○
山本(勝)小
委員 しかし、
部長、もう一ぺん
考えてもらいたいと思うのです。
原則としては
製造課税なんだから、
製造課税の
原則を破って、こういうみなす税を作るのですから、その
例外の
規定というものを、厳格に、はっきりした形で、これだけはみなす税とみなすということにきめるべきであって、その
例外としてきめた条文があいまいで、今度は
原則のところまで食い込んでくれば
幾らでも食い込んでこれるというような
規定の仕方は、非常に間違いだと思うのです。ただ
徴税上便利ということは
考えなければなりませんけれ
ども、
徴税の
便宜ということは、そもそも
製造課税になっておるものを
製造課税でも、
小売り課税でも、
税率に全然
関係がなければいいのですが、同じものについて
税率に違いを生じてくる。そして、しかも
税務署の
扱いでも
いろいろ差も生じ得る
トラブルというのはそうなんです。
一般に必ずそうなってきまっておればそう
トラブルにならないけれ
ども、そうではないつもりで、
一般の
原則でやっておったところが、その
例外の方を
適用された。これは、私は今度の
改正案について、
最後にほかの点も含めて、少し
修正案を出そうという
考えを持っておる。その場合に、
原則をくずすような
例外規定が、これがかえって紛淆のもとになるというふうなことは避けたい、こういうのですから、それで、
国税庁当局としても、仕事のしやすいように、いずれにしても、それは
税法ですから、多少の不便はどっちへころんでもあるでしょう。しかし、あなた方が実際ねらっておる
——だれが見ても、これは工場は別になっておるけれ
ども、しかし、この人の仕事によって、この人の計画で、この人の仕事を通常しているだけだ、実施労働をやっているだけで
独立業者とは認められぬ、従って
事業税も何も取っておらぬ、そういうふうな何かはっきりした場合があるでしょう。そういうときは別ですけれ
ども、しかし、一方では
独立業者としてやっておりながら、一方では
便宜上独立者と認めないで、そういうほかのものを納税義務者に認めるということは、私も
考えてみるが、一つ
考えてみて下さい。それで、これは今度
改正する機会ですから、もう少し「又ハ」というような言葉を、「又ハ」じゃなしに「及ビ」とした方がもっとはっきりするか、これはここですぐどうということは答えられぬでしょうけれ
ども、あるいは
最後に皆さんが
原則的にそういうものは相手にしてないというものをカッコをしてそれを除くということにするか、これは
方法はいろいろあるだろう。少くとも
原則に対する
例外規定を設けておいて、その
例外規定がばく然としておるために、
原則のところまで食い込んできて混乱を来たすというようなことは避けてほしいと思う。これは一つ
考えてみてほしいと思うのです。
それから、もう一つ、これも私が
自分で
修正案を出すときの一つの参考に聞いておきたいのですが、この
物品税の品種別というものがずっとありますが、この品種の中に美術品という品種を設けるということが妥当ではないかというふうに
考えるのです。それは、美術品という概念は世の中にりっぱに存在しておる。それをまた特別に扱う営業までも成り立っておる。ところが、こつの中に、美術品という品目はこれまでも出てきてないし、今度も出てきてないのであります。私は、美術品として世の中に現に存在し、営業も存在しておるという品目は新たに加えるべきだと思うが、加えた場合に、その中にはどういうふうなものが大体入ってくるかというと、俗にいう美術商が扱っておる書画骨董というものも大体入ってくるでしょう。書画骨董という概念は大蔵省の概念であって、実際は、そういうものは美術商は美術品として扱っておるのであって、骨董品だから、ただ珍しいからというので扱っておるのではない。それから、陶器のようなものでも、日常われわれが使う陶器のほかに、だれが見ても美術品として扱うべき陶器というものがある。漆器にもあるし、こういうものは、この概念がないために、従来の
扱い方から見ると奢侈品、ぜいたく品、あるいは娯楽品、それから実用品、日用品といったような概念で扱ってきておるために、この美術品というものはどの中に入ってしまうかというと、どっちかというと奢侈品の中に入ってしまう。あるいは一部分は娯楽品の中に入る。少くとも奢侈品として
考えられやすい。事実
考えられてきたと思うのです。そうなりますと、どういうことになるか。奢侈品というものは、これをなるべく押えつけていくということが国の方針でもあったろうし、
