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小林(進)
委員 大臣もお忙しい
ようでございますから、私の質問はむしろ警察庁当局に聞いていただきたい問題でございます。これは新潟県においては非常に大きな問題として取り扱われ、最近開かれている県議会においても、非常に重要な事件として取り上げられた問題でございまして、どうしても
厚生省当局のこれに対する所見を明確に承わっておく必要がございますので、あえて御質問申し上げるのでございます。
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委員長退席、
田中(正)
委員長代理着席〕
その事件というのは、やや古くなっておるのでございますが、今年の六月の十日であります。六月の十日に柏崎国立
療養所の中の第八病棟でございますが、その中で金が五千二百円入っております患者の財布が紛失したという事件について、成年に達せざる一准看護婦が、これをとったのであるという嫌疑をかけられて、そのために、その看護婦がついに睡眠薬を飲んで自殺をはかったという問題でございます。それが父親の了承するところとならず、その後もしばしば警察当局に対して、黒白を明らかにしてくれ、自分の娘は決してどろぼうをする
ような教育をしていないけれども、
ほんとうにとったものならばとったというふうにお調べを願って、黒白を明らかにしてくれということを、再三警察にお願いしたけれども、その後の警察の態度があいまいであって、ついにしびれを切らして、十一月半ばごろでございますか、人権擁護
委員会にそれを訴えてきた。それでこの問題が表面化してきたということでございます。
内容をかいつまんで申し上げますと、やはりその第八病棟の第二病床にいる大西さんという患者の、ベットの中に置きました財布がなくなったというのでございます。たまたまその柏崎の国立
療養所に刑事が二名おられたのであります。十日の日の十一時に紛失したということで、患者が騒ぎ出しますと、午後の三時からその中の、今申し上げました未成年者の看護婦でありますが、本人の名誉にも関することでございますので、名前は省略いたしまして、Yという頭文字で呼びたいと思うのでございます。Yというその看護婦が嫌疑を受けまして、直ちに
療養所の中の一個室、私はわざわざ
療養所まで行きまして、その取調べを受けた個室も見て参りました。廊下でもあり、人
通りの激しいその個室の中に、二人の刑事に呼び出されまして、そしてそこで、われわれから見ますならば、まことに人権を侵害して余すところのない
ような過酷な取調べを受けたのでございます。その取調べを受けました
経過については、私が
説明するよりも、ここに本人みずからのしたためた文章がございますので、短かい時間でありますから、私がここで読み上げて、
一つ御判断をいただきたいと思うのであります。
これは一日、二日と二日間にわたって取調べを受けているのでありますが、まず第一日目であります。「呼び出されて、部屋にノックして中に入った。人相が悪い人が二人もいたので、あまりよい気持がしなかった。」これがまず取調べの第一の印象でございます。その中間はまあ省略するといたしまして、「私が「絶対にとりません」と言ったら、「お前がとらないでだれがとるというのだ、だれがとったか言ってみれ」と言ったが、私は、私でないことは事実だが、さてだれがとったといわれても見当がつかない。そうしたら、柴野さん」
——これは一人の刑事の名前は出ております。私は個人の刑事を排撃し
ようというのではございませんので、できれば名前を秘してと思いましたけれども、これはもはや全世人に言い伝えられておる言葉でございますから申し上げますが、その柴野さんという刑事が、「「人が親切にしてやればそれもわからないで、お前は良心があるのか、良心があればそんなことは言えないはずだ」とおこった。私は生まれて、肉親ですら言われたこともない
