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1959-03-12 第31回国会 衆議院 決算委員会 第9号 公式Web版

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  1. 会議録情報

    昭和三十四年三月十二日(木曜日)     午前十一時五分開議  出席委員    委員長 田中 彰治君    理事 井原 岸高君 理事 鹿野 彦吉君    理事 鈴木 正吾君 理事 高橋 英吉君    理事 小川 豊明君 理事 山田 長司君    理事 山本 猛夫君       綾部健太郎君    宇田 國榮君       加藤 精三君    久野 忠治君       瀬戸山三男君    武知 勇記君       二階堂 進君    橋本 正之君       村上  勇君    保岡 武久君       淡谷 悠藏君    神近 市子君       坂本 泰良君    田中幾三郎君       西村 力弥君    森本  靖君  委員外出席者         検     事         (刑事局刑事課         長)      河井信太郎君         証     人         (前国防会議事         務局参事官大蔵         省主計管)   吉村 真一君         参  考  人         (安全投資株式         会社社長)   森脇 将光君         専  門  員 黒田 久太君     ――――――――――――― 三月十二日  委員大久保留次郎君、賀屋興宣君、齋藤邦吉君、  椎名悦三郎君、中島茂喜君、増田甲子七君、松  田鐵藏君、渡邊良夫君、板川正吾君、上林與市  郎君及び横山利秋辞任につき、その補欠とし  て二階堂進君、加藤精三君、橋本正之君、武知  勇記君、瀬戸山三男君、宇田國榮君、久野忠治  君、綾部健太郎君、西村力弥君、坂本泰良君及  び田中幾三郎君が議長指名委員に選任され  た。 同 日  委員綾部健太郎君、宇田國榮君、加藤精三君、  久野忠治君、瀬戸山三男君、武知勇記君、二階  堂進君及び橋本正之辞任につき、その補欠と  して渡邊良夫君、増田甲子亡君賀屋興宣君、  松田鐵藏君、中島茂喜君、椎名悦三郎君、大久  保留次郎君及び齋藤邦吉君が議長指名委員  に選任された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  証人出頭要求に関する件  歳入歳出実況に関する件(防衛庁航空機購  入問題)     ―――――――――――――
  2. 田中委員長(田中彰治)

    田中委員長 決算委員会を開会いたします。  本日は、歳入歳出実況、特に防衛庁航空機購入問題を議題として、調査を進めます。  参考人森脇将光君が出席されておりますので、質疑応答の形で調査を進めたいと存じます。質疑の通告がありますので、順次にこれを許します。  中田長司君。
  3. 山田(長)委員(山田長司)

    山田(長)委員 参考人には御苦労さまでございます。昭和二十九年の二月と記憶していますが、造船疑獄事件審議をする際お越しを願い、さらに、委員会は違いますが、大蔵委員会千葉銀事件のときにもお越し願ったのであります。二度あることは三度あるといいますが、きょうは決算委員会で、去年の夏以来問題が続いておりますグラマン機購入の問題をめぐりまして、これが当決算委員会調査が進められておったわけでありますが、過日も一度お越しを願ったことがございましたけれども、そのときには、不幸にしてもう一人の証人吉村氏が当日お見えがなかったというようなことで、せっかくお越しを願いながら、むだにお帰りになってしまったというようなことで、大へんその点申しわけないと思っているわけです。  私が最初に伺いたいことは、今度のこの事件森脇メモなるものが、新聞あるいは週刊誌等に発表になりまして、私たちが調べている上におきまして、ある面においてはいろいろ参考にもなったわけでございますけれども、このことについて国民の間においても、かなりこれの信憑性、それからどういう意図で森脇さんはこういう調査をなさったものだろうかというようなことがいわれているわけなのでありますが、これらについて最初お答えを願いたいと思うのです。どうぞ一つお答えを願います。
  4. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 私、ちょっとここもとかぜを引きまして、のどを痛めておりますので、あるいは声がよく出ないかもしれませんが、もしわからぬところがあったらまたお尋ね願いまして、できるだけつ大きい声を出すつもりでおります。と同時に、そういう関係で私はきょう和服を着て参りまして、はなはだ失礼でございますが、お許し願います。  それから、今いろいろお尋ねがございましたが、それに先んじまして、私は一言発言を許していただきたいのですが、委員長いかがでしょう。
  5. 田中委員長(田中彰治)

    田中委員長 いいでしょう
  6. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 事は、昭和三十三年の十月三十日でありますが、衆議院予算委員会において国防予算審議がございました。そのときに、委員である社会党代議士澄勇氏が、私に関する発言部分がありました。それを要約いたしますと、貸金を少し取りそこねた町の高祖貸しが、その手形の回収のために作った、たかが一片半句のメモ云々ということ。第二は、高利貸しが自分のソロバンに合うために調査をしている云々ということ。第三は、検察当局総会屋上りの一介の高利貸しが作った情報によって動くなどということは不見識である、しかもその高利貸しがそういうことからそうした商法上の利益を得るということは事重大である。それから四番目は、昨年大蔵委員会において千葉銀行事件証言をしたことがございますが、そのことについて、その証言の前日、私がある代議士と某所において会合し、私の証言を検討、打ち合している。従って森脇証言は真相を明らかにしそいない、これも商法上の利益目的としてやっておるからだ。この四点に帰するのであります。  大体そういう四点につきまして、今澄代議士が言われるように、私が検察庁情報を提供する、そのため私が商法上の利益を得たとなれば、それはまことに事重大であり、またやってはならないことだと私も思うのであります。しかし払は赤坂メモからも、全購連メモからも、千葉銀行メモからも、一銭一厘といえども、そうしたひっかかりの手形あるいは貸金を回収したためしはございません。と同時に、それに関連することから、何らの名義をもってしても、私は一銭二厘といえども収益していないということをここではっきり申し上げておきます。  また今澄代議士は、私が総会屋上り高利貸しだと言う。確かに私は高利貸してあります。しかし私は長い人生において総会屋らしいことをかって一度もやったことがないということを、ここにかく宣言しておきます。そして私は、人生観上、国家権勢というものは常に正なるものにしておきたい。従ってその国家権勢を冒涜するがごとき諸行為は厳に慎しむべきことであり、やってはならないことだと信じております。そういう角度からも、私は今澄氏の言葉の中に、何かしら私が検察庁を利用し、貸金を回収する、いわゆる商法上の利益を得ているというようなニュアンスが出ておりますが、そういうことは絶対ないということをここで宣言しておきます。今澄氏が言われるように、千葉銀行事件では、確かに明瞭を欠いたのでありましょう。それは捜査中のことでもあったし、いま一つは、私の考えとしまして、国家的見地から立って、この際どうしたらいいか。そういう角度方向から、私はああいう方向をたどるに至ったものでありまして、その事情は私の著作、「金権魔者」続編に詳細に心境を述べておりますから、ここでは省略いたします。代議士と打ち合せ、検討したなどということも絶対ございません。  以上もさることでありますが、特に私が言いたいことは、私の調査事項について貸し倒れ金を私が回収する、あるいは商法上の利益を得て、それを目的としてやっておるという口吻についてでありますが、私はかって、死すともそういうことはつゆほども私の観念にもございませんし、そういう目途を持ってこういう調査をしたことは絶対にありません。高利貸し稼業の私でありましても、やはり私は日本国民の一人であります。従って、日本が健康の国土となり、八千万の国民が手に手を取り合って仕合せに生活ができる、国家もやすやすと成長していくということを希求する念においては、万人に決して劣るものではございません。従って、私はそうした高い理想におきまする方向角度からこういうような調査を進めております。すなわち政治経済、社会等々に対して調査することは絶対必要である。そういうことを思いましたのは、謀略事件と称する疑獄前夜の私に対する権勢のふしだらな仕打ちから、私はそういうことをついに発見するに至ったのであります。従いまして、私は私のそうした調査及び行動の中には、ゆめいささかも私利私欲の上に立ってはいないということであります。  以上のような次第でございますが、今澄氏が市井の立ち話としてなされたことならば、私は何事もそれに触れる必要はございません。ところが、当国会における予算委員会においてそういう発言があったということは、すなわち日本の全国民に対して呼びかけたと同じことだと考えられるのであります。従って、私はこの今澄氏の発言というものが、何ら根拠のない牽強付会なでたらめなものであるということを、ここではっきり宣言せざるを得なかったのであります。かく私が申し上げる以上は、いつでも私は今澄代議士と対決するにやぶさかでないことをここに宣言、誓約しておきます。  私がここで事前に時間を費してあえてこのことを申しましたことは、これから皆様からいろいろ私にお尋ねがあり、私もそれに対してお答えをしなければなりません。もし今澄氏の言うように、私が何か商法上の利益貸し倒れ金を回収するためにこういう調査をする、行動しているということであるならば、およそ私の証言信憑性がない、そしてまた何らの価値がない、私はこう思うのであります。従って、皆様今澄代議士が言うようなことを信じておられるならば、私はこのままここから引き下りたいと思います。  もともと、大体こういう調査をするのに、そういう不純なものから発足しておったならば、すりでにその発足においても鼻持ちならぬ不潔さがあり、とうてい私の証言というものには何らの信憑性もないと私は断言せざるを得ないのであります。  私は再び申し上げておきますが、このいろいろと調査をいたしますことは、以上言った私の信念に基き行動しているものでありまして、ゆめいささかも、その中には自己私利私欲という観念において調査行動をしておるものでないということを、ここにはっきり宣言しておきます。  それではお答えいたします。今のお話は、私がどうしてこういう調査をしたかということであったようですが、これはちょうど昨年、一昨年でしたね、千葉銀行は……。
  7. 山田(長)委員(山田長司)

    山田(長)委員 一昨年です。
  8. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 一昨年の初夏のころにある宴会がありまして、これは三十人くらいの人でありますが、その席の中で座談的に話が出ました中で、天川勇という奇怪な人物があるということを聞いたのであります。そのとき私は別に大したこととも思わず、そのまま流しておったのでありますが、私は毎日、日記、随筆らしいものを書いております。従ってその夜、深夜にその日の出来事を書きつづっておるうちに、私のペンに走ったのが奇怪な天川勇という文字であったのであります。そこで、はてなと思ったのです。ところが三十人余りの宴会であったから、だれから聞いたのか、いろいろ頭をひねってもわからない。そこで、別にそのとき調査をしようという意欲は起きなかったのですが、何か調査行動を起す機会があるならば、その天川勇という人物についての周辺を洗ってみようという考えを持ったのであります。間もなく私は千葉銀行調査に取りかからざるを得なくなりまして、事のついでに大川勇という個人的な生活ライトを当てようとして、調査員に命じたことがそもそもの発足でありました。自来いろいろな調査を進めてきた、こういうことになります。
  9. 山田(長)委員(山田長司)

    山田(長)委員 あなたの調査を信ずるがゆえに一応呼んだわけなんです。今のお話では、動機についてのことを申し述べていただいたわけですけれども、今度は一つ調査資料信憑性ですね。週刊誌新聞等に発表された内容の信憑性について、一応伺いたいのです。
  10. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 これは非常に多岐多端にわたりますので、私が昨年末検察庁に対していろいろ調査事項を集約したものを出したことがございます。そこで、これは非常に相当ございますが、その中のおもなる二、三をここで読み上げますから、それによって御承知願いたい、こう思いますが、いかがでございますか。
  11. 山本(猛)委員(山本猛夫)

    山本(猛)委員 関連質問参考人は、かつて今澄代議士予算委員会参考人調査に対して信憑性なしというようなことを言われたことについて大きな疑義を持っておられる。従って、当委員会においても、予算委員会今澄代議士が言われたようなことを考えて、単なる参考、そうして非常に軽い意味のこととして聞かれるというようなことであるならば、このまま引き下りたい、こう言っておる。でありますから、自由民主党も、社会党も、無所属である私も、参考人の述べられることを権威あるものと付して聞く用意を持っておるのであるか、あるいは単なる参考として聞きおく程度に考え参考人をここへ呼んでおるのか、こういう点を明らかにしない以上は、参考人のこれからの答えは権威のないものと認めますから、委員長におかれてお諮りになっていただきたい。建前を明確にする必要がある。
  12. 山田(長)委員(山田長司)

    山田(長)委員 私は一応信じて質問をしているのですから、私の質問を続行させていただいて、その後に一つ山本委員お答えを願いたいと思うのです。そうお取り計らい願いたいと思います。
  13. 田中委員長(田中彰治)

    田中委員長 由本委員に申し上げますが、いやしくも国会のこういう重大事件参考人として森脇参考人を呼んだんですから、森脇参考人の言われることは相当どころではなく、りっぱな、信憑性のあるものとして私の方は聞きたいと思っておりますし、また参考人もそういう考えで来ております。もしそれでもなお皆さんの方に疑惑がございますれば、皆さんにお諮りしてこれから森脇参考人証人に切りかえてもけっこうであります。
  14. 山田(長)委員(山田長司)

    山田(長)委員 ただいま参考人お話を伺いますと、天川勇なる者の名前が出たことは二年近い前の夏のある会合の席で出たという話でありますが、このグラマンの問題を調査し始める動機をついでにお話し願いたいと思います。
  15. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 これは初めは、私はグラマンなどということは予想だにしていなかったのであります。まず天川勇個人的生活ライトを当ててみると、いろんなことが出てきた。さらに進んでいろんなことを調査すると、大川勇中心として防衛庁並びに防衛予算関係する各官庁中堅幹部利害企業産業との宴会、それも三日にあげずの宴会、そういうものが展望されまして、私は、おかしなことだ。ちょうど赤坂メモのときに多くの政治家、多くの大実業家が連日連夜の宴会をしておる。金額はそれほど膨大ではないが、数においてはそれより多いくらいである。これは単なることじゃなかろうじゃないか。こういう感じがいたしまして、これは官僚腐敗の姿だ。岸内閣綱紀粛正ということを言っておるが、これは綱紀粛正でなくて綱紀弛緩ではなかろうか。私は三、四年前から週刊誌を企画しておりまして、いろいろと官僚腐敗の姿というものを展望しようという、その一助としてそういうことをやった。グラマンというものに頭が切りかえられたのは、当決算委員会グラマン問題を取り上げたことを新聞で見て、はて、これぞ、と思ったということからであります。
  16. 山田(長)委員(山田長司)

    山田(長)委員 いつごろからグラマン問題についての調査の開始がなされましたか。
  17. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 それは今申しました通り、私は大川勇という周辺については、一昨年の夏ごろから千葉銀行と並行して漸次調べておりました。グラマンというものに関連するものとして漸次調べ始めたのは、当委員会で取り上げてから後のことであります。
  18. 山田(長)委員(山田長司)

    山田(長)委員 その調査の過程の中から、過日国会へおいでを願ったときに、調査は進められませんでしたが、別室において同僚委員諸公に見せていただきました秘密文書なるものは、これはどういう経路で入手されたものであるか。実に私たちとしては不可解なことでございますが、その秘密書類入手経緯一つお知らせ願いたいと思います。
  19. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 それはいろいろ説明しなければならぬ要素がたくさんございますが、さっきも申しました通り、私が検察庁にいろいろ申し出た要項書がございますので、これを私がここで読み上げて、お聞き取り願った上で聞いて下さることが、ものの順序としてすべてスムーズにいくと思いますが、それではどんなものでしょう。
  20. 山田(長)委員(山田長司)

    山田(長)委員 いいと思います。
  21. 田中委員長(田中彰治)

    田中委員長 ちょっと。刑事局長の前で読ませよう。刑事課長でもいい。
  22. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 いろいろございますが、天川という者を中心とした点について、まずここで読み上げます。
  23. 山田(長)委員(山田長司)

    山田(長)委員 読み上げる前にちょっと。その上申書はどこへ出したものか。いろいろあるそうですが。
  24. 森脇参考人(森脇将光)

  25. 田中委員長(田中彰治)

    田中委員長 地検の受付はだれですか。
  26. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 その当時千葉銀行捜査をしておりました栗本検事と、それから当時の、何と申しましょうか、特捜部長……。
  27. 田中委員長(田中彰治)

