○
加藤(精)
委員 関連いたしまして、ちょっと
一つだけお願いいたします。私、本日は力の入った
質問をいたしたいのでございますが、私、昔
地方行政にいた
関係で
——今でもおりますけれ
ども、
専門に
地方行政におりましたときからのことを忘れまいと思って、若干の
学術雑誌をそのつど読んでいるのでございますが、その
学術雑誌を
大学の教授以上に指導しておられるのが、本日御
列席の
行政局長さんや
財政局長さんでございます。それで私は、わが国の
地方行政、
財政の
学問的最高峰はこの二人だと思っているのでございますので、きょうの
質問はすべてお二人に
お答えになっていただきたい。それから、これは
自民党内部の
関係もございますが、
自民党の中にいろいろ
行政、
財政について私と著しく違った
見解を持っている
委員がおるのです。それが昔、ちょうど
藤井さんや奥野さんの立場に立った仕事をしておられた方なんです。その間のことでいろいろありますが、とにかく端的に私はここで御
意見を承わって、そうして記録にとどめておきたいのでございます。これは私自身がずっと
地方事務官といいまして、
地方にずっとおりまして、
地方の実情を見ている。本日御
列席の私の前におられるお三人の方は、
知事さんやそういうことばかり
地方でやっておられたもので、地元を見ているということについては、私の方が見ていると思う。そういう面から
一つの違った次元があると思うのです。それで中央的な、いわゆるケンブリッジ・オックスフォード型のような、イーデン、マクミランみたいな秀才型ですか、それからわれわれ
現場の側との間の
意見の
調整をはかることは、また国政上重要なことだと思う。(
発言する者あり)
不規則発言をなさる方も、われわれと
現場で長年一緒に
市町村長をやった代議士でございますので、十分に私の足らぬところを補っていただきたいと思います。
そういう
前提のもとにお尋ねするのでありますが、たとえば
山口でしたかどこでしたか、
市長が四千万円もの収賄をしたり、町に損害を与えたりして、今度獄中から
解散の
請求をして
解散になった。たしかなったのでございますね。
解散でまた
選挙の
費用がかかるわけです。解職直接
請求の
要求書とか、またリコールの
ほんとうのものとか、いろいろまたあらためて
経費がかかる。そうやって、非常に貧弱だから、
自分の市が
財源が乏しいので、
財政が苦しい
あまり工場誘置をしようとした。そういう場合にはおそらく私は
赤字が出るだろうと思うのです。
赤字が出た場合に、それは悪い
市長を選んだのだからということの自業自得で、住民はしようがないということが
——この問題なんです。この問題は直接
地方行政の本義に
関係していると思うのですが、そういうことで、たとえば私にむすこが五人おるとして、一人のやつは非常に悪い、
自分で勝手に酒を飲んだりばくちをしたり
女買いをしたりして、今度は梅毒になってどうしようもないからそういう者は捨てておけ、こういうことはできないのじゃないか。そういうことにおきまして、そうならぬように
地方自治を道義的に締めていくのと同時に、いよいよ困った場合には救済してやるということが必要だろうと思うのです。この点、この前の
発言で若干
亀山さんにほめていただいたのでありますけれ
ども、
市町村の
理事者汚職なんかの最大の原因は
藤井局長があげられたものより以上に、非常に文明が進歩して、金さえあればどんな享楽も栄華もできる。しかしながら、それを充足するほどに
国民所得が十分でない。そこにつまり不
満足感が起る。そういうようないら立たしさが、やはり個人の場合と同様に、
市町村の場合、また
市町村の
理事者もあわれな人間でございますから、そういうことがあり得るということは何千人に一人、何万人に一人、何千万人に一人はあり得るという
時代のネセサリー・イーブルだと思うのでございます。今度のこうしたような
意味の、
山口市でありますか、今のような事例はたしか……。(「
相模原だよ」と呼ぶ者あり)
相模原、
山口というようなところだろうと思いますが、そういうような事態が、私は今日の
時代思潮、
