「たんに学校という特別の教育機関を用いないで行われた教育活動社会教育とよぶならば、そのあとをたどることは、かならずしも困難ではない。聖徳太子も、弘法大師も、貝原益軒も、石田梅巖も、二宮尊徳も、くだっては福沢諭吉もみな偉大な社会教育家ということになるであろう。なぜならば、これらの人びとはいずれも学校教育によらない教育活動を大いに行った人々であるから」であります。このようにいたしまして、「社会教育は古代以来、ときに消長はありながら、連綿として発達の歩みをつづけ、現代の盛行をみるにおよんだというふうにとりあつかうのが、これまでの代表的な社会教育論の一般傾向である。そして戦後においては、このような非歴史的、形式的社会教育観に「民主主義」が添付され、近代における民主主義思想の勃興によって社会教育の発達が大いに助長されたというひとくだりがとりつけられるのがつねで」あります。  「すべてこのような非歴史的な立場からは社会教育の本質を理解することはできない。われわれの前にあらわれているところの社会教育という事象を前にして、われわれがまず最初になさなければならないことは、なんであろうか。それはこの現象形態の真実の意味、またいいかえれば本質をあきらかにすることで」あります。「そしてそれは、社会教育という現象形態の歴史的素性をあきらかにすることによってのみ可能なことである。」、かように申しております。  それで、私は、この審議におきまして、こういう社会教育歴史的な発展過程、こういう検討が全然なされなかったこと、この点についてははなはだ遺憾とするものでございます。今宮原誠一氏の所論を参考に申しましたが、後ほどこの提案理由が終りましてから、幸いにしてこういう社会教育歴史的な素性という点を明らかにする御質問があれば、われわれとしてはまことに仕合せであると思う次第でございます。  さて、そういう歴史的な過程を、なお一応皆さんの御理解をいただくために申し上げまするならば、「近代的学校制度に相対するものとしての社会教育運動は、世界各国を通じて、だいたい十九世紀にはじまり、第一次世界大戦後急速に発展のいきおいをしめし、以後発展の一路をたどって現在におよんでいるもので」あります。「このいわゆる社会教育運動が、近代的学校制度に相対するものとしておこったという、その「相対する」関連とはいかなる意味をもつものであったか。これをあきらかにすることが、こんにちのいわゆる社会教育なるものの歴史的素性をあきらかにし、したがってその本質をあきらかにすることにほかならない。「相対する」関連は次の三つの意味において理解されなければならないと思われ」ます。その第一番目は「学校教育の補足として」これが行われる。第二番目は「学校教育の拡張として」これが行われる。三番目は「学校教育以外の教育的要求として」これが行われる。かような分類ができるのでございます。(発言する者あり)  ところで、委員長、先ほど私要求しておきましたが、やはり、話をしておりますと、(発言する者あり)ますます、——水を飲んだだけではおさまりませんので、一つこれでちょっと中止しまして、食事にお願いしたいのですが……。
  84. 臼井莊一

    臼井委員長 それでは時間ももうすでに三十分以上趣旨説明を続行されておりますので、従来の趣旨説明の常識からいたしまして、あと十分間くらいで御説明を願いたいと思います。   [「そんなばかなことはないよ」と呼び、その他発言する者あり〕
  85. 西村力弥

    ○西村(力)委員 それではとても言い尽せませんので、そういうことをやるとすれば、あなたは、われわれが真実真剣に誠意をこめて修正案を出し、これの提案理由の説明をしておることに対して、委員長の一方的な権限で、われわれが提案理由の説明をすることを妨害する、そういうようなことは国会としては許せないことであると思う。これで一つ食事にしていただきたいと思う。
  86. 臼井莊一

    臼井委員長 西村君の趣旨説明を簡単にお進め願います。     〔「そんなことを制限するなんていうことは国会の慣例にありません」と呼び、その他発言する者あり〕
  87. 西村力弥

    ○西村(力)委員 委員長、とにかく食事を要求いたします。
  88. 臼井莊一

    臼井委員長 どうぞ続行を願います。
  89. 西村力弥

    ○西村(力)委員 食事にしてもらおう。食事にしてもらいたい。(「飯にしてくれ、一時半だよ」「堂々とやれ」と呼ぶ者あり)それではもう少し続行しますが、これは生理的にも限界がありますので、飯にしてもらいたい。(「提案理由の説明の内容に入ったらどうかね」「内容に入っているじゃないか」と呼ぶ者あり)食事を要求する。     〔「続行々々」と呼ぶ者あり〕
  90. 臼井莊一

    臼井委員長 西村君の趣旨の説明を続行願います。
  91. 西村力弥

    ○西村(力)委員 食事だ、食事だ。食事にしてもらいたい。(「修正案を出されているのだから内容を説明したらどうですか、一時間やって一言半句も触れていないじゃないか」と呼ぶ者あり)それでは私も非常に疲労し、また空腹になりましたけれども、皆様方がせっかくさように仰せられますので、もう少しやっておきたいと思うのであります。しかし、どうぞ一つ、もう少したったらばぜひ食事をさせてもらいたい。それを一つ、委員長、お認め願えませんか。
  92. 臼井莊一

    臼井委員長 西村君に申し上げますが、大体一時間以内で一つ趣旨の説明を御終了いただきたいと思います。     〔「提案理由の説明に制限はない」「合法的議事妨害だ」と呼ぶ者あり〕
  93. 西村力弥

