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1959-03-16 第31回国会 衆議院 外務委員会 第13号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十四年三月十六日(月曜日)     午前十時十三分開議  出席委員   委員長 櫻内 義雄君    理事 宇都宮徳馬君 理事 佐々木盛雄君    理事 床次 徳二君 理事 松本 七郎君       池田正之輔君    菊池 義郎君       椎熊 三郎君    千葉 三郎君       福田 篤泰君    前尾繁三郎君       森下 國雄君    岡田 春夫君       柏  正男君    帆足  計君  出席政府委員         外務事務官         (アジア局長) 板垣  修君         外務事務官         (アジア局賠償         部長)     吉田健一郎君  委員外出席者         外務事務官   有田 武夫君         参  考  人         (東京大学名誉         教授)     横田喜三郎君         参  考  人         (ヴェトナム協         会顧問日本VC         L         (経済協会理         事)      久保田 豊君         参  考  人         (愛知大学教         授)      坂本 徳松君         参  考  人         (日越貿易会専         務理事)    中川 武保君         参  考  人         (経済団体連合         会副会長)   植村甲午郎君         専  門  員 佐藤 敏人君     ————————————— 三月十六日  委員八百板正君辞任につき、その補欠として柏  正男君が議長の指名委員に選任された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  国際情勢に関する件(ヴェトナム賠償問題)      ————◇—————
  2. 櫻内義雄

    櫻内委員長 これより会議を開きます。  本日は、国際情勢に関する件中、特にベトナム賠償の問題について、参考人より意見を聴取いたします。  まず参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。本委員会国政調査の一環として、国際情勢に関し慎重に調査を続けて参ったのでありますが、本日は特にベトナム賠償問題について、横田喜三郎君、久保田豊君、坂本徳松君、中川武保君、植村甲午郎君の五参考人のおいでを願い、忌憚のない御意見を拝聴し、もって本問題に対する調査に万全を期して参りたいと存じます。  本日は御多忙のところ、本委員会のため御出席下さいましてありがとうございました。委員会代表して厚く御礼申し上げます。  念のため議事の順序について申し上げますと、まず参考人各位からおのおの御意見を開陳していただき、その後に委員から質疑がある予定でございます。なお、御意見の開陳は一人十分ないし十五分程度でお願いいたします。  それでは順次参考人の御意見を承わります。御意見発表順序は、理事会の申し合せに御一任をお願いいたしたい、また御了承を願いたいと思います。植村甲午郎君。
  3. 植村甲午郎

    植村参考人 私、ただいま御指名を得ました植村でございますが、たまたま南ベトナムとの交渉について関係を持ったものでありますから、一応ごくあらましの交渉経過を申し上げたいと思います。  私がなぜこの問題に関係を持ったかと申しますと、たまたま工業家の五、六人の方々と親善ミッションを組織いたしまして、南方諸国を回る企てがあったのであります。それが一九五六年、つまり昭和三十一年の三月でございました。で、その参ります前から伺いますと、ちょうどその年の初めごろから、前に沈船の引き揚げが問題になっておりまして、それが中途で停頓状態になって、そこでいわばあちらとしまして、全面賠償交渉をやりたいという要求が出まして、それが問題になっておったころであるのであります。その要求なるものが前から申しておるようでありますが、二億五千万ドルの賠償をよこせという非常な膨大なものであって、当時の小長谷大使が先方と折衝されたようでありますが、いわば取りつくすべもないような状況である。ところでちょうどお前はあっちへ行くのだから大統領にも会う機会もあるわけであるしするから、そのときに、もしちょっとでも話が出たようなときに、いわば全くサイドからの問題として早くやったらどうだというようなこと、あるいはそんなめちゃなこと言ってもいかぬじゃないかということで、意見交換をしてみたらどうかというようなことが、当時外務省アジア局長中川君からもありまして、それはどんなことになるかわからぬが行ってみますということで参ったのであります。ところがちょうどそのときに、三回、大統領と、ちょっとそのことについては別に話をしたいから来いということで会いまして、それで私としましてはそのときにこういうことを言ったのであります。早く経済の復興をやらないととてもいかぬじゃありませんか、賠償問題ということがえらく問題になっておるようであるけれども、それはそう大きなものを期待するということは無理なんだ、むしろ経済協力の線で必要な基礎的なものを早くやれ、それが一番いいじゃございませんかということを申し上げてあったのでありますが、だいぶ大統領も動いたようでありますが、最後に閣議を開いていや、賠償問題というものが解決しない以上はうっかり経済協力なんというものに手を出すことはいかぬということになったようでありまして、それでその後書簡の往復が二、二回ございましたが、そのままに終ってしまったわけであります。ところがその後やはりこの問題を何とか解決したいという政府も意思を持たれておりまして、私もこの賠償の問題につきましては、いろいろな御論議がありますが、要するに、日本としてできるだけ早く賠償の問題というものを全面的にきめる必要があるのじゃないか、当該の国といたしましても、何か問題がありますと、すぐ賠償が解決してない、これをまず解決することが先であって、お前の言うこともそう簡単には聞けぬじゃないかという議論が小さな問題についてもすぐ出て参る。また経済協力というような面から見ましても、やはり全面的にどことでも、賠償問題が解決しますと、初めてわれわれとして一つの基本的な条件がわかるわけでありまして、経済協力をやることからいきましても望ましいし、早くやることはどうしても必要であろう、政府がそう言われるならば、私、前にそんなふうな関係もあったので、多少いわば真剣に議論をしたこともありまして、ひっかかりもないではない。それじゃ一つ参ってもよろしゅうございますということで、外務大臣特使として昭和三十二年九月二十八日から十月の末日までベトナムに参ったのであります。そのときには外務大臣特使というような形で参ったのでありますが、あちらとして、私と話し合いをする相手としてトウ副大統領を任命する、副大統領と隔意ない話をしてくれ、こういうお話でありましたので、副大統領お話しをいたしたのであります。やはり初めから二億五千万ドルというふうなものの細目を示しますし、いろいろ日本賠償する義務があるというようなことを申しますが、日本政府賠償義務がないということを考えているわけではないしかしそういうことを言われても、それにはおのずから日本との本問題に関係のあるほかの国々との比較の問題もあるだろうし、現実のこちらの戦時中にこうむられた損害というものもあるだろうし、そういうことを言われてもとてもいかぬのだというようなことをだんだんお話しいたしまして、そうしてたまたま、これは久保田参考人が非常に詳しいそうですが、私が初めて大統領に会いましたときから、ぜひ電源開発をやりたい、これは経済開発の基本でもあるし、それから現にサイゴン電力料にしても相当高い、また供給も十分でない、こういうような状況では工業化もできないからぜひやりたいというようなことは前にも言っておりまして、やはり経済協力重要眼目としてあげておったわけであります。そこでもう少し具体的な問題から考えてみたらどうですか、賠償でもって二億五千万ドルは高い、それじゃ高いというなら、二億ドルにするとか、一億五千万ドルにするとか、半分にされるとか言われても、これはなかなかこちらとして聞けるものじゃないと思いましたので、むしろこれにどうアプローチするかということが非常に私としては苦慮したところであります。だんだん話しておりますうちに、経済開発、民生安定ということに一番関係のある向うの熱心な問題として電力開発が感じられましたので、この電力開発というようなことを一つ賠償でやるというような考えで話し合いをしたわけであります。だんだんあちらもそういう気持になって参りまして、私が帰りますときには、これははっきりしたことでございませんけれども、おぼろげながら向うで考えておることは、ダニム電源開発というものについて賠償でやりたい。それからこれは小さい問題でありますが、いろいろな経済建設をやりますのに、機械の修理あるいは部品の製作等についての機械工業の力がないのでありまして、これを若干整備しないといけないという意味で、機械工業センターを作るために機械を二百万ドルくらい。それと肥料及びソーダということを向うは言っておりましたが、その工場を作りたい、これを賠償でやってくれ。ずっとその費用を考えてみますと、大体六千三百五十万ドルか六十万ドルか、その辺になってくるのであります。これはむしろそれをよこせというふうな形というよりは、そのくらいの要求はどうしてもするであろう。それからそのほかに一般の経済協力として三、四千万ドルくらい、合計一億ドルくらいの規模でものを考えているということがほぼわかってきたわけでありますが、まだこれではとうてい話にはすぐ乗れませんので、私としましては、一応大体こんなふうな模様であるというところで帰って参ったのであります。その後岸総理が、あれは幾日でありましたか、あそこを訪問されて、やはり賠償問題についてなお商議を続けるということと、それからあちらで言っているということの報告を受けて、この全部について、とうていそれはまだ日本として容認できるのではないというふうなお話があったようであります。その後、だんだんそういうふうに詰まって参ったものでありますから、もう一ぺん、日本賠償をほんとうにやる気があるかどうか、やるならばすぐでも来てほしいというようなことがございまして、その次には十二月十四日から年末まで私はまたサイゴンへ参ったのであります。このときはいわば賠償に関する全権といいますか、そういうような資格で、一応政府としての交渉もできるというような形で参ったわけであります。そこでまた議論をして参ったのでありますが、議論は、私といたしましてもそうでありますし、いわゆる経済協力の方につきましては、これは双方実業家がやろうというお互いの了解に立たなければ出発しないのでありますし、十年間にどうするとかなんとかいう問題でありますが、賠償の方はきっちりした問題でありますので、私もそちらについてもう少し合理的な線が出てくることに努力いたしましたし、あちらもそれはだんだんに詰まってがんばったというのが実情であります。それであちらは約六千三百万ドル程度規模はどうしても賠償でよこしてくれということを申しますし、私はそれはとてもできない、いわば四千万ドル以上の賠償というものは言ったってとうていやれるものじゃない、結局四千万ドルだとか五千万ドルだとかいう意味でなくて、このダニム発電所建設ということは、あなたの方も非常に必要と思っているし、私自身としても工業の基礎であると思うし、サイゴン電力料というのは、日本の金に換算してみますと、家庭用は三十五円、工場用の動力でも二十五円というふうな形になるのであります。日本から見ると三倍以上になります。こういうのを少くとも現在の半分にできるというふうな点もありますので、そういうふうなものを一つやったらどうか。ことに非常に大きな計画になっているけれども、第一期と第二期だけを一つ取り上げる。両方とも八万キロの計画でございますが、第一期を三年間くらいでやる。それからその次に二年くらい追っかけて、合計五年で十八万キロ、そういうようなことでやったらいいのだし、それのうちでわれわれの考えているところでは、第一期工事の外貨所要分は三千七百万ドルくらいになりますが、それと機械工業センターの二百万ドルを加えて合計三千九百万ドルというくらいのところにやれば、これは日本政府の方でもよろしいと言う可能性もある、それ以上はとうていだめですというようなことで、がんばりにがんばったのであります。最後までなかなか向うの線が出て参りませんでしたが、最後に少し動いてきたらしいという気配も見えたのであります。そこで私はまた同じことを言いましたが、どうしても聞かない。それでは帰りますということで大統領に会ったのですが、そのときに、最後的に私が言えば、あとは、この肥料工場というものは大へんむずかしい問題であるけれども、やるとしても肥料工場と、それから多少現地の通貨が足りないということもあるが、こういうものは借款でやれる。そうすれば仕事はできるし返す見込みもあるのだから、そうしたらどうですか。それなら、ここでよろしいとは申し上げられないけれども、これは私の個人的なサゼスチョンです。あなたの方がそれでも一つやろうかということなら、私は日本へ帰って皆さんに説得してみよう。ただしこれを全部賠償であるというようなことでは、説得もとうてい一分の見込みもないというようなことで、しかしそれでもということで、とうとうまとまらずに帰ってきたというのが、私の直接関係しました内容でございます。  その後いろいろ折衝がありまして、大体私のサゼスチョンなるものに基いて賠償の問題は考えよう——外交交渉内容についてはこまかく聞いておりませんのではっきりいたしませんが、大体のラインとしてはそういうようなことで、条件だとか多少の振り分けというものを、きっちりきめるということで動くようになっておるというのが賠償に関する私の関与しました内容でございます。  時間がありませんのでこの辺にいたしますが、私どうも考えますのに、やはりこの賠償の問題は早期解決するのがいいのじゃないか。それはいろいろな論議がございます。ことに南北統一ができてないときにやることは、いかがかという御論議は前からもあるのでございます。この点は確かにありますし、また遺憾な点でありますれども、日本として考えますときに、ただいまのところ正式な相手としては、南ベトナム政府代表として使うよりしようがない。それでは南北統一ができるかということにつきましても、これは必ずやいつの日かできると思いますが、どうも常識的には相当手間がとれはしないか。一方貿易関係だけから見ましても、やはり南ベトナムに対しては、多いときは五千万ドル見当、一応四千万ドル・ベースの輸出があるのであります。輸入の方は塩でありますとか、あるいは米が輸入できませんと、今のところではあまり大きな何はありませんので、日本の金にして三十二年度が十八億六千万円、三十三年が少くて四億六千万円というようなことであります。それから北ベトナムの方は、輸入ホンゲイ炭その他があるものですから、三十二年は四百五十一億何千万となっておりますし、三十三年は減りましたけれども、やはり二十一億ぐらいのものはございます。これに反して輸出の方は、三十二年はきわめて少いもので千万円以下です。それから三十三年は少しふえましたが五億何千万という程度です。輸入の方は、北ベトナムの方が買うものがありまして、ことに炭を買いますと相当入ってくる。それから輸出の方は、南ベトナムの方が圧倒的に多いというような形になっております。  いずれにしましても私どもは、政治問題とからませないといかぬといいますけれども、経済問題としては、政治の正常化といいますか、これができるだけ早い時期にくることを望みますが、経済はできるだけ進めていきたいというような立場をとるものであります。ことに輸出を必要といたしますわが国としまして、四千万トル・ベースの輸出がございますし、その面からだけでも、また経済協力というような面からいたしましても、できるだけ早く正常な、賠償なんかの難問題が解決された形に持ってきて、そしてできるだけの協力もし、お互い両方が立つような形で経済の発展を望んでいきたい、こう思うものでございます。  時間がありませんのでこの程度で……。
  4. 櫻内義雄