時代風潮から見て相当あるだろうと思うのでありまして、ことに
町村合併前後の
混乱時代、
事務に不
習熟なものがまだ非常に多い。
自治大学もまだ十分に
全国的に吏員を訓練しておらぬ。そうしてまた同時に、
全国の
府県知事の中において、
市町村がどうなるか、その
運命について泣くようなそういう名
知事が現在非常に少いということを私は思っておりますが、ある
自治指導者の相当な
経験家によりますと、
全国の
総務部長、それを
専門にやるべき
総務部長すら、
市町村自治の
ほんとうの
運命と
財政ということについて、泣くほど
考えているような誠実な
総務部長というものは非常に少いということがあるのであります。これは
起債を県に割り当てて、そうしてその
起債の
ワクの中で、県と
市町村とが分配しろというようなこともあったような記憶がありますが、いろいろそういうふうな心なきわざ、
政府御
当局のやり方もあった
時代もあると思うのです。そういう事実を私は
事務的に精緻な論証はできるわけではないのでありますけれ
ども、あったようです。それで、いろいろなこともありましょうけれ
ども、私は、何といっても
府県が
市町村を子供のように教え導くより高い段階にありまして、
行政の組織も
知識水準もより高いのが普通でありますから、そういうふうに教え導くという何か親子の
関係のようなもの、それが日本的な
地方制度であり、
政府が
地方団体を導いてどこが悪いのか、これはいろいろ社会党さんからのお
考えはあろうと思いますが、相当強力に指導するのが、子を愛しているために親が指導するのでございましたら、相当しつけをつけていいのです。日教組が自由教育、自由教育ということばかり言って、しつけが十分でないことが今日の不良少年を出した理由だと私は
考えておるのでございまして、そういう
意味において、どうも私はこの
自治行政には今日もの足らないものがあるのじゃないか。そう思うのでございまするが、今のような非常に貧困であるがゆえに工場誘致をしたくて、工場誘致をしようとして不正事件があって、
市町村に膨大な損害をかけ、
赤字を出した。そういうような事例は相当あるようですし、また、非常に
市町村の
事務が悪い、あるいは誠意がないために、非常にたくさんの
赤字が最近相当
全国の
市町村に出ている。出ている場合、そういうものは直接
地方交付税の対象にもなりませんし、そういうもののために
起債を準備することはないのでありましょうけれ
ども、これは結局は何らかの
財源付与をしなければならぬ。そういう場面にあった
地方団体住民の苦しみというものは、結局救われなければならぬ。
それで、これは本論じゃないのですけれ
ども、まず第一に、そうしたような場合の新しい
意味の再建整備法を作るか、あるいはこれの期間の延長をするか、何かそういうことに対してのお心がまえがあるかないか。
府県の
知事や
総務部長が
ほんとうに
市町村というものを
考えて涙を流してくれなければ、本省が涙を流してくれる以外にないということが
一つ。
それからその次に私が申し上げたいのは、こういうことの原因の
一つは私は
市町村という
自治団体の
自治体制が十分ではないのではないかと思う。この前、門司先生の持論をとりまして、東京
大学等にシティー・マネージャーの養成所を作って、それを
一つ学科にしたらどうかということまで申したのでありますが、そこまでいかなくとも、吏員の養成と指導ということが現在の機構ではどうも少な過ぎると思うのでございまするが、それには人口の少い、そして負担力の総計が少い
市町村では何としても不十分ではないか。これは非常に物議をかもすことで、党からもしかられるかもしれぬけれ
ども、私は現在の
町村合併の程度でも、まだ強力
自治体を構成するのには足りない。ことに社会党の政策として外部に発表されておるものによりますると、もう十年か十五年は現在の
町村合併のままで、これは無理をしないで、そうして
自治の建設をやって、しかる後にこの
府県、
市町村に対しての再
編成のことを
考えるべきだという御議論が社会党の
自治政策にはございますが、私は、この今の
時代は非常に進んで、ことに