    田中委員長 名前はわかりませんか。
  28. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 覚えていたのですが、ちょっと忘れました。甲府の検事正に転出いたしました。  「天川勇彼は昨年八月から決算委員会グラマン問題をとりあげてから十月下旬頃まではジャーナリズムでも全然知られていない。まして一般の人々には知られている筈もない人であるが、わが国の再軍備には、個人として彼ほど事善悪は別として縁の深い人間は少ない。彼を知り、彼の存在とその影響力を利用し、そしてそのために彼に逆に利用されている一部の人々――それはわが国軍備の中核となる人々――にとって、彼はボス・夜の紳士、・二十面相・天一坊等々、相当敬遠されるニックネームをつけられている。このことは彼の奇怪な言動や、彼をめぐる多くの関係者の不可解な行動から生れるナゾの中から生れてくるいつわりのない印象であって、それだけに、彼の多彩な活動や、疑惑の多い経歴関係について、つきない興味が沸いてくる訳である。以下、彼の人物のアウトラインについて、極く大雑把にふれてみよう。   彼は兵庫県淡路島の出身で、神戸中学を卒業後慶応に入り、卒業して研究室に残ったと言うが?戦時中は軍需省物動計画を、担当し、その当時から天狗であったという。この当時、海軍大学講師をしたというが、たしかに肩書はあったが一度も講義などはしたことはない。その頃、学位論文がパスして、経済と理学の二つの学位をとったと言い、現に、それの肩書付名刺を貰った人々もいる。   以上の経歴の中には、アイマイな点がある筈であり、現に学位論文や、学位の登録は文部省の記録にはのっていない。   戦後は、小松製作所で一時常務をしていたことがあったが、殆んどは現在の仕事に終始してきたようである。   彼の私生活は、一口に言て複雑である。本宅(妻子供二人)は鵠沼」今は違いますが、「鵠沼、妾宅は青山、四谷、事務所は平河町、彼女は他に二人。彼は一カ月の生活費として約五十万円も必要なほどで、毎晩の宴会や社交のため私生活は非常に乱れている。彼は女出入りが多く、夜間は何処で寝ているか見当もつかない日が多い。   一見して彼は眼光鋭く、自称天一坊をもって任じているだけに、白髪混りの風貌は人を威圧する感がある。弁舌は至ってさわやかだが大学講師調、普通の人なら一度面接すれば大物といった印象をもつ。英語は達者で、特に軍事情報については、戦後それらに関心のない時代から特殊の方法で構えてサモサモ軍事情報に通じているよう宣伝したが、彼は分析能力を持っているためそれをそれらしく整備することが出来たため、事、実際の能力以上に認められるようになった。   この調査は、戦後わが国が再軍備を行なってきた途上にあって、次第に問題となってきた。 ○内外の軍事情報の需要とその不足 ○科学と兵器の発達と調査研究不足軍需産業兵器貿易の生長と思惑 ○防衛方針と再軍備決定と促進 ○兵器選定操作技術の準備と訓練 ○予算編成利害企業方法工作  などの渦中にあって、これらの諸問題の解決と斡旋に、個人として独得の地位を築きあげて、わが国防衛問題の権威として、またその分野に強力な影響力を持つようになったのは、昭和二十六、七年頃からで、池田大蔵大臣当時、蔵相渡米に際し「わが国防衛力基本的漸増計画」立案にアドバイスしたのが天川であったが、その頃より、大蔵省をはじめ、政府関係機関に陰の影響力を持つようになり、権威があると考えられるようになった。   以来、天川政府当局に対する「顔」と実績を利用して、わが国では稀少価値をもつ「防衛コンサルタント」という特異な分野個人で開拓してきたのであった。その間、天川の野心と優れた政治力により、日本防衛関係では〃天川参り〃をしない者は主役にはなれず、強引に〃天川イズム〃に押され、ズルズルと、天川の餌食となった役人や、事業家や、会社員は、ここ数年で数百人の多きに上っている。天川のやり方は〃金のためにはどんなことでもする〃という、危険な行為が含まれており、相当秘密を知り、弱点を知り、これを競争者に売り、或る時には暴露し、その間絶えず情報資料とを探り、売り、国際情勢国防事情とタイムリーななかで、自己能力と背景を最大に利用してきた。  これを分析して見ると、  A軍事情報ブローカー彼は、中央官庁防衛担当首脳者に顔がきき、彼等より官庁軍事関係情報を絶えず収集しつつ、一方では、軍需企業首脳者より企業が持つデーターを収集し、これらを相互に交換しつつ、自らも外国雑誌又は軍事専門誌から分析して、これらを綜合して、講演、報告、上申、勧告などの情報の需給を満し、これのみでも独自の力と意見を持っている。  B兵器ブローカー彼は、官庁企業防衛担当首脳者又は直接担当者と密接に連絡をとり、相互の要望と自説をミックスしながら、時事の客観情勢のなかから、わが国軍備必要兵器器類の売買とその斡旋役を買ってきている。特に彼が手がけた兵器類は、主なものでは、エリコン誘導弾、F一〇〇、F―〇四以来のグラマン機、その他レーダー、機関砲航空射撃照準装置などがあった。  C防衛コンサルタント彼の独得な力がでるのは、   ○防衛庁当局兵器購入予算編成相談役となっていること。   ○大蔵省防衛予算編成査定、執行などの相談役となっていること。   ○国防会議事務局防衛方針兵器決定事務上の相談役となっていること。   ○通産省の防衛庁器購入外貨割当と、防衛軍需企業育成相談役となっていること。   ○外務省の国際軍事情勢及び国内防衛問題の相談役となっていること。  等における、綜合された意見と見識である。  D 顔と裏面工作    天川が夜の紳士としてその道に知られているのは、国防会議大蔵省員の上役をいつでも、電話一本でキャバレーへ訪い出すことのできることや、日本の大企業の重役、課長連中にも一声で、夜毎でも引張り出す力があるからで、殊に役人は彼に頭が上らないよう、日頃から弱点をにぎられているので予算査定時などは、この力が決定的にものを言うのである。   最も問題と考えられる点   機種決定問題に重大関連があること。   先般来、国会で問題となっている防衛庁の次期戦闘機機種決定問題について、天川は、新三菱と過去二カ年間交渉をもち防衛庁国防会議と密接に連絡をとり、最初、F一〇〇(ノースアメリカン)又はF一〇四(ロッキード)という方針から、今度はグラマンに切換えて、現在も、事務当局の後楯となって、必死にグラマン決定へ運動しているといわれている。   天川勇をめぐる人々は、多彩を極めている。天川自身が世間に知られていない人物だけに、覆面した人間の陰には、それだけに善と悪が、どんなバランスとなっているか、そこに調査の必要や剛へ味が無限に沸いて来るものである。   天川交渉をもつ人々は、政府機関では、大臣、次官、局長、部・課長等、民間産業では、社長、常務、都・課長等、いずれもトップクラスの人々であり、これらの人物は、一部では大川の魅力のトリコとなっている人もあり、一部では天川の利用を考えている人もあり、一部では天川の背徳と危険性を知りつつ、弱点を知られているために離れられない人もあり、いずれにしても年間数百人に上る。天川関係者は、天川の野心と慾のために、いつの日か運命の恐しさを知るときか来ることであろう。   天川のやり口には、弁証法がある。   彼の実力を物語る具体例もあげられる。    (1) 防衛庁調査号隊(昔の憲兵)では、若手が天川影響力に関心をもって、一時、秘かに調査を進めたこともあったが、天川防衛庁首脳部が余りにも密接なのでびっくりして手を引いたことがある。    (2)警視庁でも天川の活動を知らないことはない。現に公費が動いていたこともある。しかし、天川が政府機関の上層部と深い関係にあるので、恐らく手出しはしないと思われる。    (3)警察庁でも、公安委員会は時々、天川を招き国際情勢の講演を頼み、月当り二〇、〇〇円の謝礼などを出している手前、今のところ突込んでゆく懸念はない。   次の天川の背景と考えられる重要なポイントについて説明する。   天川は、元来、海軍系であり、天川と旧海軍糸大物との立場はどのようなものであろうか?   旧海軍の軍令部(情報)で主流とみられていた人々は、今日「史料調査会」という組織に一本となって集められ、いつのまにか強力なグループとなっている。   これらのグループは、既にわが国政治にもしばしば影響力を及ぼし、特にわが国の防衛問題には、相当、立入って意図的な活動をみせている。   これを図解すれば次の通りとなる。」  すなわち、野村を頂点とし福富、保科、それからその下に史料調査会八、その史料調査会には富岡定俊元中将、それから事務局には外務省の宮崎、通産省の井上、評論家の久住、それにタッチしているのが天川勇、これは図表でございますが、あとで見ていただけばけっこうです。     「(4) 天川は、中共系スパイとして当局から追及されている「高」と連絡をとっている。当局はその事実を知らないが、関係官庁秘密資料や、関係企業の重要データが自由に入手できる大川は”金もうけ”のため、スパイとして働く可能性は大きいと考えられる節もある。」  ただ、これは私の想像である。(笑声)   「彼、大川が現実に活動することによって、国家社会にどんな悪影響を及ぼすであろうか?   (イ)天川は、政府の担当役人と、連日のように宴会をしているがこれに使った金額は、今年に入ってからでも数百万円に上るであろう。その金は、すべて利害関係のある企業から出ているとが、その結果は、言うまでもなく国を毒することとなる。   (ロ)天川個人的にある程度優れているとはいえ、限界があり、科学の進歩や世界の現実に充分に対処できる能力が、無限にあるとは言えない。その意味で、天川の顔や、押しや、利害や、意見や、希望や、野心でわが国の国防政策が相当左右されることは、多くの危険とあやまちを犯すこととなる。   (ハ)天川が〃夜の紳士〃といわれ、連日、料亭やナイトクラブに出入することは、多額の運動費が使われ用意されていることを物語り、役人政治家や官吏が、汚職によって私腹を肥やす機会は多く、現にグラマン、ロツキードなでの戦闘機問題をはじめ、エリコン誘導弾などを含め、今後の兵器装備をめぐり、多額の金が動いている疑は多く、この間にあって、大川の繋りは、無視できない点である。」  これを一部出しております。  続けてもう一つ読みますか。
  29. 山田(長)委員(山田長司)

    山田(長)委員 一応上申書地検に出したものはわかりましたから、その点については、あとはまたあとで聞くことにします。  今この上申書は、いかなる意図で提出されたのですか。それから、天川の、何といいますか、国防上における見識について、あなたはどんなふうに日本のためになると思わないか。何かその点について私見をお聞かせ願いたいと思います。
  30. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 そういう質問になりますと、やはり次のもう一つを読ましていただきたい。そうしないと、また質問がいろいろに交錯して、十分が三十分もかかることになりますから……。
  31. 山田(長)委員(山田長司)

    山田(長)委員 それではどうぞ。
  32. 田中委員長(田中彰治)

    田中委員長 それじゃ、それを読んでいいです。
  33. 山田(長)委員(山田長司)

    山田(長)委員 ちょっと……。それをどこへ出したものか……。
  34. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 これはさっきと同じです。     「天川勇の戦前、戦後に於ける経歴や、欺瞞的な生活態度、次第に防衛庁国防会議中心とする勢力に喰い入る姿、連日の盛宴に(企業産業が負担支弁している)これら官僚と防衛企業産業に於ける幹部との扇の要の役割をはたすなどについては、概要、栗本検事上申しあるので、これを省略することと致します。   一、天川勇の両秘書役に就て   昭和二十八年六月から昭和三十一年七月まで天川の秘書役を務め、現在三菱造船の技術部に勤務をしている西野功という男に就いては、本年十月三十一日赤坂料亭八百善に於いて、私、平本編輯局長と約五時間に亘って会食し、一切の経過を聞きとった次第は次の通りでありました。」  これを要約いたしますと、彼の言葉として、これからここにこういうことが書いてあります。「私」とは西野功であります。   「「私は現在、三菱造船に勤めています。   私は大正十四年生れで、呉一中を出て広島高校、広島文理大に学びました。文理大に在学中、原爆に被災、顔や手に火傷を負いましたが、現在、何の支障もありません。   広島文理大を卒業して横浜の師範学校で物理の先生になりました。その後、学制改革で同校は神奈川大学と改称されましたが、そこで引続き助手として教べんをとることになりました。   昭和二十六年頃のことでしたが、私の教室の主任教授に、湯川博士だったと思いますが、天川勇という人を紹介するから物理学的なものについて相談相手になってくれ、という話があったのです。それから、教授と天川さんとの交渉がはじまり、結局、教授が多忙なので私が代理のような」  これは西野功でございますね。   「私が代理のような役割をつとめることになりました。そのうち、教授が亡くなったのでした。それで私が、ほとんど天川質問の物理学的な問題、とくに原子力にかんする一切にこたえるようになりました。   原子爆弾に傷ついた私は、原子力問題に異常なまでの関心をもっていましたから、天川さんの質問の度びに、これに熱心にこたえてきたわけです。   二十八年になり、天川さんに招かれ、平河町の事務所で原子力の講義をしたことがありました。今の私からみれば恥かしい話でしたが、それでも当時は好評だったようです。   その後、それが影響してか、たびたび天川さんから懇請されぜひ天川事務所で働いてほしいとのことでした。当時、私は理学博士、文学博士だという天川さんの肩書を、その言葉通り、すっかり信じ込んでいたため、十年一日かわりない毎日を過す先生生活より……と思い、天川事務所につとめる気持になったのです。またその頃、千葉県市川の家にいた祖母が亡くなり、家を管理せねばならないことなどもあり、決心するにいたったのです。   ともあれ、二十八年六月から天川事務所に出勤しました。給与は、天川さんから一万円、北辰電機からトランジスターの嘱託技術料として一万円、計二万円が主な収入でした。   その頃の天川さんは、誇大なハッタリこそ多少はありましたが、少くとも今日のようではありませんでした。その頃、各関係会社からの質問は、すべて私が代筆していたのでした。   そして、一緒に生活しているうちに天川さんの私生活上での乱脈さがしだいに目立ってきたわけです。そして、理学博士という肩書をもちながら、簡単な数理のわからないのも不思議に思えてきたのです。   また、会社から質問がきた場合、天川仲介ではよく意味が通らない。そこで私が会社関係と直接会って話しあおうとすると天川さんは極端にそれをきらい、決して会社の人を私に紹介しようとはしないのです。要するに、手の内をみられるのが嫌だったのです。私にとって、籠の鳥のような生活がつづいたが、逆に対外的な天川理論は蔭で私が作っていたわけです。   ある日、私は国会図書館へ行って調べを終えた後、たまたま学位名簿があったので〃ウチの先生は〃と頁をくってみたが見あたらない。おかしく思って、人の紹介で文部省でききただしたら、まったくのウソであることが判明したのでした。   三十一年七月三十日に、私は天川事務所を辞めましたが、それまで私は、天川さんにだまされつづけていたわけです。   その前年、田舎にいた父が、天川さんが仕事を世話してくれるというので上京しましたが、これもサッパリうそでした。父は潜水艦乗りでした。有名な米本土砲撃潜水艦艦長として人にも知られていました。ところで父は、どうしてか、天川さんはハッタリ屋でダメだと見限りをつけていたのです。私も父から忠告をされたのですが、今にして思えば、父の方が先見の明があったわけです。父は、三十年八月に死にました。   私としてみれば、父の死ぬ旬日まえにでも天川事務所を辞められたのが、せめてもの親孝行だったと思っています。   現在の宮田秘書は、私のいた三十年八月にどこかのキャバレーにいた(多分エスカイヤーだったと思いますが……)宮田君の兄(バンドマン)からたのまれ、ズルズルと入ってきたしだいです。忠実に、つとめているようです。」」  これが西野が話したアウトラインです。これからまた別になりますが、   「西野功が天川の許を去ってから天川の片腕となり、秘書の役目をはたしたのは宮田尚義で、昭和三十年八月から現在に及んで居りますが(約一年西野と共に勤務)表面吉村参事官が決算委員会の訊問を受けたを機会に、天川事務所から姿を没して居りますが、裏面では秘密連絡をとって居るようであります。   決算委員会グラマン問題をとりあげてから天川は青山の二号邸、四谷の二号邸の外に、どうも渋谷あたりと覚しき所に秘密アジトが出来、そこに中心の起居をして居りますが、この秘密アジトを知るものは宮田と外某々であり、未だそれを探知し難い状況であります。宮田が天川事務所から姿を没してから、私は百方手を尽して探知に務めましたが中々に判明せず、漸く左記場所に住居があることを知りそこに始めて訪れたのが本年十一月二日でありました。    北区中里町一九一フジ薬局方二階借間 電話八二局二七二二番   ところがその数日前既に、妻と生後半年位の幼児をつれて何れとも行先知れずに旅立ちし、不在でありましたが、間借二階には箪笥などの諸道具が置いてあり、何れ帰宅するであろうことが予想されたのであります。   早速区役所に就て住民登録や、米穀配給所などについて取調べた所、何等の届出もなく、従って米の配給なども全然受けて居ず、幽霊的存在であることを発見したので原籍とか、元住所とか、妻の里とか、一切何の手懸りも得ざることとなりました。不思議なこともあるものだと思ったのであります。   何れかの日必ずその住居に帰り来るであろうことを期待し、宮田の出現を捕えようと、毎日附近に捜査配置を続けて居りましたが、十一月二十一日(金曜日)漸く宮田の出現をとらえて、住居のすぐそばにある喫茶店に於て、私の方の配置員が相当長く話し合い、その結果その日漸く私の社長室で、始めて宮田と面会する機会を得たのであります。   それからも数度私会社で宮田と会い、新橋雪村で私と平本編輯局長と宮田と三人で数時会食談合の結果、  明十一月二十五日午後五時、宮田が私会社に来て彼の知る限りの全貌を語り、私も宮田の今後の生活について保証責任をとる確約致したのであります。   その翌日午後七時迄私は待って居りましたが遂に姿を見せず、その翌日も又然り、ここに宮田が背反したことを確認するに至ったので、再び元住居を訪れて見ましたが、依然住居に荷物はあるが人一人も居ず、数度宮田との談合で知った」  そこでまた宮田との連絡が切れてしまうわけです。     「数度宮田との談合で知った北区東十条四の三にある太田という妻君の里方を訪れたところ、そこにも既に妻も子供も本人も居ないことが発見されたのであります。その後再三彼の出現を持ち配置を続けましたがいまだに杏としてその行方が判明しないのであります。」  これはその当時であります。   「従って左に数度の会合に於て宮田からききました一部始終だけを要約上申し置くものであります。  (イ) 吉村参事官が決算委に呼び出されてから、それぞれ料亭会合した人々との間に色々ともみ消し打合せをしたこと、各料亭へももみ消し手配をしたこと、自分もそのため十全にそれぞれ先々に動いて、その手配をしたこと。  (ロ) 官庁兵器産業の重要データーは、天川と自分とで分配保管しあること、ある部分は天川と打合せ焼却したが、焼却したものはどんなものかは大体記憶にあること。  (ハ) 決算委がグラマン問題をとりあげてからの、一切の動きは大変なものでしたが、自分が詳細書きとめてメモし、今ある所に保管し、その一部は安全に保管するため地中に埋めてあること。  (ニ) 色々の関係者から、どこから取調べがあっても自分は使い奴であったから、何も知らぬ知らぬと云い張るよう指示を受けていること。  (ホ) 関係者からはデーターを返すよう、手をかえ品をかえ催告され一部返したも   のもあり、いまだ返却しないものも相当あること。  (ヘ) 堀田参事官が中心となって、色々と動いていること。  (ト) 社会党西尾末廣の周辺調査のメスを入れられる必要のあること。  (チ) 現在は天川秘密アジトが別にあるが、御存知ないだろうと言ったこと。  (リ) 自分も幾度大川事務所を去ろうと思ったことか。それは今に何か問題が起るぞと予感したから……。  (ヌ) 自分が何もかもさらけ出すと、二十人位の人の首がとぶから気の毒だと云ったこと。  (ル) 一切を話ししても、例え決算委がやっても、検察庁がやっても必ず潰されてしまう、それは絶対だということを自分は知っている。そうなると一番馬鹿を見るのは自分だけである。鳴かず飛ばずにいてこの問題がおさまれば、自分は立派な企業産業に何時でも思うように就職も出来る、今の問題化の場合だけ身を沈めて居れば、先々なんの心配もない。  (ヲ) 自分が一切を暴露すれば、現内閣は必ず潰れる。  (ワ) 私の作成にかかるメモの全部を見せた所、殆ど大部分が間違いないことを確認したこと。   その他私の質問に答えたのは次の通りであります。  (イ) 何が故に検察庁がやっても、もみ潰されないか?  答 それは何れ詳細に話さねば判りませんが、関連者に於て十分な符節が打ってありますから……  (ロ) 貴方が知る限り暴露すると岸内閣が潰れるといわれるが?  答 それも全くその通りですが、その事情も何れ覚悟を定めてから話しましょう。  (ハ) 貴方は住居に於て、住民登録も従って米の配給も受けて居られない幽霊存在となっていますが?  答 そこまで調べられてあれば仕方がありません。私は足掛け四年天川さんの所に勤務して居りますが、始めは月給二万円で今年になって二万五千円となりましたが、天川さんから月収三万五千円しかないと税務署に届けるよう指図され、そのように届けて数年経過して居ります。雇用者月収三万五千円で私の月給が二万―二万五千円ではどうしてもつり合いがとれませんので、私の収入も届けることが出来ず、従って幽霊存在の格好になった訳です。」  ここで初めて幽霊存在の理由がわかった。  (ニ) 「それでは天川勇の月収は私の調査からは毎月五十万円を下らないと見て居りますが。  答 週刊朝日かで五十万円の月収があると貴方が云って居られると出て居たのを見て、実は驚いたのですがよく当って居ります。  (ホ) それでは、天川は五十万円から三万五千円を差引き毎月四十六万五千円也の収入をごまかし、一年間に五百五十八万円也、これを二年としても一千一百十六万円、三年とすればそれ以上に脱税して居ることになりますね。  答 その通りです。従って私もそうなるので常に気がかりになって居ります。これでやられたら立派な証拠があるので、どうにもこうにもなりませんから……  (へ) 防衛庁国防会議に関する重要データーが数多く天川に渡されている関係から、公務員法違反に問われるような節々があるように思いますが?  答 そうなんです。私が一部始終を白状すると、相当人々の首がすっとんでしまうと云ったのも、そうしたこともあるからです。万一私だけ悪者にされては困ると思って、相互の云い合いとなったとき私の立場を立てるために、そんな重要な書類も私はあるところに保存して居ります。  (ト) グラマン、ロッキードの諸元比較表は天川勇の手になったものですか。  答 そうです。そのあたりにも色々なことが含まれて居ります。  (チ) さっき貴方は決算委がグラマン問題をとりあげてから、色々な動きがあったことを詳細メモしてあると云われたが、お手許にお持ちですか、それには重要な意味を合むものがありますか。  答 詳細書いてありますが、私の手許には置いてありませんが、ある所に保存して居ります。色々な動き、誰れと誰れとが……重要なことが沢山あります。  (リ) なぜそんなものを作って置かれましたか。  答 私も色々な役割をして居りましょう。いざとなったとき、自分の立場はこうだったと明かにするためにも大切ですから……そうでないと私一人が悪者にされても困りますでしょう。  (ヌ) あれだけの宴を張っていたからには、色々民間難業から官吏に金が送られたり、天川を通してやられたりすることはありましょうな。  答 ……しばし思いりあって……それはありましょうが私もたしかには知りません……当惑そうな色をただよわす……  (ル) その片鱗でも話してくれませんか。  答 何れ明晩十分私のデーターなど整理して何もかもお話しましょう。   大体要約すると以上のようでありました。なんと云っても天川勇周辺に足掛け四年間も居て、一切にたずさわった男だけに、この宮田が一切口を割れば何事も明白になり、その秘密を握る唯一人の人物であるのであります。  一、宮田尚義が突然姿をくらましたこと  以上のところまで運んで、明晩一  切を告白するという段階となって姿を消したのは、宮田に対しひく手数多の者ども(天川との関連者)が居て、とうとう宮田を自己陣営に引張り込んだものと想像されます。現に宮田は私など数度会ったときも、自分は何処か家を探し、離れも知らせず、そこに移りたい、そうしないと身が持てぬと当惑して居り、その資金も私が全部面倒見ようと約束して別れた翌日から居なくなったのであります。  一、結論   宮田から一切の全貌を明らかにし得る所まで運んで、遂に失敗したのでありますが、数度に亘っての会合から得た諸情報を総合するに、  一、役人の者どもには、宮田の話及私のデーダー、私の持つ極秘書類等から、公務員法違反の嫌疑は十分あるやに思われる。  一、天川勇の脱税行為は明々白々であること。  一、数多くの宴会費は利害兵器企業産業から全部支払われていること。  一、五十万円の月収は多く二号さん方面に流れて居ること。  一、重要極秘書類は焼却、それぞれ先に返却されたものもあるが、天川及宮田の手にかくされていること。   以上のことから脱税、若しくは公務員法違反によって、強制捜査をすることにより、そこに様々な嫌疑の本筋が浮び上ると確信されるのであります。   現に本年十二月三日、毎日新聞はかく報じて居ります。従って特捜部に於て、天川勇の脱税を突破日とすることも出来るものではなかろうかと思われます。」  そこで毎日新聞がプラチナ産業をわずか三千万の脱税で家宅捜査号をした事実がここへ出ておりますが、それは省略します。  一、一般国民大衆の気持東京地検の立場としては、事件が立派な刑事事犯として起訴に持ち込む絶対の確信なくては、手を下すことは出来ないとのことやに漏れ承知して居りますが、全くそうであるべきことも十分納得出来るのでありますが、既にジヤーナリズムに於ても騒ぎ、国民も大きな疑惑をなげかけている今日、その疑惑が例え白になろうとも、黒となろうとも、これが解決を為し得るものは日本広しといえども、捜査当局を除いては他にないのであります。これが何処からも当局が何等手を下すべき拠り所がないものならば、如何に国家権勢を荷う捜査当局とて手を下すことは出来ないことも当然でありますが――   民間兵器企業産業の重要人物と国防に関連する官僚の、あのような乱脈な連日の饗宴、然もその宴会費の一切が民間企業によって賄われている実体から見て、そのことだけでもそれを放任するならば、左様な乱脈といえども日本国家として当然黙認されるものだと官吏や民間企業に明示すると同じことになり、今後かかることを公然必然に天下を賞々とまかり通ることにもなりかねないと思われます。然も得てしてかかる乱脈の中には、正常でない金銭授受があることは、今までの類例にも多くあることでありますが、それらはやり取り相互間が秘密裡に行うもので、強制捜査権を持った者だけが独り爬羅剔抉し得るのであります。恋愛する男女がはたして肉体の関係まであるかないか、これを明かにすることは中々難渋なもので、民間人としてよくし能わざるところであります。   然も防衛庁関係は年々その予算も膨大であるし、それらの不正消費の数々も今までにもあり、いまだ現れていないものだって、私の知るだけでも一、二に止まらないのであります。   防衛庁及国防産業が科学的にも智能的にも、もっとスッキリとするためにも、予算行使も国民が納得承認し得るよう配賦されるためにも、ひいて官僚の腐敗をため直すためにも、防衛庁国民から信頼され、真に同家のためになるような真の防衛庁であるためにも、多少でも取っ掛りの糸口ある以上一般大衆は断乎鉄槌を下されんことを希求しているものと私は考えざるを得ないのであります。   万が一にもその結果が只単に天川の脱税、官僚の公務員法違反の何れか若しくは二つを問題としか為し得ざるが如き消極性に終ったとしてもその他は白だったと証明されただけのことになっても国民は決して検察の批難などするものでなく暗雲が払拭されたことにも大いに喜ぶものと想像されるのであります。   数日前日本唯一の評論家亀井勝一郎氏がNHKのラジオ放送で「汚職と脱税」に就て語られて居りましたが、要は汚職も脱税も日本国家人間の肉体に例えて見るとその肉体の所どころが腐爛していると同じことで、これでは国家の清潔にして健全な成長と発展はあり得ない――実になげかわしい限りである。   全くその通りで三悪追放の岸内閣現放下に於て放任し置くべきことではなかろうかと思われるのであります。」  これで大体二つ読みましたから、そこで皆様から、今読んだことと皆様の御研究になったこと等々について御質問いただきたいと問います。
  35. 田中委員長(田中彰治)

