○
江口政府委員 私から
事件の
概要を申し上げたいと思いますけれども、その前に、
門司委員のただいまおっしゃいましたように、
被害者側といいますか、
教組側には
教組側の
調べがあるようでございます。私の方では、累次にわたる
現地の
連絡がございます。しかしどうもこの
国会の
委員会等を通じまして、その間に事実の
食い違いが
相当ございますので、ある
委員会からの要望もありましたし、また私
たちの
立場としても、事の真相を知ることが
議論をいたします上においても最も必要だということで、実は
現地に係官を派遣いたしております。それが本日帰ってくるはずになっておりまするから、最終的なものは、あるいは私の話がふに落ちないということでございますれば、また
文書にすることを決していとわないのでありますが、そういう前提でお聞き取りを願いたいと思います。
新聞等で
事案の
概要は御承知の
通りでございます。時間の
点等で非常に
食い違いがございます。まず私の方の
調べを申し上げますと、
小林委員長が
高知に参られたのは、先ほど
長官からも
答弁をされましたように、その日の、十二月十五日の朝八時四十分
海路高知に来ておられる。そうして県の
東元委員長と一緒に三時近くに、二時四十分ごろだということでありますが、
警察本部長をたずねておられます。これは御指摘の
通りでございます。これは
抗議のために、
組合運動に対する弾圧をやめろという
意味の
抗議に行かれたのでありまするが、ちょうど
本部長も
警備部長もいない。それで
秘書室長が応対をいたしておりますが、その者の
連絡によりますと、きょう森に行くという
意味じゃなしに、
森地区の
状況等はどうだということを聞かれたり、あるいは今明日中に
自分たちも森に行くかもしらぬという
意味のことを座談のうちに言っておられることは事実でございますが、これをもって
警察がすぐ
小林委員長が森に行くというふうに確定し、しかも森に行かれるなら
相当な波乱があることを予想し、従ってそれに対して
事前の
警備措置をとるということになっておれば、ただいまおっしゃったような事柄をあるいは未然に防ぎ得たかもしらぬと思います。しかし、どうも今申し上げたような諸般のことからいって、森に行かれるということの確定的な観測及び行かれたら問題が必ず起るだろうというような観測をしなかったことは事実でございます。このしなかったことが非常に手抜かりであるか、あるいはそうでないかということにつきましては、私
たちには私
たちの
——結果においては、しなかったことは間違ったことでございますけれども、そうしなかったことについてはいろいろまあ
考えられる原因はあると思います。たとえば「これは確認した情報じゃございませんけれども、聞くところによりますと、小林さんは、群馬に行ってみようか、
高知に行こうかということを
考えられた際に、群馬は最近の事情としては
父兄と教師側が
相当もんでおる。群馬に行かれると事柄がめんどうかもわからぬが、
高知なら現在は
相当納まっておるということをアドヴアイスした人があるやに聞きますが、そういうふうに、
教組側においても、
高知に行ったらこういう不祥事が起るというふうには一応
考えなかったという点があるんじゃないかと私は
考えます。また
警察側としましても、従来の累次の
事件がございまして、オルグ等が
高知から森に入りますと、
父兄がいきり立つようなこともあって、先月の二十三日までは
相当数の
部隊を森に派遣をいたしておったのであります。ところが、その後平穏になったということで
部隊を引き揚げています。だから、
森地区における平穏であるか平穏でないかということの認識も、結果において、それは違っておったんじゃないかといわれればそれまででありますが、まあ故意でなかったということの証左としては、やはり半月ばかり前にそこが平穏になったということで引き揚げておることからも御推測願えるかと思うのであります。
それから
小林委員長は、四時ごろ県
教組本部から、県の
東元委員長と和田情宣部長の二人と御一緒にハイヤーで
森地区に向っておられます。
森地区に着かれたのは午後六時十五分ごろでありまして、小
学校付近の郵便局の前の三差路まで車で来られましたが、そこで車を回して仁淀の方に行っておられます。私の方の