  5. 坂本徳松

    坂本参考人 私は現在愛知大学法経学部教授の職にある者ですが、そのほかに日本ヴェトナム友好協会常任理事日本アジアアフリカ連帯委員会常任理事日本平和委員会常任理事等も勤めております。これらの団体の役員としましては、またアジア問題の研究の一学究としましても、日本南ベトナムに対する賠償交渉については、一貫して反対して参った者であります。この反対経過を述べますと同時に、その反対の根拠を、主要な点だけ申し述べたいと思います。  第一に、日本政府の言明しておりますように、南ベトナムベトナム代表政府として、これによって全ベトナムヘの賠償を済ませようという方式は、ほかならぬベトナム現状に照して不合理であり、日本国民戦争賠償誠意を全ベトナムに伝えることにならないという点であります。御承知のように、日本政府南ベトナムに対する賠償交渉は、一九五六年八月から、当時の小長谷南ベトナム駐在大使を通じて、ブ・ヴァンマウ南ベトナム外相との間に開始されたのであります。同月二十五日ベトナム民主共和国、すなわち北ベトナム政府外交部声明は、日本軍隊ベトナム領土にもたらした戦争による損失の賠償を、日本政府要求する正当な権利を保有するという声明を出しております。これに対して日本外務省は、翌二十六日に、ベトナム民主共和国政府ベトナムの合法的な政府でない、従ってこの賠償請求を拒否するという見解を発表しました。ところがさらにこれに対しても、同月二十九日付のベトナム民主共和国政府外交部第二次声明で、日本外務省見解は正しくない、ベトナム実情を理解しないものであるということを指摘して、重ねて賠償請求の正当な権利を依然として留保するということを主張しております。その後も声明の応酬があったのですが、翌五七年九月には、ただいま御意見を述べられました植村使節が派遣され、同十一月には岸首相がみずから東南アジア訪問の旅行の途次ベトナムを訪問して、賠償交渉が具体的に進んできたわけであります。  こういう動きを検討しますと、日本ヴェトナム友好協会が同年の十二月二十五日付の第一次声明ではっきり反対を表明したのでありますが、これは、ベトナムの北半分が反対している限り、南ベトナム政府への賠償によって、全ベトナムへの賠償を済ましたということにならないという点であります。  論拠の第二は、ジュネーブ協定によりますと、南ベトナム政権ベトナム人民全体を代表して日本戦争損害賠償要求することができないということが明らかであります。ジュネーブ会議は、御承知のようにインドシナにおける戦闘行為を停止するためインドを初めとする東南アジアのいわゆる中立諸国の熱烈な努力と、当時のフランス首相であるマンデス・フランス氏の努力によって開かれたのでありますが、この協定の第一条並びに第十四条によって、いわゆる十七度線をもって、暫定軍事境界線とする。この境界線のおのおのの側に所在する双方軍隊集結をはかるとともに、協定の規定された統一選挙が行われるまでは、各集結地における民政の管掌は地域の当事者が当るということにきめられております。このように十七度線というものが休戦のための暫定軍事境界線である。恒久的な国境ではありませんし、また国境化してはならないものであります。南ベトナム政府だけを合法的な政府として、しかもこれによって全ベトナム代表せしめるという考え方は、べトナムの現状に即しないばかりか、こういうジュネーブ協定の趣旨に違反して十七度線を国境化してしまうという結果になるわけであります。  ここで注意しておかなくてはいけないと思いますことは、南ベトナム政府ではジュネーブ協定並びジュネーブ会議最終宣言に調印していないということを理由にして、この協定拘束力からのがれようというふうな意向があるかに見えますが、これは自己矛盾もはなはだしいと思います。といいますのは、現在のゴ・ディンジェム氏が当時のバオダイ元首から組閣の要請を受けましたのは、一九五四年六月十六日で、ジュネーブ協定成立の一カ月と五日前であります。当時ジュネーブでは停戦のための軍事境界線を設けるということは、ほとんど既定の事実となっていたときであります。ただどこにこの境界線を引くかということだけが、論争の的になっていたのであります。これに対してゴ・ディンジェム氏はベトナム分割反対ということを繰り返し主張していたのでありますが、もしそうであるならばこういうベトナム休戦ラインがしかれるということが、そういう既定の事実としてあるときにどうして組閣を受諾したのか、これはジェム首相アメリカ反対ジュネーブ会議が流産する。お流れになってしまうということを期待して組閣を受諾したのではないか、こういうふうに言われております。これは私の個人の見解でなくて、日本外務省見解であります。昭和三十年の三月に出されました「一九五四年のインドシナ」という文書の三十九ページにこのことが明白に書いてあります。しかもその同じページに「ジュネーブ会議中はともかく、休戦協定成立後はディエム内閣としては当然新事態における国民の進むべき途を明確にすべきである。それをなさずディエム内閣はいたずらに感情的に分割反対を叫び続け、無為に時を過したのであるが、一方ポー・チミン政権は早くも七月二十二日に次の新政策を発表した。」と書いて八項目にわたる政策を掲げて、これをジェム内閣と対比せしめております。この外務省調査課見解は公正妥当なものだと私は思っております。同時にこのことはアメリカと現在のゴ・ディンジェム内閣結びつきジュネーブ協定成立以前すでにもう胚胎しておって、成立後の混乱の時期に乗じてアメリカが軍事的、経済的、政治的に強力な拘束力ジェム内閣に加えて、いわゆるかいらい政権化していった歴史的な過程が明らかになっていると思います。しかもアメリカ自身ジュネーブ協定についてはW・ベデル・スミス氏による単独宣言を出しまして、その中でフランスベトナム統轄軍フランス南ベトナム連合軍でありますが、このフランスベトナム統轄軍ベトナム人民軍との間に締結された協定事項を重視するといっております。政治的にはもちろん法律的にも南ベトナム及びアメリカは、ジュネーブ協定を無視することはできないわけであります。従ってアメリカ南ベトナム軍事基地を作り、また南ベトナム東南アジア条約機構保護地域としてサイゴン沖で海軍の大演習をやるというようなことは、ジュネーブ協定に違反するわけであります。  第三に。賠償交渉相手としてゴ・ディンジェム政権ベトナム平和的統一という全ベトナム人民の最高の願いに対して、十分まじめな努力をしていると思われない点があります。これは国民賠償誠意相手国国民に伝えるという点で、大きな危惧と疑問の念を起させることになるわけなんですが、たとえば御承知のようにジュネーブ協定に規定されました平和的再統一のための総選挙話し合いということを幾度かベトナム民主共和国側から呼びかけても、これに応じていないのであります。またジュネーブ協定は別としましても、たとえば一九五八年十二月二十二日付のファン・バンドン首相書簡軍事計画経済計画宣伝計画、両地域間の往来という重大な項目について話し合いをしよう、そうしてお互いに敵意をあおるような宣伝もやめようという条理を尽した申し入れをしているのに対しても、何ら返事を出しておりません。出してないばかりか最近は、といいますのは、十二月一日にサイゴンの西北にあたりますフーロイという政治訓練所、平和統一のために戦って運動している人たちを政治犯人として収容しているところでありますが、そこで食べ物の中に毒物を入れ、一日のうちに千余名の人を毒殺するという事件さえ起っております。しかもその毒物は、これまでベトナムにはなかった性質の毒物だということさえ伝えられております。こういう事実を見ますと、全ベトナム国民の最高の悲願である統一ということについての努力がなされていない。ですから南ベトナム賠償を払うということによって、全ベトナム国民の期待にこたえるということが出てこないわけであります。  第四に、ベトナムの平和的再統一ということは、一九五五年のバンドン会議を初めとしまして、一九五八年のカイロ会議並びに昨年東京で開かれました第四回原水爆禁止世界大会のアジア・アフリカ地域会議、それからごく最近カイロで開かれましたアジア・アフリカ連帯世界評議委員会等の諸決議になっております。そうして南北統一ベトナムを国連に加盟させるということこそが、アジア、極東における緊張の緩和のための手段であり、目的であるということが、アジア・アフリカ諸国の共通の意見になっております。しかるにこの南ベトナムヘの賠償支払いを急いで行なって、アジア・アフリカの世論に逆行する必要がどこにあるかという疑問が出てくるわけであります。今日本とアジアの友好、貿易、平和の十五団体が共同で南ベトナム賠償交渉反対しているのも、この見解に立っているからであります。  第五に、日本ベトナム民主共和国との間には、植村参考人も言われましたように、現在経済交流、貿易が行われております。近くは第二回目の日本人の帰国が実現します。十九日に門司に九人の日本人がベトナム側の好意によって帰国できます。さらに第二便として、ベトナムの夫人、子供を連れた合計十六人の人が、サイゴンあるいはハノイ地域で出発を待っております。また私どもの協会としましては、現在ベトナム美術工芸展覧会というものを計画しまして、この交渉も進んでおります。そればかりでなく、ベトナム統一の実現後には、過去のことは忘れてもいいという意味のことを、私が一昨年ポー・チミン主席にお会いしましたとき、直接自分の耳で聞きました。現にベトナム民主共和国アジア局長も、これを裏づける事実を言っております。そういう事実があるのに、この経済文化の交流に一ぺんに水をかけるような賠償交渉をどうして急ぐのかという点が、反対の第五であります。  最後に、反対の第六の根拠は、最近、といいますのは一九五八年十二月二十四日に、ベトナム民主共和国の祖国戦線中央委員会、同じく二十七日にベトナム法律家協会が、相次いで日本政府南ベトナム政権の間の賠償反対という強硬な声明を出しております。ここに持ってきておりますが、初めは日本に対して賠償請求権を留保するという態度であったベトナム民主共和国政府並びに民間の態度が、このように硬化してきておりますのは、いわゆる日本政府のアジアに対する敵視政策の一環ではないかということを憂慮せざるを得ないわけであります。こういう相次いでの声明が出されましたとき、私はたまたまハノイにおりました。ベトナムの人たちの日本政府に対する考え、日本国民に対する考え、そういうものを親しく見もし、聞いてもきたのでありますが、その中の一つに、日本は北から侵略してきたのに賠償は南から始めている、ゴ・ディンジェム政権日本軍と手をとって、いわばベトナムに被害を与えた加害者に属する人である、南ベトナム賠償は加害者同士の取引と言えるのではないかということさえ言っております。  時間がありませんので、ごく簡単に申し上げましたが、大体以上の政治的な、あるいは理論的な根拠によって、私は南ベトナムヘの賠償交渉反対し、ベトナム統一の実現後までこれを延期する——賠償そのものに反対するのではなくて、これをベトナム統一実現まで延期するということが、アジア、極東の平和と友好と平等互恵と繁栄に資するゆえんではないかと考えるのであります。
  6. 櫻内義雄

  7. 横田喜三郎

    ○横田参考人 私はどういう点をここでお答えしたらよいか、この文書だけでははっきりしないのですが、ごく簡単に、おそらく私に要求されていると思われる点を申し上げて、こまかいその他の点は御質問のあったときにお答えしたいと思います。私は私の地位からして、当然法律的な面を聞かれたものと了解いたしますので、政治的な賠償に賛成か反対かということはすべて抜きにいたしまして、法律的に見て、賠償問題が国際法上から不法もしくは不当に当るかという点だけをお答えしたいと思います。  ベトナムのように、実際に二つの政権があります場合に、しかも法律上から見ますと、これを一つの国家として考えなければならないという場合には、その法律論と事実との面に食い違いが生じておることはやむを得ないものでありまして、国際法上こういう事態を今まで考えておらなかったのでありますから、いろいろそこに困難な問題が生ずる。従って国際法上から割り切る場合に、事実の面と即しない点があることも若干認めなければならないと思います。これは法律というものが事実とどうしても幾らか乖離する点からくる必然の結果でやむを得ないと思います。そういう点をお含みおき下さって私の申し上げることをお聞き取り願いたいと思います。  まずベトナムにつきましては、南北二つの政権に分れておりますが、しかしこれを一つの国として取り扱うということは、あらゆる面からの意図であると考えております。南北両方ベトナムの人々も、二つのベトナムということは希望しない。これはやはり一つの国家として考えていく。そうして南北の政権そのものも、おのおの自分は南部だけ、あるいは北部だけの政権であるということは認めないで、それぞれベトナム全体の政権であると主張しておるわけであります。その権力の及ぶ範囲は事実上区別されておりますけれども、しかし政府としては、国家としては一つであり、政府はその一つの国家を代表するという立場をとっておるわけであります。それから諸外国もやはり同じ立場をとっておるわけでありまして、五四年のジューネーブ会議で十七度線を境にして一つ境界線が引かれましたけれども、あのときにもはっきりと、軍事境界線はいかなる点においても政治的または領土的境界線と解釈することを許さないで、暫定的なものである、そういう了解がはっきりと書いてあるわけであります。従って諸外国も、これを二つの国とは見ないで一つの国である、そうして境界線は単に軍事的な目的のためのみのもので、領土的または政治的境界線ではないという了解をしておるわけで、従ってベトナムという国は住民の意思から申しましても、政府の立場から申しましても、また国際的諸外国の立場から見ても、一つの国家として取り扱わざるを得ない、これは単に権力が二つの地域に分れているということを除いては、やはり事実と法律とが一致すると思います。人々の意思、政府の立場、諸外国の立場から見て、一つの国家として取り扱うことは疑いをいれない。そうしますれば、一つの国家であれば、少くとも外国に対して政府一つでなければならない、これは国家から見て当然なことであります。そこでこのベトナムを外国に対して代表する政府、実際には二つの政権がそれぞれ自分が全体の代表だということをいっておりますけれども、それぞれの外国としてはこれをどう見るか、一つの国とした場合、そして一つ政府がこれを代表すると見た場合に、どの政府代表的な政府と見るかということは、結局それぞれの国の立場、政策の面から判断して決定される問題であります。そこで日本の場合はどうかと申しますと、御承知の通りサンフランシスコ条約で南ベトナムつまり今のベトナム共和国の代表者がベトナム代表してサンフランシスコ講和会議に出席し、日本はそれをベトナム代表者と認めて、この講和条約の署名、批准ということになったわけであります。そしてそのベトナム共和国が結局批准書を日本に寄託して日本との間に正式に国交が回復し、外交関係が確立された。そういう面から見まして、日本ベトナムとの関係は、ベトナム共和国政府ベトナムの正統政府であり、ベトナム全体を代表するものという立場にあることは、法律上から見て疑いを入れない点であります。そうしますれば、そのベトナム賠償問題を処理するに当って、日本政府として行くべき道は、南ベトナムベトナム共和国政府相手にして交渉をすることは、当然と言わなければならないわけであります。そういう点から見まして、南ベトナム政府賠償交渉を行なって、賠償協定成立させるということになったわけであります。この賠償協定はもちろんベトナム全体に対しての賠償でありますから、その意味では北部ももちろん含まれているわけであります。この賠償物資あるいは金をどういうふうに使うかということは、これはベトナム政府の国内問題でありまして、日本としてそれに干渉すべき問題ではない。向う政府が適当に処理すべき問題でありまして、日本としてはそれにとやかくいうべきものではないと私は思うのであります。  そこで、それでは将来ベトナム統一した場合に、かりに南ベトナムだけにその賠償物資その他のものが送られた場合にどうなるかという問題であります。南北政府が将来統一するようなことがあった場合——これは非常に望ましいことでありますが、しかし現在の見通しとしてはそう近い将来に私は可能ではないと思うのでありますが、将来そういうことがあった場合には、日本賠償協定はもちろんベトナム全体に対して効力を持つものでありますから、北ベトナムとあらためて賠償交渉をするとか、日本賠償を支払わなければならぬという問題は起る余地がない。おそらくベトナム統一ができるときには、そういう意味の事柄が国内的に調整されるものと解釈されますが、国際的に見れば、日本としましてはこれによってベトナムに対する賠償を全部完了したことになる。その点が事実上若干食い違ってきますけれども、しかしそれは今のようなアブノーマルな状態から来るやむを得ないことでありまして、法律的に見ればその点は疑いを入れない。将来ベトナムにどういう政府ができるか知りませんが、その政府ベトナム国家を代表するものでありますから、そのベトナム国家がそれまでに負っていた権利義務関係、債務関係は当然その新しい政府が継承すべきものでありますから、日本ベトナム国家との間に結ばれた賠償協定は、当然その統一後の政府が継承すべきものでありますから、それは要するに国家継承のベトナムの内部の問題であり、日本ベトナムとの関係ではこれによって賠償問題は完了するものと思います。  簡単でありますが、これだけ全体的に申しましてもし御質問があれば、あとでお答えしたいと思います。
  8. 櫻内義雄

    櫻内委員長 この際、植村坂本、横田三参考人に対する質疑を許します。なおお断り申し上げますが、植村、横田両参考人は十二時前に御退席の由お申し出でございますので、お含みの上御質疑をお願いいたします。松本七郎君。
  9. 松本七郎

    ○松本(七)委員 時間の関係で三人の方の御意見を中心に、まず質問させていただきたいと思います。  私どもがこの参考人の方の御意見を聞くのは、当然法律的な立場からもまた経済的な立場、政治的な立場すべてを総合して、果してこの賠償が妥当なりやいなやという判断をするためにお聞きするわけでございますから、当然これは三者それぞれの立場をばらばらに切り離して論議することはできないわけでございます。ただいま横田先生は特に法理論を中心に御意見を吐いていただいたのでありますけれども、できるだけ私どももそれぞれ専門のお立場を中心に御質問をしたいと思います。最初に結局問題になりますのは、今南北政府がある、しかし国境が二つにはっきり分れておるのではない。これはジュネーブ協定によっても法的にも分離されておるものではないということは、はっきりしたわけでございまするが、植村さんが最初に、この賠償に対してとった基本的な態度として述べられた中に、できるだけ早く全面的に解決する要がある。これは将来の経済協力のためにもまたこのことが望ましいのだ、こういう前提に立たれたわけです。それから横田先生も、それじゃそのことが法律的に不法あるいは不当かというとそうではないのだ、これは国際法的に見ても合法である、こういう御見解が述べられたわけでございます。横田先生は、しかるがゆえにその賠償を今実施することが適当かどうかということについては、御意見を述べられなかったのでございまするが、いわばこの賠償を実施しようとすることの法的な正当性というものを立証されたという関係に相なってくるのだろうと思います。それに反して坂本先生は、あらゆる観点から総合的に考えて、法理的な問題は、ジュネーブ協定の問題以外に国際法的なことはあまり詳しい御論議はございませんでしたが、結局これは将来も考慮しながら、ただ現実の北と南との貿易日本に対してどちらが多いとかいうことよりも、将来まで見通した上で統一実現まで延期するのが正当だ、こういう断定が下されたわけでございます。そこでこの点について問題になる点を少しお伺いしたいと思います。  まず第一には、できるだけ早く全面的に賠償問題を解決することが望ましいというのは、これは私どもも異存がないのであります。ただ問題は、今日のように南北政府が分れておる場合に、今急いで南政府を正統政府としてこれに賠償を払うことが、果して全面的な解決になるだろうかという点にかかってくると思います。もちろんこれについては、統一されようがされまいが、将来今後における日本ベトナムとの関係における法理上の問題も私は関係して出てくると思いますが、この点はあとで横田先生にお伺いするといたしまして、第一に北ベトナム側の政府が、今日日本南ベトナム政府賠償を実施しようとしておることをどういうふうに受け取っているかというところが、今後問題になるのじゃないか。つまり全面的な解決と北も認めてくれれば、これは問題はないと思いますけれども、日本側から言えば、これこそ全面的な解決なんだ、こういう判断をいたしましても、それからまた今御指摘にあったような北、南との貿易関係その他から考えて政治的な問題は別として、経済的には南の方が比重が重いのだ、こういう御説のようでごさいましたが、これは私どもが総合的にこの賠償の当否を判断する場合は、今の貿易関係だけで事を処理するわけにはいかないと思うのです。北ベトナムの将来性ということも、これは経済的な面から考えても当然考慮してかからなければならぬことでございますし、そればかりではなしに、当面の経済的な関係を処理するにしても、やはり現実にこの二つの政府があって、一方は賠償を急げ、急がなければ経済協力にもひびが入るというような考えを持っている。片方はこれは南だけにそういう賠償を払うことはけしからぬではないか、こういう意見が二つある現実は、やはり政治と経済とが完全には分離できない一つの事実なのです。そういう事実に基いて考慮した場合には、果して南ベトナムに対する賠償実施が北ベトナムにどう受け取られるか、このことが全面解決になるかならないかの重要な要素である。日本側だけからこれが解決だということでは済まされない問題がここにあるのではないか。そこでまず植村さんにお尋ねしたいのは、南ベトナム政府相手に今度の賠償を実施することが北ベトナムに対してはどういうふうに受け取られておると植村さん自身は判断されておるのか。これが全面解決にならないのではないかという私どもの不安に対しては、どういうお考えを抱いておられるかということをまずお伺いしたい。
  10. 植村甲午郎

    植村参考人 今のお話は非常にむずかしい問題ですが、北ベトナムがどうとるかというのは、今までいろいろな声明でありますとか報道を通じまして反対をしているということは、はっきりしているわけなのです。その意味からいって北ベトナムとしてこの賠償の締結に反対しているらしいということは考えられる。ただ私の申したいことは、今の全体の問題としてできるだけ賠償を早く解決したい。そうして相手になる政府としては現状からいってどうも南ベトナム政府以外にないという状況のもとにおいて、それではどんな内容賠償になってくるか。今懸案になっておりますものの一番の核心は電力開発をやるということになるわけであります。これは久保田参考人がおられますからいろいろ専門的な詳しいお話があると思いますが、いわば南ベトナム北ベトナムを通じまして、ダニム発電所計画というものは自然条件の非常にいい、また割合に送電線の距離なんかも工業地になるべきところに近いところで、もし幸いにして両者が統一されて一つの国になったというときにも、その国全体としての開発上の中心になる点であると思います。  また現在の貿易状況だけから判断できないじゃないかというお話もまことにごもっともであって、私どものその後の調査というものはあまりよく行われていないようでありますが、戦時中あるいはその後フランス等の文献から見ましても、率直に言って地下埋蔵物等の関係から言いますと、北の方に割合にあるわけであります。ただわかりませんのは、石油のようなものがどうなっておるかという点で、これはメコン川のデルタ地域で石油が出てくるかこないか、これが将来の一つの大きな問題だと思います。しかしながらそれでは農産的な関係、あるいは林産的な関係、そういうものからいきますと、南ベトナムにも相当多くの資源がございますし、また交通の関係その他からも利用の価値のあるところがあるということは言えると思います。  将来の問題としてどう考えるかということになりますれば、両ベトナム国が統一されて一緒になりますと、あの地域としては非常に力強いのではないか。今の電力にいたしましても、サイゴンにとりあえず引っぱってくるとその沿線の電灯もまかなえる、またサイゴンの電灯料が非常に高いのが相当安くなるという点もありますが、同時にカムラン湾その他北へ近い方の地点、これは工業化をしたいということを考えているようでありますが、その現状というような面からしますと、北の方と一緒にそれを考えますといろいろなおもしろい計画も立つのではないか。そんなふうに私この電源開発の問題を考えますについては、先ほど申し上げたように何か二億五千万ドルというようなことでやりあっていてもしようがない、具体的に持っていきたいという問題と、それから賠償というものをやりますときに、いわば賠償を払ったあとでそれがどうなったかわからないような形になることは、日本国民としてもきわめて残念である。たまたま電力の問題は経済開発の基本でもあるし、それからすぐ電灯料が安くなるという点もある。あとへ残る問題で日本賠償でいいことをやってくれたという一つのものとして末長く残る。しかもそれは民衆に直接響く基本になるのだ。こういうことで、ことにこの点に興味を持ったわけであります。従いましてどうあちらで賠償問題について受け取っているかということについて、そういう気持が反映しますれば、あるいはそういう点もあるんだと思ってくれるかもしれませんが、政治的には今の状況では反対されるであろうということは考えられるわけであります。
  11. 松本七郎

