○
廣瀬(勝)
委員 それでは今の問題はいずれもう一度
委員会に諮りましょう。場合によっては、あなたは証人として今度はここで証言をしていただくことになるかもしれません。
それではこの
事件のべスになる
海難「
審判の論告なんですが、非常にこれは私
たちには承服しがたい論告内容でございます。これは私の
意見として申し述べさせていただきます。おそらく論告関係について当局の方からの御返答は伺えないでしょう。現在いろいろ今日まで判明してきましたところの客観的情勢、あるいは
常識的な判断——私の用語は
法律用語ではないかもしれませんが、そういうふうなところから
考えて、どうも
一般社会人はこの論告については納得しがたい。現にこれが出されました神戸
海難審判所の海事担当を長年やつているベテランの記者あたりでも、この論告は案外である。あいた口がふさがらないと言っておるくらいであります。そもそもの前提からずっと説き起してきて、やはり船体が悪かった、あるいは
運航技術が悪かった、船か人か、そういうところに論点を落しながら、最後には
不可抗力、その
不可抗力の定義の仕方も、折衷説あるいは客観説、主観説、それぞれを交えております。
事業上の危険以外のものであることが必要である。各
事業の種類より客観的に見て相対的必要な予防手段を尽してもなおかつ避けることのできないできごとであることを要する。
不可抗力とは、特定
事業の外部より発生したできごとであって、通常必要と認められる予防方法を尽すも、これを防止することのできない危害をいう、こういうことを言って、いわゆる
不可抗力説の中へ逃げ込んでしまっている。管理、
運航、そういうふうな面についての
会社側の手落ち、排水口の問題にしましても、あげれば枚挙にいとまはございません。果してこの
事業に
法律で定められている
範囲を順守しておったかどうかさえも疑わしいような
状態の
会社、これについて何らの言及がなされていない。
船舶の
運航、これについてもその通りです。出港判断、
航路の選定、ましてあの
航路あたりは、なぜああいうように鳴門の潮波の方向へ、あの予想される荒天時に船を持っていったのか。目的地はちょうど追い風に乗って行けるような方向です。いろいろな点で非常に不合理、いわば、そういうようなことを私
たちが申し上げると専門の
方々は怒られるかもしれませんが、やはり
常識として納得しにくい論告、それが
一つのシー・メンとしての特殊なジャンルの中に逃げ込んだひとりよがりの論告である。私は、
海難審判というものは、公正妥当に行われて、何人といえどもこれは侵すことのできないものである、それがやはり海国日本の発展のためになるものである、かように
考えております。そう期待したいと思うのです。そういう点からこの論告はどうも非常に遺憾であります。従いまして、ここに出ております
不可抗力であったとは私
たちは断じてこれは
考えられない。
船長のいない今日、やはり
会社側にこの
責任は全面的にあったものである。しかもそれが先ほど来
指摘しましたように、論議の中でも出ています
運航自体の本来の目的である安全、こういうものが全く看過されて、企業性のみが強調された現在の
海運行政の罪である。気の毒な犠牲者に対しては、
法律は何もそこに救うべきものはない。そうしてこの論告に基いてやがて出される判決というものが今待たれております。こういうふうな点も
考えまして、われわれはこの問題について、将来とも十分なる関心を持ってながめておるのでございます。今までのは私の
意見であります。
海難審判庁長官に御期待申したい。やはり
海難審判というものは、何人も侵しがたい公正妥当なものとして判決をされることを私は期待いたしております。長らくどうも本日はありがとうございました。