○
八木(
一男)
委員 一
通りの御
答弁でございますが、七十才というのは、たとえば都会で坂出先生なり
小山君なり、それから佐藤さんなり岸さんが
考えると、七十でもらえる人がずいぶんあるように思うのです。いい生活をしてこられた方は七十でも七十二才でもぴんぴんしておられます。
あと十年も生きられるという人が、東京あたりには皆さんの回りにたくさんおられるわけです。裕福な階級のおつき合いの中にはたくさんおられるわけですが、農家にお入りになったら、六十七、八才になったら
ほんとうに廃人になるくらいの、老いさらばえて死を待つというような
老人が多いわけです。そういう所得の少い、労働の激しい家庭ではもう六十五才になったら完全に年寄りだ。七十才まで生きる人は少いということですね。そういう貧しい階層の
所得保障が一番必要なんです。そういう貧しい、必要な階層は、
ほんとうにいい生活をしていければもっと長生きができるのを、自分で激しい労働のために、苦しい生活のために命をすり減らした人なんです。その人がただ形式上の年令という制限だけで――仕合せに暮らした人が七十人で国家のただの無
拠出年金を、しかも相当のいい生活をしておられる人がもらえる。ところが六十六、六十七くらいで、貧困の生活で苦闘している人が一歩手前で、六十九で来年もらえるな
あと思いながら死んでしまうということになるわけです。ですからほかの制限が強化されても、もう少し下げる必要があると思う。私は六十から必要だと思うのです。それをやるためにはもっと金を出さなければなりません。金は、
政府としては、
大蔵省が非常に無
理解でなかなかむずかしい点もあるでしょう。しかしそこにやはりもっと
考えようがあると思う。七十と切らなくともいい。制度
審議会のあんな答申の例などはとっていただきたくないのです。
ほんとうの
坂田さんのお
考えで
お答えを願いたいと思うのですけれ
ども、農村に行ったら、六十八くらいになったら
ほんとうに所得能力がないだけじゃなしに、もう何もできないというような
老人がいるわけです。この案ではそういう人が
一つももらえないで死んでいくわけです。ですから七十というような形式的なところでなしに、六十五に下げるとか、そういう配慮がしかるべきだと思う。所得で制限するというのが今論議の対象にずいぶんなっておる。しかしそれ以上に
老齢に関しては年令制限というものが実際上非常に大きな影響があるということをぜひお
考えをいただきたいと思うのです。たとえば六十九で死んだ人にとっては、社会党の案ではすでに十年間もらえるわけです。しかも六十五から倍額になっているわけです。十年もらえるのと、それから
一つももらえないのとでは――われわれこれは
宣伝いたしません。
宣伝して
政府の票が減ることがわれわれの目標ではない。
ほんとうに
国民生活がよくなることが目的なんです。ですから、少くともこれを下げていただきたい。それから
坂田さん、七十をこえても、七十一か二になっても
政府案では一年か二年しかもらえない。
年金をもらっても、もうそれでお寺参りに行く元気がないということで、使わないまま死んでしまうという人がいるわけです。その人が六十五からもらえれば七年間もらえて、せめて老後を、ごくわずかですけれ
ども楽しんでいただける一助になるのです。そういうことで年令ということをもっと重視して
考えていただきたい。所得の、たとえば五十万の所得の方は――この方にもわれわれは幾らでも差し上げたいのですけれ
ども、
金額が制限されているものなら、所得の非常に少い、六十八くらいでもう命の終ろうとしておる
老人に上げる方が実質的に大事なわけです。そういうことで七十才開始というのは再検討して、少くとも六十五才くらいに――無拠出ですから六十からが理想でありますけれ
ども、
政府の今の
立場では六十からは無理でしょう。六十五くらいになら下げられる。そのためにはほかを少しくらい組みかえられても仕方がありません、組みかえない方がいいでありましょうけれ
ども。とにかくこれを六十五に下げて、その金は出すというくらいの
考え方で進まれていただかなければ困ると思う。それについての御
意見をお伺いしたい。