    田中委員長 参考人にちょっとお伺いしますが、参考人はその上申書検察庁とか捜査当局に持っていって告発してもらいたいつもりで行ったのですか。告発してくれと言ったのですか。
  36. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 それは私は告発でも告訴でもありませんが、その上申書のような要望書きを持っていって、多種多様な角度からいろいろな説明をつけ加えて、こういうことはたとい国会の決算委欠員会がやっても、予算委員会がやっても、これは強制捜査権がないから、両国の花火がぱっと開いて終るようなことになってしまう。日本広しといえども強制捜査権を持つもつのは捜査当局以外にない。こういうような公務員法違反らしきこと、脱税、こういうものによって突破口を作って、それで国民のこうした疑惑があるんだから白となろうと黒となろうとこれをやるべきがあなた方の任務じゃなかろうか、ということを言ったわけです。
  37. 田中委員(田中幾三郎)

    田中委員 それで参考人にもう一点聞きますが、このグラマン事件決算委員会がやってもやり切れない、検察庁もこれを捜査し切れぬ、検挙し切れぬ、検察庁もだめだというような話はあなたが聞かれたのですか。
  38. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 それは宮田から、私一人でなく……。
  39. 田中委員長(田中彰治)

    田中委員長 どういうわけでだめだというのですか。
  40. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 それを明日か明後日、あらゆるデータとあちこちにあるやつを取り集めて、それから決算委員会で取り上げてからいろいろな諸運動が展開された、そのメモを取りそろえて、あしたの晩かあさっての晩までに私のところに全部を明らかにするといって、雲隠れをした。それから消えてしまったわけです。
  41. 田中委員長(田中彰治)

    田中委員長 そうすると決算委員会が取り上上げてもだめだ、検察庁もこれを起訴できないというようなことは、証拠を持ってくるといったのですね。手を打ってあるといったのですね。
  42. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 手を打ってある、自分はそれを知っておる、だから決算委員会が取り上げても大仏さんの顔をなでる程度で終ってしまう、検察庁は絶対これには手を下さない。どういうわけだ。それはいろいろ手が打ってある、その事情はこうだ、というところから消えてしまったわけです。
  43. 山田(長)委員(山田長司)

    山田(長)委員 ただいまのお答えの中に、西野という方と、それから平本編集長とあなたと三人でいろいろ話をしてみたところが、諸元比較表なるものは天川勇の手によってでき上ったものだということがわかったようでありますが、この諸元比較表なるものは、この間われわれ同僚議員何人かの人にあなたはお見せしたのですが、きょうその書類をお持ちですか。
  44. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 グラマン、ロッキードの諸元比較表というのは、私は持っておりません。あれはその前の比較調査表だと思うのです。だけれども、そういうものは、私は青写真にとって家にございます。きょうは持ってきておりません。
  45. 山田(長)委員(山田長司)

    山田(長)委員 きょうお持ちにならなかったことは非常に残念ですが。青写真はお持ちになっておるのですか。
  46. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 それは私の方に保管してあると思います。
  47. 山田(長)委員(山田長司)

    山田(長)委員 ただいまの上申書の中で、大量にわたるいろいろな秘密文書が宮田の口を割れば一切わかるというふうなことですし、さらにその上申書の中に地下に埋めてあるというようなことを今言われておりましたけれども、これは宮田を呼べば、その地下に埋めてあるものもあいるはそのほかのものもおわかりになると思いますか。
  48. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 宮田が私らにそういうことを唯々として語っておるの、でありますから、必ずや宮田が出れば、うそをつかない限りほんとうのことが出ると思います。それから地に埋めてあると称したのは、決算委員会が取り上げてからもみ消し運動が盛んになりました。そういうようなことについてのいろいろなデータを地に埋めてある、こう言っておりました。
  49. 山田(長)委員(山田長司)

    山田(長)委員 森脇メモなるものの宴会の開かれておる中に吉村と由比――吉村というのは国防会議の当時の参事官だった吉村氏のことです。それから由比というのは、新三菱の航空機部長です。この委員会で二度ほど吉村証人に来てもらって伺った内容によりますと、最初から思うとだんだん変化して参りまして、会ったこともこの委員会で言っております。しかしあなたの調査によりますと、かなり回数が多くなっておるようでありますけれども、この調査信憑性です。どんなふうに調査をされたのか。あなたが出された書類を見ますと、回数もかなり多いのですけれども、この点いかがですか。
  50. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 調査の内容は、常に申し上げておることでありますから、遠慮させていただきます。私は常に言っておることでありますけれども、神様でない、人間がやることです。でありますから、私の方の調査メモが絶対に一分一厘間違いがないかと問われれば、これは神でないから、人間のすることだから、どこか手落ちがあるだろうということは申し上げざるを得ないのであります。従って、私らは初めの調査関係においては、吉村氏も由比氏も顔などは知りませんけれども、いろいろな方法によって次第々々に確認していった角度もございますから、私の出席人名に対しては、まず神でない、人間がやったこと、それからそういうような観点から絶対に微動もない真実だということは、私は人間としてはっきり証言はできないわけであります。しかし大よそ間違いがなかろうということは考えております。宮田にも一ぺん見せたら、大体間違いないと言っておりました角度からも、そういうことが言えると考えます。
  51. 山田(長)委員(山田長司)

    山田(長)委員 ただいまの上申書の中に、もし宮田氏が口を割れば政界上層部の汚職、あるいは官僚等が三十人ほど首になるかもしれぬ、こういうふうなことがいわれておるようでありますけれども、このことについて宮田が言っている言葉が、あなたがお会いになって見ている西野功氏から受けている印象としては真実性があるとお思いになりましたか、お思いになりませんでしたか。
  52. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 それは、宮田氏が来られてから私は数度会いました。私は一切の今度の生活も保障する、それから家を移転するだけ全部経済的な負担は、私が一生涯責任を持つということで、彼も晏如として語ったいきさつがございます。従って今の三十人ぐらいが首になる。これには相当秘密書類がたくさん、小トラックに一ぱいあったということを言っておりますから、その点は真実に取調べがあるとすれば明瞭になると思います。ただ、上層部汚職のということになりますと、彼がそういうことを言ったにすぎず、それらについての説明をするということになって、彼がこれを言いましたから、私は何ともはっきりしたことは申し上げられないのであります。
  53. 山田(長)委員(山田長司)

    山田(長)委員 大きな買いものをする場合に、特に戦闘機の購入等の場合においては、飛行機を買われる約束、あるいは買われたあと等には、いつも政変があるように思うのです。こういう点で、何かこれに関連性のあるようなことを、あなたは調査の範疇でお認めになるようなことがあるか伺いたい。
  54. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 皆さんがお調べになればわかると思いますが、この戦闘機問題、機種決定購入というものがきまるときの前後に、参議院選挙とか衆議院選挙とかが必ずあるということと関連いたします、これは偶然であるか故意であるか、それは私はわかりませんが、一つ皆さんで統計をとってみて下さい。かってのF86のとき、それから練習機のとき、グラマン機のとき、すべてそうであるという現実がぴたっと出てきます。しかしそれは偶然か故意か、私にはわかりません。
  55. 山田(長)委員(山田長司)

    山田(長)委員 森脇さんがこれらの調査をしている過程において、何かこれがもみ消し、あるいは障害になったようなことがあったかないか。
  56. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 決算委員会グラマン問題を取り上げました。それから天川勇という名前新聞に出るようになりました。これは私が記者連中の訪れに対して言ったのであります。私が言わなければ、この天川勇というものは当時ジャーナリズムは全然だれも知らなかった。そういうようなときから、次第にこのもみ消し運動というものが行われ、たとえばはっきり申しますと、赤坂の待合に対して、自分たちが行ったことをどういう工合にもみ消したか知りませんが、もみ消してくれということはありました。これは私が現にある待合を調べに行ったら、今から一、二時間前に宮田さんが来て、もみ消しのことをやっていったということをおかみから聞きましたから、その一例から間違いありませんし、宮田自身も、自分はそういうことをやったんだということを自白しておりますから、そういうもみ消しがあったということは間違いありません。彼が言うことによれば、新三菱と天川の間にも、そのもみ消しがどう行われたかということは聞いておりませんが、いろいろなことがあったというように申しております。それから政府機関から出ている極秘と称し、あるいは秘密書類と称するいろいろなデータは、大ざっぱにいって小トラック一ぱいくらいあったそうでありますから、それをこういう工合に決算委員会で取り上げてから、ちょうどわれわれがあの映画で時代劇を見ますれば、何か宝ものがあったりすると、奪ったり奪われたり大騒動がございますね。あれと同じ現象がそのものの奪い合いで起った。これは時代劇めいた取引が行われた。現に私は一つ知っておりますが、あとで質問があったらお答えします。
  57. 山田(長)委員(山田長司)

    山田(長)委員 ただいまの、秘密文書が小さなトラック一ぱいあったということが事実であるとすれば、私は重大問題だと思うのです。そこで、この真相は宮田が知っておるのか、西野功が知っておるのか。こういう点ですね。どっちが指図してこれらの処理をしたものか。そういうもののデータはどこから一体出たとあなたはお思いですか。
  58. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 さっきも申し上げました通り、西野というのは、三十年ですかにやめております。一年間ほどは宮田と一緒に天川のところに勤めておりました。足かけ四年というものは宮田が大川にくっついておったわけでありますから、前座の方は西野でわかる、後座の重要な部面は宮田でわかる、こういうことになると思います。  それから小トラック一ぱいあった、それは私は事実を確認をしておりませんが、宮田もそういうようなことを私に申しておりましたし、私がかって見た一つ秘密書類も、このくらいのふろしみ包みに一ぱいあったのですが、それがほんの一部分であると言っておりました関係から、小トラック一ぱいあったかどうかわかりませんが、これがほんの一部分だという、その重要書類がふろしき包みに一ぱいあったくらいですから、それから連想しても相当量のものがあったということは事実であります。
  59. 西村(力)委員(西村力弥)

    西村(力)委員 関連して。ちょっと先に戻るようですが、諸元比較表もお持ちだそうですが、その入手経路を一つ具体的に御説明願いたいと思うのです。
  60. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 その問題についての具体的な入手経路というものは、私はここで触れたくはありません。しかし、それが必要であるというならば、追って提出するといたします。それにはいろいろな関連がございますので、ちょっとここでは申し上げたくないと思います。
  61. 西村(力)委員(西村力弥)

    西村(力)委員 委員長、ただいまの参考人の御発言に対する処置は、これからあと話し合いまして、最も効果的な措置を願いたい。  それから諸元比較表なるものが極秘文書であるということを御判定になった、それは何によりますか。あなたは極秘文書だ、防衛庁から出たものだ、こういうことを言われますが、それを確信なさる点、これは疑いもないと申されるところは、どういうところでございますか。
  62. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 私はロッキードとグラマンの当時の比較表なるものが青写真であるということは申しました。しかし、これが絶対秘密文書であるかどうかということは私は申し上げていないはずです。他に私は秘密文書というものをある程度持っております。このことについては現物がございますから、要請があればごらんに入れますが、しかし、そういう関連から考えてみて、国家がどちらにきめるかというような重要なデータである限りにおいては、これが民間人やなんどにごろごろ回るということは不見識じゃなかろうかと思っております。
  63. 西村(力)委員(西村力弥)

    西村(力)委員 念のためでありますが、これはグラマンとロッキードの比較表でなくても、以前のものといえども、防衛庁の極秘文書であるということは間違いございませんか。
  64. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 それなら今私はここに五、六部いろいろなものがございますから、これをごらんに入れてもけっこうであります。
  65. 西村(力)委員(西村力弥)

    西村(力)委員 それは一つお取り計らいを願いたいと思う。  それからもう一点は、せっかくの宮田さんを雲隠れされてしまったというのは、どうも残念でございますが、森脇さんのようにたくさんの手足を、持っていらっしゃって、また、とことんまで追及なさる御性格のように見ますが、逃げられてしまって、あとはどうにもならぬというように打ち切られた点が私には理解ができない。その後、宮田尚義なる人に対して追及を行わない。どこに行かれたかということも追及なさらない。なさらないとするならば、どういう理由に基づいてなさらないのか。その点が私にはちょっとわからない。
  66. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 今の質問でございますが、あなたは私がさっき読み上げたことを十全に聞き取っておられないと思います。一番最初宮田を発見したとき、約二週間以上も自動車二台を配置して彼の出現をとらえた。そこで初めて宮田がわかった。そこで、私と築地雪村で数時間会合して、全貌を明らかにすると言ってから、来ない。そこで、私の方でまた行った。またもぬけのからであった。私の方は捜査配置を続けていた、これは相当長い間です。そしてようやく発見して、彼をまたとらえた。ところが、この私が今読みましたのは、雪村で会っていろいろな話をするという瞬間からいなくなったという当時これを書きましたから、その後の問題は、宮田がとっつかまりまして、いろいろ交渉、折衝したいきさつはいろいろございますが、彼は口を緘して語らなかった。どうして語らないかということも、いろいろ理由がございます。
  67. 田中委員長(田中彰治)

    田中委員長 ちょっと参考人に聞きますが、あなたはだれかに、宮田が、おれは何もあんたに言わぬけれども、検察庁でおれを引っぱったらみんな白状してやる、大へんな問題が起きるが、みんな白状してしまうとあなたに言ったそうですが、ほんとうですか。
  68. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 それは私がいろいろと口説いて、すべてを話してくれと申します過程において、自分は今あなたにすべてを話してしまったんでは、今言ったように三十人からの人が首になるから気の毒だということ、それから堀田参事官を中心として、いろいろこれに関連のある人から、すべて黙っとれ黙っとれ、知らぬ知らぬと言えと言われておるということ、それから将来この問題が落ちつけば自分は安住の道が得られるという関連のこと、そういうようなことから自分は全部言えないんだということを、ようやく雪村で口説いて、言うというところまで持ってきたわけですが、その過程において、彼が、検察庁にでも呼ばれれば、これは私もああいうところはこわいから何でも話さなければならぬでしょうと言っておりましたから、実は私は東京地検に、早く宮田を任意捜査でもいいから呼んで調べることはできませんかと言って、上申したことがありました。
  69. 山田(長)委員(山田長司)