ようなことを言われ、声も出ないほどであった。私がそれでもとらないというものですから、隣の刑事に柴野刑事が、「こんなに強情張るんだったら、手錠をかけて本署に連れていかねばだめですね」と言われ、私は足がふるえ、刑事の顔を見るのもやっとのくらいだった。「二十前の小娘のくせに恥知らずの女だ」とか、耳をおおいたくなるほどの言葉でどなられた。私が、「あんまりだわ」と言ったら、「何があんまりだ、こっちはしろうとじゃないんだぞ、人のことをなめていやがって」と大きな声を出す。私が黙っていると、「Y、Y」と大声でどなられるし、隣は医局だし、恥かしいのと、極度の恐怖心と、激しい憤怒で卒倒しそうなのをやっとこらえていた。「お前は良心のない女だろう」と言われたときなど、私は刑事の前で舌を切って自殺でもしてやろうかと思った。柴野さんでないほかの刑事が、「お前が早くとったといえば、婦長にもだれにもわからない
ようにそのままここに勤務できる
ようにしてやる」と、まるで自分の子供に言う
ようにやさしい態度で言った。柴野刑事がまた「お前は本署の刑事の前で取り調べられることがどんなことか知っているのか」と言った。私はここで
考えた。幾らとらないと言っても、私の言うことなどちっとも信用してくれないし、ただ一方的に私がとったとったと責められるし、もし手錠などかけられて警察などに連れていかれたら、一生も台なしになるし、もちろん結婚の望みもなくなると
考えた。あんな言葉は二度と聞くのもいやだった。私は、いっそとったといえば、だれにもわからない
ようにしてやるという言葉を信用して、とったといえばこの重苦しい雰囲気からのがれられるし、自分は救われると思った。私はそのときは、それがどんなにおそろしいことかもわからず、不覚にも「はいとりました」と答えた。」こういうのでございまするが、「今になって
考えると、取り返しのつかない事実であり、甘い
考えだった。私が泣いていると、「そんな芝居はするな」と言った。でもあのときは、あの脅迫的な雰囲気の中に自分を置くことが死よりもつらかった。私がとったと言ったら、気持の悪いほどものやわらかな態度に変った。このとき「財布の中に幾ら入っていた」と言われたので、久住さんが話された
通り、五千二百円と答えた。「五千札一枚か千円札五枚か」と聞かれたが、わからないので、適当に「千円札五枚と言った。その他のものは聞かれたが、「わからない」と答えた。財布をどこへやった」と言われたので、私は、
ほんとうはうそなので困ってしまった。「捨てたのか」と言ったので、「はい」と答えた。「どこに捨てたか」と言われたが、私は全然言葉に詰まってしまった。そこで「洋服屋に払った」と言ったが、それもだめだった。適当な
考えも浮ばなかったので、「八病棟の裏に捨てた」と言つたが、探してこいと言われ、私はまた困った。私が黙っていると、「それもうそなのだろう」と言われた。「お前はそんなにお金が要るのか、要るんだったら私が貸してやる」と失礼なことを言われて、私はむっとして、「私は要りません」と答えた。「捨てたというのはうそなんだろう、お前がからだにつけているんだろう、見せてみれ」と言われた、白衣のボタンを全部はずしてみた。すわれと言われて、すわった。私はどうしてもその部屋から出たかったので、「八病棟にあるから取り行ってくる」と言ったが、「おれが行く」と言ったが、それもうそだとわかった。最初から身に覚えのないことを無理に言わされたので、うそを言うより仕方がなかった。とったと言えば許してもらえ、早くここから出られると思い、「とった」と言ってのがれるべく努力したが、すべてがむだで、大きいわなにかかっていたのだと気づいたのがおそかった。私は
ほんとうに困ってしまい、「とらない」と言うと、「またそんなうそを言う、お前は頭が狂っているんじゃないか」と言われた。「お前はどうして
考えるのか」と言ったが、私が「それだけは聞かないでくれ」と言ったら、「その
理由を言え」と言われた。私は「患者さんや看護婦に知れるといやだ」と言ったら、「知れない