調べでは、
森小学校で
会議を持とうという御計画があったようにはどこからもまだ聞いておりませんが、ただいま
門司委員の
お話では、再三にわたって
会場を変えたと、こうおっしゃっておられまするから、あるいは初めの計画としては
森小学校ででも
会議をやられるということになっておりましたのか、その点は
教組側に聞きませんと、ちょっと私
たちの方ではわかりかねます。
会場の変更につきましては、私の方の
調べでは、
仁淀高校の階下で
会議を初めやっておられましたけれども、父母の会側の
父兄が押し寄せて、
自分たちも傍聴させいとかどうとかいうことでもんだために、二階の方に
会場を移された。だから一回
会場が変っておる、こういうふうに思っておりますけれども、あるいはその以外に意図された
会議の場所があったやに先ほどの御質問から思うのでありまするが、その点は私の方では確認をいたしておりません。
そうして七時ごろから
仁淀高校の階下の柔道場で初め開かれたのでありまするが、上仁淀
地区民主教育対策本部の主催のもとに、
小林委員長を囲んで、
高知から行かれました
東元委員長、和田情宣部長、それから
森小学校の先生あるいは中
学校、高等
学校の先生もおられたかと思いまするが、なおそれに
教組側といいますか、非盟休側の
父兄が多少入って
会議をやっておられます。それから
森地区のいわゆる父母の会の連中がそこに参りましたのは、七時半ごろに数名が、初め
会場付近をうろつき始めたのが始まりでございまして、それで
会場を今言った柔道場から二階の、現在は家庭科教室といいますが、昔の裁縫教室でございます。そこに移して続行しておられます。それから八時過ぎになりまして、父母の会側は数十名の者になって廊下にどやどやと集まって、そうして
自分たちにも傍聴させよというようなことを要求しておりますが、その要求をきかれないので、廊下から
相当なヤジを飛ばしておったという
報告でございます。その辺が問題になりまして、そういう事情であるから、あとから乱暴に及ぶだろうというふうにここで見るべきかどうかという問題がございます。この辺で
手配をすれば、ほんとうに
事件が起りましたときには、
門司委員のおっしゃるように、佐川からでもあるいは
高知からでも人数が行けたわけでございまするけれども、これは従来
森地区における騒ぎからしますと、があがあ言うてお互にやり合うという
程度のことは数回あったということと。それから、これは正当な
職務行為であるのだから、ほんとうに乱闘になるかならぬかということを見きわめるためにそばまで行けばいいわけなんですが、過去におきましても、
巡査がそばに行くと、われわれの話し合いのところに
警察官が立ち聞きするとか、介入するとかということで、この辺がまあ非常にデリケートなところで、終始二人の
巡査は周囲の方からぐるぐるこういうことを観察りいたしておるのであります。
それから午後の九時半ごろ、
駐在の
飯尾巡査と隣村の山中
巡査が、表からと裏からその
学校に行っておりまするが、そこから
会議場をのぞくと、電気がついていて、別に変ったことがなかったというふうに言っております。そのうち山中
巡査は別のところに移っておりますが、
飯尾巡査は、そうこうしているうちに九時五十分ごろ
——この時間はどうも十分、五分の差は、持っておった時計で違っておると見えまして、私
たちが
報告を受けておることだけを申し上げますが、九時五十分から十時ごろにかけて
——会議はどうも九時半ないし九時四十分ころ終ったようでありますが、終って出ようとしたら、
小林委員長の乗っていかれた車がパンクをしている。これは作為的にパンクをさせられておったといっておりますが、バンクをしておったために帰れなくて、これは二階の方にもう一ぺん引き返した。それから、そこに
森地区から出てきた教師側の
父兄、その
会議に正規に出た
父兄、というよりもお母さん、婦人でございますが、これがどうも帰りの途中が心配だということで、先ほど
長官も申されたように、
教組側の、これは大原といい、あるいは池田といい、名前が
食い違いますが、とにかくそちら側の人から、
森地区まで送ってもらいたいという要請を受けまして、飯尾は五人の婦人を送って