    山田(長)委員 西野氏との話し合いの中に、四野功氏が勤務しておったのは二十八年の六月から勤務しておったので、その間三十年の八月には宮田が秘書になっておるわけですね。その間にかなりの歳月があるのですが、この国会吉村氏を証人に呼びますと、吉村氏は、西野氏を知らぬと言っておるけれども、西野という方とあなた方三人でお会いになっている過程において、全然吉村氏との話等は出なかったのですか。知っておるようだったか、知っておらないようだったか。
  70. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 それは、やめる瞬間からさかのぼって約一年近くというものは宮田と一緒に天川事務所に勤めておったわけですから、吉村氏も電話をかけること再々、行ったことも再々あるのですから、その行ったたびごとに西野がいなければ別ですが、あれだけの回数を天川事務所をお訪れ、天川事務所に電話をかけという現実の姿から、一応吉村氏が西野を知らないということはおかしいじゃないか、こう思います。次に、西野氏は、私が八百善で会いましたとき、吉村氏のことを別に私が知っておるかと聞いたわけではありませんが、いろいろな話の中で吉村という人の話があって、あたかも私の印象では十分吉村を知っているであろうと想定するような状況でありましたから、吉村氏が知らないということはなかろうじゃないか、こういうふうに思います。
  71. 山田(長)委員(山田長司)

    山田(長)委員 この間の十九日の参議院の内閣委員会で、廣岡国防会議事務局長は、天川にいろいろな名目で国防会議から二十回にわたって十万八千円も支払いをしておる――ここで吉村証人がかって言ったこととだいぶ違うのですよ。その点について何か調査したことがあるかどうか。調査をしていたとすれば、これらについての金の授受等があったものかなかったものか。あるいはそれは一体だれから出たか。それを一つ伺いたいと思います。
  72. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 これはなかなか調査難渋な次第でございまして、私の方で調査していることがおそらく全部ではない、ほんの一部だろうと思いますが、明らかに私の方で調査してわかっていることは、あの予算委員会で廣岡事務局長の言われた数字より多いものかと思います。それを今ここで申し上げます。三十一年の十二月に国防会議から三万六千円の月ぎめ手当というものが天川に行っております。これは三万六千円から税金五千四百円を引き、あとの三万六百円が天川に渡されております。だから、月ぎめでございますから、それ以前にもあったでありましょうとは想像できますけれども、私の方のデータに明瞭に現われて見えたのは、三十一年十二月――これは大体二十五日とか四日とか、支払いの日はいろいろに変化しております。それがそのようにして払われたのが、三十一年十二月、翌三十二月一月、二月、三月、四月、五月、六月、こういう工合に私の方のデータに出ております。そうするとこの問題は、国防会議事務局長の口からは出ておりませんが、これは私は相当確信を持って言い得る金額でございますので、一ぺんお確かめ願いたい、こう思います。その他にもいずれあるでありましょうけれども、私の方のデータで明確に調査し得たものはその範囲でございます。
  73. 山田(長)委員(山田長司)

    山田(長)委員 そうすると、かなりの歳月にわたっているようでありますが、全体の金額はどれくらいになっているように、あなたの方の調査ではわかっておりますか。
  74. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 これはちょっと私の計算違いがあるかわかりませんが、七回の三万六百円ですから、税金を差し引きまして二十一万何千円になります。それから警察庁からも出ておるのですが、私の方のデータで明らかに知り得る範囲のことについて申し上げます。三十二年二月七日に二万円、三月十九日に二万円、四月二十四日に二万円、五月十四日に二万円、それから六月十八日に二万円、それから飛びまして九月三十日に二万円、これだけが私の方のデータに現われております。その他新三菱とか三洋電機だとかいろいろ利害企業産業の方から出た中で、私どもの方で確認したものも、私の方の表には上っております。今のところそれだけであります。
  75. 山田(長)委員(山田長司)

    山田(長)委員 どういう点でこういうふうに金額が出ているのかわかりませんが、ただいまの検察庁からというのは、どういうふうに……。
  76. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 警察庁です。
  77. 山田(長)委員(山田長司)

    山田(長)委員 警察庁からはどういうために出ているように思いますか。
  78. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 それは天川を呼んで、何か国際情勢とかいうようなことの講演をやるはずです。そういうときの手当のように私の方の調査データではなっておる。現にそういうこともあったのでありますから、そういう関係のつまり報酬というようなものだろうと思います。
  79. 山田(長)委員(山田長司)

    山田(長)委員 天川勇なるものが今度の機種の選定に当ってかなり重要な役割を果しておったということは、今まで森脇参考人から伺った形においてはほぼ察し得るところがあるわけですが、これらの問題は、天川勇名前が出てジャーナリズムを、かなり週刊雑誌等でにぎわしている面もあったのですが、この天川氏が講演に出ている範疇において、一流財界人あるいは銀行家等に講演されているというようなことから、これが表面に出ることをおそれたのでもありましょう、もみ消し運動がなされて、ついに大新聞等の話題にもならずにしまって今日までいたということを言う人がありますが、これらの問題について、天川勇なる者の名前が強く表面に出ずにおったことについて、何かもみ消しでもあったのじゃないかと国民の間では察知しているものがあるわけなんですけれども、これらについて何かお気づきになられたものりがあるかどうか。この点も一つ伺っておきたいと思います。
  80. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 それは、ちょっと私にもわかりませんが、どういう事情だったかわかりませんけれども、とにかく私が天川勇というものの名前をジャーナリズムに投げかけるまで、政治関係の人も、皆さん代議士諸公におかれても、ジャーナリズムにおいても、天川勇の存在というものはだれも知らなかったわけです。その事情は今どういうわけだかというお尋ねでありますが、私はそういう方向調査をしておりませんものですから、ここでどうであったかという答えはできないのであります。
  81. 山田(長)委員(山田長司)

    山田(長)委員 捜査権を持たないあなたとして、かなり調べている過程において突き当った困難さがあったと思うのですが、これらの問題を調査している形において、国民的な感情として何か理解のできないものがあなたにあったと思うのです。今の参考人の御意見で知り得ましたように、これだけの大きな――多少の違いはあったにいたしましても、九十何回かにわたる赤坂あるいはその他の地において、官僚及び業界の人たち、航空機産業に携わる人たち、これらの人たちが、国防会議の参事官吉村氏を初めとして数々の官僚の人たちが出入りをして、そうして表面には出ていないけれども、戦闘機の決定に当って動かれたと思われる節がいろいろな角度から察知できるわけなんですけれども、これらについて国民感情としても私たちは何かしら理解のできないものがあるわけですが、あなたは調査の衝に当っておって不可解な個所にぶつかっておるはずだと思うのです。同時に国民感情といたしまして、これは徹底的に調べなければならないという感じをお持ちになられると思いますが、何かこの点についてお気づきになることがございましたならば、一つこの際ここでお漏らし願いたいと思うのです。
  82. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 私がさっき二回目の上申書を読みました通り、この問題はこれほどの疑惑を投げかけておる。私は強制捜査権がありませんから、歌舞伎でいえば、ちょうどその幕までは調査を進めましたが、その幕の裏には何があるかということは、幕を上げてみないことにはわかりませんで、当然それは捜査権を持つ人のみにできることであります。だから私は、何べんとなく検察庁に、これは調べるべきではなかろうかということを具申しておったようなわけでありまして、今おっしゃる通り、私にも、もやもやの疑惑は残っております。しかし私が主として考えたことは、グラマンであろうとロッキードであろうとわれわれには関係がないが、少くとも国民感情としては国家のためになるような方向において定めてほしいということが主体であります。そうしてこれを調査していく過程においては、さっきも申しました通り官僚腐敗綱紀弛緩という意味から展望いたしまして、こういうようなことはどうしてもわれわれでは調べがつかないから、一ぺん調べて白黒をつけなければ、これだけのメモが週刊朝日や新聞に流れて、官僚並びに利害企業産業の人の、再々にわたって三日にあげず饗宴の姿があり、しかも利害企業産業で全部まかなわれておるという事実について、国家でその実態を明瞭にすべきではなかろうか。私は国民感情としては、どうしてもそう思う。だからこそ、昨年末東京地検に持ち出したということでありますが、東京地検も、公務員法では特捜でやることではないとか、査察でやるべきだとか、何か千葉銀行のときもそういうニュアンスでありましたが、それ以上に強硬であって、私も昨年末それでは仕方がないといって、ほこをおさめたというのがいきさつであります。
  83. 山田(長)委員(山田長司)

    山田(長)委員 最後に伺いたいのですが、先ほどの上申書栗本検事のところに出したと言われましたが、さらに当時栗本検事のほかに、おそらく出されたと思われるのは天野特捜部長検事のところではないかと思うのでありますが、当局から、この上申書についていかなる御返事があったか、全然何らの答えもなかったか。これが一つ。  もう一つは、私はあなたがお書きになられた「金権魔者」という本を読んだ。この「金権魔者」という本を読んで、千葉銀行事件でNという元代議士が、あなたのところを訪問して一億何千万の金を無利息、無期限であなたに出すがということで、この答については、何かしら不明確なもので結論が出ずにあるような印象なんです。一体これはいかなる形で処理されたか。最後ですから、この二点で私は終りますけれども、どうぞ一つお答え願いたいと思います。
  84. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 最初はどういう御質問でしたか、もう一度簡単におっしゃって下さい。
  85. 山田(長)委員(山田長司)

    山田(長)委員 最初は、栗本検事のところに……。
  86. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 わかりました。私は一番最初に天野特捜部長のところに行ったわけですが、部長がいなかったわけです。それで一番最初にちょうど千葉銀行関係がありましたので、栗本検事のところに行って話したわけです。それで栗本検事を通じて、すべて天野特捜部長にもごらんに入れて下さいということで、その後天野特捜部長には会わなかったわけであります。これが一つ。  それから、さっきも申しましたように、私はこれはやるべきではなかろうか、取り上げるべきではなかろうかといろいろ話したのですけれども、どうもこういう宴会があったって、宴会だけではだめだから、たとい五万でも十万でも金をもらっておることがはっきりすればというようなことで非常にたよりない言葉であった。これはひょっとすると国際関係にも影響をはらむ問題だとか、いろいろ言われ、公務員法の問題になれば、それはどうも特捜の動くことではないと言われるので、現に勤評問題だとか、労働争議ではどんどん強制捜査、逮捕をしておるじゃないかというような話もしたり、それから脱税の問題を話せば、査察でやるべきことで特捜でやるべきことではない、それじゃと万年筆の会社をやったのはどういうわけだ、それでいろいろ私は食い下ったわけですけれども、ついに何のさたもなく今日に至っており、私もあきらめてしまった、こういう経過であります。  それからもう一つは……。(山田(長)委員金権魔者にNという」と呼ぶ)わかりました。それは今だから、はっきり名前を言ってけっこうですが、この間のいわゆる相模原事件、相模原市長の横領事件で横浜地検へ逮捕になりました中山貞雄元代議士であります。これは千葉銀行が古荘頭取でありますが、人の上に人を作らずという言葉と同じように、千葉銀行の頭取以上の勢力を中山貞雄が持っておった、こういう事情にありまして、私も当時は秋葉原会館とかいろいろなことで、これは中山もやるべきだという話をしておったいきさつがあります。しかし地検の方では、千葉銀行とそれからレインボーに集約されて事を処理されただけに終りました。当時まだ捜査中の過程でありましたが、東京地検が。ある人を通じて中山貞雄が私に会いたい、こういうことになりました。それで一億数千万円の金を今おっしゃった通り云々ということは、確かにございました。しかし私は、今一番最初今澄代議士の言明に対して反駁したような気持でありますから、そういう金を受け取るのではお会いすることはできない。そういう金というものを別にして、今日この場合、私の意見や私の考え方を聞きたいというならば、といって私が拒否しましたら、それじゃ引っ込めます、ぜひ会って下さいということで、彼は日本倶楽部に席を設けまして――昼間でございますよ、そこに私は行って、それに立ち会った人もおります。それで私は、この際古荘頭取の晩節を汚さないように早く古荘を引退さすべきだ、そして相当功労もある人だから、ここで早く自分で自決する方向にいくならば、検察庁といえども涙がありはしないか、あなたの言うことなら古荘も聞くであろうから、この際そうすべきであるということを私は進言しました。要するに古荘を誤まらしたのは私は中中貞雄であろうと思っております。そしてそれにも書いてあります。
  87. 田中委員長(田中彰治)

    田中委員長 参考人、話が違いますから、簡単にして下さい。
  88. 小川(豊)委員(小川豊明)

    ○小川(豊)委員 議事進行。一時から本会議があるということですから、午前中はこれでやめて、あと午後本会議が済んでから再開したいと思います。  そこで一点伺いたい。先ほど森脇参考人は、非常に重要な書類をお持ちになっておる、必要とあらば出してもよろしい、こういうお話であるからつ、これをぜひお出し願うようにしてもらいたい。  それからさらにいま一点は、ロッキードだとかグラマンだとか、グラマンが中止になったような形になっているところにまたノースロップというような飛行機の運動が行われ、しかもこれに対しては国防会議議長防衛庁の長官もこれを強く支持しておるというようなことで、やはり通産省の堀田参事官は猛烈なこれに対する運動と、資金の用意までいろいろな形であるということまでいわれておるようですから、午後の委員会防衛庁の長官にもぜひ一つ出席をしてもらって、この点を確かめたいと思います。この点をお取り計らいを願います。
  89. 田中委員長(田中彰治)

    田中委員長 長官を呼ぶことにします。
  90. 瀬戸山委員(瀬戸山三男)

    ○瀬戸山委員 参考人の方に一点だけ聞いておきますが、先ほど警察庁また国防会議事務局から天川という人が手当か何かもらっておる、こういう話であります。これはどういう趣旨でそういうことをおっしゃられたか、またどこでそれをおわかりになったか、これをお尋ねしておきます。
  91. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 それは私の方の調査内容になりますので、ちょっと申し上げかねますが、別に不正な方法で取り調べたものではない。この程度でお聞き取り願いたいと思います。
  92. 瀬戸山委員(瀬戸山三男)

    ○瀬戸山委員 不正な方法で取り調べたとか何とか、そんなことは考えておりません。先ほど、たとえば国防会議事務局から何万円かもらっておった。それについては税金をと引いてこれこれだ。こういう御説明がありましたから、警察庁二万円云々ということ、国防会議の手当というものは、それは会計帳簿か何かに出ておるのではないかという意味で私はお尋ねしたのです。そのお調べ先はどこでしょうか。
  93. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 それは税金まで差し引いておる銭ですからおそらく帳簿に出ておるべきはずでありますが、帳簿というようなものを私は閲覧しておりませんから、私ではわかりませんから、皆さんのお力でお調べ願いたいと思います。
  94. 田中委員長(田中彰治)

    田中委員長 瀬戸山委員、今の国防会議から天川がもらったという金は十万円というより、もっとたくさんもらっておるのですが、これは吉村君が証言しておりますし、こっちで調べてあります。ただ警察庁は私は知りませんが、国防会議の方は調べてあります。
  95. 瀬戸山委員(瀬戸山三男)

    ○瀬戸山委員 それからそういう点をお調べになったのは、天川という人が、最初お話しになりましたように、奇怪な人物である、その人の私生活等についてどういう状態であるかという意味でお調べになったのか、あるいは天川という人に何か犯罪ありというおつもりでお調べになったのか、その点を一つ
  96. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 その点はさっきも申しましたように、天川勇という名前を私が知るに至りましたことが起因であります。また、わざわざ取り調べるという意欲はなかったが、千葉銀行調査のために動員することになりました契機に、天川勇個人的生活ライトを当ててみれば大体見当がつくだろうということで取り調べ始め、見当をつけてみると、相当の収入もあれば、私生活もさっき申しましたような状態であった。それからだんだんと入っていきまして、決してグラマンということではなかったのです。私は、さっきも申しましたように、官僚腐敗の姿として展望しておった。はしなくも当委員会グラマン問題が出た。好都合と思って調べて、これはやはりこれに関連があるのではなかろうか。それで初めて私の調査データというものが次に行われて、及ばずながらの調査グラマンとその調査データということに関連して……。こういう関係にあります。
  97. 瀬戸山委員(瀬戸山三男)

    ○瀬戸山委員 もう一点お尋ねしておきますが、あなたの方で検察庁等に対して、先ほど上申書といいますか、書類を出されて、直接会われて捜査をしなさいというような御趣旨のお話があった。これは先ほどのお話にもちょっと出ておりましたが、天川という人の収入状況をお調べになっておりますから、これについて、いわゆる犯罪としての脱税の違反がありはしないか、もう一つは、先ほどのお話にもちよいちよい出ておりましたが、いわゆる秘密文書等の公務員法に違反する犯罪がありはしないか、こういう趣旨で検察庁等に申し入れをされたのか。御承知のように、警察庁あるいは検察庁は犯罪ありという相当の判断がつかなければ捜査は始めません。ただ世間でうわさがあるということだけでは犯罪の捜査というものはそう軽々に乗り出さないと思いますが、あなたの趣旨は、脱税及び公務員法違反の犯罪あり、こういうふうに思うから、なぜ捜査しないのだという趣旨で申されたのか。その点をお伺いしておきます。
  98. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 今の御質問でありますが、私は一介の市井の野人でございまして、検察庁に取り調べなさいというような命令権もありませんし、そういう言葉で私は言っておりません。国民感情として、こういうことをほっておくことは困るじゃないか。一つには綱紀粛正という岸内閣の看板にふさわしくないではないか。三日にあげずこの饗宴が百数十回も行われるなどということがある。そこで確かな証拠として、私は今皆さんに午後お示しする、その秘密書類検察庁に見せました。そしてかくかくなことがある以上、しかもそれが小トラックに一ぱいもあるという話だ。そうすると、ただ単に天川勇そのものを取り調べるということよりも、何か天川私生活の状態から、そういう秘密書類というものがもしや共産圏その他の方向にでも流れて、日本の国防計画の内容が――知らずスパイ的行動に移った場合には、私は国家の重大事じゃなかろうかと思う。従って、まずその後に明らかなものは公務員法違反である。次に起った問題は脱税である。これだけのりっぱな素材があるならば検察庁が手を下されてみたところで、決して世間は物笑いにすることはなかろうじゃないか。そしてその疑惑のメスをさらに進んで入れられた結果、国民がいろいろに疑っていることがもし白になったらそれは国民は喜ぶし、また時の政治を信頼する起因ともなろう。もし黒になったならば黒になったで、それこそ政界粛正のもとになるのじゃないか。いずれにしてもこれをやることが、この際検察庁のあり方じゃなかろうかということで、私の考えをつつましやかに上申したにすぎない次第であります。
  99. 田中委員長(田中彰治)

    田中委員長 午前の会議はこの程度にとどめ、本会議散会後まで休憩いたします。  森脇参考人には御苦労ですが、控室でお待ちを願います。     午後一時二分休憩      ――――◇―――――     午後三時二十七分開議
  100. 田中委員長(田中彰治)

    田中委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  歳入歳出実況に関する件、特に防衛庁航空機購入問題を議題として、参考人森脇将光君に対して質疑を行います。  小川豊明君。
  101. 小川(豊)委員(小川豊明)