ようにしてやる」と言った。私が黙っていると、「もうとっくに退庁の時間は過ぎているのだから早く言え、お前につき合っているのだ」と言われた。ここで私は、「朝食のときに食堂の下の便所に捨てた」と言った。」このとき本署から電話がかかってきて、十日の取調べは午後の六時半に中止した。第一日目の取調べはこういうことで
経過したわけでありまするが、そこで済んだあと、その柴野という刑事が、「係長さんとか部長さんとかいう人に手をついてあやまれというので、その
ようにして自分はあやまった。」午後六時ごろだというのでありますが、あやまった。そこで、「私は帰って、入浴に行ったが、あまりしゃくにさわるので、とめどなく涙が流れた。宿舎に帰ってからも私は泣いていた。そこで友人の太田さんが部屋に来て、私にいろいろ聞くが、私は「死んじまうわ」とか自分でわからない
ようなことを言っているうちに、八時半ごろだと思うが、婦長さんが来られて、「財布が隣の岡田さんのベッドから出てきた」と知らせてくれた。そのとき私はあまりの嬉しさで、太田さんに抱きついて泣いた。あんなに嬉しいことは生まれて始めてだった。財布が出てこなかったら死を覚悟していたんだが、財布が出れば、財布の指紋をとれば、私でないことがはっきり立証されると思ったら、救われる気持で一ぱいだった。そこに友人の林さんが迎えに来てくれたので、その晩は散歩に出た。」こういうのでございまするが、さて第二日目であります。第二日目になりますと、六月十一日に普通に勤務しておりますと、「久住さんが、警察の人が来ているから私に行く
ように言われたので、私は行くのはいやだと断わった。きょうはそんなひどいことは言わないと思うから、行きなさいと言って、応接間の前までついてきた。ノックして中に入ったら、柴野刑事が、「お前はまたおれにうそを言った、お前はもう信用できない」とどなった。私は、私でないことがわかって呼んだのかと思って行ったのに、いきなりそんなことを言われてびっくりしてしまった。私が、とらないと言ったら、そんなことを言っても、お前の目を見ればちゃんとわかるのだと言った。柴野さんが、「なぜきのうはとったと言ったのか」と言ったので、「あまりひどいことを言われたのっで」と言ったら、「どんなひでいことを言った」というので、「手錠をはめて本署に連れていくということを言うんですもの」と言ったら、「だれがそんなことを言った」というので、柴野さんの方を指さしたら、「おれは絶対にそんなことを言わない、言うはずがない、第一、手錠など持ってこない」と言った。私はあきれた。きのう絶対に言ったのに、きょうはもう言わないと言った。私はものすごくしゃくにさわった。「私はきのうは死のうと思った」と言ったら、「お前みたいのもんは死んでしまった方がいいんだ」と言った。もう一人の人が「ここでは気が散るから、本署に行こう」と言った。私は、警察に行くのはきらいだから「いやです。警察だけは行くのはいやだ」と泣きながら言った。そのときこそ、私は警察に行くのがやだったので、手をついてお願いをした。しかしだめだった。そのとき「お前は、今だけじゃない。この前もお前だろう」と言ったので、」何か前にもどろぼうがあったそうでございますが、それを言っているのであります。「「この前もお前だろう」と言ったので、「違う」と言ったら、「絶対そんなことはない」と言った。私は、しゃくにさわって「私がみんな取りました」と言った。このときはすでに死を覚悟していた。「総婦長さんを呼んでくるから、あやまりなさい」と言われ、総婦長を呼びに行き、婦長が入ってきた。「あやまりなさい」と数回言われた。あやまりたくなかったが、あやまった。警察の人が「本署に連れていこうと思います」と言ったら、婦長さんは「そうですね」と言った。私が「いやだ」と言ったら、婦長さんは「私の部屋があいてますから、どうでしょうか」と言ったら、「やはり警察の方がよい」と言った。そこで、婦長さんに、私のあとからついていって着かえさせる