森地区に行っておる。これは大した
距離でもない。急ぎ足で行って急ぎ足で帰ってくれば早かったのですが、そのときにあとでそういうことが起るという
考え方は、これはうかつと今おっしゃられれば
一つの批判でございますけれども、そういうふうには
考えなかったので、
駐在所の
自分の家の方に帰ったのであります。これが十時四十分ごろです。ところが、話は前後しますが、十時十分ころ
仁淀高校から、
森地区の父母の会の連中が来て、
小林委員長がというか、
会議側の方が
カン詰状態になっておる、しかも自動車もパンクさせられているという
連絡が、十時十分ごろ
駐在所にあった。しかしこのことについては私
たち自身の
調べでも、郵便局の
電話は十時ちょっと前ということになっておりますから、同じ
電話だろうと思いますけれども、だからこの点十分くらいの違いがありますことは御
了承願いたいと思うのですが、
調べたままを申し上げますと、十時十分ごろそういう
電話があった。それで
細君は、それに対して、今主人は出かけておるのだが、帰ったらすぐ行きますからということを言っております。そこにまあ二、三十分して、飯尾という
駐在所の主人が帰って来たわけです。それに対して、先ほど
仁淀高校から、
会議をしている
人たちが
父兄に
カン詰状態になっている、しかし今どうこういうことじゃない、これはその
通り言っておりますが、しかし来てくれということだから行って見てくれということを伝えておる。それで
飯尾巡査は
仁淀高校の方に向っておりますが、そのときに、ころを同じくして
森小学校の方から、中内という宿直の教師が
父兄に取り巻かれて暴行を受けようとしているから、すぐ来てくれという
電話がかかった。これは先ほど話した
通りです。そこで一たん出かけた
駐在所
巡査は、
細君がさらに追いかけて、森の方から今こういう
電話がかかってきたということを言ったものですから、そちらの方がそれじゃ現実に大へんな
事態だというように
考え、また近くもあるし、まずそちらの方に行ったのであります。ところが中内という教師は、それは
父兄に取り巻かれたけれども、暴行は受けなかった。しかしまあ
相当なことを言われたのでしょう。それで
電話をしたのだということになりまして、そこで
飯尾巡査は、結局結果において三十分ほど時間を空費したことになっていますが、それはまた
父兄に再び襲われる危険があるということで、その
森小学校の方を警戒したというのであります。しかしながら、これはあとで聞きますと、再び押しかけられたときに、中内という人は暴行を受けています。しかし、これは
仁淀高校の
事件を済ました
父兄の一部が
森小学校に向ったのであって、たまたま
飯尾巡査がかけつけ、しかも警戒した時間がちょうどその空間になるわけです。だからこの間もある
委員会で、私は、お前
たちの
警察はちょうどないとこないとこ歩いているんじゃないか、こう言われましたが、結果においては
森小学校についてはそういうことになりまして、三十分ほど警戒をしたんだけれども、もう三十分か一時間警戒すればその次の
事件に出っくわしておりまするが、三十分たっても何もないものだから、今度は
自分の家に帰ってきた。これが十一時四十分ごろになるのであります。そこで、今度はまた話が変りますが、その
駐在所だけではなしに、
仁淀高校から、
佐川署に対する
連絡が、先ほど
長官が申しましたように十時三十五分にあっています。それで
佐川署から岡林という警部補が部下を連れて十一時に出発しておりますが、その出発する前に
飯尾巡査に、
自分と
行動を一緒にせいという
電話を
駐在所にかけておりますので、
飯尾巡査はそれを待って一緒に
学校に行ったということであります。
従いまして、非常にこんぐらかっておりまするから、私の
お話し申し上げたことがおわかりにくかったと思いまするが、
警察に対する
現地からの
連絡がどうっなっておったかということをまとめて申し上げますと、時間的には、十時に
警察本部に、
高知にある日
教組の本部から
電話がかかって、自動車のタイヤをパンクさせられたということを言っております。それで県の本部では、それではこっちからスペアを持ってかにゃいかぬのだろうから、そういうことであるならば
