○
説明員(安倍治夫君) ただいま皆さんから
少年犯罪の現状につきましてはいろいろ分析的に御
説明がございました。その上に立ちまして、それならばその現状の上においてどうしたならば
犯罪を減らすことができるか、そういうことについてこれからお話したい、こう思うのであります。
犯罪を減らすにはもちろん刑罰を加えるというのも
一つの方法でございますけれ
ども、すでに
犯罪者が
犯罪を犯してしまってからこれを刑務所に入れてもなかなか直らない。また
犯罪はそれによって簡単に減るものではないのであります。
犯罪を減らす一番いい方法は
犯罪者がまだ
犯罪を犯さないうちにその
犯罪を未然に
防止するというところにならなければなりません。しからば
犯罪予防の大眼目は何かというと、それはちょうど病気をなおすときと同じでありまして、早期発見、早期治療というところにございます。病気が非常に大きくなってから注射だとかあるいは入院だとか大騒ぎいたしましても、費用ばかりかかってさっぱり効果が上らない。同様に
少年犯罪者がすでに、もうどうにもならないくらいに重症の
少年犯罪者になった後で、これを
少年院に送ってみたり、あるいは
少年審判にかけてみてもあまり効果は上らないのであります。で、
犯罪というのはいわば病気のようなものでありまして、その病気というのは要するに
少年が性格的、環境的に見て
社会の生活に適応できない不適応症という
一つの病気であります。この不適応症は二つの面を持つのでありまして、だんだん不適応の
傾向が強くなりますと
社会との間に
一つの緊張関係を生じます。これを解決するには
一つには自己を否定するという方法、すなわちあるいは自殺を行う、あるいは家出放浪を行うというような
一つの消極的な
社会的な不適応性の現われもございます。しかし逆に自己が十分に強いと相手方を否定し、
社会に迷惑を与えても、その緊張を解決しようとする。これが
犯罪でございます。そこでこの
社会的な不適応症という
一つの病気はどういうふうになってなおされていくかといいますと、これは突然生ずるものではなくて、幼い
少年の
家庭環境あるいは
社会環境のうちに徐々に芽ばえて、そうしてだんだん固定化していくのであります。そこでその
犯罪性というものが固定化して、どうにもならなくなってから手を打つのではなくて固定する前に早期に手を打つ。そうされるならば
少年犯罪を未然に
防止することができるのではなかろうか、かように考えるのであります。ところが従来もろもろの国家機関というのは果して
少年犯罪の
犯罪性が固定する前に十分手を打ってきたかというと、遺憾ながらそういう手を打ってこなかったと言わざるを得ないのであります。その顕著な例はいろいろ例がございますが、たとえば最近世間を騒がせました小松川女高生殺しの例をごらんになるとよくわかるのであります。この小松川女高生殺しの犯人であるRという
少年は決して突然あのような残虐な
犯罪者になったのではないのでありまして、そのような
犯罪徴候というのはすでに前々から現われていた。しかしながら国家機関が早期にこれを発見するすべを持たなかったというところに国家機関の
刑事政策に非科学性があると言わざるを得ないのであります。
お
手元に配付いたしました
資料で
昭和三十三年十月付グリュック
犯罪予測法
説明資料、カッコして諸表と書いたのがございます。その一番
最後の裏表紙のところを
ごらん願いたいのであります。この表をあけまして一番
最後のところに紙が一枚張りつけてございます。これが有名な小松川女高生殺し
事件におけるR
少年の前歴がどうかというのを東京地検が調べたその報告を要約したものでございます。それによりますと、おそるべきことにはこの
少年はすでに四回の前歴を持っておる。一番初めは三十年六月にハンドバックと現金千九百五十円を窃取いたしました。そうして検察庁に送られ、
家庭裁判所に送られた。その後間もなく三ヵ月を経まして九月二十九日になりますというと、第二回の犯行を犯している。しかもこれは家裁に
事件が送られまして、家裁がまだ
事件を処理しない間にさらに次の犯行を犯したのであります。これがしかもたった一回の犯行ではなくて、右側の
犯罪事実という欄を見ますと、小岩図書館で八回にわたり本を窃取した。つまり犯行が八回であります。
前回のを合せますと九回。これが要するに