税法の上にもそれが現われてきておる。一方、美術というものに対しては、振興するというか、少くとも製作技術を落さぬように、そして育成振興していかなければならぬという国策があるわけであります。ですから、あの戦争中ですらも、美術品に対しては、その製作技術というものを落さぬために、特別な保護措置がとられておったような
実情なんです。ところが、今日日本が世界で、美術の国というか、芸術国民として認められておることは御
承知の
通り、世界のどの国に比へても日本は芸術的な国民だ。というのは、芸術作品というか、ことに美術の面で音楽などはよそにすぐれたところがありますけれ
ども、美術の点では世界的に一流の国と認められておるのであります。その美術はどうしてここまできたかというと、これは、簡単に申しますと、封建諸侯の保護によって、長い間、つまり何百年という封建時代が続いて、そして諸侯がこれを保護した。その育成の力で、日本の漆器にしても、陶器にしても、あるいは絵画、日本画にしても、そういう非常なレベルを保つことができたと思いますが、その美術が、封建諸侯がなくなってしまいますと、今度はだれがこれをささえていくかというと、これはお金を持った人がささえていく以外に、需要がなければ、もうどうにもならぬ。そこで、お金を持った人がこれを買うんだというので、奢侈品だとか、担税力のあるところにはかけるんだというこれまでの方針だけで割り切っていきますと、なるべく重い税をかけねばならぬ。重い税をかけていくということは、これは美術を振興するというよりも、これまですでにあるレベルのものを
——封建諸侯の力であるところまで達しておったものを、今度は
物品税によって押えつけて、低下さしてしまうという働きをするし、もう実際そういうふうにいいものは高い。高いものは
税率も非常に高い。ですから、これをやみに流すとか、ないしはなるべく作らぬようにする。正直なものは
物品税のかからぬようなものだけにいくということで、美術振興という点からいえば逆効果を来たす。ですから、私は、どうしてもここで新しく書画骨董などという概念でいきますと、今言う重い税をかけて、こういうものはよろしいのだ、またこういうものはなくてもいいんだという結果になるし、逆に美術は振興せんならぬ。芸術というものは、これを理解しない人から見たら、つまらぬものでしょう。遊びごとでしょう。けれ
ども、人生は短かし芸術は長しというギリシャ以来の伝統、芸術の力というのは非常に大きなものです。これは、科学技術といえ
ども、私は根底に横たわるものは芸術だと思う。むしろ正しい人世のほんとうに底に横たわるものは、私は芸術だと思う。これは世界的にもそう見られておる。どこでも芸術というものを非常にたっとんでいる。こういうのですから、私の
考えを
——少し長うなりましたけれ
ども、私はこれで東京の芸大の校友会の会長をやっている。それまであまり理解しなかったところの美術学校や音楽学校へ行ってだんだん聞いてみると、ああいう連中は、税のことなど知らぬものですから、ただもっぱら芸術的創作に精進をしておる。ですから、私は、ここで美術というものを税の上でこういう
扱いをしていかないで、むしろ逆に振興させるために、一つ新しく美術品という品目を設けて、そして
税率の上でも安くする。
〔
山村(庄)小
委員長代理退席、押谷小
委員長代理着席〕あるいは、美術というのは、すでにでき上った国宝になっておるようなものだけを文化財として保護してみましても、そんなことでは美術は振興しない。やはり美術家の卵というものを育成していかなければならぬ。だから、彼らがほんとうに欲を離れて、世俗を超越した、そういう創作精神で作られた、美術芸術品の創作意欲で作られたようなものは陶器といわず漆器といわず、絵画、彫刻といわず、こういうものはほんとうは税をなくしてしまっていいんだ、ほんとうの日用品は税をなくしてしまうべきものだと思いますが、同時に、こういう高いもの、だから日用にはならないけれ
ども、しかしそれ以外にささえようがないということでありますから、
物品税の上では、もう最低の
扱いをするために、少くとも書画骨董という感覚と、美術品という感覚とは、感覚がまるで違うのです。そういうものを設けたいと思うが、これは
国税庁よりも
主税局に聞くべきことだけれ
ども、こういう
考え方に対して長官としてどういう所感を持たれるか。これは
吉國君に話したら、なるほどそれも一理あるというので、少し頭が動きかけているのだけれ
ども……。