    ○西村(力)委員 それでは、もう少しやりたいと思いますが、それで、学校教育社会教育との相対するそういう立場について三つの立場考えられるのでありましたが、その第一、第二は省略をいたしまして、第三のケースである学校教育以外の教育的要求としての社会教育、こういう観点に立ちまして、いささか社会教育の本質に通ずる検討を進めてみたいと思います。  「社会教育を論じる人びとのあいだには、学校教育と、もともと社会教育組織立てられたものであるということを簡単に裏がえしにして、社会教育とは、まだ学校教育にまで組織されるはいたらない、未組織の、または組織過程中の教育であるというふうに説くものが少くない」のでありまするが、「これは、学校教育以外の新しい教育要求がおこってきているということをみとめながらも、やはり学校制度にとらわれた学校教育中心の眼鏡でものごとをみている立場で」あって、「現代の社会には、学校教育とは別個のまったく新しい教育的要求が、かずかずおこってきている。これらのものは、学校教育を補おうとするものでもない。学校教育を拡張しようとするものでもない。また、ゆきさき学校教育として編成せられるべきものでもない。これらのものは、学校教育の分身でも芽生えでもない独自の教育的要求としておこってきている」ものであります。「これらの教育的要求は、学校教育としてではなく、それ自身として、組織化せられるべきものであるし、現に多かれ少かれ、そういうものとして組織されてきている」のであります。「この形態の社会教育は、つぎの三つの方面に分類することができる」のであります。そういう場合に、考えてみますると、学校教育以外の教育的要求に基いておる社会教育というものはいろいろな形になって現われてきておるわけでございます。それを詳しく申し上げたいのでありますけれども、なかなかそういうわけにも参らぬと思いまするので、その項目だけをここに申し上げてみたいと思うのでございます。  第一番目には、現職教育。これは、おもに必要に応じてなされる再教育的な職業教育、こういうことであります。その次には余暇の善用、次にはまた精神的な指導、こういうものもその範疇に含めらるべきものであると思うのであります。次には生活改善の一つの教育活動、次には青年運動、もう一つは労働者の教育、こういう分類が可能になって参るだろうと思うわけなんでございます。  そこで、現職教育とか精神指導とか余暇の善用、こういうものはさておきまして、重要だと思われる青年運動の問題について少し解明を行なってみたいと思うわけなのでございます。「青年が相つどって心身の訓練や芸術的活動や教養摂取の機会を持つなど、さまざまな自己教育活動を行う青年運動は、ヨーロッパでも、アメリカでも十九世紀末ないし二十世紀初頭のころから、新しい一つの流れとしておこっており、それは第一次世界大戦後、どこの国でも国家主義的風潮を主導力として大きく発展している。ここでも前のボーイ・スカウトについて述べたのとおなじように、国家主義的傾向の主導のもとにおいてとはいえ、青年の自由がたたえられている楽しさ、青年の自立的活動がとうとばれている明るさを、われわれは見ることができるしのであります。「ナチス治下のヒトラー・ユーゲントの運動といえども、一九〇一年以来の「渡り鳥団」にみられる青年の自己決定、青年の自由の要求の伝統を無視することはできなかったので」あります。「青年は、自由を求めるものである。わが国にも自由な青年運動の芽ばえはあった。しかし、それはただちにつみとられた。わが国においては、明治初年この方、全国各地に、青年会、青年クラブ、青年団などの名で、社交、奉仕、娯楽、修養などを目的とする青年団が存在していて、政府は明治末期ごろからその活用に着眼していたが、第一次世界大戦の勃発とともにその積極的統制にのりだし、大正九年ごろまでには、これを国家主義的修養団体としてほぼ全国的に編成しおえ、大正十三年十月には、大日本連合青年団が設立された。かくして青年団運動は、前項の婦人団体運動にならっていえば、教化運動青年版となり、このものが極端な国家主義的精神運動の最重要な基幹部隊としての活動を最後の日までつづけたことは周知の通りで」あります。  ここで申しまするならば、宮原氏は、ヒトラー・ユーゲントにおいてさえも、青年の自己決定、青年の自由の要求の伝統を無視することはできなかった、こういうことを言っております。     〔委員長退席、稻葉委員長代理着席〕  そこで、今回の政府提案の社教法の十三条を削除する点でありまするが、ヒトラー・ユーゲントにおいてさえもこのように自律的活動というものは無視することができずにあったということから、十二条を存置しても決して統制というものは行われない、こういう所論がなされるかもしれませんけれども、しかし、私たちは、ヒトラー・ユーゲントにおいてさえも自律的活動というものは無視されなかったということは、青年の持つ特性から来るレジスタンスである、こういうことを言わざるを得ません。これは、統制を行わんとするも行い得ないのではなくして、統制をしようとするにも、そこには青年の必死のレジスタンスがあったのだ、そういう青年の独自の生きていく、伸びていこうという力、それは権力の圧迫があろうともこれに抵抗するが、しかし、抵抗があるからそれで統制がきかなかったのではなく、本質はやはり、ノー・コントロール、ノー・サポート、こういう立場でいかなければならない。青年がレジスタントとして青年時代を過すというようなことがなく、青年の若き生命と情熱、それを十二分に生かして人生をエンジョイしていく、そういう方向にわれわれは最も愛情をもって細心の注意と配慮を行わなければならない、こう思うのでございます。われわれの修正案は、社教法の第十三条を削除する点を現法律に戻すという重要な点があるのは、こういう観点に立つのでございます。     〔稻葉委員長代理退席、委員長着席〕     〔「飯を食わせろ」と呼び、その他発言する者多し〕
  94. 臼井莊一

    臼井委員長 どうぞ趣旨説明の続行を願います。     〔「発言がなかったら終ったものとしてやればいい」と呼び、その他発言する者多し〕
  95. 臼井莊一

    臼井委員長 西村君に申し上げますが、もう一時間になりましたので、趣旨の説明は終ったものと考えます。     〔「そんなことがあるか」「提案理由の説明中に終ったということがあるか」「だって説明をやらないじゃないか」と呼び、その他発言する者、離席する者多し〕
  96. 臼井莊一

    臼井委員長 西村君に申し上げますが、趣旨説明を続行いたさなければ、終了いたしたものと認めます。     〔「そんなばかなことがあるか」「説明したまえ」と呼び、その他発言する者多し〕
  97. 臼井莊一

    臼井委員長 西村君は一時間以上すでに時間を経過いたしておりますから、趣旨説明を終了したものと認めます。     〔拍手、「ばかを言うな」と呼び、その他発言する者、離席する者多し〕
  98. 臼井莊一

    臼井委員長 それでは質疑をやります。     〔「何を根拠にしてやるか」「前例がないぞ」と呼び、その他発言する者、離席する者多し〕
  99. 臼井莊一

    臼井委員長 それでは、理事の諸君、集まって下さい。
  100. 西村力弥

    ○西村(力)委員 先ほど委員長は提案の理由の説明を打ち切ると宣言なさいましたが、これを正式に取り消されたかどうか。
  101. 臼井莊一

    臼井委員長 西村君に申し上げますが、西村君はまたよほど時間がかかりますか。
  102. 西村力弥

    ○西村(力)委員 相当かかる予定です。
  103. 臼井莊一

    臼井委員長 それでは、西村君の提案理由は続行することを認めますが、その間、一応理事の間で、一体どのくらいおやりになったら済むか、それを一応お話しになってみて下さい。
  104. 西村力弥

    ○西村(力)委員 だいぶ疲れましたので、声が小さくなってしまうのです。だいぶ空腹かつ疲労を覚えて参りましたので、声が小さくなると思いますので、静粛にお聞き取りが願いたい、こう思うわけであります。  ところで、問題は……
  105. 臼井莊一