警察に発覚した犯行でございます。おそらく発覚しない万引その他を入れますと、相当
犯罪を行なっているに違いない。R
少年はすでにこの
段階で常習的な
犯罪者の徴候を表わしているのでございます。しかし何と思いましたか、
家庭裁判所の処分はいわゆる不処分であります。これは審判を開始いたしましたけれ
ども、しかし特別の手当は必要はないというのでR
少年はそのまま釈放されて、そこに何の手も打たれなかったのであります。果せるかなそれから三ヵ月たちまして、三十年十二月三十日に至りまして第三回目の犯行が行われた。厳密に言いますとこれは十回目になるわけでありましたが、出身中学校校庭で自転車一台の窃取、なお別に自転車一台の窃取、これは相当なものでございますけれ
ども、この場合は検察庁から
家庭裁判所に
事件が送られまして、
家庭裁判所では何と思ったか審判不開始、すなわち審判することすら必要がないといってこの
少年を
家庭に送り帰したのであります。そうしますと、もちろんそういう常習的な
犯罪性を持った
少年でございますから、間もなくまた次の犯行が行われている。その間に若干のインターヴアルはございますけれ
ども、三十三年一月十三日に至って今度はいよいよ大きな
犯罪を行なった、それが江戸川区立松栄図書館外五図書館で本を合計五十二冊窃取、つまり一回には数冊取ったのかもしれませんけれ
ども、おそらく十数回の犯行がここで行われた。それをまとめましてまたも
警察は彼を逮捕して検察庁に送り、検察庁は彼をまた
家庭裁判所に送ったのであります。事ここに至りましては
家庭裁判所もこれをまさか釈放するわけにはいきませんので、非常に一番軽い処分であるところの保護観察処分というのに付したのであります。そうして世間を騒がしました有名な小松川女高生殺しの
事件というのは、まさにこの保護観察中のできごとであります。つまりこの
少年については、保護観察官がその生活を指導しておった間に起きたことでございます。しかも不思議なことには、保護観察の記録を見ますというと、この
少年は保護観察官の受けが非常によろしい。人ざわりも非常にいいし、礼儀も正しい、頭もよろしいというので保護観察の成績は良ということになっております。その成績良の
少年が世にもおそろしい
犯罪を行なった。殺人という
犯罪を行なった。しかも強姦殺人という忌まわしい
犯罪を行なったということについてわれわれは非常に考えざるを得ないのであります。つまり今までの国家機関というものは一人の
犯罪少年を扱う場合におきまして、果して科学的にその性格なり環境なりを見抜いて、そうして適切なる処置をしているかというと、遺憾ながらしておらないと言わざるを得ないのであります。これほど顕著な
犯罪性向を持った
少年が目の前に現われてきた場合に、三回もこれを単に釈放して家に帰す。四回目に初めて保護観察処分にする。しかしながら保護観察官もこれを成績良ということの評点を与えて安心しておったということは、実におそろしいことではなかろうかとわれわれは思うのであります。そこで私は、別に現在の
家庭裁判所の方々やあるいは保護観察官の方々を非難しようとは思はないのであります。なぜかというと、なぜ国家機関がかような非科学的な審判を行わざるを得ないかといいますと、それは刑事学という学問、つまり
犯罪の原因を探求しその
対策を立てるところの学問というものは、はなはだ未発達だからであります。もちろん十八世紀の終りごろから二十世紀の今日に至るまで、諸外国あるいは日本の学者たちがいろいろな
犯罪学というものを発展させました。その十八世紀の終りごろから二十世紀の今日に至るまでの
犯罪学の大要というものが、このお
手元に差し上げました同じ
資料の一番
最後のところに織り込みにされてございますからごらんいただきたいと思います。一七七五年から一九二九年まで、この世界に現われましたあらゆる
犯罪学の学派をこの一覧表にまとめたのでございます。これをごらんいただきますというと、今までどういう学問が、どういう
犯罪学が成立し、どのような
内容を持っているかがよくわかると思われます。これを大まかに申しますというと、この一番左の主要種別というところをごらんいただきたいのであります。そういたしますと、ごく大まかに分けまして、
犯罪の原因は素質だ、人間は生まれつきに
犯罪者だという考え方が
一つであります。後天的なものももちろん大切でございましょうけれ
ども、人間は