ように命じた。私は八病棟に行き、予防衣をかけ、このとき、ラボナ(睡眠薬)のびんを白衣のポケットに入れてきた。細菌室の前まで来たら、太田さんがあとから来て、「どうしたの」と聞いたので、「警察に行くの」と言ったら、また「どうして」と聞いたから、私は「太田さん、私、また取ったと言ってしまったの」太田さんは「どうしてそんなこと言ったの」と言って、心電室に入った。そこで二人で泣いた。太田さんが出ていった。私はもうこれ以上自分自身にうそを言わなければならないことがつらかった。また警警に行くのがすごくおそろしかったし、警察の人に死をもって抗議してやろうと思った。ことに柴野刑事に対しては言い知れぬ憎しみと怒りがあった。ラボナ十錠飲んだところに総婦長が入ってきて、「どうしてこんなところにいるの」と言われたので、私は「婦長さん、私取らないんです。だから警察など行くのいやです」と言ったら、「それじゃ私の顔が立たないじゃないの。あなたは、取った、取らぬ、それだけでもおかしいじゃないの。私はうそつきは大きらい。うそつきは昔からどろぼうの始まりと言いますもんね」と言われ、私は自分の親から見放された
ような感じがした。そこでまた残りを飲んだ。そこで下の便所に入り、あきびんを捨てた。宿舎に来た婦長さんは、私のあとからついてきた。私は情なくなった。死に対し、恥かしくない
ように、下着から全部新しいものに着かえ、本館前まで来たとき、教務室の前で、松井さんたちに「Yさん、がんばりなさい」と言われたが、顔は見えず、声のみだった。私は泣きながら「はい」と答えたら、婦長さんが「そんなみっともないまねはやめて早く行きましょう」と言ったので、ガレージまで歩いて自動車に乗った。自動車が動き出したのはわかるが、その場の記憶は全くない。」それでラボナを飲んで意識不明に陥って、そのまま警察へ連れていかれたのであります。警察の玄関へ行って、本人が、ぐったりして意識不明になっておりまするので、あわてて
病院へ連れていって
療養に努めた。それで十数日でありまするか、期間を要して、
ようやく助かったという現状になっておるのでございまするが、こういう
ようなことが国立
療養所の中に行われておる。
しかも、私はしろうとでよくわかりませんけれども、午前六時半ころにベッド払いをやるという、そのベッド払いをやったその部屋からその金が出たのではなくて、それは第二号室というのだそうでありますけれども、その後にその患者が第十二号室にその日移転をしていかれた。その移転をしていった、新しく隣になった人のところから、その日の午後の八時ごろ、その五千二百円入りの財布が出てきたというのでございまして、そのときには、もはやその嫌疑をかけられたYという看護婦は取調べを受けておりまするし、もちろんなくしたという患者が移った新しい病棟へなんか一歩も足を踏み入れたわけじゃない。六時ごろ取調べが済んで、あとはふろへ入って自分の部屋へ帰っていったときの話であります。そういう
関係なのにもかかわらず、なお翌日呼び出しておいてそういう嫌疑をかけているのでございます。時間もありませんので、私は長い質問を繰り返すのはやめますけれども、その後父親が、六月十三日、十四日、二十三日、二十六日、七月一日から十月の二十日、十月の二十八日と、警察の方へみずから行っております。どうか
一つうちの娘が
ほんとうに白なら白、黒なら黒とはっきり言ってもらいたい、嫌疑がある
ような、ない
ような、嫁入り前の娘をこのままにしておかれるのは困るからというのでありまするけれども、言を左右にいたしまして、なおやはり嫌疑があるけれども警察の情でそれを起訴をしない
ような、そういう投げやりな形に置かれておる、親としては耐えられないということで、とうとう、十一月の初めでございまするか、人権擁護
委員会に提訴をいたしまして、不当なる警察のやり方に対して正式に抗議を申し込んでおるのでございます。
厚生大臣並びに
医務局長のこれに対する御所見を承わりたいと思うわけでございます。