    ○松本(七)委員 これは先ほど坂本教授のお言葉の中にもあったのですが、これは戦争賠償ですから、やはりものの考え方は日本があのような間違った戦争をやって、いろいろな国にいろいろな被害、犠牲をこうむらせた。これに対して賠償として誠意を示してこれを償うのですからこれが根本なんです。そこでどのような被害を与えたか、その金額はどのくらいになるか、それを調査して、しからばこれだけの賠償をしなければならぬが、それにはどういう事業なら事業を興すためにやったらいいか、その段階になって相手国工業化実情なりその他の経済状態を考慮して、これにマッチするような賠償の具体的な内容をきめるべきだと思います。ところが今度のベトナムの場合は、先ほど植村さんのお話にもありましたように、向う工業化の必要、それから電力事情その他から電源開発が事業としては一番差し迫って緊急でもあるし、適当な題目だ、これを一つ何とかして実現するために賠償と結びつけようというふうに聞えるのでございます。その証拠には、今度賠償の五千五百六十万ドルというのが一応きまった。その数字の基礎というものは——先ほど坂本先生のお話にあったように、侵略は北から賠償は南からという言葉で表現されておりますが、そのような被害の実情調査した場合に、これの金額より上回るという結論が出るかもしれない。あるいはもっと少くて済む場合もあるかもしれない。そのいずれになるかは別としまして、今度のこのダニム・ダムを賠償の対象とした場合の金額の基礎は、一体どこから出てきたものでございましょうか。この点が今までの政府の説明では私どもまだ全然はっきりしないのであります。初当からタッチされた植村さんにお聞きすれば、あるいはもう少し理解できる程度の御説明が得られるのではなかろうかと考えますが、その点をお伺いしたい。
  12. 植村甲午郎

    植村参考人 今の問題は非常にむずかしい問題でございます。日本との関係において賠償としての損害をどのくらいと見るかということの問題でございまして、ベトナム政府が当初主張していましたのは、二億五千万ドルの賠償が必要である、こういうことを言っているわけであります。しかし日本側としては、それは額としてもとうていそれだけの賠償を支払うべき事実はないのじゃないだろうかということと、同時にまたかりにある程度の計算ができたと仮定しても、ほかの各国との今までの賠償との関係において常識的に考えられないじゃないかというような点は私どももそう思うのであります。  しからば一体どの程度賠償として考えていいかということになりますと、これはなかなかむずかしい問題だと思います。インドネシアの問題にいたしましても、フィリピンの問題にいたしましても、ビルマの問題にいたしましても、やはりその政府の計算するところは非常な天文学的な数字でありまして、わが方としてそれじゃ数字的にこういう損害の数になるからこれをどうという問題でなくて、結局はわれわれの方としても容認し得るし、またほかとの比較においても、まあまあというところに両方意見が一致したところでまとまるものだと思っております。従いまして、それではその根拠いかんというふうなことになりますと、政府としていろいろ資料を持っていらっしゃるかもしれませんが、私としてはそう詳しい、的確な、こういうことであるから今回の賠償の額は適正であるというふうなことは申し上げられない。  それから今お話のありました賠償の額がきまりまして、それから今度は、これは日本は役務もしくは物資でやるのでありますから、その内容をどう割り振るかということは一応の順序としてよくわかる。ただ今の二億五千万ドルというふうなものは、向うで言っているのは五億二千何百万ドルというのでありまして、それにいろんな道路とか水道とかあるいは鉄道だとか、また産業を興すその欲望からきましたこういうものを二億五千万ドルやってくれというふうなことを言っておりますが、そういうものはわれわれとしてはちょっと検討する内容になりませんので、ただその中にかねがねあちらで熱望もし、またわれわれも必要だと思っておりました電源開発の問題が総額五千万ドルとして出ているわけでありまして、それはあとの計画の中にも入っておりますが、それをさらに精査しまして、今の内容としての機械が幾らだとかなんとかいうことで外貨分が幾らというふうなことを考えまして、まあ電力の第一期分、それから追っかけて第二期分、その一部といいますか、外貨分になるものをまず賠償でやってやろうというような形に考えた次第でございます。
  13. 松本七郎

    ○松本(七)委員 この賠償の問題に取り組まれる御当事者としては、金額は相当な金額を賠償で払ったが、その使い道はどうなったかさっぱりわからぬというようなことよりも、やはり残るものにしたいというお気持はわかるのです。しかし横田先生もさっき意見で述べられたように、賠償で支払った後の使途ということは、これは向うの内政であって、それをこういう事業がよかろうとかいうようなことをまずこちらから打ち出すというふうなことは、これは内政問題にあまりにも深入りし過ぎる傾向がありはしないか。それも統一している場合ならこちらの誠意として受け取られることはあると思うのですけれども、今は不幸にして南北政府があり、しかも北側は賠償そのものに反対している。そういう関係にあるときに、その内容にわたってまでもそういうことの話し合いが進められる、そうして賠償額が逆算されてきめられる、その金額の基礎もはっきりしないということになりますと、私は将来のためにこれは相当な悪影響があるのではなかろうかという気がするわけでございます。  他の委員もだいぶ質問があるようでございますので、なるべく先を急いでお尋ねしたいと思いますが、横田先生に一つお伺いしたいのは、両政府があって、それぞれが統一政府であるとみずからそう考えている、従っていずれを統一政府として認めるかは、これはその国々、また第三の国々それぞれの考え方なり国際的な立場その他によって違いが出てくると思いますが、この賠償に限って考えてみましても、今南ベトナム政府相手に支払っても、将来北の方から要求されるようなことはないのだ、法理的に考えれば、今の南ベトナム政府は全ベトナム代表政府として日本相手にしているのだから、また南ベトナム政府もそういう立場で話しておるのだから、これで解決がつくのだ、こう言われるわけでございますが、北の政府の方としても、現に先生の御指摘のように北は北として自分が統一政府だという立場をとっている、そうなりますと、将来北の方からは、賠償はまだ解決しておらないのだという立場が法律的にも出てくると思う。その場合に日本側からは、今御指摘のように南を統一政府として相手に済ましたことだから、おれの方はもう済んだ、こういう。北の方からすれば、いやまだ済んでおらない、この議論北ベトナム政府日本政府両方の間の意見の食い違いとして出てくることは、これは法律的にもあり得ると思うのでございますが、この点はいかがでございますか。
  14. 横田喜三郎

    ○横田参考人 そういうことは確かに出てくると思います。従って理想的な解決法は、何といいましても統一政府ができて、それとやることが一番理想的ですが、さっき申しましたように、そういうことは実際問題として非常に困難で近い将来においてもなかなかそういうことはできる見込みがない。しかもこの賠償問題などは戦争の跡始末の問題ですから、なるべく早く解決することがどうしても戦争の跡始末としても必要ですし、今後の国際関係の処理の上においても必要である。賠償問題というものは、昔の戦争ですと、講和条約にはっきり何もかも書くわけですが、このごろは問題が非常に複雑だからそう簡単にできません。それでも、第一次世界大戦のときのドイツの賠償問題、これは長くかかりましたが、一九二四年のローザンヌで大体確定したと見ていいと思いますが、終戦後五年目であります。ところが、今度の日本などは、終戦のときから勘定しますとことしで十四年目であり、日本が独立したとき、講和条約ができたときから勘定しても七年目になりまして、こういう長い間不確定の状態に置くということは、あらゆる点からいってはなはだ好ましくない。しかも、将来、これから五年、十年の先に果して統一ができるかどうかわからないというのに、こういう問題をいつまでも残しておくことは、いろいろな点からいって望ましくないと思います。ですから、理想的にいいますれば、南北統一した後に解決するのが最善でありますが、それが相当長い聞不可能だとすれば、次善の策として、何とか今の状態で解決するということはやむを得ないと私は思います。そういうことでありますから、完全な解決はできないので、将来に残ると思います。かりに、統一したときに、北ベトナムについては、まだ自分たちは賠償を認めないのだからといって、向うから交渉があるかもしれない。それに対して日本の方では、いや、それはもうそのときの事情で日本は解決したということになって、また外交でいろいろ交渉して話し合いがうまくつけば、それが一番けっこうだと思いますが、どうしても話し合いがつかないということになれば、私は国際司法裁判所にでも訴えて裁判的に解決すべきであろうと思います。日本もそういう方針をとっておりますし、こういう問題は国際法上の問題でもありますから、裁判所などが解決すれば一番適当だと思います。そこで、裁判所に出した場合に一体どちらが勝つだろうか、これはもちろん予測はつきませんが、裁判所は国際法の立場から解決するものでありまして、私の見込みでは、その場合には日本の立場は十分是認されるだろうと考えます。
  15. 松本七郎

    ○松本(七)委員 もう一つ植村さんにお伺いしておきたいのは、先ほどは南北貿易関係の数字をあげて御説明になったのですが、それと同時に、私の質問に対して、北側は、今までの経過からしても、おそらく相当強い反対をするだろう、こういうお考えのようでしたが、私の聞いておるところでも、この賠償問題がだんだん大詰めに近づくにつれて、北側はますます硬化して日本ベトナムとの貿易協定もだめになるのじゃないか、そればかりではなしに、その結果、北ベトナム日本との貿易は断絶する危険さえあるのだ、こういうふうにいわれておるのでございますが、植村さんのお立場としては、たとい北との関係はそういうふうになっても、南との関係を深めるためならば賠償を急いだ方がいい、このお考えには今なお変りはございませんでしょうか。
  16. 植村甲午郎

    植村参考人 これは虫がいいと言われるかもしれませんが、私の考えを率直に申しますと、われわれ現実の立場に立っておる者といたしましては、ことに輸出を必要とするわが国として、南ベトナムとの貿易の額が非常に大きいものですから、これを重視せざるを得ないということが基本的にあるわけであります。しかしながら、日中貿易についても日本政府の態度はいけないということをあちらで言われますから、これについても同様の問題が出てくるかもしれませんが、経済交流の関係としましては、やはりできるだけやりたいと思っております。たとえば、北ベトナムとの関係は、今までのところでは輸入の片貿易になっておるわけであります。これがプラス輸出の方も出てくるということはけっこうでもあるし、輸入の問題としましても、私そこのところをもう少し詳しく究明しないといかぬと思いますが、たとえばその大宗をなすものはホンゲイ炭であります。ホンゲイ炭輸入は相当昔からあって、カーバイドの原料というようなときには、あのホンゲイ炭が特にいい性質を持っていて、今まで使われているわけです。ところが最近伺いますと、これも人らなくなったのですが、これはむしろこちらの方で炭界の事情が御承知のような関係だものだから、マーケットの方が買えなくなってきたというようにも聞いております。政治的にどういうふうな点があるか、その辺のところをもう少し究明しないと確たることを申し上げられませんが、経済状況が悪くなって、こちらの需要が減ったものだから入らないというような問題であるとすれば別ですが、今の、政治的な関係によるとすれば、ホンゲイ炭の消費先というものは、自家消費以外に日本は相当重要なものでありますから、この経済上のお互い関係として、これも何とか打開すべきであるし、打開されることを願望するわけです。  それからもう一つは、今東南アジア諸国どこでもそうでありますが、あちらの物資をできるだけ買わなければいけないわけです。ちょうど今のホンゲイ炭というのは、米と少し似たようなところがありはしないか。あちらとしては、当面外へ出す問題としては、需要の問題もあるわけでありますが、日本が各東南アジアの米産地からいわれますように——米は今できるだけ買うという態勢をとっておりますが、こちらの需給が工合が悪いと、どうもそれが減ってくる、従って日本は物を買ってくれないというような非難をされるわけであります。そういうような関係もありますので、経済上の観点からいえば、今の貿易断絶というような政治的な発言がありましても、ほんとうはもう少し現実に即した、お互い協定というものが経済上についてはできていいのではないかというように——これはいやそんなことはない、絶対いかぬぞと言われるかもしれませんけれども、私はそう思う。
  17. 松本七郎

    ○松本(七)委員 坂本先生はまだ残っていただけるのでございますね。——それではまだ久保田さん、それから中川さんもおられますから、それらの点はあとで質問するといたしまして、お二人の方お急ぎのようですから他の委員に譲りたいと思います。  ただ坂本先生に対して御質問したい要点だけちょっと述べておきますから、あとで一つ御説明願いたい。それは、北ベトナムの対日政策と申しますか、それと、日本に対する感情、特に坂本先生は最近現地に行かれて、向うの事情をよく御存じだそうでありますから、そういう点少し御説明願いたいと思います。それから、いわゆる平和的統一とよくいわれておりますが、これに対して北ベトナムではどういう政策努力をしておるか、特に対南ベトナム賠償反対しておる運動の実情、それから、これはさっき植村さんがお述べになりましたことですが、日本と南北ベトナムとの経済関係、特に最近北との関係がどういうふうに移り変っておるか、それから南と北それぞれのベトナム経済力の比較、これらの点を御説明願いたいと思います。  ここで一応私打ち切ります。
  18. 櫻内義雄

  19. 佐々木盛雄

    ○佐々木(盛)委員 私非常に時間を制約されておりますので、一点だけ、二、三分承わりたいと思います。  先ほど松本君は坂本徳松参考人に対する質疑を留保されましたが、私は五分間ほどでありますから、一つ横田喜三郎参考人のおられます間にあなたの意見を承わりたいと思うのであります。  そこで、先刻あなたの御説明を承わっておりますと、南ベトナム共和国は決してベトナム代表する正統政府ではないという結論に立ってのお話でございました。不幸にして私はあなたのそういうことに対する法理論上の見解を承わることができませんでした。ジューネーブ協定は援用されましたけれども、日本との関係についてはあなたは言及せられなかった。あなたはだいぶ強烈な意識をお持ちのようで、たとえば日本のアジア敵視政策というようなことまでおっしゃっておるようでありますが、私は不幸にしてあなたと思想的見解をだいぶ異にいたしております。が、あなたは大学の教授でありますから学究の徒であります。従って荒唐無稽なことをおっしゃるわけではなく、非常な御研究の結果おっしゃるわけでありますが、承わるところによりますと、国際政治の方を担当なさっておるようであります。国際政治の問題もまた国際法、国際社会を律する法律上の通念なくしては成り立たないと思うのでありますが、私は横田先生の説をとるものであります。つまり日本とのサンフランシスコの講和会議にはベトナム代表して出席し、この条約に参加したものは南ベトナム共和国であって、この南ベトナム共和国と日本との間に外交関係が今日あるわけで、日本南ベトナム共和国は相互に承認し合っておるわけでありますから、南ベトナム共和国が正統政府である。しかりとすれば、その南ベトナム共和国と日本との間に賠償問題を解決することは当然のことである。従って、もしも南ベトナム共和国との間に賠償問題が解決した暁において、万一北ベトナムの方から日本に向って賠償の問題が提起されてきても、それは賠償請求権がない、こういうふうな法理論上の立場をおとりになっておるわけであります。私もそういう考え方に賛成するわけでありますが、あなたはこの横田先生の説をあなたの立場から一つ反駁なさることを、あえてこの際やっていただきたいと思う。私は横田先生のおられない席でまたこういう問題を持ち出してもなにかと思いますから、先生のおられる前で、一つあなたの明快な法理論上の見地を明らかにしていただきたいと思います。
  20. 坂本徳松

    坂本参考人 第一に、私はジュネーブ協定に違反する点、第一条及び第十四条に違反するという点を指摘したのですが、このジュネーブ協定違反ということは単に形式的な意味だけでなくて、その際も言いましたようにベトナム現状に即しない。こういう事実に忠実である、真実を伝えるということこそがすべての理論の根拠でなくてはいかぬと思います。私は、尊敬するインドのガンジーが、真理に対する忠誠は他のすべての忠誠にまさるということを言ったことを今思い出すのですが、ベトナムの事実に、現状に即しないということは、単に政治論とか常識論とかいうことでなくて、法律が当然そこに基礎を置くべき事実を重視するという点を強調しておるわけであります。たとえば賠償の根拠——ジュネーブ協定を離れまして、賠償の根拠ということを、先ほど意見が出ましたから、私の立場からいいますと、南ベトナム日本賠償要求している根拠の数字というのは、植村参考人が言われた二億五千万ドルに至るまでには、その以前においては二十億米ドルということになっております。これは日本に駐在しておりますベトナム共和国の大使、ブイ・バン・ティン氏がアサヒ・イヴニング・ニューズの記者に昨年の一月インタビューして述べた数字であります。これによりますと、日本軍の徴発から生じた人為的な飢餓による百万の餓死者に対する賠償が一人二百米ドルとして十億米ドル。それから第二番目に、一九四三年から四五年間の鉱業損害、これは石炭について八百万トンの減少、亜鉛について一・四万トンの減少、すずが九千トン、鉄が五十六万トン、それから労働力、これは一九三九年の五万五千七百人から四千人に減少したという計算を出しております。工業については、精米業が労働日にして九千日の損害、マッチについて一九四〇年から四五年を一九三九年に比べて七百万箱の減少、セメントが同じく百万トンの減少——もう少しですから数字を言いますと、農業が、米の輸出の減少が五百八十万トン、ゴムの輸出の減少が二十二万四千三百トン、貿易損害が一九三九年を基準として日本軍占領中の損害八億五千八百万米ドル、関税収入減が輸入総額の一五%という算定で一億二千万米ドル、財政上の支出が最後につけ加えられまして、日本軍への前渡金の支払いによって生じたインフレのための通貨膨脹は一九三九年の八倍に達した、インドシナに属する円貨とインドシナから日本への輸出品価格に当る円貨に対する日本での封鎖……
  21. 佐々木盛雄