犯罪的な素質を持って生まれついた、そういう素質を持った人間は行く行くは
犯罪者になるという、そういう考え方が
一つでございます。これを主観的、内面的
犯罪理論ということにまとめることができます。また下の方、中ごろをごらんになりますというと、
犯罪の原因は環境である、こういうことを主張する学者もございます。これを簡単に申しますと、客観的、外面的な
犯罪理論、こういうふうに呼んでもよろしゅうございます。これらはいずれもたての一面を見ておるというので、ドイツなどに起りました
犯罪生物学派に属するメツガーなどという人は、そういうことではよくない、
犯罪原因というものは多面的だ、素質及び環境が一定の非常に複雑なダイナミックな、総合的な関係をもって作用し、それが
犯罪を形成するのだということで、一番下のところを見ますというと、
犯罪は人格全体を貫いて作用する。多様な素質的、環境的要因のダイナミックスによって生ずる、これが一番新しい学派であります。ところがこういうもっともらしいことを言ってもらいましても、われわれは別にどうにもならない。たとえばここに小松川女高生殺しの
少年を一人連れて参りまして、メツガー先生の前にこれを示して、メツガー先生、あなたは非常な刑事学の大家だそうだが、
一つこの小松川女高生殺しの犯人がどういう原因によって、どういう原因がどういう
割合で作用して、このような
犯罪者を作り上げたか、それを
一つ分析していただきたい、あるいはそういうことが原因であるというならば、どういうことをしたらこの犯人を善良な人間に改善することができるか、それを教えてもらいたい、こういうふうにかりにドイツの学者であるメツガー先生に聞いても、メツガー先生はおそらく手を上げるでありましょう。いや、わしは理論はやっているけれ
ども、実際はわからぬとおっしゃるでありましょう。しかし
問題は、学問というのは現実に役立って初めて意味があるのでありまして、幾ら素質と環境の神秘なダイナミックスということを大げさに言ってもらっても、われわれにはちっとも役には立たない。そこでしからば
犯罪学というものを発展させて、ほんとうに
少年犯罪なり、未成年
犯罪を予防するような
犯罪学に形成していくのには、どういうところに着目したらよろしいかということをこれからお話したいと思うのであります。これにつきましていろいろ新しい刑事学の動向を研究いたしました結果、アメリカにおきまして
一つの新しい
犯罪学の
傾向が台頭しているということがわかったのであります。これがいわゆるグリュック博士、すなわちハーバード
大学で刑事学を講じておりますシェルドン・グリュックという人が、約三十年前から研究しておる
犯罪予測の理論であります。グリュック博士によりますというと、
少年の
非行性というものは非常に幼いころに、
家庭環境のうちに芽ばえるものだ、従って十分注意しておりますというと、
家庭環境のうちにその
少年を
犯罪者に導くような要素がごく幼いころに現われておるのだ、それに早期に着目することによって
少年犯罪になる、黙っておれば
少年犯罪になるであろう
少年というものを早期に発見することができる、これを早期に発見いたしましたならば、それに早期に治療を加えることによって
少年犯罪を抜本的に
防止することができるのだ、これがアメリカのグリュック博士の理論の大要でございます。で、この
犯罪予測の理論というのは、実を申しますと二つの面を持っておるのでありまして、
一つの面は今申しましたように、
犯罪を早期に予測し、早期に治療するという面でございますが、もう
一つの面は、一たん罪を犯して刑務所に入った者、あるいは
少年院に入った者を釈放いたします場合、つまり仮釈放いたします場合に、この者は果して再犯を犯すであろうかということを予測する学問、これが
犯罪予測理論の第二の応用面です。そこで仮釈放いたします場合、従来はつまり刑務所の中で看守のごきげんをよくとる者とか、あるいは非常によく働いて、働いたような振りをして見せる者とか、そういうような者が非常に点数がよろしいのでございまして、仮釈放
委員会ではこの者は成績がいいからといって簡単に釈放される、そうすると一ヵ月、二ヵ月後には再犯を犯して刑務所に戻ってくる。今日世界を通じまして仮釈放になった
犯罪者は七五%が再び刑務所の門をくぐるといわれておるのであります。そこで
犯罪予測の理論を仮釈放の方で応用いたしますというと、仮釈放