    ○小川(豊)委員 きょうはこれから私の方の淡谷委員質疑を行うことになっておりますが、その前に午前中に申し上げておいた、森脇さんが非常に重要な証拠書類をお持ちだ、こういうことを述べられておりますが、その重要な証拠書類というのを一応委員長のところに提出してもらいたいと思います。
  102. 田中委員長(田中彰治)

    田中委員長 参考人、どうですか、ちょっと見たいというのだが、ここへ……。
  103. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 けっこうです。
  104. 田中委員長(田中彰治)

    田中委員長 それでは、それをこっちへ出して下さい。見せますから…。     〔森脇参考人書類を提出〕
  105. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 これは原本ではありませんが、原本を当時写真にとった一部の資料です。
  106. 田中委員長(田中彰治)

    田中委員長 淡谷悠藏君。
  107. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 森脇参考人に若干お尋ねしたいのですが、実は私どもの手元に森脇メモの写しというのが手に入っております。これには、いろろい天川が主になりまして赤坂を中心にした料理店あるいはキャバレー等で遊興したという事実が列記されてあり、またこれが週刊朝日等にも出ておる森脇メモの基礎になっておるものらしいのでありますが、けさの参考人の御意見で、森脇メモというものの信憑性について山田委員から質問がありました際に、わが党の今澄委員発言に触れまして、このメモの信憑性を強く主張され、もしもわれわれがこれを信じないならばこのまま退場するという強い御発言がございました。私はむしろ非常に善んだのです。あなたの出されるメモというのは相当大きな波紋を描きまして、あなた自身言われる通り、真相が暴露されるならば数十人の官吏が首を切られるであろうし、ときによっては内閣の運命にまで関するような重大な問題を含むということをみずから御発言があった。そこで私ども不思議に思いますのは、あなたのメモに現われております大蔵省の主計官の吉村真一君が、この決算委員会証人に呼ばれましたときに、ほとんどこのメモをくつがえしておりられる、こんな事実はないということを証言されているのであります。これもあなたのメモが信憑性のないものであれば、吉村君の証言を信ぜざるを得ないのですが、あなたの主張されるようにこのメモが十分に信憑性があり、あなたの大へんな芳心によって手に入れられたものであるならば、あるいは吉村君が偽証罪を構成しないとも限りません。従ってこれは一々お尋ねするひまはございませんけれども、この森脇メモに対して、午前中言われました通り、かつての天川勇の秘書である西野という人から入手されたように私聞いておりましたけれども、これはただ西野あるいは宮田という天川の秘書の責任においてあなたがいわば一部公開されたものか、あるいはあなた自身の捜査によってこれがわかったものか、その点をまず明らかにしておきたいと思うのであります。
  108. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 そのメモにつきましては吉村氏が全然否定しているというようなお言葉でございましたが、私は吉村氏の当決算委員会における速記録も拝見しておりますが、何でもあまり数多かったからどこであったかというようなことや、それから日柄や集まったメンバーについては記憶がない、少くとも月四、五回はあるようだというように言っておられるのでありますから、全面的否認の態勢ではなかろうと思います。そして、そこでだれだれが会ったというそのメンバーについては、午前中にも証言しました通り、私は人間としてやった範疇でありますから、ときに多少のそごがあるでありましょう。だけれども、その日にそこでそういう会合があったという事実については絶対でありますし、それからまた吉村氏がそこに列席していた事実というものもこれは絶対であります。従って、当委員会でそれらの各料亭等をお調べになれば、まことであることが証明されると思います。  それから、その次は何でございましたか。
  109. 田中委員長(田中彰治)

    田中委員長 この調べたのは、ただ宮田だとか西野だとかから聞いただけでなくて、参考人もそれに対して調べたことがあるのですかということです。
  110. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 これはやった後、やってでき上り、そうして同時に宮田という者をつかまえたときに私が一覧させて、多少違ったところもあるけれども、大体間違いがないということを宮田が言ってわりました。これは西野には私は見せておりませんが、宮田自身がそういうことを確認しております。
  111. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 このメモの中で特に確実性のあるもの、中には主として天川吉村、由比等の席なるも出席者名簿が錯綜、不正確のおそれあるために表示せずという責任ある部分もありますが、はっきり吉村あるいは天川等が会見したような項目もございます。これは特にあなたのお調べになった中でどれどれが正確であるかといったようなお話を伺うわけには参りませんか。この分だけは間違いがないといったようなことは……。
  112. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 大体そこにメンバーが出ておりますな。それは大体その集まった人については間違いないと確信しておりますが、さっきも申しました通り、あるいは一、二の相違がある場合もなきにしもあらず、それからそれぞれそこに集会した人が明らかでないから、ここではいいかげんなことを書けないから省略しておくというような部分については、私の方では、ある程度確認はしておりますけれども、的確にそうだということを証拠ずけるように考えられなかった節もありますので、そういうのが省略してございます。従って、そこに大体名前があげてある場所は間違いがない。しかし省略してある部分でも、そこで天川中心としてそういうことがあったという事実は厳としてございます。
  113. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 吉村との食い違いにつきましてはあとでまたお尋ねをしたいと思います。  そこで天川に対するあなたの興味は、このグラマンの問題が発生する前から天川という人物についていろいろお調べになっておったようでありますが、今委員長の手元に提出されましたところのいわゆる極秘文言というものは、天川氏が持っておったものでございますか。
  114. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 これは、私は天川の手から直接受領したものじゃございません。西野という秘書の手を通じて受け取ったものであります。ですけれども、そのときにこのくらいの大きなふろしき包みにそれ以外に相当量極秘の文書などが入っておりました関係などから見ても、これは当然天川のところから秘書が受け取って保管したものであろう。また本人自身も、これは天川のところにあったものであるということを間違いなく私に言っております。しかも、そうした書類を午前中も申しましたように、時代劇の映画を見るような姿においてそれら関連者が、この決算委員会で問題が起きましてから回収しようとしてあらゆる努力をし、現に私が持っておりますその極秘書類は、このくらいなふろしき包みの一部でありますが、それは由比航空機部長が何としてでも取り戻そうとして西野に呼びかけが行われたものでありますから、私は絶対に天川の手にあったものであるということを想定することはできると信じております。
  115. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 今提出されました参考人の極秘文書というものを、ちょっと見たいのですが……。
  116. 小川(豊)委員(小川豊明)

    ○小川(豊)委員 お尋ねしますが、今極秘というか、あなたの方の重要な証拠書類だと言われてお持ちになったものを見せていただいたのですが、この中にはたとえばF86、F100、F104の諸元性能比較表、これは大蔵省の文書で、三十一年の四月十三日、極秘ということになっております。それから三十三年八月二十五日付で第一物産から防衛庁の技術研究所に見積書を出しておられます。それからナンバー七で、高射航空兵備研究、これは高射航空研究会、極秘、これも出されてあなたはお持ちになるのですが、こういう書類は、大蔵省といえども防衛庁といえども、みな極秘になっているわけです。先ほど山田委員お尋ねで、この文書の出どころを尋ねられ、あなたはそれは答えたくないと言ったのはこのことかと思うのですけれども、こういう非常に重要な文書であり、しかも役所では極秘の文書になっておる。この極秘の文書があなたの手に入った入手の経路というか、経過、こういうことはお答えできませんか。何か御迷惑になることがあるから答えない方がいいということでしょうか、それとも――これを答えていただけるなら非常にわれわれとしては参考になるのですが。
  117. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 それでは、それがどうして私の手に入ったかという経緯を詳細お話しいたしましょう実は、私はかって当委員会吉村証人が呼び出される云々という時期に、社会党のさる人に二、三の宴会の場をお話ししたことがあります。ところが私に何の連絡もなく、ずぼっとやられました。私は自分の調査の、約一年から調査した経過において、もし吉村氏が呼び出される場合においては、私のデータ上から見れば、ただぽかっと吉村氏がこの証人台に立つものではない。必ずそれぞれ関連者に電話なり打ち合せなり、相当の動きがあってここへ出られるものであろうと考えておりました。ところが、黙ってやられてしまったために、そういうような過程を企画通り進めるわけにいかなかった。そこで、私の調査方針を切りかえる方向へいかなければならなくなってしまったのであります。残された問題は、要するに西野、宮田という人が数年間天川に密着してこのことを運んでいた。それがわかりまして、どうしてもこれら両氏から何とか料理をしなければ真相を把握することができない。こう思いまして、とりあえず西野元秘書に何とかして連絡をとる方法をいろいろと講じました結果、ようやく彼と会うことができました。会いましたところが、彼はその日、朝、私は知らなかったのですが、私の会社へ来まして、森脇文庫の「風と共に去り風と共に来る」、それから「二時五十五分のお客」、「金権魔者」、要するにそれに間連する私の著作を買って、一日三越の屋上に行って読めるだけ読んだそうであります。それで私に非常な共感を覚えたというようなことで、私に会いまして、その晩私と平本編集局長とともに赤坂の料亭八百善に招待しまして、六時ころから十一時半ころまで、私も飲み、彼も非常に酒が好きで大いに飲みました。そのときにちようど彼がこのくらいのふろしき包みを持っておったわけであります。そこで酔うにまかせていろいろな話から、実はこれは私は由比航空機部長から頼まれて天川の方から受け取り、あしたこれを由比航空機部長に渡すものである、こう申しましたから、ぜひそれを見せてもらえないか、こう言って、その料亭で見たのがこのくらいの量であります。その中にはそれに類するものが山ほどありました。そうして十一時半過ぎに、彼も非常にめいていいたしまして、こんな大事なものを、君、酔っているから、僕の車で送ってあげるから、あしたどうせ由比さんに渡すなら、僕の会社に朝早くとりに来たらいいじゃないか。彼も酔っていたせいか、これに同調いたしまして、私はそれを預かったわけであります。ところが、私もそういう関係からより以上に飲んでおりまして、同じぐでんぐでんの形でありましたが、その夜私はそれを全部開いて見たのですが、何分専門的なことでありまして、どれがほんとうに極秘で、どれがどうであるか、なかなかわからない。ところが、その中にある多くのものは大体秘とか極秘が主体をなしておる。それから利害企業産業から、特に三菱、新三菱から出た――これは新三菱なりに民間企業産業としては大事な書類だと彼は説明しておりましたが、そういうものも数多くありました。それから第一物産からその見積書が出ておりますが、第一物産だけでなく、そういうような見積書も数多くありました。それで、私はその晩徹夜で写真をとりまして、その写真にとったものは全部ではございません、中のほんの一部ですが、私はしろうとなりにこれはちょっと重要じゃないかと思うものをとった。今、委員長の手元に出したのがそのスクラップであります。そこで、そこに提出いたしましたいわゆる極秘文書の五六通のものだけを私はオミットいたしまして、これだけちょっとおれは調査研究したいからということで、その翌朝八時にもうすでに西野が私の会社へ来て待っておりましたが、これだけ一両日貸してほしいということで、彼の同意を得て預かりました。彼は、これから銀座あたりで由比航空機部長と会ってそのふろしき包みを渡すのだと言って、急ぎそれを持って帰りました。そしてその後、その極秘書類について再三催促がありましたが、私は、これは私の調査に必要であるから調査完了次第即時返却するという預かり証を西野に出しておりました。電報だけでも、会社へ来る、私宅へも来る、伊東の私の宅の方へも来る。また本人が伊東まで現われ、会社へ幾度も現われ、いろいろいたしましたが、ああいう約束で預かっているのだからもうしばらく置いておいてほしい。電報も数多く来ております。それで、とにかく吉村氏が出てからというものは雨が降るほどそういう催促がありましたが、それを右に受け流し、左に受け流し、今日まで温存しておったわけですが、皆さんに縦覧に供した以上、これで私の目的は達しましたから、明日なり明後日、委員長から御返却を受けて即時彼らに返す、こういうことにしたいと思っております。そういう関係で私の入手したものであります。
  118. 小川(豊)委員(小川豊明)

    ○小川(豊)委員 今お聞きしますと、これは天川氏の秘書か何かやっておられた西野という人が持っておられた文書を、あなたはそこから借り受けた、こういうことですね。
  119. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 そうであります。
  120. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 今提出されました極秘文書を見ますと、大蔵省主計局あるいは通産省その他いろいろな極秘文書が入っているようです。なかなか一般には入手ができないようなものが多いようでありますが、これを天川氏が持つに至ったというのは、一体個人的な関係なのか。あるいは国防会議あたりで天川氏に何かこういう機種選定についての資料なり調査なりを頼んだのか。その点、わかられませんか。
  121. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 吉村氏がこの間証言した中で、何かロッキードとグラマンの諸元比較表というものを天川氏に委嘱して十万円払ったという証言が出ておりますが、これは私の方のデータにもございます。ですから、そういう委嘱事項などもあったでありましょう。その中にも海幕か何かに頼まれた何かの調査の委嘱書もございますから、そういう関係もございましょう。しかし、とにもかくにも小トラック一ぱいそういう極秘文書が流れていったという事実は、ただ単にそういう調査に必要なためにのみ渡されていたのかどうかというところに、私はすばらしい疑問を持っております。なぜならばあまりに極秘書類の量が多いし、また私のしろうと考えでは、各官庁というものはそれぞれ機密でありましょうが、特に防衛庁というような存在における極秘文書は、特に防衛上、国家を守るためでありますから、民間人の手に易々として非常な大量のものが渡るということに対しては、私は今だに解せないなぞだと心得ております。
  122. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 この天川氏に対する国防会議の委嘱何か辞令みたいなものが出ているということを吉村氏が証言しているのですが、これはごらんにならなかったですか。
  123. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 これは私が見ておりませんが、そういう話は聞きました。だけれども、私は見ておりません。
  124. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 その委嘱はだれの名前で委嘱されたのか、お聞きになりませんでしたか。国防会議議長名前であったのか、あるいは廣岡事務局長の名前であったのか、その点はお聞きになりませんでしたか。
  125. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 私もそれを取り調べたいために、いろいろ宮田に尋問をして聞いてみたのですが、さっきも申しました通り、ある限界から彼は姿を隠しましたために、議長であったかどうであったかということは、ついに聞かずして終っております。従って今の御質問に対して、どうであったかということについてのお答えが、私自身としてはできない状態であります。
  126. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 それから、その委嘱書に暴いたものじゃなくて、別な理由でこのたくさんの極秘文書が天川氏の手に渡ったであろうというあなたの推測がございますが、これは一体その他の事情というのは、グラマン機の選定に対して天川が暗躍したという意味ですか。その点をはっきりお聞きしたい。
  127. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 私の知る限りでは、グラマン機の選定それ以前にも、彼はいろいろな機種選定などについて、国防会議というのか防衛庁というのか、いろいろ数多い連絡をとっておりました。従ってまたロッキード云々の場合においても彼は活躍をしておりますし、その前のときも活躍しております。現に彼の二号さん以外の愛人がありまして、これはエスカイヤの女給さんでありますが、彼が、これは永盛調査団が行ったその年の暮れでありますけれども、おれもアメリカに行ったらお前も連れていってやるということを彼女に言った。そういうことを言っていたことからも事実であろうと推定できますし、それが現在――去年でありますか、不仲になりまして、家庭裁判所へ持ち出されて調停されていた事実もございます。そういう関係もありまして、だいぶん従前からこの国防会議とか防衛庁、それに関連する官庁との連絡というものは、天川は非常に足しげくありました。いろいろな書類が従前から彼に渡っているという事例も多数ございます。
  128. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 この点は非常に重大なんですが、国防会議が彼に委嘱した場合に出した委嘱書というのは本物だったでしょうか、あるいはにせものだったでしょうか。これは何かお調べになりませんでしたか。
  129. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 それは委嘱書というものを私は見ておりませんし、それから宮田からもどういうものであったかを聞くべきときに、彼は姿を隠して聞けなかったのであります。第一、そこまでの線さえわかっておらないのでありますから、それが偽造であるか、実際のものであるかということは私はわかりませんが、少くとも官吏である吉村証人云々と言っている以上、その委嘱された事実がほんとうである限りは、もし委嘱言があるとするならばその委嘱書も本物であろうと想像しております。
  130. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 この際一つ委員長においてお取り計らい願いたいと思うのでありますが、非常に重要な問題でございますから、十万円の調査費などを渡したという吉村証人証言もございますし、吉村証人証言の確実性を調べる上においても必要でございますので、国防会議に対して二十一年度から三十三年度に至る講演の謝礼、それから調査委託費等々の調べを速急に提出するようにお取り計らい願いたい。同時にその嘱託をした人の辞令、その写し等も至急提出するようにお取り計らいを願いたいと思います。一応要求だけしておきます。  それから、さっきいろいろお話があった中に、防衛庁の再軍備中心人物となるような人々天川とが非常に結びつきが強いというようなお話があったように思いますが、今防衛庁の再軍備中心人物となる人というと、だれをさすのですか。具体的に名前を言って下さい。
  131. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 それは、私は今年は調査をしておりませんが、この宴会メモと称するもの、並びに天川氏の連絡等についてのデータがございますから、これを委員長に提出いたします。それで大体の見当をつけていただけば、その当時における問題はそれに集約して大体判断していただけると思います。
  132. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 これは今提出された文書の中には入っておりませんか。そこにお持ちでしたら、すぐにお出しを願いたいと思います。
  133. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 これは委員長の、手元にお出しいたします。     〔森脇参考人書類を提出〕
  134. 小川(豊)委員(小川豊明)

    ○小川(豊)委員 さっきあなたはいろいろな証拠書類が小型トラック一ぱいくらいあって、それが時代劇もどきで奪い合いされた、こういうことを午前中言われたのですが、その時代劇もどきで奪い合いされたというのは相当重要な証拠書類だ、こういうふうに考えられる。そこで、その奪い合ったということは一人じゃないわけです。一方はあなたであったかどうであったかわかりませんが、それを奪って持っていこうとした人はどういう立場の人ですか。
  135. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 それはやはり大きく申しますと利害企業産業から天川に渡されたデータ、従ってこれは由比などを中心としてそういうものを早く自分に返してほしい。もしや決算委員会等へそういうものが出たら事めんどうだという者。一方国防会議吉村参事官その他等々から出ておるところの、そうした極秘あるいは秘匿文書、こういうものを早く返せといったのは、そういうことに関連する官僚の人たちであります。そうして午前中も申しました通り、これが決算委員会に取り上げられてから、ある部分は天川と宮田で焼却した。しかし焼却した部分については、宮田は大体その銘柄を覚えておる。それから特に重要なものはいまだ天川がどこかへ秘匿しておるでしょうが、このくらいなものを二包み、三包みどこかへ保存してある、こう言っております。
  136. 小川(豊)委員(小川豊明)

    ○小川(豊)委員 そうすると、その重要な書類と思われる証拠の書類を小型トラックで一ぱいどこかへ持っていってしまったのですが、どこかへ持っていってしまう場合に、これがいわゆる時代劇もどきで奪い合いされたというが、それを持っていこうとし、また渡すまいとしたのが時代劇もどきになったと思う。そうすると、持っていこうとしたのは天川さん、あるいは吉村、これらの方々がこれを持っていこうとしたわけですか。
  137. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 つまりは、天川の手にあるそういった多くの書類、そういうものを取り上げようとしたのが今のような利害企業産業の面々の人、官吏の人、そういうことになりまして、返されたものもあるわけです。そうしてまた返されないで天川の手にあり、また宮田の手に保存されているというものもあり、焼き捨てられたものもある、この三つになります。
  138. 小川(豊)委員(小川豊明)