    ○佐々木(盛)委員 私の質問と違う。
  22. 坂本徳松

    坂本参考人 いえ、もう少し聞いて下さい。以上合計いたしまして二十億米ドル、この損害が北に及ぶという保証がどこにもないのです。ただ全ベトナム代表するということだけで、これが事実上全ベトナムに、もっと具体的にいえば、北に及ぶという保証がない。法律的にもないわけなんです。その点を私ついているわけです。この点がさっき言いましたように、ジュネーブ協定と同時に、ベトナム現状に即しない、そういうことであります。
  23. 佐々木盛雄

    ○佐々木(盛)委員 わかりました。私の質問したこととあなたの御答弁とはだいぶ食い違っておる。私はあなたのそういう御説はまた別な機会に承わりますが、法理論上、横田先生のおっしゃったことに、あなたは承服できないという点があるなれば、法理論上これを反駁していただきたい。私は横田先生の説が今日国際社会に通用するところの通論であると考えておる。しかし、あなたはそうでないと言われるならば、ないということを、法理論上どういうところに根拠を求められるかということを明らかにしていただきたい。
  24. 坂本徳松

    坂本参考人 私は繰り返し言いますが、ジュネーブ協定第一条、第十四条ということと、それに関連した、ベトナム現状に即しないということは、私の立場からの法理的根拠だと考えております。
  25. 佐々木盛雄

    ○佐々木(盛)委員 坂本参考人に承わりますが、しからば日本との平和条約、講和条約に基くこの事実というものはどんなふうに考えますか。
  26. 坂本徳松

    坂本参考人 その点先ほどから、一つベトナムであるということは、南ベトナムの憲法にも出ております。べトナム民主共和国、北ベトナムの憲法にも、統一ということはうたっております。その点は憲法にきめられてあるから、この点では一つの国家であるというふうな解釈が成り立ちます。  それからサンフランシスコに出席した国を日本は自動的に承認した結果になるから、現在のところ合法的な政府南ベトナムだけであるということはできます。できますが、南ベトナムが全ベトナム代表するということはどこからも出てこないのです。しかも現状に即しては出てこないわけです。その点を私は言っているわけです。
  27. 佐々木盛雄

    ○佐々木(盛)委員 これで打ち切りますが、横田先生、その説に対する御所見を伺いたい。
  28. 横田喜三郎

    ○横田参考人 事実的にいえば確かにそうであります。しかし法律的に見ますれば、一つの国家であると人民政府も諸外国も認めている場合、その一つの国家を代表するのは一つ政府である、そういうふうに今まで国際法は実施してきているのでありますから、国際法の通念からそう考えざるを得ないと思います。坂本さんのお話は、南北が二つだという前提の上に立っているようですが、しかし南ベトナム政府北ベトナム政府も自分自身別だとは考えていない。それは実際事実に反するわけです。実際北ベトナム南ベトナムにいかなる権力も行使できないし、南ベトナムもそうであります。そして政府自身が事実と反する法律論を振り回しているのですから、どうしたって事実と法律が幾らか食い違っているのはやむを得ない。そういう点から見まして事実だけを強く主張していながら、そして法律論をその通りやっていない国の立場をまた是認しようとすることは、私はどうしてもできないのだろうと見ます。ですから事実と食い違うことはやむを得ないが、従来の国際法の通念からいえば、そう解釈せざるを得ない。ただ問題は、従ってあとで統一政府ができた場合に問題が残るが、その問題はさっき申しましたように平和的な外交交渉によって解決するか、それができなければ裁判によって解決するという以外に方法はない。またそれで適切に解決ができるものと私は信じています。
  29. 櫻内義雄

    櫻内委員長 岡田春夫君。
  30. 岡田春夫

    ○岡田委員 私いろいろお伺いをしたいのですが、横田先生と植村先生がお帰りになるそうで、要点だけお伺いをして参ります。私は法律的な根拠としても横田先生と違うのでありますが、横田先生にまず第一点にお伺いするのは、はなはだ失礼でありますが、横田先生は外務省と法律上どういう御関係になっておられますか。
  31. 横田喜三郎

    ○横田参考人 外務省参与ということになっていまして、法律的なことについてアドバイスを与えることになっています。しかし私が国際連合の国際法委員の立場からもそうでありますように、全く法律上のアドバイスだけに限っておりまして、政治問題には全然触れないことにしております。ですからさっきも申しましたように、私はここでの参考人としても、法律問題を聞かれたと思うから法律的な立場だけ、それは私が三十五年間東京大学で学者としてやってきたその立場をとっているのであります。
  32. 岡田春夫

    ○岡田委員 外務省と非常に密接な関係におありになる横田さんとしてお話を伺って参りたいと思うのです。先ほどは南のベトナムを正統政府というようにお話しになっておられますが、先ほどの陳述の中を伺っておりますと、実質的に南の政府があると同時に、北のベトナム政府というものをこれは事実上の政府としてお認めになるのですか、どうですか。
  33. 横田喜三郎

    ○横田参考人 事実上の政府ということはいろいろな意味に使われていますから、一口に事実上の政府といいましても、そう簡単にはいえないと思いますが、つまり事実地方で地域的に権力を行使している政権という意味では、事実上の政権だと思います。
  34. 岡田春夫

    ○岡田委員 そういうようにお答えになるだろうと思うことは、ジュネーブ協定に基いて軍事境界線が十七度線である。そこまでしか現在ゴ・ディンジェム政府の施政というものは及んでない。北の方は十七度線しか及んでおらないということになれば、二つの政府が事実上の政府としてあるということになりますか。
  35. 横田喜三郎

    ○横田参考人 事実上の政府としては二つありますが、法律上の正統政府としては南ベトナム日本に関する限りは一つであります。
  36. 岡田春夫

    ○岡田委員 正統政府が、日本に関する限りというお話でございますが、ジュネーブ協定というものを法律学者としては当然お認めになると思うのですが、ジュネーブ協定後において南ベトナム政府というものが正統政府であり得るという根拠がありますか、その法的根拠をもしお話いただければ伺いたいと思います。
  37. 横田喜三郎

    ○横田参考人 根拠というのは、つまりある事実上の政府をその国の正統政府と認めるかということは、つまり政府の承認の問題で、日本政府がそう認めたということはサンフランシスコ講和条約、その後の外交交渉において日本がそう認めてきているのですから、日本にとっては正統政府であります。
  38. 岡田春夫

    ○岡田委員 ジュネーブ協定との関係はあとでお伺いしますが、桑港条約に調印したのはベトナム国であります。現在のゴ・ディンジェムというのはベトナム共和国であります。ベトナム国とベトナム共和国との継承関係について、どういう形で正統政府として継承されているか、その法律根拠をお伺いしたい。
  39. 横田喜三郎

    ○横田参考人 私もはっきりと覚えておりませんが、あのときはバオダイ政権であったと思うのです。それがあのときできた憲法に従って、現在の憲法が合法的に改正されて今のベトナム共和国になったのでありますから、従ってそのときの正統政府が現在の正統政府として継承しているわけであります。
  40. 岡田春夫

    ○岡田委員 どういう根拠ですか。調印したときはベトナム国であります。それからバオダイがおったときでなく、ゴ・ディンジェムになってから憲法が出されて、そしてその憲法に基いて選挙をやってゴ・ディンジェム大統領になった、ここに継承関係が何らか明らかになっているかどうかという点と、その継承関係に基いて日本の国がベトナム共和国というものを継承国として認めている法的な根拠がございますか。
  41. 横田喜三郎

    ○横田参考人 それはちょうど国家に革命その他があった場合に、国家の継承があとでできて、承認された政府が前の政府を継承して国家を代表するということは、たとえばフランスの例をもって見ましても、前のヴィシー政府が事実上倒れて、あとド・ゴール政府が継承して、そしてつまりド・ゴール政府を正統政府として承認した国家にとっては、フランス国家というものをそのド・ゴール政府代表するのですから、そこで国家の継承があり、政府がそれを代表することになります。また第五憲法と最近いわれております、ド・ゴールによって最近こしらえられましたのも、これも憲法が変って国家体制が変ったわけでありますが、しかし前の政府を今の政府が継承していることは当然であります。
  42. 岡田春夫

    ○岡田委員 この点について実は法律的にだいぶ意見があるのですが、私ばかりやっていると十二時になってしまいますのでやめますが、ジュネーブ協定を横田先生お認めになっているわけですが——そうなんでございましょうね。
  43. 横田喜三郎

    ○横田参考人 もちろんそうです。
  44. 岡田春夫

    ○岡田委員 そうするとジュネーブ協定は御承知のようにベトナム民主共和国フランス軍との協定であります。ベトナム共和国との関係はどういうようになりますか。
  45. 横田喜三郎

    ○横田参考人 それはつまりベトナムフランスの一部の地域であって、それをフランスが独立させてベトナム国家を作り、そしてそれがベトナム共和国に継承されたものでありますから、フランスとの初めの協定によってベトナム国家が独立し、そしてそれを今のベトナム共和国が承継した、従って外国はその母国と独立した国との関係を承認するという形になるわけであります。
  46. 岡田春夫

    ○岡田委員 フランスベトナム共和国に継承された、そこで初めてジュネーブ協定後において国際的な権利義務を生ずる地位を取得した、こういうことになりますね。そうするとそれ以前にあった何らかのベトナム日本との関係における権利義務ということは、ここで一応切れたという解釈になりますか、いかがですか。
  47. 横田喜三郎

    ○横田参考人 ベトナム国家ができたのは確かにジュネーブ会議前でありますが、そのジュネーブ会議前にできたものについてベトナムという国家は前からあったわけでありまして、そのベトナムが独立したときにベトナムという国家ができて、それが共和制という体制に変ったことは、ただ政体が変ったのにすぎない。ちょうどソ連につきましても、ロシヤ帝国というものがあって、それをソビエトが継承したのですが、そのときにもソ連は債務関係では国家が違うのだ、だからロシヤ帝国の時代の債務はソ連は負担しないと主張したのでありますが、しかし領土関係につきましてはロシヤ帝国のときの領土を自分たちは継承したのだから、その領土をたとえば日本などがシベリアに出兵したのは領土の侵害だと言ったのですが、そういうわけでソ連は自分の都合のいいときは国家が別だ、都合の悪いときには国家が同じだということをしたのでありますが、しかし国際法上から見ますれば、人民と領土とが同じで、ただ政治体制が変ったときには国家は同一性を保つのが国際法の通説であります。従ってベトナム国家というものがジュネーブ会議ができましても、その人民、領土というものが同じで、そうしてその政治体制が今までのベトナム国がベトナム共和国に変っても、それは単に政治体制が変っただけで、国家としては同一である、その国家を代表するものがだれかという問題は、つまり今までベトナム国を代表していた政府が、今度はベトナム共和国を代表することになって、日本はそれまでベトナム国を代表していた政府を承認していたのでありますから、それを承継したベトナム共和国の政府ベトナムの正統政府として承認しているわけでありますから、それは当然ジュネーブ協定によって左右されないと思います。
  48. 岡田春夫

    ○岡田委員 これはいろいろ問題があるのですが、これ以上言わないことにします。というのは今のような回りくどい御説明をしてもらってもまだ納得ができないのです。というのはジュネーブ協定で切れている。日本の国があらためてそこで承認するなり何なりするなら別ですが、継承国として初めて取得した地位でしょう。それならばそれ以前のものをそのまま有効であるとかなんとかいうことについては何らかの法的根拠がなくてはならないと思うのですが、この点はこれ以上言いません。  しかしそういう点で継承されるというお話ならば、その論拠に立ってもう一点お伺いいたします。南北統一された場合において、統一政府がかつて過去の政府において取りきめられた何らかの権利義務、具体的に言うと賠償、これを破棄する権限はあると思う。これは具体的な例で言うならば、例は悪いけれども汪兆銘政権のときに結ばれた日本帝国主義政府と汪兆銘政権との間に結ばれた権利義務は、終戦後において蒋介石政府ができたときにそれを破棄通告をすることによって、これは一方的に無効になる。これが事態変更の原則だと思うのですが、統一政府の場合においてもこれを破棄するという権限はある。従ってあなたが先ほどお話のありましたように、今賠償の問題を解決したつもりであっても、先方の国としてはこれを破棄するという権限がある。従って賠償の問題はそのときさまで未解決であるということになりませんか、いかがですか。これは法的な根拠であります。
  49. 横田喜三郎

    ○横田参考人 あとからできた政府が破棄する権限があるとおっしゃったのですが、権限があるということは、つまり事実上破棄するというだけでなしに、相手の国にそれを承認すべき義務があるということを意味する。権限といえばそうなるのですね。しかし国際法上からいいますれば、前の政府が国家を代表して負担した債務及び法律関係は、あとの政府が当然それを継承するというのが国際法の一般原則であります。従ってそれを一方的に破棄することは、法律上からいえば私はできないと思います。もちろんもし事実上破棄するということを言うかもしれませんが、そうすれば日本としては、いやそれは破棄できないんだということで争って、そこで何とか政治的に外交折衝をすればよろしいが、もしできなければたびたび申しますように法的に司法裁判所で解決するほかはない。その場合にどうなるだろうかということになれば、私は今までの国際法上から、そういう場合には政府は前の政府が負担した国家の債務は継承するということは当然なことでありますから、それを破棄するということは、事実上破棄できても法律上は破棄できないと思います。
  50. 岡田春夫

    ○岡田委員 どうも見解の相違ですが、今の先生のお話を伺っておりますと、もうこの問題に関してのみは事態変更の原則は認められない、こういう見解である、こういうようにお話になったのではないかと私は解釈するのです。これについてまだまだお伺いしたいのですが、ただ一点だけ別の問題に人って伺いますが、賠償問題を話する場合、当然これは法律的な根拠として——私は今日は政治問題は全然横田先生には伺いません。法律的な意味においては平和条約の第十四条に基いて賠償交渉が進められる。賠償交渉が第十四条によって進められるとするならば、ここにあるように日本国によって損害を与えられた連合国が希望する場合には、与えた損害を修復する費用をこれらの国に補償することに資するために当該連合国はすみやかに交渉を開始するもの、このように何らかの戦争損害というものが根拠になっておらなければ、賠償としての話というものは進めらるべきものではない、こういう点が条文上明らかになっておると思うのですが、この点を法律的にいかにお考えになりますか。  第二の点は、そういう何らかの根拠というものと、先ほどからお話がある経済協力に類すべきもの、これとは峻別すべきものである、法律的に見てこの点は峻別すべきものであると考えるが、この点はいかがですか。
  51. 横田喜三郎

    ○横田参考人 講和条約の第十四条(a)項で日本賠償すべきものは、おっしゃる通り日本の軍事行動その他によって行われた損害賠償するということになっております。それと今の経済建設的なものとが全然別なものだ、ということは確かにその限りでは正しいと思います。ただ賠償問題の性質が、最近は昔の賠償とは非常に違ってきておることは御存じの通りであると思います。昔は金で賠償をして、それをその国が自分の思うようにやったものですが、第一次世界大戦の結果、金でやるということは非常なインフレを引き起す、また実際そういう金では払えないというので、第二次大戦では物資もしくは役務ということになってきたわけであります。そうなると結局物資や役務ですから金ならば幾ら渡して、向うが受け取る。そして向う損害を受けた者になるということになるが、物資とか役務ということになると、そう簡単に損害を受けた人だけにそれを償うような方法ということは、非常に困難であります。どうしてもやはりもっとほかの方法が考えられなければならない。これはもう賠償の性質が変ってきた必然的なことだろうと思います。そうしますと向うからどういう方法でどういうものをやりたい、そうすると日本としては、そういうものは日本から見て適当に提供できるかできないかという話し合いが当然なされなければならない問題で、これはつまり賠償が金でなくて役務もしくは物資ということになってきて、どうしても日本として適当なものでなければ困るということになってくるので、理論的には別なものでありますが、実際問題として解決していくと、どうしてもそれでは日本の方で提供し得るものでどうするか、あるいはまた日本としてもなるべく意義のあるものということになってくるから、実際問題から見るとある程度関連してくることはやむを得ないと思います。
  52. 岡田春夫

    ○岡田委員 横田先生はこれで終りますが、今だいぶ政治論をお話になっておられるようでありますが、こういうように政治的な動きを法律論の立場から見て、そういうように賠償が変質したということは、十四条を法律的に解釈した場合に、こういう変質が妥当だと思われますか、どうですか。
  53. 横田喜三郎

    ○横田参考人 私はそう解釈しております。なぜ第二次大戦で役務、物資ということが行われたかというと、第一次大戦のときの経験に照らしたのでありまして、政治論とおっしゃるけれども、これはむしろ賠償というものの性質が法律的にもある程度変ってきたということから来るので、私としては法律の立場をとっているつもりであります。つまり賠償というものの性質あるいは賠償義務というものの性質が、第二次大戦においてはそういう変化を来たしていると考えております。
  54. 岡田春夫

    ○岡田委員 もう私は横田先生から伺いませんが、私の申し上げているのは、第二次戦後においても役務賠償と生産物賠償とを違えた側がはっきりあります。イタリアの賠償の場合なんかは、役務賠償と生産物賠償とを違う形の賠償方式をやっております。ですからこの十四条からしても、生産物賠償がやり得るというようなことは、これは法律的な論拠としてはどうしても私は出てこないと思います。こういう点を横田先生がはっきりお話しになることを実は期待しておったのでありますが、十四条からはどうしても現在のような賠償の変質というものは出てきてもやむを得ない、こういう御解釈でありますから、これはもうやむを得ません。しかしこれでない方式によって生産物償償、イタリアの賠償の例によってはっきりやり得るという道もあるのでありまして、そういう点はもう少し法律的に伺いたかったのであります。しかしこの点はよします。  植村先生がおられますので、第一点は、先ほど賠償を進めるということは、これは経済的にもどんどん交流を進めて協力をすることだ、こういうようにお話しになったのですが、これは政治と経済とは分離できないということを意味しているのではありませんでしょうか。岸さんが最近は政治と経済を分離するということをおっしゃっておられますが、岸さんの御意見とだいぶ違うのでございましょうか、どうなんでございましょうか。
  55. 植村甲午郎

    植村参考人 そうすると先ほど私は矛盾したことを申し上げたことになっているわけですが、北との貿易についてもやはり政治と経済を分離してやりたいものだという願望を申し上げたのですが、今の賠償関係は、これは政治と分離できないというその内容が違うと思うのです。やはり経済の交流を進めていく上から申しまして、賠償というものが残っておりますと、ことに当該国としてはことごとに引っぱり出される。それからいわば全体としての今の賠償の地図というものができませんと、あとの各国との経済交流という点からいっても、見当がつきにくい点がある、こういうような面で申しておるわけでありまして、今の総理大臣の話とどう関連するかよくわからないのですが……。
  56. 岡田春夫

