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北島政府委員 大へん広範な問題が提示されたわけでございますが、私がただいまここでお答えいたすべきものは、昨年の税の
執行に関する
調査小委員会の
中間報告に対する
措置の問題と、それから
農業法人の
考え方の問題と、さしあたりこの
二つということでよろしゅうございましょうか。
——それでは、ただいまその
二つに一応限定させていただきまして、現在
手元にある
資料のみでお答えいたしたいと存じます。
まず、
順序をちょっと転倒いたしますが、いわゆる
農業法人に対する
国税庁の
考え方、これを
一つ御
説明させていただきたいと思います。事柄の経緯といたしましては、
昭和三十二年の森から秋にかけまして、
徳島県の勝浦町という町がありますが、そこにありまする
柑橘栽培農家百四戸の方が
法人を設立されまして、そして、やり方としては、
個人が
農地を出資するわけではありませんが、
個人がその
法人に対しまして
肥培管理その他の生産一切がっさい請け負ってもらうということにいたしまして、そうしてその
収益のうち九割は
請負契約に基くものということで
法人に渡し、一割は
個人がとる。それからまた、その
個人は、その会社の重役として
役員報酬等をとるわけでありますが、実はこの問題につきましてまず
徳島県庁で問題になりました。と申しますのは、
農地法第三条一項には、新たに
農地について
所有権を取得いたしましたり、あるいはまた
農地について賃貸借その他
使用、
収益をなすことができる
権利を
設定、変更する、こういった場合には、
都道府県知事または
農業委員会の
許可を要するということになっております。ところが、これについて、
農林省当局においては、
法人についてはそういうものは認めないのだという趣旨でもって、この
柑橘栽培の
農家の
法人に対して
否定的見解をとったわけでございます。そこで、税務の
執行面においてもこれがクローズ・アップされたわけですが、
当局といたしましては、
農地法によりまして、ただいま申しましたように、
農業法人が
農業経営をするためには
都道府県知事または
農業委員会の
許可を要する、それで、その
許可を受けずいたしました
行為は、単に罰則に触れるだけでなしに、私法上も無効である、こういう点に着目いたしまして、この
法人としての
申告は工合が悪いじゃないかということで、いろいろ折衝いたしまして、結局百四軒のうち百二軒が
個人の
申告ということに昨年なったわけであります。ただ、二軒の
法人につきましては、この
措置に不服でございまして、
審査請求して参りましたが、この
審査請求につきましては、先般
請求を棄却いたしましたので、おそらくこれは訴訟までくるのではなかろうか、こういうふうに考えておるわけでございます。
考え方といたしましては、
農地法によりまして、
農地について
所有権その他
使用、
収益をなすべき
権利を取得する場合には
許可が要る、
許可を得ないでした
行為は無効だということでありますので、ただいまのような場合におきましては、あくまでも
個人にその
農業経営の
収益が帰属する、こういう
考え方から、
個人として課税すべきだ、かように考えておるわけでございます。ただ、なおこの問題を契機といたしまして、全国的に調べてみますと、各地にぽつぽつただいまのような形態の
法人がございますので、
あとの問題についてはこれを統一的に今後扱わなければならぬ、こういうふうに考えております。ざっと申しますと、ただいまの通りであります。
次に、昨年の当
委員会の税の
執行に関する
調査小委員会の
中間報告に対する
国税庁の
措置はどうか、こういう点でございますが、この中で、協議団
関係につきましては特に有益なる御注意をいただいたのでございまして、たとえば、審査処理までの時間が長過ぎるということ、それから、ややもすれば、主管部局に制約されて、協議団本来の使命が発揮できないのではないかというような見方、それから第三には、人事の面からいって協議団が姥捨山になっているのではないか、こういった問題だったかと思います。これにつきましては、そういった御批判の出る素地につきましては、私ども十分反省する点がございますので、いろいろ部内で協議いたしまして、まず協議団機構の拡充の問題は一体どうしたらいいだろうというような話が出たのでありますが、結局、私どもの意見といたしましては、ただいまここで行政機構の拡充という問題を持ち出すよりも、当面現にある協議団という形をもっと運営面において改善したらよいのではなかろうか、こういうふうに考えまして、さしあたり、長い期間にわたりまして未済であったものにつきましては、昨年の夏に未済の一掃計画を立てまして、大体一年以上立ってなお片づかないものは九月一ぱいまでに片づけよという厳命をいたしました。ただし、この中でも、目下訴訟等になっているものや、査察等の