委員会が
犯罪者を仮釈放する場合に、一たん
犯罪予測を行なってみる、そうしてもし
非行を犯す、つまり再犯を犯す確率、確からしさというものが非常に高い者であるというと、その仮釈放することを差し控えるか、あるいは非常に厳重な監視のもとに仮釈放をする、あるいは刑務所内にしばらくとどめる、あるいは
少年院内にとどめて、十分その者が直ったという自信を持ったときに初めて世の中に出す、釈放する。こういう方法をもってやると七五%の者が再び再犯を犯して刑務所の門をくぐるという悪循環を立ち切ることができるのであります。この方法は実は夢ではないのでありまして、アメリカのイリノイ州ではバージェスという人の理論を修正したオーリンという人の方法を応用いたしまして、すでに今から二十年も前からこの方法を適用しておる。そうして二十年前と二十年後の今日を比べて見ますというと再犯率が半分に減ったと報告されておるのであります。これはもちろんほかの原因もあるかもしれませんが、アメリカの
犯罪全体の
傾向は、この二十年間において決して減っておらない、むしろ全体としては上昇の
傾向にあるのにイリノイ州だけにおいて再犯者の減った率が半減したということは、仮釈放における
犯罪予測という科学的な方法が成功したのではなかろうかという
一つの証拠であろうと考えるのであります。で、ここでは時間がございませんので、論点をグリュック博士の
少年犯罪の早期予測の
問題にだけ限定いたしまして、簡単にこの理論の概要を御
説明申し上げたいと思います。
グリュック博士の方法というのは、まずボストンという町がアメリカにございますが、このボストンの下町に育って下町で犯行を犯して、そうしてボストンの
少年院に入っている五百人の
犯罪少年、これをサンプルとしてとったのであります。そうしてそれに対応するようにボストンの中学校、高等学校に在学するところの善良なる五百人の
少年、これをいわゆるコントロール・グループ——対象群として抽出したのであります。そうしてこの善良なる五百人の
少年と
犯罪性を持つ五百人の
少年を対比しながら一体どういう要素が作用して、どういう幼年時代の要素が作用して、同じようなボストンの下町に育った
少年が一方では
犯罪者になり、一方では善良なる
少年になったかということを調べて見ました。そうしてその場合に、約四百二個のファクター、四百二個の要因というものに着目して、その差異を調べたのでありますが、そういたしますというと、その中には、たとえば二親が欠けている、いわゆる欠損
家庭というものが重要なものだ、あるいはその
少年が学校をサボっているということがわかったということも
一つの原因。あるいは母親の愛情が非常になかったということも
一つの原因。あるいは非常に犯行性を持っておったということも
一つの原因。いろいろなものがございましたが、それらを選りすぐって参りまして、
犯罪性と最も関係のある十五の因子、十五のファクターが
最後に選び出されたのであります。この十五のファクターと申しますのは、お
手元に配付しました先ほどの
資料の六ページ以下に一覧表にしてあげてございます。大まかに言いまして、いわゆる
社会的、六ページのところにございますが、
社会的五因子というものがまず取り上げられます。その
社会的五因子の
内容を見ますというと、1は父による
少年のしつけ。2は母親による
少年の監督。3は
少年に対する父の愛情。4は
少年に対する母の愛情。5、家族の結合。この五つの要素が
少年を
犯罪者に追いやるか、あるいは善良な
少年にするかをきめる非常に重要な要素であるということが統計学的に実証されたわけであります。われわれも、いい
家庭からはいい子供が出るということは東洋人の直観として十分今まで知っておったことでございますが、アメリカ人がそれを統計学的に吟味した結果、やはりわれわれの直観と合致するような結果が出たことは非常に興味深いことと申さなければなりません。これは、非常にわれわれにわかりやすい
社会的な五つの因子でございますが、そのほかに、さらにグリュック博士は、第二群の五因子として、いわゆるロールシャッハ・テストによる性格特性の五因子というものを選び出しました。第一は、
社会的主張、これが強いか弱いか。第二は、反抗性が強いか弱いか。第三は、疑惑性が強いか弱いか。第四番目には、破壊性が強いか弱いか。第五は、情緒易変性が強いか弱いか。そういう、これは