    ○小川(豊)委員 重要だと思うのですが、それは天川吉村等の諸君が持っている書類を、決算委員会で問題になっているから、その書類は奪還しなければならないということで、新三菱その他がその書類を奪還するようにかかったというのがあなたの言われた時代劇もどきのことである、こういうことに解釈していいわけですか。
  139. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 今、天川吉村氏が持っておる書類ということでありますが、そういう意味でなく、そういういろいろな角度から天川の手に集められたさまざまの書類という意味でありまして、そういうものを自分たちが、たとえば官吏の人が渡しておればその渡したものを、利害企業産業が渡したものがあればそういうものを、自分たちの手に返しておけば何事も証拠がなくなるからということで、時代劇もどきのことがあったんだ。そうしてあるものは返され、また返されないものもあり、焼き捨てられたものもある、こういうことです。
  140. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 それからもう一点お聞きしたいのは、あなたのメモの中にあるいろいろな料理店その他の勘定を払った項目の上に、三とか新三とかいう字が書いてありますが、これは何を意味するものですか。
  141. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 それは私の方で調査いたしました範囲でわかったことで、新三と書いてあるのは新三菱が負担した。それから三と書いてあるのは三菱電機であるとか、三洋電機であるとか等々であります。要するにわかったものだけを上へしるしをした、こういうことであります。
  142. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 今のお答えの中で、新三というのは新三菱あるいは三洋電機というのですが、ただ新三と書いただけで区別がつきますか。
  143. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 いや、新三と三です。
  144. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 三の方が洋、新三は新三菱。これはあなたの方でお調べになったので、宮田あるいはもう一人の西野秘書とは関係なしに確実性の立証はできますね。
  145. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 それは私の方で調べました結果、さっきも申しましたように、そのメモを宮田に見せたところ、一部違ったところもあるけれども、ほとんど大部分が合っているという宮田の証言もございまして、私の方の調査と、宮田のそうした認識とにおいて私は間違いないものだ、こう思っております。
  146. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 この三という字は三菱も入っておりますか、三洋電機だけですか。新三菱以外に三菱というような名前があるように思われますが、これは入っておりますか。
  147. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 それは主として、新三は新三菱であり、三というのは三洋電機であったように、今記憶しております。
  148. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 この支払いは全部天川が持ち、新三菱あるいは三洋電機に対して支払いをさせるのも天川の指図によって支払ったと聞いておりますが、この点、間違いありませんか。
  149. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 その支払いのテクニックでございますが、たとえばA、B、Cという料亭があります。天川宴会をしたものがAという料亭であって、それが二十万あったといたしましょう。そうすると、月末にその料亭から大川の事務所に連絡して、金額はこれだけになりますが、どういうような扱いにいたしますかと連絡するわけです。そうすると、天川の方で、今月分は新三菱にしてほしい、あるいはどこそこにしてくれ、こういう指図があって、請求書をそれぞれの料亭から天川事務所に持っていきますが、請求書のあて名は指図された新三菱、あるいはA、B、C、Dの会社、こうなるわけです。そして数日後、天川の方からその料亭に電話があり、金ができたからとりに来い、受け取りは新三菱の場合は新三菱として持っていって金を受け取る、こういうことになります。そこでこの決算委員会で問題があったときに、宮田の話によれば、天川一派においてそういうものを早く抹殺しなければならぬというもみ消しの運動が展開された。こういう結果になります。そういうテクニックで払われているということが間違いないということは、幾松という料亭がございます。その幾松という料亭は、そこのおかみさんは私が学生時代から知っておりまして、昨年の暮れ、なくなりました。そのおかみから直接聞き、そこの娘さんからもそういう工合に聞いておりました。それはまだこういうグラマン問題が起きない先でありましたから、いとも容易に私に話しただろうと思います。従って他の料亭も、私は調べてはおりませんが、そういうテクニックによって処理されておるものと想像しております。
  150. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 あなたのさっきの関係のある重要人物名前を見ますると、なるほど現職の防衛庁の幕僚人がだいぶ入っているようです。私、あなたのこの書類でちょっと納得ができないのは、政界人との交流が案外少ない。グラマンの問題でいろいろなうわさがありまして、政界人との接触も天川相当あったように思われますが、その点についてのお調べはございませんか。
  151. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 それは私の調査からは、比較的に、たとえば首相とか大臣とかいうような人への連絡は少なかったように思います。これは私の方の調査が粗漏であったかは存じませんが、天川のうちへ訪れた多くの人、また天川が訪れた官庁のお役人、また天川がそれぞれ電話した回数、そしてまた官庁あるいは利害企業産業から電話があった事実、そういうものから見ますと、大体国防関係における中堅官僚というような姿が多い。これは戦時中に佐官級の者がほとんど軍の中枢の決定をしておった事実とよく似ておると思うのです。従って私は、私の調査データにないことが真実で、上の方は何も天川がやらなくたって、中堅官僚でできたのではなかろうかと想像しております。
  152. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 天川がやらなくてもできたというのは、グラマン機の機種選定についてですか。何ができたというのですか。
  153. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 それは私は想像的に申したことでありまして、その上の方に対してはそれぞれ、国防会議であれば事務局長もあれば、それからまた防衛庁であれば部長もあれば課長もある。こういうことになりますから、そういうように何も天川が直接大きな首相、大臣にまで連絡をとらなくても、そこらにおいてがっちり握れば、自然的に波動してそういう方面を説得することは容易じゃないか、そういうふうに想像しているにすぎないのであります。
  154. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 これは中堅官僚を抑えるということは利口なやり方かもしれませんけれども、この中堅官僚も、あってはならないことですが、それぞれ政治家の糸を引いていると思うのです。特にグラマンとかロッキード、ノース・アメリカン等についてうわさされているところを聞きますと、大物が結びついていることは、これは俊敏なる森脇氏、すでにおわかりだろうと思うのです。大川氏が主として結びついておった中堅官僚というのは、大臣のどの辺までですか。たとえば川島氏であるとか、首相であるとか、特にグラマンなどを支持している関係上川島氏などが関係が深いと思いますが、その点でお調べになったことがありますか。
  155. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 それは私の友人が川島幹事長から聞いた言葉として私は聞いておりますが、津島防衛庁長官が機種内定の前にお百度通いをした。そして川島氏に、ぜひグラマン防衛庁の方はやりたい、だからそれに同意してほしいということで再三津島防衛庁長官が幹事長のところへ行ったということを幹事長が言っているようなわけですから、政党でいわば幹事長にそういう話をするということになれば、自然すべての政治家の方に波を打つのではなかろうかというように私は思っております。
  156. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 あなたの午前中からのお話を聞いておりますと、天川が背後に三洋電機、新三菱等の軍需工場の関係を控えて、その天川を通じて中堅官僚と結び、そして何らかグラマンで動いたといたしますと、防衛庁決定を大川が大体支配したのじゃないかということに考えられますが、一体防衛庁に対して天川グラマン機決定の線を出させるような実力があったかどうか。あなたのお調べではどうですか。
  157. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 午前中私がちょっとここで沈みましたように、天川勇という人物相当国防関係官庁に対して非常な潜勢力を持っておった。従って天川参りをしない者は重要なポストにつけないと言われたくらいである。エリコン誘導弾等々、いろいろな兵器の問題なども天川のアシスタントがあり、あるいは国防の予算査定、執行等々にも天川影響力があり、あらゆる方向から私の調査データに現われるものは、彼は相当影響力を国防の上に与えておりますので、相当影響力があった。従ってグラマンの上にもあったであろう、こういうふうに私は思っておる。
  158. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 防衛庁長官は天川という人間を知らぬと言っているのです。これは津島さんのあとの防衛庁長官。そうしますと今の防衛庁内部の機構というものは、大体長官を全然浮かしておいて中堅官僚で決定するというようになっているようにお考えですか。
  159. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 防衛庁長官といえども文官でありますから、専門的なことはわれわれ同様わかるものじゃありません。従って、部下の者からこれがいい、あれがいいと、いろいろうそにもせよ、ほんとにもせよ、データ等によって説明されれば、うんそうか、とうなずくのが私は防衛庁長官等の立場ではなかろうか。これが専門家であって、いやお前はそう言うけれども、それはいかぬと批判をする能力はないのであるから、従って私は中堅どころ、いわゆる技術者あるいはその査定者等等の中堅どころできまったものにうなずくにすぎないのじゃないか、というように私は受け取れるのです。
  160. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 防衛庁の旧武官関係の人がこういう機種選定等の専門的な知識を大体握っていることはわかっているのです。ただ確かめたいのは、そこへ大川が影響を及ぼしまして、防衛庁長官の津島さんがその気になった、これだけではちょっときまらないわけです。やはり国防会議決定しなければこれはきまらぬと思う。そのときにグラマン社が選んだ政治関係の大臣というのは川島正次郎氏だというように聞いておりますが、この川島氏がグラマン機決定に際していろいろ動いたといううわさの陰に何かあったかどうか。これを一つあなたにお述べ願いたい。
  161. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 私はけさも証言いたしましたように、このデータは官僚腐敗の姿を展望するということから始め、この委員会グラマン機というものを取り上げられてから初めて、ここだと思ったのでありまして、従って、そういうような川島氏がどうであった、あるいはだれが、首相がどうであったというようなことについては、いろいろなうわさとしては聞いておりますけれども、かくのごとき明瞭なデータによって説明ができませんので、私はそれらについてここで証言しても信憑性がございません。従って、あえて言いたくはありません。
  162. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 あなたの言葉がたまたま信憑性に触れましたので、これは吉村証言と密接つな関係があるので、一つあなたにじっくりお答えいただきたいことがあるのです。箇条書きにあげます。吉村証人は二月十三日の当委員会におきまして、あなたのメモに基いて私が質問したのに対して、こう答えている。これは最も新しい彼の証言ですから、あなたのメモと吉村証言との食い違いがはっきりすると思うのですが、私が最初彼に対して――ちょっと待って下さい。あなた、さっきだいぶあなたのメモを吉村氏が認めたように言っておったようですが、だいぶ違うのです。「三十二年の八月二十二日永盛調査団が渡米した場合に、由比、天川、古村の席で、幾松、エスカイヤ、紅馬車等々で相当な金を使っておりますが、この事実は認めますか。認める、認めないでよろしい。あとはまた考えがあります。はっきり御答弁を願いたい。」そういう私の質問に対して、吉村証人は「そういう事実はございません。」とはっきり答えている。この一句はどうです。
  163. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 今この御質問は、永盛調査団が三十二年の八月かに行くその前後の会合のことについてでありますね。
  164. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 そうです。八月二十二日です。
  165. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 それは、その私のメモに書いてあることについて、吉村氏はそういうことは全然ない、こういう意味ですか。証言は、わからないという意味ですか、全然ないという意味ですか。
  166. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 この会議録は、これは吉村証人の身分にも関するのですから慎重にお扱い願いたいと思いますが、「そういう事実はございません。」と答えております。
  167. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 つまりそういう宴会の事実はない、これは絶対うそです。それを一つ証明いたしましょう。私は幾松について聞いた一席をお話しすればそれが自然にわかると想います。幾松のおかみさんが生きているときに私もよく幾松に行きました。幾松のおかみさんに聞いた話を、今ここではっきり申し上げる。由比さんと吉村氏等々がお宅に何度も来ていると私は思うが、どうかということについて、いや、三十二年の秋の初めごろまでは来た、秋の初めごろまでに吉村氏が一回来たことだけは絶対に今も覚えている、その以前にもたびたびおいでになった、こういうことを言っている。そうして私が吉村名前は言いましたが、由比さんという名前はあまり言わないうちに、おばあさんから由比という名前が出ました。そのおばあさんが由比さんの名前などを覚え、点村民の名前などを容易に覚えている。従ってそこの娘さん、女中さんもよく覚えているということでございましたから、そういうことがないなどとは言えないと思います。そのおばあさんや娘さんや女中さんがうそを言わない限り……。
  168. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 あなたの今のお話は、今後あるいは吉村氏との話の食い違いで証人として立証していただかなければならぬこともあるかもしてませんが、絶対に変らないでしょうな。これは念のために言っておきます。あなたのメモは非常に大きい影響を与えている。もしこれをいいかげんにやられたのでは、多くの人の身分にも関係することでありますから、重ねて確かめておいて、質問したいと思う。あなたはいつでも証言できる態勢にありますか。
  169. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 重ねての御質問でありますが、私は絶対確信を持っておりますから、いつでもお答えできるし、証明ができる。なおそれ以外に宮田というものが、何年間かにわたって日記をつけておる。その日記を私は見まして、それを写真にとってある。これがその全文です。     〔森脇参考人書類を提出〕
  170. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 私、質問を進めますが、「次に、九月十七日に、あなたは天川氏と一緒に大乃でやはり飲んでおりますが、これはどうです。工という私の質問に対して吉村証人は、「日にちの点はこれは、はっきりいたしませんが、大乃では大川氏とだいぶ飲みましたから、その日に飲んだかどうかはわかりませんが、まあ、どう申したらいいのですか……。」と言って濁していますが、これは大体肯定したと思っております。それから、田中委員長からその際「はっきり言いなさい。」と言われまして、吉村証人は、「その日付の日に飲んだかどうかはわかりませんが、大乃ではしばしば飲んでおります。」こう言っております。それから私の質問で、「これはあなたに一つ記憶を呼び起していただきたいのは、九月というのは永盛調査団が帰ったときなんです。十七日です。そのときにあなたは幾松でもこれはやはり飲んでいるらしいのですが、そのときには、吉村さんとそれから船後というのですか、大蔵省の主計官と、森本という防衛庁関係の人と、益田という三洋電機の人と、川中という大蔵省の主計局の主査、これはさっきあなたが言われたあなたの後任として入っておるという人と違うのですかな、まあこの人たちと、どうも行ったような調査がきているのですが、これはどうですか。」これはあなたのメモに基いて質問した。吉村証人、は、「先ほど申されましたメンバーで飲んだかどうか覚えておりませんし、それから三洋電機の人名前を言われましたが、三洋電機の方とは直接飲んだことは今までないのでございまして、従ってそういう人が出ておったとすれば、おそらくそれは間違いじゃなかろうかと思います。」と三洋電機の関係をはっきり否定している。これは、あなたのメモによりますとずいぶん三洋電機の名前が出てくるのですが、これはどう思われますか。
  171. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 幾松というのは三洋電機のかかえ料亭でありまして、そこで再三再四の会合があります。従って、今の御質問のことも私は絶対あったと思っております。私の調査から私はそう確信しております。そうしてなおかつ、私が宮田を最初にとっつかまえましてから、自動車に乗ってあの赤坂村を夕景に通ったことがございますが、彼は自動車の中に頭を伏せて頭を上げませんから、君どうしたのだと申しましたら、いや、この辺は私はもうあっちこっち天川さんや吉村さんと歩いたところで、私の顔はこの辺に売れてますから、それでこうやっておるのです、と私に答えた一席がございます。そういうことからも、私はそういうことがあるんだろうと思います。
  172. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 さらに、「十一月に入りまして、十一月の六日、同じく幾松で、あなたと、」いうのはこれは吉村を指すのですが、「あなたと、船後という大蔵省の主計官と、天川氏と三人で」、飲んだことがある、「これはどうです」。こういう質問に対して、「たびたび申しますが、どうも日付の点がはっきりいたしませんので、幾松も数回飲んだことがございますが、だからそのうちの一回だったかもしれませんけれども、はっきりしたことは覚えておりません。」と言っておる。私が重ねて「大蔵省の主計官の船後氏が行ったことは事実なんですね。」と聞くと、吉村証人は、「船後君がおったかどうか記憶にないのでございますが、幾松で私が飲んだことはその日その日に飲んだかどうかは別として、数回行ったことはございますから、その点でちょっと、はっきりしないのでございます。」と、こう船後氏のことを濁している。船後氏とは飲んだことがないといったようなことを言うのですが、一体船後という人は大蔵省主計管としてその当時どんな担当をしておられたのですか、おわかりですか。
  173. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 船後氏はどういう関係に置かれたかということは調べたはずですけれども、今ここでちょっと記憶を失っております。従って、どういう立場におられたかということは存じません。しかし今おっしゃった、その行かれた事実については間違いないと私は確認しております。
  174. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 それから、これもちょっと重要な点なんですが、吉村証人は由比氏との交渉を非常に隠します。ない、ないとしょっちゅう言うのです。これは山田委員からの質問に対しましても、初めは由比という人は知らぬと言っている。それからさらにこれを知っていると言っておいて、役所で知ったと言っておりますが、同じ日の私の質問で、「由比さんと、天川さんとはどうです、岡部さん以外は。」どうかと聞いた場合に、吉村証人は、「由比さんとは、午前中の証言でもたしか申し上げたと思いますが、大乃では飲んだ記憶はないのでございます。」と、こう言っております。非常に重要な人である由比さんは大乃で飲んだことがないといえば、あなたのメモの価値が半減するわけですが、これはやっぱり吉村氏がうそを言っているのですか。
  175. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 吉村氏がどう言っておるかということについては私はわかりませが、私は少くとも自分として調査した範疇では確信しております。それについて吉村氏も、第一回の証言では、由比とは確かにおっしゃる通りお役所では会ったけれども、料亭では会ったことはない、こう言っております。それから週刊朝日がその記事を出しますときに、天川氏にインタービューするために三日三夜さ通い続けて、ようやくとっつかまえたときに――これは週刊朝日の編集員二、三人行きました。小松以下の編集員から私は直接聞いたのですが、あなたは由比さんとどっか料亭で飲んだことがございますかという質問に対して、天川氏も料亭で飲んだことを否定しておったということを聞いております。そうすると、私はこういう決算委員会の動きが始まってから、そういうような打ち合せ事項があって否定しているのじゃなかろうか、そういう工合に推定しております。
  176. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 あと一、二点を聞きしたいのですが、「三十三年の一月に入って、あなたは四日に、やはり岡部防衛庁武器課員が出ております。それから笹尾という人と、大西、いずれも防衛庁の人です。それからその他にも由比さんあたりが出ているようですが、こういう事実はありますか。」という、これもやっぱりあなたのメモにあることなんです。吉村証人は、「どうもそういう記憶はないのでございますが……。」という。私が重ねて、「一月の十八日に、エスカイヤと紅馬車で、由比さんと、岩瀬という三洋電機の人と、天川さんと、これまた酒席を持っておりますが、これはどうです。」吉村証人は「どうも、そういう記憶がないように思います。」と答えているわけです。これは今のあなたの御説明で、大体あなたの方の調べが確実で、吉村氏が偽証をしているのだと、こういうふうにあなたの言うところではとらざるを得ないと思うのですが、そういうことについて、責任を持って確実だと言われますか。
  177. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 私は自分の関係において調査したことでありますから、ある確信のもとにそれを聞いておりますが、午前中も申しました通り、神でないから多少のそごがある場合もありましょうが、私としては絶対だと、こういうのです。と同時に、皆様でそうした料亭について帳簿なり何なり引き揚げて、あるいは証言させるならば、明らかになると思います。しかしもみ消しをやっておるから、どういうことが出るかわかりませんけれども……。
  178. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 あなたはしばしば神様でないということを言われますが、神様でないことは知っております。ただ非常に重要な一点で、一月十八日の――これは三十三年ですから、比較的新しいのです。去年の一月十八日です。「エスカイヤと紅馬車で、由比さんと、岩瀬という三洋電気の人と天川さんと、」これははっきり「そういう記憶がないように思います。」という否定をしているし、「二十日に、やっぱり由比さんと、大川氏の秘書の宮川さんと、大乃、紅馬車で飲んでいるようでですが、これはどうです。」と、あなたがたびたび名前を出されました天川氏の秘書の宮田氏の名前を出して言ったときに、「そのころ飲んだという記憶はございません。」と明確に否定している。あなたのさっきのお話で、証拠隠滅にかかったというのですが、あなたの調査は、これはやはり信憑性のあるメモとお考えですか。その点を重ねてお聞きしておきたい。これは人の身分に関することですから、確かめておかなければ困ります。
  179. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 さっきも再々申しました通り、私が調査した関係のものでありますから、私自身においては確信を持っております。しかし、これが寸秒いささかも違いのないものであるかどうかという厳粛な意味において尋ねられるということになりますと、やはり神様でない、人がやったことであるから多少のそごがある場合もなきにしもあらすという条件づきになります。
  180. 西村(力)委員(西村力弥)

