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滝井委員 今の
小山さんの御
答弁で、
緩急順序がある、従って
政府としては、
老後なり、重度の負傷を受けて、それらの非常に悲惨な、
生活の守られていない面から守る案を作った、こういうことでございますが、私はやはり
年金制度というものの起らなければならない、いわゆる
近代社会の非常に急速な様相の
変化というものをやはりその根底にはっきり把握しておく必要があろうと思うのです。まず第一に、われわれがすぐ気づく点は、
近代の
社会においては、われわれが封建的な昔から
一家団らんの、
家族的な、いわば昔は大
家族主義的な
生活を持っておりました。しかるに最近の
交通機関の発達、あるいはそのほか大都市への
人口の集中というような、こういう現象から、いわば
家族とか
世帯というようなものが
職業的に見ても地理的に見ても、いわば
ちりぢりばらばらになる形が急速に出て参りました。いわば
分散化の傾向が起ってきております。そして同時に、もう
一つ大事なことは、今までのわれわれの
社会においては
老人の知識というか、経験というようなものが非常に高く価値づけられておりました。現在その片鱗が
日本の
農村にも残っておると思う。
日本の
農村において残っておるのは、いつかも述べたことがあるのですが、今から二百年前に大原幽学が、あの田植えのときの正条植えを発見しました。その後それを普及しましたが、
現実の
農村においては、なおその正条植えというものがずっと行われております。すなわち生産手段や生産
方法が二百年前の大原幽学の時代と大して変っておらない。そこにおいては生産方式に大きな変革がない。脱穀調製の面では、ある
程度の変革、機械化されてありますけれども、生産の面では依然として両手労働、われわれの両手で働く労働というものが支配的である。従って上でうまく田のあぜ道を立てるのも、長い
老人の経験と勘というものが非常に権威を持っております。従って、そこにおいては
老人の知識と経験が高く評価せられて、一番権威のある者は
老人であり、その次に権威のあるのは父であり、そして一番権威のないのは孫である、こういう形が
日本になお
一つ残っております。しかし、それは
農村に前
近代的な形として残っておるだけであって、戦争前まではその
農村の形態、すなわち
日本の水田様式、アジア的な生産様式というものが同時に
日本の生産機構を支配して、貴族院における平均年令が七十二才である、こういう形が出ておりました。しかし、すでに参議院に全国区ができ、衆議院の激しい選挙戦を戦って出るということになると、もはやそこにはだんだん
老人が権威を失うという形が出てきております。たとえばこの国会においても、二十五年以上勤続した人には額がかけられるという形で出ておりますが、今の激しい選挙戦のもとにおいては、もはや二十五年国
会議員を勤め得るという御
老人などはだんたん少くなってきつつあるということが、これは端的に
日本の
社会の変革を示すと同時に、
日本の生産機構すなわち
農村を基盤とした生産機構と、そしてそれが反映した
政治機構が大きく
近代的な
政治機構に変りつつある様相だと思う。そういう意味から、今度これをもっと小さな家庭的な面に目を移して見るならば、すなわち一家の食卓でお互いがお互いの
意見を交換し、そうしてそこにおける一番の権威者の、父なり
老人の
意見に従っておった。そうして
老人が病気になれば、われわれがそれを看病するという形があったのですが、最近の地理的な
職業的な分散は、もはや
老人とわれわれとが食卓を同じくしなくても、金を送ればよい、いわば送金、仕送りというようなことから、だんだんと
一家団らんの姿から、単に金で
負担をすればよい、こういうものの
考え方に変ってきたということです。これは小さな変り方のようでございますが、そのことは同時に生産様式の大きな変革がその底流にひそんでおり、それは同時に
日本の
政治機構への変革の道を開いておるということです。ここに私は、われわれが長期の
所得を
保障する
年金問題を
考える場合に、どうしても着目しておかなければならない
一つの大きな点があろうかと思います。もう
一つは、資本主義の基底をなしておったところの
状態が非常に変って参りました。
日本でいえば新しい民法の制定で、家督相続、長子が相続するということでなくて、財産を均分に分ける、こういうことが出て参りました。そのことは一体何を意味するかというと、結局
世帯の小規模化を意味するわけです。
世帯が小規模化し、そしてわれわれの
職業が分散をし、地域的な分散が職分の分散とともに行われるということになると、その場合における
老人は一体いかなることになるかというと、結局
老人はいわば家庭の秩序の破壊者といってはおかしいけれども、いわば小さな家庭の秩序の侵入者というか闖入者というか、何かじゃま者扱いされるというような傾向が出てくるわけです。同時に一方においては、
近代の小規模の家庭における経済的な収入というものが、もはや一家に
老人があることによってその経済的な、自己の家庭的な、小規模家庭の秩序を保っていくことができないという
状態が同時にでてきておる。というのは、これは
近代の賃金構造が、特に
日本のような二重賃金の構造がそれを決定的にしたということです。もう
一つの面は、これは
政府の住宅政策にもよると思うのです。戦後におけるいわゆる団地住宅というのが、四畳半か六畳の小さな団地の住宅政策をとっており、そのためにそこにわれわれを育ててくれた
老人を迎えて昔のような
一家団らんの食卓を通じて、いわば
老人の権威を保たしていくというような
関係というものが、一方住宅政策から断ち切られるという
状態が出て参りました。同時にそれらのものに拍車をかけたものは戦後のインフレです。こういうようなもろもろの要素というものをわれわれが
考えてみると、非常に
老人問題というものは、やはり
政府が相当の
財政的な
負担を思い切って出してやる以外には、もはやここに抜本的に
老人問題を解決するということがほとんど不可能だという
状態が出てきておることはもう明らかです。だんだんオートメーション化されて、
近代化が進めば進むほどその傾向は拍車をかけられる。従ってどうもこういういろいろの点を
考えてみ、同時に
日本の虚業構造、いわゆる
小山さんが先般来
年金の基礎的な条件は一体何なのかという私の質問に対してそれは
日本の産業構造だと言ったのだが、その産業構造、そして
日本における
人口構成の非常な——昭和二十五年、むしろさかのぼれば大正九年ですが、大正九年以来の
日本の
人口構造の
変化というものが
老人問題というものをもはや決定的な抜き差しのならない、個人的な方ではどうにも解決できない点に追い込んでおると思うのです。こういうような客観的ないろいろの条件を
考え、冒頭に申し上げました
日本における雇用というものが五十五才で定年になるというような
状態から
考えると、これはよほどの腹がまえをしなければ、今度
政府が出したように単に守られていないものを守るため、
現実に
老後や重度の障害やあるいは夫と死別をした貧しい母子の家庭が守られていないので、それらのものをまず守ることが先だというそのことはわかるのですが、それだけでは
日本のいわばこの大きな経済の
変化の底流に現われつつある
老人の問題というものは解決できないのじゃないかという気がするのです。そこでこういう点について、やはり根本的なものの
考え方を
政府は今後どういう
工合に解決していくのか、それをまず御
答弁を願い、同時にそれらの
変化に対して経済企画庁は一体どういう
工合に対処していくつもりなのか、経済的な観点から、
財政的な観点から、経済企画庁の御見解もあわせて伺いたいと思います。