心理学上の有名なロールシャッハ・テストというのをやりまして、これが強いか弱いかを区別して、将来この
少年が
犯罪者になるかどうかを見きわめようという因子であります。それから「その三」は、精神医学的面接によるパーソナリティ特性の五因子。第一は冒険性。第二は行動の外向性。第三は被暗示性。第四は頑固性。第五は情緒不安定性。こういう因子もまた
犯罪に非常に関係のあることがわかったのでございますが、「その二」、「その三」の、ロールシャッハ・テスト及び精神医学的面接による五因子ということは、しろうとではちょっとわかりにくいのでございまして、非常に専門的な知識が要りますので、ここでは、「その一」の
社会的五因子について、どのような
犯罪の予測が行われるかということに限定して
説明を申し上げたいと思うのであります。
そこで、グリュック博士の方法は、今申しました、父による
少年のしつけ。母による
少年の監督。
少年に対する父の愛情。
少年に対する母の愛情。家族の結合。この五つの因子の態様に従って、それぞれ一定の評点を与え、点数を与えるという方法をとったのでございます。その点数は、一定の統計的な計算から割り出されたものでございまして、その計算は、やや複雑でございますので省略いたすといたしますが、結果的にどのような評点が与えられたかということは、この
資料の十五ページにまとめてあります。
資料の十五ページを見ますと、「その二」としまして、「加重失敗得点一覧表」というものがございます。工合の悪い因子が現れて参りますと、それに一定の失敗得点を与える。しかし、その得点というのは、どんな要素が現れても一律に一とか二とかいうのを与えるのでなしに、統計的重みに従って加重した得点を与える。これがグリュック方式の非常な特性なのでございます。たとえば、父による
少年のしつけについて見ますと、厳格過ぎる、あるいは気まぐれという場合には七一・八という点数を与える。ゆるやかである場合には五九・八という点数を与える。確固かつ親切という場合には九・三という点数を与える。非常にファクターがよく現れている場合には点数が低いわけでございます。同様に、他の四つの因子についても、それぞれ一定の評点をつけるようにいたしまして、特定の
少年を取り上げまして、この五つの因子につきまして、加重失敗得点一覧表に従って評点をいたしまして、その五つの評点の総合計を作り上げるのでございます。その計算の実例が十六ページにございます。その次のページをあけて見ますと、「合計失点計算例」というのがございます。たとえば、ある
少年をここに取り上げて見ます。父による
少年のしつけがゆるやかであるという場合には五九・八という点数をここに与える。母による
少年の監督が不適切であるという場合には、前の表に従いまして八三・二という点数を与える。
少年に対する父の愛情が温情豊かであるという場合には三三・八という点数を与える。
少年に対する母の愛情が無関心である場合には八六・二。家族の結びつきが、多少の結びつきであると認められる場合には六一・三。こういう評点を与えまして、その合計点をとりますと、三二四・三というふうになります。
こういうふうにいたしまして、グリュック博士は、善良な
少年と善良でない
少年のそれぞれ五百人につきまして、各個につきまして計算したのであります。そうして合計点数というものがどういうような分布をなしておるかということを研究いたしました。そうすると、非常におもしろいことがわかったのであります。次の十七ページをごらんになりますと、その合計点が一五〇
未満である。非常に成績のいい
少年ですが、そういう成績のいい
少年は、つまり幼年時代についてその評点をしてみますと、その合計点が一五〇
未満というような成績のいい
少年でありますと、
非行に陥ったのは五人しかおりません。
非行に陥った者はわずか五人、
非行のない者が百六十七人というように、非常に大きな差がここに現われていることがわかります。次の
段階を見ますと、一五〇点以上一九九点というのを見ますと、
非行のある者はややふえて、十九人となっておりますが、大体においては
非行のない者が多い。つまり、百二人。右の方に書いてあります。以下同様にしてずっとやっていきますと、点数がふえて参りますに従って、
非行のある者の数がふえていって、