関係でなかなか短期に片づかないものもございますが、おおむね各協議団におきましてこの趣旨を了解せられまして、秋までにほとんど大ていの長期の未済は片づいた、こういう格好になっております。
なお、協議団の運営の
方法といたしまして、主管部局に制肘を受けるのではないかというような問題があります。こういう点につきましては、部内でも十分検討をいたしまして、大体こういうルールを立てたのでございますが、もともと協議団の協議決定を
国税局長は原則として尊重すべしという
国税庁長官の通達がございます。ことに、この協議団の決定と異なる審査決定をする場合には、協議団の本部長の意見をまず第一によく聞けということ、さらになお協議団本部の協議決定と異なった審査決定をする場合には、
国税庁に上申するということになっておりますが、この
方法をさらに再確認いたしまして厳格に行わせるということと、それから実は協議団内部と主管部局におけるところの審査のやり方を、相当
考え方を変えまして、主管部局といたしましては、こまかく言うといろいろございますけれども、少額のもの、その他あまり問題でないもの等につきましては、主管部局による審査を省略するというやり方をいたしました。これで、大体審査事案の約半数が、協議団の協議決定がすらすらとそのまま通るべきものと思われますが、さらに協議団の内部の審査期間、これは原則として二カ月以内に片づけるようにということ、それから、主管部局に参りましたら、主管部局においては一カ月以内に結論を出すということにいたしました。この場合、従来
国税局長を長といたします、審査事務の小
委員会というのがございますが、これをさらに活用いたしまして、主管部局において一カ月以上を経過したものについては、できるだけ早くこの
国税局長主催の審査小
委員会の方にかけまして、そこで局長みずからが内容を検討して決定を下すということにいたしました。
それから、人事
関係につきましては、えてして昔
——これは昔のことでございますが、姥捨山といわれたこともございましたが、こんなことのないように、まず協議団本部長の地位を高めていこうじゃないか。これは内部のこまかい話でございますが、協議団本部長は
国税局の部長格ではございますが、地方の小さい局に参りますと、人事といたしまして、協議団本部長をやった者が、さらに県庁所在地の一、二を争う枢要な
税務署ではございますが、管内の
税務署長にまた出るというようなことをいたしておりますが、そういうような人事はやめて、原則としてずっと部長扱いをする、こういうようなことも考えております。
以上言ったような
方法によって、協議団事務につきましては今後刷新を加えていく、こういう方針でございます。大体ごく大ざっぱに御
説明申しましたが、さらに御
質問によりましてお答え申し上げたいと思います。
なお、御指摘のございました名古屋の西
税務署の問題につきまして、次に御
説明申し上げたいと思います。
名古屋西
税務署におきまして、昨年の秋実はわかったことでありますが、すでに
時効が完成し、不納欠損になすべきものを、外部の体裁をつくろうために、これを
執行停止という格好をとりまして、
執行停止、すなわち生活困窮者等に対しまして
滞納処分の
執行を停止して、三年の経過によって納税義務を消滅させる
制度があるわけでございますが、
時効完成という形でもって完結することを一応避けて、
執行停止という格好にしまして、そうして日付をさかのぼって
執行停止の処理をしておったものがございました。それからさらに、
執行停止の処理をするための前段階といたしまして、
納税者の無
財産を証明するために捜索調書について作為しておったというのがございました。それから、
時効が完成してないように内部的につくろうために、交付要求書等を作為したと証められるものが若干あったのであります。これらについてはもとよりとんでもないことでありまして、それ自体まことに申しわけないことでありますが、調べてみますと、その動機は単に表面をつくろうという意図に基くものと見られまして、少くとも、
時効によって消滅した
税金について、その消滅を知りながら、あえてこれを徴収して、
納税者の
権利を侵害するという意図に出たものではないと判断されたのであります。ただ、その結果、