    ○岡田委員 賠償の論拠については今先生もお聞きの通りに、十四条に基かなければなりません。そうするならば、何らか賠償交渉をする場合に、日本側として賠償の金額はこれだけであるという、戦争被害というものを先生がお持ちになったのであろう——これは行かなければ交渉になりませんから、お持ちになったんだろうと思いますが、この点は外務省から特使としておいでになるときに、資料をお持ちになったんではございませんか、いかがなものですか。
  57. 植村甲午郎

    植村参考人 それは資料というものは持って参りません。しかし大体の考えはもちろん聞いて参ったわけであります。
  58. 岡田春夫

    ○岡田委員 資料をお持ちになっておらなかったということは、われわれにとっては非常に重大な問題だと思うのです。その点はしかし意見は申し述べません。これはあとでわれわれ審議の場合に取り上げて参りたいと思います。  第二の点は、その資料をお聞きになった場合において、いかがでございましょうか、大体その戦争損害北ベトナム地域に入るべきものが大半であったと思いますが、そういうようにお聞きになりませんか、いかがですか。
  59. 植村甲午郎

    植村参考人 日本軍の行動範囲とかいうふうなものと関連して参りますと、相当北の関係が深かったということは一応言われます。ただ今の賠償は南に対する賠償という考えでやっておるわけでないのでありまして、全ベトナムの民衆全般に対する迷惑その他ということになるわけでありまして、内訳がどうなるかということは私よくわかりません。話を聞いていると、つまりベトナムの農民その他に与えたことということが相当の主張される部分になりますから、そうすると結局ハノイ付近からあの辺と、それから南の方の、つまりサイゴンからこっちの付近でございます。結局この二つになって、やはり相当大きな農民地帯と考えられますから、相当なものが入っているだろうということは、理論的に考えられると思います。
  60. 岡田春夫

    ○岡田委員 もう一点。先ほど植村さんのお話しに、大統領損害の二億五千万ドルの論拠についていろいろお話しになったということがございましたね。その資料は私も見ておりますから知っております。その資料の大半は北ベナトムの損害であります。とするならば、南の方のものが日本の方から特別に持っていったなどとは考えられません。そうすると北ベトナム損害南ベトナムに払うということは——実際上の政府として、横田さんが言われたように北の政府にあるのを事実認める、北にあるという現実は今お聞きの通りでありますが、北の損害を南に払うということに矛盾をお感じになりませんか。これは全ベトナム代表するとかなんとかいう法律論拠や、あとの弁解を言われるようなことは別として、今の先生のお話しのように南北統一というのはいつのことかまだわからない、こういうお話しであるとするならば、現実には南の政府があり、北の政府があるのに、北の損害を南に払うということは矛盾したことだということをお感じになりませんか、いかがでございますか。  それから第二の点、これはむしろ横田さんに伺いたかったのですが、南においでになっておわかりでしょうが、ジュネーブ協定関係から見て、統一ができなくなっているという責任はだれが一体そのようにさしておるのか。五六年にジュネーブ協定に基いて統一選挙をやることになっておったのに、反対したのは南ベトナム政府じゃありませんか。この点はいかにお考えになりますか。しかもこれは国際監視委員会の正式リポートの中にはっきり出ております。この点をぶち壊しているのは南ベトナム政府であって、現在統一できなくなっているこの責任は、明らかに南にあるということをお認めになりますか、いかがでございますか。二点を一つ伺いたい。
  61. 植村甲午郎

    植村参考人 これは今申し上げたように、日本として相手にし得る政府というものが——相手にという言葉はいかぬと思いますが、正式に賠償交渉をし得る政府ゴ・ディンジェム政府であるという立場から、北の地域についての損害があったということはもちろん認められるにしても、やりようがないというふうに私は思います。それから私の気持から言うと、今の電源なんというものは、結局両方に使えるようになっているというふうに思うのです。それが一つと、あとの問題は、これは私どもよくわかりませんけれども、しかし統一が一日も早からんことを望むわけでありまして、われわれとしても困るわけであります。両方一緒になって、そして統一的に考えられれば一番いいわけであります。その責任はどこにあるかということになりますと、ほんとうの責任は世界の両陣営の対立というところにあるのかもしれませんが、ちょっとそこのところは私にはよくわからないのです。
  62. 岡田春夫

    ○岡田委員 どうもありがとうございました。
  63. 櫻内義雄

    櫻内委員長 植付先生、どうもありがとうございました。  続いて参考人の御意見を承わります。久保田豊君。
  64. 久保田豊

    久保田参考人 私は戦争前また戦争東南アジア、ことにベトナムをよく承知しておりますので、御指名になったのだろうと思いますが、ことに植村参考人からもお話がありましたように、ダニム電源開発がこの問題に入ったということに多分皆さんの非常な御関心があるのじゃないだろうかと思いますので、主としてそのことを時間の節約上申し上げたいと思います。  私が戦後参りましたのは一九五五年、昭和三十年の春でございました。向う政府に接触しました当時、私の立場は東南アジア及び中米、そのほか方々を回りました。日本の技術を使ってくれ、日本経済援助でなく、経済協力というものについて話をして回っておりました。その効果といたしまして、ただいまビルマの電源開発をやっておりますし、またそのほか各国、パキスタンにおいても、インドにおいても、方々接触をもってお手伝いをいたしておる次第であります。当時そういう話を向う政府当局にいたしましたところが、大へんいいお話だからぜひ将来そういうようなことについて協力をしてくれ、ただフランスの側から非常な経済援助があるので、その方の技術協力をだいぶ受けておる。ただいま直ちにどういう問題を具体的に取り上げるということは困難であるが、電源開発をしたいと思っている。電源開発に対しての知恵を一つ貸してくれということが出発点でございまして、ただ電源開発フランスがすでに調査をしておるので、むしろそれを使った安い電気を使うという方面をやってくれというのが第一歩でございました。その後話が進みまして、向うの希望でございますが、お前の電源開発についての意見を聞きたいから一ぺん見てくれというので、ダニム発電所を見たのでございます。それは一九五五年、昭和三十年の九月でございます。当時私賠償問題については当然知りませんし、またそのときにはさような問題はなかったと考えております。そうしまして私の意見を聞こうとし、もしこれが調査をされるならば非常に早くできる。当時フランスは疲弊していて非常におくれておったのであります。もう五年もやってさっぱり効果が上らぬ、それについてはうわさを聞いたのでありますが、フランスは口ではそういうことを言うが、あまりやりたがってはおらぬのではないかという話などもございまして、ぜひ一つ調べてくれぬかということでありましたので、しからばかようかくかくの費用をもって、かようかくかくの期日にこれは調査できるでありましょう、私のアイデアはかようかくかくでございますという話を、向う政府にいたしました。それがきまりましたか、それを取り上げてくれまして、これは今の政府当局並びに当時の国務総理、今の大統領なども一緒に大ぜいの専門家とともに聞いてくれまして、大へんいい話であるからぜひやってくれぬかということになりました。ただ費用については、日本側の支出の方法はできないかということでありましたが、フランスは無料でしてくれているから、日本側もそれでできないかということでありましたが、私は困難だと思います。これは日本に持って回ってもとうてい受け入れられないと思いますので、あなたの御希望であるならばあなたの国の予算その他において御処置願いたいということを申し上げたのでありますが、それではそういうことを研究してみようじゃないかということで、向うの予算によって、結局私に直ちに来てやってくれということになりまして、翌年の一九五六年、三十一年の九月に計画書を出したのでございます。それと前後いたしまして、フランス側においてもやりかけたものをまとめるから、おれの設計を見ろということで、同じ場所についての同じ計画が二つでき上りました。当時フランスはそれについての費用も工事費も支出してよろしいというようなことを申しておったそうでございますが、それによって二つの案ができ上ったので、フランスに対する遠慮等もあったろうと思いますが、国連の技術委員会に持ち込みまして、国連の技術委員会から三人の専門家が現場に出まして、そうして両方意見をいろいろ聞いたのであります。その結果、三十二年の中ごろ国連の技術委員会は判定を下しまして、日本の案がよろしい、これはいろいろな細目についていっておりますが、これこれの理由で日本案がよろしいという判定を下したのであります。その際フランスで金を出すので、日本も出すことはできないかというような話がございましたが、私は技術屋であり、経済協力のようなことについては、その問題まで持っていくわけにはいかない。ただこれはあなたの方でほかの国の、たとえばワールド・バンクなり何なりの経済協力を求められるならば、この仕事は金を借りてやっていく値打が十分あるし、金は当然返せるという意味を含んで説明ができますということを申し出ております。  ついでに申し上げますが、この仕事による——ただいまの電気は非常に高いのでありますが、その電気の半分くらいの値段にいたしまして、なおかつこれは十分の償却をいたし、返却をいたす力を持っております。現在この国は火力発電のために燃料その他で外貨を約四百万、やがて五百万ドル近く払うようになっております。従って外貨の面から見ても、燃料の節約外貨で外国に支払いができるし、一方需要者からいえば電力は半分になるということで、この十分な電力によって産業の工業化ができる。これは私だけの意見ばかりでなく、フランス側でも同じことを申しております。従ってこの問題が何らかの日本協力ということで取り上げられないかという話もございまして、この問題を私十分考えまして、その結果、たとえば日本輸出入銀行みたいなものの対象になり得ないかということを考えたのでございます。そうしてその当時の関係の方々に伺ってみましたら、可能性があるということでございましたので、日本に折衝をさせる、あるいは輸出入銀行等のルートによってこういうブラント輸出のサービスも求めるということは可能性があるということを、私は御通知いたすということを言ったことがございます。そうしてそれが進むと思っておりましたが、いつのまにか向う政府の希望並びにその希望を受けた日本側、あるいはこちら側からお進めになったか存じませんが、そういうことでこの話が賠償に移ってしまって、当時私は申し上げたのですが、これは日本の輸銀融資あるいは世界銀行の融資であったら、この仕事は今年あるいは来年あたりでき上ったのではないだろうかと今でも考えております。そういう事態で話が進んだのでございます。時間がございませんのでこの辺で……。
  65. 櫻内義雄

  66. 中川武保

    中川参考人 私は日本ベトナム貿易会の中川でございます。私は日本ベトナム間の経済的関連性とその賠償の及ぼす影響について説明いたします。日本ベトナムにとりまして経済的な関係は、やはり何といいましてもホンゲイの無煙炭、それからラオカイの燐灰石、イボンの鉄鉱石、これらの資源というものは、日本にとって重要な資源であるというように数十年来言われて参りましたし、戦争当時は日本の軍が積極的にこれを開発して日本に持って参ったものでございます。無煙炭は二十年間、年間二十万トンないし六十万トン日本輸入され、日本のガス工業界並びに石灰窒素工業界、カーバイド工業界にとってはなくてはならないものでございます。次に燐灰石ですが、燐鉱石は肥料になる原料でございまして、これはすべて国外からの供給を仰いでおります。現在年間百七十万トン輸入しておりますが、ラオカイの燐灰石は品質、埋蔵量において、また距離的にいいましても非常に日本から短距離であり、日本にとってはなくてはならない重要な資源であります。また鉄鉱の資源にいたしましても六〇%平均、しかも埋蔵量が数億といわれる北ベトナムの鉄鉱石は、今後二、三年来伸び行く日本の製鉄産出量を考えますときに、どうしても確保しなければならない重大な資源でございます。またその一方、北ベトナムの市場がどのように日本にとって価値があるかということを申し上げますならば、現在三カ年経済計画をやっております北ベトナムにとりまして、建設資材において、消費資材において、日本から輸入輸出の面において相当重要なものがあり、ここ二、三年来幾多の実績を残しておるのでございます。このように日本にとって重要な資源であり、日本にとって必要なベトナムの市場の価値というものを考えますときに、これはベトナムとの貿易日本業界の必要性に基いたものであり、またベトナム政府政策といたしましてもベトナム工業も発展しておらない、日本工業に対して資源を供給し、それによって日本工業によって作られた商品を購入したい。社会機構が異なるといえども日本と手をつないで、そうして貿易の促進をはかり、友好の親善を増進していきたい。このようなもとに日本ベトナム貿易が開始されたのでございます。ジュネーブ会議によってベトナムの独立がきめられまして以来、日本ベトナム貿易が開始せられました。かつてはフランスの独占市場であったのでございます、しかしながら当時日本政府におきましてはベトナム貿易を認められなかった、香港経由ということで貿易を行なってきたのでございますが、日本商社の積極性と通産省、外務省の援助によって日本の民間団体において北ベトナム日本との間の貿易の実績が積み重ねられてきたのでございます。そうして先ほど植村さんも言われましたですが、だいぶ北ベトナムの事情にはうといとみえまして、先ほど報告ありましたですが、一昨年におきましては約三十万ポンド近い取引が行われております。昨年におきましても約三十万ポンド近い二十九万六千ポンドの取引が行われており、輸出の面におきましては日本輸出超過になっております。五億円に上る輸出超過が、これは輸出入の通関統計による実績でございます。このようにいたしまして、ベトナム日本が買ってくれるならば、ベトナム側が買う方は倍にふえてもいい。それはインド、インドネシア、あるいはエジプト、イタリア、フランス、英国方面にこの石炭を売る外貨によって日本から買付をふやしてもいい、このように申しております。現在そのように行なっておるのでございます。このような貿易が行われておりまして、香港中継ということも、やはり日本経済的立場から貴重なドルを無意味に使ってはならないということと、通産、外務の積極的な援助によりまして現在では直接ベトナム民主共和国という名前のもとに輸出入のライセンスの許可がおりるようになり、現在では直接貿易を開始するようにしております。昨年の六月から直接貿易を開始することになりました。またベトナムに対する入国も直接許可がおりるようになっております。決済の面におきましても、第三国のコルレス関係を持った銀行によって直接の決済ができるようになりました。過去二、三年、ベトナムが独立してから北ベトナム日本との貿易はこのようにして約三十億円に近い取引ができておる。しかも先ほどサンフランシスコの問題も出ましたですが、サンフランシスコ条約に参加いたしました英国は、北ベトナムのハノイに領事館を置いて積極的に貿易政策を推し進めておるというのが現状でございます。またフランス、インドその他の自由諸国もハノイに領事館あるいは経済交渉団体を置きまして、実際にベトナムの市場の獲得に懸命になっておるのが現状でございます。しかしながら日本と特にベトナムとの経済的なつながりの関係は、昨年ベトナム政府が国家経済三カ年計画を樹立いたしまして、ことしは二年目に当っております。それによりまして農業の発展、工業の発展、国民生活の向上、こういった面から日本から買い付けたい品物が非常に増加して参りました。ことしになりましては現在鉄鉱が二万四千トン、肥料が一万数千トン、さらに繊維が相当多く契約されあるいは契約の交渉がされつつあります。今年度のベトナム政府の対日貿易の方針もベトナム政府のファン・バンドン首相が、昨年私が会いましたときに言いましたですが、日本との交渉はまず貿易の促進をはかって、それから漸次改善していきたい、このように申しております。日本ベトナム貿易協定が初めて行われましたのが、昭和三十年の八月で、三十三年三月にはことし三月でやがて切れる貿易協定の調印が行われたのです。昨年の三月の十八日にハノイでベトナム政府日本の民間団体の間に貿易協定が結ばれましたが、この三月十八日をもって切れようとしております。しかしながらベトナム側では、現在先ほど申し上げましたいろいろな買付を行い、さらに日本にホンゲイの石炭もどんどんと引き続いて入ってきておるという状況でございます。ことしは特にファン・バンドン首相が言ったように、日本ベトナム貿易は昨年の実績を上回るであろうというように言っております。このような北ベトナムとの貿易の実績の上に南と北と——私は南と北とも両方におったのですが、南の大臣も友達でありますし、北の大臣も私の友達であります。エカフェ会議に行きますときには、南の大臣ともよく懇談いたしておりますが、御承知のように南は農産が資源でございます、北は鉱産が資源でございます。この南北をあわせて考えますときに、日本貿易的な市場価値というものを見ますときに、南から輸入すべきものは農産物以外には現在のところ見当りません。北からは日本に必要な重要な鉱産資源がある。そうしますと、やがて正式な貿易の面から見ますならば、南ベトナム貿易を行うよりも現在北ベトナムと行うということは、輸入するものがなく、輸出だけの貿易東南アジアにおいてもむずかしいように、今後どの程度続けられていくかということは、これは言わなくてもわかっておることだと思います。現在貿易ができておるというのは、これは貿易でなくて、アメリカのICAファンドによる買付であって、貿易とはいえない。このICAファンドがいつまで続くかということは、だれもが保証できないのであります。このように考えますときに、現在のICAファンドの買付はもとより貴重でございますが、これが純然たる貿易でないという点を考えますときに、やはり日本の国にとっては長く正常な貿易を続けていくという観点からするならば、やはり南北あわせ、現在においての北の貿易というものを無視し得ないということを考えていかなくてはならないと考えております。結局純貿易の面からいいまするならば、現在の日本にとって重要な資源のある北ベトナムを無視し得ないということと、統一ベトナムに対する貿易ということを考慮して日本貿易政策を推し進めなければならないと考えております。賠償の支払いが貿易にどのように影響するかということを申し上げますと、これは先ほどからも、南ベトナム戦争による賠償ということを言われましたが、外務省内部におきましても鶏三羽論、南ベトナムに対しては鶏三羽しか損害を与えておらないという論が出ておる。私は外務省の人から聞かされておるわけであります。そのようにして南には損害を与えておらない。北に多くの損害を与えておるということ。しかもすでにこの賠償戦争によった損害も特別円によって、その一部はフランスに支払われておるということ。それをさらにまたこの賠償を支払うということは、その賠償の額においてどのようになっておるのか、大きな問題があろうと思います。ベトナム国民南北一致して独立の戦争をかちとったものであり、決して朝鮮の北と南とのように分れて両国民が争ったものではない。南北一緒になって戦って独立をかちとったものであり、しかもなお南の国民も北の国民も、現在も唯一の念願であるのは統一ということであります。これはベトナム国民の非願であり、また国際的観点からいたしましても、先ほど言われましたジュネーブ会議の決定を無視し、ベトナム南北に両断するというような賠償交渉を行うということは、両国民が一緒になって独立をかち得、それを南にだけ認めて払うということは、国際正義を無視した筋の通らないものであると考えまするし、しからばこの無理な賠償を支払ってだれが利益を得るのか、これが問題点であろうと思います。貿易がふえるのか、あるいはどうなるかということは、日本国民にとっては税金の負担となり、ベトナム国民も喜んでおらない。これは日本南ベトナムとの問題点でなくて、全ベトナム日本との問題であり、さらに東南アジア、日中関係というものに影響を及ぼすであろうということは、当然考えなくてはならない問題であります。先ほどからのお話によると、南ベトナム日本、あるいは全ベトナム日本という観点からだけ話されておりますが、アジアの一員である日本にとっては、どうしても東南アジア全般のことを考えて、要するに国際的なジュネーブ会議、バンドン会議の精神によって日本政策を推し進めなくてはならないというようなときに賠償を行うということは、東南アジア貿易の今後の発展に非常に大きな悪影響を与えるものであろうと考えます。  それでは、この賠償問題に関して北ベトナムはどのように考えておるのかということを考えますと、これは昨年の十二月にベトナム政府の鉱産公司総裁から参りました電報でございますが、日本政府賠償を初めとする政策は、ベトナム統一を阻害し、ジュネーブ会議及びバンドン会議の精神を無視し、日本ベトナムの友好的経済文化の交流に反する行為である。また日本国民にも害あるものとしてきわめて重要視しており、この問題の成り行きは日越貿易にも重大な影響がある。このようにいってきております。また最近入りました電報によりますと、昨年結びました日本ベトナム貿易協定はこの三月十八日をもって切れるのですが、新しく貿易協定を締結しなければならないし、今年度の商品の取引の契約を行わねばならないというような時期に当っておるときに、現在の日本状況では協定締結は困難と思われます。ゆえに各商社、業者の派遣する代表は、団体としてではなく個人的な性格を持って来てもらいたい。三々五々に、ある方は先に、ある方はあとに渡航していただきたい。このようにいってきおります。また今月の十一日に貿易会に入りました電報、これは貿易会の事務局員から来たものですが、一、経済三カ年計画に基く農業生産の発展、各種の国営鉱業の新設等目ざましい躍進をしている。二、フーロイ事件に対する強い抗議の声は日々高まり、三月八日ハノイでは三十五万人の署名が行われた。三、日本政府の中国に対する政策ベトナム賠償等に対して、従来よりも緊張した考えが見受けられるために新協定締結は困難を予想される。四、特に最近の賠償問題の動きは、貿易促進交渉に大きな影響あり。このようにいってきております。またただいまベトナム側から入りました電報をもって私の報告を終りますが、ただいま貿易協定の締結をしようという交渉をしておるのと、日本ベトナムの間に商品の取引の契約をするために各商社が行っておられます。この各商社の代表全部の連名で現在電報が参りました。本文を読みますと、南ベトナム賠償調印近しとの報に、新貿易協定はもちろん、石炭、鉄鋼、繊維、肥料等の商談はすべて停滞しあり、仮調印されれば、日本商社代表は即刻帰国のやむなき状態となるおそれあるのみならず、日中貿易再開にもきわめて悪影響ありと思われる、万難を排して貿易協定調印を阻止するよう国会に強く要請されたし、明和産業西川、第一通商野村、住友商事柳瀬、燐鉱貿易小暮、日商商事井尻、日越貿易会中原。連名でこのような電報が参りました。私は日本ベトナム貿易的な観点からだけで言うのではなく、東南アジアにおける日本の地位からして、日本ベトナム賠償交渉が大きな今後誤まりを起す、悔いを残す根源になるのではないかということをおそれるものであります。これで私の報告を終ります。
  67. 櫻内義雄