    臼井委員長 なお、西村君にちょっと御注意申し上げますが……
  106. 西村力弥

    ○西村(力)委員 現在私たち国民全体が総力をあげて達成していかなければならないのは民主主義国家の建設、こういうことであります。それで、その民主主義というものと社会教育というものをどういう工合に関連性を考えていくか。私たちは民主主義の完全なる発展を目的としておるのでございまするから、この社会教育もそのような方向に立って配慮せられ、検討せられなければならない、かように思うのであります。その点から、その関係をこれからいささか分析、検討をいたしてみたいと思うのでございます。  この点に関しましても、私は一応の見解を持ってはおるのでございますが、事早急でありましたので、まことに相済まぬ次第でございまするが、一つの参考例としまして、前に続きまして宮原氏の一章を皆様方に読み上げてお聞き取りを願う以外にはない、こう思う次第でございます。  さきに述べた「社会教育の三つの形態を通じてみられることは、これらのものの、発達の基底に、民主主義の発展という大きな歴史の潮流が流れていることで」あります。「そしてもうひとつ、通信、交通手段の発達という技術的、物質的条件が、社会教育の発達をたすけて」参りました。「社会教育の発達をささえる大きな三つの条件は、やはりデモクラシーとテクノロジーである。」、こう申さなければなりません。「いっぱんに民主主義の発達と通信、交通手段の発達とはわかちがたく結びあわされているが、民主主義の嫡出子である社会教育の発達もまたあきらかにコミュニケーションの技術の進歩によってささえられて」おります。「二十世紀における義務教育制度の普及によって文明国では、だれもが読み書きができるようになったことと、大量的な通信手段の発達——いわゆるマス・コミュニケーションの発達という二つの条件が、社会教育の発達のいわば技術的可能性をもたらしたので」あります。通信、交通手段が発達しなければ、とうてい広く民衆を対象とする教育活動は行われえ」ません。
  107. 臼井莊一

    臼井委員長 西村君に申し上げますが、委員長は修正案の趣旨の説明を求めたのでありまして、あなたの説明は許可の範囲を越えておる点が多いように見受けられます。従って、場合によっては、先例によりまして発言を中止することがあるかもしれませんので、あらかじめ御注意申し上げます。委員長の発言の許可の範囲を越えないよう、(「何が先例だ」と呼び、その他発言する者、離席する者多し)発言の許可の範囲を越えないよう注意を願います。
  108. 西村力弥

    ○西村(力)委員 「交通機関が発達していなければ」……(発言する者、離席する者多く、聴取不能)「社会教育の発達はどのように促進されることであろう。そして二十世紀わけても最近四半世紀は、そのようなコミュニケーションの技術の未曽有の急激な発達の時期であった。社会教育の急激な発達の時期があたかもこの時期とかさなりあっていることは、当然のことであるといわなければ」なりません。  「さて社会教育はたしかに民主主義の発達にともなって発展したが、しかしこのことは、社会教育がいっでも民主主義的な目的をもって行われたとか、社会教育の内容はいつでも民主主義的であったというような単純なことを意味し」ません。「十九世紀の民主主義は政治的な、法制的な民主主義で」ありまして、「それは等価交換の原則の上に立つ資本主義的経済活動の自由を法律によって保障し、この法律の前における万人の平等をみとめ、さらに立法機関にたいする成年男子普通選挙権を一般化した。この法制的民主主義をさらにいつそう拡張するとともに、これを経済的、社会的に裏づけようとする二十世紀の一般傾向を、かりに社会民主主義と呼ぶならば、社会教育の本世紀における急激な発達をうながした思想的背景はまさに社会民主主義の勃興であるといってよい」のであります。「奴隷でもなく農奴でもない賃金労働者は自由意思にもとづいて雇傭契約をむすぶことも解除することもできるが、かれはこの自由をめったに駆使することはでき」ません。「なぜならば多くの場合、この自由はかれにとっては、じっさいには失業する自由であり、餓死する自由であるにすぎないのだから。同じように、すべて国民は個人として尊重され、幸福追求の権利を平等に保障されると法のうえに規定されていても、それだけでは国民がじっさいに人間として平等であり得ることの保障には」なりません。     〔発言する者多し〕
  109. 臼井莊一

