○
森脇参考人 これはさっきと同じです。
「
天川勇の戦前、戦後に於ける
経歴や、欺瞞的な
生活態度、次第に
防衛庁、
国防会議を
中心とする勢力に喰い入る姿、連日の盛宴に(
企業産業が負担支弁している)これら官僚と防衛
企業産業に於ける幹部との扇の要の役割をはたすなどについては、概要、
栗本検事に
上申しあるので、これを省略することと致します。
一、
天川勇の両秘書役に就て
昭和二十八年六月から
昭和三十一年七月まで
天川の秘書役を務め、現在三菱造船の技術部に勤務をしている西野功という男に就いては、本年十月三十一日赤坂料亭八百善に於いて、私、平本編輯局長と約五時間に亘って会食し、一切の経過を聞きとった次第は次の
通りでありました。」
これを要約いたしますと、彼の言葉として、これからここにこういうことが書いてあります。「私」とは西野功であります。
「「私は現在、三菱造船に勤めています。
私は大正十四年生れで、呉一中を出て広島高校、広島文理大に学びました。文理大に在学中、原爆に被災、顔や手に火傷を負いましたが、現在、何の支障もありません。
広島文理大を卒業して横浜の師範学校で物理の先生になりました。その後、学制改革で同校は神奈川
大学と改称されましたが、そこで引続き助手として教べんをとることになりました。
昭和二十六年頃のことでしたが、私の教室の主任教授に、湯川博士だったと思いますが、
天川勇という人を紹介するから物理学的なものについて相談相手になってくれ、という話があったのです。それから、教授と
天川さんとの
交渉がはじまり、結局、教授が多忙なので私が代理のような」
これは西野功でございますね。
「私が代理のような役割をつとめることになりました。そのうち、教授が亡くなったのでした。それで私が、ほとんど
天川質問の物理学的な問題、とくに原子力にかんする一切にこたえるようになりました。
原子爆弾に傷ついた私は、原子力問題に異常なまでの関心をもっていましたから、
天川さんの
質問の度びに、これに熱心にこたえてきたわけです。
二十八年になり、
天川さんに招かれ、平河町の
事務所で原子力の講義をしたことがありました。今の私からみれば恥かしい話でしたが、それでも当時は好評だったようです。
その後、それが影響してか、たびたび
天川さんから懇請されぜひ
天川事務所で働いてほしいとのことでした。当時、私は理学博士、文学博士だという
天川さんの
肩書を、その言葉
通り、すっかり信じ込んでいたため、十年一日かわりない毎日を過す先生
生活より……と思い、
天川事務所につとめる気持になったのです。またその頃、千葉県市川の家にいた祖母が亡くなり、家を管理せねばならないことなどもあり、決心するにいたったのです。
ともあれ、二十八年六月から
天川事務所に出勤しました。給与は、
天川さんから一万円、北辰電機からトランジスターの嘱託技術料として一万円、計二万円が主な収入でした。
その頃の
天川さんは、誇大なハッタリこそ多少はありましたが、少くとも今日のようではありませんでした。その頃、各
関係会社からの
質問は、すべて私が代筆していたのでした。
そして、一緒に
生活しているうちに
天川さんの
私生活上での乱脈さがしだいに目立ってきたわけです。そして、理学博士という
肩書をもちながら、簡単な数理のわからないのも不思議に思えてきたのです。
また、会社から
質問がきた場合、
天川仲介ではよく意味が通らない。そこで私が会社
関係と直接会って話しあおうとすると
天川さんは極端にそれをきらい、決して会社の人を私に紹介しようとはしないのです。要するに、手の内をみられるのが嫌だったのです。私にとって、籠の鳥のような
生活がつづいたが、逆に対外的な
天川理論は蔭で私が作っていたわけです。
ある日、私は
国会図書館へ行って調べを終えた後、たまたま
学位名簿があったので〃ウチの先生は〃と頁をくってみたが見あたらない。おかしく思って、人の紹介で文部省でききただしたら、まったくのウソであることが判明したのでした。
三十一年七月三十日に、私は
天川事務所を辞めましたが、それまで私は、
天川さんにだまされつづけていたわけです。
その前年、田舎にいた父が、
天川さんが仕事を世話してくれるというので上京しましたが、これもサッパリうそでした。父は潜水艦乗りでした。有名な米本土砲撃潜水艦艦長として人にも知られていました。ところで父は、どうしてか、
天川さんはハッタリ屋でダメだと見限りをつけていたのです。私も父から忠告をされたのですが、今にして思えば、父の方が先見の明があったわけです。父は、三十年八月に死にました。
私としてみれば、父の死ぬ旬日まえにでも
天川事務所を辞められたのが、せめてもの親孝行だったと思っています。
現在の宮田秘書は、私のいた三十年八月にどこかのキャバレーにいた(多分エスカイヤーだったと思いますが……)宮田君の兄(バンドマン)からたのまれ、ズルズルと入ってきたしだいです。忠実に、つとめているようです。」」
これが西野が話したアウトラインです。これからまた別になりますが、