    櫻内委員長 この際先ほどの松本委員の質疑に対する御答弁をお願いいたします。坂本参考人
  68. 坂本徳松

    坂本参考人 先ほど四点ほど松本さんから御質問があったのですが、そのうちの二点といいますのは、南北ベトナム経済力の比較、日本ベトナムとの経済関係賠償交渉に対するベトナム現地の感情といいますか動きといいますか、これは今中川参考人の御意見の中にありましたので、省略させていただきまして、残りのベトナムの対日感情、ベトナムの対日政策ベトナム平和的統一への努力、この二つだけ簡単に私の意見を述べさせていただきます。  ベトナムの対日感情というのは、感情ですから法理的根拠も持ち出すことはないと思うのですが、私が実際に向うに行きました体験あるいは見たり聞いたりしたことといいますと、日本人とは非常に親近感の深い民族で、その点共産圏の一環ではありますが非常にやさしい、私はいつもエレガントな民族と言っておりますが、そういうやさしくてしんは強いというのがベトナムの民族性でありまして、それに基いて日本に対する感情も現われてくると思います。これは私が戦後朝鮮民主主義人民共和国に一回、中国は通過を入れまして三回、インドに二回、セイロンに一回、ベトナムに二回行きました体験から申しましても、ベトナムの対日感情は非常にいい。しかもベトナムは、東南アジア諸国のうちでは第二次大戦後の一九四五年九月二日に最初に独立した国であって、しかも独立宣言には、日本の軍国主義から独立を戦い取ったと書いてあります。ホー・チミン主席が自分で書いたその宣言文の中には、フランスは逃げ、日本軍は降服し、バオダイは退位した、そういう過程から独立が生まれてきた、日本軍から独立を戦い取ったと言っている。そのベトナム日本国民に対しては非常に親愛の情を示している。これはいろいろな点で言えますが、一つは今から五年前の一九五四年にあそこから第一回に七十四名の人が帰国しました。そのときのお世話の工合といい、今度私と赤十字代表日本平和委員会代表の三代表日本人の帰国の問題で行きましたときも、非常に好意ある態度で帰国の協定が結ばれたというようなことも有力な証拠になると思います。  それからベトナム平和的統一への努力、これは朝鮮の三十八度線——私も現地に行きましたが、三十八度線とは違いまして、北ベトナム政府のいろいろな努力、たとえば郵便の交換をする。これは最初ははがきの交換であったのが封書の交換にまで持っていき、小包を交換するようにしよう、また最近では北から南へ、南から北へ送金もできるようにしよう、あるいは南から出てきたいわゆる難民と言われる人たちの救済の施設、たとえばりっぱな小学校が建つとか、そういうことでいろいろ平和的統一への実際的な努力を示しております。ベトナム南北に分れたのは今度が初めてではありませんで、十七世紀の末の黎朝の時代にグェン・フク・タンというのが反乱を起して、現在の十七度線のやや北の方に万里の長城式な長城を築いて、南北が一時対立したことがあります。それがくしくもバオダイ帝の先祖であるジャロン皇帝によって、この統一が成功しております。最近の北ベトナムのそういう政治的経済努力によりまして、南北統一ということはあるいは世界の国際情勢の変化によってそうはるかに遠いこととは思えませんし、この平和的統一への努力というものは、非常に高く評価さるべきものだと私は考えております。時間がありませんので、これで終らしていただきます。
  69. 櫻内義雄

    櫻内委員長 各参考人に対する質疑を許します。柏正男君。
  70. 柏正男

    ○柏委員 私は一昨日ベトナムヘの旅行から帰って参りましたものでございまして、本日の委員会で各参考人の皆さんの公述を私はまた違う感懐をもって聞いたものでございます。北ベトナムに対する私どもの観念の一つには、ベトナムの人たちが南と北に分れて、しかも二つの国があるという感じがあるのでございますが、しかし北のベトナムの人たちの考え方、あの人たちの構成、そういうものを私は行って見て、いや、これはやはり一つベトナムである、そしてベトナムの人たちの真実の考えを現わしているものが——北のホー・チミン主席によって代表せられるベトナム民主共和国がほんとうの政府であるということを身をもって実は感じてきたものでございます。そうするときに、きょうのこの南ベトナムヘの賠償問題というのが非常におかしく私には考えられる。参考人の皆さんのお話の中にも、私には受け取れないものがいろいろございました。お帰りになりました横田先生の法律論につきましては、あの場で時間があれば質問をいたすべきでございましたが、しかし考え方の基本的なものが違っているので、話しましてもむだであると思いまして、私はむしろベトナムをよく知っておられる坂本氏にお聞きする方が、真実のことを国民の皆さんにお伝えできるのではないかというふうに考えますので、少しくその問題に触れてみたいと思います。  まず、私どもは正統政府が法律的にいずれのものであるかということを考えなければならないと思います。そうしますと、私は十年の交戦を経てジュネーブ協定を結んだその当事国家であるベトナム民主共和国こそ正統政府であるというように法律的に考えるべきではないか。ゴ・ディンジェム政権は、このジュネーブ協定における相手国フランス軍の権利関係を継承したものである。そういたしますと、フランス軍の軍事的な協定地帯の十七度以南の地域に関してのみその権限が継承されている、そう考えるのがベトナムの民衆のほんとうの声であろうと思います。そうしますと、日本政府が南のゴ・ディンジェム政権によるベトナム共和国というものを正統政府として交渉していることが、すでに法理的に見ましても正しくないものである。私は、大学を出ましてから憲法と国家論を大学の研究室に残りまして研究して参りました。その立場におきまして、私はやはりジュネーブ協定が非常に大きなかぎであって、このジュネーブ協定によって正統性が決定されている、そう考えますときに、坂本さんもベトナムに二回も行かれ、またベトナムでのいろいろな動きを聞いてこられたと思いますが、そういう面から見まして、坂本さんは私の考えているような考え方に対して同じような感じを持たれ、そういうジュネーブ協定を中心とする正統国家の問題について、坂本さんはいかがお考えになるかお聞きいたしたいと思います。
  71. 坂本徳松

    坂本参考人 全く今申された通りだと思いますが、このジュネーブ協定に基いて平和的な統一を実現するということは、祖国の統一の実現ということであると同時に、アジア、極東の緊張を緩和するということが最近強く打ち出されております。これは中川参考人がさきに言われましたベトナムの国家三年計画、一九五八年から六〇年にかけての経済の改造並びに文化発展の計画というものが着々進んでおりまして、そのことによって、世界の平和、民主勢力に貢献するということが非常に強く打ち出されてきたわけであります。ちょうど私たちが行きましたとき、第九回国会が終ったあとでありました。この第九回国会は今申し述べました三カ年計画を精力的に実施するということをきめた国会で、ちょうど今から五年ほど前の第四回国会が土地改革と経済復興をきめた重要な国会であったのと比べて、さらにそれ以上に重要な意義を持つ国会であるということが言われておりましたが、この第四回国会のときには、ベトナム経済復興、そして南北統一経済的基礎を作るというような目標だったのです。今度の場合はこの目標は以前と同じですが、この統一の基礎を強化すると同時に、先ほど申しましたように、アジア及び極東の緊張緩和に貢献するという平和的な努力が推進されてきております。ちょうどその時期に南の方に軍事基地が作られたり、あるいは新しい兵器が持ち込まれたりすることは、ジュネーブ協定にきめてありますこの南北軍事境界線の両側では軍備の増強をやらない、そういう規定にそむくばかりでなく、アジア及び極東の緊張を激化することになる、そういう平和的な努力が強くなればなるほど、南との対立が激化すると同時に、この南のそういう政策日本賠償を通じて、あるいはその他のことを通じて関係しているということが出てくるところに、この賠償問題に関連した重要な問題性があると思うわけであります。その意味で、ベトナムがあくまで平和的再統一の方法——選挙国民の総意に基いた民主的な自由な秘密投票による選挙、そういう方法を提示して統一のために努力しているという点は、今柏先生から言われた通りだと私も思っております。
  72. 柏正男

    ○柏委員 ベトナムの人たちがほんとうに平和的な統一を望んでおることは、北ベトナムのいろいろの経済計画その他において今坂本参考人が言われました通りでございます。そういう観点に立ちまして、私は先ほどの植村参考人並びに久保田参考人の言われました、このたびの賠償の根本的なものの中に特に——植村さんはお帰りになりましたが、久保田さんはおいでになりますので、この賠償のそもそもの出発が経済協力を主にして考えられたものであるということは、お話になられた通りだと思います。そういう意味においてただいま論議されております南ベトナム賠償問題は、形は賠償ではございますが、その根本を流れておるものは経済援助であり、そういうことが実際の問題として南北の平和的な統一を阻害するものであるということを考えますときに、こういう賠償の仕方に対して非常なる疑問を持つものでございます。そういう意味で私は久保田参考人に伺いたいのでございますが、純粋の賠償的な立場でこの問題がほんとうに進んでおるものであるかどうか、そういうことに対してのあなたの御所感を承わりたいと思います。
  73. 久保田豊

    久保田参考人 先ほども申し上げましたように、私は政策等にわたる立場でございませんので、申し上げることは困難でございます。私の一つ経済人としての意見を申し上げることでお許しを願いたいと思います。このベトナム南ベトナムと申し上げた方がいいかもしれませんが、それが非常な熱意を持って経済再建の道に努力いたしておるということは、私が接触し、また現地の仕事をし、皆さんを見た目においてよくわかっております。その点は申し上げたいと思います。そこで最近これをどう建て直すかというと、経済五カ年計画に似たような一つの国家の計画を持つようになったようでございます。それは私見せてもらったのでございますが、その大きな計画は、電源開発をトップに置きまして、約二億五千万ドル近くの金をもって経済再建をやっていきたい。産業、中小企業、農業その他いろいろなものが含まれておりますが、それをやっていきたいということをいっております。これは私この電源開発ということが、この地方において、賠償であるかどうかは別といたしまして、非常に重大なことであるということは痛感をいたします。それは先ほども申しましたように、非常に高い電力と非常に高い外貨を使ってこれはやっております。これが改良せられれば、この地方ではまず第一に民衆の幸福が得られる。安い電気で明るくなる。なおまた中小企業が電気のために行われないという面も見えております。文化生活に非常な不自由な部面を持っておるところが明るくなる。ことにまた向う一つ取り上げておりますのは、中部、少し南になりますけれども、その地域に港があり、またその中間に背筋を一つ通しますと、これは動力の中心に系統的のものができるという考え方は、これは全く同感でございまして、私もお勧めしたいと思うくらいの問題でございます。従って、こういうものを第一順位に取り上げるというこの国の考え方は、私はわかると思います。ただこれが賠償であるかどうかは一応別としまして、そういう問題は十分考えられると思います。従ってこの地方、またもっと進んで申しますれば、これは中部ベトナム、北の方に及ぶ問題がございます。送電線その他の問題がございますが、やがて第二次の問題としてはこれが行われると思います。これは私個人の考えでございますが、ただいまメコン川の調査が始まっております。これなども関連しまして、ずっとおもしろい総合計画が立て得る第一歩ができるのじゃないか。そうして電力建設費にいたしましても、その他においても非常に優位な立場に立っておる。そうしてわずかなことで効果が得られるということであるならば、私はこの国が取り上げるのは当りまえだと思いますし、まず第一に実際取り上げておるという次第であります。
  74. 柏正男

    ○柏委員 ただいま久保田参考人お話を承わりまして、計画そのものがベトナムの民族にとって不必要な計画だとは私は思いません。その計画そのものは、お話の通りのものであろうと思います。しかしながら、その計画賠償という形をとって現在進められ、しかもその賠償という形のものが、南北平和的統一を阻害するという実態にありますときに、賠償として計画されておる今の問題が、果してどうであるか。こういう点につきましては、私どもは今後日本政府として考え直さなければならない大きな問題であろうと思います。この南北統一を阻害する大きな原因としてゴ・ディンジェム政権がいかなる政権であるかということを、もっと日本国民が認識しなければならない、ここに私は大きな問題があると思います。先ほど申しましたように、法理的に見て私はゴ・ディンジェム政権が正統政権でないと思うものでございます。ベトナムの北の人たちは、まさしくその通り思っております。またその賠償そのものは、その本来の性格から見まして、決して経済的な性格を持っておるものではなくて、純粋なる道義的な立場に立って、賠償が実現されなければならない。そういう面から見て、賠償問題を貫く基本的な考え方は道義的なものである、日本国民が大東亜戦争において、ベトナム民族に与えた損害に対して心をこめて賠償をする、あがないをする、その形が現われ、またその時期を決して誤まってはならないものだと思います。その意味では戦後十三年間たって十四年目の今として、決して早きには失しておりません。しかしながら、そのことがベトナム民族を幸福にしないならば、そういう賠償を実現すべきじゃない、ことに相手にされておるゴ・ディンジェム政権のやっておりまするいろいろな事実を——私は非常に信憑することのできる調停委員会委員をやっておりますロフという中佐の方から、調停委員会の立場におけるゴ・ディンジェム政権の行なってきたこと、特にフーロイ事件などにも関連いたしまして聞いて参りました。そういうことを少し申し上げながら、坂本さんに、この賠償問題の道義的な立場において、参考人の立場でどうお考えになるかをお聞きしたいと思います。  まずゴ・ディンジェム政権がまじめでないということについて坂本さんは言われましたが、そのまじめでないという例として、ジュネーブ協定の違反、これを私どもは第一に考えなければならないと思います。フランス権利を継承した、たといそれは正統政権でないにしても、統一するまでの間は、十七度以南におけるフランス権利を継承したものとしてのジュネーブ協定における当事者と考えられるべきゴ・ディンジェム政権が、どんなことをやってきておるか、まず彼らは、軍事力を増強してはいけないという点につきましても、先ほど坂本さんの言われた通りでございますが、ジュネーブ協定成立当時の軍隊は非常に小さいものでありまして、大隊程度軍隊しか持っておりませんでした。しかし現在は海軍も、陸軍も、非常な装備をしたものを持っておりますし、軍は師団、軍団というような編成になり、正規軍も十五万、保安隊が六万、それから民軍が十万というような軍隊組織をやり、米国からの軍事顧問団も、協定当時は二百人くらいでございましたが、現在は二千人にも及ぶものを持っておる。そうして軍艦にしましても、十五隻から百九隻にふえておる。そういうような工合で協定違反をやっておるばかりではなく、フーロイ事件に現われましたように、民衆に対する圧迫を行なっておる。久保田大使が先日私どものベトナム賠償問題特別委員会に見えたときのお話によりましても、南のゴ・ディンジェム政権においては、警察政治が行われておる。その警察政治が行われておりますことが、すなわちフーロイ事件に現われたのでございまして、六千人の収容者のうち、千名の人が中毒後すぐ死亡いたしておるのであります。その後の約五千の人々を各地に移動しておりますが、それらの点につきましても、調停委員会の方で調査をいたしましても、なかなかそれを明らかにいたしておりません。しかしながら、南の政権それ自体もこれを隠すことができませんので、中毒患者が出たこと、あるいは死亡者の出たこと、そういうことは十分に認めておるのでございます。そればかりではございません。今、私が参りましたハノイの中央病院にチャン・ティ・ニナムという二十六才の女性が入院しておりますが、これは南地区におきまして非常な拷問を受けまして、非常に痛々しい姿になってかつぎ込まれております。あるいはたたかれ、あるいは乳などはペンチではさんでちぎり取られておる。そういうような拷問政治が南の地区において行われておる。ゴ・ディンジェム政権はそういうような政治をやっておりますことが数字の上にも現われておりまして、監獄が百九カ所あり……(「北はどうか」と呼ぶ者あり)北は……。まあ南の話だけですか、百九カ所あり、約十万のいわゆる政治犯人を入れておりまして、強制収容をやり、しかもそこで強制労働を行なって、飛行場の拡張工事をやっておる。そういうような情勢のもとに、人道に反するような行為を平気で行なっておるというのがゴ・ディンジェム政権でございます。しかしながら、私は昨年十二月の協定に従いまして、第一回の日本人の帰国を出迎えに参りました。ところがベトナム政権がやってくれた様子を見ますと、九人の日本の帰国者に対しまして、各人一人々々にせびろを作ってやり、ネクタイもワイシャツも靴も帽子もトランクまでそろえて、きちんとした引き継ぎの式をハイフォンで行い、ホンゲイまで送ってよこしまして、実に至れり尽せりの帰還をいたしたのでございます。私どもはこういう実情から見まして、何となく北の人たちのあたたかい感情というものを身をもって感じて参りました。  私はこういう面から見ましても、私どもが考えられます政治の基本的なものの中にあるのは、やはり道義が中心である。今、岸政権によって行われようとしております北朝鮮への帰国の問題も、人道上の問題として、私どもはほんとうにりっぱな一つの行いであると思います。その人道上の立場に立ちまして、私どもは南と北とを比較し、ここに道義的な立場において賠償が実現せらるべきである。こういうゴ・ディンジェム政権相手にして賠償を行うというところに、日本賠償の進め方に無理があるのではないか。もっと南北統一して、りっぱな統一政権ができて、それからでもおそくないのじゃないかというような感じを持つのでございますが、参考人としての坂本さんは、バンドン会議の精神あるいは東洋的な一つの見方から見まして、現在の賠償に対してどういう考え方を持っておられるか、承わりたいと思います。
  75. 坂本徳松