    臼井委員長 お静かに願います。
  110. 西村力弥

    ○西村(力)委員 「はやいはなしが、住宅でも食物でも衣服でも家具調度でも病院でも劇場でも自動車でも、生活の最良の利便と最高の快適さをほしいままにしている少数者と、これらのものにほとんどまったくあずかることのない多数者とのあいだには、なんらじっさいに人間としての平等はありえ」ません。「また法のうえで、思想の自由や言論の自由があたえられていても、読書や研究の余裕や便宜もなく、言論発表の機会や資材もないならば、ひとはこれらのことについてすこしも自由ではありえない。そこで、たんに法制のうえでの自由、平等だけでよいものと考えず、自由、平等の経済的、社会的な裏づけを押しすすめて、万人の自由、平等を名実ともに実現してゆかなければ」なりません。「こう考えるのが社会民主主義一般的な風潮で」あります。「この一般的な風潮のなかには社会主義的な立場も修正資本主義的な立場も、また漠然としたヒューマニスティックな気持からの要求もふくまれている」でありましょう。いずれにいたしましても「二十世紀の前半に、とくに第一次世界大戦後・各国における労働者階級の勢力のたかまりを背景と」いたしまして、「このような世界的な風潮が勃興した。そしてこの民主主義の新しい発展が社会教育の発達のもっとも一般的な思想的背景であったことは確かで」あります。「そこで、社会教育が、民主主義の発展にささえられて発達しながらも、かならずしもつねに民主主義的な目的や内容をもつものではなかったとはどういう意味か。それはすでに前節において繰りかえし示唆したところである。すなわち、社会教育は、社会民主主義の勃興にともなって、民衆の下からの要求として発展したが、また一方、民衆の民主主義的自覚にたいする支配的階級の上からの対応策として推しすすめられた。これまでの歴史的なものとしての社会教育の中にはこの下からの要求と上らの要求とが合流して」入りまざっている。こういう工合に書いておるのであります。  それで、この点は非常に重要なものでありまして、宮原氏の言うように、社会教育は資本主義的なイデオロギーにささえられながら発達したけれども、しかし、現在社会主義的民主主義というものを考えてそれを求めていこうとする場合において、ほんとうに各自の働く自由も、あるいはそれをやめる自由もあるにしましても、それが支配階級からのいろいろな圧迫あるいは強硬なる法的措置、そういうようなものによってこれがゆがめられておる、そういうような状況にあるのでありますが、それを乗り越えて、そうしてはっきりとした民主主義をわれわれが形成していかなければならない。ことに、社会教育関係におきましてはそれを求める清純なる気持というものは、この社会教育法に一貫して流れなければならないと思うのであります。それでありますので、たとえば公民館の基準を文部省がきめる、こういうような行き方は、明らかにほんとうの民主主義を作る場合においては逆行する措置と申さなければなりません。公民館の運営は、そこに寄り集まる青年男女諸君あるいはその地域住民、こういう人々がそこに集まってお互いに教育教育され、意思を疎通し、そうして地域活動を高め、おのれの住んでおるなつかしいふるさとのその発達を願う。こういう気持でやっておるのでございまして、そこに何らの制肘も求めてはおりません。あるものは、おのれたち自体の喜びだけです。求めるのはそれだけなのです。でありまするから、その運営は、そこに集まる諸君の自由なる意思というものは絶対に保障されなければならない。こう考えてみましたときに、公民館の設置基準を文部省が制定するというのは、まことにおせっかいしごく、社会教育の目ざす本質を根本からゆがめてしまう、こう申さなければならないのであります。文部省に地域住民が願うのは、昨日の公述人も、新潟県のどなたでございましたか忘れましたが、熱烈なる意見の開陳がございましたが、公民館の設備、そういう問題についてのもっと大きい文部省予算的な配慮を願う、こう申しておりましたが、設置基準を作っておれたちがその基準に従ってやるような工合にしていただきたいと願った言葉は一言もお聞きしませんでございました。それでありまするから、私たちはこの修正案に載せてありまする通り、一条中の社会教育法第二十三条の二の改正規定中「(公民館の基準)」を「(公民館の設置基準)」に改め、「公民館の健全な発達を図るために、」を削って、「及び運営上」を「に関し」に改め、「及び運営され」を削る、こういう修正案を出しておるような次第でございます。  さて、今度は、一般的な論から、社会教育法のその持っておる特性について、法自体に直接いたしまして、いろいろと考えてみたいと思う次第でございます。この社会教育法は、いろいろこれまでの論議を拝聴しておりますと、まことにゆがめて、御用的解釈あるいは御都合的解釈によって、そうして文部省の企図される法改正を合理化しよう、こういう意図がもう十二分にうかがえるのでありますが、私たちは、もっとすなおに、この社会教育法それ自体の特性について検討をして参らなければならない、かように思っておるものでございます。社会教育法、それが何にのっとっておるか、こう考えてみますと、もちろん、これは学校教育法と同じように、教育基本法にのっとっておる、これは申すまでもないことであると思うのでございます。しかも、この教育基本法は、日本憲法にのっとっておる、その精神を体しておる、こう申さなければならないのでございます。そう考えて参りますと、憲法八十九条の公金の支出の制限、この条文は私から申すまでもなく賢明なる諸賢は十分におわかりと思いますが、しかし、重大でありますので、八十九条を一応ここで読ましていただきたいと思うものであります。「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。」、かように規定せられておるのであります。この規定が一貫して宗教法人法にも貫かれておるでしょう。あるいは社会教育法にも貫かれておらなければならないはずでございます。幸いにして、現行社会教育法はその第十三条において、社会教育事業を行うものに対して公けの金を出すことを禁じておりますが、その点は今一字一句間違わずに覚えてはおりませんので、間違ったことを申してはいかがかと存じますので、一応そこを開いて読んでみたいと思います。十三条には、「国及び地方公共団体は、社会教育関係団体に対し、補助金を与えてはならない。」、かように規定づけられております。このこと、法制局の見解、これに基く文部省の見解、そういうものがいろいろ述べられたけれども、しかし、憲法精神を受け、教育基本法精神にのっとってこの社会教育はあるべきものでありますから、この十三条と八十九条というものを別個に取り扱うというようなことは許されないことであると思うのでございます。しかも、幸いにこの十三条の規定があって、ノー・コントロール、ノー・サポートというような社会教育の一貫した立場というものが明示されておりましたが、今回その条項が削除せられ、国においては社会教育審議会の諮問を経て、地方においては社会教育委員会議に諮問をして公金を出し得る、こういう工合に修正されようとしておるのでありますが、しかし、こういう工合にやっては、いかにそういう議を経てやっても、民主主義的な姿をもってやられたにしましても、公けの支配に服さない社会教育事業に対して金を出すというようなことは結局その自主自律性を侵害するということに相なって参る、こう申さなければなりません。この点は、憲法違反の問題としてわれわれが追及をいたし、また多くの学者諸君がこれを憲法違反の疑いありと申しております。政府側が現在の憲法を全く無視に近いじゅうりんを行なってきておるというようなことは、一昨日の東京地裁の判決に表われました通り、政策論争を越えたものとして憲法は厳然と解釈されなければならない、こうなっておる。そういったことから見ましても、もちろんこれは最高裁の最終判決を待つまでは判例とはならないものだということは私も承知はしておりまするけれども、しかしながら、あのような判決が出たということは重大なことでございます。多くの学者あるいは学説が憲法違反の疑いを提起しておる場合において、憲法違反の疑いのあるそういう法改正というものはこの際慎しまなければならないと思うのです。第十三条の現行法通りの復活はそういうことをやることによって、社会教育が目ざすほんとうの自主自律という立場が、公けの金をつぎ込むことによってゆがめられるのだということとともに、一昨日の判決を見ましても、この際、政府及び与党の諸君は、憲法違反の疑いあるものはしばらく慎しんで遠慮する、こういう立場をとるべきが当然であると思う。そういう点から言いましても、この十三条の削除の復活については何としても御賛同願わなければならないと思う次第でございます。  先ほど長谷川委員から、このことは重要なものであるから、岸総理自体に憲法違反云々の問題について見解をたださなければならない、こう要求してあったのでございますが、今もって岸総理は姿を見せられません。私たちは、この点、この法案が重要であるだけに、絶対に長谷川委員の要求は取り下げられるべきものではないと思うのでございます。  ちょっと待って下さい。     〔「生理現象だ」と呼び、その他発言する者あり〕
  111. 臼井莊一