「西野功が
天川の許を去ってから
天川の片腕となり、秘書の役目をはたしたのは宮田尚義で、
昭和三十年八月から現在に及んで居りますが(約一年西野と共に勤務)表面
吉村参事官が
決算委員会の訊問を受けたを機会に、
天川事務所から姿を没して居りますが、裏面では
秘密に
連絡をとって居るようであります。
決算委員会が
グラマン問題をとりあげてから
天川は青山の二号邸、四谷の二号邸の外に、どうも渋谷あたりと覚しき所に
秘密アジトが出来、そこに
中心の起居をして居りますが、この
秘密アジトを知るものは宮田と外某々であり、未だそれを探知し難い状況であります。宮田が
天川事務所から姿を没してから、私は百方手を尽して探知に務めましたが中々に判明せず、漸く左記場所に住居があることを知りそこに始めて訪れたのが本年十一月二日でありました。
北区中里町一九一フジ薬局方二階借間 電話八二局二七二二番
ところがその数日前既に、妻と生後半年位の幼児をつれて何れとも行先知れずに旅立ちし、不在でありましたが、間借二階には箪笥などの諸道具が置いてあり、何れ帰宅するであろうことが予想されたのであります。
早速区役所に就て住民登録や、米穀配給所などについて取調べた所、何等の届出もなく、従って米の配給なども全然受けて居ず、幽霊的存在であることを発見したので原籍とか、元住所とか、妻の里とか、一切何の手懸りも得ざることとなりました。不思議なこともあるものだと思ったのであります。
何れかの日必ずその住居に帰り来るであろうことを期待し、宮田の出現を捕えようと、毎日附近に
捜査配置を続けて居りましたが、十一月二十一日(金曜日)漸く宮田の出現をとらえて、住居のすぐそばにある喫茶店に於て、私の方の配置員が
相当長く話し合い、その結果その日漸く私の社長室で、始めて宮田と面会する機会を得たのであります。
それからも数度私会社で宮田と会い、新橋雪村で私と平本編輯局長と宮田と三人で数時会食談合の結果、
明十一月二十五日午後五時、宮田が私会社に来て彼の知る限りの全貌を語り、私も宮田の今後の
生活について保証責任をとる確約致したのであります。
その翌日午後七時迄私は待って居りましたが遂に姿を見せず、その翌日も又然り、ここに宮田が背反したことを確認するに至ったので、再び元住居を訪れて見ましたが、依然住居に荷物はあるが人一人も居ず、数度宮田との談合で知った」
そこでまた宮田との
連絡が切れてしまうわけです。
「数度宮田との談合で知った北区東十条四の三にある太田という妻君の里方を訪れたところ、そこにも既に妻も子供も本人も居ないことが発見されたのであります。その後再三彼の出現を持ち配置を続けましたがいまだに杏としてその行方が判明しないのであります。」
これはその当時であります。
「従って左に数度の会合に於て宮田からききました一部始終だけを要約
上申し置くものであります。
(イ)
吉村参事官が決算委に呼び出されてから、それぞれ料亭会合した
人々との間に色々ともみ消し打合せをしたこと、各料亭へももみ消し手配をしたこと、自分もそのため十全にそれぞれ先々に動いて、その手配をしたこと。
(ロ)
官庁及
兵器産業の重要データーは、
天川と自分とで分配保管しあること、ある部分は
天川と打合せ焼却したが、焼却したものはどんなものかは大体記憶にあること。
(ハ) 決算委が
グラマン問題をとりあげてからの、一切の動きは大変なものでしたが、自分が詳細書きとめてメモし、今ある所に保管し、その一部は安全に保管するため地中に埋めてあること。
(ニ) 色々の
関係者から、どこから取調べがあっても自分は使い奴であったから、何も知らぬ知らぬと云い張るよう指示を受けていること。
(ホ)
関係者からはデーターを返すよう、手をかえ品をかえ催告され一部返したも
のもあり、いまだ返却しないものも
相当あること。
(ヘ) 堀田参事官が
中心となって、色々と動いていること。
(ト)
社会党西尾末廣の
周辺に
調査のメスを入れられる必要のあること。
(チ) 現在は
天川の
秘密アジトが別にあるが、御存知ないだろうと言ったこと。
(リ) 自分も幾度大川
事務所を去ろうと思ったことか。それは今に何か問題が起るぞと予感したから……。
(ヌ) 自分が何もかもさらけ出すと、二十人位の人の首がとぶから気の毒だと云ったこと。
(ル) 一切を話ししても、例え決算委がやっても、
検察庁がやっても必ず潰されてしまう、それは絶対だということを自分は知っている。そうなると一番馬鹿を見るのは自分だけである。鳴かず飛ばずにいてこの問題がおさまれば、自分は立派な
企業産業に何時でも思うように就職も出来る、今の問題化の場合だけ身を沈めて居れば、先々なんの心配もない。
(ヲ) 自分が一切を暴露すれば、現内閣は必ず潰れる。
(ワ) 私の作成にかかるメモの全部を見せた所、殆ど大部分が間違いないことを確認したこと。
その他私の
質問に答えたのは次の
通りであります。
(イ) 何が故に
検察庁がやっても、もみ潰されないか?