    坂本参考人 べトナムの十七度線が軍事境界線であれ何であれ、私が先ほどいいましたベトナム民族が、やさしくて、エレガントで、非常に親しみ深い民族であるということは、南北を問わず言い得ることでありまして、そのベトナム人の間に最近伝えられておりますようなフーロイの大虐殺事件が起るということは、ベトナム以外の何ものかが入っているのではないかという点で非常に憤りと不安の念を持つわけであります。この問題はまだ十分に真相が知らされてないものですから、一日のうちに千余人の人が毒殺されるということはあり得るかどうかということで疑問を持つ人もあり得るかと思うのでありますが、これは単に中国、ソ連とか東欧諸国のような共産圏で問題になっているばかりでなくて、イギリスでも——イギリスではイギリス・ベトナム友好協会、インドではアイン・アインという新聞がフロント・ページ、第一ページ全部を使いまして、これを取り上げております。それから日本の共同通信に当るPTIがこれを全インドの新聞に流しております。ビルマでもこれを取り上げております。いわゆる自由主義諸国でもこの問題が取り上げられて大きな問題になってきている。また国際民主法律家協会ではこの実地調査団を出すためインド、セイロンまたはインドネシアと日本も参加して現地に調査団を出すようにという連絡を各国に送って、日本では日本国際法律家連絡協会というのがこの問題を取り上げることとしております。国連の人権委員会にも問題は提訴されております。こういうわけで、本来やさしい、特に日本とは親しみ深い性質のべトナムの人たちの間にこういう非人道的なことが起るということ、何かコ・ディンジェム政権にベトナム的でない背後の力が動いているのではないか。たとえばフーロイ事件が問題になりました一月二十二日ですが、南ベトナムの共和国軍放送というものによりますと、一月二十七日にアメリカ太平洋第七艦隊所属の軍艦七隻がサイゴンに到着する予定だ、フーロイで、フーロイ問題の波紋が広がっていくと、そういう動きが出てくるという新聞の報道を見ましても、緊張あるいは不安な状態が南ベトナムゴ・ディンジェム政権の周辺に起っているのではないかということを考えるわけです。こういう点で、私は大体ガンジー、ネールの思想を非常に尊敬しております。それからベトナムのガンジーといわれるホー・チミン政権に非常に敬意を抱くものであります。そういうベトナム的なもの、あるいはアジア的な道徳的なよさという点から見て賠償問題の不合理性というものを感じているわけで、その点でも、道義的立場からもこの賠償反対ということを重ねて申し上げるわけであります。
  76. 松本七郎

    ○松本(七)委員 ちょっと中に入って恐縮でございますが、先ほど植村さんに私が質問したときに、今後この賠償を強行するような場合には、せっかくできておる北ベトナム政府との間の貿易協定、先ほど中川さんからも御説明があったのですが、それがだめになって、今後北との貿易が断絶するおそれはないだろうかということを申し上げたのですが、たまたま今中川さんから、ごく最近来た電報を読み上げていただいたところでも、向こう行っている各商社の連名で、そういう私どもがかねがね心配しておったことが現実の事態になろうとしておるわけですが、これと関連して中川さんは、先ほどこれはただ統一べトナムと日本の問題じゃないのだ、東南アジアあるいは中国との関係にも悪影響がある、こういうことを言われたのでございますが、私どもこれは同様に心配しておるところなんです。ところが貿易会としての御意見を伺っておきたいのは、すでにベトナムに行っておる日本の商社の代表からもいよいよそういうことを心配して、国会の方に慎重にというような電報が来たような段階になった今日、なおこの賠償を早急に実施した場合に、中国側がこれをどういうふうに判断するかというところは、中国は、今さら言うまでもなくしきりに日本政府の敵視政策その他を非常に強調してきておるときに、いよいよ日中関係が悪くなるというふうに貿易会は見られて、先ほどお話のあった日中関係にも影響があると言われておるのか、純然たる商売上の関係として言われるのか、あるいはそういった政治的な友好関係に大きな影響を与え、日中の友好関係にもひびが入って、ひいては経済的にもおもしろくない結果が出てくるのだ、こういうふうに見ておられるのか、その点をはっきりしていただきたい。
  77. 中川武保

    中川参考人 ただいまの御質問につきましては、経済的な面と政治的な面と両方あるのでございます。経済的な貿易会の面から見ますと、日本ベトナム貿易が停止するということは、これは貿易会の会員組織から申し上げなければなりませんが、貿易会は商社だけでなくて、業界もございますし、船会社もございますし、保険会社もございます。ベトナムからインド、インドネシアに米を輸出しておりますが、この輸出しておる船は全部貿易会の、日本の船によって行なっております。また今インドネシアの方面に送る米あるいはインド方面に送る米、石炭、こういったものと日本との三角貿易ベトナムを中継して行なおうと計画しております。現に日本からベトナム輸出しております毛糸類は、全部ベトナムで編みまして蒙古に輸出しております。  また中国の関係においては、最近やかましくいわれております中国から入ってくるウルシでございますが、この中国から日本に入ってくるウルシは半分はベトナム産、産地フトーのウルシでございます。この産地フトーのウルシと中国のウルシが半々くらいで日本に入ってきておるわけであります。この中国からの貿易が再開できないところの現状においては、ベトナムから入っておるウルシもむずかしいのでございます。中国と貿易が再開できて少しでもウルシが入ってくる正常な貿易になれば、ベトナムから必要なウルシが入ってくる。これは中国からくるウルシの量が日本では足りないために、ベトナムのやつを追加して入れるという点において非常に有利になってくると考えられるのであります。また日本要求しておりますメーズ、これはトウモロコシでありますが、これは全購連なんかで相当必要であり、ベトナムのメーズは特に優秀とされておりますが、相当ベトナムから日本に入れなければならないのが、今中国へ入っておりますが、中国貿易が再開できれば解決できる。その意味においてベトナム日本貿易が停止するということになりますと、今度は中国の方もベトナムを考慮して、ウルシの問題もメーズの問題もむずかしくなってくると思いますし、各方面に出ております輸出船舶、日本船の利用といったようなものも少くなってくるであろうと思います。  また政治的に考えますときに、このべトナムの賠償問題は中国の問題あるいは北鮮の問題と一貫した日本政府政策である、このように考えられる。またジュネーブ会議を無視したという行動は、東南アジア全般に対する影響という、政治的な影響といったような点から、これは経済的に及ぼすところの影響が少くないのではないかというように考えます。
  78. 松本七郎

    ○松本(七)委員 ちょっと。アジア局長お急ぎのようですから一言しておきたいのは、こういうふうな非常に大事な事態に、聞くところによると久保田大使がきょうですか帰国されて、アジア公館長会議に出られてから直ちに帰任して、最恵国待遇の日本側の要求ベトナム政府も了承したので、一説には三月、一説には五月までには調印の運びになるというように、非常に急いで調印に至るような報道がされておるのですが、そういった方向に進んでおるのでしょうか、この点ちょっと聞いておきたいと思います。
  79. 板垣修

    ○板垣政府委員 久保田大使がアジア公館長会議に帰ってくるこない、こととは関係がございません。御承知のようにベトナム賠償は過去数年にわたって交渉を継続されておりまして、昨年の七月久保田大使が新任された以後本格的な交渉が進められたわけであります。政府としては別に特に急いでというわけでもありませんし、特におくらせたということでもありません。自然の形において双方において妥結し得るならばまとめようという、政府の従来からの既定方針に基いて交渉が進められておった次第であります。最近になりましてベトナム側も賠償協定そのものにつきまして、あるいはこれと同時に交渉されておりました通商待遇等の問題につきまして双方の歩み寄りが見られたようでございますので、私どもの感じといたしましては峠を越したような感じがいたします。しかしながらなお細部の点につきまして今後さらに交渉を進めなくちゃならぬ問題もございまするし、いつ調印になるかという点につきましてはまだ明言はできません。しかしながら、私どもの感じといたしましては、やや峠を越したような感じを持っておることは事実でございます。
  80. 松本七郎

    ○松本(七)委員 それはまた委員会であらためて御質問することにいたしまして、久保田さんに一つだけお伺いしておきたいのは、先ほどの公述の際に、賠償であるかどうかは自分の関知するところではないと言われたのですが、これはもう当然そうだろうと思うのです。ところでダニム・ダムの実際の事務を担当される当事者として、それがかりに賠償関係ないものとした場合にもある程度この計画というものは遂行できる、向う側が賠償から切り離されれば、やめなければならぬ事情があれば別ですが、条件において、そう大差ない条件でこれはできると予想されておるのでしょうか。しゃにむに賠償のワクがなければ、今の現状ではダニム・ダムの建設は不可能である、あるいは今賠償をやめて、切り離してもやれるお見込みでしょうか、採算上のことも考慮されながらですね。
  81. 久保田豊

    久保田参考人 今のお話でございますが、採算上その他においては、さっき申し上げましたように借入金その他をもってでき得ますし、それからフランス側において融資をしたいというようなことを言っておることも取り上げれば、これはできないものではなかろうと思います。ただし、私申し上げたいのは、今日となればもう情勢が非常に違ってきましたので、このためにこの問題を断わったとすればあまりいい感情を——つまり賠償にこれを入れるということは、これはおととしからの話なんです。それで賠償がいかぬということを日本が早くきめればそれはそれで進んだと思います。それをいけるがごとくいげないがごとく生殺しの目にあわせて今日までおられるのです。このはね返りは非常に大きいと思います。これは少しよけいなことになりますが、北ベトナム貿易その他いろいろなことで先ほどるるお述べになった方がございますが、私も実は南を知っておる関係上もしさような悪い感情をいだかせることになれば、これのはね返りは相当に大きいだろうということを、私はその土地を知っておる者として予見することができると思います。
  82. 柏正男

    ○柏委員 最後に、私は久保田坂本中川参考人の方に御意見をお聞きしたいのですが、ただいま久保田参考人も言われましたように、経済協力というような形に今さらするわけにもいくまい、どうしてもこれは賠償にしなければそのはね返りが北と同じ程度に起ってくるというお話でございますが、私が見てきた北の方のベトナムの人たちの状態から見ましても、北の方が人口が多いのでございます。千三百万でありますから南より人口も多く、しかも北の方にはあのジュネーブ協定によるベトナム軍の集結のために、非常にたくさん南の人が参っておるのでございます。まあその数は、私ほんやりしか数字を覚えておりませんが、いろいろな際の人口移動が起ったときの増加等で百六十万もあるのだろうと思います。そうしますと、少くも南にその関係者が五百万ぐらいのものはある、そうしますと、比率の面から見ても北の方が多く、またそれだけに北の人はフーロイ事件などに対して、決して単なる南に対する反対だけではなくて、自分の肉親が捕われ、虐殺されておるという痛切な感情を持っておるから、私は三月八日の署名を見て参りましたが、ハノイの人口七十万のほとんど半数の三十五万ぐらいの人が、このフーロイ事件に対する反対の署名運動に参加いたしております。私もその意味において署名をいたして参りましたが、そういう状態から見ましても、南のゴ・ディンジェム政権が無理な政治を行なっておる、こういう姿、それはアメリカの支持があるにいたしましても、全ベトナムの立場から見ましたならば無理な政権である、そういう点から見ますと、いつ統一ができるかわからないというような御意見が今までにはございますが、私の見た感じから見ますと、必ずしも平和的統一はそんなにむずかしいものじゃない、ゴ・ディンジェム政権がみずからの失政によって失脚する時代が来るならば、そう速くなく統一は自然に行われるであろう、そういうようなことを考えますと、この際の日本の考えられる立場として、今の経済開発経済開発としてやってみる、賠償賠償としてまた別な形で考えるということが、政治の面に賢く現われなければならないのではないかという感じがするものでございます。そういう点につきまして、私は、平和的統一の実現がそんなに遠いものか近いものか、ベトナムを知っておられる坂本さんの立場から見られたならばどういうようにお考えになるか、それをお聞きしたい。また中川さんにつきましても、久保田さんにもその意味においてはお聞きしたいのですが、賠償両方の国、北と南とに影響を与え混乱を来たすようなら、これを一時経済協力に切りかえてみるというようなことが、賠償によるいろいろな問題の混乱を防ぎ得るというようなことについて、二人の経済的な立場において、中川さんは北の方を、南の方は久保田さんが御存じでございますから、そういう意味で、そういうことに対するどんな見通しを持っておられるか、そういう点をお伺いして、私の質問を終りたいと思います。
  83. 坂本徳松

    坂本参考人 簡単にお答えしますと、平和的統一実現の見込みなんですが、これはゴ・ディンジェム政権が民心の支持を急速に失いつつあるという事実からいって、そう遠いことではないのじゃないかというふうに私は観測いたしますので、このゴ・ディンジェム政権が民心の支持を失いつつあるということは、単に北側の評価であるばかりではなくて、その新聞の記事も持っておりますが、南にある親米といわれる新聞でさえが、ゴ・ディンジェム政権を親戚と朋友、親友と知己と徒党の政府というように呼んで、一家一族で政権を壟断している様を図解しております。これは、ゴ・ディンジェム政権はもといわゆる民族ブルジョアージ、民族資本家の支持を得ていたと言われていたのですが、そういう民族資本家といわれる人たちの支持も失ってきて、もっぱら外国からの投機的な資本の手先になる人たちと協力しているという方向へ向ってきております。民族資本といいますのは、元来が親仏的な性格を持っていたものである、これが急に親米的な性格には変りにくいという経済的な事情もあります。それから一家一族が、特に宗教的な方面でカトリックの方の勢力を壟断している人がゴ・ディンジェムの兄弟にありましたり、そのほかのことがありまして、民心の基礎を失いつつあるという点で、統一可能性がそういうゴ・ディンジェム政権そのものの性格からも早められるのじゃないかということが言えると思います。
  84. 中川武保

    中川参考人 賠償が行われる、行われないにしても、南ベトナム日本との貿易ということを考えますと、南ベトナムの場合には農産国で、現在では農業もだんだん萎縮して、農業の生産も毎年々々減りつつあります。またこれが改良されましても、日本として米を買う必要が現在あるかどうかということが大きな問題でございます。米以外に日本としてはあまり大きな輸入するものがないという現状におきまして、あるいは将来性におきまして、果して南との貿易ということが考えられるかどうかという点。ただICAの貸付資金という問題にとどまるものと思います。  賠償問題が北ベトナムに及ぼす影響ということになりますと、政治的な観点から、また国際的な観点から、ベトナム側は当然貿易の中断を言ってくるであろうということは考えられます。先ほど読み上げましたのは、先ほど入りました電報でございますが、各商社が中断して帰らねばならないということを言ってきております。この貿易が中断されるということは——日本ベトナムから二十年間ホンゲイ炭を買い付けてきた。それによって日本のガス業界、日本の石炭窒素、カーバイド業界がやってきたのに、これが中断されれば、ほかにかわる石炭があるかどうかということは大きな疑問でございます。これはカナダと豪州の方からかわるべきものをとらなければならないのでありますけれども、カナダ炭にしても豪州炭にしても非常に品質が悪く、距離的にも非常に遠距離であり、これがかわるということになりますと、日本にとっては大きな不利益になってくる問題で、業界にとっては致命的な打撃と言わざるを得ませんし、さらに海運業界にとりましても、日本にとっては全般に非常に大きな損害を受けねばならないということになって参ると思います。
  85. 久保田豊