    臼井委員長 ちょっと速記をとめて下さい。     〔速記中止
  112. 臼井莊一

    臼井委員長 では速記を始めて下さ
  113. 西村力弥

    ○西村(力)委員 ただいまは、第十三条の件について、われわれの修正の趣旨を最も懇切丁寧におわかりになるようにやったのでございますが、先ほどは、こういう金の支出が、当然あるべき社会教育団体の姿をゆがめていく、社会教育が目ざす前進のための方向というものは完全にゆがめられている、こういう立場からと、それから、憲法違反の論議の渦中にあるものに対しては、政府はもっと慎重に謙虚にあるべきである、この二点を申しましたが、なお付加しまするならば、これはちょっと申すのもあまりおとなげないような気がするのでございますが、ここに私が持っておりまする、かつて文部次官であられた伊藤日出登氏が序文を書かれ、文部省の担当官である宮地茂氏が著わした「新教育法令読本」という本の中の社会教育関係のところの二百十二ページ、ここにはずっと前の方を省略して、「しかし社会教育関係団体はあくまでも民主的な団体であって、団体員みずからの負担によって組織され、運営さるべきもので、国や地方公共団体の補助金にたよるべきものではないのみならず、国や地方公共団体により補助金を支出することが団体を統制し、官制化するおそれもあるので、社会教育関係団体に対しては国が補助金を出すことは禁ぜられております。」、これは、もともと社会教育関係団体は公けの支配に属しない団体であるから、公金とか公けの財産は公けの支配に属しない教育事業に対しこれを支出し、またはその利用に供してはならないとする憲法八十九条の規定からも当然のことであります。このように、行政庁と団体との関係は非常に問題が多いのであるが、行政庁のこの指導助言が適切であるためには、団体実情を常に把握しておく必要があるので、文部大臣教育委員会は、「指導資料の作製及び調査研究のために必要な報告を求めることができる。」、こういう工合に書いてあります。助言を適切に行うために報告を求める、こういうようなことは現在認められておるわけなんでございますが、しかし、その報告を求めるにしましても、その報告が全く純粋に報告せられることがなく、ある特定の方向を意識せしめるような方向に行くというようなことを避けなければならないことは当然であるとともに、憲法八十九条に違反する、これは当然のことである、かように申してきたものが、今八十九条に関係なく支出し得られる、こういう解釈に変るというようなことは、まことに御都合主義であって、文部省の自分だけの御都合による解釈であって、これは絶対に許せないことであると思うのであります。憲法規定されておりまする通り天皇以下すべての官吏あるいはわれわれ議員、こういう立場の人々は憲法を十分に尊重していく義務が負荷されておるはずです。これは第九十九条でありますが、そこには「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」、こういう工合にはっきりと義務づけられておるのであります。それでありますから、この憲法解釈をそのときどきによって左右することは絶対に許されない。一度憲法八十九条の解釈を厳然と定めたならば、その解釈が時の政府の有権解釈によって拡張され歪曲されるなどということは許されないはずである。そういう立場からもこの十三条の削除というものは絶体に許さるべきことではない。あなた方が、これを憲法八十九条と抵触しない、こういう立場に立って強引に多数の力で押し切ろうとなさるけれども、われわれ国民は、そういう国の基本法をゆがめてまで強行手段をもって押し切ったそのあとの被害というものはだれに来るのか、それを非常に憂えるのです。あなた方は、多数であるならば何でもやれるし、形式的な民主主義をもって国民の意思としまするが、多数の国民がめくらにされること、それをまず防いでいかなければならぬ。多数の賛成が正しかったならば、大東亜戦争は最も正しかったはずだ。あのときには七千万か八千万の国民のほとんどが、時の強圧下にやられて、そうしてずるずると軍部官僚の独裁に追随した。だから、あなた方が多数でやることは正しいのだというならば、大東亜戦争が最も正しかった。そういう形式的な多数民主主義の論理を振り回すことは絶対に許されない。われわれ国民はいやというほどそれを体験しておる。そういう点から、われわれは第十三条の削除に反対の修正をいたしておるわけであります。  ところで、今申したような工合に、十三条を削除してサポートをする、こういうことになると、現在しておる青少年団体なんかはどういう変形を示すでありましょうか。まずこれを考える前に、青少年団の現状についていささか考究していきたいと思うものでございます。現在さような姿にある青少年団の組織なり運営なるものがいかになってくるか、これを考えるときに、前提として現在の青少年団体の実態というものがまず把握されなければならない。そういう立場から、その実態について考究を進めて参りたいと思うわけなのであります。  そこで、これも原稿に間に合いませんでしたので、まことに申しわけない次第でございますが、この宮原氏の本に準拠して、重要な点だけを申し上げてみたいと思うものでございます。青少年の社会性はどんなふうに発達をするのか、あるいは発達をしてきているのか、そういう点に関しまして、「これまで発表されました研究をみると、集団意識はおよそ十才ごろからで、組を中心とする活動(チーム・ワーク)に本格的に参加して、団体生活に直接の興味をもつというような形であらわれるのが普通であるといわれて」おります。「もっとも遊び仲間とよばれる集団のなかにはいってゆく傾向は、六、七才ごろから強くなるととわれているが、自分とちがった傾向をもつおなじ年ごろの広い地域にわたる人びとと結びつくことができるようになる時期はそれほど早くはない。」、「社会心理学がしめすところによれば、子供が自分じしんを自覚するには、その子供にたいする他の人の行為を、本人がどんなふうにうけとるかによって大いに異るこのであります。「その人を、とくに他の人から区別するところの人格というものは、あきらかに、その人の内部からの生長物で」ありますが、「また彼の周囲に生活している人びとの写像でもある。そして、生長発達がすすんでゆくと、他の人も自分とおなじような経験をもつものであるということを認識し、しだいに対人関係において自分を道徳的にみたり、ふるまったりすることができるように」なります。「こういう順序をへて、はじめて人間的同情や協同といわれる社会的な行為をなしうるようになるといわれて」おります。