時効を完成した後収納いたしましたために、還付しなければならなくなったものが約十人ございましたので、三万二千二百円ございました。これはまことに申しわけないことでございましたが、直ちに還付の手続をとったのでございます。
一体どうして西
税務署においてこのような事件が起ったかということを、私どももその当時厳命を下して十分調べたのでございますが、まず
最初の背景といたしましては、
昭和二十五、六年当時にまでさかのぼるのでありますが、
昭和二十五、六年と申しますと、納税の非常に混乱した時期でありました。たしか
昭和二十四年度末、二十五年の三月末の
滞納額が千二百五十八億円というような大きな
滞納だったかと思いますが、税務全般をあげて大混乱の時期でありましたそれが、その当時、原則として大口の
滞納を片づけるということでやっておりましたが、時の経過とともにまたたく間に五年が過ぎて、そうして三十一、二年ごろにおきましては、この西
税務署のような非常に膨大な
納税者を持ち、錯綜した
納税者をかかえておるところにおいて、
時効を完成したものが出てきたのであります。ちょうどそのとき、三十二年の六月に、西
税務署に新しく徴収
課長が交代して参りまして、そうして前任者時代の
滞納処分表をずっと見てみますと、今申しましたように相当多数の
時効を完成したものが出てきたのであります。そこで、徴収
課長としては相当悩んだようでありますが、前任者時代のことを自分が来てすぐ表に出すのはどうかというようなちゅうちょもあったと思います。それからまた、もともと徴収課員には
時効を完成させるということはやっぱり不手ぎわだという観念が強いのでありまして、
滞納処分表の内容をよく見ますと、無
財産、
財産なしというような状況でそのままほっておかれたのが大部分でありましたので、それではこれは
執行停止にかければよかったのじゃないかというふうに考えた。そして
執行停止にかけた。また日付をさかのぼってやることは非常に悪いことでありますが、日付をさかのぼって
執行停止の
措置をするようにというような指令をしたのが残っておりまして、そうしてこれに基いて徴収課員が
執行停止の処分をして、三年たって自然に消滅した、こういうような体裁をつくろってきたのであります。ただし、中には、先ほど申しましたように、
執行停止の前段階として、無
財産を証明する捜索調書を作らなければならない。捜索いたしますと、今度は
時効を中断されるわけであります。そこで、捜索調書によって、
時効中断の一応格好になったわけですが、取扱いの職員が交代するとともに、これがほんとにやはり
時効が中断されたものと考えて徴収したのがごく若干あった、こういうことでございます。この事件につきましては、まことに申しわけないことであったと思いますが、名古屋
国税局をしてずっと西
税務署を監査させまして、約三千六百の古い
滞納について内容を見させました。そうしたところ、
時効を完成しておったものが二百九十一人、五百七十三件というものがあったのであります。そのうちに、ただいま申しましたような
方法で、表面をつくろっておったと認められるものが八十三人、二百二十二件という
数字が残っております。私どもは、税務の
執行について表面を整えるということは、まことに工合が悪い、ほんとに真実が一番強いんだ、決して、かりに不名誉なことであっても、過ぎたことはしようがないが、ちゃんと法の定めるところに従って、
時効にかかったものは
時効にかかったように処置せいというふうに、厳命いたしたのであります。そのようなことがないよう、今後十分気をつけたいと思っております。
それから、
更正決定がおくれて、税務
当局側の遅延のために利子税がかさむのはおかしいじゃないか、こういう御
質問がございました。これは、実を申し上げますと、
申告納税の建前までさかのぼる問題かとも思われます。御承知の通り、現在の
所得税、
法人税は、
申告納税の建前をとっておりまして、
納税者各位が自分でもって正当な
所得の
申告をされる、こういうのを根本といたしております。そうして、税務官庁といたしましては、
あとで
調査いたしましても、もし間違っておったらそれは直していただく、こういう建前であります。昔の賦課課税とやはり根本的に
考え方が変っておりまして、あくまでも
納税者が正しい
申告を
期限内にしていただくということを基調としているのであります。ただ、税務官庁がおくれるに従って利子税がかさむことは、これはまことに工合の悪いことが多いのでございます。私どもといたしましては、できるだけ早期に
更正決定を片づけるものは片づけたい、こういうふうにいたしておるのでありますが、現在の陣容からいって、必ずしも思うようにいっていないのは、まことに残念でございます。
以上大体御
説明を申し上げたわけであります。