    西村(力)委員 関連して。このメモなるものを拝見いたしますと、機種選定に相当重要な役割をしたのであろうと思われる廣岡国防会議事務局長、それから防衛庁の岡部武器課員、この二人が由比氏とその他天川氏などを加えて会食しているところがあるのです。機種選定の決定権の力関係からいうと吉村氏よりはこっちの方が非常に大事だ、こう私たちは思うのですが、この会食、たとえば三十二年九月十七日に幾松というところにおいて、これは吉村ですが、そのあとエスカイヤにおいて岡部と伊東という三菱電機の特需課長と会っている。それからその年の十一月十七日には紅馬車で、廣岡事務局長、吉村、由比、天川、これが会食をしておる。こういうような工合に岡部、瞬間が業者と会食をしたところがある。その点は、先ほども申しましたように機種決定の権限の度合いからいって、吉村以上にこの会食は重要だと思うのです。ですから、これらのメモのその部分の信憑性について確言を願いたい、こう思うのです。いかがでございますか。
  181. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 再三申すようでありますが、自分で調査した範囲だから自分は確信しておる、こう言わざるを得ないのであります。なおかつ廣岡事務局長は、かつて機種の内定後、ある人が進言することから河野氏が呼んで聞いた。それから川島氏が門叶官房長ですか、呼んで聞いた。そのときの彼らの説明が、やはりロッキードというものについてよく説明これ努めておるという関係がございますから、どうしてもそういうようなニュアンスは出てくると私は想像いたします。
  182. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 実は私がこれをくどくお聞きするのは、さっきあなたは、吉村氏がもう、部分的にはこのメモを否定しているが、大体において承認したようだといったような認識を持っておられるようですが、ほとんど否定しているのです。「二十日に、やっぱり由比さんと、天川氏の秘書の宮田さんと、大乃、紅馬車で飲んでいるようですが、これはどうです。」「そのころ飲んだという記憶はございません。」「一月の二十二日に、古河という通産省の課長と、それから由比さんと、天川さん、ほかに二、三人でエスカイヤで飲んでおりますが、これはどうです。」「やはりそういう記憶がございません。」」二十三日に、大乃とエスカイヤで、由比さんほか三菱の中川営業部長と、天川氏と飲んでおりますが、これはどうです。」「そういうことはなかったように思います。」「二月の十四日に――佐薙氏ら一行が帰ってきたのが十五日ですから、これは思い出してもらいたいのですが、大乃、エスカイヤで、赤沢通産省航空機武器課長と由比、天川等とあなたがやはり飲んでおりますが、これはどうです。」「飲んだ記憶はございません。」「十八日、二十五日、二十七日、これはやはり天川氏や船後大蔵省主計官、田中大蔵省主計局主査らと飲んでおるようですが、これはどうです。」「そういう記憶はちょっとないのでございますが……。」これではあなたのメモもさんざんですよ。われわれは少くともあなたに対して参考人としての尊敬を持って聞いておるのですが、片っ端から否定されたようであっては、あなたのメモがでたらめなものか、吉村氏が偽証をやっているのか、やはり決算委員会権威にかけて私は確かめなければならないと思う。あなたはそのたびに、私が調べたから正確だと思うが、神様でないから、こちらが間違っておるかもしれぬという態度をとられては、われわれは追及のしょうがないのです。こういうふうなあなたの認識と逆に、最近の二月十三日の決算委員会で、これくらい明確に吉村氏があなたのメモを否定しておりますが、何かこれに対する反論はございませんか。
  183. 田中委員長(田中彰治)

    田中委員長 淡谷委員、森協氏は、私の調べたことには間違いがないと言っておるんだ。神様ではないから時間とか、そういうようなことは多少の違いがあるかもしれないということは、これはだれでも言うことでしょう。しかし、自分の調べたことには間違いがないと言っておりますから、それでいいではないですか。
  184. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 これは当委員会としても、これくらい大がかりでグラマンを調べ上げまして、全く無責任にこんな追及をしたとなっては、権威にかかわる。これは委員長自体の権威にもかかわる。委員長から仲裁論を出してもらってもいいが、森脇氏から、自分の調査の確実性を信ずるが、これがもし違っておったら責任をとるくらいの強い気持を聞かしてもらわなければ追及のしょうがないではないですか。苦しくなれば、神様ではないからこれは間違いないとは言えないと逃げられたのでは処置がない。これはやはり人間の身分に関する追及ですから、あなた自体も間違ったら腹を切るくらいの覚悟でちゃんとしてくれなければ、あなたのメモなんか取り上げるわけにはいかないのです。どうですか。
  185. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 私は何もちっとも苦しくはありません。苦しいなんて夢にも考えておりません。(「質問だけに答弁すればいいんだ」と呼ぶ者あり)ただ、私は言いたいから言うのです。苦しいなんて言われるから、そうではないということを言うのです。(「質問の意味に対して答弁しろ」と呼ぶ者あり)質問だから答弁しておるじゃないですか。苦しいということを言われますから、私は苦しくないということを前提にして話さなければならないのでありますから……。
  186. 田中委員長(田中彰治)

    田中委員長 参考人信憑性を聞いておるのですから……。
  187. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 私はさっきも申しておりました通り、その日にその場所で会合があったことは絶対に間違いないということである。そこに会合した面々も、私が調査した範囲においては絶対に間違いない。ただし神ではない、人間のやったことであるから、五人という者の名前が出たときに、あるいは一人の名前が違っておった、あるいはどうだというような微小部分についての変化はあるかもしれぬ。しかしそういうことまで厳密に絶対に一分一厘違いがないかという御質問になれば、神様でないからそういうことは言えないという程度にお話ししておるわけでありまして、おれはメモはこしらえたが、いざとなればおれはこんなものは知らないということを言っておるわけではない。ただ、そこに集まった人たちが五人あったとした場合に、私の方の調査疎漏で三人まではほんとうだった、あるいは一人が違った、あるいは行っておったけれども名前違いであったとか、これは私が直接手を下した場合もあるし下してない場合もありますから、そういう範疇において私は責任を持てない、こういうような意味を言っているだけのことでありまして、そんな全体に対してどうだこうだなんていうことは、一つも言っておらないのであります。
  188. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 最後に一言言っておきたいのは、さっきあなたは、天川氏が防衛庁の人事に関して非常な力を持っておって、彼の犠牲になった人が数百人あったというようなことを言っておったが、天川氏の犠牲になってやめたおもな人はどんな人ですか、具体的に名前を言って御説明願いたいと思います。
  189. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 私は天川氏に関連する人が相当の数あるということは申しましたが、数百人犠牲になった者があるとは、私は言っていないはずであります。こういうことが連続をしておったならば、いずれかの日に、やがての将来、その人たちの身分の上にもいろいろなことが及ぶじゃなかろうかという意味の証言をしたわけです。
  190. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 現在まで天川氏のいろいろな口ぞえで、防衛庁内部の人事がいろいろに変った例はございますか。これは犠牲というほどの強い意味じゃなくとも、人事関係に口出しをしておったという事実はございますか。
  191. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 私が申し上げたことは、人事関係に限ってというような消極的な意味で私は申し上げたのでなく、天川防衛関係についての各官庁にあらゆる影響力を持っておるということで証書したはずでありまして、人事関係云々というようなことも、そう言えばその一部にもなるでありましょうが、私はそういうことに局限して申し上げていないのであります。従って、天川自体の影響方によってだれが首になった、だれがどうなったということは、調査しておらないから、ここで証言することはできません。
  192. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 私の森脇氏に対する質問はこれで終りますが、きょうの質疑を通じて非常に大きく感じますのは、この問題の調査はまだ発端であって、真相に触れていないという点であります。これは森脇氏のメモも、宮田それから西野という二人の秘書から聞き出したいろいろな意見であって、肝心かなめの秘密を握っております宮田氏が出ていない、あるいは西野氏も一ぺんも呼ばれていない、また問題の焦点になっている天川氏などもまだ出てきていない。このままで投げておいたのでは、決算委員会自体がグラマン問題のもみ消しに動いたかのごとく誤解されるおそれが非常にありますから、この際私は、まず西野氏とそれから宮田氏両人を証人として当委員会にお呼び下さるように、委員長にお計らい願いたいと思います。
  193. 田中委員長(田中彰治)

    田中委員長 いずれよく考えまして、次の理事会に……。
  194. 山田(長)委員(山田長司)

    山田(長)委員 今のに関連して。神近委員質問される前にちょっと関連して伺いますが、数十回にわたる饗宴、供応、これが利害関係企業産業からどうもごちそうになっておるということがはっきりしている。何かこれらの内容について御存じの点が、調査の範囲に出ているかどうか。たとえば支払いの方法等ですね。
  195. 田中委員長(田中彰治)

    田中委員長 さっき述べたでしょう――森脇参考人
  196. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 その点は、さっきどなたか御質問がありまして、詳細に述べたんです。こうこういうようなときに、ここにおいて利害企業産業から払われているんだということをよく述べましたから、速記に出ると思います。
  197. 山田(長)委員(山田長司)

    山田(長)委員 証人として前に呼んだ吉村真一氏の財産等をお調べになったことが、調査の範囲にありますか。
  198. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 別に吉村氏の財産内容をことこまかに調査したわけではございません。しかし吉村氏が現在下落合におります住宅については、ある程度の取調べをいたしております。昭和二十九年の三月二十五日に、あそこの現在の家のある百五坪というものが初めて彼の名義になっております。その辺は近所で調べますと、大体三万円から三万五千円前後と……。
  199. 田中委員長(田中彰治)

    田中委員長 それは坪ですか、一坪……。
  200. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 一坪。従って、大体三百五十万くらいになるのじゃないか。それから、ちょうど昨年の大体九月ごろに、約四、五十坪であろう新築の家がその上に建っております。そうして古い家と倉庫がそれにくっついております。中に入ってみませんが、外から見たところでは、相当りっぱな平屋建てでございますから、これだって数百万かかっておると思います。ところが、それがまだ未登記でございまして、どれだけの坪数があるなどということについては、はっきりはわかりませんけれども、大体目分量四、五十坪の新築でありますから、相当の金がかかっている。そうすれば、少くとも六、七百万というものは、二十九年から三十三年の秋ごろまでに使われているということが考えられます。
  201. 山田(長)委員(山田長司)

    山田(長)委員 調査の範囲に、自民党の大蔵委員長である早川崇君がずいぶん会合に出ているようですが、調べた範囲で早川君はどういう面で浮び出ているのか。(「それは会合じゃない」と呼ぶ者あり)会合に出ているよ。メモの範囲でですね。
  202. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 電話の連絡等々で、早川氏がいろいろ連絡はあることも事実でありますし、宴会に出ておったかどうか、私今ちょっと記憶がございませんが、どういうような関連で天川氏とそういうことがあったかということについては、私は調査しておりませんので、お答えすることができないのであります。
  203. 山田(長)委員(山田長司)

    山田(長)委員 前の宮田秘書が二度ほど雲隠れして、またあとで現われてきたということになっておりますが、この間の内容について何かお気づきの点がありましたならば……。
  204. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 初めの部分につきましては午前中に大体私がお話いたしました。従って、彼が雲隠れを二回目にいたしました後に集約してお話申しますと、私が検察庁上申するときまではわからなかった。それから捜査配置を続けていた。そうしたら、だいぶたって彼が現われた。それからまた宮田と私が会ったのが、たしか十二月ごろじゃなかったかと思いますが、どうして君は、私にいろいろな話をすると言って、私も将来についてあれだけの責任を持って約束をしたのに私に何も言わないのか、ということを質問しましたについては、いや実はそういう覚悟で帰ったんですが、引く手あまたの人があって、そういうことをしてはならぬ、ならぬと言われて、自分もどうしてもだめだった。だれがそういうことをするんだと聞きましたら、けさ私申しました何とかさん、あとでその名前を申し上げますが、けさ言ったのですけれども、吉村でなく、ちょっと今記憶が出ませんが、その参事官が中心になって……。
  205. 田中委員長(田中彰治)

    田中委員長 堀田ですか。
  206. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 堀田でしたかな、いろいろ言われて、それで自分は言えないのだ、また今後も言えないのだ、こういうことでありまして、どうしても彼の口からは何事もとることができなくなっちゃったわけです。だから、私の想像するところでは、一時私の方に寄り傾いていた。しかし彼が全部を私に話したら大へんなことになるとでも思い、堀田参事官を中心とする一派のグループが、彼に対して働きかけた。そうして彼が、たとえば、郷里が長崎の諌早でありまして、親子三人でそっちへ行ったとか、それからどっか雲隠れして一週間も十日もいなくなるということになると、どうしたって相当な滞在費だとか旅費だとかかかりますから、私の想定するところでは、そういうようなところに何かがあったんだろう、こういうふうに思うのであります。それから、その後彼と数回の交渉を続けて、何とか一切を話させようと思って努力したのでありますが、またあした来るというようなことがありまして、来ませんで、私の方でまた迎えに行ったところが、もうもぬけのからで、今度はもうそこには全然いなかった。どこへ移ったかわからなくなった。それからいろいろ調査した結果、本人をとっつかまえることができました。しかし答えは同じで、雪村で会ったときの約束はいまだ実行されなかった。そうして今日に及んでおる。それで、私の考えるところでは、その後ときどき宮田が私の方へも訪れてくることがありまして、どうも私は、宮田自身が私の方の動きに対して、堀田参事官一派から頼まれて、何か私の方の動きを観察しに来ておるんではないかというニュアンスをもって受け取っておりました。私は今年になりまして、吉村氏が証人に出て由比氏と料亭で会ったことがある、二度くらいあるという証言をする前々日であります。そういう私はニュアンスをとっておりましたから、宮田が来たときに、吉村氏は由比氏と料亭で会ったことはないといっておるが、あれはお前、絶対間違いないことだろうといって、私ははったりをかけたわけです。会ったときの写真までとってあるといってうそをついたのですが、写真などとっておりませんが、そこまで言って、これは君、吉村氏もほんとうのことを言わないと、決算委員会でうそを言ったら偽証罪に問われて大へんなことになるといって、相当はっぱをかけました。私は、私の方へ来て話したことをそういう工合にニュアンスをとっていたから、これはきっと向うへ行ってそう話を通ぜられるのじゃないかと思っておった。だから、今度吉村氏が出たら由比との料亭での会合を認めるんではないかと思っていたら、やはりそれを認めたといういきさつがあります。そういう関係から、私はそういうふうに考えておったのです。
  207. 山田(長)委員(山田長司)

    山田(長)委員 このメモに宮田という秘書がほとんど出ていないのですけれども、これは秘書なるがゆえに特別に落したものなのか、それともこの会合には全然出なかったものなんでしょうか。
  208. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 先ほど私がちょっ申としましたように、彼を連れて自動車で赤坂村を通り抜ける、ある日がございました。そのときに彼が窓から下に顔を隠して、うずくまった。どうしてだ、私はこの辺はずいぶん天川さんや吉村さんとあっちこっち行って、よく顔が売れているからあまり見られたくないのだ、と言っておりましたから、ずいぶん一緒に行っておる場面もありました。しかし宮田ふぜいのことをここであげる必要もありませんし、また実際上これについてあげるだけの調査を私の方で当時しておりませんでしたから、宮田は宮田なりにということで考えておりましたから、ここには書いてませんが、全部が全部ではありませんけれども、宮田がある場合ある場合にいっていたということは事実であります。
  209. 神近委員(神近市子)

    ○神近委員 朝からずいぶん、長い間お疲れのようですから、私はつまのつもりで二、三お尋ねしようと思います。  さっきからあなたは証言々々とおっしゃっていらっしゃるのですが、参考人でいらっしゃいます。ですから、気をゆるくしてお答えいただいていいのでございます。証言をお願いしようという案もございましたけれども、ともかくこのお話は非常に正確なようですからその、要求は出なかったと思います。  委員長にちょっとお断わりしておきますけれども、私がこれからいたします質問は全部これは公刊されたものからとりましたので、私の言うことが何か、かんにさわるようなことがあっても、全部公刊された事実から私はとりますから、そのおつもりで聞いていただきたいと思います。  きょうの御出頭をお願いいたしましたのは、大体においてこの森脇メモというものに発表された事実の信憑性があるかないか、そしてどういうところにあなたのこの調査の根拠があるか、こういうことを伺いたかったせいだと思います。そして今日一日、いろいろ伺って、大体あなたがどういう動機によってこの天川勇という人をとらえ、そしてこの人に関心をお持ちになった事実がはっきりとわかったと思います。私この点で、実は週刊新潮の昨年十一月号に出ておりましたのをちょっとお尋ねしようと思ったのですけれども、さっき、るるとこの動機について、一人の国民として今日の綱紀の弛緩と頽廃とが見ておられない、あるいは国防の秘密事項がどんどんと漏れておる、こういうことについてのあなたの義憤が動機になったということが想像されます。そして事実私どもも、この事実は非常に遺憾だと考えて、大体天川勇という人がどういう人であるか、内容がほぼつかめたような気がしますから、いずれは委員長の計らいを願って、この天川勇という人にいろいろ御質問することがあるだろうと思います。私は、この天川氏あるいは吉村氏の追及とちょっと線が離れますけれども、そういう点をお尋ねしたいのでございます。私は大体においてあなたが天川勇氏追及の調査をなさったということについて、国民の一人として非常にありがたい、正しい義憤でなさったということを信じます。さっきからいろいろと今澄氏の証言について御不満を漏らしておられましたけれども、私はそういうものもあり得ると思いますから、全面的にあなたの義憤というものを信用いたします。ただ、グラマン決定ということについては非常にいろいろな疑惑がまだ今でも残っておるのでございます。  これはもうずいぶんしばしば報道されましたけれども、アメリカの国防省は、初めはノース。アメリカン、ノースロップ、ロッキード、コンベア、それからダラーンというように推薦してきておるのです。このうちで最近のノース・アメリカン、ノースロップ、ロッキードが大きい会社でありまして、コンベアは、ただこれはGMを新しく開発しておるので有力な会社になっておる。グラマンだけが斜陽産業となっていた。こういうところなのです。それで運動を始めた時期を考えますと、一番おくれて日本にも来ております。ですから、新聞記者だとか、業界の人だとか、あるいは政治家たちの間では、一番おくれてきて、そしてこの運動を開始して獲得するまでには、内定というところまでこぎつけるまでには、ほかの大会社の、前のノース・アメリカンとかノースロップとかロッキード――資本はグラマンが非常に小さいのです。それで相当たくさんの金を使ったろうということが想像されていて、これは日本週報だったと思いますけれども、大体千億のうちの三分、三十億くらいがこの運費動に使われている。こういうことを書いてある。私はあなたに、だから気を楽にして、あなたは天川勇氏の調査を始められて、そしてグラマンのこの機種決定の問題に突き当っていられた以上、いろいろな方面からニュースをお聞きになったろうし、また公刊されたものをお読みになっておるはずだと思います。この千億のうちの三分、三十億というのが常識だというようなこと、こういうことについて、あり得たであろうか、あるいは絶対にあり得ないことなのかという、どっちをお考えになるか。それをちょっと聞かせていただきたい。
  210. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 それは私も情報としていろいろ聞いておりますし、週刊誌等が雑多に書き並べております。でありますが、私の方で厳密な調査をしておりませんので、そうもあろうか、そうもなかろうかということについては、私はどうともこうとも言えませんが、聞いておる範囲においては相当の金が動いたというさようなことは、どうも想像されそうなことではなかろうかというふうに、ただ私として考えるだけのことであります。
  211. 神近委員(神近市子)