「さらに、一般傾向として、青年が成人に近づくにしたがって、その性格の柔軟性はだんだんと減じてゆき、その態度、慣習、価値観なども変化しにくくなることはあきらかで、人間の性格の基本構造はほとんどこの時期までに決定されるので」あります。  さて、こういう幼児からの発達過程をたどって参りましたが、その延長である相互教育、相互人格の練磨、こういうようなものが青少年運動として引き継がれて参るわけなんでありますが、この青少年運動が一つの社会運動であり、社会教育の形態であるとしますならば、その基本的な問題はまず、「自発的な生の形成、はつらつたる精神と身体の調和のうえに立つ文化建設のいとなみとであり、社会改造の重要な活力でなければしなりません。「しかしながら、わが国におけるこれまでの青少年団体のうごきは、こうした青少年運動の本質にふれることが少く、外からの指導によって左右されるという形式に落ちいってしまった例を、いくつかふくんで」おります。「このような他律的な関係をとりはらって、青少年みずからの活動を発展させるために、われわれは、「自由独逸」運動の誓いにあらわれている「自己の決定により、みずから責任をおび、内的真実をもって生を形成する」という代表的な精神をよく理解しておく必要があるしでありましょう。すなわち、自由と平等を信条として、われわれの生活をささえている現実の社会の困難な状態を積極的に解決してゆこうとする態度は、民主主義社会を継続させ発展させるために欠くことのできなともので」あります。「こんにち、学校教育社会の必要に応ずるため、いろいろのこころみを行っているけれども、学校はそれだけで現在のふくざつな社会構造の実態に応じて、つねに有効にはたらきうるとは限らない。むしろ学校教育社会生活を行ううえに基礎となるべき知識、技能、態度を身につけることに力を注ぐべき」ものであります。「青少年教育のプログラムは、右のような基本的な学習と平行して、彼らが構成する集団(地域社会、時としては職業、宗教などに関する機能的集団のなかに自然につくりあげられる)の教育活動を統一するように計画され、つぎにあげるような目的を、それぞれ十分に実現するように考えなければ」なりません。としまして、人格の向上とかレクリエーション、社会奉仕など、いろいろなことにわたっておるのでありますが、いずれにしましても、この社会教育なるものが、先ほど自由ドイツ運動の誓いに現われておると申しましたように、自己の決定により、みずから責任を帯び、内的真実をもって生を形成するという、こういう基本的な正常なる方向をたどる限りにおいて、私たちはそれにもう最大の讃辞を上げなければならないし、また協力もしなければなりません。しかし、その協力は幾らかでも彼らのその生の形成がみずからの責任において行われ、みずからの決定において推進される、そういうようなものを阻害する方向に行ってはならない。今青年団運動が各地にありますけれども、十三条が厳然としてある今でさえも、各方面から制肘が加えられておる実情は、われわれはもう枚挙にいとまがないと言わなければなりません。先ほど長谷川委員からもいろいろとお話がございましたが、そのほか、実際に各地の青年団諸君の実情を聞いてみますと、今、政策の全体が、たとえば占領政策の是正とか、あるいは公共の福祉のためにとか、あるいは権利思想に対する義務観念の養成とか、いろいろな名目を立てまして、あらゆる方面に逆コースをたどっております。これが最も目に見えずして現われている点が文教行政に現われているところは、本委員会でもう全く明らかにされた点なのであります。  今思い起すに、たとえば教員の政治的中立に関する法律を作って、公民としての自由なる権利を行使する一個の人間である教師の基本的な人権を侵害しようとする、あるいはまた、教育委員会法を改正して、任命制にいたし、中央の意向を各末端の教育委員会まで浸透さしていこうとする、こういうふうに改正して、事実その通りに現われておる。私は、この間、地元のある父兄諸君と話し合いました。その父兄が言うには、県の教育長に陳情に行った、ところが、その教育長は木で鼻をくくったようなあいさつ、取扱いだった。その父兄諸君は、こんなはずはない、そもそも教育は民意に立って行わるべきはずなんだ、その行政をやる教育長が、父兄の集団の陳情を聞くに、木で鼻をくくったようなあいさつだ。彼らはぶりぶりして帰って、私はその報告を受けました。それで、私は、それでは、あなた方は、何年か前の教育委員会法の改正の際に賛成しましたか反対しましたか、こう言いましたところが、私たちはそんなことはわからないから、私たちの地域のだれそれ議員が賛成する方に回っているのだから、それはいいことだろうと思っておった、こう言っておる。それだからこういうことになるんだ、県の教育長は文部大臣の承認を得てなる、すなわち、人事権は文部大臣の手中におさめられてしまった、だから、教育長は、諸君のような地元住民の意向などよりも、文部省意向が大事になってくるんだ、おのれの首の問題になる、これは、かりに法改正ができずに、教育委員がよかれあしかれ大衆の選挙によって行われておるならば、その教育委員の任命する教育長というものは教育委員意向に忠実でなければならない、すなわち、教育委員を選んだ有権者諸君、県全体の人々の意向というものに忠実にならざるを得ない、ところが、教育長は文部大臣の掌握するところとなったために、また、教育委員が任命制になったために、あなた方に対してあいそよく誠意をもって会うというようなことが最も大事なことで、はなくて、文部省の政策に忠実であるということが彼の今一番大事なことになっておるんだ、だからそういうことになるんだ、こういうことを申しましたところが、それらの人々は、それは確かにそうだ、私たちは、教育法上の問題はちょっとわからないのでうかつに過してはおるけれども、やはり、教育上のこういう新しい施策というものは、おれたちの問題、おれたちの子供の問題として、これからは本気になって考えなければならないんだ、よくわかった、こういう話をしておりました。こういう例はもっとあります。警察法の改正をやれば、県の警察本部長は中央の警察庁長官の任命するところとなった。そのために、結局警察本部長は中央の警察庁長官の意向が最も大事なものとなっている。(「それは違う、公安委員会だ」と呼ぶ者あり)だから、私の県の例を申しますと、警察委員会において警察の特別公務員の暴行傷害問題を取り上げましたところが、その警察委員会をつぶすがごとき方向に出ておる。これなども明らかに、人事権の掌握というものがいかにその掌握者にすべてが握られ、大衆意向というものが無視されているか、こういうことをはっきりと考えなければなりません。