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松永忠二君 私は
基準ということは、従前からここにもあるように重要な資料である。資料であり、
一つの
基準である以上、それが授業時数が上に上っても下に下っても
基準を離れる、非常に離れておるということについては問題があるにしても、
基準という重要な資料であるというのにかかわらず、下ってはならないのだという、こういう言い方は私はできないと思うのです。また、
教育課程についても、この前も少し話をしたように、
教育課程の構成は、本来教師と児童生徒によって作られるものといえる。教師は校長の指導のもとに
教育長、指導主事、児童心理や青年心理の
教科の専門家、さらに両親や地域社会の人々に直接間接に援助されて、児童生徒とともに学校における実際的な
教育課程を作らなければならないのである。
教育課程を自分で作れということが書いてある。作るときに、その重要な資料として
一つのものが出されるということである。そうなってくると、「編成するものとする。」なんというような言い方は、やはりこの
基準を逸脱した表現であると私は思うのです。
そこで、やはり第二十四条は
学校教育の
基準として編成するものとするとし、第二十四条の二は
小学校の別表第一に定める授業時数を
基準とするということを明確にすべきだ。その次の前項の
規定にかかわらず、時間数を変更するならば、都道府県
教育委員会に届け出なければできないというようなことは、
教育課程については実施管理する権利が明確に地方
教育委員会にあるという
規定があるのですから、それを届け出なければならない、
報告をすることについて私は悪いとは言わないけれ
ども、届け出なければならない。重要な資料であり、
基準だというものについて、それをちょっと変更するからといって、それをすぐ届け出よというような言い方は、明らかに行き過ぎだと思う。第二十四条の字句表現というものも、私はもう少し明快に
基準という言葉を付すべきだと思う。先ほどから
基準については重要な資料だという
お話があったので、その点はそういうふうに解釈すべきだと私は思う。
そこで
大臣もちょうどお見えになったので
一つ私は……、実は
教育課程審議会というものから出された答申については、社会科についてはこういうことが出ておるのです。これだけの言葉であります。「社会科の目標、
内容については、「道徳」との
関連を考慮し、学年の児童発達
段階に即して発展的、効果的な指導を行うよう再検討を加えること。低学年の
内容は特に道徳との
関連を十分考慮し、その
取扱い方について細心の工夫をすること。中学年は高学年への移行的
段階として児童の発達
段階及び社会科の全体構造の上から見て再検討を加えること。高学年においては地理、歴史について基礎的な
理解を得させるため、その
内容、指導方法を再検討する。」実はこれだけのことが
教育課程審議会の答申として出てきたのであります。ところが、新たに
文部省から出された学習指導要領の改訂の案もすでに
決定をされている。この改訂の案では、非常に広い範囲について異同が行われているということなんであります。これについて、こまかいことについてはいろいろ新聞にも出ておったりして、御
承知の点が多かろうと思うのですが、私は二、三の点を特にちょうど文部
大臣がおられるので、こういうこまかいことについては、おそらく耳に入らないのじゃないか、まためんどうなことでもあるので御
承知ないのじゃないかという点もあるので、一、二
指摘を私はしたいと思うのです。これは古い前の
小学校の学習指導要領の社会科編の中にある
内容で、今度の
教育課程の中にはないのだけを私は一、二選んでみたのであります。たとえば、第四学年のところにこういうことが今まであったのです。「
自分たちの郷土の特色をよく
理解して、学校、家庭、村などでの毎日の生活を改めて反省してみると、いろいろ新しいことに気づき、その生活を改善するよい方法を見つけることができるが、何事によらずよいとわかったことは、困難をのりこえ、勇気をもってしとげることがたいせつである。」これは今度のには全然ないのであります。それからその次に、「わたし
たちの周囲には、貧しい人や手足の不自由な人もいるが、みんな同じ尊い人間であることを考えて、互いにいたわり合うばかりでなく、人それぞれの長所を生かして共同の仕事をすることがたいせつである。」これも全然欠いておる。また同じように、「住みよい郷土を作るには、みんなが因襲や迷信にとらわれず、その職業や仕事に応じて、後の世の人のことも考えて、その責任を果すことが大事である。」ということがある。これも今度のには抜けておる。それからもう一、二ありますが、五年のところに、「産業の発達と人々の生活
——日本を中心として
——」その中の4のところに、「いろいろな生産に従事する仕事の特色やその苦労、これらの人々の安全や厚生慰安の問題などについて
理解させ、これらの人々の仕事と
自分たちの生活との
関係を考えて、
自分たちでできる
協力方法をくふうしようとする態度を養う。」と、そういうことも今度のには抜けた。それから六年へくると、「人々の平和を願う気持にもかかわらず、世界の国々は、これまで幾度か戦争という手段で争ってきたが、特にその破壊力が大きくなった今日では、それぞれの国の独立を尊重し合って平和を守る努力を続けなければならない。」と、これも実は抜けておる。で、端的に、ずっと
小学校の学習指導要領を初めから読んで、協同的な努力をしていくとか、あるいは貧しい人々云々、迷信とか因循こそくの風習を打破していこうとか、あるいは貧しいものを救っていくというような、そういうここぞと思うようなところの点が全部抜けておる。もちろん新しい
教育課程の中に、非常にいいこともあるし、抜けてない点もあるわけでありますが、こういうことで、非常な大きな違いがある。で、私は、実は
教育課程審議会から出たものは、先ほど申し上げましたように、非常に簡単な答申が出ておるにかかわらず、それをもとにして作っているこの学習指導要領の方では、非常に大きな変化がなされているということになってくると、この
教育課程の答申というものを、もう少しこまかくしてもらう必要が私はあるのではないか。もう少し答申をこまかくしていくというようなことが大事になってくるのではないか。また、
教育課程審議会の中には、臨時
委員とか専門調査員というものを設けることができるというふうになっているので、そういうところで、もう少しこういうばく然たる答申でなしに、相当内部に入った答申をしてもらっていく必要がありはせぬか。あるいはもう
一つ考えてみたときに、この
教育課程の答申を受けて、いわゆるそういう学習指導要領が、非常な国の
基準であるということになれば、こういうものを作成する別個なやはり
委員会というものを作って、そこでやっていく必要がありはしないか。教材等調査
委員会のごとく、自分で勝手に作っていくということではなしに、そういうものを作っていくべきではないか。で、こうなってくると、極端なことを申し上げると、
教育課程審議会が簡単な答申をして、それに基いて学習指導要領は、初等中等
教育局で作るということにきめてあるので、どんどん勝手にその
内容を作っていけば、知らぬ間に
教育内容というものはどんどん変ってしまうではないか、こういうことが、実は今多くの人が
教育課程の中、特に学習指導要領の中で、非常にみんながおそれているところなんです。事実新たに出てきた
教育課程の中に、学習指導要領の中に、幾多のいい点もあるけれ
ども、また特に社会科等については、これらの協同するとか、
協力するとか、あるいは慣習を打破するとか、あるいは平和の問題を解決するとかいう点について、当然入ってしかるべき
内容が落ちているということについては、やはりこの答申の
取扱い方あるいは
審議会のやり方というものについて、少し問題があるのではないか、検討すべき問題があるのではないかというふうに私
たちは考えているのですが、こういう点について、
大臣はどういうふうにお考えになっておられるのか、御
意見を少しお聞きしたい。