答 それは何れ詳細に話さねば判りませんが、関連者に於て十分な符節が打ってありますから……
(ロ) 貴方が知る限り暴露すると
岸内閣が潰れるといわれるが?
答 それも全くその
通りですが、その
事情も何れ覚悟を定めてから話しましょう。
(ハ) 貴方は住居に於て、住民登録も従って米の配給も受けて居られない幽霊存在となっていますが?
答 そこまで調べられてあれば仕方がありません。私は足掛け四年
天川さんの所に勤務して居りますが、始めは月給二万円で今年になって二万五千円となりましたが、
天川さんから月収三万五千円しかないと税務署に届けるよう指図され、そのように届けて数年経過して居ります。雇用者月収三万五千円で私の月給が二万―二万五千円ではどうしてもつり合いがとれませんので、私の収入も届けることが出来ず、従って幽霊存在の格好になった訳です。」
ここで初めて幽霊存在の理由がわかった。
(ニ) 「それでは
天川勇の月収は私の
調査からは毎月五十万円を下らないと見て居りますが。
答 週刊朝日かで五十万円の月収があると貴方が云って居られると出て居たのを見て、実は驚いたのですがよく当って居ります。
(ホ) それでは、
天川は五十万円から三万五千円を差引き毎月四十六万五千円也の収入をごまかし、一年間に五百五十八万円也、これを二年としても一千一百十六万円、三年とすればそれ以上に脱税して居ることになりますね。
答 その
通りです。従って私もそうなるので常に気がかりになって居ります。これでやられたら立派な証拠があるので、どうにもこうにもなりませんから……
(へ)
防衛庁、
国防会議に関する重要データーが数多く
天川に渡されている
関係から、公務員法違反に問われるような節々があるように思いますが?
答 そうなんです。私が一部始終を白状すると、
相当の
人々の首がすっとんでしまうと云ったのも、そうしたこともあるからです。万一私だけ悪者にされては困ると思って、
相互の云い合いとなったとき私の立場を立てるために、そんな重要な書類も私はあるところに保存して居ります。
(ト)
グラマン、ロッキードの諸元比較表は
天川勇の手になったものですか。
答 そうです。そのあたりにも色々なことが含まれて居ります。
(チ) さっき貴方は決算委が
グラマン問題をとりあげてから、色々な動きがあったことを詳細メモしてあると云われたが、お手許にお持ちですか、それには重要な意味を合むものがありますか。
答 詳細書いてありますが、私の手許には置いてありませんが、ある所に保存して居ります。色々な動き、誰れと誰れとが……重要なことが沢山あります。
(リ) なぜそんなものを作って置かれましたか。
答 私も色々な役割をして居りましょう。いざとなったとき、自分の立場はこうだったと明かにするためにも大切ですから……そうでないと私一人が悪者にされても困りますでしょう。
(ヌ) あれだけの宴を張っていたからには、色々民間難業から官吏に金が送られたり、
天川を通してやられたりすることはありましょうな。
答 ……しばし思いりあって……それはありましょうが私もたしかには知りません……当惑そうな色をただよわす……
(ル) その片鱗でも話してくれませんか。
答 何れ明晩十分私のデーターなど整理して何もかも
お話しましょう。
大体要約すると以上のようでありました。なんと云っても
天川勇の
周辺に足掛け四年間も居て、一切にたずさわった男だけに、この宮田が一切口を割れば何事も明白になり、その
秘密を握る唯一人の
人物であるのであります。
一、宮田尚義が突然姿をくらましたこと
以上のところまで運んで、明晩一
切を告白するという段階となって姿を消したのは、宮田に対しひく手数多の者ども(
天川との関連者)が居て、とうとう宮田を
自己陣営に引張り込んだものと想像されます。現に宮田は私など数度会ったときも、自分は何処か家を探し、離れも知らせず、そこに移りたい、そうしないと身が持てぬと当惑して居り、その資金も私が全部面倒見ようと約束して別れた翌日から居なくなったのであります。
一、結論
宮田から一切の全貌を明らかにし得る所まで運んで、遂に失敗したのでありますが、数度に亘っての会合から得た諸