その後また教科書法案の提出があったり、それが成立を見ないにしても、実質的には教育に対する官僚統制というものが加えられつつあるということ、あるいは、学校長に対する特別手当、管理職手当を支給する、あるいはまた今回は教育長に俸給を三分の一支給する、こういう工合に、教職員の立場を、勤務評定、政治活動の制限に関する法律、あるいは教育委員会法の改正というような方向に行って、そしてまた、一方においては、今度は社会教育法に手を入れて、そして、わずかばかりのはした金でもって、十三条を削ることによってわずかばかり金を出して大衆団体を自分の手中におさめようとする。こういうことをわれわれははっきり見てとらなければならない。  こういうことは、今私が例で申しましたように、将来おそろしい結果を国民自体にもたらす。これを私たちはおそれるから、今真剣にこの問題を取り上げまして、この十三条というものを削除することは絶対にやめなければならない、かようにほんとうに真剣なる気持でもってこの改正案を出しておるような次第でございます。  なお、われわれの考えておる点はいろいろありまするが、このことは婦人団体につきましても同様なことが申されると思うのでございますが、婦人団体はことに大事であると思うのであります。近代国家として新しい憲法が生まれまして、婦人の権利が男子と平等になってきた。この大きな憲法上の平等と、社会上の実態としては、われわれの観念としてもほんとうの平等というものが一日も早く実現されなければならないと思うのであります。そのためには、婦人団体の自主的な立場における発展をわれわれは緊急なものとして求めて参らなければならないと思うのです。婦人団体が、婦人御自身も、男性なるわれわれ自体も、ほんとうに感覚的にも、社会の実態からいうと、平等が確立される、こうなって初めて日本民主主義というものが確立されるだろうと思うのです。社会教育の持つ重要性というものは、婦人団体の健全なる発展に待たなければならないと考えます。そのために、非常に時間的な問題もありますけれども、この婦人団体の現状というものを十分に正しく把握をして、その上に立って物事を進めて参らなければならないと考えるがゆえに、この婦人団体の点についていささかこれから検討を進めてみたいと思います。  先ほどから何回も申し上げておりまするが、原稿整理の余裕を与えられなかったために、これを責めるわけではございませんが、そういう事情から、やはり宮原氏の所説を今回参考として申し上げなければならないと思うのであります。  まず日本の婦人団体の性格についてでありますが、「日本の民主化という課題とともに、戦後の社会に大きな波紋をなげて登場したものの一つに婦人団体がある。戦時中、全国の婦人を強制的に加入させ、戦争協力の一翼とした大日本婦人会が終戦後解体されて以来、自主的な婦人団体の結成が大いに奨励され、こんにちでは八千をこえる婦人団体が、六百万をこえる会員」を擁している。「けだし、明るい社会の建設には、国民の半ばをしめる婦人の良識が必要であり、これを世論にまでたかめ、政治に反映させるためには民主組織の力を通すことが」望まれるのであります。「さてそれでは、民主的な婦人団体とはどのような性格をもつものであろうか。」、まずその原則はいかがかと申し上げますならば、「婦人団体の性格といっても、それは一般の民主的な団体の場合とちがうわけでは」ありません。「すなわち、一人の力ではできないことを、共通の目的と興味をもった一団の人びとがあつまって、協力してなしとげよう」……(聴取不能)「およそ共通の目的のためにあつまった婦人のグループである限り、その目的の如何をとわず、婦人団体とよぶことができ」ます。「言葉をかえれば、婦人はだれでも、どのような種類の婦人団体でも——といっても合法的な」婦人団体ではありますが、「団体をつくる自由があるのであり、また目的や利害を異にする団体に無理に入れられることは全然ない。それをつくるにあたって、だれの許可を求める必要もなければ、第三者から命令され拘束されるいわれもない。結成も運営も、もともと、そのグループの自由意思にもとづくものである。これが民主的な団体の原則で」あります。「(ただし、団体等規正令によって、選挙運動をするような団体、政治活動をする団体、国際的な問題をとりあげる団体などは、市町村長に届け出をすることになって」おります。「その意味で、戦時中に行われた大日本婦人会による全国婦人の統合は明らかにまちがっていたと同様、こんにち合法的な婦人団体について、甲はよいが乙は悪いというように、くちばしを入れたり統制したりするものがあれば、それもまちがっていると」言えます。「しかし指導者団体組織や運営の技術についての知識をあたえ、勧告をすること、この原則に触れるものではなく、自然的発展のおくれている日本の場合、のぞましいことでも」あります。「なおこの項でいう婦人団体は、いちおう、社会教育に関する事業を行うものをさすことにする。」、かように申しております。 すなわち、この点に関しては、ある婦人団体がよくて、ある婦人団体が悪い、こういうようにくちばしを入れることは絶対にいけないのだ、われわれもさように考えておるものでございます。すなわち、そのことは、そのグループが自由意思に基いておるものであって、結成も運営も第三者から命令、拘束されることは絶対になく、民主的な団体の原則に従って行動する、こういうことになるのであります。ただ、そこで一応の疑問として残る点は日本の現状から言って、こういう社会教育団体も、勧告とかあるいは技術的な知識を与えるということは必要だと彼は申しております。われわれもそれを考えております。しかしながら、それはあくまでも、第三者の命令、拘束、威圧、そういうものは結成にも運営にも絶対に及んではならない、こういう大原則を立てて、その原則下における勧告であり助言である、こういうことを間違わないでいただかなければならぬと思います。それを先走って、勧告助言が現実に必要であるからそれをやるんだ、こういうことは、大原則に照らしまして絶対に認めらるべきことではございません。それで、婦人団体につきましても、その行う事業に対して十三条削除ということは、この婦人団体の自主的な、しかも清純なる動きをゆがめる結果を見ることは火を見るより明らかでありまして、今望んでおる平等の原則に立つ婦人の地位の向上をお互いに熱望するならば、こういう拘束をもたらす、威圧をもたらす第十三条の削除は、婦人団体の発展のために絶体に許してはならないところであるというふうに私は考えます。  今理事からの連絡がございまして、一応休憩ということになるそうでございまするが、私は提案理由をまだ言い尽し得ません。もっともっと重要である、それ以上と言わないにしても、それと同等の重要性を持つ修正個所がまだたくさんございまするので、これから継続させていただくことにいたしまして、一応ここでとめておきます。もちろん続行するものであります。
  114. 臼井莊一