    ○神近委員 このグラマンの機種決定の前後にニューヨーク、で非常に大きな株の変動があったということを御存じのはずでございます。これは、今、参考人に御意見を聞いた問題ですけれど、私はここに何かかぎがあるように思うのです。たとえばグラマン社が斜陽産業として株がひどく落ちていたが、昨年の四月十二日の内定のあとで暴騰したという事実がある。この国会で問題が起ったあと株の変動があったはずだと思うのです。  一つ私は委員長にお願いしたいのですが、この株の変動ですね、内定以前の株価、それから内定後の暴騰した株価、それから現在の株価、これの調査を通産省に依頼していただきたい。大体のことはちょっと調査したことがありますが、正確なことがわかりませんから、それをわずらわしたいと思います。
  212. 田中委員長(田中彰治)

    田中委員長 かしこまりました。
  213. 神近委員(神近市子)

    ○神近委員 それからもう一つ、これも楽な気持で、あり得るかあるいはあり得ないか、聞いたことがあるというような程度でよろしゅうございますから、あなたに私は伺いたいことがあります。昨年の九月九日の決算委員会で、この会式場でございましたけれど、川島氏あるいは河野氏が証人として御出席になっていろいろと質問があったのでございます。ところが児玉誉士夫氏が、この内容を聞きまして大へん怒って、そして録音テープをわしが持って決算委員会に出てくるということがあったということなんです。これもやはり読んだものですから、私が直接児玉氏から聞いたわけではないのです。そうすると大へんな騒ぎになりまして、検察庁や警察庁も一応児玉氏が録音テープを持ち出すということをどこかに言い立てたというので、これを恐喝事件として扱おうとしたのだそうです。ところが九月十一日になりまして、川島正次郎氏と児玉氏との間に妥協が成立しまして、そしてこれが中止になったということなんです。この録音テープというものがここで問題になるのです。それを報道した雑誌にはXと書いてある。このXというのほどうロッキードを意味するように一番おしまいに注が書いてありまして、グラマンをZにしたから、あとXとYとは、このアルフアベットを逆に読めばいいのだろうと考える。それでXというのはどうもロッキードに関する何かの申し合せのように推測されるのですけれど、この録音テープというものが一体どういうものであるか。これは田中委員長は御存じのようでありますけれども、われわれには漏らしていただけないのです。それで、この録音テープというものが何であるか。それが九月の十一日に解決したので、それまでは内閣の命取りだといって騒がれた、その内容はどういうものであるか。ちょっと片耳にでもお聞きになれば、もし誤まってこういうことを書き立てられて名誉を毀損されている前の幹事長とか、あるいはそういう方があったのだったら一つここで――これほどこの問題に深入りしていらっしゃる方が、録音テープのことなんか聞いたことなんか、と言うはずはないと思うのですが、一つここで私はこの点を聞かせていただきたいと思います。
  214. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 私はその録音テープのことについては聞いていないのです。ただ児玉誉士夫氏が初めて河野氏と機種内定前に会ったときに、河野氏が、機種決定の問題についていろいろな話がある、それで岸さんはこうこうだ、ほかはこうこうであるという話をしたことがあるそうです。そのときに、どうせあなたやほかが一緒になって岸さんをかついだのだから、岸さんの言う通りにしたらいいじゃないか。そのときの岸さんの意向はグラマンじゃなかったのですが、そういうことで初めて児玉氏がこの機種問題について耳にした。それから、その後河野氏に会ったら、グラマンに内定になった、それに岸さんも同意したからそうなった、じゃ、それでいいじゃないか、ということで終ったわけであります。児玉氏は何とも思っていなかったわけです。そうするうちに、大西元中将の一派の子分たちがやはり防衛庁相当おりますが、児玉氏が大西元中将の未亡人をめんどうを見てやっておる関係から、大西中将の旧部下が児玉邸に集まって児玉氏に対する謝恩会を開いたことがある。その席で、どうも防衛庁のやっていることは変だということを若手の防衛庁官僚が言った。第一、二年間も一生懸命検討した結果、まさにロッキードにきまらんとするうちに、十二月になって途中でグラマンが出て、そして急カーブでグラマンに内定と進んでいった、これは実にけしからぬことであるというようなことを言い出したことから、これにはいろいろなことがあったのだという話から、児玉氏が初めて出てきて、そして川島氏と話したり、河野氏と話したり、といういきさつがあった。こういうことは知っておりますが、それ以上に私はテープ・レコーダーのことについては知らないのであります。
  215. 神近委員(神近市子)

    ○神近委員 今、児玉氏が一番初めに河野氏に会われたときは、ロッキードであったということですね。あなた、今おっしゃったのですね。そして次に会われたときにはグラマンであった。大体においていろいろ出ておりますのを見ますと、防衛庁では最初はロッキードに傾いていて、そして永盛調査団も、あるいは佐薙調査団へついていった松前空将も、ロッキードだと思っていってみたら、佐薙氏がグラマンだった、こういうことに伝えられているのです。そうですね。それで、それに対して児玉氏が大西中将の旧配下の人々の言動によって怒り出したのですか。このグラマン決定に大へん不明朗なところがあるということで怒り出した、こういうことなんですか。今おっしゃった内容が、ちょっと私にはよくつかめなかったのです。
  216. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 大体そういうことでありますが、要するに児玉氏は機種内定の前に河野氏と会ったときに、岸はノース・アメリカンを推している、また一般にはグラマンだと言っておる。それが、首相がそう言うなら、あなた方が盛り立てて首相にしたのだから、首相の言う通りにしたらいいじゃないか、という軽い気持の会話が取りかわされただけであって、そうするうちに河野氏に会ったら、あれはグラマンに内定したよ、岸も了解したからそうなった、じゃ、それでいいじゃないか、岸さんの言うことならと、それで済んだわけであります。そうすると、今のように防衛庁の若手官僚が児玉さんの謝恩会を持った席で、そういう人の口から、グラマン内定という事実については、ロッキードとそれからグラマンの諸元比較表等々はインチキがある、つまりグラマンのいいように作り上げている、いろいろな角度からどうも不明朗な防衛庁のあり方だということを耳にして、初めて児玉氏が、そういうことがあっては大へんだということで、河野氏並びに川島氏に話したのでしょう。そこで、河野氏や川島氏が、河野氏が廣岡事務局長を呼び、それから川島氏が門叶官房長を呼んで、いろいろもう少し検討してはどういう工合だ、という話があるという過程になるのであります。大体それでおわかりですか。
  217. 神近委員(神近市子)

    ○神近委員 それで、きつき天川氏のことがいろいろ出ておりましたけれども、大体私どもがさっきから伺っていた印象としては、大川氏は一極のオポチュニストで、そして何もグラマンでなくちゃならぬ、ロッキードでなくちゃならぬ、あるいはノース・アメリカンでなくちゃならぬと、確とした信念はなかったのじゃないですか。そしてちょうど事情が転換して、グラマンにきまるらしいというときに、あわててグラマン支持派に回ったというふうな、変な、何というか商売人的な、国士でも何でもない、一つの商売人的な感覚でこのことに当っていたということはどうでしょう。あなたはどういうふうに考えますか。
  218. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 それは、さっきも申しました通り防衛庁が機種選定についていろいろな機種を検討する、それでロッキードだというような状態のときには、彼は別にグラマンでなければならぬという主張をしたわけじゃない。要するに、そのときどきの動きに、彼は同調しておればよかったのでありまして、そうするうちに、今度はグラマンになった。そうすると、彼はいろいろな防衛庁その他に関する影響力を大いに持っておりますし、そういう方面がそういう動きをすれば、それに乗っかっていけばいい。あなたのおっしゃる通りである。彼は何がしかの金になるか、何かになりさえすればいいのですから、そういう意味で、あなたの御質問通りに彼は動いたものだと私も思っております。
  219. 神近委員(神近市子)

    ○神近委員 私もその点で、変な人が日本の国防あるいは防衛にそういう形でタッチしたということは、徹底的に糾弾しなければならないと考える。さっきのプレミアムですね、たとえば千億の買いものであったら三分、これはまあ三十億ということが世間に流れて、それが政党の選挙資金に回ったというふうなことが公然と書いてあるのですよ。大西中将の配下の人たちが憤慨したのとその推測との間には関連があると思いますか、ないと思いますか、どちらですか。その三十億のプレミアムというものが何か政党の資金に使われて、その選挙を潤したということが想像されている。それと、大西中将の配下が児玉氏のところに行って憤慨をして話したということとの間の関連性はどうでしょう。
  220. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 三十億動いたとか動かないとかいうようなことは私は存じませんが、いろいろ私が調査もしない情報として受け取っておることは、政治上層部に相当の金が回っているというようなことは、私は情報として聞いておりますけれども、私は取り調べたりなどしておりません関係で、それはただ情報として聞いておるだけでありまして、私の感覚としては、それはこういうことがある以上、どこへいったか知らぬけれども、何か相当の金が動いたであろうということは想像できますけれども、明確なお答えはできない。しかし、天川勇という人がこうしていろいろな国防に関して大きな影響力を持っているということについては、天川勇氏の過去の経歴から、そして現在の立場から、私はどう考えても、日本予算の一割以上から占める国防予算という大金に対して多くの影響力を持っている。そういうことになれば、一体防衛庁の技術屋だとかそういうようなものは、われわれが相当の税金で彼らをかかえ、国防をまかしているのに、それが一天川ごとき者によって相当影響力があるということを考えますと、何か私は防衛庁信頼するに足らず、国民としてうらさびしい感情を持つということは、あなたと同じであります。
  221. 神近委員(神近市子)

    ○神近委員 ちょっと、それだけでも私はごもっとものようにも思うし、ちょっと片手落ちのようにも思うのですよ。こっちになるほど一人の個人がそれだけの影響力を持って防衛予算に介入するということは言語道断です。これは今後もきっと委員長は究明する腹を固めていて下さると考えますけれども、片方に同時に、これは一人の個人をめぐって御調査はやさしかったでしょう。だけれども、こっちに政治家なり、あるいは政党なりの堕落腐敗がもしあるとすれば、それも関連してあなたの精魂を注入して調べていただく価値は私はあると思うので、片方だけ集中的にやって、片方は何かがあるということは想像されるけれどもそれを放置しておいたということは、これは心理的にどういうことなんでしょう。
  222. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 朝、私がいろいろ申し上げましたのですが、私は別に強制捜査権を持っていないのでありまして、自分で外部からできるだけの努力、精進を続けて、ようやくここまで展望することができた、こういう経路でありまして、これ以上というのはなかなか私らのような者にはできないのです。できないがゆえに、私は検察庁の力が借りたかったというのが本心であり、昨年十二月にずいぶんいろいろと申し入れをした。こういうことになるのでありまして、これはそういうような金の動きというものは天下公然として行われないで、やみの中で、隠れた中で行われることであります。すなわち、たとえば明治神宮の外苑を若い男女が毎日夕景になると歩いている。あいつは仲がいい。しかし肉体の関係があるかということは現場を押えなければわかりません。ところが、これはわれわれの見る前でそういうようなことをやってくれませんからわかりません。それと同じように、そういうニュアンスはいろいろ情報等もありますし、さっきも申しました通り、機種選定の前後には必ず選挙があるというようなことから、私もそういうようなニュアンスをかいでおりますけれども、これだってなにの関係と同じように、秘密にとり行われるのでありまして、われわれ市井人ではどうにもなりません。従って私は検察庁に申し入れた。こういうことでありまして、遺憾ながら私が捜査不十分であることはおわびいたしますが、これ以上のことは私はできないのであります。
  223. 小川(豊)委員(小川豊明)

    ○小川(豊)委員 きょう伊能防衛庁長官に出ていただきたい、こういうことを申したら、参議院の都合で出られなかったのは非常に遺憾ですが、やむを得ないことです。  そこで私は申し上げたいのですが、グラマンの問題は四月十二日に内定した。この内定をめぐって政界や官界やあるいは事業界にいまわしいうわさが流布されておる。そういうことからこの決算委員会で問題になったわけです。ところが、この調査につれて、グラマン購入という問題は、一応政府も一時中止にしたと聞いておるわけです。ところが、このグラマン決定が中止になったと思ったら、今度は防衛庁国防会議事務局では、ノースロップという飛行機を決定するように策動しておるということがいわれておるわけです。いわゆるこの戦闘機の購入に対する防衛庁当局の執念の深さというものに私は実は驚いているわけです。吉村とか天川とかいう人々グラマンに狂奔していると思ったら、今度は通産省事務官で、現に防衛庁の参事官をしておる堀田という人がまた中心になって、ノースロップという飛行機を購入することに努力しておる。しかも経団連、日経連の幹部であるところの植村甲午郎氏がノースロップをめぐって努力し、防衛庁長官も国防会議事務局長もこれに同意しているそうです。また堀田氏の郷里である山形では知恵の選挙が始まっておる。この知事の選挙に対しても堀田氏は、だれかは知りませんが、自分の意中の人を、この人を候補に出せ、そういう人を出したって金がないじゃないか、と言ったら、一千万や二千万の金はおれが話せば日商貿易やあるいは重工業会社から直ちに持ってくることができるから、といって強くその候補者を推薦している。しかも堀田氏のこういう言動を国会に出て証言してもよいと言っておる国会議員があるということも聞いておるわけです。こういうふうにグラマンが議論されている門に、またノースロップなんて私は知らないが、そういう飛行機を持ち出して猛烈な運動をされておるというような――これは防衛庁の長官にあすはぜひ出てもらって、この点はもっと明確にしたい。さらにきょう吉村氏はせっかく証人として出頭されていましたが、時間がないのできょうここに出てもらうことができなかった。しかし先ほど森脇氏の話を聞いておると、この前古村民が出たときに、吉村氏の給与というものは四万か五万だということを御本人が言っておる。ところが今聞くと、七百万もする宅地や家屋を作っておるというならば、こういう点でもその資金の出所というものを明確にすることによって、こういう問題がもっとはっきりしてくると思う。委員長も疲れていることだろうが、あすもう一日、約束ですから、この委員会をお開き願って、吉村氏にこういう点を尋ねたいと思います。きょうはこれで閉会してもらいたいと思います。
  224. 田中委員長(田中彰治)

    田中委員長 それから森脇参考人に申し上げておきますが、きょうこれを終ったらその書類を返すとおっしゃったが、もうしばらく返さないで下さい。いろいろ委員会関係があるから、あなたの手元に置いておいていただきたい。
  225. 瀬戸山委員(瀬戸山三男)

    ○瀬戸山委員 たびたび来てもらうのも大へんだと思いますから、念のために伺っておきたいことは、先ほどのお話の中に、たとえば川島氏や河野一郎氏、それから児玉誉士夫氏、こういう人々との間の、たとえばロッキードがいいじゃないかとか、あるいはグラマンに変ったらそれがいいじゃないかとか、こういうふうな内容のお話がありましたが、ここで聞いておりますと、ちょうどあなたがその席におって、お互いの話し合いを直接聞いておられたように僕には聞えるのです。これは証人ではありませんが、参考人お話としては現場に自分が直接そこにおっての話のように私どもは第三者的の立場で聞えるのですが、そういう具体的な話がどういうふうにしてあなたの耳に今お話のように入っておるか、その点を承わりたい。
  226. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 私は児玉誉士夫氏とは戦時中から懇意であります。私が昭和十七年ごろから日本共立興業というものを興しまして、中支以南の大東亜共栄圏の土木、建築、造船、運輸、ホテル、漁業、いろいろなことをやりました。そういう関係で、彼は児玉機関というものをやっておった。従って私は上海などで彼をよく知った。自来私は懇意にしております。そこで、決算委員会グラマン問題が取り上げられたときに、私は児玉氏とほかの用件で会ったときに、あなたは天川勇氏を知っているかという問いを出しましたら、いや全然知らない、それじゃこれをあなたは調べてごらんなさい、と言ったことがございます。そういうような経過から児玉氏は、よう森脇さんびっくりしたよ、防衛庁の方に聞いたら天川勇という者は防衛庁のおろちだそうだよ、あれは相当のインチキ野郎だけれども、相当影響力を持っている、あいつにお伺いを立てなければ防衛庁の若手官僚は出世ができないそうだと、私は児玉氏から、その点はああだった、こうだったと、いろいろもっと詳しい事情がありますが、それをやれば一時間以上にもなりますので要約しますけれども、児玉氏から直接私が聞いたところであります
  227. 瀬戸山委員(瀬戸山三男)

    ○瀬戸山委員 わかりました。
  228. 森脇参考人(森脇将光)

    森脇参考人 それで終りならば、最後に私ちょっと申し上げておきます。今、吉村氏と由比氏がどうだこうだというようなことを盛んに御尋問がございましたが、ここに私が調査したいろいろなデータから関連をとりまして、間違いないものとして私がデータを作りましたものの中に、昭和三十二年の八月から十二月までに、由比氏が天川事務所を訪問していることが十一回ございます。それから由比氏が天川に電話連絡しておるのが二十八回ございます。それから天川が由比氏に電話連絡しているのが二十五回ございます。この期間に吉村氏が天川に電話しているのが三十一回あり、天川吉村氏に電話しているのが二十三回ございます。それから三十二年の一月から十月まで、このときに由比氏が大川の事務所を訪問しているのが私のデータ上にはっきり出るものが六回、吉村氏が訪問しているのが七回、それから由比氏が天川に電話連絡をしているのが十八一回、天川が由比氏に電話しているのが十一回、吉村氏が天川にと電話しているのが十九回、天川吉村氏に電話しているのが十六回、その他等々ございますが、天川中心として往復並びに電話連絡のあったのはそれほど数多くて、他のいろいろな人々からは群を抜いて多くあるのであります。この事実は、少くともかかる交友関係というのか、あるいは交渉というのかが、かくのごとく連続的にあるならば、当無私のメモにあるいろいろな会合にも出るべきか私は人情の自然であり、当然であると思うのであります。従って、いろいろなお尋ねがありましたが、私はこの調査データには私としての確信がある、こういうことを申し上げておきます。
  229. 小川(豊)委員(小川豊明)

    ○小川(豊)委員 さっき私の発言した、あすの会議を開くこと、防衛庁長官に出席してもらって……。
  230. 田中委員長(田中彰治)

    田中委員長 この前の理事会で打ち合せてあるそうですから、あすは吉村証人を呼んで聞きたい。防衛庁長官も呼びます。  歳入歳出実況、特に航空機購入問題に関し、吉村真一君を明日も証人として出頭を求めることにいたしたいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  231. 田中委員長(田中彰治)

    田中委員長 御異議なければさよう取り計らいます。  本日はこの程度にいたし、これにて散会いたします。  参考人におかれましては、長時間にわたりごくろうさまでした。     午後五時三十分散会