非行のない者の数が減っていく、こういう逆の関係にあることがわかった。そこで、結局、重みをつけた失敗得点、この点数というものは、この
少年が将来非常に陥るか陥らないかということに関する重大な着眼点になるということがわかったのであります。グリュック博士は、二五〇点を境にして一線を引きまして、そうしますと、二五〇点を境にして、つまり、二四九以下の場合におきましては、その
少年が
非行に陥るという確率、プロバビリティが非常に低い。しかし、二五〇点をこえるや、将来
非行に陥るという確率が非常にふえるということがわかったのであります。その相関表を、わかりやすくするためにグラフに直しましたのが十八ページに書いてございます。十八ページは、十七ページの細別予測表をグラフに書き改めたものでございます。これを見ますと、非常にしろうとわかりするのでありまして、右の方に山が高いように盛り上っているのは、これは
犯罪少年という曲線であります。左の方にずっと高く盛り上っているのは、これは善良なる
少年の曲線でございます。これを見ますと、下の失敗得点の
数字が右の方にだんだん高くなるに従って、
犯罪少年の数がずっと右上りに高くなっていく、逆に、失敗得点の合計数が左の分にずっと低くなるに従って、善良なる
少年の数がずっと高くなる。要するに、山の峰が二つに分れていくのであります。右側に参考図例としまして、山の峰がずっとくついたような図と、山の峰の分れた図が書いてありますが、グリュックさんの細別予測表をグラフに直しますと、ABのBの、識別力の大きい場合、つまり山の峰が大きく分れている場合に当るような分布をしております。それに対しまして、もう
一つ、予測表のファクターの選び方が非常に下手でありますと、参考図例のAのように、山の峰が両方合わさってしまいまして、両方が識別できない、こういうことになります。そこで、予測というのはどういうようにして行うかというと、まん中の二五〇点というところに縦の垂線を置いてやってみますと、縦の垂線から右側に入るのが大体において将来
非行に陥るべき
少年、陥る確率の非常に大なる
少年、こういうことになります。二五〇点の垂線から左の側にある
少年は、大体において将来善良な
少年になるような
傾向を持っておる。こういうように判断するわけであります。ところが、もちろんこの予測に対して誤差を伴います。すなわち、このグラフで申しますと、右側に雨の降ったような
点線の斜線でしるしをつけたところがございますが、これが誤差に当るのでありまして、これは、二五〇点以上の点数を持った
少年でありますが、現実には、将来善良な
少年になったというような
少年、この群は予測の失敗した面積でございます。それから逆に、今度二五〇点以下のものが全部善良な
少年になるかと思いきや、その中に実斜線を施したしま目のようなものがございますが、これが現実には
非行少年であるということで、もちろん若干の誤差はございますけれ
ども、大体において二五〇点をこえるものは将来
犯罪者になりやすい、二五〇点を下る者は将来善良な
少年になりやすいというように判断いたします。その大体の予測率というのは八五%ぐらいは当るということがこのグラフから推察されるのであります。これは要するに、ボストンの
少年をサンプルにとっての図でありますから、これをほかの町の
少年や、あるいは国籍の違う、たとえば日本の
少年群に当てはめた場合、そのまま当てはまるかどうかは重大
問題でございます。
そこで、こういう
犯罪予測表というのができますと、検定表というそのためしをやるわけであります。その
一つのためしは、いわゆるめくらテストというやつでございまして、まず実験者には、ピック・アップしております五十名なら五十名の
犯罪少年と、五十名の善良な
少年との記録を実験者に渡すわけであります。そうして現在、それらが善良になったか、あるいは
犯罪少年になったかを隠しておいて、そうしてその幼年時代の記録だけをもとにして、この
少年はおそらく
犯罪者になる、この
少年は善良な者になるという判断をして、その結果を現在わかっている結果に照合するわけであります。その結果、果して何%このグリュック予測表が予測率を持っているかということを検定する、こういうやり方をするわけであります。その検定例がこの
資料の二十ページにございます。二十ページの第六に、「アメリカにおけるグリュック予測表の検定成績」という欄がございますが、百名の