情報を総合するに、
一、
役人の者どもには、宮田の話及私のデーダー、私の持つ極秘書類等から、公務員法違反の嫌疑は十分あるやに思われる。
一、
天川勇の脱税
行為は明々白々であること。
一、数多くの
宴会費は利害
兵器企業産業から全部支払われていること。
一、五十万円の月収は多く二号さん方面に流れて居ること。
一、重要極秘書類は焼却、それぞれ先に返却されたものもあるが、
天川及宮田の手にかくされていること。
以上のことから脱税、若しくは公務員法違反によって、強制
捜査をすることにより、そこに様々な嫌疑の本筋が浮び上ると確信されるのであります。
現に本年十二月三日、毎日
新聞はかく報じて居ります。従って特捜部に於て、
天川勇の脱税を突破日とすることも出来るものではなかろうかと思われます。」
そこで毎日
新聞がプラチナ産業をわずか三千万の脱税で家宅
捜査号をした事実がここへ出ておりますが、それは省略します。
一、一般
国民大衆の気持
東京地検の立場としては、
事件が立派な刑事事犯として起訴に持ち込む絶対の確信なくては、手を下すことは出来ないとのことやに漏れ承知して居りますが、全くそうであるべきことも十分納得出来るのでありますが、既にジヤーナリズムに於ても騒ぎ、
国民も大きな
疑惑をなげかけている今日、その
疑惑が例え白になろうとも、黒となろうとも、これが解決を為し得るものは
日本広しといえども、
捜査当局を除いては他にないのであります。これが何処からも当局が何等手を下すべき拠り所がないものならば、如何に
国家権勢を荷う
捜査当局とて手を下すことは出来ないことも当然でありますが――
民間
兵器企業産業の重要
人物と国防に関連する官僚の、あのような乱脈な連日の饗宴、然もその
宴会費の一切が民間
企業によって賄われている実体から見て、そのことだけでもそれを放任するならば、左様な乱脈といえども
日本国家として当然黙認されるものだと官吏や民間
企業に明示すると同じことになり、今後かかることを公然必然に天下を賞々とまかり通ることにもなりかねないと思われます。然も得てしてかかる乱脈の中には、正常でない金銭授受があることは、今までの類例にも多くあることでありますが、それらはやり取り
相互間が
秘密裡に行うもので、強制
捜査権を持った者だけが独り爬羅剔抉し得るのであります。恋愛する男女がはたして肉体の
関係まであるかないか、これを明かにすることは中々難渋なもので、民間人としてよくし能わざるところであります。
然も
防衛庁関係は年々その
予算も膨大であるし、それらの不正消費の数々も今までにもあり、いまだ現れていないものだって、私の知るだけでも一、二に止まらないのであります。
防衛庁及国防産業が科学的にも智能的にも、もっとスッキリとするためにも、
予算行使も
国民が納得承認し得るよう配賦されるためにも、ひいて官僚の腐敗をため直すためにも、
防衛庁が
国民から信頼され、真に同家のためになるような真の
防衛庁であるためにも、多少でも取っ掛りの糸口ある以上一般大衆は断乎鉄槌を下されんことを希求しているものと私は
考えざるを得ないのであります。
万が一にもその結果が只単に
天川の脱税、官僚の公務員法違反の何れか若しくは二つを問題としか為し得ざるが如き消極性に終ったとしてもその他は白だったと証明されただけのことになっても
国民は決して検察の批難などするものでなく暗雲が払拭されたことにも大いに喜ぶものと想像されるのであります。
数日前
日本唯一の評論家亀井勝一郎氏がNHKのラジオ放送で「汚職と脱税」に就て語られて居りましたが、要は汚職も脱税も
日本国家を
人間の肉体に例えて見るとその肉体の所どころが腐爛していると同じことで、これでは
国家の清潔にして健全な成長と発展はあり得ない――実になげかわしい限りである。
全くその
通りで三悪追放の
岸内閣現放下に於て放任し置くべきことではなかろうかと思われるのであります。」
これで大体二つ読みましたから、そこで
皆様から、今読んだことと
皆様の御
研究になったこと等々について御
質問いただきたいと問います。