    臼井委員長 本会議が開会されましたので、その間のみ休憩し、本会議散会後再開続行いたします。     午後三時六分休憩      ————◇—————     午後四時四十二分開議
  115. 臼井莊一

    臼井委員長 それでは、休憩前に引き続いて会議を続行いたします。  社会党提案の修正案に対する西村力弥君の趣旨説明の続行を許します。ただ、両党の理事の申し合せによりまして、趣旨説明はあと二十分程度となっておりますので、御了承願います。
  116. 西村力弥

    ○西村(力)委員 午前中の趣旨説明で二、三の点についてはその意図するところを申し上げたのでございまするが、まだ全然修正案の重要な個所に触れない点がありますので、継続していきたいと思いまするが、今委員長の御発言にもありました通り、時間のある程度の目安もあるようでございますので、その趣旨に沿って、できるだけ簡潔にこれを行いたいと思います。  これから触れて参りたい点は、法の第四章第十七条の改正についてでございます。政府提案によりますると、第十七条に新しく三項を起しまして、そこに、「市町村社会教育委員は、当該市町村教育委員会から委嘱を受けた青少年教育に関する特定の事項について、社会教育関係団体社会教育指導者その他関係者に対し、助言指導を与えることができる。」、かように追加せられてありまするが、午前中私いささか触れましたけれども日本の現状から申しまして、社会教育団体が正しい形に発展をするために、制限されたる範囲内における助言指導というものはこれを必要とする、ただし、それはあくまでもその団体の自律性あるいは自主性、そういうものを第三者によって絶対に拘束されてはならないのだ、こういう原則を越えない範囲においてこの助言指導というものは認められる、かように申し上げましたが、その限りにおいて助言指導を与えることをわれわれは否定するものではございませんけれども、ただ、市町村社会教育委員が当該市町村教育委員会から委嘱を受けた形において、そうして、社会教育団体指導者、そういう面に向って指導助言仕事を行うということは、全く論理的に矛盾をする、こう申し上げなければならないと思うのであります。なぜかならば、社会教育委員の本来的な任務は、社会教育の諸種の事項について、それをよかれかしと願う教育委員会からの諮問にこたえて建議をする、こういうことになっておる。それが本来的な任務であります。そういう任務を持つ社会教育委員が、教育委員会の委嘱を受けてその指揮のもとに下僚的な立場に立って指導助言仕事をやるということになれば、社会教育委員が絶対に保持していなければならない諮問機関としての教育委員会に対する独立性、こういうものが完全に滅却されてしまう、こういうことになると思うのでございます。諮問を受ける者は、諮問をするそういう主体者に対してあくまでも独立でなければならない。ところが、その下僚の立場に立って、ある場合においては独立的な立場に立って諮問に応じ、ある場合においては下僚の立場に立ってその教育委員会仕事に助力をする、こういうような二重人格を同時に行使するというようなことは、社会教育委員の本来の任務から言って絶対に避けなければならないことであると、こう私たちは思うのでございます。しかも、社会教育委員は特別職でございます。特別職であるから、諸種の営利的な事業にも携わることができますし、また、政治的立場を持つこと、あるいは政治的行動をすること、それは完全に自由であるべきはずであります。そういう者が一般公務員的な教育委員会の事務を行う事務官僚的役割をするということは、それは公務員の法制から言いまして当然特別職という立場を失わなければならない。特別職という政治活動の自由、営利企業にタッチすることの自由、そういう自由があるままにおいて一般職的事務をやるということは、これは非常に危険である。この点から教育の中立性というものは大きくそこなわれるでありましょう。こういう点から言いまして、その条項を入れるということは、これはだれが考えても論理的に合わない。こういう合わないことをここにことさらに持ってきた。しかも、特定の事項といって何か特別なものがあるかどうか。社会教育委員に委嘱してやらなければそういう社会教育団体に対する指導助言が行い得ないという特定の事項があるのか。市町村教育委員会がみずから行い得ずして、社会教育委員でなければいけないという特定の事項がある、こういうことはわれわれとしては考えられない。これは常識です。そういう常識で考えられない、すなわち、諮問機関としての独立性的な立場、下僚的な非独立性的な立場、こういう二つの立場を同一人が同時に持つ、そういうことを平気で冒そうとしておる。そうして、また、特定の事項といっても、ここに特定するような事項が何ら想起されないにかかわらず、特定の事項として何かしらあるがごとく装うこういう項目を追加するということは、明らかに、この陰に隠されている大きなたくらみをわれわれは感ぜざるを得ない。教育委員にかかわらず、社会教育委員を任命する場合における基準というものは、何もそうことさらに厳格な中立性を保持しなければならぬという規定はないはずでありますから、現状においては、この社会教育委員というものの任命は、確かに一方的な偏向性を持つに違いないであろうと思う。今の厳格なる教育委員会法に基く任命でさえも、午前中長谷川委員がるる指摘したしました通り、多くの国民の意思を代表する、そういう公的な立場を持つ、すなわち、労働者なら労働者、農民なら農民——ただ名目の農民でなく、みずから働く農民です。そういう意思を最も適当に代弁をする人々は教育委員として全然選ばれていないと言うても過言ではないほど少い、こういうようなことがございました。これは、公選制にかわって任命制にした経過からしましても、また、教育委員会法の貫く一つの考え方からしましても、教育委員の任命というものは相当規制されておるものであるが、社会教育委員の任命は、もっとそれよりも幅が広く、悪い言葉で言えば、ルーズな状態に放置されておると言わなければならない。そういう場合に、ここにそういう立場で選ばれた社会教育委員に実際的な指導助言まで権限として与えていくというようなことは、まことに危険である。日本民主主義というようなものは、地域社会の民主化、これが最も早急に行われなければなりません。国会において言葉で民主主義を言い、あるいはいろいろな会合において民主主義が言われるけれども、われわれが一たん地域社会に帰ったときに、そこに大きく封建性が残っておるということは、これはたれもがおわかりのことと思う。私自身も民主主義を口に唱えておりますが、私の地域に行くと、やはり地域住民の人々とみずからの主張を曲げてでも協調せざるを得ない場合が相当ございます。私は、今まで私の部落の人々が持ち込んだ問題で、それはお断わりしますと言ったのは、指紋をとる件だけです。あるいは念仏等やるから先生、と言われると、はあ、よかろうと言わざるを得ない。そういうようなこと、これは一例でございます。地域の人が一生懸命念仏を唱えていこうというのですから、何も断ったり悪く言う必要もないし、私はやろうとは思わないけれども、それにはよいと言わざるを得ない。ところが、私が今まで断ったのは、防犯のため指紋をとること、こういうことははっきりお断わりした。まず私の記憶に残っているのはそのくらいです。ですが、根強く封建性の残津が残っている。地域社会の民主化というものはもう早急にやっていかなければならないのです。そういう場合に、社会教育委員立場の人々が実際的に社会教育団体指導助言を行うということになれば、私の杞憂する点は、正しく発展するどころか、ますますそういう立場の人々の意向が、そういう地域社会において、あるいは地域社会組織されている社会教育団体に対して大きく綱をかぶせ、これを窒息せしめる、こういう方向に行くであろうと私は懸念せざるを得ないわけなのでございます。かるがゆえに、第十七条三項の追加、この点ははっきりと削除をいたさなければならない、かように提案をいたしておるものでございます。  それでは、最後に、締めくくりといたしまして、あちらこちらに飛び回った説明を申し上げましたので、われわれが出しておる修正案の全文を朗読さしていただきたいと思います。   社会教育法等の一部を改正する法律案に対する修正案   社会教育法等の一部を改正する法律案の一部を次のように修正する。   第一条中の社会教育法第九条の四第四号の改正規定に関する部分、同法第九条の五の改正規定に関する部分、同法第十二条の改正規定に関する部分及び同法第十七条第三項の改正規定に関する部分を削る。   第一条中の社会教育法第二十三条の二の改正規定中「(公民館の基準)上  を「(公民館の設置基準)」に改め、「公民館の健全な発達を図るために、」を削り、「及び運営上」を「に関し」に改め、「及び運営され」を削る。   第一桑中の社会教育法第二十七条第一項の改正規定中『「その他」を「主事その他」に改め』を罠館長」の下に「及び主事」を加え』に改める。   第一条中の社会教育法第三十五条第一項の改正規定中「設備に要する経費その他必要な」を「設備及び運営に要する」に、「補助することができる」を「補助する」に改める。   第一条中社会教育法附則第六項の改正規定を削る。   第二条中の図書館法第二十条第一項の改正規定及び第三条中の博物館法第二十四条第一項の改正規定中「設備に要する経費その他必要な」を「設備及び運営に要する」に、「補助することができる」を「補助する」に改める。   附則第一項ただし書を削る。   附則第二項中「(前項ただし書に係る部分を除く。)」を削り、「昭和三十七年」を「昭和三十五年」に改める。   附則中第三項及び第四項を削る。  以上が修正案の全文でございますが、各位におかれましては、長々としたまとまりのない私の提案理由の説明を御静粛にお聞き取りをいただきまして、さぞかし御理解がいったことと存じます。  以上をもちまして私の修正案の提案理由の説明を終ります。
  117. 臼井莊一

    臼井委員長 以上で修正案の趣旨説明は終りました。  これより原案並びに修正案を議題とし、質疑を許します。
  118. 永山忠則

    永山委員 これにて両案に対する質疑を打ち切られんことを望みます。     〔発言する者、離席する者多く、議場騒然〕
  119. 臼井莊一

    臼井委員長 永山君の動議に賛成の諸君の起立を願います。     〔賛成者起立〕     〔発言する者、離席する者多く、議場騒然〕
  120. 臼井莊一

    臼井委員長 起立多数。よって、原案並びに修正案に対する質疑は終局いたしました。     〔発言する者、離席する者多く、議場騒然〕     〔「退場だ、退場だ」と呼び、退場する者あり〕
  121. 臼井莊一

    臼井委員長 速記をとめて。     〔速記中止
  122. 臼井莊一

    臼井委員長 速記を始めて。  この際委員長より御報告申し上げます。社会党の委員の方に出席要求を文書をもって三たびいたしましたが、御出席がございません。まことに遺憾でございます。  そこで、本日はこれにて散会いたすことといたし、明二日午前十時より理事会、明後三日午前十時より委員会を開会いたすことにいたします。  これにて散会いたします。     午後七時三分散会