少年を対象といたしまして、その百名の中には、八十名の
非行のない
少年と、それから
非行のあった者二十名を含んでおったのでありますが、これを実際にはグリュックさんには隠しておきます。そうしてその幼年時代の記録だけをグリュックさんに与えて、この八十名と二十名をどれだけうまく選び分けることができるかをやらしたわけです。そうしてグリュック予測表に従えば、二五〇点
未満の者のうち、
非行のない者は七十三人おりました。
非行のあった者で二五〇点
未満の者が二名ございました。それで、その二名というのが、予測の誤差になるわけであります。それから二五〇点以上の者が、これは元来グリュック予測表によりますというと、全部
非行少年になるはずでありますけれ
ども、その中にも
非行のない者が七名おりました。それから
非行のあった者が十八名でありまして、百名中、七プラス二、つまり九名というのが予測の失敗でありましたが、九十一名はこれを見事当てたということになったわけであります。
こういう実験をいたしますと、非常に老練なケース・ワーカー、あるいは保護観察官は、大いに憤慨いたしまして、そういう機械的な予測方法によらなくても、われわれの霊妙な直感によって予測してみせるということで、それならやってごらんなさいというので、同じような
資料を渡して予測をさせたのが、その下の表でございます。それで
委員会ナンバー・ワン、これは大いにいきまきまして——同じ
資料を使って、グリュックさんの方は、下の予測を使ってわずか二日くらいで上の結果を出したのですが、第一
委員会は、九十五名の対象
人員について、二週間もかかって、ああでもない、こうでもないと大議論の結果、正しく予測したのは六十二名、予測率は六五・三%というようなみじめな失敗の結果に終ったわけであります。これによりましても、いわゆる組織化された人間の経験というものは、単なる情緒的な直感よりもはるかに科学的であり、また確率を持っているということのりっぱな証明になるのでございます。ところが、これらはいずれも、アメリカにおきまする予測表の検定でございまして、このアメリカに成立した
犯罪予測表というものを日本に持って参りまして、日本の
少年たちに当てはめた場合に、果して何%当るであろうか、これがまさに重大
問題なのでありまして、われわれは、えてして外国製の理論をそのままわが国の
問題に当てはめてそれを分析しようとするという大きなあやまちを犯しているのでありますが、
問題は、このグリュック予測表が果してわが国の国情に適するかということをこれから研究していただかなければならないのであります。
それで二十一ページには、「館澤
調査官の研究」というのがございます。これは館澤さんという非常に篤志家の方がございまして、グリュック博士の研究は非常におもしろい、それを
一つ日本の盛岡市の
少年に当てはめてみたならば、どういうふうになるだろうかということを考えまして、非常にサンプルの数は少いのでございますけれ
ども、六十名足らずの
人員につきましてグリュック予測表を当てはめてみたのでございます。そういたしますと、グリュック博士が非常に重要であるとされた、
少年に対する父の愛情、
少年に対する母の愛情、そういったようなものが、非常に日本においても、ある
程度の予測因子として役に立つ。そのほか、グリュックさんは、あまり重要だと言わなかったけれ
ども、日本においては、父親の職業という因子が、
犯罪予測因子として大いに役に立つ、アメリカでは、あまりこれは重要であるとはされなかったのでございますけれ
ども、父の職業という要素をさらに加えたならば、グリュック予測表は、日本の
社会に適用されるように改めることができるであろうということを示唆したわけでございます。
そこで館澤氏の
調査結果が、どういうような結果になったかということは、二十二ページ及び二十三ページに書いてございまして、これをお読みになればわかるのでございますけれ
ども、これをわかりやすすくるために、二十四ページに「館澤氏による予測表のグラフ」を掲げておきました。二十四ページの表を見ますと、一目瞭然でございまして、確かに
犯罪少年は、二百五十点を境といたしまして、右側に高く盛り上るような分布をしている。それから善良な
少年は、二百五十点を境として、左に盛り上るような分布をしている。すなわち二百五十点を境といたしまして、この右側にあるものは、一応
