○山田節男君 この
カラー・テレビの問題につき、ましては、二十八
国会会のときも大臣から所信の表明があったわけでありますが、珍しく与党の諸君から
カラー・テレビの促進ということを質問よりも
要望されたわけであります。私も前回、大臣の所信を確めたわけでありますが、近来ある商業新聞あるいは衆議限の逓信
委員会等におきまして、
カラー・
テレビジョンの促進ということを強く
要望するような質問を聞いた。本日また本
委員会においても、そういうような質問がなされておるのであります。これは私は今から六年前に、この
カラー・
テレビジョンの
標準方式並びに
テレビジョンの経営を
公共放送を主体にするかあるいは民放にするか、これはおそらく
国会始まって戦後の非常な大きな論争であった。ところが、私はその当時やはり
委員をしておりましたけれども、きわめて不明朗な政治的な工作によりまして、
公共放送が日本の当時の、これはもう根本である。これは
国民の気持であった。それが民間
放送によって、
テレビジョンが始められ、しかも
標準方式は、これまたいまだかつてないほどの大きな公聴会を開いて、これは今
郵政大臣である
寺尾さんもアメリカヘ、私も一緒に行って、いかにこれは重大な問題であるかということを十分知って帰って、当時のGHQが、もう弾圧的にこれを二十四時間以内にきめろというのを、われわれがこれに抵抗して、慎重に公聴会を開かしたにもかかわらず、私から申せば、あの当時の、何
国会でありましたか、
国会のいよいよ末期の、しかし一日
国会を延ばして、あの標準
放送の方式とそれから
免許につきまして、ついに
電波監理
委員会が政治力に屈したというような
状況がある。ただいま宮田君並びに前田君から、いろいろ
カラー・
テレビジョンのことについての御質問、御意見がございましたけれども、これははなはだ私失礼でありますが、
カラー・
テレビジョンの本質ということについて、十分おきわめになっていない。過日衆議院の逓信
委員会におきましても、数々の
委員から御発・言がありまして、私はその速記録を読みましたが、きわめてロマンチックな考えであります。
私は、昨年ヨーロッパへ参りアメリカへ参りまして、ことに私が
カラー・
テレビジョンを主体としてイギリスのBBC、それから北ドイツのラジオビジョンの話をしました。BBCは、イギリスにおきましては、御
承知のように今日約五百万の視聴者があるわけであります。これは、
カラー・
テレビジョンの時代ではない。
標準方式が云々というよりも、イギリスの今日の経済力をもってして、まだ
カラーテレビジョンは早い。ドイツにおいてはどういうか。ドイツにおきましては、ここ三年ないし五年間の間においては、
カラー・テレビを実施するということは、研究はするけれども、実施はしない。それからフランスにおきましては、
カラー・
テレビジョンにつきましては、これはできるだけ早くやりたいと思うけれども、今日のフランスの現国産的技術段階としては、まだまだ研究の余地があるということを申しております。しかるに、最近になりまして、
カラー・
テレビジョンに対する日本の一部の、これは策動とは申しませんけれども、きわめてロマンチックな宣伝的なことをやっておる。これは私ははなはだ残念に思うのでありますが、
寺尾郵政大臣の今の御答弁を聞きまして、私はきわめて堅実な慎重な態度をとっておられることについてはまことに心を強くするのであります。これは私は決して技術家ではございませんが、
カラー・
テレビジョンというものは、なぜアメリカにおいてデヴェロップしないのか。技術的にはある程度のものは進歩しておりますけれども、なぜ普及しないかという問題、アメリカのあの底深い経済力をもっても、普及しないのはなぜか。今廣瀬政務次官がいわれましたように、今日五百ドル出しますれば、
カラー・テレビが手に入るのです。月賦制度の発達しておる国で、なぜ普及しないかという問題、これは私はよほどわれわれ
国民として考えなくてはならぬことでありまするが、日本の場合におきましては、特にまだ
テレビジョン始まって百数十万台にすぎない、コンヴァーティブル・システムでやれば、
カラー・
テレビジョンをやれば白黒でも受像できるからいいのじゃないかという、きわめて安易な理屈でありますけれども、実際問題として
カラーの
テレビジョン放送で
放送しておって白黒で受ける、ことに日本のように
公共放送と民間
放送がごちゃごちゃになりまして、