市町村の具体について申し上げますれば、どこにも道路が発達し、電灯がともり、ラジオが聞え、テレビが
全国の
国民の意識を一本にするような
時代になって、この狭い地域に
自治体をたくさん並立さしておくということは、どうも私はおかしいのじゃないかと思う。それで、たとえば東京ではたった十五分くらい走っている間に、
自治体である東京都の区を三つも四つも五つも通るわけであります。こういうようなことはどうもおかしいのじゃないか。農村に行きましても、一時間走っている間に
自治体を五つも六つも通ると思うことは、もう実にたくさんある。こういうふうに能率上からも
財政力から見ても、あまりに細分し過ぎておる。これは思い切ってさらに大きな段階で統合して、そうして現在の
地方行政、
財政の
事務は非常に複雑でございまして、
自治法発布十周年記念に
自治庁が出されました、この
地方自治行政の目標と、各省別の施設
事業等を取り入れましたる
地方自治の将来というものに対しての御展望も拝見しておりますが、昔と違って、
地方団体は相当なサービスをしなければ、こういう
時代になったら住民が不便で困るのです。そういうようなことでございますから、もう少し強化してやっていかれる御意思はないかどうか。
さらに、この現在の
府県住民という概念は終戦後新しく作ったのでございまするが、この
府県住民という概念は、それ
自体結果においては、先ほどの
総務部長さん
たちが
ほんとうに
市町村の
運命について泣くという
気持が少くなったと同じように、この
府県住民という概念があったために、
府県住民の方に重きを置くか、
市町村住民の方に重きを置くかという、こういう競合の
時代になった。こういうことであるならば、むしろ相当強力な
市町村団体を備えて、この完全
自治体は
市町村だけにして、
府県というものは、国の
行政の
地方的設備である面が現在非常に多いのだから、簡単にいえば、現在の県庁の建物の三分の二くらいを国の
行政の
地方的設備として道州出張所等にしまして、そうして
全国を五つか六つくらいの道州に区画いたしまして、そこに相当権限を与えた国の総合官庁を作ることが急務じゃないか。そうして国家公務員の九割が出先機関に現在している以上、これは膨大なる
経費の重複、むだがあると思う。これを思い切って節約することによりまして、
市町村行政の内容を強化することが必要じゃないか。現在のまま兵庫県と岡山県と鳥取県と統合して何になるかということを
考えるのでございます。本員がかねて皆様のお耳に通しておりますところの道州制論、それから古井先生の道州合併論の
利害得失、可否についての御
意見の一端でもお漏らしいただきますことは大へんありがたいことだと思うのであります。どうも、
府県というものは明治の初年に作ったもので、これは特別大事なものだというような天賦人権論的な
考え方、これを住民の便益という
行政事務、挾間先生のいわれる
行政自治というような観念に切り変えるべき時期にきたのじゃないかということを強く感ずるものでございますが、これに対する特に
藤井局長の御
意見を承わりたいと思います。
それから
地方自治に対して
——黒金政務次官はあまり私が愚論をはくのでお困りのようでありますが、しばらくの間ごしんぼうをお願いいたしたいのでございますが、どうわが国の古来の
地方自治は、封建制の
時代には真の
意味の
自治がなかったということをいう学者も多いのでございますが、社会党の
自治政策によればそうだけでもないようでございまして、そこに私は門司さんや北山さんの英知を見出すのでございますが、私はどうも道徳面というか、そういう面が稀薄になるように思うのでございます。そこで、この前
地方行政委員会の
審議時間が長くなって夕方になって、
理事さん
たちに
発言を中止されまして尽しませんでしたので、きょうの機会に一言申し上げますが、わが国の
市町村の現段階には公民館というものがある。これはスイスの山の中の地帯とかそういうところにも、民衆の家とか村の家とかいうものが相当あるらしいのですが、そのほかには全世界に類例のない公民館という
一つの
制度があり、それが
市町村の
一つのお茶の間、そうしてあらゆる社会教育