    久保田参考人 私がお答え申し上げることが適当であるかどうかは存じませんが、しいて私の意見を言わしていただくとしますならば、私の感じを申し上げさしていただきたいと思います。  それは簡単に申し上げますと、北という言葉を使わしていただきますが、北の方は非常に宣伝がお上手です。私は長年あの辺をよく歩いているから存じておりますが、これは昔のことではありません。日本は下手ですが、南は日本ぐらい下手です。ということは、一応私の感じを申し上げます。これは当っているかどうかは別問題にしていただきます。それから北の方からの避難民が八十数万と言われておりますが、私は現場を歩いておりますので、そういう人たちとたびたび接触しております。彼らは何ゆえに墳墓の地を出なければならなかったか、そんなことをせぬでもいいじゃないかということを尋ねてみますと、詳しいことを申し上げることは差し控えますが、やはりいろいろなことでおられないということを言っております。従って八十万という人たちは、あるいは仲間に付和雷同の方もあるかもしれませんが、八十万の相当はやはりおられない状態であったかと思います。今日はどうか存じませんが、それらの人は北に対しては非常におもしろくない感じを持っておるようでございます。これは私は遺憾なことだと考えております。また実際当っておるかどうか、私の聞いただけのお話を申し上げるので、私が責任を持つわけにはいきませんが、そういうことがございます。  それからなお北の方に地下資源があって南の方にないということがよく言われます。これはただいまもお話がありましたが、よく一般に言われることであります。ところが北の方は、ホンゲイ炭初め若干のものが戦前からすでにわかって開発されております。当然これは目についております。今日石炭にいたしましても、ホンゲイ炭に劣らない非常に良質の無煙炭がまだ相当量、ツーラン、ユエの付近にございます。これは現に私が政府に頼まれまして、地質技師を派遣しボーリングをやったのでありますから、私はこの点は申し上げることができます。ただし開発がいつになるかということは、準備資金その他いろいろなことがございますから、それは近くにはならぬかもしれませんが、ともかくそういうものが出ております。鉄鉱石も出ております。これらはあまり世の中に出したくないという形でおるものがたくさんございます。南も地下資源がございます。ゴムがございます。それから森林の資源があるし、砂糖をどうかしたいということを言っております。砂糖などは私は非常にいい産業だと思っております。もう少しやったらよかろうと思います。  それから米の現状は、非常に私は不思議であるので、たびたびいろいろなことを聞きましたが、これはやはり戦後の一時の状態である経済変動でありまして、つまり華僑等の金融資本を一時とめたというようなこと、それから御承知ゴ・ディンジェム政権が成り立ちました直後に内乱がございました。それらがおととし、さきおととし等は影響いたしまして、これが漸次よくなりつつあるということは、私ども現地を知っておるものとしては認めざるを得ぬと思います。これは決して南が北よりいいとは申しませんが、しかしながら全然南はなっておらぬということにはならぬということを私は申し上げて、そうして同じようなお取扱いを願いたいと思います。
  86. 櫻内義雄

    櫻内委員長 岡田春夫君。
  87. 岡田春夫

    ○岡田委員 大へんおそくなりますけれども、久保田さんに二、三お伺いしたいと思います。きょう久保田さんがお見えになるのについて、ヴェトナム協会顧問、日本VCL経済協会理事、こういう御資格でお見えになったそうでありますが、VCL経済協会の会長といいますか理事長といいますか、これはどなたなんでございますか。それからもう一つは、ヴェトナム協会というのは、これはほかにも日本ヴェトナム友好協会というのがありますが、ヴェトナム協会というのはどこにありますか、会長はどなたなんでございますか。
  88. 久保田豊

    久保田参考人 VCL協会というのは、実は私はあまりよくは知りませんが、しかし私その理事だそうでございます。これはおわかり願えると思うのでございますが、こういうようなおつき合いは絶えずやっております。これは不思議でもなんでもないのですが、しかし私も最初聞くには聞いておるのです。VCLというのは、ベトナム、カンボジア、ラオス三国を対象にした協会でございまして、私の勧められたのは、この地域に非常に昔から熱心に関心を持っておられる松下さんという方のお話で、私はこの協会に入ったと記憶しております。あるいは植村さんが会長ではないかと思います。それは私の方でお願いしたいのですが、お確かめ下さい——かもしれません。  それからもう一つの協会は、これもお話の通りいろいろございます。北ベトナムだか南ベトナムだかわからぬような協会がたくさんあるようでございます。私の関係しておりますのは下中弥三郎さんの主宰しておられる会であります。私の会社はメンバーにされておりますし、私も顧問という名をいただいております。従ってその両協会が、おそらく私が非常にそういう土地のことに詳しいからということで、今日こうした資格を持って申し上げることができるのだ、こう考えております。
  89. 岡田春夫

    ○岡田委員 ダニム電源開発で非常にお骨折りのようでございますが、この電源開発はもうだいぶ進んでおるのでございますか。
  90. 久保田豊

    久保田参考人 これは先ほど申しましたように、一九五五年の暮れから政府に頼まれまして、五六年の夏にちゃんと契約を果します書類を差し出しております。その書類は、詳しい方途と、詳しい設計書と、詳しい図画と、それから請負等に出してもいい仕様書と収支計算、そういうものを全部含んだものを出しております。その後、先ほど申しましたように国連とのいろんな意見の交換等があり、またこの国の政府から、若干変えてもらいたい、アメンドしてもらいたいというようなことがございまして、その方の続きはまだ少し残っております。  そういうことをいたしました関係かどうか存じませんが、これは言いにくいことですが、私はこの国で非常に信用を博しておりまして、いろんな仕事を頼まれております。現にフランスでやった発電機のこわれたのをりっぱに直しておほめをいただいております。そんなことがありますので、ベトナムでは仕事をいたしております。
  91. 岡田春夫

    ○岡田委員 大へんおそくなりましたので、御迷惑をかけるといけませんから、短かいお答えでけっこうなんですが、大へん信用を博されておりまして御同慶にたえないわけでございます。ところで今御答弁のときに、一九五五年から政府との話ができたというお話でしたが、それは日本政府との話でございますか、ベトナム政府との話ができておるのでしょうか。
  92. 久保田豊

    久保田参考人 日本政府じゃございません。日本政府はそんなことはさっぱり御援助して下さいません。こういうことは援助していただきたいと私は思いますが、残念ながらそういう問題は日本政府は一切おかまいにならない。
  93. 岡田春夫

    ○岡田委員 五六年に契約の書類をお出しになったというのは建設の契約でございますか。
  94. 久保田豊

    久保田参考人 すべてのものです。たとえば土木関係ではこういう仕事をするという仕様書、それからこういう発電機はこういうものであるべし、その他たくさんの仕様書がございます。
  95. 岡田春夫

    ○岡田委員 そうすると、賠償ができますと直ちに久保田さんの方でおやりになるというようにもうすでになっているわけですか。
  96. 久保田豊

    久保田参考人 それはわかりません。なぜわからないかといいますと、この仕事は、私の観測によりますとおそらくベトナム政府が自分でやると思います。ただ私が想像いたしますのには、今までの慣例によりますと、私の方にしくじりがない限り、私の方が信用をなくさない限り、おそらく私を一種の技術顧問としてどういうことかに使うだろうとは想像されておりますが、約束はございません。
  97. 岡田春夫

    ○岡田委員 しかし御予定としては大体あなたが技術顧問としておやりになるというあなたのお心づもりでお話し合いになっているわけでございますね、そうでなければ書類も出す必要はないわけですから。
  98. 久保田豊

    久保田参考人 書類と申されますが、書類は契約で出したもので、その契約で仕様書を書いて出さねばならぬのでありますから、契約を果しただけのことでございます。それ以上に私の仕事上、あるいは日本のためといってもよろしゅうございましょうが、賠償は別にしまして、そういうものを日本側でとることができれば非常にためになると思っております。それを期待いたしております。
  99. 岡田春夫

    ○岡田委員 問題は私がさっき伺ったように、契約の書類をお出しになったわけでしょう。それがまだきまっておらないということなんですね。
  100. 久保田豊

    久保田参考人 契約というのは契約書案なんです。つまり契約書案、仕様書案なんです。それを今度はいよいよ賠償でやるかあるいは経済協力でやるかというときに、参考にしてそのまま取り上げるかどうかは知りません。しかし私の方の設計には当然契約書案もあれば仕様書案もある、図面もある、これは私の方のビジネスとしては当然であります。
  101. 岡田春夫

    ○岡田委員 ビジネスが悪いと言っておるのではないのです。事情を伺っておるのです。そうすると設計の契約はされて、書類はもうお出しになったわけですか、その点はいかがでしょうか。
  102. 久保田豊

    久保田参考人 設計の契約をして、今お話しの設計に関する書類は全部出しました。
  103. 岡田春夫

    ○岡田委員 その設計に基くと、大体ダニム建設の工費はどれくらいになりますか。
  104. 久保田豊

    久保田参考人 これは最初概要の報告を出しております。それは別としまして、実際に直ちにやるべき仕事としましては、第一期、第二期と私の方で称しております、第一期八万キロ、第二期八万キロ、合計十六万キロでございます。それの合計が四千九百万、そのうち外貨、つまりどこかほかの国から輸入しなければならない機械とサービス等が、私の予定では三千七百万、あとの残りは現地の通貨をもって充てるべきだ、こういうことであります。
  105. 岡田春夫

    ○岡田委員 それではその金額が五千五百六十万ドルの中に入っておることになるわけでございましょうか。
  106. 久保田豊

    久保田参考人 そういうことで今のお話賠償に入るように、いつの間にか私の知らないうちになりまして、そして幾らかかるかということを問い合せを受けましたので、私はさようお答えしております。
  107. 岡田春夫

    ○岡田委員 その点事情はよくわかりました。そうなると、アジア局長がおられないので局長代理に伺いますが、賠償の調印以前に、大体賠償の実体はもうすでに明らかになっているわけですね。
  108. 有田武夫

    ○有田説明員 賠償協定には御承知のようにうしろに実施計画というものを作っておりますが、その計画の中でもまだダニムをやるかどうかということははっきりしておりません。ただ水力発電所建設するということを書いてあります。それは将来合同委員会で決定さるべき問題だと思います。
  109. 岡田春夫

    ○岡田委員 あなたはそう言っておられるけれども、この間久保田さんが——久保田さんがおられるのに失礼ですが、もう一人の久保田大使が帰られて、賠償の実体の中にはダニムが入ると言っております。それからここにおられる久保田さんも、今も速記ではっきり入っておりますように賠償の実体の一つである、こういうことをはっきりお話になったので、これは間違いない事実でございますから、これが賠償の中に入っておることは間違いないと思います。賠償の中に入っていないのですか、それじゃ……。
  110. 有田武夫

    ○有田説明員 算定の基礎といたしましては確かにそういうことでやりました。しかしながら今、賠償協定ができる前にダニムをやるのだという約束は正式には何もやっておりません。これは御承知のように合同委員会で決定してきめられるものだと思います。
  111. 岡田春夫

    ○岡田委員 この点はきょうはあたためておきましょう、これは本腰をもってやらなければならない問題ですから。しかしこれはもう歴然たる事実のあることだけは明らかです。これはもうはっきりしておるじゃありませんか。  それじゃあなたがそういうように御説明になるならば一つ伺いたいが、五千五百六十万ドルの数字的根拠は、戦争被害のどの国に当りますか、はっきり言ってごらんなさい。
  112. 有田武夫

    ○有田説明員 五千五百六十万ドルの計算を出しましたときには、確かにダニムの見積りというものが基礎になっておるということは先ほど申し上げた通りであります。しかしそれがまだ正式にきまっていないということだけを申し上げたわけであります。
  113. 岡田春夫

    ○岡田委員 それでは別にあなたに伺いましょう。五千五百六十万ドルの賠償戦争被害の根拠、平和条約十四条に基いて戦争の被害はどこにあってどういうことになるか、その数字的な根拠を作っておられるのならここで御説明願いたいと思うのですが、そういう数字的な根拠はありますか。あるのならば値付さんにさっき渡しているはずなんだが、植村さんはもらってないというのだが、何かありますか。
  114. 有田武夫

    ○有田説明員 正確なる戦争の被害というものはございません。
  115. 岡田春夫

    ○岡田委員 正確でなくても、何かあるのですか。
  116. 有田武夫

    ○有田説明員 これは一応無償で物資を調達したり、また家屋を破壊したり、そのほか住民に対して間接的な被害を与えたということは歴然たる事実でございますが、こういうものを数字的に算出するということは、どこの場合でも、フィリピンでもインドネシアの場合でも非常にむずかしかったので、正確なこれという数字は出ておりません。
  117. 岡田春夫

    ○岡田委員 これ以上やりません。ニワトリ三羽でしょう、どうですか。  そのほか北ベトナムにおける餓死者百万という問題、これは北ベトナムですよ、もっといろいろ資料をあげるのならあげてもいいが、ここであげたってしようがないからあげませんけれども、とにかくこういう点は非常にはっきりして参りましたので、これはまた久保田大使に来ていただいて詳しく伺います。  それで、大へん参考人の方には長くなって御迷惑ですから申し上げませんが、先ほど久保田さんがお話のように、設計についての契約はもうお済みになって、それはお出しになっている。それに基いて大体五千何百万ですかいわゆるダニム建設の経費が賠償の金額の一部に入っている。ですから政府久保田さんの方に決して援助しないのじゃなくて、何も言わなかったかも知れないが、けっこう五千五百六十万ドルの中にあなたのおやりになるダニム建設の経費は全部入っているそうでありますから、御安心願っていいのじゃないかと思います。  その点はこの程度にして、どうですか、坂本さん、ゴ・ディンジェム政権のもとにおいて南ベトナムの治安は非常に悪くなっている、おそらくゴ・ディンジェム政権というものはあまり長く続くまいというように言われております。これはアメリカ筋の情報でもそう言っているようでありますが、この点簡単でけっこうですから一つお話を願いたい。  それから第二の点は、ゴ・ディンジェム政権というものは日本協力する協力者であった、いわゆる戦争加害者であった、こういうことを先ほどお話になっておられますが、もし加害者であるといたしまするならば、戦争賠償を支払うべき対象とするということには非常に問題があると思うのですが、何かこの点は具体的な事実があるならば簡単に、もう二時になりましたので皆さんに御迷惑をかけるといけませんので、要点だけでけっこうですから一つお話を願いたいと思います。
  118. 坂本徳松

    坂本参考人 ゴ・ディンジェム政権の評価につきましては、日本北ベトナムだけでなく、南ベトナムを含めて日本ベトナムとでは評価の間に非常な違いがあると思うのです。これは昨年私がベトナムへ行ってはっきりと自分で認識したことですが、日本ではまだゴ・ディンジェム政権を正式な南北統一可能な対象と同じように考える考え方が強く残っておる。ベトナムでは、特にベトナム民主共和国ではジュネーブ協定に基いて何度も交渉を呼びかけた、しかもこの話し合いをやるという二年間の協定の期間が過ぎまして、これはもうだめだということがはっきり政治的に社会的に言い出されてきておるのです。ところが日本の方ではジュネーブ協定成立後二年のうちに選挙を行う、その話相手ゴ・ディンジェムであるということがきまっていたものですから、その当時の評価がそのまま残っているわけです。この点日本でのベトナム観には非常にタイミングのおくれがありますし、狂いがあると思うのです。そういう点でゴ・ディンジェム政権というものの評価は北ベトナムに限らず南ベトナムで、現にゴ・ディンジェム政権の統治のもとにある民心の動きを見ても、支持は急速に薄らぎつつあると言うことができると思います。  それからゴ・ディンジェムが加害者であるかどうかという点については、日本ゴ・ディンジェムを知っている人たちは、戦争中の行動あるいはまた戦後特に賠償の問題が起ってきたりしてから親しくなった人、いろいろありますが、ベトナム民主共和国見解によりますと、先ほど言いましたように、独立宣言には日本軍が降伏し、フランス軍が逃げた、バオダイが退位した、その間にゴ・ディンジェムは積極的に何ものもやっておりません。その意味ゴ・ディンジェムはむしろ加害者の側である。その後の経過は御承知の通りで、ベトナム民主共和国の表現によりますと、米ジェム、米ゴとアメリカを必ずつけて害うのが通例になっているのですが、そういう関係になっております。
  119. 岡田春夫

    ○岡田委員 先ほど坂本先生のお話を伺っておりますと、これは佐々木君がちょっと質問したのですが、なかなかポイントをついていると思うので、ちょっと所感を述べて、私は法律的な根拠をむしろ明確にしておいた方がいいと思うのですが、何か南ベトナムと北とを対等な感じに置くというような印象を与えること自体が誤まりである、ということは、ジュネーブ協定休戦をもたらされたインドシナ戦争というものは、ベトナム民主共和国と外国軍隊であるフランス軍隊と戦った戦争である。従ってそのインドシナ戦争によるところのジュネーブ協定休戦協定は当然ベトナム民主共和国フランス国との間の協定である。従ってこの協定に基いて行われる軍事境界線、十七度線に分けたということは、これはいわゆる休戦協定であって、十七度線の南というものはフランス軍事境界線としてきめられたものである。従ってフランス当局が軍事境界線として十七度線の南を持ち、北をベトナム民主共和国が持っているという休戦上の分担関係を現わしている。従ってその後においてフランス共和国がその継承機関といわれているゴ・ディンジェム政権にその継承をしたわけですが、これはあくまでも休戦のための行政管理機関であって、これは国家とか政府とかということを言うこと自体が誤まりであるという点が一点です。  それからもう一つは、それでは全ベトナム代表する正当の政府はだれかというと、このフランスとの戦争相手になったベトナム民主共和国である。この点は自明の理で明確になっていると思うわけです。しかも法的な論拠としては一九四五年に——これは委員長も覚えておいてもらいたいのだが、フランスから独立したのではなくて日本帝国主義から独立した。一九四五年の九月に独立宣言をして、四六年の一月に全ベトナムにおいて正当な民主的方法によって選挙が行われて、全ベトナム代表する代議士が出てきて最初の第一回の国会が行われた。この第一回の国会に基いてベトナム民主共和国政府というものが正式に樹立した。だからベトナム民主共和国というのは正統政府なんです。インドシナ戦争相手というのはベトナムゴ・ディンジェム政府じゃないですよ。フランスですよ。そこで問題になるのは桑港条約で調印を云々したじゃないかというお話ですが、これはゴ・ディンジェム政府とは違うのです。ベトナム国といってこれはおばけのようなものですが、フランスが連れてきたバオダイというものがベトナム国というものだということで調印をしているのです。これはサイゴンにバオダイがいたことはある。サイゴンにいたことはあるのだが、これはフランス軍隊サイゴンを守らない限りはサイゴンにおることができなかった政府なんです。言葉をかえていえばこれはかいらい政権である。かいらい政権と調印をして、この調印は現在まで正統政府として有効であるなどというのは、これはナンセンスです。しかもこれが、たとえば百歩譲って有効であるとしても、ジュネーブ協定の調印によって、もはやこの事実は完全に変って、先ほど申し上げたように、フランス共和国が休戦の十七度線の南においての行政管理機関としての担当であり、その担当の継承機関がゴ・ディンジェム政権である。これはもう正統政府どころじゃなく、話にならないですよ。正統政府は明らかに民主共和国にあるというのは、法律的に明らかに出てきます。横田さんはどっちの方を向いて法律を言っているのか私は知らぬけれども、横田さんは政府の、外務省の顧問だとか参与だとか先ほど言われたが、それの方を十分御考慮の上に言っておられる法律論であろうと思う。これは、国内的にも法律学者としてどうかという点もあるからあまり信用はしませんけれども、そういうような点は明らかにしていただきたいということを希望いたしまして、私の意見を終ります。
  120. 櫻内義雄

    櫻内委員長 各参考人の方には長時間御意見を開陳いただきましてまことにありがとうございました。御礼を申し上げます。  本日はこれにて散会いたします。     午後二時十一分散会