現地の警部補派出所に
連絡をしておくから、そこに寄って、一緒に
警察官を連れて行ってくれという答えをしております。それからほとんどこれと同時刻だと思いまするが、先ほど申し上げた十時十分に、
駐在所の
細君に
仁淀高校から同様の、パンクさせられておる、また
カン詰状態にされておるという
電話がかかっておるのであります。それからその次の時刻は十時三十五分に、
佐川署に
仁淀高校の中平という教諭から、やはり
カン詰状態だからさっそく来てくれという
連絡があっています。それと前後して、これもおそらく同じ時間だと思いまするが、
駐在所の
細君に、先ほど申し上げたような二番目の
電話がきております。それから十一時四十五分になって、ここで
事件の発生をといいますか、乱暴というか、暴行が行われたということが
警察ではっきりとわかったのがこの時間でありまするが、十一時四十五分に県本部に、やはり
高知における日
教組から、
東元委員長が暴行されてけがをしたようであるという
連絡を受けておりますし、また同時刻に吾川警部補派出所にも、民間から、暴行が
仁淀高校において行われたという
連絡を受けております。これに従いまして、先ほど申し上げたように県の本部からも、刑事部長以下がおもむいておりまするし、吾川警部補派出所からも、担当の警部補がかけつけるというような段取りになったわけでございます。
それで
仁淀高校における
事件がいつごろ起ったかということについてはだれも
——だれもというより第三者としてそれを現認したものがないのであります。従って私の方で
被害者について、けがをした人や、あるいはけがをしなくとも、その場に居合わせた
被害者の方々について、何時ごろ電灯が消され、あるいは何時ごろいすやなんかが投げられたかという聞き取りをいたしておりますが、これがきわめてまちまちであります。これは
調べた
通りの表が出ておりますが、どうも十時半以後であることは確実で、終った時間
——身をうつぶせにしていて、ひょっと顔を上げてみたらもうだれもいなかったということは十一時五十分ごろそうであったと言う人が
相当あります。しかし行われた時間はどれくらいかといえば、二十分ないし三十分ということであって、これは推定でございますけれども、十一時前後から十一時半ごろにかけて
仁淀高校における
事件が起り、さらにそのうちの一部が
森小学校におもむいて中内教諭をなぐったのでありますから、これが十二時ないしは十二時過ぎということになろうかと思うのであります。しかし、この点は現在
現地に
捜査本部を設けまして、鋭意
捜査中でありますから、時間の
点等について、さらに
捜査の
過程においてはっきりしたものが出てくるか、こう
考えておるのであります。
ちなみに現在の
捜査状況は、本部から
現地に着きました刑事部長は、さっそく
駐在所に
捜査本部を設けております。これが十六日の午前四時であります。人員は、これは刑事
事件でございますので、ヴェテランの刑事をかき集める必要がありまして、五十一名でありますか、現在やっております。
〔
亀山委員長代理退席、
纐纈委員長代理着席〕
抽象的に言えることは、最初、被疑者も三十名くらいの者が乱暴するのをそこに確認されているということで
調べを始めたのでありますけれども、現在まで確実にこれが暴行したであろうと疑われるに足る容疑者の検挙いたしておりますのは六名でございます。しかしながら、これが何名になるか、あるいはどういう罪名になるかというような事柄につきましては、
現地の
捜査本部の今からの
捜査を待たなければ、ここではっきりしたことを申し上げるわけにいかぬ、こう思っておるのであります。
以上が、ただいままで私
たちの知っております
事案の
概要でございますけれども、当初に申し上げましたように、時間的な事柄やいろいろなことで事実上
お話と食い違う点がありますことは、これをどう思うか、ああ思うかという事柄の基礎になる問題として、まことに残念に思いますけれども、私の方もなるたけ真相をはっきりし、また
教組側においても、それは
警察の言うことが違うということがあると思いますので、その点も詳しくお
調べになって、さらに御質問を承わりたい、こう思います。