団体等の連絡場所というキャッチ・フレーズで宣伝されまして、それがたまたまわが
国民性に非常に深く合致しましたので、それが今おそろしい勢いで発達している段階でございます。昨日参議院を通過いたしました社会教育法の一部
改正案は、さらにこれに強力な支持を与え、特に
起債の
ワクについても若干は伸ばしてやろうという
財政局長の非常に深い御理解、また公民館を指導し、社会教育
団体を指導する社会教育主事の必置制につきましては、この
地方行政委員会の
理事さん
たちが特に御理解を持って
自治庁にも話して下すったという、非常な感激のもとに進展しているのでございます。この公民館の日本的な性格、そうして
地方行政的な性格、
地方自治的な性格というものは、非常に多くの道徳的要素を含んでおり、部落経営、町内経営をこれによってやるという
一つの目標を慣習法的に持つことになった現状にかんがみまして、この公民館には、部落の各戸の台帳とかいうようなものも
自治的に備えているわけでありまして、協議費に対しましての出納簿とか、そういうようなものをすべて備えておるわけであります。それに、この地域とできるだけ一致した
町村合併後の措置として、例の巡回指導のほかに強く押しておる連絡員
制度の
事務所をそれに並行して置くということによりまして、公民館長、公民館主事、部落、町内連絡員と、
地方自治法上の
地方団体公務員であるところの連絡員
事務所、その職員、それと並行してやることが非常に大きな下部
行政機構としての得策ではないか。この点につきまして指導的な姿勢を
自治庁と文部省とが協力しておとりいただくことになることは、ことに
町村合併後の下部
行政機構につきましては、非常に慎重で控え目過ぎると思われる
鈴木俊一さんがこの
自治庁のいろいろな統制をしておられた時分に、少し控え目過ぎると思っておりましたが、その欠陥を非常に補うことになるのではないか、こういうようなことを強く感ずるのでございます。その点につきまして
藤井局長の御
意見を承わりたいのであります。
それからその次に、以上のような点、現在の
地方自治というものは悪貨が良貨を駆逐しておる面がないでもありませんので、それが市の
理事者の汚職その他非常な混乱に導いておる。市の
理事者はその議員に対して断わるという勇気を知らぬ。国
会議員もそういう傾向が少しあって、私は国家のために非常に憂えておるのでありますが、そういう断わるという勇気は現代における倫理の最大のものじゃないかと思うのであります。そういう面から見まして、遺憾ながら、そうした方面からの放漫さ、不器用さ、
赤字等があります場合に、この
地方財政計画、それから
起債の計画等ではまだ不十分なものがありはせぬか。そういう場合に
——必要なのは必要なんでありますから、後年に残せばその
赤字はもっと悪性な高い利子によって支弁していかなければなりませんので、そういう残酷なことはさしておられません。御承知のごとく農協から高利で借りたり、高利貸しから高利で借りたりするということは実際にあるのです。私
たちも
市町村役場におりまして、吏員に月給が払えないときのその悲しさは、まことに市役所全体が暗くなる。婦人会の人
たちが、月給が払えないそうですね、お気の毒ですね、何とかわれわれお力添えをしたいというようなことを言ってきたことも覚えております。私は
市長在任中のことから
考えて、
理事者の不正事件には身をつまされる。私刑務所にも入りませんので、ここにおります
市長出身の相当数の
委員とともに、汚職の経験がない。しかしながら、その危険は私
たちは非常に経験してきている、そういうことにも思いやられまして、この安い金を、高利貸しその他不当に高い一時資金等を借りないで済むように、あるいは長期の金を借り得るように、公募債の自由というものをもう少し広く
大蔵省と御
折衝になる
気持はないか。これにつきましては何より大事な
質問の
一つといたしまして、
財政局長さんの誠意のある御答弁をお願いしたいと思うのであります。非常に多岐にわたりましたが、どうぞ私の誠意をお信じ下さいまして、売名の
質問ではございません。それをお含みの上、どうぞ適当なる御回答と御支持をいただきたいと
考えております。