非行少年になりそうな者、二百五十点を境として左側にあるものは、一応善良
少年になりそうな者という判断をいたしますならば、その誤差は非常に少いということでございまして、その誤差を数学的に計算いたしますと、八九・〇二%という、ほとんど九〇%の適中率でございます。このグリュック博士の
犯罪予測の研究というのは、今や世界的な
傾向となって参りまして、最近グリュック博士からの通信によりますと、フランスのストラスブールの
大学におきましても、同様な実験を行なって、その結果九二%の適中率を示した、こういうことでございます。
実は、当
法務省におきましても、昨年度から、グリュックの予測表を日本の
少年犯罪者に当てはめて、何%これが当てはまるかを検定する実験を開始したのでございます。もちろん大蔵当局は、必ずしもこの実験に同情的でございませんでして、わが方が三百万円ばかりの予算を請求したのに対しまして、わずか三十万円の予算措置をいたしましたので、私
どもは、結局手弁当で、千葉の星華学園あるいは赤城
少年院に行きまして、わずか三十五例の
少年を
調査しておりますうちに、資金切れになりまして、今、一頓挫しておるのでございますけれ
ども、一策を案じまして、こちらに
森田先生もいらっしゃいますが、
家庭裁判所の
調査官の方が全国に散らばっておりまして、これらの方は
少年と絶えず接触しておられますので、これらの方々を通じて個別的な
調査を依頼しまして、それらを総合いたしましたところ、七十例のものが集まったのでございます。七十例というと、かなりこれは統計学的にも意味のある
数字でございます。それを今、館澤さんが一生懸命集計しておりますけれ
ども、きのう電話をかけて聞いたところによりますと、この七十例中グリュック
犯罪予測表を使いますと九二%は十分これを予測できた、従って九二%は事前に治療を施しますならば、
犯罪者に陥らなくて済んだということが言えたのではなかろうかということになるのであります。で、早期発見をいたしましても、これに対する適当な治療方法がなければ、もちろん何らの意味もないのでありまして、
一つの宿命論にほかならないのであります。この
少年はやがて将来
非行者になるであろう、それを黙って見ておって、
非行者になった、やあ、当ったと言ったのでは、これは非常に非人道的でございますけれ
ども、これは十分治療方法があるのでありまして、たとえばその
犯罪者の性格が極度に内攻的である、たとえば人づき合いが非常に悪くて、そうしてその
犯罪性が内にこもって参りまして、やがて爆発的に発散するといったような、たとえば小松川女高生殺しのような場合でありますと、たとえばその内攻性を緩和するように友だちを作ってやる、あるいは先生が絶えずそれを優しく指導してやる、あるいは野球のようなスポーツを教えて、戸外で運動するように習慣をつける、そういうようなほんのささやかな生活指導が、その
少年の将来を大きく左右いたしまして、やがて固定的な
犯罪者になるのを防ぐことができるのだと思います。
ここで非常に重要なことは、
犯罪予防というものは、今や抽象的な議論の
段階ではなくして実践の
段階に来ておる、そうして現にアメリカで発達いたしましたグリュック方式が九二%もの適中率を持っているというならば、それを日本的に修正いたしまして、わが国民性に合ったような予測表を一刻も早く確立いたしまして、それによって、少くとも一度
家庭裁判所の門をくぐった
少年は再び
犯罪に陥らないように、もし
犯罪性向が非常に高い場合には、これに集中的に治療手段を講ずるということによって、非常に国費を節約しながら
犯罪を抜本的に予防できるのではなかろうか。その意味におきまして、当
法務省におきましては、来年度、総合
刑事政策研究所というものを設立する計画を立てまして、その研究所におきましては、従来の刑事学の基礎理論を研究すると同時に、今申しました具体的な
犯罪予防の方策というものを科学的に研究いたしまして、それを
家庭裁判所の審判あるいは保護観察の実務あるいは仮釈放の実務というような実務に適用いたしますならば、数年後には
犯罪者を半減させることも決して夢ではない。現に、イリノイ州は二十年間に
犯罪者を半減させることに成功した。これに対して若干の費用を投ずることを惜しむものではない。かように確信するのであります。
大へん長くなりました。