東京におきましては、間もなく、テレビのダイヤルが六つある。六つのダイヤルを使用できというような、こういう全く飽和
状態において、さらに
カラー・
テレビジョンを
放送するということは果していいかどうか、これは技術的なものではございません。私は
カラー・
テレビジョンという問題につきまして、一日もすみやかにこれを
放送を実施すべきであるという気持はわかりますけれども、今日の日本の経済力、あるいは、今日、とかく戦後
日本国民は何でも新しいものを食いたがる、ただこれはコマーシャライズして、商業化して、金をもうければいい、これでは私は将来を誤まるのじ知、ないかと思う。先ほど来与党の諸君からなる
要望、御質問ございますけれども、しかし私は政府としては、この問題について、
標準方式がたとえば明年結論出ましても、やはり日本の経済力の浅さというものを十分勘築いたしませんと、軽桃浮薄に消費生活だけに片寄ってきた日本の上つらな生活では、これははやまるかもしれないのです。きわめて底の浅い
国民生活というものがいよいよ深刻となるのじゃないか、こういうような点から考えますと、今の政府御当局のお考えは、きわめて私はわれわれとしては歓迎すべきものだと思うのです。参議院の食堂にも
カラー・
テレビジョンのセットを持ってきて、あるいは新聞でこれを宣伝せしめる、衆議院の逓信
委員会等において、はなばなしい論戦かのごとくやりますけれども、私は
国民の一員として、ことに勤労階級を主体とする政治を主張する社会党の一員といたしましては、かような考えが私は軽々に決定されるべきものではない。そういう意味におきまして、今日の
実験放送が実用化試験に移行するということも私はどうかと思う。ましてや、これを実際に
放送するということは、大体日本における標準
放送の方式の決定並びに
放送の実施の過程から見まして、再び過去の轍を踏まないように私はしなくちゃならぬだろうと思います。こういう点は、
寺尾郵政大臣なりあるいは監督
機関である濱田
電波監理
局長は十分一つこの点については注意されて、私は
国民に対してやはり後顧の憂いのないことをやっていただきたいということを、これは私は質問ではございません、
要望いたしまして、お願いを申し上げておきます。
それから時間が非常にございませんが、私実は
電電公社の新
総裁並びに新副
総裁おみえになって、先ほどごあいさつ、所信の表明はなかったが、
説明を聞きますというと、今
年度の四月に出発しました
電電公社の第二次五カ年
計画が上半期を経た今日、すでに
計画をやりかえなければならない、
予算的にも
計画的にもやりかえなくちゃならぬという先ほど御
説明があった。これは私は重大な問題だと思う。なるほど農山漁村に対する電話の普及問題、あるいはテレビの
放送局
増加のためのマイクロウエーブ・システムの拡張、こういうような臨時の、見込み以上の発展を要求されているということはあるかもしれませんけれども、たとえば電話につきましては、この第二次の五カ年
計画には第一次に対して四〇%も上回った四千百億の
計画を立てたけれども、しかし電話が五カ年間に百三十五万、年間二十五万、これに対して三十三万の電話の
需要があった、とても応じ切れない、積滞数が今日五十八万、潜在
需要を入れますと百万突破しているものと私は思う。こういうように、第二次五カ年
計画を実施して六カ月を過ぎた、もうすでに
計画を
修正しなくちゃならぬ、こういうことなんです。この
事態、これは私は経営
委員長であった
大橋総裁の責任を云々するわけではございませんけども、少くとも新副
総裁の
横田君は経理
調査室におられた。第一の五カ年
計画にあなたは理事として参画されておって、度二次五カ年
計画に対してはあなたは経営
調査室長だった。相当なこれに対しては御意見もあったろう。こういう、もうすでに五カ年
計画を、しかもそれを六カ月やっただけであって
計画を
修正しなくちゃならないという
事態に直面したという事実、この点、私は、これは遺憾というよりも、時代の要求がそれだけ多かったからそういう
事態になったということもあろうと思います。
電電公社としては、補正
予算というような制度はないだろうと思うが、一体、第二次五カ年
計画を、
大橋新
総裁内閣のもとにおいては、これはどういうようにされるのか。従来の第二次五カ年
計画を今後もう一ぺんやり直すという、こういう意味できょうの御
説明をなすったかどうか、この点を一つお伺いしておきたい。